ドアーズ、ニルヴァーナ、2PAC、レッチリ…サーフカルチャーやヒッピー文化の影響を受けながら独自のスタイルを築いてきたウエストコースト・ミュージック。ここでは、第二次世界大戦後に生まれたムーブメントをザザッとご紹介。その甘い歌声にチルしたり、ドープなビートに浸ったり、僕らをいつも魅了してきたアメリカ・西海岸ミュージックの世界へ。
(イラスト:福井康代)
アメリカ西海岸ミュージックの歴史
●JAZZ(1950年代)
1945年、映画産業が好調だったハリウッドにジャズミュージシャンが集結。彼らは映画音楽のサントラを手がけながら、ロサンゼルス郊外のクラブで夜な夜なジャムセッションを繰り広げました。その当時、東海岸で生まれたテクニック控えめのクールジャズが主流でしたが、彼らはその流れを踏襲しながら、カリフォルニアの陽気な風土を反映した軽やかなアレンジを多用。ウエスト・コースト・ジャズという独自のスタイルへと発展させました。チェット・ベイカーやショーティ・ロジャースといった白人演奏者が多いのも、この時代の特徴のひとつ。
●WEST COAST ROCK(1960~70年代)
1960年代初め、ロサンゼルスの若者を中心に流行ったサーフ・ミュージックもこのジャンル。テケテケテケ~♪の、ベンチャーズに象徴されるお気楽エレキギターサウンドは、やがて登場するビーチボーイズが重厚なコーラスワークを添えることでミュージックシーンを大いに盛り上げます。そののち、ジョニ・ミッチェルのようなしっとりと歌い上げるアコースティックサウンドやドゥービー・ブラザーズに代表されるグルーブ感あふれるロックへと多様性を見出し、1972年、イーグルスの登場とともに全盛期を迎えます。13本ものギターを重ねた「Hotel California」は、この時代を代表する一枚。
●FUNK(1960~70年代)
公民権運動が盛んになり、JBが「I’m Black and I’m Proud」と声高に叫んでいた頃、アメリカ西海岸ではヒッピー文化が開花。白人も黒人もアジア人も人類皆兄弟なムーブメントが広がるなか、その象徴となる、当時では珍しい人種・性別混合のバンド、スライ&ザ・ファミリーストーンが誕生。R&Bのリズムとキャッチーなメロディー、カリフォルニアで流行していたサイケデリック・ロックなどを幅広く取り入れた、全く新しいファンクを生み出しました。彼らの音楽は、人種の壁を飛び越えて受け入れられ、ファンクを黒人音楽から普遍的な音楽スタイルへと昇華させました。
●PSYCHEDELIC ROCK(1960~70年代)
リバーブを多用した浮遊感漂うボーカルに、ドリーミーでサイケな1960年代風ギターリフ…LSD独特のトリップ体験を体現したようなサウンドが、西海岸のヒッピー文化の広がりとともに流行。1967年頃には世界中を席巻し、多くのアーティストがこのジャンルの影響を受けた作品を生み出しています。その代表が、ドアーズやグレイトフル・デッドですが、いまいちピン!とこない方は、ビートルズの「Yellow Submarine」「Revolver」の曲調と言えば、分かるかも。サイケデリック・ロックの浸透が、1970年代のロック黄金期へとつながっていきます。
●HARDCORE PUNK(1980年代)
ディスコブームが席巻していた1980年代初頭、DISCO SUCKSという標語のもと、ロサンゼルスを中心に生まれたのがハードコアパンク。本来のパンク・ロックのロックン・ロール色を排し、より暴力性を強調したジャンルで、単にハードコアと呼ばれることも。その先駆者がブラック・フラッグですが、彼らはDI Yのモットーの下、自社レーベルを作り、インディシーンに爆発的な影響を及ぼします。ステージ上からのダイブ、体をぶつけあうモッシュ、人の上に塔のように重なっていくパイルといった、音楽から得る破壊行動をライブで観客と共有するのも特徴。
●LA METAL(1980年代)
いわゆる、ヘビーメタルのジャンルのひとつ。長髪ソバージュ、引きちぎれたタンクトップ、てかてかレザーパンツ、変形ギター…1980年代初頭、ハリウッドからモトリー・クルーが誕生したことを皮切りに、ボン・ジョヴィやクワイエット・ライオットなどが続々デビュー。キャッチーな楽曲、ド派手なパフォーマンス、セクシー美女が登場するPVが、MTVの開局とともに頻繁にオンエアされ、その名を全米のみならず世界中に轟かせていきました。1980年代末、ガンズ&ローゼズのデビューによって全盛期を迎え、その後、グランジの出現とともに失速していきます。
●ELECTRO(1980年代)
西海岸エレクトロ・シーンの発展に貢献したレジェンドといえば、エジプシャン・ラヴァー。ロボットボイスやスクラッチ、サイバー系のメロディに効果音…永遠に続くかと思われる金太郎飴サウンド!?は、ドラムマシーンを駆使したカリフォルニアならではのレイドバックなビートで、今なお幅広いダンスミュージック・シーンに影響を与え続けています。近年は、フライング・ロータスなどが、ジャズやレゲエ、ヒップホップ、テクノといったさまざまな音楽と融合させ、さらに多様性のあるサウンドで次世代エレクトロシーンを牽引しています。
●HIP HOP(1980~90年代)
アメリカ西海岸のヒップホップの先駆者と言えば、1986年、ロサンゼルス・コンプトンで結成されたN.W.A。メロディアスなフロー、西海岸の開放的な空気を感じさせる陽気なトラック…そして、ウエストコーストの人々の生活を生々しく描いたリリック「ギャングスタ・ラップ」は、長らくヒップホップの主流とされてきた東海岸に対するウエストサイドスタイル=「ウェッサイ」として、その名を世界中に知らしめます。その後、シンセを多用した「Gファンク」がブームとなり、スヌープ・ドッグや2PACが次々にスターダムへ。1994年、2PACが何者かに襲撃されたことをきっかけにヒップホップ東西抗争が勃発。
●GRUNGE(1990年代)
アメリカ経済に陰りがみえはじめ、豪遊ライフを謳歌するロックスターに共感をもてなくなっていった1980年代末。シアトル発のサブ・ポップというレーベルから、ハードロックのリフにパンクロックの性急なビートを掛け合わせたようなロックが登場。悩める若者の心情を吐露した絶望感の漂う歌詞とサウンドが受け、国内外の音楽業界から注目され始めます。そしてニルヴァーナの「Nevermind」が空前の大ヒットとなり、インディーズから一気にメジャーへと浮上。「グランジ」というジャンルを確立しましたが、1994年、カート・コバーンの自殺によってグランジというジャンルそのものが終焉を迎えます。
●LO-FI(1990年代)
録音技術が進歩を遂げるにつれ、ダンスミュージックやヘビーメタルといったエコーやエフェクトを多用するHi-Fiサウンドが主流に。これらの現実感のないサウンドによる商業主義への反発から、あえて安っぽい機材を用い、不明瞭なサウンドや雑音を取り入れたLo-Fiサウンドが見直されていくことに。スカスカのギターロックをやる気のない声で歌い上げたペイヴメントをはじめ、ベックやソニック・ユースは、メジャーシーンでも大活躍。1990年代のオルタナティブ・ロックにも影響を与え、ノイズロックやグランジの躍進にも一役買います。
●MIXTURE ROCK(1990年代)
ミクスチャー・ロックとは、ロックをベースとし、ラップ、ファンク、ヒップホップ、ハードコアなどのさまざまなジャンルの音楽と融合させたもの。1990年代後半、レッド・ホット・チリ・ペッパーズが、「Blood Sugar Sex Magik」で一躍このジャンルをメインストリームへと急浮上させました。また強烈な怒りに満ちた思想的なリリックとヘビーなサウンドで根強い人気を誇るレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンも代表格。1999年に作られた「Sleep Now In The Fire」のPVの中には、なんとドナルド・トランプが大統領になることを示唆するシーンも!?
POP STAR-西海岸ミュージックシーンを牽引したスターたち-
あの時代の、あの興奮は、後にも先にも、あのときだけだった。閃光のようなきらめきで世界中を熱狂させ、今なお、音楽史にその存在を鮮烈に刻むスターたち。西海岸ミュージックシーンを牽引した彼らの、めくるめく光と影にフォーカス。
彼の歌は、無邪気な甘ったるさで女の子たちをなぎたおした。
Chet Baker/チェット・ベイカー
譜面は読めない、下手ではないが、誇るほどのテクニックもない。なのに、なぜ彼の歌声は惹きつけて止まないのか?繊細な顔立ちと甘い歌声で、ジャズ界きってのアイドルと称されたチェット・ベイカー。ウエスト・コースト・ジャズ全盛期、20代にして一流ジャズマンの仲間入りをし、マイルス・デイヴィスを凌ぐ人気があった。一方で麻薬中毒者だった彼は、薬物絡みのトラブルでアメリカを追われ、ヨーロッパ各地を転々としながらライブを行う。1988年5月13日午前3時。チェットはホテルの窓から転落して謎の死をとげる。その2週間前のドイツ公演で歌われた「My Funny Valentine」。見るに耐えない廃人の姿でも、ひとたび彼が音楽を奏でれば、切なく胸をしめつけるような旋律がこぼれ落ちる。まるでバレンタインのような甘くスイートなひととき。誰もが、一瞬にして恋に落ちる―冒頭の答えは、そこにある。
クレイジーでアホで、超絶かっけー!
Anthony Kiedis/アンソニー・キーディス
全裸に靴下、頭電球…意味不明なエネルギーで、ロサンゼルスのネオ・パンク・ロックシーンから飛び出してきた自称「アホ」の4人組レッド・ホット・チリ・ペッパーズ。バンドのボーカル兼作詞家でもあるアンソニー・キーディスは、数々のヒット曲を生み出したが、代表曲と言えば、やはり映画『デスノート』の主題歌「Dani California」。ジミヘン、プレスリーなど、メンバーがさまざまなロックバンドに扮したPVが注目を集め、「gone too fast(あまりに早く逝ってしまったね)」という歌詞が歌われるシーンでは、カート・コバーン役のそばに置かれた蝋燭の火が消える演出で話題に。『デスノート』のプロデューサー・佐藤貴博氏が「DEATHNOTE」の英語版をレッチリに送って、映画の主題歌を歌ってくれるよう求めたところ、快諾したという逸話も。アホな大人であり、超絶カッコいい4人組、その象徴がアンソニーなのだ。
僕は、ビートルズに負けたくなかった。
Brian Wilson/ブライアン・ウィルソン
ザ・ビーチボーイズのコンセプトメーカーであったブライアン・ウィルソン。卓越した作曲と編曲能力を兼ね備えていた彼は、ロックンロールのリズムに、多彩なコーラスワークを取り入れた楽曲で、当時インストだった「サーフ・ミュージック」の概念を変え、世の中に衝撃を与える。1966年「Good Vibrations」のヒットで、その地位を不動のものにするが、ヒットチャート上でビートルズと競争せざるを得なくなったプレッシャーから精神病に。その当時、ポール・マッカートニーが、自宅を訪れた際、ロッカーに隠れていたというのは有名なエピソード。酒やドラッグにおぼれた自堕落な生活を送り、キャリアは低迷の一途を辿るが、1988年、初のソロ・アルバムで完全復活を果たす。
What Is a D.J. If He Can’t Scratch?
Egyptian Lover/エジプシャン・ラヴァー
1984年「Egypt, Egypt」のヒットを皮切りにDJ、プロデューサー、ラッパーとしてオールドスクール・シーンで活躍。独特のメロディアスなサウンドと中近東テイストも取り入れてしまう斬新なアレンジ、何と言ってもアナログ機材やヴィンテージ・ドラムマシーンを駆使したレイドバックビートは、いつまでも耳に残る金太郎飴サウンド!?として、聴けば聴くほどクセに。今なお色褪せないエレクトロサウンドは、ヒップホップやモダンファンクなど、幅広いダンスミュージックシーンに影響を与え続けている。特にディースタイルズといったスクラッチを好む第二世代DJに多用され、無能なラッパーをディスった「What Is a D.J. If He Can’t Scratch?」は、スクラッチネタとしても定番。
深夜3時、伝説が生まれた。
Sly Stone/スライ・ストーン
アメリカ音楽史に残る野外イベント「ウッドストック・フェスティバル」。1969年8月16日深夜3時。ジャニス・ジョプリンが歌い終わり、観客はテントに入り始めていた。そんな中、登場したのがスライ・ストーン。彼はR&Bのリズムとサイケロックを取り入れた斬新なファンクで人気を集め、フェスで引っ張りだこに。そして、この伝説の夜へと至る。観客の眠気は、全身を揺さぶる強靭なビートで一気に覚醒。「みんな一緒に歌ってくれ。大切なのは、フィーリングだ!」。スライの叫びに会場のボルテージは最高潮へ。この一件で人気を不動のものにしたスライだったが、当時では珍しい人種・性別混合バンドだったことから黒人解放組織「ブラックパンサー党」の圧力を受け、ドラッグへ溺れていく。1975年に解散するが、大切なのはフィーリングという彼のソウルは、今なお多くのミュージシャンに受け継がれている。
俺たちはまだ黒人の大統領を見るための用意ができていない。
2PAC/トゥーパック
1990年代半ば、2PACが所属する西海岸代表デス・ロウ・レコード、ノトーリアス・B.I.G.を擁する東海岸代表バッド・ボーイ・レコードが対立。実名の誹謗中傷を交えたBeef(歌詞の中で相手をこき下ろす)がエスカレートし、次第に裏で糸を引くマフィア同士の抗争へと発展する。1996年9月7日、2PACはラスベガスでマイク・タイソンの試合を観戦後、横付けされたキャデラックから銃弾を浴び、死亡。その1年後、ノトーリアス・B.I.G.も銃撃され、全米を巻き込んだヒップホップ東西抗争は、シーンの先頭に立っていた二人の死をもって沈静化へ向かう。ブラックパンサー党の一員であった母の思想を受け継ぎ、弱者に目を向け、不平等な社会をラップで変えたいと願った2PAC。死後、リリースされた「Change」という歌の一節に、We ain’t ready, to see a black Presidentとある。それから10余年、アメリカ初の黒人大統領が誕生する。
詩人、ジェームズ・モリソン。
Jim Morrison/ジム・モリソン
1965年の夏、ヴェニスの寂れたビルの屋上でドアーズは生まれた。当時、UCLAの映画学科を卒業したジム・モリソンは、頭の中にあふれだす詩をノートに書き留めていた。その噂を聞きつけた同学科のマンザレクが、屋上に訪れ、彼のずば抜けた詩の才能を見抜き、バンドを組もうと話をもちかける。彼らは、ロサンゼルスのクラブでギグを繰り返すうちに、その幻想的な詩とサイケなサウンドが評判を呼び、「Light My Fire」の大ヒットで一躍トップグループに。一方で、詩人として認められたいと願っていたジムは、ロック界の反逆児、セックス・シンボルといったイメージの肥大化に嫌気がさし、酒へとのめり込んでいった。1971年、レコード会社との契約を終えるとパリへ。しかし7月3日、愛人パメラは、ジムが浴槽で死んでいるのを見つける。死因は心不全。死亡証明書にはこう記された。「詩人、ジェームズ・モリソン」と。
常、臨戦態勢!焼き殺す音でレコードを作りたい。
Henry Rollins/ヘンリー・ロリンズ
臨戦態勢パンクバンド「ブラック・フラッグ」の象徴と言えば、ヘンリー・ロリンズ。強靭な肉体から放たれる本気度200%の雄叫び、スキンヘッド、酒や薬を摂らないハードコア精神は、男らしさの象徴となり、若者の間で人気爆発。音楽から得る破壊衝動をライブにぶつけたパフォーマンスは、ヘンリー自ら観客を殴打することも。ライブでは流血沙汰が絶えず、観客こそがフラストレーションのはけ口としてライブを求めた。一方で、暴力ゆえの排他性が、パンクシーンの衰退をさせる原因となり、1986年に解散。彼は直ちにソロ活動を開始し、エッセイや詩集もリリース。アウトサイダーの葛藤を歌いながら、意外と本人は世間と融合できてる!?と、ツッコミどころも満載。
錆びつくより、今燃え尽きる方がいい。
Kurt Cobain/カート・コバーン
1980年代ヘビーメタルの栄光に終止符を打ち、一夜にして「グランジ・ロック」と呼ばれる音楽ムーブメントで世界中を席巻したカート・コバーン。2枚目のアルバ「Nevermind」でアメリカンドリームを掴んだものの、それを望んでいなかったのも、また彼だった。メディアが伝える姿と本来の姿とのギャップ、アンダーグラウンドを愛しながらメジャー市場を意識して曲作りを行ったことへの自責の念から、うつ病に悩まされ、1994年4月5日、ショットガンで自殺。カメラに向かって唾をはいたり、ステージ上で消火器をぶちまけたり、コートニー・ラヴとの結婚式の時にもパジャマ姿で現われたり、スターになることよりも、常識クソくらえ!なアウトローでいることを選んだカート。遺言には、強烈な筆圧で「It’s better to burn out than fade away(錆びつくより今燃え尽きる方がいい)」と書かれていた。
イッツ・マイ・ライフ!
Jon Bon Jovi/ジョン・ボン・ジョヴィ
デビューから僅か3年でメガバンドとなり全世界を制覇したボン・ジョヴィ。特にボーカルのジョン・ボン・ジョヴィは、その甘いルックスと歌唱力で世の女性を虜にした。しかし彼の魅力はそれだけではない。貧困にあえぐ人やホームレスへの社会奉仕活動に熱心だったり、極めつきは、さぞかし女性にモテたはずなのに高校時代の彼女と結婚するという、非の打ち所のないイイ男っぷりで格を上げ続けている。キャリア的には、1990年代半ばにメタルブームが終焉を迎え、大きな停滞期を迎えたが、5年のブランクから「It’s My Life(これが俺の生き様)」で大復活を遂げる。イッツ・マイ・ライフ!と世界中に向かって高らかに宣言できる男、それこそが、ジョン・ボン・ジョヴィなのだ。
#WhoIsBeck
BECK/ベック
ビヨンセが大本命だった2015年のグラミー賞。蓋を開けてみると、サム・スミス、エド・シーランという強豪をおさえて、ベックの「Morning Phase」が受賞。この結果に、ツイッターでは「#WhoIsBeck(ベックって誰?)」のツイートが7万を超え、世界中の音楽ファンを騒然とさせた。で、ベックって誰?となるわけだが…一見すると、近所にいる草食男子のようだが、実は天才的センスを持つミュージシャン。ブルースやジャズをベースに、ファンクやヒップホップのリズムトラックを組み合わせ、さらにはTVの音、街頭の音などをサンプリング。多重録音ならではの遊び心あふれるアレンジで、多岐にわたる音楽ジャンルの壁を軽やかに越えてしまった、時代の寵児なのです。
フェス天国のカリフォルニアで。
悲鳴必至の豪華ゲストをそろえた人気フェスにカリフォルニアに根付くヒッピーカルチャーと融合したレイヴ…山、川、砂漠と、雄大な自然を背景にした圧倒的なスケールと世界観もフェスの魅力。これから何が始まるのだろう?そんなドキドキとワクワクが詰まった未体験のパーティーが、あなたを待っている。
Coachella Valley Music and Arts Festival
ヒップホップやロック、EDMと幅広いジャンルから、もぅお腹いっぱい!な豪華ゲストをそろえながら、開催直前の超絶サプライズに悲鳴が飛び交うかも(?)の、売り切れ必至の世界最高峰フェス。
Lightning In A Bottle
豪華ラインナップを誇るエレクトロ中心のフェス。自然にダメージを与えないエコな音楽イベントとしてA Green Festivalから最優秀賞も受賞。ヨガクラスやトークセッションなどのプログラムも目白押しで、圧巻のアートインスタレーションが会場を盛り上げます。
Hollywood Bowl Jazz Festival(旧Playboy Jazz Festival)
ジャズといえば、ニューオリンズかシカゴ。いやいや、ロサンゼルスにも約40年続く人気のフェスが。有名な男性雑誌「PLAYBOY」が2021年まで主催し、2022年から名称が変わったが、以前と変わらずジャズ界の大御所アーティストが多数出演。毎年Hollywood Bowlで行われ、ワイン片手に極上の音楽を楽しめます。
FYF Fest(終了)
かつてはエコパークに集まるパンクロッカーを集めたイベントでしたが、今では一流アーティストが出演する巨大フェスへ。メトロやガレージ、EDMから、アンダーグランドで活躍するダンスミュージックまでマニアックに網羅。バイセップといった人気急上昇のアーティストによるパフォーマンスも見どころ。
Hard Summer
EDMファンは、熱狂的なレイヴを目指してLA メモリアム・コロシアムへ。エレクトロニックとヒップホップの多数の大物アーティストがこれまでにも参加する、西海岸で最もエッジの効いたイベントの一つ
Outside Lands
フェス常連の盛り上がり系からしっとり聞かせる系まで、全方位抜かりのない豪華ラインナップで、飛ぶ鳥を落とす勢いなのがこちら。Coachellaを超える20万人もの動員数を誇り、サンフランシスコを代表する巨大フェスに。
Burning Man
1年に1度、砂漠に突然現れる「ブラックロック・シティ」。直径2.4kmの扇形の市街地に、約8万人が集まり、共同生活を営みます。連日レイヴパーティーが行われ、巨大アートや大道芸のパフォーマンスも点在。街のシンボルである巨大人形「ザ・マン」を燃やすことでクライマックスを迎えます。
Dirtybird Campout
ロサンゼルス郊外のシルバラードで開催されるDirtybird Campoutは、実にユニーク。一流アーティストの音楽を楽しむだけでなく、巨大浮き輪に乗って川でぷかぷかしたり、綱引きや宝探しを。夜はキャンプファイヤーでカラオケやビンゴ大会など、踊って遊んでキャンプで寝る。新感覚の野外フェスは、まさに大人の運動会。詳細はdirtybirdcampout.comを確認。
週末はどこにいく?-ロサンゼルスのおすすめライブハウス-
ドアーズが働いていたクラブハウスに、アデルが歌ったカフェ、最先端EDM を楽しめるクラブまで…西海岸ミュージックに詳しくなったなら週末は、西海岸ミュージックの今と昔が交錯するライブハウスへ。
伝説の夜。
Hollywood Palladium
ローリング・ストーンズやボブ・ディラン、プリンス、レッチリなど、歴史に名を残すアーティストたちが数々の伝説を作り上げてきたコンサート会場。約3700人収容の大バコでは、パンク・ロック、ラップ、ヘビーメタルなど多岐にわたる公演がなされ、西海岸のみならず、世界中の音楽シーンをリードしてきました。また2008年、数百万ドル規模のリノベーションを行い、ジェイZのコンサートで復活を遂げました。
毒蛇メタル。
The Viper Room
かつて俳優ジョニー・デップが所有権を持っていたこともあって、ハリウッドセレブの溜まり場であったナイトクラブ。ヴァイパー(毒蛇)という店名が表すように、パンク・ロック、オルタナティヴ・ロックといった爆音系バンドが多数輩出され、メタルブームの一翼を担いました。映画『ドアーズ』の撮影に使われたことでも有名。
アデルに酔いしれて。
The Hotel Cafe
シンガーソングライターが活躍できるライブハウスを作りたい。そんなオーナーの思いからはじまったThe Hotel Cafeは、アデル、ジョン・メイヤーといった大物から、注目の地元アーティストまで、実力のあるミュージシャンが集まるスポットに。
夜空のむこう。
Greek Theatre
グリフィスパークの美しい木々、青空へと吸い込まれていく心地良い歌声…雑誌「pollstar」で「アメリカで最も小さく最高の野外会場」として10年連続ランクインするGreek Theatre。最新の音響設備と抜群のロケーションとあって、ドゥービー・ブラザーズからローリン・ヒルまで、あらゆるジャンルの有名アーティストに愛され、高い人気を誇っています。星空がきらめくナイトタイムも、ひと際ロマンティック。
実験的LAビート。
The Airliner
最先端のEDMがフロアを揺らし、ラッパーが攻撃的なフロウで盛り上げる。特に、毎週水曜日開催の「Low End Theory」は、大注目の激ヤバイベント(2018年に終了)。クラブが地下実験と化し、革新的なヒップホップやエレクトロを堪能できます。
今宵、ジミヘンと。
Whisky a Go Go
かのドアーズが売れない頃、専属バンドを務めていたり、ジミヘンがふらりとジャムセッションに訪れたり…また1970年代になると、パンクロックやメタル・ムーブメントの中心となり、ラモーンズやモトリー・クルーといった地元勢を続々と輩出。西海岸ミュージックの発展において、切っても切れない存在であるWhisky a Go Go。ロックの神様が君臨したライブハウスには、今宵もロック小僧がギターをかき鳴らす。
※このページは「2017年2月1日号ライトハウス・ロサンゼルス版」掲載の情報を基に作成し、2023年2月の情報で更新しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。