一攫千金を夢見て到来・歴史を綴る人種偏見との戦い
カリフォルニア州は、地形、気候、人種、産業のすべてにおいて多様性を極めているが、その歴史は人種偏見との闘いの歴史でもある。19世紀には中国人移民、20世紀には日本人移民が排斥され、1992年には黒人差別が原因のロサンゼルス暴動も発生している。州名は16世紀のスペインの小説家による空想の島から取ったとされ、意味は「天国に近い島」。
カリフォルニア(California、CA)州の基本情報 | |
人口(2023) | 38,965,193人 |
面積 | 155,812.8mile2 |
人口密度 (2020) | 253.7人/mile |
州都 | サクラメント(Sacramento) |
州知事(2024) | Gavin Newsom(民主党) |
州のニックネーム | Golden State, Golden West, El Dorado State, Land of Milk and Honey |
人種の割合 | 白人 70.7% / 黒人 6.5% / アメリカインディアン 1.7% / アジア人 16.3% / ヒスパニック 40.3% |
1世帯当たりの平均収入 (2022) | $91,905 |
貧困家庭の割合 (2022) | 12.2% |
住宅平均価格 (2018-2022) | $659,300 |
平均家賃 (2018-2022) | $1,856 |
観光情報サイト | Visit California |
オフィシャルサイト | CA.gov |
(出典元:U.S. Census Bureau)
ゴールドラッシュで始まった民族大移動
初めてヨーロッパ系の白人探検家がやって来たのは1542年。1769年のスペイン人宣教師の到来で植民地化が始まって以来、1821年にメキシコがスペインから独立するまで、サンディエゴからサンフランシスコまでの海岸沿いに21のミッション(キリスト教教会)が設立された。
1822年にメキシコ領となるが、1846年から同48年の米墨戦争での勝利によって、アメリカがカリフォルニア州全域を手に入れる。メキシコとの平和条約が調印された直後から、オレゴントレイルを通って東から民族大移動が始まる。その理由は言わずと知れたゴールドラッシュだ。
1848年、製材所を建設していたジェームズ・マーシャルがサクラメント近くのコロマにあるアメリカ川で金を発見した。マーシャルが酒場で金塊で支払いをしたことから金発見の情報が瞬く間に広がった。翌年に金が多く発見されたマリポサでのクオーツ採掘が始まると、世界中から50万人が一攫千金めざして殺到した。
1847年には住民400人しかいなかった小さな村は、1880年には5万6千人を抱えるサンフランシスコという都市に様変わりした。ゴールドラッシュの経済的成功により、50年には31番目の州として合衆国に加盟した。
人口が増えるにつれ農業も発展した。しかし、ネックになったのは東海岸との物流だ。そこで大陸横断鉄道「パシフィック鉄道」の工事が始まった。
アメリカ人炭鉱労働者は外国人に敵意を抱き、大挙して太平洋を渡ってきた中国系を徹底的に排斥した。1850年、州政府は「外国人炭鉱労働者ライセンス法」を制定。アメリカ市民以外の炭鉱労働者には人頭税を課した。あまりの課税額の高さに翌年には廃止されたが、炭鉱を去った中国人たちはサンフランシスコに移り住み、全米初のチャイナタウンを建設した。
人種偏見に基づく法令、日本人移民の闘い
一方、日本人の移民が本格化したのは1884年、日本政府とハワイのサトウキビ農園との間で結ばれた官約移民協定による。ハワイから米本土へ移住してくる人も多く、1870年にカリフォルニアに33人しかいなかった日本人は、1900年には2万4326人に増えた。女性の呼び寄せが急増したことに危惧を感じた米政府は、日本政府と紳士協定を結び、日本人移民を結婚した妻とその子供だけに限定した。これが1枚の写真だけを頼りに渡米する「写真花嫁」の出現につながった。
農業などで日系人が頭角を現すようになると、1913年の悪名高い「排日土地法」を始め、多くの反日法が次々と可決される。1941年の真珠湾攻撃を機に反日感情はピークに達し、同42年2月19日、ルーズベルト大統領は大統領令第9066号により、日系人の拘留を決定した。この法令により、カリフォルニアから9万2786人の日系人が強制収容所に連行された。
この問題が政府が被害者たちに補償金を支払い、ようやく決着を見たのは約50年後の1988年のこと。昨年4月には約1万人が収容されたアリゾナ州マンザナーに全米初の日系人収容所ナショナルパークサービス博物館が開館した。
カリフォルニア州における人種偏見との闘いは今も続く。1992年、60人の死者を出したロサンゼルス暴動も黒人差別が原因だった。現在ではヒスパニック系が急増し、州人口全体の30%以上を占める。同州のヒスパニック系人口構成は、全米平均と比較し若い年代が多いことから、ヒスパニック系がカリフォルニア人口の過半数を占める日も遠い将来の話ではなくなった。
人口は全米最多、経済力は世界第6位
面積はアラスカ州、テキサス州に次いで3番目だが、人口では全米最多。経済力でも全米を牽引しており、世界銀行の統計によると、2003年のカリフォルニア州の国内総生産は1兆4820億ドルで、アメリカ、日本、ドイツ、イギリス、フランスに次いで世界第6位を誇る。また、1935年より州を挙げての灌漑制度が開始され、至るところにダムが建設された結果、オレンジやレモンなどの栽培が広がった。現在でもカリフォルニア州は全米有数の農業州だ。
州民の政治意識は強く、カリフォルニア州ならではの制度に「プロポジション」がある。これは住民投票で決定される法律のこと。一昨年には住民投票により、州知事のリコールが実現した。アクション俳優のアーノルド・シュワルツェネッガーが第38代知事となって全世界から大きな注目を浴びたが、俳優出身の知事には第40代大統領で第33代知事のロナルド・レーガンがいる。レーガン大統領はカリフォルニア州知事から唯一、大統領にまで上り詰めた人物だ。
同州出身の有名人には、女優マリリン・モンローの夫で、野球界の伝説的スター、ジョー・ディマジオ、アップル・コンピュータの創設者の1人、スティーブ・ジョブス、テニスのビリー・ジーン・キング、『怒りの葡萄』などの作品で知られる作家、ジョン・スタインベック、俳優で映画監督のクリント・イーストウッドとロバート・レッドフォード、リチャード・ニクソン大統領などがいる。