8年にわたるオバマ大統領の任期終了に伴い、新しい顔ぶれが揃った2016年アメリカ大統領選挙。民主党・共和党、各政党の候補者も決定し、改めて世界中の注目を集めています。複雑な大統領選挙の仕組みから、候補者の政策・主張、そして新大統領就任による日本や在米邦人への影響について説明します。
10カ月の長期戦!アメリカ大統領選挙の仕組み
4年に一度行われるアメリカ大統領選挙。まずはその仕組みについておさらいしてみましょう。大統領選挙は、全米各州で民主党・共和党の各政党別に行われる予備選挙と、11月の本選挙の2つのステップに分かれています。
年初のアイオワ州党員集会を皮切りに、6月まで全米50州において予備選挙・党員集会が開かれ、各党の候補者を絞り込んでいきます。中でも多くの州で予備選挙・党員集会が開催される「Super Tuesday」(2016年は3月1日)は、政党内での勝敗を左右するヤマ場です。
アメリカの大統領選挙は、予備選も本選も間接選挙。予備選挙後、7月に各政党の全国大会が行われますが、その候補者を決めるのは「代議員」と呼ばれる人たちで(右図参照)、この代議員の獲得数が候補者にとって大きな鍵となるのです。全国大会には全ての代議員が出席して、過半数の支持を得た者が、最終的に党の大統領候補として選ばれます。各党の候補者が選出されると、いよいよ本選挙です。投票は11月第1月曜日の翌日の火曜日(2016年は11月8日)と決まっています。ここでもやはり間接選挙のため、有権者は自分が支持する大統領候補に投票すると誓約している「選挙人」を選びます。
選挙人の数は最低3人(アラスカ州など)から最高55人(カリフォルニア州)まで。50州にワシントンDC(コロンビア特別区)の3人を加え、合計538人となり、選挙人投票でその過半数の270人以上を獲得した方が大統領となります。ただしメイン州とネブラスカ州を除き、一般投票で1位になった選挙人がその州の選挙人を”総取り“するので、事実上は一般投票で選挙の勝敗が決まります。
民主党代表候補:ヒラリー・クリントン氏
“Stronger Together” Hillary Rodham Clinton
1947年10月26日生まれ。68歳。シカゴ出身。イエール・ロー・スクール卒業。ロー・スクール在学中に知り合った、後の第42代アメリカ合衆国大統領ビル・クリントンと結婚。1993年から8年間ファーストレディーを務める。その後、上院議員、国務長官を歴任。2008年の大統領選挙ではオバマ大統領に敗れるも、2015年4月に再び出馬表明。バージニア州上院議員のティム・ケイン氏を副大統領候補に指名した。
“大きな政府”民主党
民主党はリベラル・自由主義を掲げ、政府による介入を是とする「大きな政府」を容認しています。民主党支持層は、白人、アフリカ系アメリカ人、ヒスパニック、アジア系、ユダヤ系などさまざまな人種がいます。女性や中産階級、低所得層にも多く、西海岸やハワイなど移民の多い州で強い傾向があります。党のシンボルは家庭の象徴、ロバ。
ブレない政策で臨む堅実派 壁を壊して国民の権利を確保
ファーストレディー、上院議員、そして国務長官を歴任し、世界中にその名を知られるヒラリー・クリントン氏。選挙で当選すれば初の女性大統領として、アメリカの歴史を塗り替えることになり、注目を浴びています。
2016年3月29日に、ニューヨークのアポロシアターで行った選挙演説で「人々の生活向上」「安全保障」「アメリカの団結」と謳った通り、性差、人種、経済格差の壁を壊して、あらゆる国民の権利を守りたいという主張は終始一貫しています。
経済再生の面では、オバマ政権の税制をほぼ踏襲し、富裕層への増税を続行。年収100万ドル以上に「Buffett Rule」と呼ばれる30%の所得税の導入を、さらに年収500万ドル以上に4%上乗せするとし、一般的なアメリカ家庭の生活向上を目指し、景気賃金の値上げ、雇用創出、中間層減税などを具体的に掲示しています。数多く掲げている政策のなかでも、弊誌コラム「アメリカの視点×ニッポンの視点」の著者で、日米の政治・社会事情に詳しい作家の冷泉彰彦さんが注目しているのが「Technology and Innovation(技術革新)」です。「世界に誇る技術革新を行いながら、その実、インドなどの国外の技術者に頼っているのが現状です。アメリカが真の牽引者となるように、若い世代がITを学べる環境を作ろうというもので、非常によく練られた優秀な政策と言えるでしょう」。外交問題の要となる中東問題に関しては、消極的だったオバマ政権と打って変わり、強硬な態度で臨むのではないかと冷泉さんは分析しています。「夫のビル・クリントン元大統領は、1993年の『オスロ合意』にかかわった人物。そしてヒラリー氏自身も、国務長官時代にパレスチナを訪問しており、その経験を活かし、何か前進する可能性もありますね」。
共和党代表候補:ドナルド・トランプ氏
“Make America Great Again” Donald John Trump
1946年6月14日生まれ。70歳。ニューヨーク出身。ペンシルベニア州大学ウォートンスクール卒業。ニューヨークのブルックリンで父親の経営する不動産業勤務を経て、不動産王としての頭角を表し、現在、ホテルやゴルフ場を扱うThe Trump Organizationのチェアマンおよび代表を務める実業家。2015年6月に大統領選挙出馬を発表。インディアナ州知事マイク・ペンス氏を副大統領候補に指名した。
“小さな政府”共和党
共和党は新保守主義・中道右派を掲げ、なるべく政府の介入を抑えて市場に任せる「小さな政府」を理想としています。共和党支持層は、主に中高年の白人男性や高齢の白人女性、また中産階級以上や富裕層も多く、古き良きアメリカを代表する中西部で強い傾向があります。党のシンボルは知識と力の象徴と言われる象。
強いアメリカを主張するも暴言は日々エスカレート
アメリカ有数の不動産王として知られるドナルド・トランプ氏。議員や知事などの公職経験を持つほかの候補者を蹴落とし、最終的に共和党の候補者に登りつめました。
政策においては、クリントン氏との相違点も多く、移民問題では、不法移民の市民権獲得のため法改正を挙げるクリントン氏に対して、メキシコ国境に壁の建設を提案したり、イスラム教徒の一時的な入国禁止措置を挙げたりしているほか、外交問題についてもことごとく対立。北大西洋条約機構(NATO)加盟国への負担を要求したかと思えば、金正恩朝鮮労働党委員長との会談に前向きな姿勢を見せたり、その言動が日々世間を騒がせていました。「環太平洋パートナーシップ(TPP)と北米自由貿易協定(NAFTA)に関しても、民主党左派やクリントン氏とは相違があります。何よりもトランプ氏には知識や経験がない。『無条件でのエルドアン(トルコの大統領)政権支持』などの発言もそういった背景があると思います」と冷泉さんは分析しています。政策についても修正が多く、直近では、CNBCのオンラインニュース「Donald Trump just made a major change to his tax plan」(2016年8月8日付け)によると、ミシガン州デトロイトで、所得税制度について、これまで最低10%、最高25%としていた所得税制度について、3段階に分け、税金を納めなくてもよい労働者を増やすために新たな修正案を発表。2016年1月のギャラップ世論調査によると、両党の支持者ともに、大統領選挙における最重要課題として「経済」を上位に挙げており、トランプ氏も2016年11月の本選挙を睨み、最終修正を図ったと言われています。
今後どうなる?新大統領就任までのタイムスケジュール
- 2016年7月末:民主党・共和党、各党全国大会終了 各党代表候補決定
- 2016年9月~10月:候補者の遊説
注目!テレビ討論会 Presidential Debate
第1回:First Presidential Debate 9月26日(月)
場所:ニューヨーク州 ホフストラ大学
第2回:Second Presidential Debate 10月9日(日)
場所:ミズーリ州 ワシントン大学セントルイス校
第3回:Third Presidential Debate 10月19日(水)
場所:ネバダ州 ネバダ大学 - 2016年11月8日(火):本選挙 選挙人を選出
- 2016年12月中旬:大統領選挙人による投票 連邦議会上院に送付
- 2017年1月6日(金):開票 新大統領決定
- 2017年1月20日(金):新大統領就任 Inauguration Day
本選挙は11月8日!今後の見どころと注目点は?
スキャンダルに見舞われるトランプ陣営
11月8日の選挙まで残すところ約2カ月。共和党全国大会が終了した頃の支持率は、トランプ氏が1%ほど上回っていましたが、その後、民主党大会後にじわじわとクリントン氏が追い上げ、政治専門サイト「Real Clear Politics」では、クリントン氏が47・7%、トランプ氏41・0%になっています(8月15日現在)。急激な支持率の変化の背景には、イラクで息子を亡くしたイスラム教徒遺族を侮辱したトランプ氏の発言があり、これによって、帰還兵であるジョン・マケイン上院議員やポール・ライアン下院議長から批判を受けたトランプ氏は、今後2人の再選を支持をしないと宣言し、共和党内に大きな溝を作ってしまいました。さらにそれまでトランプ氏を支持していた退役軍人らも、連邦議会議事堂でトランプ氏の支持撤回を求める嘆願書を提出するなど飛び火し、深刻な事態となっています。ほかにも7月31日付けの「ニューヨーク・ポスト」誌の表紙にメラニア夫人が過去に撮影したヌード写真が掲載されるなど、さまざまなスキャンダルに見舞われています。
しかし冷泉さんは、トランプ陣営のダメージコントロールが行き届いていない点を指摘しながらも、今後の展開によっては、まだまだ勝敗の行方は分からないと説明しています。「これからの大統領選挙において注目すべき点は『世論調査の誤差』『景気の行方』そして『テレビ討論会』です。先のイギリスEU離脱の際にも問題になりましたが、世論調査の結果はあまりあてになりません。今回のように激しく揺れ動く場合は特にそうです。また新聞やテレビの報道も決して中立とは言えないものの、有権者はあらゆる情報を収集して見極め、公正な判断をする必要があるでしょう」。
2つ目の「景気の行方」は、何か大きな問題が勃発し、良くも悪くも景気が急激に変化した場合、国民の支持もそれに伴って変わる可能性があるといいます。「アメリカの景気を脅かす大きな事件が起きれば、オバマ政権を踏襲するクリントン氏の政策よりもトランプ氏が有利になるでしょうし、またテロが起きれば、イスラム教徒の入国禁止など”鎖国”を示唆するトランプ氏に国民は傾くかもしれません」。
大統領選挙・最終決戦の舞台は3回のテレビ討論会
そして3つ目の「テレビ討論会」は、9月から10月に3回に分けて放映されるのですが、これは、たとえそれまで優勢だったとしても、ひっくり返ることもあるくらい影響力があると冷泉さんは言います。1998年のマイケル・デュカキス民主党代表候補は、ジョージ・ブッシュ共和党代表候補との第2回テレビ討論で、冷たい人間だという印象を有権者に与え、それまでは勝利が予想されていたものの、これが原因で選挙で敗退してしまっています。またオバマ大統領も、2012年の第1回のテレビ討論会で、消極的な態度を見せ、ミット・ロムニー共和党候補者にリードを許し、苦戦を強いられており、テレビ討論会の内容によっては、再びトランプ氏が優勢になる可能性も十分あるというのです。「トランプ氏にしてもクリントン氏にしても、叩かれ慣れていますし、用意周到で臨むでしょう。ただしクリントン氏なら、ホワイトウォーター疑惑などの弱点で新たな事実を暴かれたり、衝撃的な質問をされてしまうと分からないし、トランプ氏も、メキシコに壁を作るなど不可能な政策を掲げていますが、10月の時点でこんなことを言っているようなら、そもそも質疑応答が成立するのか甚だ疑問です」。
これまでの大統領選挙と異なるのは、民主党・共和党ともに、各代表候補が、典型的なタイプではないことだと冷泉さんは分析しています。「トランプ氏は、保守的な共和党の考え方を持ち合わせていません。クリントン氏も同様で、弱者救済を行う自由民主の代表というよりは、ある意味、非常に保守的なタイプ。この”ねじれ”は、過去の選挙を振り返ってみても例がありません。クリントン氏、トランプ氏ともに特異なキャラクターの持ち主ですから、単純に”好き嫌い”の問題にもなってきます。また多くの国民が、党というよりは、両代表候補が掲げる政策が、自分にとって得かどうかで判断しているようです。たとえば若い世代ならクリントン氏の公立大学学費軽減策を支持するし、職種や階層によっても変わるでしょう」。
11月8日の本選挙を終えれば、事実上、新しい大統領が決定。選挙の勝敗の行方を全世界が注目しています。
大統領の無謀な政策は施行されるのか?真の「三権分立」国家の強み
「メキシコとの国境に『万里の長城』を作る」「1100万人のメキシコ人を送還する」などというトランプ氏の発言が話題になっていますが、果たして彼が大統領になった場合、これらは簡単に実現するのでしょうか。答えは”No”です。
アメリカは「行政(大統領と配下の内閣)」「立法(議会)」「司法(裁判所)」の三権分立が徹底しています。連邦憲法の規定に基づき法律を作るのが議会、実行するのが大統領と内閣、議会や大統領の暴走を正すのが裁判所。だから、たとえトランプ氏が公約した政策を強引に施行しようとしても、そうはいかない。優先権が大統領にあるのは、外交・宣戦布告権と州際業務だけなんです。
多くの在米邦人が、同氏の政策を危惧しているようですが、これには日本の強すぎる「内閣」の存在が影響しています。日本は三権分立を謳いながら、その実「内閣」の力が突出しています。日本人は強い内閣しか知らないから、日本流に考えてしまいがちです。一方、アメリカの三権分立は「チェック&バランス」の利く制度の一つと言われ、たとえ内閣が政策を進めようとしても、議会が「アメリカのためにならない」と拒否すれば流れてしまいます。過去の例を挙げると、カーター元大統領が選挙公約として在韓米軍引き上げを掲げていましたが、議会が反対し叶いませんでした。たとえ大統領であっても、その権力が暴走しないようになっているというわけです。(後藤英彦氏)
在米邦人が気になる 新大統領誕生の影響とは「対日政策」「移民・教育改革」
対日よりも、注目すべきは対中対策(冷泉彰彦氏)
クリントン氏が選挙で当選した場合、対日対策はほぼ現状維持と言っていいでしょう。人権問題に深い志を持つ方ですから、まだ性差別がはびこる永田町は震え上がるかもしれません。クリントン氏は、思っているよりも日本を知っているし、国務長官になった時も真っ先に訪日していますが、問題は日本に対等に話せる女性がいないこと。ただし先日、小池百合子氏が初の東京都知事に就任したので、これからどうなるか興味深いところです。一方トランプ氏は、同盟国をむげにする発言を繰り返し、日本に対して米軍駐留費全額を要求していますが、すでに日本は8割近くを負担しているので、現実的ではありません。それよりも、中国を為替操作国と批判しながら、その実、損得勘定から中国をかなり贔屓しているので、中国の改革にトランプ氏が介入して間違った方向に進めば、おのずと日本も影響を受けるでしょう。
実現への道のりは遠い移民・教育改革(冷泉彰彦氏)
トランプ氏が掲げる移民法改正や税制改革は、在米邦人にとっても注目すべき話題です。特に永住権の発行が少なくなるとか、相続税で締め上げられるなどと言われていますが、実際にはそれを施行するのは容易ではなく、現実的ではないでしょう。
またクリントン氏は、公立大学の学費軽減を上げ、家族の年収が12万5000ドル以下なら無料にすると謳っています。特にUC系の授業料が高額なカリフォルニア州では、非常に気になる政策でしょう。しかし実現してしまうと、州の教育財政は悪化し、大学側も、特にバークレー校などは、ことによっては私立化を検討するかもしれません。実際にミシガン大学(UM)は、ここ10年ほど、私立化すべきか迷っています。ほかにも教育の水準や講師の給料問題など弊害も多くあり、実現するのは簡単ではないと言えます。
トランプ氏による“言いがかり”を懸念(後藤英彦氏)
両者の主張がほぼ一致しているのは、対日本におけるTPP問題と貿易政策で、厳しい態度で臨むとしています。つまりどちらが大統領になっても、円高になるだろうから、自動車や鉄鋼、そして輸出業にとっては痛手になるでしょう。クリントン氏は、概ね現政権を受け継ぎ、雇用や景気に支障がなければ、TPPを容認する可能性も十分あるのですが、過激なトランプ氏では、日本に火の粉が及ぶ可能性もあります。
もちろん先のコラム(P43)で説明した通り、アメリカは三権分立がきちんと機能しているから、たとえトランプ氏が当選しても、無茶な政策がまかり通ることはありません。しかし、たとえば事故や欠陥を理由に日系自動車会社を訴えたり、アメリカですっかり浸透した寿司でも、食中毒で集団訴訟したり、衛生面での行政指導したりする可能性もあるので注意が必要です。
在米邦人への無理難題も?(後藤英彦氏)
トランプ氏は、もしかしたら日系多国籍企業の所得税を引き上げたりなど、無理難題をふっかけてくるかもしれません。日本人はあまりアメリカのコミュニティーに溶け込まないところがあるし、そこを突っついてくるかも。たとえば現地法人は全てアメリカ人を社長にしろとか、株も日本人だけで持たずアメリカ人に渡せとか。日本も2020年までに女性管理職3割増と言っているから、現地法人もそれに倣えとかね。
それから、移民の多いカリフォルニア州ではありえないけど、アメリカ統一のために、日常会話を英語になんて言い出すかもしれない。戦時中は日本語を話さないのが良い市民だった。故ブラッドレーLA市長の補佐官コジマ氏に実際に聞いた話。だから日系弁護士にはネイティブ並みの英語を話せとかね。抵抗すれば日系人を強制収容所に送った例の「大統領令」をちらつかせるとか。ここまで想像させるのはトランプ氏ならでは。
【取材協力・監修】
冷泉彰彦(れいぜい あきひこ)東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒業。福武書店、ベルリッツ・インターナショナル社、ラトガース大学講師を歴任後、プリンストン日本語学校高等部主任。メールマガジンJMMに「From 911 USAレポート」「Newsweek日本版」公式HPにブログを寄稿中
【取材協力】
後藤英彦(ごとう よしひこ)
中央大学法学部法律学科卒業。1964年時事通信社入社。旧通産省、旧農林省、旧大蔵省担当後、ロサンゼルス特派員を経て、時事通信社本社海外部次長。希望退社して盛岡大学客員教授、評論活動。2度目の来米で「ジャパン・ジャーナル」を主宰。講談社、「エルネオス」を中心に寄稿中