ファーデザイナー / 今井千恵

ライトハウス電子版アプリ、始めました

私のデザインの原点は、自分が着たい軽くてきれいな毛皮を作るということです

全米・カナダで販売され、日本国内でも著名なファーブランドに成長した「ロイヤル チエ」。その革新的なデザインと色鮮やかな作品はニューヨークを始めとするショーでも高く評価されている。女性の海外1人旅が珍しかった頃に雑貨輸入販売から始め、ファーデザイナーへと華麗なる転身を遂げた今井さんのフロンティア精神は、カリフォルニア米栽培の先駆者である祖父譲り。女性起業家として世界で活動する今井さんに聞いた。

貿易会社オーナーからファーデザイナーへ転身

2008年、ニューヨークでエコ素材と毛皮をジョイントしたコート「エコハーモニー」を発表。多くのメディアでも注目された。

フライトアテンダントの仕事を辞めた後、絵画やフラワーデザインを本場ヨーロッパで学ぼうと思い、1年の間に2回、3カ月の勉強の旅に出ました。もう35~36年も昔の話ですから、見る物すべて新鮮で。街の美しさに感動し、そこで売られている物も珍しい物が多く、洋服や靴、小物やバッグをたくさん買って日本に帰りました。最初は人に差し上げたりしていたんですが、みんなに喜ばれ、買って来てと頼まれるようになりました。そこで、雑貨の輸入販売をやってみようと思い立ったんです。ヨーロッパでの買い付けは2年やっていましたが、アフターサービスのことも考え、1977年に友人4人で会社を設立しました。

1年目は雑貨が中心でしたが、その翌年には毛皮を扱い始めました。ヨーロッパの冬は耳がちぎれるほど寒く、毛皮がないとダメなんです。そしてその毛皮がとても重いんです。軽い毛皮でファッショナブルな物はないかと、世界中を探しましたがありません。それで、「自分で作るしかない」と毛皮のデザインを始めました。

最初は何もわかりませんでしたが、調べていくうちに、フィンランドの技術で非常に軽い1枚仕立てのファーを見つけました。また、染色についてはフランスできれいな色の物を見つけたので、染めはフランス、技術はフィンランドと決め、その技術開発をフィンランドの工場のパートナーと始めました。私の作品は30年以上、今もフィンランドの同じ工場で作っています。

当時は、ヨーロッパ1人旅をする女性は皆無に等しかったんです。私の行動力は、やはりDNAに入っている気がします。私の祖父、宮田武二はカリフォルニア州のコルサで広大な土地を借り、「ジャパンライス」という品種の米の栽培を行っていました。祖父は第二次世界大戦の時に日本に帰って来たんですが、私の小さい頃は、よくアメリカの話を聞かせてくれました。クリスマスにはツリーを飾ってプレゼントをくれる、非常にモダンな人でした。ですから、私も海外に出て行くことに抵抗はありませんでした。祖父譲りのフロンティア精神があるんじゃないかと思います。

誰にも負けないものを目指しニューヨークのショーで絶賛

色の違うミンクを組み合わせたモザイク・ドゥ・チエは、ロイヤルチエのアイデンディティ作品。

福岡に直営店と東京にオフィスを作り、ビジネスが軌道に乗ってきた91年、毛皮の草分けである皇室御用達の「フタバファー」がオーナーを亡くされて買取先を探しているという話を耳にしました。直接その店舗を借りるには順番待ちがあり、私たちは33番目。ところが、会社の買い手がいなかったので、私のところに話が回ってきたんです。そして、帝国ホテルの地下1階にある店舗を買い取ることになりました。これを機に、ブランド名もそれまでの「ロイヤルファー」から「ロイヤル チエ」に変え、皇室御用達のブランドとして随分ネームバリューが上がりました。

 

ニューヨーク進出は、99年の毛皮コレクションがきっかけです。業界トップの女性が、「あなたの毛皮は誰も見たことがないほど素晴らしい。ニューヨークでファッションショーをやれば絶対成功する」と提案してくれたんです。オスカー・デ・ラ・レンタやバレンチノなど有名デザイナーも参加するショーだったので、準備に1年かけ、誰にも負けないような商品構成にしました。ショーでは高い評価が付き、私のブランドが一躍有名になりました。

 

最初は、当時全米に120店舗を持つサックス・フィフス・アベニューで取り扱ってくれることになりました。しかし、ビジネスには良い時も悪い時もあります。9・11の時に大量のキャンセルが出て、本当に大変な思いをしました。ですが、「5千人もの命に比べれば大したことではない」と気を取り直し、ショップを開くことにしました。マディソン街59丁目のミッドタウンにあり、セレブリティーの方が来てくださる店に成長しました。

 

今も世界的不況の風が吹いていますが、そんな時こそがチャンスです。それにメゲないで、目標を持ち、しっかりしたプランを立てること。他社と差別化できる時なのです。99年にアメリカに渡った時も、日本の経済はどん底でした。ショップの話があった時が好景気だったら、やっていなかったと思います。良くない状況下で日本にも明るいニュースをと思って始めたわけですから。

 

日本のデザイナーは素晴らしい技術や発想力を持っているのに、なぜか世界で評価されていません。シャネルやグッチは世界を制覇しているのに、日本には世界を制覇したブランドは1つもない。ですから、日本の技術が非常に進んでいるということを世界に知らせたいという思いもあって、頑張っています。

多くの苦労は神がくれた試練辛抱強くやればチャンスが来る

2002年世界女性起業家賞を受賞。75カ国から毎年40人選ばれ、日本では4人目の栄誉。

私のブランドが世界で受け入れられているのは、従来にない発想で作られているからではないでしょうか。原点は自分が着たい軽くてきれいなものを作るということです。私のアイデンティティーである「モザイク・ドゥ・チエ」というミンクも、最初は業者の方に「作れない」と抵抗されました。美しいミンクを切り刻んで縫い合わせるわけですから。ですが、工場主と一緒に頑張って開発しました。パートナーへの熱意や協力関係がなければ誕生しなかったでしょう。

現在取り組んでいるのは、帝人が蓮の葉の研究から開発した再生繊維「エコレクタス」と毛皮とのジョイントです。撥水効果や通気性もある繊維で、製造時のエネルギーも80%節約できるというものです。また、オーストリアと日本の交流140周年にちなみ、今年日本のオーストリア大使が「デビュタント」という社交界デビューのしきたりを伝えるイベントを催すのですが、そこで着るドレスのデザインを担当しています。日本の3大織物の1つである博多織とエコ素材、そして毛皮を組み合わせた物を作ります。

 

これまで多くの困難がありましたが、これも神がくれた試練だと前向きに考えてきました。「これが自分の仕事」と決めたら、コツコツと辛抱強くやることが大切ですね。そうすれば、チャンスは必ずやって来ます。それを見極めることも大事なことです。

 

これからも日本とアメリカから発信し続けます。2002年に世界の女性起業家賞をパリでいただきましたが、そこで知り合った友人や、仕事を介して知り合った友人がLAにもたくさん住んでいますので、LAにもぜひ行きたいと思っています。

いまい・ちえ●日系航空会社でフライトアテンダントとして勤務後、1977年に女性4人で洋服・小物雑貨の輸入会社「レイナ」を設立。翌78年、オリジナルファーの生産を開始。82年、初の直営店を福岡にオープンし、東京にもオフィスを開設。 91年に「フタバファー」を引き継ぎ「ロイヤル チエ」として皇室御用達ブランドとなる。99年、ニューヨークでの毛皮コレクションに参加、アメリカでの販売を開始する。現在、日本とニューヨークを拠点とし、帝国ホテル、ホテルニューオータニ東京、ホテルニューオータニ博多、札幌、松山、鹿児島にショップを持ち、ニューヨークにも直営店を持つ。www.royalchie.com
 
(2009年1月1日号掲載)

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