(ライトハウス・ロサンゼルス版 2008年9月1日号掲載)
アメリカの市長になるなんて夢にも思ってもいませんでした
バイトを辞めてダンス一本に挑戦
高校時代のアメリカ旅行で、留学を決心しました。資金を貯め、出発1週間前くらいに「留学してくる」って親に言って、出てきました(笑)。留学先はニューヨーク。半年の語学留学の予定でしたが、楽しくなっちゃって。また日本に戻ってバイト生活を始め、お金を貯めてまたニューヨークに戻って来ました。
ダンスは元々趣味でした。クラブに通っていて、色んな人に「ダンス上手だね。プロになれば?」なんて言われ始め、少しずつ出演依頼が舞い込んできたんです。そして好き勝手に踊っていたら、さらに多くの人に覚えられて、オーディションを受けるようになりました。
当時は、少しばかりのアルバイトをしながら暮していました。でもある時、「もらえるお金に安心してちゃダメだ」って思ったんです。アルバイトしていれば生活費は手に入りますが、この先自分には何も残らないって思ったのです。それで思い切ってバイトを辞め、ダンスをやっていこうと決心しました。その時は偶然CMの仕事がありましたが、その後は未定。でもとにかく挑戦しようと。自分のやりたいことでもらえるお金で生活したいって思いが強くなったんです。
プレッシャーを感じない性格が活きる
初めての大仕事が、アフリカ系の歌姫パティ・ラベルのツアー。彼女の振付師として3カ月間全米ツアーに同行しましたが、オーディションで私の採用が決まったら、いきなりマネージャーに「オープニングを担当してくれ」って言われ…。彼女は有名ディーバだから、これまでダンスなんて必要なかったんです。だから私の振り付けは、彼女にとっても新しい試み。もちろん、私にとっても貴重な経験でした。今考えたら、あれほどの大物歌手を相手にしたのに、プレッシャーはなかったですね。バンドもいい人たちでしたし、同行スタッフはみんな「音楽好き」が共通項で、ステキなステージをやろうという目的に一緒に向かっていました。だからプレッシャーがなかったのかも知れません。
父の励ましに感謝する
私は父子家庭。父は日本にいますが、私が突然アメリカ行きを決心したことに反対しませんでした。父はフルート奏者でアーティスト。ですから、アートを目指す私の生き方に、とやかく言わないのかもしれません。心配しているとは思いますが、時には、「もっと練習しなきゃ」とか、「おめでとう、よくやったね」とか激励してくれます。
アメリカに住む日本人女優・ダンサーとして、日本の方から色々相談を受けます。日本を離れて日本の良さを感じるってことが多々ありますよね。それを日本の方と共有したいと思っています。私は東京出身で東京育ちなんですが、もっとローカルを活性化できないかなって、思っているんです。私は年に数回日本に戻って、ダンスのワークショップを開催していますが、今後はどんどん地方を回りたいと思っています。地方の皆さんは、その土地を拠点に成功したり、あるいは地方から直接海外に出て地元に戻る。そうすることで、地方も活性化すると思います。私もニューヨークで受けた刺激や影響を、良い形で日本に持って帰りたいと思っているんです。そのために、私にできることは色々やっていきたいと思っています。
※このページは「ライトハウス・ロサンゼルス版 2008年9月1日号」掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。