- Niantic, Inc. 川島優志 アジア統括本部長
- Microsoft 鷹松弘章 プリンシパルエンジニアリングマネージャー
- Google 大石岳志 テクニカルプログラムマネージャー
- EastMeetEast 時岡真理子 CEO
Google、Microsoftといった米国の大手IT企業で活躍する人から、ポケモンGOのプロジェクトの開発者、IT技術を活かして新ビジネスを立ち上げた起業家など、IT先進国である全米の、第一線を牽引している日本人をインタビュー。システムやゲーム、アプリ開発に至るまでの過程やアメリカで働く意義などを伺いました。
Niantic, Inc. 川島優志 アジア統括本部長
かわしままさし◎横浜市生まれ。2013年、Google社内スタートアップのNiantic Labsにて「イングレス」を開発。2015年、Niantic, Inc. 設立に伴い、アジア統括本部長に就任し、「ポケモンGO」のプロジェクトを立ち上げた。現在、シリコンバレー在住。
偶然に起こる「一期一会」ゲームも人生も、そこが面白い
2016年7月にリリースされ、アメリカをはじめ世界中で大ヒットしたスマホ向けアプリ・ゲーム「ポケモンGO」。同ゲームの開発プロジェクトの立ち上げを担当した川島優志さんに、外を出歩いてプレーするというゲームの新しいカタチを生み出した経緯を伺いました。
–なぜコンピューターゲームに興味を持たれたのでしょう?
コンピューターとの出会いは小学生の時。「ファミコンが欲しい」と親に言ったら、間違えてセガのテレビゲーム機を買って来てくれたのがきっかけなんです。そのゲーム機にキーボードが付いていて、遊び感覚でプログラミングを始めました。それからずっとコンピューターへの興味は尽きず、大学に入ってからはグラフィックデザインの仕事をするように。その仕事でコンピューターのデザインソフトウェアを使っているうちに、自分でもソフトウェアの開発をしてみたくなったんです。それで、ソフトウェア開発を学ぶなら、MicrosoftやAppleといったコンピューター関連の大企業があるアメリカしかないと考え、大学を中退後、渡米しました。
–コンピューターテクノロジーの本場、アメリカに来て、いかがでしたか?
ビザのことを調べずに渡米した当初は、踏んだり蹴ったりでした。サンフランシスコに行ったものの、学生ビザを取得するためにロサンゼルスに移って語学学校に入学。その後、労働ビザを取得するために起業し、ロサンゼルスの駐車情報を網羅した地図を作りました。結局、起業直後は労働ビザを自分自身に出すことはできなかったのですが、その地図を印刷するために関わったデザイン会社にサポートしてもらえることになったんです。
–なぜ駐車情報の地図を作ろうと思ったんですか?
ロサンゼルスは車社会ですから、駐車スペースを見つけるのに苦労しますよね。しかも、駐車のルールが本当にさまざまあって、非常に分かりにくい。普段の生活で感じた「こんなものがあったらいい」という思いをカタチにしたかったんです。仕事をする時には、自分が何を体験して、どう感じたかを基にすることが大切。実生活の中で自分自身があったらいいなと思うものを作ることは、世の中を良い方へ変える力があると思うのです。
地図を使ってプレーする「ポケモンGO」も、人を外に出すことが世の中を良くすることにつながるという信念が根底にはあります。この「ポケモンGO」では、現実世界にデジタルの情報を重ねて表示するAR(拡張現実)技術を使って、普段だと見過ごしてしまうような意外な名所を身近に発見できる仕組みを取り入れています。実際、「ポケモンGO」の地図上に現れる「ポケストップ」(ゲーム内で使用できるアイテムを入手できる地点)は、街の名所やモニュメントなどを設定しています。ちなみに、こうした「ポケモンGO」の技術や情報は、私が開発段階から関わったスマホ向けアプリ・ゲーム、「イングレス」(AR技術と地図を使った陣取りゲーム)がベースになっています。
–「イングレス」と「ポケモンGO」の共通点は?
「イングレス」も「ポケモンGO」も現実世界での交流を重視しています。例えば「ポケモンGO」ではプレー中、「ここにピカチュウがいる!」と近くで人が叫んだら、ユーザーがその場所に集まって、そこで偶然に出会いが起こります。そして、北米やアジア、ヨーロッパにしか出現しないポケモンを捕まえるために海外に行けば、自分とは違う価値観を持った人と出会えます。自分とは違った人の魅力を知ることは、違いを受け入れる力を育て、ひいては世界平和に結び付くと本気で思っています。「ポケモンGO」や「イングレス」の大きな狙いはそこにあります。「イングレス」はゲーム性が奥深い代わりにSFの世界観などで敷居が高いところがありますが、「ポケモンGO」は間口が広く、より多くの人に楽しんでもらえていると思います。
–川島さんの人生の中で、印象的な出会いは?
「イングレス」を通したユーザーとの出会いです。世界中のイベントで各国のプレイヤーと出会い、ゲームを通して病気から回復したり、家族の絆を取り戻したりした人々に勇気づけられてきました。株式会社ポケモンの石原恒和社長も「イングレス」を熱心にプレーし共感してくれたことが「ポケモンGO」につながりました。「イングレス」がなければ「ポケモンGO」が誕生することはなかったでしょう。私はロサンゼルスで苦労していた時からずっと、目の前にあるプロジェクトはどんなことでも「一期一会」の気持ちで取り組むことを心掛けています。常に、このプロジェクトが最後だという気持ちで。そうした姿勢が、素晴らしい出会いを呼び寄せてくれていると思います。
–今後、取り組みたいことは?
23歳から30歳までを過ごしたロサンゼルスは第2のふるさととも言えますが、今後は飛行船を買って、国境を越えて、空から世界をゆっくり見たい。飛行船で生活するなんて、現実的にできないよと言われますが、やはり自分が良いと思うことを追求していきたいです。大学を中退してアメリカ行きを決意した時も多くの人に反対されましたが、自分を信じて行動した結果、世界がこんなにも広がったんですから。
Microsoft 鷹松弘章 プリンシパルエンジニアリングマネージャー
たかまつひろあき◎埼玉県出身。カナダの大学でビジネスを学ぶ。ロータスを経て、98年、日本マイクロソフトに入社。2001年、Microsoft Corporation本社へ異動。現在は、Windows 10などのエンジニアリングとマネージメントに携わる。(hiroakitakamatsu.com)
「富士山をどう動かすか?」の難問に諦めない知性と馬力を知りたい
ワシントン州にあるMicrosoft本社で、Windowsの開発などに携わる鷹松さん。エンジニアであると同時に、管理職として部署をまとめ、人事にも携わっています。IT業界の最先端で働く楽しさと、人事担当としての話を伺いました。
–IT業界、およびMicrosoftに入った経緯を教えてください。
子どもの頃からプログラムを書くのが趣味で、日本の高校でもカナダの大学でもコンピューターの授業を取っていました。卒業後、日本のロータス(現IBM)に入社。その後、98年に元上司に誘われて日本Microsoftに入社し、2001年にワシントン州の本社に異動しました。
Windowsを使っていると、毎月セキュリティーのお知らせが届きますよね。今の部署では、社内外から随時寄せられるWindowsに関する修正プログラムをWindowsUpdateとして毎月出すのが仕事です。
–現在の肩書き「プリンシパル」とはどんな役職ですか?
MSの開発部門では、プリンシパルに至るまでは3階級に分かれたエンジニア、その上は経営陣しかいません。プリンシパルは自分で自分のリーダーシップを発揮できるプロジェクトを求めて社内を渡り歩き、時には戦力外通告もある、まるで野球選手のような仕事の仕方です。経営陣からは対等な議論を求められ、権限もかなりあり、今年は約5000万ドルの予算を管理しました。人事権もあります。
–面接もするそうですが、入社試験では何を見ていますか?
1つ目は馬力。我々の仕事で起こることは、まだ誰も解決したことのない問題で、参考にするものがなく、頼れるのは自分のやる気と根性だけなので。2つ目は情熱。ITでこんな世界を実現したい、こんなゲームを作りたいとかの熱意です。3つ目はコミュニケーション力。ミスを犯すのは機械やソフトウェアではなく、作った人間。それをフォローするのは自分と他人の相互理解ですから。そして4つ目は、プログラミングの才能。この才能は磨けば光るので、初めはなくてもいいですが、新卒採用ではその原石を探します。エラーの少ないプログラムを書けるのは芸術家の域なんです。
–「分類方法の分からない20万冊の本がある図書館で1冊の本をどう探すか?」など、Microsoft入社試験の難問奇問が本やネットで話題になっていますが、ああいった問題は本当に出すのですか?
出します。論理的にその1冊に辿り着く思考が見たいんです。知性を使い、無理かもしれないけど頑張って解こうとする馬力を知りたい。ビル・ゲイツの有名な質問に「富士山をどう動かしますか?」というのがありますが、それを「そんなの無理」と諦める人は採用しません。
以前、Windowsの製品チェックには10カ月かかっていて、ある時、上司に「これを2週間でやれ。NOと言うな」と言われました。Microsoftでは、こういう場面でNOと言わないことが前提。結局、製品チェックは、アナログから全自動化することで、10日でできるようになりました。
–レイオフをしたこともあると伺いました。その心境は?
自分の育てた部下に、朝来たら「今日の12時から帰って」って言うんです。人間としてこんなことをしていいのかと最初の頃は悩みました。でも、彼らのその後を見ていると、それぞれが幸せそうに暮らしていて、違う道を探すきっかけが作れたかなと思うようになりました。
ただ、どう話すかは気を遣います。「あなたの人間性を否定してるわけではなく、今の部署にフィットしていないだけ」と、決して人格を否定して外に出さないようにしています。
–IT業界の最先端で働く醍醐味って何でしょう?
やはり、世界で誰も解決したことのない問題がふりかかってくる楽しさでしょうか。Microsoft初のタブレット、Surfaceの開発をしたとき、設計が難しくて悩み、仕事が楽しかったんですよ。
仕事上の難問って、日本だとけっこう簡単に答えが出ます。日本文化だけ考えれば済むし、あうんの呼吸で物事は決まりますから。でも、バラバラの文化から来た人で編成されたチームでは、基本的に話はまとまりません。だから自分たちの共通項を探し当てるしかないんです。MSの売上は60~70%をアメリカ国外が占めるので、世界中の人が理解できるものを作らなければなりません。Microsoftは、人種も年齢も性別もいろんな人がいる職場環境を意図的に作っています。自分の器を大きくしてくれる環境ですね。
ITの最先端と言いつつ、中はけっこう泥臭い人間模様ですよ。上は政治的なことがあるし、エンジニアは、時にはケンカしながらモノを作っているし。
–日本やカナダの大学で講演なども行っていますね。
大学の恩師から頼まれたり、日本の大学生がMicrosoftを訪問する際の手伝いをするうちに、自分の仕事について講演するようになりました。皆、目を輝かせて話を聞いてくれるんです。自分が役に立てると思うとうれしく、これからもライフワーク的にやっていきたいですね。今後は、公私共にシアトルでのITの経験をフィードバックし、若い世代が新しいチャレンジをするためのレールを敷くようなことをしたいと考えています。
Google 大石岳志 テクニカルプログラムマネージャー
おおいしたけし◎大阪府生まれ。1999年、University of Central Florida卒業。2000年からCisco Systems Japanにシステムエンジニアとして勤務。その後米国Cisco Systemsに移籍。11年からGoogleのネットワークエンジニアとして勤務し、14年から現職。
Googleが広げる世界を 瞬時にユーザーの手元へ
シリコンバレーを代表する企業Google。インターネットの検索エンジンをビジネスのコアに、AI(人工知能)から自動運転車まで手を広げるITの巨人では、どんな人が働いているのでしょうか。Googleを支える日本人エンジニアの一人にお話を伺いました。
–社員として見るとGoogleってどんな会社でしょうか?
意外に思われるかもしれませんが、Googleにはアナログなところがあるんです。新しいアイデアって仕事以外の会話や雑談から生まれたりするものなので、社員の間の「Face to Face」のコミュニケーションを大事にしています。だから、在宅勤務もできるIT企業ですが、「できるだ
けオフィスにいてね」というカルチャーなんです。現在、本社のある北カリフォルニアのマウンテンビューでは約5万人が勤務しています。僕が入社した2011年頃は1万5000人程度だったので、今は一つの街のようです。Googleが発表している「Google Diversity」によると白人61%、アジア系30%、黒人2%弱というデータがありますが、僕が働いているネットワークオペレーション部門に関して言うと、エンジニアは中国やインドの出身が多く50%以上がアジア系という印象です。
–大石さんのお仕事とは?
ユーザーとサーバーをつなぐネットワークインフラを構築する部門で、特に私の部署ではネットワークのパフォーマンスを向上させるために、新しい技術や製品を取り入れる前の試験や、プロジェクトの管理を担っています。実は、Google Chromeにしても検索にしても、サービスはユーザーの端末の中ではなく、巨大なデータセンターのサーバーで動いています。例えば、ロサンゼルスでGoogleを利用すると、オレゴン州やネブラスカ州、オクラホマ州のサーバーを使っています。そのサーバーとユーザーをつなぐのがネットワークです。ネットワークは、AT&Tなどのプロバイダーを経由するのですが、この時できるだけ間に介入するものが少なくなるように設計し、はるか遠くのサーバーで動いているにもかかわらず、まるで手元で動いているように感じられるようにしているのです。Googleを通してインターネットを利用するユーザーは年50%ずつ増えていて、それに応えるインフラとなると大量の機器と電気を使います。そのコストをどうやってセーブして、パフォーマンスを最大化するかという挑戦をしています。
–どうしてアメリカで働こうと思ったのですか?
周囲にはプリンストン大やイェール大卒などのエリートもいますが、僕自身は高校時代、英語の成績は5段階中2でした。「このままでは日本でもどこの大学にも入れない」というレベルで渡米。最初はTOEFLの成績も最低点に近くてESL(English as a Second Language)でずっと勉強して、やっとコミュニティーカレッジに入学しました。大学ではマーケティングを専攻しましたが、毎週20ページのレポートを書いて、プレゼンテーションをするというハードな内容に、「この分野ではアメリカ人に勝てない」と思った頃、タイ人の友人に、Microsoftのサーバー管理の資格を取ろうと誘われたんです。おかげで卒業後、大学の成績はそんなに良くなかったものの、マーケティング専攻で、Microsoftの資格を持っているのは珍しかったみたいで、日本のCisco Systemsから採用のオファーをもらいました。幸運なことにその年グリーンカードの抽選に当たったのですが、いったんは日本に帰り、4年後に米国のCisco Systemsに移籍しました。
アメリカで働くことに最初から高い志や野望があったわけではありませんが、人生において、仕事も生活も楽しめるアメリカのスタイルに憧れたというのが大きいですね。Googleへの転職にあたっては、妻や友人にインタビューの練習に付き合ってもらうなど、いろいろな人に支えてもらいました。
–Googleが目指すものとは?
週に一度、「TGIFミーティング」という、創業者のセルゲイ・ブリンとラリー・ペイジが、社内で進行中のプロジェクトや、今ホットなプロダクト、将来手がけたいビジネスについて社員に向けて語る会議があるんです。会場に入り切れないくらいの人気なのでみんなでビールやピザを片手にオフィスの画面で聞いていますが、そういう会議を通して、会社の目指す方向が社内に浸透していると思います。
Googleの根幹にあるミッションというのは「人々の役に立つこと」。1990年代のインターネット黎明期には、インターネット上で目的のページを見つけるのは大変でした。今はGoogleによってウェブが整理され、目的としている情報が見つけやすくなりました。このGoogleの「世界をより良くする」ための追求は、インターネットの世界に限ったことではありません。実用化に向けて開発が進んでいる自動運転車も、「もし車を運転できない人でも地点AからBまでたどり着くためにはどうしたらいいのだろう?」という問題を解決するアイデアから生まれたものです。ほかにも、今後はAI(人工知能)にも力を注いでいく予定で、将来はAIが人を助けてくれるさまざまなイノベーションが起こっていくと思います。
EastMeetEast 時岡真理子 CEO
ときおかまりこ◎兵庫県生まれ。日本オラクル株式会社で働いたのち、オックスフォード大学のMBAを取得するために渡英。学習モバイルアプリ「Quipper」の共同創業者兼COOを経て、2013年、ニューヨークに拠点を移し、「EastMeetEast」を創業。
相手がなかなか見つからない… から、始まったマッチングアプリ
2013年に、ニューヨーク初のアジア人特化型マッチングサービス「EastMeetEast」を設立。「eHarmoニューヨーク」や「Match.com」など、マッチングサービスの大手がしのぎを削るアメリカで起業した経緯や今後の展望を伺いました。
–日本で起業するのも大変なのに、海外となるとなおさら。なぜアメリカで起業されたのですか?
もともと日本オラクルで、ITソリューションの提案をしていました。何十億円という予算の大規模なプロジェクトにも携わり、それなりに充実感はあったのですが、もっと社会に直接インパクトを与えたり、まだないムーブメントを起こして社会貢献をしたいという気持ちが強くなり、起業に関心を持ちはじめたんです。そんな折、オックスフォード大学のMBAに社会起業というプログラムがあることを知り、留学を決意しました。いざ入学してみると、アフリカの難民を助けるためにNPOを設立している人や東南アジアで教育システムを立ち上げた人など、すでに社会起業をしている学生がいて、彼らとディスカッションを重ねるうちに、私も!という思いがますます強くなっていったんです。また起業するなら、最初から海外で挑戦しようと思いました。デジタルプロダクトに関して言うと、日本よりアメリカの方が圧倒的に市場が大きいですし、アプリテクノロジーも最先端の技術を誇っています。今は、アメリカで受け入れられるプロダクトが、世界基準ですから、世界に通用する会社を目指すならアメリカしかないと思ったんです。
–なぜEastMeetEastを立ち上げたのですか?
ロンドンに在住している間、結婚を見据えたパートナー探しのために大手マッチングサービスを利用しました。結婚するなら日本人と考えていましたが、既存のサービスではアジア人の定義が広すぎて、インド人やスリランカ人とマッチングされたりするのです。ユダヤ系に特化した「JDate」やインド人向けの「shaadi」などがあるのに、なぜアジア人専門のサービスがないのだろう?これでは、非効率すぎてなかなか相手が見つからない。そういった私自身の経験から、EastMeetEastを立ち上げることを思いつきました。
–この9月にアジア人のマッチングサービスでは、全米ナンバー1アクセス数を獲得したEastMeetEast。その強みは?
EastMeetEastでは、人種や言語、移住した年齢など、細かい検索項目を設けています。例えば、欧米人は、写真が判断基準となり、目の色や身長、体が鍛えられているかといったフィジカルな面を重視する方が多いんです。一方、アジア人は、どこを卒業したとか、安定した職業に就いているか、趣味は何か、といったバックグラウンドや人間性に注目する傾向にあります。EastMeetEastでは、学歴や職業も前面に出して、お見合いの釣書のように充実したプロフィールを作成し、より自分の求めている人を探しやすい設計にしています。さらに「お見合いおばさん」メールも大きな功を奏している理由ですね。週に一回、相性の良い方を一人だけ提案するのですが、これはお互いの望ましい条件を膨大なデータの中からチューニングして選出しています。例えば、男性なら年齢だけで若い子に目がいってしまいがちなんですが、お見合いおばさんは、「あなたのような教養のある方には、茶道や料理ができる、落ち着いた女性が良いですよ」といったように、無機質な文面ではなく、相性の良さや文化的な共通点をアピールした文面で提案するのです。メールを送った日は、アクティブユーザー数が通常の40%ぐらい増えますね。
–アメリカでは、日本と違って、マッチングサービスが一般的に普及し、抵抗感なく利用しています。なぜでしょう?
アメリカは、アプリでコミュニケーションをとることが生活の一部になっています。買い物やデリバリーもアプリで済ませるし、タクシーではなくUberが普及するといったように。それと同じで恋人もアプリで探すのは自然なことで、テクノロジー文化の発展の違いがあると思います。さらにアメリカ人の合理性も影響していますね。友達の紹介を待っていても一カ月に数人しか紹介されないなら、100人プロフィールを見て決める。この合理的なプロセスが合っているんだと思います。あと世論調査でも、オンラインデーティングの出会いは良いという考えが10年間で圧倒的に増えました。抵抗感が少なくなったことが、普及を後押ししたように思います。
–これからの展開は?
これまではニューヨーク、ロサンゼルスが中心でしたが、来年は北米全土、さらにアジアにも展開したいと思っています。アジア圏にいる男女の中に、アメリカに住んでいる方との出会いを求める人はいると思います。特に中国人は一人っ子政策の影響で男性が人口過多ですので、チャイニーズアメリカンの男性とアジア圏の中国人女性をつなげたり、さまざまな提案ができたらと。私たちの仕事は、世界中に幸せなカップルを成立させることが全て。両思いのカップルが誕生すれば、自ずと口コミで広がっていきますから。幸せなカップルを増やしていく!これに尽きますね。
(2016年11月16日号掲載)