映画監督・吉田喜重 × 女優・岡田茉莉子

ライトハウス電子版アプリ、始めました

世界に轟く日本映画の傑作『エロス+虐殺』『戒厳令』上映

11月に開催されるサンディエゴ・アジアン映画祭で、半世紀以上にわたって活躍を続ける世界的映画監督・吉田喜重さんの作品2本が上映されます。吉田監督と、妻であり女優の岡田茉莉子さんにお話をうかがいました。
(2015年11月1日号ライトハウス・ロサンゼルス版掲載)

吉田喜重(よしだよししげ)
映画監督。大学卒業後に松竹大船撮影所に入所し、1960年に『ろくでなし』で監督デビュー。大島渚らと共に松竹ヌーヴェルヴァーグの旗手として活躍。1964年、岡田茉莉子と結婚。1969年の『エロス+虐殺』から世界で注目を集めたが1973年の『戒厳令』を境にドキュメンタリーの世界へ。1986年『人間の約束』により映画監督に復帰。2002年の『鏡の女たち』はカンヌ国際映画祭で特別招待作品として上映。2008年にはパリのポンピドゥーセンターで大規模回顧上映が実施された。

上映2作品の製作背景

――11月の「サンディエゴ・アジアン映画祭」では、「日本近代批判三部作」と呼ばれる3作品から2作が上映されます。どうして、この2作品を選ばれたのでしょうか?

吉田喜重(以下、吉田):私自身の作品は、その時代、あるいは私自身の年齢に応じて、当然テーマは推移しています。今回サンディエゴで上映される『エロス+虐殺』と『戒厳令』は、私が1969年より1973年にかけて集中的に製作した作品でした。コマーシャルベースの映画とは異なる映画ですから、こうした作品をつくるためには、私自身の映画監督としての技量に自信をもてるまで待つ必要があった。そして30代半ばを超え、映画監督としてのキャリアを重ねたこともあり、また独立プロダクションとしても観客の信頼を得るようになったと判断、こうした冒険をする決心をしたのです。もっとも今回上映される2作品を希望したのは、サンディエゴ側の主催者です。そして今回の回顧上映の講演会タイトルを「Problems of Japanese Cinema」と名付けたのも、サンディエゴ側です。おそらくアメリカの皆さんは、150年ほど前、明治維新による近代化を実現させた日本が、その後帝国主義国家、さらに軍国主義国の道を進み、やがて太平洋戦争によって解体、そして戦後は民主主義国家として歩み始めたことをご存知でしょう。しかし現実には大正時代におけるリベラリズムとの葛藤、また昭和における天皇制のありよう、その矛盾を経験したことを理解していただければと考えたのです。そして『エロス+虐殺』は私の祖父の時代、『戒厳令』は私の父に時代に起こった事件であり、それは歴史というより、私にとって生きた同時代史でもあったのです。それと同時に、日本映画も決して直線的にパターン化されたものではなく、刻々として生きつつある映画として、アメリカの皆さんに理解していただければ、幸いです。

岡田茉莉子(おかだまりこ)
女優。成瀬巳喜男作品『舞姫』でデビュー後、小津安二郎、木下恵介ら巨匠の監督作品に出演。1962年に自らプロデュースした出演100本記念作品『秋津温泉』以後、夫・吉田喜重を公私ともに支えてきた。戦後の日本映画を代表する女優であり、現在も映画、テレビドラマ、舞台などの第一線で活躍を続けている。父は夭折した俳優、岡田時彦。芸名の名付け親は谷崎潤一郎

――『エロス+虐殺』、そして『戒厳令』の製作現場や当時のことなど、印象に残っておられることを、お聞かせいただけませんか?

岡田茉莉子(以下、岡田):『エロス+虐殺』と『戒厳令』に限らず、私たちの独立プロダクション「現代映画社」でつくりました作品は、どれも同じような苦労をしてきただけに、特にこの作品はと言ってお話しするようなことはありません。ただ『エロス+虐殺』のときは、上映時間が長過ぎるということもあって、なかなか公開できず、吉田が苦労したようです。と申しますのは、吉田は私が心配すると思って、何も話さなかったからです。それにこの映画が描いた女性の一人が、当時国会議員を務めておられ、プライバシー侵害だといわれて、訴訟を起こされたのです。プライバシー侵害か表現の自由か、それが半年にわたって裁判所で審議され、ようやく表現の自由が認められ、公開されたのです。吉田がもっとも苦労した作品でした。

吉田監督の映画の魅力とは

――岡田さんが企画され、吉田さんが監督を務められた『秋津温泉』から『鏡の女たち』まで11本もの映画を共につくられた岡田さんにとっての、吉田監督の映画の魅力をお聞かせください。

岡田:夫婦で11本、たぶんギネスブックに登録されてもよい数字だと言ってくださった映画批評家がいます。もっとも結婚してからつくったのが10本、それ以前に私が映画出演100本記念として製作したのが、『秋津温泉』です。高校を卒業後、18歳でデビューし、そして10年間に100本の映画に出演。それを機会に映画会社が私に自分の企画で主演する作品をつくるよう勧められたのです。それで選んだのが、『秋津温泉』でした。女優になって間もなく『秋津温泉』の原作になる作品を読んでおり、いつか映画にしたいと思っていたのです。監督に吉田を選んだのは、その2年前に彼のオリジナル・シナリオ『ろくでなし』を読んでいたからです。この映画は吉田のデビュー作だったのですが、ヒロインの役を私に演じてほしいとのことでした。私はそのシナリオに魅せられて出演に同意したのですが、どうしてもスケジュールが合わず、諦めたのです。できた映画を見たのですが、当時の日本映画とは異なる斬新なものでした。そしていつか彼の作品に出演したいという思いがあって、それが実現したのが『秋津温泉』でした。彼の映画の魅力については、私が説明するより、私が出演した映画を含めて吉田の全作品18本を見ていただきたいと思います。それは深い奥行きがあって、簡単に私がお話しできるものではないからです。

アメリカとの関わり

――吉田監督の映画は、日本国外でも高く評価されていますが、監督ご自身はそれをどう捉えていらっしゃいますか。

吉田:残念ながら、この質問にお答えするのは難しいです。私自身の作品が評価されているかどうかは、私自身が決めることではなく、映画を見てくださった皆さんが決めることです。映画観客のみが映画の評価を決定できるのです。

――吉田監督はフランス語を学ばれ、2008年にはパリのポンピドゥーセンターで日本人監督として初の大規模回顧上映が行われるなど、フランスをはじめとしたヨーロッパとの強いつながりをお持ちです。一方で、アメリカとの関係を見れば、米国大陸にあるメキシコに1979年から1982年にかけて滞在されました。監督とアメリカ、ハリウッド映画との関わりをお聞かせください。

吉田:私自身とさまざまな外国とのかかわりは、私の意志が働くというより、偶然が作用しているというほかはありません。私が大学でフランス文学を選んだのは事実です。それはジャン・ポール・サルトルの小説『嘔吐』を読んだからですが、ウイリアム・フォークナーの小説を先に読んでいれば、選択は違っていたかもしれません。たしかに私の映画はフランスで評価されています。そのきっかけは今回サンディエゴでも上映される『エロス+虐殺』の上映時間が長く、日本国内の映画館が上映に難色を示したため、招待されていたフランスのアビニヨン国際映画祭に出品。その日のうちにフランスでの公開上映が決まり、日本より早くパリで封切られたのです。こうした幸運もあってポンピドゥーセンターでは私の全作品の回顧上映も行われ、また全作品のDVDの発売も行われています。メキシコと私の関係も偶然によるものです。1978年にメキシコの大学で私の『エロス+虐殺』が上映されることになり、訪れたのがメキシコとの関わりの始まりでした。その滞在中、メキシコの若い映画人たちが私を歓迎するパーティーを開いてくれ、その折り、私が400年ほど前、日本の侍100余名が初めて太平洋を渡り、そして帰国できたのがわずか7名だったという話をしたのが機縁となり、それをテーマにメキシコ政府の援助により映画をつくることになり、その後5年にわたってメキシコとの間を行き来しました。そしてペソの大暴落により、映画製作を断念することになったのです。アメリカと私との関係は今世紀に入ってからでした。私の『小津安二郎の反映画』(岩波書店)がミシガン大学の出版部より、今回のサンディエゴの私の作品の上映を発案した宮尾大輔UCサンディエゴ教授の翻訳により出版されたのです。その時に私の映画の回顧上映が行われたのが、アメリカでの私の映画の初めての上映でした。もちろん、私がハリウッド映画に背を向けていたわけではありません。戦前から映画の好きだった両親に連れられて、ハリウッド映画を見ていましたし、そして戦後になってもハリウッド映画を見てきたのですが、それに見合うような日本映画がつくれるとは思わなかったのです。それは当然のことですが、日本映画は日本映画でしかありません。

『エロス+虐殺』

――岡田さんとアメリカとの関わりはいかがでしょうか?

岡田:私はなぜかアメリカとは縁遠い人間でした。これまでニューヨークに2度訪れているだけで、ほかの都市は知りません。しかし、なにもアメリカを敬遠していたわけではありません。女優としてデビューしたころはハリウッド映画を数多く見ました。楽しむだけではなく、演技を研究するためです。もっとも好きだったのは、ビビアン・リーでした。今回私たちの回顧上映で、はじめてサンディエゴを訪れるのですが、観客の皆さんがどのように反応してくださるのか、それを楽しみにしております。

――アメリカに暮らす日本人の皆さんにメッセージをお願いします。

吉田:さまざまな生き方をされているアメリカ在住の皆さんに、一個の映画監督でしかない私が、なにかメッセージを差し上げることはできません。それよりも今回上映される私の作品を見ていただき、日本とは何であったのか、改めてお考えいただく機会になれば幸いです。

『戒厳令』

サンディエゴ・アジアン映画祭

San Diego Asian Film Festiva

吉田喜重&岡田茉莉子回顧上映
「The Season of Sex + Politics」

〈吉田喜重&岡田茉莉子講演会「Problems of Japanese Cinema」〉

日時:11/10(火)3:30pm-5:00pm 場所:University of California, San Diego(9500 Gilman Dr., La Jolla)Price Center Ballroom West A
料金:無料(予約不要)

〈映画上映〉

『エロス+虐殺』 11/11(水)6:30pm
『戒厳令』    11/12(木)6:30pm

場所:Museum of Photographic Arts(1649 El Prado, San Diego)料金:各12ドル
購入先・詳細:http://festival.sda.org/2015

『エロス+虐殺』(1970)

大正時代のアナキスト・大杉栄が三角関係のもつれから女に刺された日蔭茶屋事件を主軸に、大正時代と現代(昭和40年代)の時間軸と空間軸を交錯させ、愛と憎しみを描いた前衛ドラマ。監督:吉田喜重、主演:細川俊之、岡田茉莉子

『戒厳令』(1973)

戒厳令施行のきっかけとなった昭和11年の二・二六事件の陰の首謀者として処刑された思想家・北一輝の独創的な思想と人間性を描く実験的作品。監督:吉田喜重、主演:三國連太郎、松村康世、製作:岡田茉莉子

 

※このページは「2015年11月1日号ライトハウス・ロサンゼルス版」掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

「特別インタビュー」のコンテンツ