日本と世界のプロレスの架け橋になりたい。
アメリカにある世界最大のプロレス団体、WWEで2軍団体からスタートしてトップに上り詰めた日本人レスラー、ヨシタツさん。2017年7月に新日本プロレスのロサンゼルス興行に出場する同選手に、アメリカでの経験、試合への意気込み、今後の展望などを伺いました。
(2017年6月16日号ライトハウス・ロサンゼルス版掲載)
―新日本プロレスで活躍していながら、2007年に海外遠征に出られたのはなぜだったのですか?
ヨシタツさん(以下、ヨシタツ):当時、棚橋弘至選手など何人かの人気選手が自分の上にいましたが、どうしても自分が彼ら以上になる姿をイメージできなかったんです。経験上、「想像できないことは実現できない」という思いがあって。これは何かを変えないと、と思ったんです。
―数カ月の海外遠征後、2008年2月に新日本プロレスを退団し、同年4月にはWWEとの契約に至った理由、経緯を教えてください。
ヨシタツ:世界一のプロレス団体で活躍すれば棚橋選手らを超えられる、と思ったのがきっかけです。世界レベルのレスラーたちにもまれれば、実力もネームバリューも飛躍的に上がるだろう…と。
―とはいえ、WWEで戦いたいレスラーは多く、かなりの狭き門だったのでは?
ヨシタツ:はい。WWEは2軍団体のトライアウトを受けるだけでも数年は待たされるし、受けても合格するのは何十人に一人。しかも、トライアウトを受けるにはフリーである必要があったので、新日本を退団しました。WWEに入れる保証は全くなかったにもかかわらず。僕は今、9歳の娘と7歳の息子がいるんですが、その時、上の娘は生まれたばかり。今思うと無鉄砲でしたね(笑)。でも、どうしても挑戦したかった。
―でも、2008年の4月にはトライアウトを受け、同月に契約を勝ち取られたわけですよね?
ヨシタツ:自分は運が良くて、2軍団体をとりまとめる責任者を知る知人がいたおかげで、2軍団体の練習場での練習が許されていて。そこで2軍責任者に認められ、新日本を辞めてから1カ月ほどでトライアウトを受けられることになったんです。英語は全く話せず身振り手振り。でも練習は人一倍頑張っていた。その気持ちが伝わったのかもしれません。トライアウトは十数人が受けて、自分だけが受かりました。
―そこからはすぐ1軍に昇格し、約7年間、トップ選手の一人として活躍をされました。WWEでの経験はどうでしたか?
ヨシタツ:全てを学びましたね。プロレスの技術もそうですし、トップダウンで全てがスピーディーに決まることなど、アメリカの縮図を見た気もします。あとは自分の見せ方も学びましたね。WWEは、選手のバックグラウンドや試合にいきつくまでの流れなど、ストーリーを重視するので、そういう中でどうやって自分をアピールするかなど。この団体で自分は世界的に有名にしてもらったので、本当に恩に感じています。
―2014年、WWEとの契約が終わって新日本に復帰後、初戦で大ケガをされました。
ヨシタツ:はい。相手の技をくらった後、首が猛烈に痛くて。でも、復帰したばかりで試合を休むわけにはいかず、2週間後の試合にも強行出場。それまで、病院にも行きませんでした。でも、試合中は気を失いそうなくらい痛くてまともに戦えず…。その後、病院に行ったら、第二頚椎粉砕骨折という大ケガで。体に麻痺などが出なかったのが本当に幸運でした。そこから復帰には1年半かかりましたけどね(苦笑)。
―本当に無事で良かったです…。最後に、LA興行への意気込み、今後の展望をお聞かせください!
ヨシタツ:まず、新日本はとにかく試合の激しさ、バチバチ感がすごいので、そのあたりを見てほしいですね。あと、新日本が初めて、WWEのテリトリーであるアメリカに乗り込んで興行を行うというのは本当に大きな意味がありますし、そこで自分が戦えるというのは感慨深いです。新日本の選手の中でもアメリカでは自分の名前が一番知られている。だから今回もそうですが、この先も、日本と世界のプロレスの架け橋のような存在になっていけたらと思っています。応援よろしくお願いします!
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※このページは「2017年6月16日号ライトハウス・ロサンゼルス版」掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。