西村由美子 / オーガスト・ネットワークス・インク代表

ライトハウス電子版アプリ、始めました

(ライトハウス・ロサンゼルス版 2008年9月1日号掲載)

本当にやりたいことだったら「どうやってやろう」とだけ考えます

実質的にはシングルマザー、娘と2人のアメリカ暮らし

神奈川県生まれ。お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士課程修了。実践女子大学などの非常勤講師を経て、1989年に渡米。91年よりスタンフォード大学アジア太平洋研究所で、医療問題の国際比較研究を手がけるプロジェクトの立ち上げに参画し、研究員からプロジェクトマネージャーまでを歴任する。2004年、シリコンバレーに新規ビジネスのプロダクションAugust Networks, Inc.を設立し、現在は起業コンサルテーション、企画、プロデュースなどの分野で活躍中

日本の大学と大学院を卒業した後、大学で講師をしていましたが、夫がカリフォルニアに転勤になったのをきっかけに、1歳10カ月の娘を連れて、泣く泣く仕事を辞めてこちらに転居しました。その後、スタンフォード大学から声をかけていただき、医療社会学を研究することになりました。
 
夫は3年の任期を終えて帰国したのですが、1人娘をアメリカで育てようと、私は娘とアメリカに留まりました。娘をこちらで育てたいというのは、夫の強い希望でもありました。夫は、日本での私の苦労を見て、「女性は教育を受けるのも仕事をするのも、アメリカの方が楽でチャンスがある。のびのびと良い仕事ができる」と考えたのでしょう。端的に言えば、娘には私と同じような「女であるが故の余計な苦労」はさせたくない、と考えていたのだと思います。
 
私が日本で大学を卒業したのは70年代ですから、当時の女性差別は今とは比較にならないほどひどいものでした。差別された経験を挙げたらきりがないほど。それに比べると、アメリカの職場はびっくりするぐらい差別がない。ガラスの天井は確かにあるかもしれないけれど、私は公平な上司に恵まれて、本当に働きやすい職場でした。
 
もちろん、実質的にはシングルマザーなわけですから、大変なこともたくさんありました。でも、私は問題にぶち当たっても、1度も仕事を辞めようとは考えませんでした。どうしたら続けられるか、そういう風に考えました。楽天的なんでしょうね。

苦節8年、やっとできた福祉施設

仕事以外のことでも同じ姿勢です。何かしたいと思った時に、「そんなことできないよ」と他人に言われても、「できないのかぁ」とは考えないのです。「できるか」「できないか」という問いもしません。本当にやりたいことだったら、「どうやってやろうか」とだけ考えます。
 
日本にアメリカにあるマクドナルドハウスを作りたい、と思った時もそうでした。マクドナルドハウスというのは小児病院の隣にある福祉施設なのですが、この時も「やりたい」と言ったら、色んな方に「無理だ」って言われました。シカゴのマクドナルド財団から提示された条件は、日本のマクドナルドが協力すること、優れた病院と提携すること、そして永続するに十分な資金を集めることのできるボランティア団体を組織することの3つ。どれもハードルが高いでしょう。でも、諦めませんでした。日本マクドナルド創業者の藤田田さんに話をし、協力を取り付けて、財団を立ち上げてもらい…。何だかんだで最初のハウスができるまで、思い立ってから8年もかかりました。
 
結局、スタンフォードには14年いましたが、娘の大学進学を機に「これからはやりたいことをやろう」と、マネジメント会社を設立しました。企画、調査、コンサルティングなどを手がけるプロダクションです。日本でもスタンフォードでも研究者として仕事をしてきましたが、研究者の仕事って世の中にない新しい何かを生み出すことですよね。それをビジネスの世界でやってみたかったのです。現在は医療関係からソフトウエア開発まで、さまざまなプロジェクトに携わっていますが、その1つが子供のためのエクササイズDVDの開発。日本の子供たちの運動不足が今、深刻な問題になっているのですが、それを解決する商品の立ち上げです。

どんな小さな力でも世の中を変えられる

笑顔を忘れず業務に励む西村さん

若い人たちへのアドバイスとしては、焦らないこと。私は、人は誰も存在価値があるから生まれてきたのだと信じています。必ずいつか自分なりの生き方が見つかるし、なるべきものになれる時が来る。だから、思いつめて頓挫しないでほしいですね。そして、ぜひ世界に羽ばたいてほしいと思います。
 
私自身は、これからはできるだけ楽しく働こうと思っています。それから、世の中にお返ししたい。自分のことだけ、家族のことだけじゃなくて、世の中のためになるようなことを見つけて、積極的に関わっていければと思っています。個人のどんなささやかな力でも、世の中を変えられる。それを教えてくれたのは、アメリカなのです。アメリカってたくさん問題を抱えた国ですが、1人1人が立ち上がって自分でできることはないか探しているし、実際に道が見つかる、そういう社会だと思うのです。それを学ぶことができたから、20年この国に住んで良かった。今ではそう思っています。

※このページは「ライトハウス・ロサンゼルス版 2008年9月1日号」掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

「特別インタビュー」のコンテンツ