(2021年11月1日号掲載)
生活様式の違いが対策の違いに
新型コロナウイルスのパンデミックが始まってから1年半が経過した。アメリカで言う「第四波」、日本では「第五波」が沈静化しつつある中で、両国ではコロナ後の経済や、社会のあり方が模索されている。その際に痛感させられるのが、両国における対策の違いだ。当初からマスク着用に関する意識などに差があったのは事実だが、改めて考えるとその違いに驚かされる。
まずマスクについてだが、アメリカの場合はコロナに対する警戒心が強いグループの認識は日本に近いが、それとは別に極端に警戒心の低い、または強制を嫌う層が存在する。こうした分断は日本の場合は見られない。反対に、日本の場合はマスクを重視するというのが社会規範として強過ぎるのも事実だ。政府の発信する「ランニングの際は不要」とか「熱中症に警戒して外すべきケースもある」といった科学的に正しいガイドラインは無視され、第三者の目のあるところでは絶対にマスク着用という社会になっている。結果的に、マスク姿が当然という感覚が根付いてしまい、流行が沈静化しても、いつまでも外せない可能性が残りそうだ。
マスクの使い方も大きく異なる。アメリカの場合は、表情や口元の動きも含めてコミュニケーションという理解があるので、公衆の面前でのスピーチの際にはマスクを外す。だが、日本では会話時の飛沫が危険という理解から、話す時こそマスクという認識が強い。従って政治家や有名人がマスクを外して喋ると「炎上」する。
これに関連した問題が会食マナーである。日本ではパンデミック期間中の会食については「孤食」「黙食」「マスク会食」の原則が徹底している。つまり、食事はできるだけ一人で食べるのが良く、仲間と一緒の場合は喋らずに食べ、それでも喋る必要がある場合は、会食中でもマスクをする、マスクを外せるのは食べ物と飲み物を口に運ぶ際だけ、といった行動様式だ。飲酒をやたらに制限したというのも日本だけだ。しらふと酩酊時のギャップが激しい文化ならではということだろうか。
こうしたスタイルはアメリカにはない。アメリカの生活様式からすれば、「孤食」「黙食」「マスク会食」「食事時のアルコール禁止(一部)」などというのは生きる意味がないというぐらいの感覚がある。仮に、国境を開けてアメリカ人の観光客を日本が受け入れたとしても、この四つの原則をアメリカ人に要求するのはまず不可能だろう。
教育機関で顕著な日米の差
万事、日本の方がアメリカより厳しい対策がされているのかというと、必ずしもそうとは言えない。例えば、アメリカでは本格的に拡大したレストランの屋外営業は、日本では話題にもならなかった。「3密(密集、密接、密閉)」を避ける効果があっても、店の前の歩道にはみ出して営業するなどということは、日本では社会常識として理解されず、法律上も不可能だからだ。
テレワークが嫌われて満員電車通勤が続いた問題もあるが、日米で大きく違うのが教育現場だ。日本ではリモート授業は普及しないどころか、実施されても規則上は出席扱いにならない。部活を停止できず、コーラスや吹奏楽の関係や、野球部などの合宿所でクラスターが発生。教職員にも生徒にもワクチンの義務化の動きは全くない中で、学校での感染対策はアメリカより進んでいるとは言えない。それなのに、プール指導時にマスクをさせたり、給食時間の会話を厳禁にしたりするなど、社会の目を気にしてチグハグな対応が取られている。これに加えて、大学の場合は感染を発生させて批判されることへの不安から、現時点でもフルの対面授業には移行できていない。
そんな中で、日本ではようやくワクチン接種が加速、9月末から感染数が劇的に下がってきた。これを受けて、社会の再オープンが模索されており、アメリカの事例に見習いたいという声もある。心理面も含めてノーマルに戻すには困難が伴うかもしれないが、その延長として国境の行き来が少しでも自由になればと願わずにはいられない。
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