(2025年3月号掲載)
![]() 日本の厚生労働省の調査では、2022年の新生児100人あたり1.98人は片方の親が外国籍だった。
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ハーフ、ダブル、ミックス
どんな呼び方が適切か
日米の国際結婚家庭のお子さんなどを、どう呼ぶか。簡単なようで、これが難しい。まず、日米ハーフという言い方があるが、アメリカでは「ハーフ」というのは半分とか半人前というネガティブなニュアンスがあるので使われていない。日本でも、近年ようやく「ハーフ」という言い方が不適切だとして、言い換えが始まっている。
アメリカでは、気軽な言い方としてダブルというのがある。けれども、この「ダブル」というのは、日本では評判が良くない。特に言われた本人が嫌がるのだという。「二つのバックグラウンドを独り占め」しているようで、偉そうに見えるという理由が一つ。もう一つは、完璧なバイリンガルだと期待されてしまい荷が重いからだそうだ。その代わりに、日本では「ミックス」とか「ミックスルーツ」という言い方をする。ただ、アメリカ的な視点からすると、「ミックス」というのは、やはりネガティブなニュアンスがあるし、何よりも音楽用語にしか聞こえない。ではアメリカでは、何がいいのかというと、「デュアル」であるようだ。正しくはDual Heritage、二つの人種や文化を継承しているという意味だ。
というわけで、実際にどう呼ぶかについては、周囲の人々が本人に聞いてみるのが良いだろうし、該当する人はそもそも「どう呼ばれたいか」を決めておくのが良いだろう。アメリカ国内であれば、カジュアルな「ダブル」か、少し正式な「デュアル」になるのではないかと思う。
外見で判断されてしまう
デュアルならではの悩み
問題はこのような「日米デュアル」の人々が、気が付かないところで悩みを抱えているということだ。アメリカは広い。アパラチア山脈から西の中西部へ行くと、「ごめんなさいね。私、アジア系の人に直接会ったことがなかったんです。やっぱり写真やテレビに出てくる通りなんですね」などと、差別感情丸出しの応対に出くわすことがある。そこまでは分かる。けれども、意外と気付かないのが、そのような保守的なコミュニティーでは、日米デュアルの人も同じように差別を受けるということだ。ある日米デュアルの兄弟が言っていたのだが、アメリカ人の親の実家に帰省すると、近隣の人から差別的なことを言われて不愉快になるという。その際に、どちらかといえばアジア系に近い顔立ちの弟よりも、日本人の視点からは華やかに見える顔立ちの兄の方が、地域の高齢者などから「エキゾチックね」などと言われやすいという。私たちの気付かない悩みがそこにはあるということだ。
気付かない悩みということではもっと深刻なのが、日米デュアルの人が日本で受ける扱いだ。日米デュアルの人たちは内心は100%日本人で、心の中でも日本語で考えるような人でも、外見での決めつけがされる日本では英語で話しかけられたりすることが多い。不快だけれども、多くのデュアルの人はそこまでは理解はできるという。けれども、自分が完璧な日本語を話し、発想も日本文化がベースになっていると理解してもらっても、「モデルさんみたいで格好良いですね」などと、いつまでも外見で区別されるという。問題はその際に、日本に住んでいる人の側には全く罪の意識がないことだ。明らかに自分たちの仲間では「ない」という区別をしているのに、「うらやましいと思っているんだから文句はないでしょう」という態度を全く改めないことが多いという。
自分は言語や文化を通じてアイデンティティーの深いところで「日本人」だと思っていても、そこから「仲間はずれ」にされる感覚、その痛みを全く理解されないというのは辛いという声は、数限りなく聞いている。私たち在米の日本人、日系人社会は、彼らをまさに100%日本人として認めることで、彼らの居場所となる責任がある。日本人としては彼らは100%だということを考えると、ハーフという表現が適切ではないのは明らかだ。反対に、ダブルあるいはデュアルという表現の持つ意味は、とても大切になってくる。
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