ソフト面でのイノベーションで遅れを取ってしまった日本
任天堂の岩田聡社長が55歳で逝去し、全世界がその若すぎる死を悼んだ。この任天堂をはじめ、ソニー、セガ、スクエア・エニックスなど日本の「ゲーム機・ゲームソフト」産業で、世界的に有名な企業は多い。
だが、コンピュータ技術全般、いわゆるIT産業全般ということになると、日本企業の存在感は今ひとつである。 反対に、スマートフォンOSにおけるアップルとグーグル、PCのOSにおけるマイクロソフトとアップルなど、アメリカの標準OSが世界のスタンダードとなる中で、日本市場もこうした企業の製品に席巻されてしまっている。
日本といえば、テクノロジー大国というイメージが世界で確立しており、 実際に1990年代まではエレクトロニクスの分野で、常に最先端の製品を作り続けていた。日本という国は全体的に教育水準が高く、優秀なエンジニアが生まれ続けるし、企業もイノベー ションが得意なはずだった。では、なぜ現在のような状況になったのか?
1つ目の理由は、2000年代までの日本のエレクトロニクス産業が、あまりにも「モノ=ハードウェア」にこだわり続けたこと。特に「デジタル家電3種の神器」などといって、デジカメ、薄型TV、DVDレコーダーなどの製品に大きな投資を続けたことが裏目に出た。
2点目には、その反対に「ソフト」面でのイノベーションが遅れたという問題がある。デジカメがいい例で、現在ではデジタルカメラというハードを販売する産業よりも、撮った写真でコミュニケーションを行うフェイスブックやインスタグラムといったSNSの産業の方がはるかに大規模になっているが、日本の業界にはそのことへの反省は薄い。一方、スマホのカメラ機能が向上する中で、カメラ単体を売るというビジネスは先細りとなっている。
エンジニア軽視や英語力不足の問題も大きい
3点目としては、IT産業に必要なエンジニアが不足していることを指摘しておきたい。大学には本格的なプログラマー養成のコースは少ないし、プログラミングを学んでITの高度なエンジニアを目指すコースなどはもっと少ない。そんな中、多くの企業が入社後にプログラマー教育を行っているのが現状だ。70年代には国を挙げてプログラマーを育成する機運もあったのだが、いつの間にかその構想は立ち消えになったのが大きな原因だろう。
4点目としては、社会全体にエンジニアへのリスペクトが欠けていたという問題がある。特に80年代以降の日本では、大金を動かしたり、丁々発止で商談をまとめたりする「ビジネスマン」が優秀な人間だとされ、反対に「専門知識だけを深めた」エンジニアは「オタク」だとか「専門バカ」などと言われていた。そんな中、ITエンジニアは「絶対に企業の経営者候補にはしない」とか「別会社で給与体系も別」などとい うことになった。現在では、人手が足りない中で少し事態の改善が見られるが、それでも世界の水準から比べるとエンジニアの給与水準は低い。
5点目は言葉の壁だ。インターネットが世界を一つにし、OSやハードも世界市場における標準化が進む中で、IT産業の共通語は間違いなく英語となった。製品の開発もマーケティングも英語で行われるし、プログラム自体が英語を使っている。そんな中で、IT関連の仕事はアメリカを軸にしながら、英語の通用するカナダ、インド、イスラエル、アイルランドなどに流れることになった。
では、どうしてゲーム産業は競争力を持てたのかというと、そこにはアニメなどビジュアルな文化の伝統もあるだろうが、何と言っても亡くなった岩田氏のように、自分がゲームが好きでそれに打ち込んだという専門を極めた人材がいたからだろう。
その意味では、最近の日本では、若い起業家が新しいアイデアでスタートしたIT企業がどんどん出現しているのはいいことだ。こうした企業が伸びていくことで、日本ならではのユニークなIT企業がグローバルな世界で存在感を見せていくことは大切だ。
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(2015年8月1日号掲載)
※このページは「ライトハウス・ロサンゼルス版 2015年8月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。