知らないと恥ずかしい? 年賀状の新習慣
日本の冠婚葬祭というと、伝統のルールがキチンと決まっていると思いがちだ。滞米年数にもよるが、例えば10年とか20年という長期間アメリカで暮らしていても、自分が日本にいた時代の記憶から、日本の冠婚葬祭はこうであると、割合に自信を持って説明してしまうことがある。まして、滞米年数が10年未満の人なら、特に自分の理解に疑問を持たないのではないだろうか。
この日本の冠婚葬祭に変化が起きている。理解していないと、思わぬ行き違いをすることもあるから大変だ。順に確認していこう。
まず正月の年賀状だが、段々と廃れている。ある世代より下になると、全く出さない人もいる。年賀状やグリーティングカードを出したのに返事がない場合は、その人は「もう止めました」ということと理解するべきで、失礼な人だと怒ってはいけない。
グリーティングカードに家族の写真を載せるというのはアメリカでは普通だし、家族の近況報告として歓迎される。日本でも昔はそうだったが、今は少し注意する必要がある。相手が「結婚したいのにできない」とか「離婚したばかりで傷ついている」ような場合、幸福そうな家族写真を送るのはマナー違反ということになったからだ。
さらに年賀状の関係では、前年に家族の不幸があった場合には、喪中(年賀欠礼)はがきというのが昔からあったが、近年はこの喪中はがきを「家族の死の報告」として早めに出す習慣ができつつある。受け取った人は、年賀状を出さないように注意するだけでなく、年内に「喪中御見舞」という弔意を表すカードを送るのがよく、そのカードが新年にかかることのないように、喪中はがきも早めに出すようになったようだ。
関係性、年齢、季節によって多様化の進む故人の見送り方
家族の不幸の場合だが、故人が高齢の場合は急いで公表して大々的に葬儀を行う習慣はほぼなくなった。亡くなる人が高齢になると、親族や友人なども高齢になる。そこで急いで連絡して大掛かりに通夜や葬儀を行うと、高齢の人が無理に参列して体調を崩すかもしれない。そう考えると、慌てて連絡することがかえって失礼という考え方が生まれ、密葬を完全に内々で済ませるのが当たり前となった。外国にいると、その辺の感覚がズレてしまって「もっと本格的な葬儀で送ってあげるべきだ」とか「どうして訃報をすぐに知らせてくれなかったのか?」などと言ってしまいがちになるので、気を付けたいところだ。
その代わりに、社会的に影響力のある人の場合などは、密葬から日を置いて「お別れの会」を行うのが普通になっている。特に高齢の人が冬に亡くなった場合は、高齢の列席者に配慮して暖かくなってから行うのがマナーだ。反対に、まだ壮年の人が亡くなった場合は、列席者も若いのでそうしたタブーはない。
筆者の経験から言うと、『Newsweek 日本版』の編集長だった竹田圭吾氏が昨年1月に亡くなった際、お通夜に参列した時のことを思い出す。今の日本では、寒い中で盛大なお通夜が行われるのは故人が若くして亡くなったことの証拠(竹田氏は享年51歳)であり、何とも悲しいものだった。
ちなみに、壮年の人が亡くなった場合、仕事関係での参列はお通夜だけで十分という考え方も強くなった。昼に行う葬儀は基本的に親族が中心となって簡素化され、社会人としての見送りは夜間に行われるお通夜が正式になりつつある。取引先など仕事に関係のある弔事でも、昼の葬儀には忙しくて出られない人が増えたためだという。
反対に結婚式の方は、かなり自由になり、仲人抜きとか、音楽結婚式やお笑い結婚式、新婦の父の号泣を誘う感動の演出など何でもありとなっている。こちらは、列席する場合はそれぞれのスタイルを素直に認めて祝福するのがマナーということだ。ただ、ギリギリの予算でやっているカップルが多いので、祝儀はキチンと包みたい。
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(2017年2月1日号掲載)
※このページは「ライトハウス・ロサンゼルス版 2017年2月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。