手厚い指導や教育を誰がどこまで受けられるか
アメリカの公教育は能力別だったり少人数指導があったり、制度が良くできているし、思考力や発表力を養う訓練ということでは、日本とは比較にならないほど進んでいる。その一方で、意外と抜け落ちている分野もある。
その一つは、幅広い教養知識を与える機会がないことだ。例えば、音楽教育では、高校になると、オーケストラにバンド、クワイア(合唱)など学校によってはハイレベルの体験ができる。体験型教育ということでは、相当に進んでいるしアメリカがクラシック、ジャズからロック、ポップまで音楽大国として多くのミュージシャンを輩出しているのもうなずける。だが、それはあくまで自分で積極的に選択した場合であって、それ以外の子どもにおける音楽の基礎知識は極めて限られている。その結果、バッハやベートーベンなどの音楽家、そして名曲を一生知らないで過ごす人が出てくるのだ。
美術も同様で、小中学校のレベルではとにかく表現の機会が多く与えられるが、反面、高校生になってもゴッホやルノワール、北斎にレンブラントといった歴史的な名画を知らなかったりする。アメリカは、各地に大規模な美術館があって、子どもたちが社会科見学などで訪れることもあるので美術に関する基礎知識も広く普及しているような印象があるが、そうでもないのだ。
学問の分野においても、偏りがある。アメリカ史や世界史については、かなり詳細な知識を教えることが多いし、サイエンスの場合は高校レベルの物理、化学、生物のカリキュラムは高度に練られている。その一方で、世界地理とか地質学、気象学などは意外と中学レベルで止まっているようだ。
アメリカはハリケーンの脅威に毎年さらされているが、中心気圧をヘクトパスカルで表示しても分かる人が少ないので勢力を5段階で表示することが多い。また地震に関しても、震度とマグニチュードの概念を分けて報じることもない。こうした点も教育に原因があるからと言える。
国際化教育では、例えば外国語の場合は語学に加えて対象言語圏の価値観やライフスタイルまで教える統合教育が進められている。だが、仮に高校でフランス語を学んでいるのであればフランスやケベックのことは言葉も文化も詳しくなるが、それ以外の国について学ぶ機会は極めて限られる。よく、アメリカ人が地球儀の上の各国の位置を知らないと言われるのも、こうした教育の結果であると思われる。
「アメリカ・ファースト」を支えるアメリカの教養
現在のアメリカでは、政治の世界において「アメリカ・ファースト」とか、「内向き志向」と言われることが多い。その理由については、そもそもアメリカは巨大な島国のようなものであって資源にも恵まれ、多くのことが国内で完結してしまうので国外に関心が薄いという説明がよくされる。残念ながらこの指摘は当たっており、教育の内容もこれを反映していると言えるだろう。
アメリカ人は教養雑学が苦手なことは、クイズ番組を見ているとよく分かる。アメリカ人はクイズ好きだが、その問題のジャンルは映画と音楽、そしてアメリカの歴史と地理、政治、スポーツに限られる。音楽史、美術史、各国事情などは、クイズ番組のジャンルにはならないし、仮に扱うとしても本当に初歩的な問題が多いのだ。
もちろん、アメリカでもランクの高い大学に行けば、最先端の国際的な教育が受けられる。そうした大学の卒業生が就職する企業も、多くの場合は多国籍企業であって、極めて多様な人々が働いていたりする。だが、そうした生き方ができるのは、アメリカの中でも限られた層だけだ。多くのアメリカ人は、やはりアメリカのことしか知らずに一生を終わるわけで、そこに格差問題の一つの大きな原因がある。
この点の解決策として、まずは、日本のように教養知識として各国事情、世界地理、音楽史や美術史という形で「アメリカの外の話題」も、アメリカの子どもたち全員を対象として、幅広く学べる体制を考えてはどうかと思う。
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(2019年10月1日号掲載)
※このページは「ライトハウス・ロサンゼルス版 2019年10月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。