学習英語力を育てる

「バイリンガル子育ての秘訣」船津 徹(TLC for Kids代表)

子どもの英語力には「生活英語力」と「学習英語力」があります。「生活英語力」は社会生活を送るために必要な英会話力。「学習英語力」は学校の授業で要求される読解力や作文力など高度な認知と思考を伴う英語力です。バイリンガル子育てを成功させるカギは、二つの英語力を明確に区別し、それぞれの発達に必要な環境やサポートを与えることです。「生活英語力」は日常生活の中で獲得していく能力で、子どもが現地校に2~3年通えば自然に身に付けることができます。3歳からプリスクールに通い始めた子であれば、小学校に入学する6歳頃には、ネイティブと変わらない発音で英会話を楽しめるようになります。生活英語力は年齢が低いほど、また社交的な子どもほど楽に身に付けることができますから、家庭では社会性の育成に配慮した子育ての実践を心がけましょう。一方、「学習英語力」は英語環境に浸ったからといって自然に身に付くものではありません。学校の指導、両親のサポート、そして子ども自身が地道に努力を重ねることで獲得していく英語力です。英語を第二言語とする子どもの学習英語力が学年平均レベルに達するには5~7年、学年トップレベルを目指すのであれば7~10年という期間が必要です。

学習言語力=読書力

バイリンガルの子どもたちが現地の小学校で抱える共通の問題が、読解力、語彙力、作文力の不足、つまり学習言語力の弱さです。子どもに十分な「読書力」が身に付いていないことが原因で起こります。さまざまな教科学習を進めていく時に要求されるのは、文章を読み、正しく理解し、自分の考えを文字や言葉で表現することです。これらを上達させるには、毎日の読書を通して語彙力と表現力を増やし、思考を深める練習を繰り返すことが必要です。現地の小学校が読書教育に熱心なのは、この時期に獲得した読書力が将来の学力を左右するからです。「我が子は英語ペラペラだから大丈夫」と、英語を流暢に「話せること」に安心して読書教育を怠ると、子どもが小学校に入ってから勉強で苦労することになってしまいます。読書嫌いの子は本を集中して読むことができないので、読んでも字面を追うだけで理解が深まらず、読み終わっても何が書いてあったのか全く覚えていません。文章を書かせても語彙力、文法力、表現力、構成力が不足しているために、年齢に応じた水準に至りません。子どもに学習英語力を獲得させる大切なステップが家庭での読書教育です。両親が日本人の家庭では、英語の読書教育は困難でしょうから、日本語で読書力を育ててあげてください。日本語で培われた読書力は英語にも応用されます。子どもが自分の力で本をスラスラ読め、内容を深く理解できるようになるまで、しっかり読書力をサポートしてあげましょう。

9歳までに読書力を身につける

『Los Angeles Times』紙は「9歳までに読書力を身に付ける(Reading By 9)」という読書啓蒙活動を1998年から行なっています。移民家族が多い南カリフォリニアを中心に読書の重要性を広める活動です。移民子女の学力不振が社会問題となっているアメリカのバイリンガル支援の一例ですが、移民子女という点において日本人の子どもだって例外ではありません。9歳頃は読書力を身に付けるクリティカルピリオドと言えます。この時期に十分な読書力が身に付いていない子どもは、具体的思考から抽象思考へ、直接体験から間接体験へとシフトしていく授業についていけなくなります。日常生活の身近な話題から、歴史、文化、自然科学へと学習内容が広がるに伴い、抽象思考を支える読書力の発達が学習活動に影響を与えるようになるのです。

幅広い分野の読書へと導く

「子どもは読書が好きですが、読解力が弱い」という相談を受けます。そのような子は「偏った読書」をしています。語彙を増やし知識を広げるには幅広い分野の読書が必要です。小学3~4年生には、好みの本に加え、自然科学や科学技術に関連する本、政治や経済に関連する本、歴史に関する本など、多分野の本に触れる機会を作ってあげてください。読書を子ども任せにすると必ず特定分野に偏るので注意が必要です。
 
(2013年12月1日号掲載)

個性を育てる

「バイリンガル子育ての秘訣」船津 徹(TLC for Kids代表)

海外で暮らすバイリンガルの子どもは、二つの言葉と文化の狭間で成長しています。彼らは成長の中で、多かれ少なかれ、アイデンティティーの揺らぎを経験します。自分は日本人なのかアメリカ人なのか、日本の集団主義とアメリカの個人主義のどちらの価値観で行動すべきなのか、日本文化とアメリカ文化のどちらを優先すべきなのか。異文化へ適応する道のりは、自己を見つめ、アイデンティティーを確立していくプロセスでもあります。アイデンティティーの揺らぎを経験することは、人格形成にとって有益であり、決して悪いことではありません。ただし、海外で育つ子どもの場合、アイデンティティーの混乱が長引くと、自己や個性の否定につながるケースがあるので注意が必要です。アメリカ社会への同化を急ぐあまり、本当の自分を心の奥に押し込め、周囲と同じように振る舞うようになるといった行動が一例です。国際社会では、多様な背景を持つユニークな個性が尊重されます。子どもが日本人である自己に気付き、誇りを持てるように配慮した子育てが両親には要求されます。何も日本への愛国心を強調しなさいということではありません。日本の文化や価値観が肯定される環境、そして同時に、日本以外の文化や価値観が肯定される環境に子どもを多く触れさせてあげればいいのです。

多文化意識を持った子育てが大切

家庭では日本語を話し、日本食を食べ、日本的価値観に基づいた生活をしていても一歩外に出ればそこはアメリカです。学校ではアメリカ的個人主義や論理思考に基づいた教育が与えられ、子どもたちは米国式の行動パターンを身につけることが期待されます。これは子どもにとって大きなカルチャーショックでありストレスです。子どもを異文化にスムーズに適応させたければ、親自身が、自分の文化と異文化を客観的に観察し、両者のよい点を積極的に受入れる態度を持つことが必要です。親の文化観が偏っていると、子どもはどの文化に対しても誇りを持てなくなります。異質な文化を受け入れる前提は、自文化への誇りを持っていることです。自己への自信があるから他者を受け入れる余裕が生まれるのです。世界は異質なものから成り立っていて、文化や習慣に上下や優劣はない。自分の文化を大切にするのと同じように他者の文化も尊重する。そんな機会を日常生活の中で多く経験させてあげましょう。アメリカは多文化が共存している国です。自文化に閉じこもることなく、たくさんの文化に触れる機会を作りましょう。その経験の多さが子どもの異文化適応を促進します。

アメリカ流の子育て文化から学ぶ

日米のコミュニケーション方法には大きな違いがあります。日本と異なりアメリカでは自分の意見や考えを表現しないと「理解していない」「表現する能力がない」と判断されてしまいます。子どもがアメリカの学校生活で苦労しないためにも、アメリカ的子育て文化について少し勉強しておきましょう。

1)子どもの人格を認める

アメリカでは子どもといえども「一人の人格者」として扱います。子どもの意見や考えを尊重し、一人前に扱うことによって自立心を育てます。同時に一人の人格者としてのマナー、エチケット、道徳など社会的責任を教えます。子育ての根底にあるのは自立心の強い子どもに育てることです。

2)コミュニケーション能力を育てる

コミュニケーション能力の育成は、家庭教育で最も重要されます。幼い頃から自分の考えを伝えることが訓練されます。親は子どもの話を真剣に聞き、子どもは相手の話をしっかり聞くことが要求されます。兄弟間、友達間で衝突があった時には当事者の話し合いによって解決することを学びます。

3)自主的な積極性を育てる

自主的な積極性がなければ、アメリカ社会で生き抜くことはできません。幼い子どもでも自分でできることはやらせます。また自分でしたいことを子どもに選ばせ、やらせます。親はできるだけ手出し口出しをせずに見守ることで子どもの自主性、積極性を育てます。

4)家事分担で社会性を育む

アメリカ社会では、コミュニティーの一員として自覚と責任ある行動が強く求められます。家事の手伝いを子どもに分担させることで、家族の一員としての自覚と社会性を育てます。また手伝いの報酬として小遣いを渡すことで労働の意味と価値、金銭感覚を育てます。
 
(2013年11月1日号掲載)

英語力を伸ばすには?

「バイリンガル子育ての秘訣」船津 徹(TLC for Kids代表)

バイリンガル子育てで見落としがちなのが「英語の読み書きの力」です。英会話力はアメリカの学校に通えばどの子も自然に身に付けられますが、読み書きの力は系統的な指導を受けなければ身に付きません。もちろん現地校で英語の読み書きを教えてもらえますが、バイリンガルの子どもが、学校の授業だけで読み書きをマスターすることは簡単ではありません。近年、日本に移民してきたブラジル人やペルー人家庭の子どもが、日本の学校に通っても日本語の読み書きが身に付かず、授業に付いていけないことが大きな問題となっています。家庭でポルトガル語やスペイン語を話す子どもの多くは、日本語の日常会話はできるようになっても、授業で要求されるレベルの読み書きを習得できずに苦労しています。アメリカの学校に通う日本人の子どもも、日本で暮らす移民の子どもたちと置かれている状況に大きな違いはありません。このことを親が認識せず、読み書きを学校任せにしていると、英語力は伸び悩み、子どもが授業で困難を感じるようになります。バイリンガルの子どもが読み書きを定着させていくには、学校の指導に加えて、家庭におけるサポートが不可欠です。

フォニックスを家庭でサポートする

「子どもにおかしな発音を教えたくない。だから読み書きは学校に任せよう」と、多くの父兄は家庭で英語を教えることをためらいます。確かに、英語の読み書きの入り口である「フォニックス」を指導するには、英語の文字を正しく発音できるネイティブレベルの英語力が必要と思われがちです。実際には、英会話力が育っている子どもに対しては、親が文字を教えても何ら問題はありません。英会話ができる子は、正しい英語の音と親の発音を区別できるので、親の発音がうつる心配はありません。簡単な英会話ができるようになったら、家庭でフォニックスのワークブックに取り組みましょう。家庭でコツコツと文字の練習を繰り返すことで、読み書きの力は定着します。一方、英会話力が育っていない子どもに親が文字を教えることは勧められません。英語の正しい音が識別できない子どもに間違った発音を与えると、親の発音が子どもにうつることがあります。アメリカに来て間もない、会話力がまだ育っていない子どもには、ネイティブのチューターやフォニックス指導ができる塾のサポートを得るようにしましょう。

読書教育を家庭でサポートする

フォニックスを覚えると、子どもは簡単な文章が読めるようになります。本が読めるようになった子には、1日30分の読書を日課にしてください。大抵の学校には推薦図書のリストがありますので、子どもの興味やレベルに合った本を選んで読ませましょう。本がすらすら読めるようになれば、読書量に比例して英語力もグングン伸びます。子どもは読書によって単語力、文法力、読解力など、英語上達に必要なスキルを鍛えることができます。バイリンガルの子どもが高度な英語力を身に付けるには、多読を通して語彙を増やすほかに近道はありません。子どもが自主的な「読書習慣」を身に付けるまで、両親は家庭でのサポートを継続しましょう。学校から英語力について指摘がないからと、読書教育を怠ってはいけません。バイリンガルの子どもは、成績に問題がなくても、総合的な英語力はネイティブよりも必ず劣ります。両親は図書館や書店に子どもと一緒に行き、英語の本と親しむ機会を多く作ることを心がけてください。

幅広い分野の読書へと導く

「子どもは読書好きですが、読解力やボキャブラリーが弱い」という相談を受けます。そのような子は「偏った読書」をしています。新しい語彙を獲得するには幅広い分野の読書が必要です。小学3~4年生以降は自然科学や科学技術、政治、経済に関連する本のほか、歴史や伝記の本など多様な分野の本に興味が持てるように導いてください。また、読書に慣れてくると「飛ばし読み」をするようになるので注意してください。知らない単語があっても文脈から何となく意味がわかるので辞書で調べるのが面倒くさくなるのです。未知の単語と出会った時は、目印を付けておき、後で意味を調べるように指導してください。クリティカルリーディングが重視される欧米の学校教育では正確な語彙理解が強く求められます。
 
(2013年9月1日号掲載)

バイリンガル子育てに大切なこと

「バイリンガル子育ての秘訣」船津 徹(TLC for Kids代表)

 

 

バイリンガル子育てはノウハウが大切

バイリンガル教育カウンセラーの船津徹(ふなつとおる)です。これまで、日本とハワイで20年にわたって、約2千名以上のバイリンガルキッズ教育に関わってきた私の経験が、海外で子育て奮闘中のお父さん、お母さん方のお役に少しでも立てれば、とても幸いです。
 
さて、祖国を離れ海外で子育てをすることは簡単ではありません。言葉の壁に加え、身近に頼れる人もなく、手探りで子育てをしている親御さんが大半だと思います。しかし、困難な環境の中でも立派にバイリンガルキッズを育てている方もまた、大勢いることを知ってください。そのような親御さんと接していますと、気楽な環境での子育てでないだけに、子どもを心から大切な存在として、大きな愛情で育てていると強く感じます。何ごとも、やすやすとできることには大きな価値はありません。考えに考え、行動に行動を重ねてやっと成功させたことにこそ貴重な価値が生まれます。海外での子育てほど、親が子どもに対する真の愛情と知恵を要求され試されることはないのではないでしょうか。

バイリンガル子育ての担い手は母

海外で子育て中のお母さんに課せられる大仕事がバイリンガル子育てです。英語圏で暮らし、お母さんの母語が日本語の場合、子どもをバイリンガルに育てることは「選択」ではなく「必修」です。人間形成の土台となる母語(日本語)を育て、さらにアメリカの学校教育についていける英語力を身に付けさせなければなりません。
 
「アメリカに住めば自然とバイリンガルに育つのでは?」と簡単に考えるのは危険です。海外では日本語環境が貧弱になりますから、日本と同じ感覚で子育てをしていると、子どもの日本語は必ず弱く育ちます。母語の貧弱さは、第2言語である英語の発達に影響を与えるだけでなく、学業不振、精神不安定など、さまざまな問題を引き起こします。
 
また、英語力についても「親が英語が苦手だから」と学校任せにしてはいけません。学校で要求される「学習英語力」を身に付けるには、母語が育っている子でも5~7年、母語が弱い子では7~10年かかると言われています。このプロセスをいかに短縮できるかが、子どもの学校適応力を大きく左右します。親は学校との連携を密にして子どもの英語力をモニターし、必要な時には適切なサポートを与えることを心がけましょう。

「自信」は異文化適応を促す特効薬

言葉と同様、海外での子育てで配慮してもらいたいのが、子どもの心理面のケアです。毎日アメリカの学校に通う子どもは、言葉も文化も習慣も異なる社会の中で一日の大半を過ごさなければならず、心と体が想像以上に疲労します。また、英語力不足が原因で自信が喪失したり、周囲から誤解を招いたり、習慣や文化の違いから嫌な思いを経験することも少なくありません。大抵の子は、どんなに辛くても親に心配をかけないようにと、学校での出来事について多くを語りません。しかし、子どもなりにアメリカ社会に適応しようと精一杯努力しているのです。親はそんな健気な気持ちを理解し、最大限のサポートを与えることを伝え、子どもを安心させてあげてください。
 
子どもの学校適応を促す特効薬が「自信」です。英語ではクラスメイトにかなわなくても、スポーツ、音楽、芸術、何か1つ得意なことがあるだけで、子どもの自信は倍増します。その自信がエネルギーになって「不快」や「困難」といったマイナスの刺激に立ち向かえる心が育つのです。子どもが興味を持っていること、得意と思っていることに取り組む時間をできるだけ作り、「自信」を大きく育ててください。

バイリンガル子育ては難しくない

現代社会では、必要な情報が何でも簡単に手に入るように思えます。しかし、バイリンガル子育てという、比較的歴史が浅い分野については、知識や経験を共有できる場が少ないのが実情です。その結果、言葉を育てる時期が混乱してしまったり、優先順位を間違ったりするケースが多いのです。バイリンガル子育てはノウハウさえわかれば決して難しくはありません。大きな愛情で子どもを包み、適切な時期に、適切なサポートを与えていくだけなのです。後は子どもが生来持つ能力に任せておけば、2つの言葉と文化を身に付けた、たくましいグローバル人材に育っていきます。
 
(2013年8月1日号掲載)

 

バイリンガル子育ての秘訣 -2つのコップを言葉で満たす

バイリンガルに育った人の頭の中がどうなっているのか、不思議に思ったことはありませんか?どうしたら日本語と英語を自在に使い分けることができるのか?私たちは英語を頭の中で一度日本語に訳して理解しますね。バイリンガルも同じように言葉を翻訳しているのでしょうか?
 
実はバイリンガルの人は頭の中に日本語と英語、2つの思考回路を持っています。そして話す相手や状況に応じて思考のスイッチを無意識に切り替えているのです。彼らは見聞きした言葉を翻訳することなく、その言葉のまま理解することができます。日本語で話す時は日本語で思考し、英語で話す時は英語で思考できるのがバイリンガルです。

2つのコップを満たすこと

バイリンガルは頭の中に日本語と英語、2つのコップを持っています。そして、それぞれのコップが、それぞれの言葉で満たされると、その言葉が口から溢れてきます。話し言葉の発達はコップにインプットされる言葉の量によって決まるということを知ってください。
 
よくバイリンガル環境で育つ子どもは発語が遅いと言われますが、それはコップに溜まっている言葉が少ないからです。海外生活では両親が気付かないうちに言語環境が希薄になります。両親は日頃からコップを満たすことを意識して、言葉をかけ、絵本の読み聞かせをしてあげることが大切です。
 
両親が日本人の場合、日本語のコップが先に一杯になるのが普通です。毎日せっせと赤ちゃんに話しかけ、絵本を読んであげれば、2~3歳になる頃には日本語のコップが言葉で満たされ、口から日本語が溢れ出てきます。
 
発語が遅いと心配されている方は、言葉のインプット量を増やす努力をしてください。子どもと一緒にいる時は常に語りかけ、絵本を読み聞かせてあげましょう。コップが言葉で満たされれば、必ず口から日本語が溢れ出てきます。

日本語と英語は区別する

英語のコップを満たすには、英語をインプットすればいいのですが、いくつか注意点があります。まず知っておきたいのが、普段日本語を話す両親が、ある日突然英語で話しかけても「英語のコップに言葉は溜まらない」こと。子どもの頭は、話す相手に応じて自動的にコップを使い分けるのです。日本語話者の言葉は、日本語のコップに溜まります。
 
大切なのは言葉を混ぜないこと。「これはリンゴよ、英語でアップル」というふうに、日本語と英語を混ぜてはいけません。気持ちは分かりますが、日本語と英語をミックスしても、子どもの頭は「日本語」としか認識してくれません。「リンゴ」は日本語のコップ、「アップル」は英語のコップというように振り分けてはくれないのです。
 
英語のコップを満たすには、英語だけの情報をインプットすること、英語話者とコミュニケーションをとることが必要です。英語だけの情報や環境に触れると、子どもの思考は瞬時に英語に切り替わります。すると英語のコップに言葉が溜まっていくのです。
 
幸運なことにアメリカで生活していれば、子どもはいくらでも英語環境に触れることができます。このメリットを言語教育に活用しない手はありません。家庭では子ども向けのテレビ番組を見せたり、英語の歌を聞かせたりしてあげてください。そして、家庭の外では英語話者とコミュニケーションする機会を作ってあげましょう。

2つの言葉を与えても混乱しない

「日本語と英語を同時に与えると混乱しませんか?」という質問をよく受けます。言葉のコップを思い出しましょう。日本語と英語、2つのコップは独立していますから、同時に教えても混ざることはありません。言葉を明確に区別して、それぞれの言葉でインプットすれば、それぞれのコップに言葉が溜まります。
 
日本語と英語をミックスして話す子がいますが、それは混乱しているのでなく、1つのコップに日本語と英語が混ざっているのです。両親がミックス言葉で話しかけたり、言葉を翻訳して教えていると、2つの言葉が1つのコップに溜まってしまいます。日本語は日本語。英語は英語。明確に区別してインプットすることを心がけてください。
 
繰り返しますが、バイリンガル子育てを成功させる秘訣は、日本語と英語、それぞれのコップを言葉で満たすことです。日本語のインプットは両親の責任で。英語については、英語だけの環境に浸らせたり、英語ネイティブと関わる機会を増やせばよいのです。
 
(2015年11月1日号掲載)

 

バイリンガルに育てるなら、日本語の土台を早期に築かせよう!

子どもを将来、バイリンガルに育てたいと望むのならば、言葉の優先順位を間違ってはいけません。両親とも日本人の家庭では、何よりも子どもの日本語の土台を育てることを優先させなければなりません。というのも、複数の言語環境で育つ子どもは、言葉の軸である「母語」が弱く、不安定になりがちで、その結果、情緒不安や学習不振に陥るケースが多いからです。
 
海外で育つ子どもが、母親から日本語を継承することは、自己のアイデンティティーに誇りを持ち、精神を安定させ、母子関係を形成する上で欠かせないプロセスです。「アメリカで教育を受けるのだから英語を優先すべき」とか、学校の先生から「家庭では英語しか話さないように」と言われたとか、海外ではさまざまな情報によって両親の心が動かされることが多いと思います。
 
しかし、バイリンガル子育ての成功の秘訣は「乳幼児期に母語の土台を築くこと」に尽きるのです。周りから何を言われようが、お母さんは自信を持って日本語を継承してください。日本語教育を放棄することは、将来、子どものアイデンティティー形成はもちろん、家族関係にも深刻な影響を及ぼします。

0~2歳:話し言葉を育てる時期

子どもの言葉を育てる入り口はお母さんの優しい語りかけです。お母さんが「可愛い◯◯ちゃん、おはよう」と話しかけると、赤ちゃんはお母さんの顔をじっと見て「アウゥ、アウゥ」と答えます。赤ちゃんはお母さんの言葉か別の人の言葉かが、生まれた直後からわかるのです。考えてみれば、これは当然のことです。赤ちゃんはお腹の中にいる時からずっとお母さんの声を聞いてきたのです。さらに言えば、お母さんの声は胎内振動となってお腹の赤ちゃん全体を刺激し続けてきたのです。子どもにとって、お母さんの言葉ほど影響力が大きい刺激はありません。
 
でも、この特権に気付いていないお母さんが多いのです。子育て中のお母さんはたくさんの愛情溢れる言葉を子どもにかけてあげてください。海外では親が意識して言葉をかけなければ、子どもの言語環境は貧弱になります。親が気付かないうちに、言葉の発達が遅れることが多いので注意してください。
 
家庭では語りかけや歌いかけに加えて、絵本の読み聞かせを行いましょう。絵本は子どもの言葉を育て、感性を育て、想像力を育てる最適の教材です。まだ小さいと思わずに、乳児にも絵本を読んであげましょう。最初は言葉の音を楽しめるような絵本をたくさん読んください。

3~4歳:文字を集中指導する時期

話し言葉が育ってきた子どもには、文字チャートや文字カードなどを使ってひらがな・カタカナを教えてあげましょう。「3~4歳に文字は早いのでは?」と思う方が多いのですが、バイリンガル子育てでは早期文字教育は必須です。なぜなら、アメリカでは子どもが5歳になる年からキンダーガーテンがスタートするからです。キンダーガーテンに通い始めると、子どもは一日の大半を英語で過ごすことになります。そうすると、日本語の学習効率は必ず下がります。
 
また、一般的に小学生低学年頃から、日本語学習へのモチベーションは下がっていきます。子どもからすると、毎日学校で苦労している「英語」の勉強が優先であり、日本語は二の次になるのです。アメリカに永住する家庭の子どもにこの傾向は強く、親がうるさく言ってもなかなか日本語学習が進まないという悩みが増えてきます。
 
バイリンガル子育てでは弱い方の言葉(海外在住であれば日本語)の文字教育をいかに成功させるかが、学習を継続させ、学力を獲得していくカギです。海外在住なら、学習意欲と学習効率が高い幼児期に、集中して日本語の読み書きを教えることが重要です。

5~6歳:読書力を育てる時期

五十音を覚えると、子どもは簡単な本が読めるようになります。そうなったら短い本を与えて子どもの力で読む練習(音読)をさせましょう。この時に大切なのが、お母さんが同じ本を読み聞かせてあげることです。活字に慣れていない子どもにとって、文字を読む作業は大変な集中力を要します。同じ本でも自分で読むのと、お母さんに読んでもらうのでは、ストーリーの理解度が違います。そして、一人で読めるようになったからと、読書を子ども任せにせず、読み聞かせを継続してあげてください。
 
(2013年10月1日号掲載)

家族で受け継がれる秘伝のホットソース「オーサム・ホットソース」

ライトハウス・サンディエゴ版編集長、吉田聡子が、サンディエゴ生まれのブランドを訪問。世界に羽ばたいた物から、ローカルにこだわる物まで、名品の背景にある物語を探ります。

Awesome Hot Sauce / オーサム・ホットソース

ファーマーズマーケット時代

ファーマーズマーケット時代

いつか自分で何かを作りたいと思っていたダニエルが、父親から受け継いだホットソースのレシピを独自にアレンジして製品にし、インペリアルビーチのファーマーズマーケットで売り始めたのは3年前のこと。
 
当時販売していたのはOriginal Recipeと名付けた1種類のホットソースのみ。ダニエルの本業は沿岸警備隊で、週末を使ってホットソースを少しずつビジネスにしていこうと考えていた。程なくして、後に妻となるレベッカと出会ったことが一つの転機となる。

Humm Zinger

29種類あるオリジナルブランドのホットソース。ひよこ豆とクミンが入った「Humm Zinger」 (6oz $8.65)は2015年World Hot Sauce Awardで世界3位を受賞

「レベッカは発想力があり、創造へのエネルギーもある。おかげで新しいレシピが次々に生まれました」(ダニエル)。
 
製品のラベルデザインを作成したのもレベッカ。その頃は、まだ一枚一枚、手作業で切って張り付けていたそうだ。
 
「ダニエルと出会うまでパフォーマーをしたり、会計関係の仕事をしたり、いろんな職業に就いてきたけれど、全ての経験が今の仕事に活きていると感じるわ」(レベッカ)。

小さなサイズ

ちょっとした土産にぴったりの小さなサイズもある

 

そんな彼らのビジネスに目を留め、オールドタウンにあるショッピングモール, Fiesta de Reyesに店を出さないかと声をかけたのが同モールのマネジャー、マイク。かくして、2015年7月、Awesome Hot Sauce初にして唯一の小売店が誕生した。。

Awesome Hot Sauce

Fiesta de Reyesの入口を入ってすぐ左が同店

スタート時は1種類だけだったホットソースは、今は29種類。新しいレシピのアイデアはお客さんや友人たちのフィードバックがもとになっているそう。
 
「とてもインタラクティブな製品開発の仕方ね。売る方も買う方もみんながハッピーになる」(レベッカ)
 
現在はラベル貼りこそ手作業ではなくなったが、製品の製造はダニエルとレベッカの2人で行なっている。

ダニエルとレベッカ

笑顔で快く取材に応じてくれたダニエルとレベッカ、そして愛娘のファラちゃんとパチリ

今後はもう少し生産のスピードを上げて、小売りだけでなく、卸売りもできるようにしたいと考えているんだ」とダニエル。「販売箇所が広がれば、多くの人に僕たちのホットソースを届けられるから。でも、家族経営であることは変わらない」。
 
「ホットソースのレシピは家族の秘伝だから」と、この夏に生まれたばかりのファラちゃんを抱っこしながらレベッカが付け加えた。「娘が大きくなったらレシピを教えて、トレーニングするつもりよ」。

 

Awesome Hot Sauce

◎ Awesome Hot Sauce/オーサム・ホットソース
2754 Calhoun St., San Diego(Fiesta de Reyes内)
☎ 619-946-9509
▶ 営業時間:10am~9pm
▶ Webサイト:www.semperfryllc.com

 
(ライトハウス・サンディエゴ版 2016年12月号掲載)
 
※このページは「ライトハウス・サンディエゴ版 2016年12月」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

ドナルド・トランプ氏の当選で大きく揺れる日本

冷泉彰彦のアメリカの視点xニッポンの視点:米政治ジャーナリストの冷泉彰彦が、日米の政治や社会状況を独自の視点から鋭く分析! 日米の課題や私たち在米邦人の果たす役割について、わかりやすく解説する連載コラム

株、円、ゴールドで起きた日本特有の現象

トランプ

11月8日の大統領選でドナルド・トランプ氏が当選した。予想外の結果に日本は大きく揺れている。
 
まず、株価が暴落した。偶然、トランプ氏の当選が確実になった時間帯に、東京市場がオープンしていたということもあるが、東京株式市場で日経平均株価は大幅に下落して、その日の終値は前日と比較して、919円84銭安、これは率で言うとマイナス5.36%という、まさに暴落となった。今後何が起きるか分からないということで、株を売って現金に変える動きが激しくなり、全体の90%の銘柄が株価を下げるという異常事態となっている。
 
また、円も大きく揺れた。1ドル104円ぐらいであったのが、トランプ氏が優勢となると101円にまで「円高」になる局面もあったし、ゴールドも買われた。これは「有事」だから株や通貨でなく、資産を安全なゴールドに替えておこうという動きだ。
 
確かに事前の予想として、世界では「トランプショック」が起きて株が下がるかもしれないということは言われていた。だが、ここまでパニックになるということは予想されていなかったわけで、日本市場の動揺の激しさを物語っている。
 
実は時差の関係で、日本の後で市場がオープンした欧州市場では、1%前後の下げと冷静であったし、トランプ当選から一夜明けたニューヨーク市場では株が反対に上がったことを考えると、日本の動きは際立って見える。
 
欧州やアメリカで株が下がらなかったのは、トランプ氏の勝利演説が選挙戦のときとは全く違う、落ち着いた立派なものだったからだが、アメリカで株が上がると、翌日10日の日本市場では前日の下げを取り戻す以上の、1000円を越える株高になったり、もうこうなると「トランプショック」に引きずり回されているという感じだ。

情報の少なさがもたらすトランプ像の独り歩き

日本社会が動揺している背景には、情報の圧倒的な少なさということがある。私も含めて、ヒラリー当選を信じて疑わなかった人間が多く、トランプ氏に関する多角的な情報発信ができていなかったという反省もしなくてはならないが、とにかく、「暴言」とか「人種差別」というイメージだけが独り歩きしており、全く情報が伝わっていない。
 
私はこの大統領選挙の際に日本に滞在しており、テレビや新聞などからさまざまな電話がかかってきてトランプという人について聞かれたのだが、有名な子どもたちについてすら、全く知られていないのには驚いた。5人のお子さんがいて、最初の奥さんとの間に3人、2番めの奥さんとは1人、現夫人との間には1人というような基本的なことも知られていなかったし、勝利演説の際にトランプ氏の右側にいた三男のバロン君については、「お孫さん?」などと言われたりもした。
 
日本の政界も動揺していた。安倍政権はTPPの批准を進めているが、野党は「本家のアメリカがもう入らないのだから」として反対を強めている。そもそも、交渉開始を決めたのが最大党の民進党の蓮舫党首に近い野田毅氏が首相だった時だったなどということはすっかり忘れて、「アメリカが離脱するのだから反対」という騒ぎになっている。仮にアメリカが入らなくても、カナダやアジア諸国など太平洋を囲む諸国で自由貿易圏をスタートさせることには、大きな意味があるのに、そのことは顧みられていないようだ。
 
一番の動揺は、安全保障問題だろう。トランプ氏は「在日米軍の費用を全額日本に負担させる」として「仮に払ってもらえないのなら、アメリカ軍は撤退する」という主張をしていたのは、事実だ。だが、「イスラム教徒の入国禁止」とか「国境の壁」というアイデアが、あくまで選挙戦を盛り上げる「例え話の仕掛け」であったのと同様に、在日米軍の話も「本当にアメリカのためになっているか考える」という以上でも以下でもないわけで、今後、落ち着くところに落ち着くと考えるのが妥当だろう。とにかく、日本では驚くほどのショック状態が続いている。

冷泉彰彦

冷泉彰彦
れいぜい・あきひこ◎東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒業。福武書店、ベルリッツ・インターナショナル社、ラトガース大学講師を歴任後、プリンストン日本語学校高等部主任。メールマガジンJMMに「FROM911、USAレポート」、『Newsweek日本版』公式HPにブログを寄稿中

(2016年12月1日号掲載)

※このページは「ライトハウス・ロサンゼルス版 2016年12月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

映画『KUBO AND THE TWO STRINGS』ジョージ・タケイほか制作スタッフを直撃!

2016年夏公開の『KUBOANDTHETWOSTRINGS』は、太古の日本を舞台にした3Dストップモーション・アニメ映画。8月末、全米日系人博物館にて、同映画の製作物展示イベントが開かれ、声優として出演した日系人俳優ジョージ・タケイ氏が訪れました。また、同イベントには、監督を務めた米映画制作会社Laika, LLCのトラヴィス・ナイト社長ほか、制作スタッフチームも同席。彼らを直撃し、この映画の制作に秘めた思いを伺いました。

■George Hosato Takei Altman(ジョージ・ホサト・タケイ・アルトマン:写真右)
1937年、LA生まれの日系アメリカ人二世で俳優。42年から約3年にわたりアーカンソー州ローワー強制収容所で過酷な生活を送る。66年に務めた米SFテレビドラマシリーズ『スタートレック』のヒカル・ スールー役が有名。
 
■Travis Knight(トラヴィス・ナイト:写真左)
オレゴン州の映画制作会社 Laika, LLCの社長兼CEO。本作で監督デビューを果たした。
 
■Arianne Sutner(アリアン・サトナー)
Laika所属のアニメーション映画プロデューサー。本作でプロデューサーを務めた。

村人・穂郷(ほさと)の声を担当したジョージ・タケイ氏

―本作に出演した率直な感想は。

穂郷という名前は私のミドルネームなんですよ。だからこの作品に対する思い入れは強かった。日系人として、日本が舞台の映画に出演できたこの仕事はとても有意義で楽しいものでした。三味線や灯籠流しといった日本の伝統が散りばめられた映画ですが、家族というテーマは世界共通のもの。ストーリーには、死んでしまった家族や自分の身近にある持ち物にも魂はあり、一緒に過ごした思い出は消えないという感動的なメッセージが含まれています。人種は関係なく、大人も子どもも楽しめ、共感できる物語になっているので、本作をきっかけに、多くの人に、日本文化に興味を持ってもらえたらうれしいです。

全米日系人博物館に寄贈された、穂郷のパペット

―ジョージさんは、自分の身近にある持ち物にも魂があると信じたことはありますか?

もちろん。例えば自分の持っている杖が、誰でも手に入れることのできる杖だと思えばそれまでですが、その杖がどのような思いを持ってデザインされ、作られたかを考えると、魂を持った自分だけの大切な物だと信じられます。この映画撮影に使われたパペットも、細部までこだわって製作されたものですから、私は魂が宿っていると信じています。この映画がきっかけとなって、私が同性婚の式を挙げた思い出の場所、全米日系人博物館に、私の分身とも言える穂郷のパペットを寄贈できたことは大変感激です。

トラヴィス・ナイト監督

―日本を舞台にした、ファンタジー・アニメーション映画を、なぜ制作しようと思ったのですか?

日本には、8歳の時に父の仕事の出張で付いて行きました。芸術や建築、映画、テレビ番組など、見るもの全てが美しく、とても良い刺激を受けました。ですから幼い頃に感じ取った日本文化への興味が心に残っていて、いつかは日本を題材にした映画を作りたいと思っていました。また、本作のようなファンタジー作品は、子どもの頃から好きなんですよ。母は私を妊娠中、イギリスのファンタジー小説『指輪物語』を読んでくれたといいます。こうした由縁で、本作が私の監督デビュー作品になったんです。

プロデューサーのアリアン・サトナー氏

―この映画の見どころは?

アメリカの映画会社が日本を題材にした映画を制作するということはとてもユニークな挑戦。日本人がどのような動きをするのか、どのような表情をするのか、アメリカ人の観点から、私たちなりに研究して制作したつもりです。そうした細部のこだわりに注目して、見てほしいです。日本の映画といえば誰もが宮崎駿監督のジブリ作品を思い浮かべますが、本作は3Dストップモーション・アニメ映画。ジブリ作品とは制作の仕方が異なりますが、この作品がジブリ作品とはひけをとらないほど、独自の世界観を表現していると感じてもらえたら光栄です。

アニメーション・スーパーバイザーのブラッド・シェフ氏

クボの母親のパペットの顔を分解し、アニメーションでの表情の操り方を説明するブラッド・シェフ氏

―撮影の際、パペットの動きで注意した点は?

どのように動いたらパペットが生きている人間のように見えるのか、考えながら撮影しました。参考に、日本を題材にした映画をたくさん見るのはもちろんのこと、撮影中は何度もテイクを重ね、納得がいく動きを突き詰め、動作の改善を重ねました。
例えば、クボの母のパペットは着物を着ていますが、表情や動作だけでなく、歩いた時にどのように着物が揺れると自然なのかというところまで、追求しました。

KUBO AND THE TWO STRINGS

映画の舞台は太古の日本。主人公のクボは片目を失った少年で、海辺で母を看病しながらひっそりと暮らす。クボには三味線を弾きながら折り紙を自由自在に操る特殊能力があり、昼間は近くの村に通い、村人の前で芸を披露するのが日常だった。
ある日、日が落ちた後の村で、灯籠流しを眺めていたクボは、邪悪な魂を目覚めさせてしまう。危機を察知した母が最後の力を振り絞ってクボを救い、魔物から身を守るために亡き父の鎧を探し出すようにと告げる。
クボは、猿とクワガタムシを旅のお供とし、家族や村の人々を守るため、そして世界で最も偉大な侍だった父の死の真相を確かめるために、危険な冒険へと旅立っていく…。
 
本作は、静止した物体を1コマずつ少しずつ動かしながら撮影し、連続して動いているかのように見せる撮影手法「ストップモーション・アニメーション」を採用しており、独特の美しい映像が楽しめます。現在一部の映画館で公開中。
詳細はwww.kubothemovie.com
 
(2016年9月16日号掲載)

お笑い芸人・陣内智則◎LAライブ直前インタビュー

2016年8月1日に、英語によるお笑いライブ「NETAJIN in Los Angeles」を行う、お笑い芸人の陣内智則さん。独特のシュールなネタで日本人もアメリカ人も大爆笑の渦に叩き込む陣内さんに、ライブに向けての意気込みを伺いました。

じんない・とものり◎NSC大阪校11期生。在学中にコンビ「リミテッド」を結成するも3年でコンビは解散。その後ピン芸人として活動を始めると、舞台やテレビで引っ張りだこの人気芸人の一人に。2011年には韓国で初の海外公演を開催。アメリカでは14年にラスベガスで英語による単独公演を実施し、8月1日にはロサンゼルスに進出。

―2014年のラスベガスでの単独公演は大成功でしたね!海外での挑戦を決意した理由は?

普段から日本の老若男女の方に分かるようネタづくりをしていました。それがそのまま世界でも通用するのかやってみたかったので、海外での挑戦を決意しました。

―海外で現地の言葉でお笑いをするという勇気ある挑戦。そのエネルギーの源は?

皆さんの顔はもちろん、自分のことがどんな人かも知らない国の人たちが観にきて笑ってくれることが、原動力になっています。

―海外でお笑いをする中での苦労や、また逆に楽しいことは何でしょうか?

やはり言葉の壁は感じます。伝えたいことを伝えられない自分の英語力がつらいです。また、自分の伝えたいことが伝わってお客さんが笑っているところを見たときはとても楽しいです。

―ラスベガス公演がご自身のお笑いに与えた影響はありますか。

直接的なものは、そこまでは正直ないです。ただ、自分の経験値として、誰もやったことがないことをやっているという点で自信になっています。

―なぜロサンゼルスを、2度目のアメリカ挑戦の地に選ばれたのでしょうか?

初めての場所ということと、ハリウッドの由緒ある劇場できることに魅了され、ロサンゼルスを選びました。

―ラスベガス公演の前には、オーストラリア出身のお笑い芸人、チャド・マレーンさんに英語を特訓してもらったそうですね。今回、英語はどうやって学ばれたですか?

前回と同じく、チャドに教えてもらいながら暗記していきます。ラスベガス公演をきっかけに、昨年からNHK Eテレ「エイエイGO」という英語番組内で英語を勉強させてもらっているので、以前までは丸暗記でしたが、今回は文法を理解しながら暗記しています。

―ご自身のお笑いの特徴は?

勢いやキャラクターで笑わすのでなく、ネタの中身にこだわっています。勢いやキャラクターで笑わすことができない分、世界中の誰が見ても分かるような内容で笑わせていきたいです。

―LAライブのサブタイトルは「私とウサギと橋と鍵」。どういう意味ですか?

日本の心理テストのタイトルです。ライブに来ていただけたら意味が分かるようになっています。

―LAライブでは新ネタは披露されるのでしょうか?LAライブの見どころを教えてください。

新ネタやります!日本でやっているスタイルは変えず、ロスの人に合わせるわけでもなく…おそらくロスの方が見たことのないライブになると思うというところが見どころです。ぜひ「陣内智則」のお笑いを見てもらいたいです!

―ロサンゼルスで、ライブ以外に楽しみにしていらっしゃることはありますか?

やはりハリウッドサインは見てみたいですね!

―『ライトハウス』読者にメッセージをお願いします。

「陣内智則」の笑いを少しでも広めたいと思うので、ぜひ外国のお友達を連れてライブにきてください!劇場でお待ちしております!

陣内智則ワールドツアー「NETAJIN in Los Angeles~A Rabbit, a Bridge, a Key and Me~」

ライブペアチケットを5名様にプレゼントします!
 
【応募要項】
■応募締切:2016年7月21日(木)23:59(DST)
■応募方法:Eメールで「dokusha@us-lighthouse.com」宛に題名を「陣内智則ライブチケット応募」としてお応募ください。当選者の方のみにEメールでご連絡いたします。※応募はお一人様1回限り。アメリカ国内在住の18歳以上の方が対象です。
 
【ライブ詳細】
■会場:Fonda Theatre(6126 Hollywood Blvd., LosAngeles)
■日時:2016年8月1日(月) 7:00pm開場 8:00pm開演
■料金:$10(購入手数料別途発生)
■チケット:www.fondatheatre.com
 
(2016年7月16日号掲載)

プロサーファー・五十嵐カノア◎サーフィン世界大会USオープン直前インタビュー

来たる2016年7月23日(土)~31日(日)、ハンティントンビーチで開催される、サ―フィンの世界大会「2016 Vans US Open of Surfing」。若干18歳にして優勝候補の一人として注目を浴びているのがカリフォルニア育ちの日本人プロサーファー五十嵐カノア選手。大会直前の意気込みを伺いました。

五十嵐カノア◎1997年、カリフォルニア生まれ。3歳からサ―フィンを始め、6歳で早くもジュニア大会優勝。現在、18歳にして世界ランク上位を維持しており、今後のさらなる活躍に期待がかかる。

「アジアのサ―フィン界に良い影響を与えられるよう、上を目指したい」

―いよいよ地元、ハンティントンビーチで開催される大会が迫ってきました。今の心境は?

USオ―プンは毎年楽しみにしている大会です。3歳でサ―フィンを始めて、4歳からずっとハンティントンビーチに住んでいて、地元の期待も感じていますので、頑張りたいです。

―ずばり、目標は?

優勝です。優勝するためには一戦一戦を大切に戦うことだと思っています。(3位入賞だった)昨年は波に恵まれなかったので、今年はハンティントンビーチらしい波で大会が開かれることを願っています。―地元ハンティントンビーチにはやはり思い入れがありますか?ハンティントンビーチは僕のサ―フィンの基本ができた場所。サ―フィンの試合でほとんどの時間を海外で過ごす僕にとって一番居心地の良い、大切な場所です。

―今シ―ズンは世界トップクラスのコンテストサ―フィンツアーWCT(World Championship Tour)に参戦。トップサーファー36人のみが参加できるツアーへの日本人の参戦は初。すごいことです。

WCTに入って、また一つ僕の目標、世界チャンピオンに近づけました。ツアーの中では最年少なのでプレッシャーも多いですが、世界のトップサーファーと戦うことで、いろいろ学んでいます。やはり、皆、トップアスリートなので、体もしっかりできあがっているし、メンタル面も強い。僕自身もさらに磨きをかけていくことが大切だと考えています。

―日本人初、かつ最年少と、注目を集めていることについては?

日本だけでなく世界から注目を集めていることはうれしいです。日本を含むアジアのサ―フィン界に良い影響を与えられるよう、もっと上を目指していこうと思っています。―カリフォルニア育ちですが、日本人であることを意識することはありますか?アメリカ人として育ったけど、家族は日本人。学校ではアメリカ人の友だちと過ごして、家では日本人の家族と過ごす…まるでいつも2つの国に同時にいるみたいです。だから、自分は日本人だってことはいつも意識していますね。

―日本に行くことも多い?

少なくとも年1回は行きます。ツアーの途中で立ち寄ることが多いです。去年は2回行きました。日本は大好き。僕を応援してくれる人たちがたくさんいるし、食べ物もおいしいし。ホ―ムのように感じています。

―まだ18歳。この先、どんなサーファーを目指しています?

僕の夢はただ一つ、世界チャンピオンになることです。それは小さい頃から今も変わりません。ただ、サ―フィンがうまいだけではダメだとも思っています。これから、たくさんのことを経験して、チャンピオンにふさわしい人間になりたいと思っています。

―世界中でサ―フィンをされていますが、一番好きなポイントは?

やっぱり地元、ハンティントンビーチです。ここは僕の原点でもあるし、庭のような場所でもあるから。

―カノア選手にとってサ―フィンとは何でしょう?

FUN!楽しいこと!

次世代を担うプロサーファーとして、日本だけでなく世界のメディアから注目を集めている。

―カノア選手と同じように、アメリカで暮らす若い読者の皆さんにメッセ―ジをください。

ファッション、音楽、映画…アメリカは本当にエンターテインメントの国。思い切り楽しんで、いろんなことに挑戦していきましょう!

―最後に、今年のUSオ―プン、ここに注目してほしいというポイントを教えてください。

ハンティントンビーチの波はすごく癖があるので、それを乗りこなすテクニックをぜひ見てもらいたいと思います。

【2016 Vans US Open of Surfing】
日程:7月23日(土)~31日(日)
場所:ハンティントンビーチピア
詳細:www.vansusopenofsurfing.com
 
(2016年7月16日号掲載)

ギタリスト・布袋寅奏◎LA初ライブ記念インタビュー

今年でアーティスト活動35周年を迎えた、ギタリストの布袋寅泰さん。その記念プロジェクト「8BEATのシルエット」の一環で、来たる7月に初のLAライブを行う同氏に、ライブへの意気込みや今後の展望などについて伺いました。

ほてい・ともやす◎ギタリスト。伝説的ロックバンドBOØWYのギタリストとして活躍し、1988年にアルバム『GUITARHYTHM』でソロデビュー。「BATTLE WITHOUT HONOROR HUMANITY」がクエンティン・タランティーノ監督の映画『KILLBILL』のテーマ曲となり世界的な評価を受ける。2012年よりイギリスへ移住し、15年の10月には『Strangers』をUK、ヨーロッパでCDリリース、そして全世界に配信リリースもした。16年、アーティスト活動35周年を迎えた。

―アーティスト活動35周年、おめでとうございます。2012年に拠点をロンドンに移して以来、海外フェス出演のほか、15年には世界へ向けたアルバム『Strangers』をリリースするなど、精力的に海外活動をされています。これは今後も続けられるのでしょうか?

ありがとう!意義ある35年を過ごせたのも、ファンの皆さんのおかげです。昨年は、長年の夢だったワールドリリースが叶い、新たなスタートが切れました。今後は日本も世界の中の一つと捉え、精力的に海外で活動していきます。

―世界で戦う布袋さんの姿は、同じくLAという異国の地で生活する我々にとって非常に刺激になります。そのパワーはいったいどこから出てくるのでしょう?

僕の方こそ、「僕らもがんばっているから、布袋もがんばれ!」といつもエールをもらっている気がします。海外は刺激的だけど、思い通りにいかず苦しむこともたくさんあるよね。でも、悔しい気持ちをバネにして前に進むしかない。音楽を通じて人々にパワーを与えるのがミュージシャンの役目。一人でも多くの人にポジティブなエネルギーを伝えていきたいですね。

―海外で楽曲制作やライブを演やる上で、苦労することと、逆に楽しいことは何でしょう?

日本でのキャリアは通用しませんから、一からのスタートです。自分で楽器も運ぶし、弦も張り替えます。でも、原点に戻れたし、人のありがたみを再確認できました。ライブは良い演奏をすれば必ず良い反応が返ってくる、嘘のない真剣勝負の場です。2月のヨーロッパツアーでも、最初はおとなしかった観客が最後は盛り上がってくれて、とてもうれしかった。35年前、BOØWYというバンドでキャリアをスタートした時を思い出します。初めてのライブは観客が20人しかいませんでしたが、それが100人になり、500人になり、最後は5万人になった。一人一人の心をつかんでいくしかありません。

―今回、LAとニューヨークにてライブをされますが、なぜこの2つの都市を選ばれたのでしょう?

どちらもアメリカのロックの聖地ですからね。特にLAは、僕の曲がテーマ曲に使われた映画、『KILL BILL』のワールドプレミアで初めてタランティーノと会った思い出の場所。映画音楽は今後も積極的にやっていきたい分野なので大切な場所だし、今後は年に1回はLAでライブを演りたいですね。

―布袋さんはデヴィッド・ボウイなどイギリスのロックに強く影響を受けている印象がありますが、アメリカの音楽で影響を受けているものはありますか?

エルビスやジェームス・ブラウン、ボブ・ディラン、The Beach Boysなども聴いてきましたよ。最近はQueens Of The Stone AgeとSt.Vincentがお気に入りです。

ロンドンでいつもプレイしているドラマーとベーシスト+シーケンスによるモダンな3ピース編成になるそう。

―LA公演の見どころをズバリ、教えてください。

今回の会場、The Troubadourは、ステージと観客の距離が近いので、一体感を楽しんでほしい。楽曲は、ギターのインストロメンタル、英語の歌、日本語の歌などを織り交ぜて演奏します。初めての方にも、昔からのファンの方にも、先入観なしで純粋に僕のギターと音楽を楽しんでもらいたいし、僕も大いに楽しむつもりです。

―『ライトハウス』読者にメッセージをお願いします!

初めてのLA公演で皆さんとお会いできることにドキドキ、ワクワクしています。一人でも多くの方と最高の時が過ごせるよう、ご来場を心からお待ちしています!

布袋寅泰35th ANNIVERSARY「8BEATのシルエット」Los Angeles公演ライブペアチケットを1名様にプレゼントします!

【応募要項】
■応募締切:2016年6月27日(月) 23:59(PST)
■応募方法:Eメールで「dokusha@us-lighthouse.com」宛に題名を「布袋寅泰ライブペアチケット応募」として応募ください。当選者の方にはメールに返信する形でご連絡させていただきます。
※応募はお1人様1回限り。アメリカ国内在住の18歳以上の方が対象です。
【ライブ詳細】
■会場:The Troubadour:9081 Santa Monica Blvd., West Hollywood
■公演日:2016/7/13(水)・開場8:00pm
■料金:$30(前売り)、$35(当日)
■チケット:www.troubadour.com
 
(2016年4月16日号掲載)

医学博士・谷川啓二◎がんと闘う免疫をサポートする免疫療法とは

日本人の国民病と言ってさしつかえのない病気、「がん」。2016年4月23日(土)に講演会、「実はわかっていない“がん”の話」をオレンジ・カウンティーで開く、がん免疫療法の権威、谷川啓司医学博士に、がんとは何なのか? どのような治療法があり、どのような気持ちで対峙したらいいのかをうかがいました。

たにがわけいし◎1964年生まれ。専門は消化器外科、腫瘍外科。防衛医科大学校卒業後、東京女子医科大学消化器外科医療練士修了。米ミシガン大学医学部腫瘍外科で免疫細胞療法、遺伝子治療の研究に従事。その後、東京女子医科大学消化器外科で外科医として、また癌免疫細胞療法チームの一員として、癌免疫細胞療法の臨床研究に携わる。2001年、がんの免疫治療を専門とするビオセラクリニックを開院。

がんと戦うのはあくまでも自分の免疫。それをサポートするのが免疫療法なんです。

―がんとは何なのでしょうか?

「がんにかかると死ぬ、だから怖い病気」というイメージがあると思います。でも、がん細胞というのは、もともとは正常の細胞だったものが、遺伝子にちょっとした間違いが起こって、変化した細胞に過ぎないんです。

―「ちょっとした間違い」とは?

人間の細胞は分裂によって増えていきますが、同時にほぼ同じペースで古い細胞が死んでいき、細胞の総数は常にほぼ一定に保たれています。しかし、例えば2週間の寿命を持つ細胞に遺伝子の間違いが起こり、2日で分裂して増えていったらどうなるでしょう。古い細胞が死ぬよりも速いペースで新しい細胞が増え、異常増殖していきます。この異常増殖した細胞の数が100個や1000個なら顕微鏡でないと見えませんが、10万個、1000万個、1億個となっていくと、肉の塊になっていきます。これがポリープ、腫瘍と呼ばれるもので、悪性のものが「がん」と呼ばれます。

―良性腫瘍と悪性腫瘍は何が違うのでしょうか?

悪性腫瘍の最大の特徴は転移できることです。正常細胞は、例えば皮膚の細胞を肝臓や肺、骨に縫い付けても絶対にくっつかない。しかし、悪性腫瘍細胞(がん細胞)の異常増殖以外のもう一つの大きな特徴は、体内の別の器官や臓器内でも生き続けられることなのです。例えば大腸にがん細胞ができると、大腸内で成長しながら、リンパ管や血管にも入っていきます。そうなるとがん細胞が体内をめぐり、別の臓器などに転移してしまうのです。

―それが進行すると、人は命を失ってしまうわけですね。

はい。しかしここで理解すべきなのは、なぜ、人はがんで死ぬのか?ということ。がんは別に、殺人ウイルスのように体内の細胞を攻撃するわけではありません。がんで人が死ぬのは、脳や肝臓、肺、腎臓など、正常に機能しないと生命が維持できなくなる重要な臓器内で腫瘍が大きくなり、その機能を妨げるから。ですから、がんの場所や進行度合いによっては、即、命に関わるわけではなく、不必要に恐れる必要はないのです。例えば手術後に、がんが骨にまで転移して末期と言われても、それで死ぬことはありません。もちろん、そこから別の部位への転移は怖いですが。これを理解しているだけでも、がんに対する恐怖心は変わってくると思います。

―ご自身はがんの「免疫療法」に従事されていますが、免疫療法とは何なのでしょうか?

私たちが持つ60兆個の細胞たちは、同じ遺伝子を持った仲間。それ以外のばい菌やウイルスなど異物が入ってくると、体内の免疫細胞は追い出そうと働きます。これはがん細胞に対しても例外ではなく、免疫細胞はがん細胞を攻撃してやっつけようとします。それでもがんが大きくなってしまうのは、免疫ががんの成長スピードに勝てなかった結果。そうなってしまうと、腫瘍を手術で切り取ったり、放射線で焼いたりして除去する必要が出てきます。

―抗がん剤もありますね。

はい。ただ、よく勘違いされていますが、抗がん剤はがんを殺すのではなく、がんの増殖を遅らせる薬です。がんと戦うのはあくまでも免疫細胞なので、がんの増殖スピードが鈍くなっている間に、攻撃してもらう。もし免疫細胞の攻撃スピードががん細胞の増殖スピードを上回れば、がんは小さくなっていきます。

免疫療法も抗がん剤と同様の効果があるのでしょうか。

いえ、免疫療法とは、がんの増殖を遅らせるのではなく、免疫細胞をサポートしてがんを攻撃する力を高めようというものです。方法はいろいろありますが、一例を挙げましょう。がん細胞はもともと正常な細胞なので、ウイルスのように明らかな外敵に見えない。そのため、免疫細胞が攻撃する対象なのか否か迷ってしまい、攻撃したりしなかったりするのです。結果、一斉攻撃にならない。そこを、がんの情報(ワクチン)を打って「、がんは攻撃すべき対象なんだよ」と教えてあげる。すると、がんを攻撃する免疫細胞が増える…というイメージです。劇的な効果はないまでも、抗がん剤と違って副作用がほとんどなく、手術や放射線治療などと並行して行う価値のある治療法です。

―講演会は2016年4月23日に開催ですね。

とにかく、がんがどういう病気かを知れば恐怖心は減っていきます。医師からの受け身の治療だけでなく、自身の努力で治療効果を上げることができることも、分かりやすくお伝えしたいです。ぜひお越しください。

ベストセラー『がんを告知されたら読む本』も好評発売中

「わかっているつもりでも、実はわかっていない”がん”の話」

●主催:オレンジ郡日系協会
●日時:4/23(土) 4:00pm~5:30pm
●会場:Irvine Yamaha Music Center(4620 Brranca Pkwy.,Irvine)
●申し込み:E-mail:info@ocjaa.org TEL:714-730-3551 ※先着100名で締め切り
 
(2016年4月16日号掲載)

山本千尋 / 女優・太極拳選手

武術太極拳選手として活躍を続けると共に、映画『太秦ライ ムライト』以後、女優としても注目を集める山本千尋さん。世界的アクション女優を目指し、2015年からLAのアクティングスクールで学ぶ山本さんにお話を伺いました。

山本千尋◎1996年8月29日兵庫県神戸市生まれ。武術歴13年。2012年第4回世界ジュニア武術選手権大会で、槍術の金メダル、剣術と長拳の銀メダルを獲得。14年公開の『太秦ライムライト』で映画初出演。15年春公開の『新撰組オブ・ ザ・デット』にもヒロイン役として出演。

―太極拳だけでなく、女優活動を始められたきっかけは?

7歳で太極拳を始め、武術に打ち込んで来たのですが、2012年に世界ジュニア武術選手権大会で優勝したのをきっかけに、「かっこいいね」と褒められたり、注目を集めたりするように。太極拳はマイナーなスポーツなので、それまではなかなか認めてもらえることもなく悔しい思いを
してきたのですが、そんな思いをチームにいる小さい子たちにさせたくない、もっと武術を広めたいと思ったんです。それで武術を広めるために思い付いたのが、「アクション女優になる」ことでした。

―14年に、映画『太秦ライムライト』で女優デビューされました。

映画に出させてもらったのは、武術のおかげでした。演技は全く初めてで、オーディションもすごく緊張してしまったのですが、オーディション後、太秦(うずまさ)の道場で30分ほど殺陣を初めて教わったとき、刀を持つと不思議と安心感があって、そのきだけ緊張せず思うように体を動かせたんです。

―撮影現場はいかがでしたか?

毎日すごく刺激的で、早く撮影にならないかなとワクワクして、自分の場面のない時も撮影現場に行っていたくらいでした。太秦の立ち回りの方々は、「見せる」というプロ意識が高く、そこでリアルで見てもらうことと、映像で見てもらうことの違いを学びました。それからは競技として武術の演舞をするときも、どうしたら目を離さずに見てもらえるだろうと考えるようになりました。

―なぜLAで演技を学ぶことに?

女優活動を始めて映画をたくさん見るようになり、私もハリウッドのアクション映画女優のようになりたいと思うように…。そして、14年に『太秦ライムライト』上映でロサンゼルスに来た時、「ハリウッドに行きたい」という思いがとても強くなったのです。

―渡米されるにあたり、不安はありませんでしたか?

不安はゼロではありませんでしたが、不安より楽しみが勝っていました。渡米前、『太秦ライムライト』でお世話になった方々に挨拶に行ったら、福本さんをはじめ 皆さんが「アクションはやはりアメリカだ。頑張っておいで」と。その言葉が大きな支えになっています。英語があまり分からないまま来てしまったので言葉は苦戦していますが、逆に分からないから毎日新鮮で楽しいです。

―英語力向上のために、どんなことをされていますか?

映画を見ることですね。「あ、この言葉、あの映画で言ってた」みたいなことが学校でも日常会話でもあるんです。映画を見るのがすごく好きだし、英語の勉強にも演技の勉強にもなるので、映画を見るのが一番楽しい勉強法ですね。

―目標にされているハリウッド俳優はいますか?

アンジェリーナ・ジョリーにも憧れていますが、レオナルド・ディカプリオがすごく好きなんです。彼の娘役…、うーん彼女役で共演したいです(笑)。でも一番目標にしているのは、真田広之さんや渡辺謙さん、『太秦ライムライト』主演の福本伸三さんといった、日本を代表して、海外で日本の良さを伝えている方々です。そうした方々のように、私も日本の良さを海外で伝えたいと思っています。

―LAではどんな生活をされていますか?

アクティングスクールに通って演技を学びながら、ジムに行ったり武術のトレーニングをしたり。あとはカフェに行くのもビーチに行くのも大好きです。アメリカはカフェに行っただけでも、店員さんがフレンドリーですよね。つたない英語で通じないこともたくさんあるけれど、楽しく対応してくれます。「できなかった」とマイナスに考えるんじゃなくて、「できなかったけれど、楽しかったな。次も挑戦しよう!」と思わせてくれるのは、アメリカ人の人柄かなと思います。あと、ロサンゼルスに来てビックリしたのは、冬は想像以上に寒いですね(笑)。

―今後の予定は?

1年間の留学の予定ですが、ハリウッドでアクション女優として活躍し、日本の良さを伝えられる女優になるために、しっかり学び考える時間にしたいです。日本人の良さを忘れず、かつアメリカ人の良いところを学びながら、ロサンゼルス生活を満喫したいです。
 
(2016年2月16日号掲載)

アメリカでワーキングホリデー(ワーホリ)のように働く

アメリカ版ワーホリ!?J-1ビザインターンシップ徹底解説

アメリカにもある?!ワーキングホリデー制度

「ワーキングホリデー制度を使って、海外で暮らしてみたい」「英語力を高めたい」「海外で仕事やインターンシップを経験してキャリアに活かしたい」など、さまざまな想いから一度は海外生活をしてみたいと考える方も多いようです。一方、いざ海外移住となると各国の制度やビザについて調べたり、把握が必要な情報がたくさん。このページではまず、多くの方が気になる海外各国のワーキングホリデー制度(通称:ワーホリ)を解説、その後アメリカのインターンシップ制度を紹介します。

海外での“休暇”が目的のワーキングホリデー(ワーホリ)制度

ワーキングホリデー(ワーホリ)制度とは、2カ国間において、青少年を対象に文化や一般的な生活様式を相互に理解する機会を提供することを目的に、それぞれの国で一定期間の休暇を過ごしたり、その間の滞在費を補うための就労を相互に認め合うためのビザ制度。一般的な滞在ビザ(観光・留学・学生・就労など)とは異なり、ワーキングホリデーでは各国現地での休暇を楽しんだり、旅行をしたり、語学学校に通ったり、仕事をしたりなど、滞在中の自由度が比較的高いことが特徴です。
 
日本のワーキングホリデー(ワーホリ)制度は、1980年にオーストラリアとの間で開始されたことに始まり、2023年3月時点ではアメリカを除く27カ国・地域との間で導入されています。ワーキングホリデー制度で滞在可能な期間は国により異なるもののおよそ1~2年間で、ワーキングホリデービザの取得には、日本国籍を有している、日本に在住中、ビザ申請時の年齢が18歳以上30歳以下、渡航・滞在初期に必要な費用を有しているなどの条件があります。また現状、日本からは年間約2万人がワーホリで海外に渡航していると言われています。(「日本ワーキング・ホリデー協会」Webサイトより )

自由度の高いワーキングホリデー制度、でも制限が多いのも現実

ワーキングホリデー(ワーホリ)制度はあくまで“休暇”が目的の制度で、現実的にはワーホリで渡航する先の国や地域によって就学(語学学校への通学)や就労に制限もあり、「もっと勉強したい・もっと働きたい」と思っても、現実的には難しい場合も。例えばオーストラリアのワーキングホリデーの場合、通学は4カ月まで、アルバイトは1カ所で最長6カ月までなどの制限があり、ワーキングホリデー中の仕事はレストランやカフェ・スーパー・ホテル・病院の受付などアルバイトに近い仕事が多いのが現実です。

日本人がワーキングホリデーで滞在可能な国は限られる

ワーキングホリデーは海外インターンシップとは違い、滞在中に就労経験を積んで日本帰国後のキャリアアップにつなげたり、海外でビジネス経験を積むことが直接の目的の制度ではないため、ワーキングホリデーから帰国後の就職・転職活動に活かしたい方には、少し不安な面も。
 
また、ワーキングホリデー制度はあらかじめ2国間での取り決め等が必要で、日本人がワーキングホリデーで滞在可能な国(協定国)は限られます。海外旅行や留学で人気上位のアメリカ、中国、あるいはタイなどの東南アジアの国々は、日本との間でワーキングホリデー制度がなく、ワーホリの渡航先対象ではありません。

ワーキングホリデー可能な英語圏は4カ国、日本からアメリカには行けない

ワーキングホリデー制度での渡航先(2023年3月現在の協定国は27カ国)と2017年のワーキングホリデービザ発給件数(渡航人数)は表の通りです。
 
表からも分かる通り、英語圏で日本からワーキングホリデー可能な国は、イギリス・オーストラリア・ニュージーランド・カナダの4カ国のみ。英語の本場・アメリカには日本からワーキングホリデーで渡航できないのが現状です。

2023年3月現在のワーキングホリデー協定国と2017年のビザ発給数一覧

制度開始年 年間ビザ発給枠 2017年ワーキングホリデービザ発給数
オーストラリア 1980 1,182
ニュージーランド 1985 249
カナダ 1986 6,500 493
韓国 1999 10,000 5,101
フランス 2000 1,500 1,269
ドイツ 2000 694
英国(イギリス) 2001 1,000 920
アイルランド 2007 400 65
デンマーク 2007 187
台湾 2009 5,000 4,158
香港 2010 1,500 690
ノルウェー 2013 45
ポルトガル 2015 16
ポーランド 2015 500 100
スロバキア 2016 400 22
オーストリア 2016 200 49
ハンガリー 2017 200 23
スペイン 2017 500 144
アルゼンチン 2017 200 45
チリ 2018 200
アイスランド 2018 30
チェコ 2018 400
リトアニア 2019 100
スウェーデン 2020
エストニア 2020
オランダ 2020 200
ウルグアイ 2023 100
※日本外務省、各国外務省の公表数字をもとに、独自に集計

ワーホリの行き先で人気は韓国・台湾、英語圏ではオーストラリアや英国

ワーキングホリデー(ワーホリ)の行き先で人気の国は韓国や台湾で、毎年およそ4,000人~5,000人が韓国・台湾にワーキングホリデーで滞在しています。一方、英語圏の国の中ではオーストラリアや英国(イギリス)でのワーホリが人気の行き先で、それぞれ約1,000人が毎年渡航しています。

英語圏(イギリス・オーストラリア・ニュージーランド・カナダ)のワーキングホリデー制度

英語圏でワーキングホリデーが可能な、イギリス・オーストラリア・ニュージーランド・カナダ各国の特徴は以下の通りです。

  • オーストラリア:ワーキングホリデー制度での渡航先として最も人気のある国の1つ。ワーホリビザの年間発給数に制限はなく、渡航先として人気のあるオーストラリアの都市にはシドニー、メルボルン、ゴールドコースト、ケアンズ、パースなどがあります。オーストラリアのワーホリは原則、期間が1年間ですが、農作業などに従事すると2年間に延長することも可能(さらに条件を満たせば、最大3年まで滞在できます)。
  •  

  • ニュージーランド:ワーキングホリデービザの年間発給数の制限がなく、年間を通していつでも申請できる点が人気。2005年末からはオンラインでワーホリの申請ができるようになったほか、日本国外からの申請も可能になりました。ニュージーランドの特徴としては、物価がオーストラリアより安く暮らしやすいほか、ウインタースポーツが盛んなことなどが挙げられます。
  •  

  • イギリス:正確に言うと、イギリスと日本の間ではワーキングホリデー制度ではなく、就労ビザのユース・モビリティ・スキーム(YMS)制度(ワーキングホリデーの代わりとして2008年に導入されたシステムで、「働くこと」を目的とした滞在制度)が導入されています。就労を目的として入国する必要がありますが、就学や観光をするかは自由。ビザの発給数は年間1000人までの制限があり、発給対象者は受付順ではなく毎年1月に行われる抽選で選ばれます。なお、この制度によるイギリスへの滞在可能期間は2年間です。
  •  

  • カナダ:カナダのワーキングホリデービザは年間の定員が6,500名で、先着応募順にビザが発給されます。2014年度から完全オンライン申請に移行し、海外からもワーホリの申請が可能になりました。
  •  

    ※それぞれの国や地域でのワーキングホリデー滞在の条件や詳細は各国大使館のホームページ等でご確認下さい。

    アメリカ英語と、ワーホリ可能なイギリス・オーストラリア・ニュージーランド・カナダ各国英語の違い

    日本の学校教育では主にアメリカ英語が使用されており、その意味で日本人に馴染みが深いのはアメリカ英語と言えそうです。一方、ワーホリの行き先で人気のイギリスで話される英語は「イギリス英語」(British English)で、アメリカ英語とは区別されます。同じ英語ですが発音や文字のつづりなどに違いがあるためで、よく知られているのが「can’t」をアメリカでは「キャント」と発音するところ、イギリスでは「カント」に近い発音になったり、アメリカでは「Color」(色)とつづるところ、イギリスでは「Colour」とつづる、などです。
     
    同じくワーキングホリデーで渡航可能な英語圏の国であるオーストラリア・ニュージーランドの英語は、歴史的な背景からアメリカ英語よりもイギリス英語に近い特徴。また、カナダ英語はアメリカ英語とイギリス英語の中間、双方の特徴が混ざった英語と言われています。これら英語の違いを比較した上で、アメリカでのインターンシップとするか、英語圏でのワーホリとするかを検討することも重要です。

    アメリカはワーキングホリデー制度がない…でも「J-1ビザインターンシップ」が!

    インターンシップ

    「アメリカで生活したい。ワーキングホリデーが無いなら留学しかないか…」「ワーホリみたいにお金を稼ぎながら、短期間、アメリカで生活する方法はないのか」などの声を耳にしますが、実はアメリカにもワーキングホリデーと似た期間限定で就労・生活できる制度があります。
     
    それがアメリカ国務省が認可するJ-1ビザインターンシップ」という国際交流プログラム。あまり広く知られていませんがワーホリと似た有給インターンシップ制度。このJ-1ビザを取得すると、アメリカ現地の企業でインターンシップをして、給料を得ながらアメリカ生活を体験できます!

    ワーキングホリデーと同様の期間(18カ月間)、現地生活を体験できる

    アメリカのJ-1ビザを取得するインターンシップの滞在期間はワーキングホリデーとほぼ同様、最長18カ月間(在学中の学生の場合は最長12カ月)。1年半の期間、アメリカに滞在して現地での生活を体験できます。ワーキングホリデーの場合、カナダは1年、ニュージーランドの場合は1年と3カ月間などアメリカのインターンシップと比較して滞在期間が短い場合や、オーストラリアでは同一雇用主のもとでの就労は最長6カ月などの制限がある点がデメリット。

    アメリカ現地の企業とあらかじめ面接・内定を得てからビザを申請できる

    また英語圏の各国でのワーキングホリデーとアメリカでの有給インターンシップの違いが、事前に現地企業の内定を得てからビザ申請をする点。ワーキングホリデーの場合は現地に到着してから仕事を探すのが一般的で、仕事が見つからなければ収入が無く生活費用の負担が重くなる点がデメリット。
     
    比較して、アメリカのJ-1ビザは申請前に「インターンシップ受け入れ企業が決定していること」が条件で、あらかじめ現地企業との面接が必要です。アメリカのJ-1ビザ・エージェントに相談、インターンシップ募集中の企業を紹介してもらったり、ビザ申請をサポートしてもらうことも可能です。

    仕事内容によっては日本帰国後のキャリアアップに成功できる

    このビザ申請や海外生活を始める前に就労先が決まる点がアメリカでのインターンシップとワーキングホリデーの大きな違いの1つ。接客業でのアルバイトや、農作業に従事する場合が多いワーキングホリデーと比較して、アメリカのインターンシップでは事前に自分が希望する職種や業界の会社を選ぶことができたり、仕事内容によってはアメリカで英語を使ってビジネススキルを高めることもでき、日本帰国後のキャリアアップに成功しやすい点も特徴です。

    年齢制限がワーキングホリデーと比較して緩い点も特徴

    ワーキングホリデービザの発給が原則として18歳以上30歳以下が対象(オーストラリア、カナダの場合は原則18歳以上25歳以下)などの年齢制限があるのと比較して、アメリカのインターンシップではそういった年齢制限が無い点も特徴。ただし、アメリカのインターンシップ制度は現地企業での研修・就業体験が目的のため、40歳程度までが申請可能な年齢の目安です。

    インターンシップで仕事をしつつアメリカの学校で語学を学ぶことも可能

    一方、ワーキングホリデーの場合は語学学校に通いながらアルバイトのように仕事をするなど、語学向上と仕事体験の両方を同時並行できるのが特徴。比較してアメリカのインターンシップの場合は原則としてフルタイム(1日8時間程度)の就業となる点に注意が必要。もちろん、その分だけ給料が多く生活費用の負担が軽かったり、仕事中に本場のアメリカ英語を学べるほか、夜だけ語学学校に通うことも可能です。

    アメリカのJ-1ビザは申請費用が、ワーホリの場合は語学学校費用が必要

    アメリカでのインターンシップの場合、J-1ビザの申請・取得が必要ですがこれに費用がかかります。一方、ワーキングホリデー(ワーホリ)で語学学校に通学する場合は入学金や授業料などの費用が必要。またアメリカ企業で働くインターンシップと比較して、ワーキングホリデーの場合は仕事は見つからなかったり、給料が安い場合も。その場合、現地での生活費用の負担が重くなります。
     
    アメリカでのインターンシップ、ワーキングホリデーのいずれの場合でも、ビザ申請費用や渡航直後の生活費用などの準備費用として100万円~200万円が必要と考えておくと良さそうです。
     
    以上、英語圏各国を中心としたワーキングホリデー(ワーホリ)制度の紹介と、アメリカでの有給インターンシップを比較しました。
     
    アメリカで働くには必ず合法的に就労できるビザが必要ですが、就労ビザの取得はかなり難しいのが現状。比較してアメリカのJ-1ビザは、ワーキングホリデーと同様に取得しやすいビザと言われており、アメリカでのインターンシップではビジネススキルを向上させて将来のキャリアに活かせるため、英語圏でのワーキングホリデー(ワーホリ)を検討中の方にはおすすめの選択肢の1つ。
     
    アメリカ版ワーキングホリデーとも言える「J-1ビザインターンシップ」プログラム。詳細や2024年の最新情報は次の記事「アメリカ版ワーホリ!J-1ビザインターンシップ」で紹介します。

     

アメリカ版ワーホリ!J-1ビザインターンシップとは【2025年最新】

アメリカ・J-1ビザインターンシップ

ワーホリほど有名でないものの、アメリカには現地生活や働く体験ができる有給インターンシップ制度「J-1ビザ・インターンシッププログラム」があります。アメリカは就労ビザの取得が難しい一方、J-1ビザは比較的短期間で取得可能で、アメリカの会社で働く・アメリカで生活する経験や、海外インターンシップを体験したい日本の方におすすめの制度です。
 
このページでは、アメリカのインターンシップ制度やJ-1ビザの申請・取得方法、求人内容について解説します。

 

アメリカのJ-1ビザインターンシップ~ワーホリのように働きながら海外生活

パスポート

有給・無給にかかわらずアメリカで働く・インターンシップをするにはビザの申請が必要

インターンシップや就職など「アメリカの会社で働きたい」と思ったら合法的に働くためのビザが必要ですが、就労ビザの取得は難しいのが現状。一般的な就労ビザ・Hビザは抽選に通過する必要がある上、申請にはアメリカ企業のサポートも必要で、現地企業に知人・友人がいない場合はハードルが高いビザです。同じように就労可能なビザの種類に永住権(グリーンカード)もありますが、これも短期の取得は困難。
 
こうした中、アメリカで働きたい、生活したい方におすすめがJ-1ビザ・インターンシッププログラム。アメリカのJ-1ビザは他のビザと比較して短期間で取得可能な点が特徴で、取得すればワーキングホリデー(ワーホリ)のように海外で働くことができ、有給インターンシップでアメリカの会社から給料を得ながら生活できる制度です。
 
オーストラリアやニュージーランドなどのワーホリのように比較的簡単に海外現地での生活を体験できる制度ですが、最大の違いは「休暇」が主目的のワーホリに対し、アメリカのJ-1ビザは「仕事・インターンシップ」が主目的のプログラムの点。J-1ビザインターンシップとは、ワーホリのように海外・アメリカ生活を体験できる上、仕事・インターンシップを主な滞在目的としてビジネス経験を積めるプログラム、とも言えます。

アメリカでの短期・無給インターンシップとの違い

夏休みなどの期間にアメリカで2週間~3ヶ月程度の短期インターンシップを募集するプログラムもありますが、あくまで観光の延長の職場体験。就労ビザが不要で日本から参加しやすいプログラムが多い一方、多くの短期インターンシップが無給で、アメリカ滞在中の現地生活費用は自分で賄う必要があります。
 
また短期間の場合、アメリカ企業にとってはアルバイト程度の位置づけで、仕事を覚えた頃にはインターンシップが終了してしまう場合もあり、履歴書に書けるような仕事経験は難しいもの。アメリカ企業からの給料で現地の生活費用を賄いながら、履歴書に書ける職務経験を積むにはJ-1ビザの有給インターンシッププログラムへの参加がおすすめで、短期・無給インターンシップとは大きな違いがあります。

 

アメリカのインターンシップ(J-1ビザ)制度の目的や条件・取得方法

アメリカのJ-1ビザインターンシップ制度ロゴ

アメリカのJビザとは、アメリカ大使館のホームページでは「交流訪問者プログラムのJビザは、教育、芸術、科学の分野における人材、知識、技術の交流を促進するためのビザ」と定義されています。
 
また、アメリカでの有給インターンシップを目的としたJ-1ビザの申請・取得には、主に下記の4つの条件を満たす必要があります。

  • J-1ビザ・インターンシップの受け入れ先企業が決まっている
  • アメリカへの渡航に必要な費用を有している
  • J-1ビザのインターンシッププログラムへの参加に必要な英語力を有している
  • 18歳以上である

※出典:アメリカ国務省のJ-1ビザ公式サイト

社会人経験がある場合は「トレーニー」、専門学校・短期大学・大学、大学院に在学中の場合は「インターン」と呼ばれるJ-1ビザのプログラムに参加できますが、トレーニーの場合は1年以上の職務経歴(最終学歴が高校卒業だと5年以上の職務経歴)がプログラム参加の条件。インターンシップビザ(J-1)は他のアメリカのビザと比較して取得しやすく、アメリカ企業で働く、生活する経験をしたい方におすすめで、インターンシップ中のアメリカ滞在可能期間が1年半(18カ月)と、ワーホリと同程度かやや長期の点も魅力です。

アメリカでのインターンシップに必要なJ-1ビザ(交流訪問者ビザ)とは

J-1ビザとは交換交流プログラムの一環でアメリカに渡米する人用のビザ。

  • J-1ビザの有効期限:18カ月(トレーニー)、12カ月(インターン)
  • 更新の可否:不可
  • J-1ビザの取得にかかる期間:2~3カ月
  • 取得に必要な費用(概算):5,500~7,000ドル(トレーニー)、5,000~6,000ドル(インターン)
  • 配偶者の扱い:「J-2」
  • 配偶者の労働可否:不可
  • 日本人がよく使う研修(インターンシップ)分野:会計事務所、法律事務所、保険会社、メーカー、商社、出版、メディア、不動産、旅行、ホテル、コンサルティング、IT、飲食、流通、Eコマース(ウェブマーケティング)
  • 研修(インターンシップ)禁止分野:美容関連の施術師(美容師、ネイリスト、マッサージ師)、学校教師(別カテゴリーでは申請可)、人材紹介会社、患者と関わる医療関連機関

 

J-1ビザ概要~インターンシッププログラム参加・申請資格や年齢の目安

アメリカのJ-1ビザは交換交流プログラム用のビザで14のカテゴリーがあります。そのうち、日本人の申請で多いのが「トレーニー」と「インターン」で、共にアメリカでの研修・トレーニング(インターンシップ)のためのカテゴリー。このビザは就労ビザではないため、移民局ではなくアメリカ国務省が管轄し、またJ-1ビザのスポンサーは研修・インターンシップ先企業ではなく国務省が認可したNPO団体で、J-1ビザ保持者はその団体から派遣先企業での研修・インターンシップが許可されます。
 
トレーニーのプログラムへの参加申請資格は、アメリカ国外での社会経験が短大・大学卒以上の人は1年以上、高校卒の人は5年以上。また年齢制限はないものの、J-1ビザは研修・インターンシップ用ビザのため40歳程度までが年齢の目安。有効期限は18カ月。研修(インターンシップ)分野がホテル、旅行、飲食などのホスピタリティー関連業種の場合は12カ月です。
 
一方、インターンの申請資格はアメリカ国外の現役短大・大学生、あるいは短大・大学新卒1年目の社会経験がない30歳までの人物が対象で、J-1ビザの有効期限は業種に関係なく12カ月です。

アメリカのJ-1ビザ申請関連の2025年最新情報

アメリカ国旗

J-1ビザの申請・取得のサポートサービスを提供するエージェント会社、InfinityWIZ社長の安斎佳美さんによると、2017年にアメリカ国務省が主に飲食店のサーバーやハウスキーピング、販売員などのリテール、ホスピタリティー関連など、「Casual Labor」(アルバイト的職務)や「Unskilled Labor」(技術不要の職務)にはJ-1ビザを発給しないとのガイドラインを発表し、2025年も同様の傾向とのこと。上記のような業界や職務、また少人数企業でのインターンシップの場合、J-1ビザ保持者が労働力になる可能性が否めないとして、ビザ申請審査が比較的厳しい状況です。
 
さらにアメリカ国務省は認可団体ごとに年間の申請枠を設け、年間の総発給数を制限しているため、年明けから申請枠が順次埋まり、年の後半ほどJ-1ビザを申請しにくい傾向です。一方、2020年に一部停止されたJ-1ビザの申請は2021年より再開され、J-1ビザの申請・取得は元の状態に戻りつつあります。
 
安斎さんは、「アメリカのJ-1ビザ申請が再開された2022年以降はコロナ禍前の状況に戻ってきました。またバイデン政権下で移民政策が緩和され、以前と比較してJ-1ビザを取得してインターンシップをしやすい状況です。過去にアメリカのJ-1ビザ申請が難しいと判断された場合でも、現在の状況下では取得できる可能性もあります。日本からアメリカに入国・インターンシップのプログラムに参加するには、研修(インターンシップ)先企業を探す時間を含め、渡米希望時期の半年前から準備を始めるのがおすすめ。早めに最新状況を確認しましょう」としています。

(取材協力:安斎佳美さん・InfinityWIZ, Inc|J-1ビザとは

 

J-1ビザの長期インターンシップは知る人ぞ知るアメリカで働く方法

海外の英語圏の国で、働く経験をしたい」などの理由でオーストラリアやイギリス、カナダへのワーホリ渡航は多い一方、アメリカのJ-1ビザを取得して長期インターンシップを目的に渡米する人や、そのような長期の有給インターンシップ方法を知る人は少ない様子。J-1ビザ有給インターンシップの認知度が低いためか、本当はアメリカで働きたいのに「アメリカにワーホリが無い…」と諦め、他の国を選ぶ人も多いようです。
 
それでもJ-1ビザの長期インターンシップで年間約1,000人以上(アメリカ国務省J-1ビザ公式サイトのデータ等から推定)が毎年アメリカに滞在、知ってる人は上手く利用しているインターンシッププログラムなのです。

アメリカは日本人にとって生活しやすい点もおすすめ

「英語を使って仕事をしながら、海外生活を経験したい」場合はぜひ情報収集をして、アメリカのJ-1ビザのインターンシッププログラムと他の海外ワーホリ制度の比較、検討がおすすめ。何と言っても日本人の海外移住先で最も多いのがアメリカで、アメリカ全体で40万人以上の日本人が在住(2021年「外務省海外在留邦人数調査統計」より)。他の海外の国より日本人に生活しやすい国の点もインターンシップのおすすめ理由の1つです。

アメリカの留学・学生ビザの場合は仕事ができない点に注意

ちなみにアメリカに住むだけならばJ-1ビザインターンシップでなく、日本からアメリカへの留学でも可能。ただしアメリカの留学・学生ビザで滞在中の留学生の場合、原則として会社で働くことや、給料の受け取りが禁止されている点に注意が必要。留学中の学生はアメリカで仕事ができないため、長期で仕事をしたい場合はJ-1ビザを申請、インターンシッププログラムへの参加がおすすめなのです。

日本帰国後の就職・転職にも役立つアメリカでの仕事経験

インターンシップ

アメリカでのインターンシッププログラムへの参加をおすすめするもう1つの理由が、日本帰国後の就職・転職で経験が役立つ点。J-1ビザの申請・取得は、アメリカの会社で働く(インターンシップをする)ことが前提のため、必ず現地企業で仕事体験やビジネス経験を積めます
 
一般に海外ワーホリではレストランやホテルでの接客、美容院、病院での受付・事務の仕事が多いのに対し、J-1ビザインターンシップはオフィスでの仕事や専門職種の求人募集も多く、パソコン・ITスキルやアメリカでのビジネスマナーに加え、ビジネスに必要な英語でのコミュニケーション力やITリテラシーなども身に付きます。特に海外企業で就職経験を積みたい方におすすめが、アメリカのJ-1ビザ・インターンシッププログラムです。
 
短期アルバイトと異なり、18ヶ月間、インターン生としてアメリカ現地企業で勤務し、英語力上達や将来のキャリアアップに役立ち、日本帰国後の就職活動でも1つの企業勤務経験として活用できる点が参加メリットです。

J-1ビザによる有給インターンシップの求人情報例

気になる、「アメリカのインターンシップでどんな仕事に就けるのか?」ですが、有給インターンシップ求人募集情報をいくつかご紹介。これら以外の求人募集も多数あり、最新の求人情報はJ-1ビザ申請のサポートサービスを提供するエージェント会社への確認・相談がおすすめです。希望に合う求人募集が見つかれば、エージェント会社経由で応募、アメリカ現地企業と面接・インタビューを行い、インターンシップの内定が出ればJ-1ビザの申請・取得に進めます。

求人例)アメリカ・ロサンゼルスのホテルでの有給インターンシップ

滞在都市 ロサンゼルス(アメリカ・カリフォルニア州)
求人内容・募集職種 ホテルスタッフ
インターンシップ・仕事内容 ホテル宿泊客やお客様の問い合わせ対応(日本語・英語)・ホテル会議室の予約管理やセットアップ・ホテル主催のイベントやプロモーションの企画運営アシスタント・ホテルフロント業務補助(必要な場合)

求人例)英語力が身に付くカスタマーサポート業務の有給インターンシップ

滞在都市 ロサンゼルス(アメリカ・カリフォルニア州)
求人内容・募集職種 カスタマーサービス
インターンシップ・仕事内容 お客様の要望や問題、質問内容を正確に把握し、内容に応じて適切な対応を行うカスタマーサポートの仕事。問い合わせ内容の現地企業等への確認はすべて英語で、ビジネスレベルの英語力が身に付きます。

求人例)アメリカで研修プログラムを企画・運営する企業での有給インターンシップ

滞在都市 ロサンゼルス(アメリカ・カリフォルニア州)
求人内容・募集職種 研修コーディネーター
インターンシップ・仕事内容 日本からの大学生、専門学校生向けの教育研修の企画、手配、運営のコーディネート業務を行うインターンシップ。毎年1,000人以上の学生を日本から受け入れるアメリカの日系企業で、研修プログラムの企画から宿泊先・滞在先の手配まで研修生を幅広くサポートする仕事です。
給料・勤務時間 時給$11~/実働週40時間(月曜~金曜、土日休み)

求人例)アメリカ・オハイオ州の大手家電メーカーでの物流事務の有給インターンシップ

滞在都市 コロンバス(アメリカ・オハイオ州)
求人内容・募集職種 物流事務
インターンシップ・仕事内容 家電製品を取り扱う東証一部上場日系企業の北米サービス子会社で、アメリカでの販売製品について返品受付業務の事務作業に従事するインターンシップ。興味がある場合、返品・修理ラインの生産性改善や倉庫内改善なども担当、アメリカで物流業務の知識やスキル向上も可能なプログラム。
給料・勤務時間 時給$13~/実働週40時間(月曜~金曜、土日休み)

求人例)アメリカの物流企業での有給インターンシップ

滞在都市 ロサンゼルス(アメリカ・カリフォルニア州)
求人内容・募集職種 経理アシスタント
インターンシップ・仕事内容 インボイス(請求書)の発行補助や、顧客向けのレポート作成、入金管理等、経理アシスタントの仕事。日本本社があり、広く海外に展開するグローバル・ロジスティックス企業のアメリカ現地法人でのインターンシップ募集です。
給料・勤務時間 時給$11~/実働週40時間(月曜~金曜、土日休み)

求人例)ニューヨークの日系IT企業での有給インターン(エンジニア)

滞在都市 ニューヨーク(アメリカ・ニューヨーク州)
求人内容・募集職種 ITエンジニア・営業
インターンシップ・仕事内容 アメリカ・ニューヨークにある日系IT企業でのインターンシップ。エンジニア業務(PCサポート、ネットワークサポート、サーバーエンジニア)のほか、システム開発・プログラミングを担当するプログラマー業務、顧客にITサービスを提案・提供する営業職など(取引先は日本企業とアメリカ企業が半々)。
給料・勤務時間 時給$11~/実働週40時間(月曜~金曜、土日休み)

求人例)ハワイのウェディングフォト会社オフィスでのインターン

滞在都市 ホノルル(アメリカ・ハワイ州)
求人内容・募集職種 オペレーションアシスタント
インターンシップ・仕事内容 ハワイのウェディングフォト会社のオフィススタッフとしての事務・総務業務(スケジュール管理やお客さまとのメール・電話対応)のほか、撮影の立ち合いやアシスタント業務。日本人のお客さまとのやり取り以外はすべて英語での仕事・インターンです。

求人例)グアムの観光・旅行会社でのオプショナルツアースタッフ

滞在都市 グアム
求人内容・募集職種 オプショナルツアースタッフ
インターンシップ・仕事内容 グアムでオプショナルツアーを実施する観光・旅行会社のスタッフとして、オプショナルツアーへの同行や、オフィスでの事務・販促業務などを経験できるインターンシップ。旅行業界または旅行関連業務経験が5年以上ある方が募集条件のインターンシップ求人です。

 

アメリカのインターンシップに必要なビザの申請方法・流れと期間

インターンシップ先の企業を探し、受け入れの承諾・内定を得てから、インターンシップ滞在に必要なアメリカ・J-1ビザを申請する方法や流れを紹介します。最短期間3ヶ月で渡米される方もいますが、平均で6ヶ月程度の期間がアメリカへの渡航、インターン開始までに必要です。
 
以下、実際にアメリカのJ-1ビザを取得し、インターンシップに参加するまでの流れに沿って必要な書類や期間などを解説します。

インターンシップ企業探し・採用内定(期間1~2ヶ月)

アメリカのJ-1ビザインターンシップに参加するには、まず受け入れ・採用してくれる企業の求人募集を探すことが必要。インターンシップとは言え、有給インターンシップとなると複数回の面接・インタビューが必要で、内定が出ればJ-1ビザ申請に進めますが、それまでに1~2ヶ月程度の期間が必要です。

インターンシップ募集企業が見つからない場合はJ-1ビザ専門エージェントの紹介サービスを利用

「アメリカでのインターンシップ先企業を探す方法が分からない」や「インターンシップの求人を探したが良い会社が見つからない」場合、無料相談・問い合わせが可能なJ-1ビザ取得専門エージェントのサービスを利用、募集会社を紹介してもらう方法がおすすめ。会社ホームページでは公開されていないインターンシップ求人募集情報なども紹介、J-1ビザの申請・取得から渡米までをサポートしてくれるサービスがあります。

J-1ビザ申請に必要な書類の収集・作成(期間1ヶ月程度)

アメリカのJ-1ビザ申請で、まず必要なのがJ-1ビザ・インターンシッププログラムへの参加を許認可するスポンサー団体へのDS2019(滞在許可証)発行の申請。このスポンサー団体への提出資料や、アメリカ大使館でのJ-1ビザ面接に必要な資料(パスポートコピーや英文履歴書、英語での最終学歴卒業証明書、証明写真など)の収集・作成も必要です。自分の卒業した大学や高校への証明書の請求などで、1ヶ月程度の準備期間がかかります。

面接予約(1~3ヶ月先)・アメリカ大使館または領事館でのインタビュー(当日に合否判明)

申請書類が揃うと、スポンサー団体や日本国内のアメリカ大使館または領事館での面接・インタビュー(原則、英語)ですが、アメリカ大使館の面接は混み合う時期の場合は面接の予約が取りづらいことも。なおアメリカ大使館での面接・審査結果はインタビュー当日に判明し、合格するとJ-1ビザを取得でき、アメリカ渡航・インターンシップの準備を開始できます。
※J-1ビザ取得専門会社のサービスを利用すると、英語での模擬面接など必要な面接対策のサポートも受けられます。

J-1ビザ発行(大使館面接後2~3週間で郵送)・渡米・インターンシップ開始

大使館面接に合格後、数週間以内にJ-1ビザの貼付されたパスポートが返却・郵送されます。同時に海外保険・航空券の手配や引っ越し準備など、アメリカへの渡航準備を始めます。日本からの渡米時期は渡航後に生活環境を整える必要もあり、インターンシップ受け入れ先企業と約束した就業開始日の1週間前までのアメリカ入国がベスト。晴れて、海外・アメリカ生活のスタートです!

アメリカのJ-1ビザ取得・インターンシップに必要な費用・料金と内容

専門のエージェントサービスを利用してJ-1ビザを取得、アメリカでの有給インターンシップに参加する場合の費用や料金は、平均で18ヶ月参加のトレーニーの場合が5,000~6,000ドル(日本円で70万円~85万円)、12ヶ月参加のインターンの場合が4,000~5,000ドル(日本円で55万円~70万円)。内容を確認すると、アメリカのJ-1ビザスポンサー団体への申請費用が最も高く、自分で申請する場合も3,000ドル前後(日本円で約40万円)の費用が必要です。

各費用の内容 料金
J-1ビザスポンサー団体へ支払うDS2019申請費用 12ヶ月$2,800~$3,700、 18ヶ月$3,100~$4,200
※申請費用はスポンサー団体により違うため、上記料金は目安
SEVIS登録費用 $220
アメリカ大使館へ支払う申請料金 $160
J-1ビザの専門エージェントに支払う費用
※以下のようなサービスが料金に含まれます。
-DS7002(インターンシップ参加中の研修プラン)作成代行
-DS2019(スポンサー団体が発行するインターンシップ滞在の許可証)申請書類の作成代行
-スポンサー団体との英語インタビュー対策・練習
-アメリカ大使館でのJ-1ビザ申請面接の対策・練習 など
$1,500~$2,000
インターンシップ開始までの合計費用 滞在期間12ヶ月の場合:$5,000~$6,000
滞在期間18ヶ月の場合:$5,500~$7,000

エージェントサービスを利用する場合は15万円~20万円の追加費用が必要ですが、慣れない英語のJ-1ビザ申請資料を完成させるのは至難の業。さらに、ぶっつけ本番のアメリカ大使館面接でJ-1ビザの取得に失敗するのと比較すれば、面接ノウハウや対策を提供してくれるサポートサービスは貴重とも言えます。
 
また、アメリカでのインターンシップのプログラム参加前に十分な経済力を証明するため50万円~100万円の銀行預金残高があることが望ましいとのこと。ただし、アメリカでのインターンシップ開始後は毎月2,500ドル(日本円で約35万円)程度の給料があり、アメリカでの生活費用はこの給料で賄うインターン生が多いようです。

アメリカでのインターンシップ開始後の給料や滞在期間中の現地生活費用

アメリカのJ-1ビザを取得してインターンシップで滞在する場合の、毎月の給料や滞在期間中に必要な現地生活費用の概要は以下の通りです(アメリカ・ロサンゼルスの場合)。インターンシップのプログラム開始後は給料で生活費用を賄うことも可能です。

J-1ビザ・インターンシップの平均的な給料(手取り) $2,300
給料(額面) $2,600
税金支払い(所得税など) $300
アメリカ・ロサンゼルス滞在中の生活費用 $2,150
家賃費用(シェアハウスなどを利用、光熱費・インターネット費用込み) $900
食費(外食は控える前提) $500
通信費用(携帯電話・スマホ料金) $50
自動車のガソリン代 $100
自動車のリース代(必要な場合) $400
娯楽費用 $200

アメリカのJ-1ビザ・インターンシップについてのよくある質問

以上、アメリカのJ-1ビザの概要からインターンシップのプログラムに参加するまでの流れや費用を紹介しました。最後にこのページのまとめとして、アメリカでのインターンシップやJ-1ビザの申請・取得についてよくいただく質問に回答します。

(取材協力:安斎佳美さん・InfinityWIZ, Inc)

アメリカのインターンシップ参加者はどういう人?

J-1ビザを取得し、アメリカで長期のインターンシップに参加される方は26歳~30歳の方が多く、次いで20歳代前半、30歳代前半の方。またインターン参加者の日本での経験職種は営業職・事務職が多く、またTOEICスコア600以上をお持ちの方が半数程度を占めています。

アメリカのインターンシップ(J-1)ビザ取得手続きは難しい?

アメリカのインターンシップ(J-1)ビザを取得するには、インターン先の受け入れ企業を探したり、スポンサー団体への申請書類の作成や、アメリカ大使館へのビザ申請書類の作成・面接など、ステップが多く難しいと感じられる方も多くいますが、申請手続きの流れに沿って準備を進めれば十分取得可能です。

2025年のアメリカのJ-1ビザ取得の傾向は?

2021年よりアメリカのJ-1ビザ申請が再開され、またバイデン政権下での移民政策の緩和もあり、以前と比較してJ-1ビザを取得してインターンシップをしやすい状況で過去にアメリカのJ-1ビザ申請が難しいと判断された場合でも取得できる可能性も。2024年にJ-1ビザを申請、2025年にアメリカへ渡航済みの方もおり、日本からアメリカに入国・インターンシップのプログラムに参加するには、研修(インターンシップ)先企業を見つける時間を含め、渡米希望時期の半年前から準備を始めるため、早めに最新状況の確認がおすすめです。

※アメリカの有給インターンシップやJ-1ビザの申請書類作成・大使館面接についてサポートを希望される方は、ぜひ無料相談をご利用ください!

アメリカ・J-1ビザインターンシップとワーキングホリデーの違い

アメリカ版ワーホリ!?J-1ビザインターンシップ徹底解説

ここまでのページで、アメリカのインターンシップ制度ではキャリアを積みながら海外生活を体験できる、ワーキングホリデー制度では休暇を主目的に海外で生活する、という点がそれぞれの特徴と紹介しました。でも実際に気になるのは、それぞれ費用がどのくらいかかるのか、ですよね。各国の制度の違いや生活費の違いを比較してみました。

インターンシップとワーキングホリデー、海外現地でどんな暮らし?費用は?

前提として「ワーキングホリデー」はあくまで“休暇”を目的とした制度。勉強したり旅をしたり、働いたりと好きなことを自由にできる反面、例えば、滞在期間は最長12カ月、仕事・アルバイトは1カ所につき最長6カ月など、国ごとに滞在や就労の期間が異なります。「ワーキングホリデー中の仕事は現地に行ってから見つける必要があり、あまりじっくり選べず、望んだ環境で働けなかった…」「海外現地での生活費が意外とかかり、バイト漬けになってしまった…」など、事前の計画通りに海外現地での生活を送れないこともあるようです。
 
一方、アメリカのJ-1ビザ・インターンシップは “ビジネス・仕事経験を積む”ことが目的。最長18カ月間(学生向けJ-1ビザの場合は最長12カ月間)、アメリカでの滞在が認められている上、就業先や仕事内容も日本で決定してから渡米するため、アメリカ到着後、すぐに働くことができます。滞在先の州や企業、仕事内容にもよりますが、月額給与は15万~20万円程度が見込めます。安定した収入を確保できることと、それを生活費として使うことができる点がアメリカでのインターンシップの大きなメリット。
 
アメリカでのインターンシップというとかなり費用がかかると思いきや、これを聞いて、事前に必要な準備資金が意外と手の届く範囲と気づく人もいるのでは?実際に「もっと早くアメリカに決めればよかった」と声を漏らす人も。とはいえ、実際に気になるのは費用がどのくらいかかるかですよね。そこで、ワーキングホリデーで渡航可能な各国制度とアメリカのJ-1ビザインターンシップの違いや、生活費の違いを比較してみました。

 

アメリカ・インターンシップとワーキングホリデー、有利な経験はどっち?

アメリカのJ-1ビザインターンシップにおける仕事の選び方は、2つあります。1つは、これまでの職歴や学歴に関係のある仕事を選ぶこと。もう1つは前職とは違う新しい仕事に就くことです(後者の場合は条件あり)。業種はメディア、非営利団体、観光、飲食、アパレル、広告代理店、商社、アートギャラリー、Webサービス、教育、ブライダルなど多岐にわたり、最近ではコンサルティング会社なども増えています。
 
また、アメリカにある日系企業をあえてインターンシップ先に選ぶことで、即戦力として働きつつ同時に英語力を伸ばすことも可能。日系企業でも英語が日常的に使われる環境であれば、インターンシップ終了までに相当の英語力が身に付くはずです。アメリカでのプログラム終了後、日本帰国後に同じ職種や業界での仕事を希望する場合、インターンシップでの経験を一つのスキル・経験として活かすことができ、日本での就職・転職でも有利な経験になるでしょう。
 
「ワーキングホリデー」で仕事に就く場合、ホテル、クリーニング、レストラン、美容院、病院といったサービス業界の「接客業」が多い様子。またオーストラリアやニュージーランドでは、各国から集まったワーキングホリデー仲間と共に農作業にチャレンジする仕事なども。基本的にオフィスワークで働く人は少なめで、「接客を通して英語力を身につけたい」「コミュニケーション力を海外でも、英語でも発揮したい」という人にはやりがいのある環境と言えそうです。いずれにしても、ワーキングホリデー中に現地で得た経験がどのように日本帰国後のキャリアに生かせるか、あらかじめしっかり検討しておくことが大切です。

 

インターンシップとワーキングホリデー、滞在可能期間は?

アメリカの「J-1ビザ」は滞在目的に応じて14種類のカテゴリーに分かれます。中でも、学生向け(専門学校・短期大学・大学、大学院に在学中)のカテゴリーが「インターン」、社会人向け(1年以上の職務経歴必要)のカテゴリーが 「トレーニー」。アメリカでの滞在期間はインターンが最長12カ月、トレーニーが最長18カ月。中にはインターンシップ期間終了後も就労ビザに切り替えてアメリカで働き続ける人もいますが、アメリカ現地で転職先を探すのは日本で仕事を探すよりも難しいのが現状。もしアメリカでの長期就労を望む場合、最初から就労ビザを取得できる可能性のある企業を選ぶことをお勧めします。
 
「ワーキングホリデー」の場合は、滞在期間をはじめ、学校で英語を学ぶ期間(就業期間)、同一雇用主のもとで働く期間(就労期間)のそれぞれに、一定の期限を設けている国もあります(※徹底比較!「J-1ビザインターンシップ」と「ワーキングホリデー」の費用を参照)。 一つの都市に滞在してじっくり語学力を身に付ける人もいれば、短期のアルバイトで収入を得ながら転々と旅を続ける人など、ワーキングホリデー制度の利用の仕方は人それぞれのようです。

費用を比較!アメリカ・J-1ビザインターンシップvsワーキングホリデー

アメリカ版ワーホリ!?J-1ビザインターンシップ徹底解説

J-1ビザインターンシップとワーキングホリデー、必要な費用は?

キャリアを積みながら現地生活を体験できるアメリカでのインターンシップ制度(J-1ビザ)と、オーストラリア・ニュージーランド・イギリス・カナダで休暇を主目的として滞在できる「ワーキングホリデー」。どちらも興味はあるけど 、どのくらい費用が必要?と、渡航にかかる費用や現地での生活費用など資金面での悩みも。そこで、このページではアメリカでのJ-1ビザインターンシップと、イギリス・オーストラリアなど英語圏各国でのワーキングホリデーにかかる費用を、海外現地滞在中の生活費用も含めて徹底比較します!

アメリカ・J-1ビザインターンシップとワーキングホリデーの費用比較表

アメリカでのJ-1ビザインターンシップにかかるビザ取得費用や生活費用と、英語圏で人気のワーキングホリデー協定国(オーストラリア・ニュージーランド・イギリス・カナダ)での生活費用や語学学校への通学料金などを比較した表は以下の通りです。

英語圏各国のインターンシップ・ワーキングホリデー制度の違い

アメリカ(J-1ビザインターンシップ) オーストラリア ニュージーランド イギリス カナダ
滞在可能期間 1年6ヶ月間
※在学中の大学生などの場合は1年間
1年間
※セカンドワーホリで1年の延長も
1年間
※3ヶ月延長可能
2年間 1年間
就労先企業や仕事内容の決定時期 J-1ビザ取得前 ワーキングホリデービザ取得後/現地到着後
就労・仕事条件 原則、滞在中は同じ雇用主のもとで就労、仕事を行う 雇用主1社につき最長6ヶ月間 制限なし 制限なし 制限なし
就学条件 最長4ヶ月 最長6ヶ月 制限なし 最長6ヶ月

※各国のワーキングホリデービザの最新情報は、各大使館ホームページなどでご確認ください。

現地滞在中の給料・収入例と生活費用の比較

アメリカ(J-1ビザインターンシップ) オーストラリア ニュージーランド イギリス カナダ
最低時給(※1) 12.00ドル(約1,360円)
※ロサンゼルスの場合
18.93オーストラリアドル(約1,540円) 16.50NZドル(約1,240円) 7.38イギリスポンド(約1,150円) 14.00カナダドル(約1,200円)
※オンタリオ州の場合
月収(給与)例 20~25万円
※フルタイムでの就労を想定
10万~15万円
※語学学校に通いながらのアルバイトを想定
ビッグマックの価格比較(※2) 5.51ドル(約620円) 6.05オーストラリアドル(約490円) 6.20NZドル(約470円) 3.19イギリスポンド(約470円) 6.65カナダドル(570円)
生活費用(月間)(※3) 800ドル(約9万円) 800オーストラリアドル(約6.5万円) 1,320NZドル(約10万円) 600イギリスポンド(約9万円) 800カナダドル(約7万円)
語学学校の費用(3ヶ月) 約40万円 約30万円 約50万円 約35万円
航空券費用 10~15万円 7~11万円 10~15万円 14~17万円 10~15万円
ビザ申請費用 40~60万円
※J-1ビザスポンサー団体への支払い費用等含む
530オーストラリアドル(約4.3万円) 無料 244イギリスポンド(約4万円) 250カナダドル(約2.1万円)

 

※1:各国政府の発表資料などを参照
※2:「The Big Mac index 2018」(https://www.economist.com/news/2018/07/11/the-big-mac-index)
※3:「日本ワーキング・ホリデー協会」Webサイトを参照 http://www.jawhm.or.jp/step3.html
※日本円金額は、2018年10月時点での為替レートを基に計算しています。

J-1ビザインターンと各国ワーホリの生活費用で大きな違いはなし

生活費用の比較結果から、アメリカやカナダはやや物価が高いものの、1ヶ月の生活に必要な費用はアメリカやワーキングホリデーで渡航可能な英語圏各国との間で大きな差はありません。一方、イギリスの歴史的アートに触れたい、アメリカで一流のエンターテインメントを観たい、オーストラリアの広大な土地をロードトリップしたい、などそれぞれの国での楽しみも考えると、どのような海外生活を送りたいかで必要な費用は変わり、それによって現地滞在中に得るべき収入、事前に必要な貯金金額も変わります。

ワーキングホリデーの場合、語学学校への支払い費用も必要

ワーキングホリデーの場合、一般的に渡航国での仕事内容や収入が確定するのが各国現地到着後。このため、事前に収入金額を予想し、滞在中の計画を立てることが難しい点がデメリット。また語学学校に通って語学を習得しようと考える場合、学校の手配・入学費用に加えて、毎月の授業料金などの支払いも必要となります。

J-1ビザインターンの場合、日本出発前に就労先企業と仕事内容、収入が決定

ワーキングホリデーと比較してアメリカのJ-1ビザインターンの場合のメリットは、就労先企業や仕事内容、給与・収入などが決定してからJ-1ビザを取得・渡米するため、日本出発前に費用面の計画を立てやすく、安心して海外生活を始められる点。また1日8時間前後のフルタイムでの就労・インターンシップが前提となるため、ワーキングホリデーと比較して見込める月額給与が高い点もメリットです。

住む場所・住み方次第で費用の節約は十分可能!

どの国も都心に近いほど家賃や生活にかかる費用は高くなります。このため各国主要都市の郊外を選べば、滞在費用を抑えられる可能性も。ただし、海外各国での仕事や語学学校は都心部に集中している場合もあり、郊外に住むデメリットは会社や学校への移動にかかる時間と交通費。
 
公共交通機関の利便性は各国さまざまで、日本と同じレベルを想定していると後で生活が不便に感じるだけでなく、交通費が膨らみ都心に住むのと同様の費用がかかってしまうことも。住まいを選ぶ時は、移動手段も踏まえて考えるのがおすすめです。また効果的に住居費用を抑えられるのは、ルームシェアやシェアハウス(ルームメイトがネイティブスピーカーであれば、語学の勉強にもなり一石二鳥)で、特にアメリカやオーストラリアでは一般的。家具付きの家や部屋が見つかればラッキーで、かなりの費用節約につながる場合もあります。

インターンでもワーホリでも滞在先によっては自動車の購入費用も

アメリカのサンフランシスコやニューヨーク、イギリスのロンドン、オーストラリアのメルボルンのように公共交通機関が発達している都市でない限り、車の購入は避けて通れないところ。しかし、特にこだわりがない場合は新車を買う必要はありません。車社会であるアメリカやオーストラリア、イギリスでは、日本よりも中古車の売買が一般的。
 
主な購入ルートは「中古車ディーラー」か「個人」の2通り。個人売買の方が費用は比較的安いものの、安全性や耐久性が保証されている車を希望する場合は多少費用が高くても日系の中古車ディーラーを選ぶのがおすすめ。また車を帰国前に売ることを前提に、状態の良い中古車を選ぶことも一つの選択。日本では中古車の価値は年数と共に大きく下がりますが、例えばアメリカでは中古車の価値はそこまで下がりません。初期費用は高いのですが、状態の良い中古車の方が売却時の金額も高いので、結果的に使った金額が安い車を買った場合と変わらないケースもあります。

海外インターン・ワーキングホリデーともに100万~200万円が準備資金の目安

アメリカでのJ-1ビザインターンシップを含む海外インターンシップでも、英語圏のワーキングホリデーでも、ビザ申請費用、航空券、海外保険、さらに車の購入費用(必要であれば)、毎月の生活費用、光熱費などの支出を全て考慮すると、海外現地で得られる収入を計算に入れても、必要な資金は100万~200万円が目安と言えそうです。また、ビザ取得をエージェントにサポートしてもらう場合、エージェントに支払う費用も別途必要になります。

アメリカ・インターン場合はJ-1ビザ申請・取得料金が比較的高額だが収入も多め

例えばアメリカのJ-1ビザ・インターンの場合、アメリカ渡航後はすぐに会社での仕事が始まり、給与収入があるため滞在費用はそれ程かからず、またアメリカでの給与もワーキングホリデーで渡航する国よりも比較的多め。一方、ビザ申請段階で数十万円の費用が必要で、エージェントサービスを利用する場合の料金は40万~60万円ほど。
 
決して安い料金ではありませんが、自分では探すのが難しいインターンシップ求人の紹介やビザ取得に必要な米国大使館での面接対策など、安心して渡航準備をするためのサポートが充実しており、エージェントサービスを利用して「J-1ビザ」を取得する人が多いようです。
 
※アメリカでの有給インターンシップの詳細は「アメリカのインターンシップ~J-1ビザ取得方法や求人情報」をご覧ください。

帰国後のキャリアを比較!J-1ビザインターンシップvsワーホリ

アメリカ版ワーホリ!?J-1ビザインターンシップ徹底解説

ここまでJ-1ビザによるアメリカでのインターンシップや、英語圏各国でのワーキングホリデー(ワーホリ)制度、それぞれにかかる費用の違いを比較してきましたが(詳しくは「アメリカのインターンシップ~J-1ビザ取得方法や求人情報」を参照)、忘れてはいけないのが「帰国後のキャリア」
 
渡航前はどうしても現地生活に目が向きがちですが、インターンシップでもワーホリでも、海外渡航した人の多くは終了後に日本へ帰国し、新しい生活を始めています。日本帰国後の仕事や就職も考えた上でプログラムに参加するのとしないのとでは、得られる経験も異なってくるでしょう。海外現地での滞在を一層充実させ、日本帰国後に後悔しないためにも、渡航前から帰国後のキャリアを考えておくことも重要です。

 

英語の語学力だけではインターン・ワーホリ帰国後の「武器」になりにくい

近年、企業のグローバル人材への採用熱は高まる一方であることは事実ですが、需要がある一方、ただ英語が話せるという語学力だけでは武器になりにくい面もあります。日本でも、海外インターンシップ経験者、ワーキングホリデー(ワーホリ)経験者はもちろん、英語を話せる人材や海外での実務経験者が増加、帰国後もライバルが数多く存在します。

日本帰国後の就活・転職に役立つ仕事をインターン・ワーホリ中に経験することが重要

このため、日本帰国後の就活やより良い条件での転職には、インターンシップやワーホリの経験に加え、プラスアルファのアピールポイントが必要。「日本帰国後は英語を使った仕事にキャリアチェンジしたい、インターナショナルな企業に就職したい」と考えるなら、インターンシップやワーホリでの海外渡航を決める前に将来・帰国後にどのような業種や職種の仕事に就きたいか自分の希望を整理、その上でスキルアップにつながる仕事や企業を探し、それを経験するのがおすすめです。

 

帰国後のキャリアアップ・就職ならワーホリよりも「J-1ビザインターンシップ」

余暇・休暇が目的のワーキングホリデー(ワーホリ)と比較して、アメリカの有給インターンシップは仕事が目的。本来のインターンシップは、アメリカの学生が学校卒業前に企業で働き、給与は無給である代わりに実務経験と学校の単位を習得できるプログラムですが、「J-1ビザ」を取得する有給インターンは、アメリカ企業が募集する有給のポジションを見つけ、面接を受け、内定を得てから渡米するもの。
 
アメリカの企業からの内定を得るだけでも一定の評価に値しますし、18カ月間(12カ月間の場合もあり)も海外で働く経験を積むことは、確実に日本帰国後の就職やキャリアアップに役立つでしょう

ビザ取得手続きにお金はかかるが、希望の仕事・会社で働くチャンス

アメリカのJ-1ビザ取得手続きのために支払うエージェント費用、約40万~60万円は決して安いお金とは言えませんが、帰国後に希望の仕事、会社で働く機会を獲得するために必要な自己投資と考えても良いかもしれません。インターンシップ募集企業はメディア、非営利団体、観光、飲食、アパレル、広告代理店、商社、アートギャラリー、Webサービス、教育、ブライダルなど多岐に渡るので、興味のある仕事がきっと見つかるはず。
 
自分のこれまでの仕事経験を活かせる職種の方が就業機会を得やすいと言えますが、あえて希望する未経験の業界にチャレンジ、アメリカで得た経験を使って帰国後の日本でキャリアチェンジを目指すのも一つの選択。海外のビジネス現場でしか学べない交渉力、ワークスタイル、人脈構築のスキルも帰国後の転職活動などで活かせるでしょう。

ワーホリと異なり渡航後の就業先企業の変更は原則不可、事前の準備が必要

ワーホリと異なり、アメリカの有給インターンの場合は渡航後の就業先企業の変更が原則として不可の点は注意点。渡航後に興味の対象が変わっても仕事内容を変えられないため、事前に十分インターンシップ求人や企業探しを行い、時間をかけて準備することが必要です。
 
とは言え、自分でインターンシップ募集企業を探すのは至難の業。その場合はインターンシップ求人を紹介してくれるエージェントサービスの利用がおすすめです。

 

海外現地生活のサバイバル力が身に付く「ワーキングホリデー(ワーホリ)」

「ワーキングホリデー(ワーホリ)」は基本的に休暇を目的としたビザ制度のため、よほど高い英語力が身に付かない限り「ワーホリで1年間海外生活を経験しました」だけではアピール不足で、日本帰国後の就職活動や転職活動で企業から高い評価を得るのが難しいことも。ワーホリ期間中に英語力以外でも何かを成し遂げたかが帰国後のキャリアにも影響します。

ワーホリの場合、自分が就きたい仕事の求人があるかが不安

ただし、ワーホリで実際に経験できる仕事内容や求人には、和食レストランでの接客やホテルの受付、工場関係の仕事、農作業、ベビーシッターなど、あまり英語能力が必要とされない仕事や、日本語が使えることがメリットになる仕事であることが多い様子。どの国、どの地域でも仕事の需要と供給のバランスの側面から、ワーホリ滞在者対象の求人には制限もあります。
 
日本出発前に仕事が決定するアメリカ・インターンと比較して、ワーホリの場合は自分が就きたい仕事に就けるかが不安な面も。また収入面でも、重労働となる仕事以外は生活費全てを賄うことが難しいようで資金面での不安も。結果的に、帰国後の仕事や生活に不安を感じながらワーホリに行く方も少なくないようです。

ワーホリ滞在中の仕事探しが帰国後の就職活動で重要に

もちろん、ワーホリ経験者の中には「日本語教師」や「会計士」など英語力+専門性が必要な仕事であったり、「ショップ店員のマネージャー」という現地スタッフとのコミュニケーションが非常に重要なポジションに就いて、スキルアップを実現した人も。重要なのは、ワーホリ滞在中の仕事探しでしっかり自分を売り込めるかどうか。「自分を雇うことで、雇用主にどんなプラスが生まれるのか?」を説明し、自分の就きたい仕事を勝ち取らなければ日本帰国後の就職活動などでワーホリ経験を活かすことも難しくなります。全てが自分の行動力にかかっている一方、うまくいけば経験だけでなく、海外で生き抜くサバイバル力も身に付くでしょう。

 

インターンシップでもワーホリでも参加する目的・理由を明確に持つことが重要

最後にアメリカでのインターンシップでも、オーストラリアやカナダでのワーキングホリデー(ワーホリ)でも、重要なのは渡航前・申請手続きを始める前に参加する目的や理由を明確に持つことかもしれません。「なぜ海外で生活してみたいのか、働いてみたいのか?」や、「インターンシップ・ワーホリ期間中に、何をしたいのか」といった明確な目的や理由があれば、滞在中の生活が充実したものになるでしょうし、帰国後の就活などでの面接でも面接官を納得させるだけの説明ができそうです。
 
逆に明確な目的や理由が無ければ、帰国後の面接などで「なぜインターンシップ・ワーホリに行ったのか?」という質問に答えることが難しいでしょうし、そもそもインターンシップ・ワーホリ中の生活を乗り切れない可能性もあります。インターンシップでもワーホリでも、不慣れな海外生活のため苦労することもあるかと思いますが、明確な目的があれば乗り越えることができそうです。

 

アメリカでの生活の魅力は?おすすめの都市は?

「J-1ビザインターンシップ」と「ワーキングホリデー」の違い、少しは明確になったでしょうか。では次に、アメリカでの生活は実際のところ、どのような感じなのか?「J-1ビザインターンシップ」で人気・おすすめは、ロサンゼルスやサンフランシスコがある西海岸、ニューヨークがある東海岸、グアム、ハワイなどですが、それぞれ特徴がありますので、次のページで詳しく説明します。
 
●次の記事:
J-1ビザインターンで経験するアメリカでの生活とその魅力
 
※アメリカでの有給インターンシップの詳細は「アメリカのインターンシップ~J-1ビザ取得方法や求人情報」をご覧ください。

J-1ビザインターンで経験するアメリカ生活の魅力やおすすめの都市

アメリカ版ワーホリ!J-1ビザインターンシップ徹底解説

アメリカにはどれくらい日本人が住んでいる?

海外在住邦人数を国別に見ると、実はアメリカが最多でその数は約40万人に上ります(2015年「外務省海外在留邦人数調査統計」より)。それだけアメリカは、日本人が「住みたい国」として長く人気を得ているということになり、また「住みやすい国」として海外移住でおすすめの国と言えます。また日系アメリカ人の人口も多く、日系コミュニティが発達している都市も少なくありません。特にアメリカ・南カリフォルニア地域は全米でも最大の日系コミュニティとなっています。

J-1ビザインターンシップで人気・おすすめの都市

アメリカのJ-1ビザインターンシップで人気があり、多くの方が渡米・生活しているおすすめ都市には、カリフォルニア州「ロサンゼルス」「サンフランシスコ」のほか、「ニューヨーク」「ハワイ」などが挙げられます。各都市によって気候や生活環境上の特徴や利点などが異なりますので、自分の好きな事や暮らしたいアメリカでの生活をイメージしながら、滞在先とする都市を選ぶのがおすすめです。

カリフォルニア州ロサンゼルス・サンフランシスコ

アメリカ・カリフォルニア州はアメリカ合衆国の西海岸に位置しています。その広さは、南北に約800マイル(1,280キロ)、東西はおよそ200マイル(320キロ)と日本全土の面積に匹敵するほど。カリフォルニアは雄大な自然環境に恵まれていて、山脈に近い地域ではスノースポーツ、ビーチではマリンスポーツを楽しめます。また国立公園や州立公園も多く、本格的なハイキングやサイクリングを楽しむことができる点も魅力の1つ。また、カリフォルニアには4大プロスポーツ(メジャーリーグ、フットボール、バスケットボール、アイスホッケー)の本拠地である都市が多くあり、スポーツが好きな人にはいつでも本場のスポーツの醍醐味に触れることができる点でも人気・おすすめです。
 
カリフォルニア州は世界各国からの移民が多く、世界各国の本格的で美味しい料理も味わえます。日本料理も、現地在住の日本人によって北海道から沖縄まで各地の味が再現されていたり、和食レストランの数・種類ともに充実しているほか、日本語の通じる医者、弁護士などが多い点も安心できるポイント。アメリカの中でも最も日系コミュニティが発達していると言われているのがカリフォルニア州で、日本人にとっては比較的生活しやすいおすすめの地域と考えられます。
 
ただし、ロサンゼルスは車社会のため、日常生活に自動車は不可欠。自動車の購入や月々のガソリン代などの生活費も含め、月々1,600ドル前後は必要です。一方、サンフランシスコはアメリカ国内でもっとも交通の便が発達しているので自動車の購入は不要ですが、生活費はロサンゼルスより少し高く月々1,800ドル前後が相場のようです。
 
●関連記事:
ロサンゼルス(カリフォルニア州)でワーホリ!J-1ビザインターンの体験談
サンフランシスコ(カリフォルニア州)でワーホリ!J-1ビザインターンの体験談

ニューヨーク

ニューヨークシティはアメリカ合衆国の東海岸に位置する人口約1,200万人の全米最大都市で、多くの国々からの移民を含む、多様な人種から構成されています。ニューヨークの中でも有名なブロードウェイでは、さまざまなショーやエンターテイメントを楽しめたり、マンハッタン周辺地域には数百の美術館やアートギャラリーが点在。エンパイアステイトビルや自由の女神など、世界的に有名な観光スポットも多く、エンターテイメント性に富んだ憧れの街です。
 
ニューヨークも、さまざまな国からの移民の影響を多く受けており、各国料理店が軒を連ねています。また、全米でも有名な高級料理店が数多くあるのもニューヨークの特徴。日本人の数はロサンゼルと比較すると少なめですが、日本料理店や日系の食品スーパーもあるので、日本人にとっても生活しやすいでしょう。気候面ではニューヨークには四季があるため、日本に近く過ごしやすいかもしれません。
 
ただしニューヨーク中心部は家賃相場が非常に高く、中心部のマンハッタンから地下鉄で30分程度のエリアで生活する人が多いようです。交通網は発達しているので、自動車の購入は必要ありませんが、月々の生活費としては1,800ドル前後を想定しておくのがおすすめです。
 
●関連記事:
ニューヨークでワーホリ!J-1ビザインターンの体験談

ハワイ

ハワイは6つの島から成り立っており、最も大きく、有名なのがワイキキなどの都市があるオアフ島。ハワイには毎年約700万人もの観光客が訪れていますが、当然アメリカのJ-1ビザインターンシップでも渡航先として人気。ハワイには海や山などの自然が美しく、サーフィン、スキューバダイビング等のマリンスポーツから、釣り、ゴルフ、ハイキング等、さまざまなスポーツ・レジャーを楽しめる点でもおすすめのエリア。また、メキシコ人や日本人、東南アジア人、白人など地域外からの移民も多く、食文化は多種多様です。
 
ハワイは、アメリカで初めて日本からの移民を受け入れた場所ということで、数世代に渡りハワイに住む日系人が多くいたり、日本人観光客も多いことから、日本人にとって生活しやすい環境。また気候も年間を通して穏やかで、気温は18度から27度と温暖な天候もおすすめの魅力の1つです。
 
ただし、ワイキキやアラモアナといったハワイの中心部で生活をすると生活費は非常に高くなるため、内陸部の方に住居を構える方も多くいます。通勤などの移動はバスや自転車、徒歩が基本。月々の生活費としては1,800ドル前後を想定しておくと良いでしょう。
 
●関連記事:
ハワイでワーホリ!J-1ビザインターンの体験談

ロサンゼルスでワーホリ!J-1ビザインターンの体験談

アメリカ版ワーホリ!J-1ビザインターンシップ徹底解説

このページでは、アメリカのJ-1ビザインターンシップ制度を使って、カリフォルニア州・ロサンゼルスに滞在、アメリカで業務経験を積んだ先輩たちの体験談をご紹介します。

(1)ロサンゼルスでインターンシップ:Mさんの場合

体験者:Mさん
国・都市:ロサンゼルス
期間:18カ月

●10代の頃から憧れていた海外生活

10代の頃から海外での生活に憧れ、大学も英語系の分野を専攻していました。学生時代のアメリカ旅行をきっかけに、アメリカの良さを体感し、「いつか絶対にアメリカで生活してみたい」と思うようになりました。日本の会社に就職してちょうど10年経った節目で、今しかない!と考え渡米を決意しました。

●アメリカ・ロサンゼルスのこんなところがいい

学生時代の旅行で感じたのは、気候と人の良さ。アメリカ、特に西海岸は常に温暖で湿気もなく、とても過ごしやすいんです。そして何と言っても人がフレンドリー。日本人や日系人が多く情報も多いので、日本人が住むにはとてもいい場所だと思います。

●10年務めた会社を辞め、憧れのアメリカのため、ワーホリではなくインターンを決意。

海外で暮らすには、留学やワーホリもあると考えましたが、第1に考えたのは、きちんと働きながら暮らすこと。ワーキングホリデーは休暇のイメージが強く、また年齢制限もあったため、働きながら生活できるJ-1ビザインターンシップを選びました。また、英語圏の国に行きたかったのですが、イギリス、オーストラリア、カナダなどと比較した時、やはり学生時代に憧れた、そして英語話者数が一番多いアメリカに行きたいと思いました。
 
まず、J-1ビザの取得支援をしているエージェントに登録。インターンシップの求人を確認し、応募したい企業を決めました。元々、Web制作会社でビジネス・コンサルティングをしていたのですが、敢えて違う業種や職種で求人を探しました。新しいことにチャンレンジできるのも、J-1ビザインターンシップのいいところですね。アパレル会社と出版社に応募し、3カ月で2社から内定をいただいたのですが、両方のスポンサー企業と話した結果、出版社の方は新しくネット事業を強化するとのことだったので、そちらで引き続きネット関連の仕事をすることに決めました。その後、書類を揃えてビザ申請を行いました。最後の大使館面接も無事にクリアし、J-1ビザを取得。その後2カ月ほどで身辺整理や引っ越し準備などをして、渡米しました。

●ワーホリやインターンシップで海外に行きたい人へ

ワーホリは経験が無いので分かりませんが、アメリカでのJ-1ビザインターンシップは日本と同じようにキャリア・ビジネス経験を積みつつ生活できるとてもいい制度。少しでも海外で生活すると視野も広がり、今後の人生にも役立つと思います。長い人生の中の1年半、ぜひ多くの人に挑戦してほしいとです!

●教えてQ&A

「インターン先企業と、仕事内容を教えて下さい。」
ロサンゼルスにある日本人向け情報誌発行と留学生・インターン生支援をしている会社です。仕事内容はWebサイトの運営です。
 
「ロサンゼルスでのインターンシップ・ビザ終了後はどうしますか。」
J-1ビザインターンシップが終了したあと、スポンサー企業にて正社員となり、現在勤務4年目です。半年ほど前に永住権(グリーンカード)も取得しました。今後は日本とアメリカ両方で生活しながら働くことができるようになったらいいなと思っています。
 
※ロサンゼルスを含む、アメリカでの有給インターンシップの詳細は「アメリカのインターンシップ~J-1ビザ取得方法や求人情報」をご覧ください。

 

(2)ロサンゼルスでインターンシップ:Kさんの場合

体験者:Kさん(31歳)
国・都市:ロサンゼルス
期間:18カ月

●もう一度ロサンゼルスへ

高校生の時に父の仕事の関係で、3年間ロサンゼルスの高校へ通っていました。元々海外に興味があり、これまでに50カ国以上旅をしてきましたが、またロサンゼルスに戻って暮らしたいと思い、渡米を決意しました。

●アメリカ・ロサンゼルスのこんなところがいい

英語圏なら、イギリスやオーストラリア、ニュージーランドもありますが、やっぱりアメリカ。小さい頃から、海外と言えばアメリカというイメージがありました。アメリカのファッションや音楽も元々好きでしたね。アメリカの良いところはやはり色々な人種の人がいること。特にロサンゼルスでは、東アジア、東南アジア、アフリカ、ヨーロッパなど世界中から集まった人々がコミュニティーを形成しており、そういったさまざまな背景を持つ人たちの中で生活するのはとても面白いです。広大な自然と温暖な気候も気に入っています。両脇に岩山がそびえ、どこまでも続く道を車で走っている時は、日本では味わえない爽快感を感じます。

●ワーキングホリデーではなく、「書く」という仕事をアメリカで

元々書くという仕事がしたくて、日本では新聞社に勤めていました。いつかはロサンゼルスで働きたいと思っていたものの、編集・ライターという仕事からは離れたくなかったので、機会をうかがっていました。ワーキングホリデーというよりも、自分の場合はあくまで仕事がメイン。そして、やっぱりアメリカが良いと思っていたので、最初からワーキングホリデーは選択肢にありませんでした。
 
ちょうどJ-1ビザインターンシップを考えていた時に、編集の仕事を募集している今のスポンサー企業を見つけて応募しました。今も着々と編集・仕事のスキルを上げています。J-1ビザインターンシップ終了後は、アメリカか日本でさらに編集の腕に磨きをかけたいですね。

●ワーホリやインターンシップで海外に行きたい人へ

J-1ビザインターンシップのいいところは、日本で希望する業種や職種に就ける可能性が高いこと。そして、日本にいるのと同じ、もしくはそれ以上の仕事スキルを身に付けられることですね。休暇をメインに考えている方はワーホリがいいと思いますが、「仕事」や「キャリア」を考えている方は、J-1ビザインターンシップを検討することをおすすめします!

●教えてQ&A

・「どれくらい貯金をすべきですか?」
ビザ申請、航空券、保険、さらに車の購入(必要であれば)、月々の生活費、光熱費などの支出を全て考慮すると、インターンで得られる収入を計算に入れても、150万円~200万円の貯金は必要だと思います。
 
「J-1ビザの取得は、プロのエージェントにお願いした方がいいと思いますか?」
はい、お願いした方がいいと思います。自分では見つけられない求人も紹介してもらえますし、英語でのビザ申請書類の作成や大使館での面接は複雑なことも多いので、サポートがとても重要です。また、現地へ行ってからも生活の支援をしてくれるところもありますので、そういうところを選べば、特に渡米してすぐの頃はとても心強いと思います。
 
「渡米までどのくらいかかりましたか?」
半年弱です。ロサンゼルスのインターンシップ先企業から内定をもらえるまで、2カ月程度でした。感覚的には日本で就活・転職活動をするのと同じか、少し長いくらいという感じでしょうか。
 
※ロサンゼルスを含む、アメリカの有給インターンシップの詳細は「アメリカのインターンシップ~J-1ビザ取得方法や求人情報」をご覧ください。

アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルスには日系企業も多く、日本人が募集対象のインターンシップ求人も比較的多くあります。インターンシップ求人の最新情報は下記のJ1ビザインターンシップ専門サービスまでお問い合わせください。

ニューヨークでワーホリ!J-1ビザインターンの体験談

アメリカ版ワーホリ!J-1ビザインターンシップ徹底解説

このページでは、アメリカの有給インターンシップ制度を使って、ニューヨークに滞在、アメリカで仕事経験を積んだ先輩の体験談をご紹介します。

海外でアパレルの仕事がしたい!それならアメリカ・ニューヨーク

体験者:Tさん
国・都市:アメリカ・ニューヨーク
期間:18カ月
インターンシップ中の業務内容:アパレル企業での商品在庫管理や企画業務

日本では繊維関係の会社で5年働き、「海外でアパレルの仕事を経験したい」と思うようになりました。自分の勤めていた会社の海外駐在や、取引先に転職して海外赴任…なんてことも考えたのですが現実的には難しく。やっぱり会社を辞めて、自分の力で海外に移住するしかない!と決意しました。
 
そして、どうせアパレルの仕事を海外でするならアメリカ・ニューヨークのど真ん中で仕事をしてみたい!と夢はどんどん膨らみ…。ニューヨークには何度か観光や出張で訪れた経験があり、個人的には憧れの街。もし憧れのニューヨークで生活できたら、と非常に興奮したのを今でも覚えています(笑)

 

ニューヨークでの就職先・仕事探しは想像以上に大変だった…

英語力にはそれほど自信はありませんでしたが、普段の仕事で少し英語を使っていたり、自分でも勉強していたので、最初は普通にアメリカのアパレル企業に就職するつもりでメールを送りまくりました。ところが返信ゼロ…。当時はビザの知識もあまり無く、「繊維業界経験者と言えば、どこか興味を持ってくれるだろう。」と思っていましたが、甘かったです。想像以上に大変でした。
 
私のレベルの英語や業界経験で、わざわざビザをサポートしたり、そのために面接してあげようという会社は皆無でした。ニューヨークで働く!と決意したものの、その術が無く途方に暮れていた時…。たまたま海外でワーキングホリデー中の友達から、「ニューヨークでワーホリすればいいじゃん!」と言われたのです。調べ始めてみると、アメリカにはワーホリは無いがインターンシップがあることを知りました。J-1ビザインターンシップならニューヨークのアパレル企業で働けるかもしれない!目の前にパーッと道が開けたような気がしました。

 

エージェントに登録、企業との面接・内定、憧れのニューヨークへ!

そこからはトントン拍子。インターンシップとは言え、ニューヨークでの就職先探しの大変さは分かっていたので、すぐにJ-1ビザ専門のエージェントに登録、アパレル企業のインターンシップ求人情報を紹介してもらいました。アパレル企業での企画やマーケティングの仕事を希望していまいたが、私の英語力で最初から企画の仕事は難しいとのことで、商品在庫の管理の仕事ならニューヨークのアパレル企業でインターンシップ求人があるとのこと。すぐ飛びつきましたね!(笑)
 
面接もすぐにセットアップされ、今のインターンシップ先の上司ともSkypeで面談して、意気投合!すぐに内定が出て、あっと言う間に憧れのニューヨークで働くことが決まりました。

 

ニューヨークでのインターンシップ経験で得たもの・苦労したこと

ニューヨークでのインターンシップ先企業は比較的規模の大きなアパレル企業でしたが、私の職場は商品在庫の管理のため倉庫。最初は、「えー、マンハッタンのオフィスじゃないの?!」と思いましたが、結果的にはこれで良かったんです。少人数の職場だったので、英語での会話も最初はゆっくり話してもらい、分からないところはしっかり質問する時間を取ってもらえたり。
 
また在庫管理の仕事はEXCELの作業が中心で、前職時代も十分に経験していたので割と得意な方でした。逆にインターンシップ先の社員さんに関数だったり効率的なやり方を教えるうちに、「君はインターンシップではもったいない!社員レベルの仕事をこなしてるよ」と言われてとても嬉しく感じたのを覚えています。ニューヨークのアパレル企業に認められた!!って(笑)
 
仕事面は比較的順調でしたが、ニューヨーク生活は結構苦労がありました。1年半のインターンシップなので「そんなに家具とかも要らないし、お金はかからないでしょ」と思っていたのですが、そこはやはり新生活。最初はいろいろと物入りで家賃も物価も高く、どんどん貯金が減り、顔が青ざめたのを今でも覚えています。また最初はニューヨークに友達もおらず、大都会で孤独感につぶされそうになった時期もありました…。
 
途中からは会社の同僚や、ニューヨークに留学中の日本人と友達になったりと、仕事も生活も充実してニューヨークを満喫できたので良かったです。

 

ワーキングホリデーではなくアメリカ・インターンシップを選んだ理由

まず私がこだわったのがアパレル系の仕事。友人の中にはカナダやオーストラリアでのワーキングホリデー経験者もいましたが、仕事内容を聞くとお店の店員やレストランでのサーバーなど、アパレルとは遠い内容。あったとしてもオーストラリアでワーホリをした友人がアパレルのショップでアルバイトしたという話くらい。
 
アパレル企業で企画やマーケティングの仕事をしたいという気持ちが強かったので、アメリカ以外の国でのワーキングホリデーはあまりイメージできませんでした。アメリカのJ-1ビザインターンシップも最初はワーホリに近いものと思っていましたが、具体的な求人内容を確認して「これなら本格的な仕事ができそうだ!」と思えるものも。最終的にJ-1ビザを使ってアメリカ・ニューヨークでインターンシップをする!と考えたのは、やりたい仕事ができるという確信を得られたことが理由です。
 
今までの日本でのキャリアや仕事経験も活かしたいと思っていましたし、1年半のインターンシップ終了後、日本で働くにしても、海外で働くにしても、「遊んでた」と思われたくなかったので、ワーキングホリデーよりもアメリカ・インターンシップの方が私には相応しかったのかなと思います。

 

ワーホリやインターンシップで海外に行きたい人へ

私の友人にはカナダやオーストラリアのワーキングホリデーを楽しんで、またワーホリ経験から大きく性格や考え方が変わって「成長したなー」と感じさせる人もいました。もちろん私もアメリカでのインターンシップを通して、行く前と大きく変わったと思っています(英語力も海外で生き抜く力も!)。だから、ワーホリでもアメリカでのインターンシップでも、どちらでも良いので海外でチャレンジしたいと思ったら、一歩踏み出してみるのがおすすめです!
 
ちょっと自信が無くてもチャレンジしていい制度がワーホリだったり、アメリカのJ-1ビザインターンだったりすると思うので、制度を活用しないのは勿体ないです!

 

教えてQ&A

・「J-1ビザの取得はエージェントにお願いした方がいいと思いますか?」
私の場合はお願いして本当に良かったと思っています。ニューヨークの場合は特にエージェントの方の力を借りないと難しいのではないでしょうか?ニューヨークは会社の数も非常に多いですし、どこがインターンシップを募集しているか、日本からネットで見るだけではなかなか難しいですから。
 
また、エージェントの方によるアメリカ大使館でのビザ面接の模擬練習なども非常に役に立ちました。自分だけでこれをやっていたら、もしかすると面接に落ちたり失敗していたかも知れません。費用はもちろんかかりますが、その分早く仕事が見つかり、確実にビザを取れたという点で必要経費だったのかなと思っています。
 
・「ニューヨークでのインターンシップ・ビザ終了後はどうしますか。」
ニューヨーク滞在中に日本のアパレル企業の方と知り合う機会があり、日本帰国後はそのアパレル企業で勤務してます。将来的にニューヨーク駐在の可能性があるので、またニューヨークに戻れる日を夢見て、いまは目の前の仕事に全力で取り組んでいます!
 
※ニューヨークを含む、アメリカでの有給インターンシップの詳細は「アメリカのインターンシップ~J-1ビザ取得方法や求人情報」をご覧ください。
 
※また、ニューヨークでのインターンシップ求人の最新情報などは下記のJ1ビザインターンシップ専門エージェントにお問い合わせください。

サンフランシスコでワーホリ!J-1ビザインターンの体験談

アメリカ版ワーホリ!J-1ビザインターンシップ徹底解説

このページでは、アメリカのJ-1ビザインターンシップ制度を使って、カリフォルニア州・サンフランシスコに滞在、アメリカで業務経験を積んだ先輩たちの体験談をご紹介します。

(1)サンフランシスコでインターン:Kさんの場合

体験者:Kさん
国・都市:アメリカ・サンフランシスコ
期間:18カ月

●「いつかは海外に住みたい!」という想いを捨てられなかった

もともと学生時代から英語が好きで、大学も貿易を専攻しました。新卒で旅行会社に勤めた際、添乗員として国内・海外の様々な土地を訪問する機会に恵まれ「いつか長期滞在したい」とぼんやり思っていました。その後、旅行情報紙の編集者として働いていましたが、30歳を迎える前に、後悔しないために行動に移そうを決意し、英語圏への留学ないし就職、ワーキングホリデーでの海外渡航などを真剣に考え始めました。

●ワーホリではなく、J-1ビザインターンシップで仕事体験を

アメリカでのJ-1ビザインターンシップを経験し、日本へ帰国した友人たちがいて、皆それぞれキャリアアップしていて、活躍の場を広げているのを目の当たりにしていました。そのことが、仕事の経験を積む、次のキャリアにつなげることが目的ならワーホリよりもJ-1ビザインターンシップが良いのでは?と思ったきっかけです。英語の勉強も必要ですが、同時に将来の仕事に直結する知識や経験を得たいと個人的には感じていました。ワーホリについても自分なりに調べてみて、旅行や趣味を楽しみたいという目的ならワーホリでも良いように思いましたが、自分の場合は少し違うなと。また、純粋に英語を勉強したいなら留学でも十分だと考えました。

●日本でのキャリアも活かすことができたアメリカでのインターンシップ

サンフランシスコ郊外にある日本語情報紙を発行する企業に営業職として採用していただきました。サンフランシスコの日系クライアントを中心に、現地で働く方々にインタビューしたり、広告のご提案をしたり、規模がそれほど大きくはない会社でしたので何にでも取り組む毎日でした。そのおかげで能動的に働く意識が根付いたと思いますし、サンフランシスコという海外の地で頑張る日本人の方と数多く知り合う機会に恵まれ、良い刺激を受けることができました。半年経った時に、編集職を任せていただけるようになり、日本での経験を活かせることができたのも嬉しかったです。

●アメリカ・サンフランシスコは住んでいて「飽きない」!

サンフランシスコはカリフォルニアを代表する都市の一つ。古くからの美しい街並みが残る一方で、サードウェーブコーヒーやオーガニック文化など新しいムーブメントの発祥地でもあり、端的にいうと「飽きない」街です。また、IT企業の密集地であるシリコンバレーも近いので、たくさんの優秀な方々にお会いでき、刺激が多いところが気に入っています。また、日系のスーパーなども比較的充実しているので、日本人にとってサンフランシスコは生活面でも便利な街だと思います。

●サンフランシスコ滞在中、結婚することに!

サンフランシスコでのインターンシップがそろそろ終了するという頃に結婚が決まり、夫となる方の帯同ビザを申請する方向に切り替えました。その後、別途ワークパミットを取得し、サンフランシスコにある日系企業の米国法人に現在は勤めています。インターンシップの経験がアメリカでの仕事探しでも有利に働いたと思います。

●教えてQ&A

「インターンシップの報酬で生活はできますか?」
J-1ビザは就労ではなく、インターンシップという立場で渡米するため、お給料ではなく研修費用という名目で報酬が支払われました。その金額は会社や仕事によって異なるため個人差があるのですが、私の場合はそれだけで生活するのは厳しかったですね。せっかくサンフランシスコに滞在しているので、休みの日に少し遠出をしたり、サンフランシスコ市内のカフェを楽しんだり、プライベートも充実させたかったので、正直、貯金を使い果たすギリギリの生活でした。でも世界中の国々から集まった人たちとの交流から得られるものは大きく、チャレンジしてよかったと自信を持って言えます。
 
「J-1ビザの取得は、プロのエージェントにお願いした方がいいと思いますか?」
そうですね。まず「J-1ビザ」についての情報量が圧倒的に少なかったので、それを知る段階からエージェントを利用しました。直接現地の会社へアプローチする方法もありますが、エージェントを利用すると複数の企業とコンタクトを取ることができ、アドバイスをいただきながら比較検討できます。また、申請書類の作成や大使館面接の予約などもお任せできるので、メリットが大きいと思います。費用はエージェントへのお支払い含め、渡米前準備すべて合わせて50万円ぐらいだったと記憶しています。
 
※サンフランシスコを含む、アメリカでの有給インターンシップの詳細は「アメリカのインターンシップ~J-1ビザ取得方法や求人情報」をご覧ください。

 

(2)サンフランシスコでインターン:Hさんの場合

体験者:Hさん
国・都市:アメリカ・サンフランシスコ
期間:18カ月
渡米時の年齢:26歳

●語学留学で短期滞在したサンフランシスコにまた戻りたい!

幼い頃から国際文化に触れたり、英語によるコミュニケーションに強い興味を持っていました。転機は学生時代に経験したサンフランシスコでの語学留学。3カ月ほどの滞在でしたが、サンフランシスコの文化や考え方の多様性、技術やデザイン産業の発展度合い、自由で活き活きとした働き方を目の当たりにして、絶対にまた将来サンフランシスコに戻って来ようと心に決めました。そして今度戻って来る時は、語学留学ではなく社会人としてある程度スキルを身につけてから、ぜひアメリカで長期で働いてみたいと思っていました。

●アメリカ滞在なら、J-1ビザインターンシップは魅力的な選択肢

日本で就職したのですが、どうすればアメリカで働く夢が実現できるか常に方法を探していました。色々とインターネットでリサーチしているうちに、自然とJ-1ビザインターンシップの存在を知り、私のようにアメリカの大学を出ていない人でも、アメリカの企業で18カ月間もインターンとして研修を受けることができるビザは非常に魅力的な選択肢だと思いました。学生として渡米する選択肢ももちろん検討したのですが、そうなると大事な20代中盤のキャリアが一旦ストップしてしまいます。これは私自身がいつも心に留めていることですが、人生長いようで実はあっという間。自分の意志で、好きなことを好きなだけできるという期間は実はそんなに長くはないと思うのです。ですから当初の希望通り、働く道を選びました。また、少しでも収入を得ながら滞在できるのも大きなメリットだと感じましたね。

●ワーホリなど他の海外移住の選択肢も検討しましたが…

ワーホリも常に検討していました。私の第一候補は常にアメリカのサンフランシスコだったのですが、アメリカは就労ビザ取得のハードルが高く、リサーチや仕事探しを進めていく中で「アメリカはやっぱり厳しいかも…」と何度も挫折しそうになりました。一方、ワーホリの受け入れ先として有名なカナダ・オーストラリア・ニュージーランドは英語圏かつ移民の受け入れも積極的で、永住権取得のプロセスもアメリカの厳しさに比べると雲泥の差。できれば長期で働きながら、英語圏でキャリアを積んでいきたいと考えていた私にはとっては、ワーホリは非常に魅力的な選択肢の一つでした。実際にサンフランシスコでのインターンシップが決まる直前まで、ワーホリでの海外短期滞在、あるいはワーホリから現地就職・長期滞在へ繋げるというキャリアも本気で考えていました。

●J-1ビザインターンシップではサンフランシスコのWEB制作会社へ

滞在都市はサンフランシスコ。WEB制作会社でお世話になりました。従業員規模は10名程度とそれほど規模の大きな会社ではありませんでした。その分、私が任された仕事の範囲は広く、Web制作プロジェクトのスケジュール進行管理から、クライアントとの打ち合わせ、Webサイトデザインの要件定義、社内デザイン・エンジニアリング・営業チームとのコミュニケーションなど多岐に渡りました。またインターンシップ後半には、デザイナーの採用面接なども任せていただきました。幸いインターンシップ先の会社は日本とアメリカの両方にクライアントを持つ企業で、仕事では英語だけではなく日本語も使うという恵まれた環境。社内のメンバーは日本人も含めて、アメリカ人、中国人など、いろいろなバックグラウンドを持つ人達が集まっており、時に文化的な違いで驚かされることもありましたが、多様な考え方を学ぶことができ、アメリカ・サンフランシスコでのキャリアの第一歩目としてはとても充実したものになりました。

●何と言っても「多様性」がアメリカ・サンフランシスコの魅力

繰り返しにはなりますが、サンフランシスコの一番の魅力は、何と言っても多様性だと思います。様々な文化が混ざっていて、「普通はこう考えるはずだ」という固定概念がないので、どんな意見も一個性としてごく自然に受け入れてくれる環境ですね。また気候がとても良いです。カリフォルニア=常夏に近い気候と勝手に勘違いしていたのですが、サンフランシスコは思っていたよりも平均気温は低めで、雨がめったに降ることがないので、夏のアクテビティを楽しむのにぴったりの天候です。またサンフランシスコは霧の街と呼ばれているのですが、実際住み始めてみると霧が出るのは朝と夕方ぐらいで、日中はスカッと雲ひとつない青空が広がっていることが多いです。ナパバレーをはじめ有名なワイナリーがサンフランシスコの近郊にあり、お天気の良い日に出かけるワイナリーは本当に最高のリフレッシュになります。

●東京とは大違い?!ON/OFFのメリハリがはっきりとしたサンフランシスコでの生活

プライベートの生活パターンも東京で暮らしていた時とはガラリと変わりました。サンフランシスコでの生活パターンは、朝は少し早めから仕事を始めて、夕方暗くなり始める頃にはスパっと仕事を終えて、みんなハッピーアワーを楽しんだり、ジムで汗を流したりする人が多いように感じます。東京にいた時は、会社から帰るのが遅い時間なので夜は寝るだけという生活でしたが、こちらでは仕事終わりにジムやダンスクラスで汗を流してアフター5をとても楽しんでいます。夜も深夜まで遊ぶというよりは、早くから始めて夜10-11時ぐらいで切り上げて帰宅する、というパターンが多いように感じます。夜の治安はどうしても日本に比べると良くないので、フラフラといつまでも外で飲み歩くという光景はサンフランシスコでは少ない気がします。実際、サンフランシスコでは酔っ払って外で寝てしまっているような人たちは見たことがありません(笑)。メリハリのある生活が送りやすいのがこちらでの生活の魅力かなと思います。

●サンフランシスコでの出会いから結婚することに!

インターンシップ中に、会社から就労ビザのスポンサーになってくれるというオファーをいただけたのですが、残念ながらビザが色々な理由から却下されてしまったので、一度日本に帰国しました。その後サンフランシスコで出会った現在の夫と結婚することが決まり、再びサンフランシスコへ。現在はシリコンバレーに本社があるIT企業でデザイナーとして働いています。渡米前はインターンシップの経験はキャリアとしてカウントしてもらえないのではないかと不安でしたが、そんなことは一切なく、日本に一時帰国した際も、国内・外資企業問わず様々な企業からオファーをいただきましたし、サンフランシスコに戻った後の転職活動でも、インターンシップの経験を評価してもらえました。そういう意味でも、今もしJ-1ビザインターンシップでの渡米を迷われている方がいましたら、私としては自信を持って一歩踏み出してほしいと思います。

●教えてQ&A

「J-1ビザの取得は、プロのエージェントにお願いした方がいいと思いますか?」
私もプロのエージェントを活用していました。スポンサー企業を探すために色々サポートしてくれるので、できればお願いしたほうが良いと思います。結局私の場合は、学生時代にお世話になった前述のWEB制作会社のCEOに直接連絡して、ポジションの空きが無いか相談に乗っていただいたところ、J-1インターンとして採用していただくことが決まり幸運でした。
 
「渡米前に不安はありましたか?」
日本で築いたキャリアや経験を手放してアメリカに行くとなると、今後の生活や将来は大丈夫だろうかと不安になることが多いと思います。私もそうでした。でも、「あの時チャレンジしておけばよかった」という後悔は絶対したくなかったので。そんな人生よりはとにかくチャレンジしてみたいと思いました。実際、サンフランシスコでのインターンシップ中は様々な困難にぶち当たったり、こんなはずじゃなかったとプライドが傷ついたり、経済的に苦しくなった時もありましたが、それを一生懸命に乗り越えた後にある世界は、それまでとはまったく別の世界、何物にも変えられない一生の宝ものです。その体験をぜひ皆さんにもしてみていただきたいなと願っています。
 
※サンフランシスコを含む、アメリカでの有給インターンシップの詳細は「アメリカのインターンシップ~J-1ビザ取得方法や求人情報」をご覧ください。
 
※また、サンフランシスコでのインターンシップ求人の最新情報などは下記のJ1ビザインターンシップ専門エージェントにお問い合わせください。

ハワイでワーホリ!J-1ビザインターンの体験談

アメリカ版ワーホリ!J-1ビザインターンシップ徹底解説

このページでは、アメリカの有給インターンシップ制度を使って、ハワイに滞在、アメリカで業務経験を積んだ先輩の体験談をご紹介します。

もともと年に3回は訪れるほどのハワイ通

体験者:Nさん
国・都市:ハワイ・ホノルル
期間:18カ月
インターンシップ中の業務内容:出版社での広告営業や編集

サーフィンはしない、海が特別好きなわけでもない、だけどハワイが大好き。大学に在学中の時だけでも15回以上、年に3回はハワイを訪れていましたね。なぜハワイがそんなに好きなの?とよく聞かれるのですが…特別な理由はないんです。ハワイは南国なのに清々しい気候、ゴハンも日本人には馴染みやすくて、そして行く度に癒やされるアロハの心に、気がついたら虜になっていました。また、生まれてから3歳まで父の仕事の関係でアメリカのシカゴに住んでいたこともあり、昔からアメリカのカルチャーに対しては親近感もあったんです。

ほかの仕事を経験したことで気づいたハワイへの強い思い

大学卒業後は不動産業界に就職。営業として2年ほど働きました。ハワイは好きだけど、仕事は仕事。プライベートで関わっていければ良いと思っていたので。けれど次第にやっぱり「このままでいいのかな」という気持ちが増してきたんです。もともと大好きなことには、のめり込むタイプ。周りの友達がすごく楽しそうに働いている姿を前に、自分も本当にやりたいこと(=ハワイに関わる仕事)にチャレンジしたいと思いました。

当初はワーホリも検討…けれども、J-1ビザを知って「これだ!」と決意

キャリアチェンジすると決めた後は、すぐにハワイにかかわることができる仕事を探し始めました。当初はもちろんワーホリも検討したのですが、ワーホリではハワイに行けないことは調べてみるとすぐに分かりました。また誰にも頼らず、ハワイの現地にいきなり行って仕事を探すというのも非常に難しいことだと感じていました。
 
それなら日本にいながらハワイに関連のある仕事ができないかと考え、偶然見つけたのが、後にJ-1ビザ取得のサポートをしてもらうことになるエージェンシー。ハワイで働きたい人をサポートする仕事ということで、はじめはその企業で働くことに興味を持ったのですが、調べてるうちに「J-1ビザインターンシップ制度」の存在を知って。この制度ならワーホリのように自分もハワイで働ける、このチャンスを使わないわけにはいかないと思いましたね。
 
エージェントに登録後、すぐにインターンシップの求人を紹介してもらい、応募したいスポンサー企業を決めました。良かった点は、メディア業界に興味があることを伝えていたら、出版社での営業職を紹介してもらえたこと。新しいことにチャンレンジできるのも、J-1ビザインターンシップのいいところですね。その後、書類を揃えてビザ申請を行いました。最後の大使館面接も無事にクリアし、J-1ビザを取得。登録から約4カ月ほどでハワイに発ちました

ハワイでのインターンシップ経験で得られたもの

インターンシップの就業先企業は米国本土に本社を持つ出版社で、ハワイ支社には6名の社員が働いていました。支社長、経理、編集、ライター、そして営業を担当する私。社内の雰囲気は非常に良く、はじめての出版業界で右も左もわからない状態でしたが、周囲のサポートが心強かったです。
 
また、ハワイは大きな島ではないので同業者の方と取材で顔を合わす機会も多いんですね。そこでは競り合うのではなく、互いに情報交換をしたり、業界経験の長い方には仕事のアドバイスをもらったり。時々ランチミーティングなどを催いて、盛んに交流していました。18カ月間でずいぶんコミュニティを広げることができたと思います。これもハワイならではの良さですね。
 
仕事の面では、ハワイのコーヒーを特集で取り上げたいと懇願して、取材・撮影・編集まで一人でやらせてもらった経験も。想像以上に大変でしたが、インターンシップだからといって仕事の制限はなく、むしろ積極的にやりたいことに挑戦させてもらえる環境でした。アルバイトレベルの仕事に留まらず、自分さえ積極的にチャレンジすればやりがいのある、自分を成長させることができる仕事に出会うチャンスがあるのも、ワーホリではなくインターンシップならではのメリットかも知れません。

ハワイの良さは「日本人にとっての住みやすさ」、ただし違いも受け入れて!

日本人にとっては特にハワイは住みやすい場所だと思います。食事は美味しいし、大自然に囲まれて育った現地の人たちは陽気で親切。日本人コミュニティも大きいので、例えば英語が苦手な方でも比較的不自由なく暮らせると思います。アメリカにいながら日本の生活に近い環境を手に入れられるというのはハワイの魅力の1つじゃないかと思います。
 
ただし、たとえばアポイントを取って時間通りにお店に伺っても「店長だったら良い波が来たからってサーフィンに行っちゃったわよ」と日本では信じられないことが普通に起こったりします(笑)。ハワイ時間とでも言うのでしょうか、ある意味それも彼らの良さの一つなんですけどね。日本と同じ常識でやろうと思ってもうまくいかないことがあります。でもそれはどんな国に行ってもそうですよね。その土地その土地のカルチャーを知り、尊重して、一緒に仕事をする楽しみ方を見つけるのもインターナショナルな環境では必要だと思います。

ワーホリやインターンシップで海外に行きたい人へ

個人としてはワーホリであろうと、インターンシップであろうと海外でチャレンジしようという人は全力で応援したいです。「海外に行きたい」という気持ちをぜひ大切にして、真剣にその気持ちと向き合っていたら、海外移住を実現する方法がきっと見つかるので。ただ、ワーホリとインターンシップの大きな違いの1つが、J-1ビザでの渡航の場合は日本を出発する前に就業先を決定できる点
 
ワーホリでオーストラリアにいった友達がいますが、ワーホリの場合は現地に到着してから働く場所を自分で探すそうです。そうなると新しい環境に慣れるまでに時間がかかるので、よっぽど行動力のある人でないと、ワーホリで海外に移住してすぐに働く場所を見つけるのは難しいという印象を受けました。その点、J-1ビザインターンシップはエージェンシーを利用すれば新しいチャンスを日本にいながら得られます。プラスアルファの費用はかかりますが、アメリカで働く権利を買ったと思えば私は納得していますね。
 
さらに私の場合は18カ月のインターンシップ後、会社側が就労ビザに切り替えるサポートをしてくれて、米国本土の本社で働く機会に恵まれました。1年半の間ハワイでたくさんの経験を踏んだ結果、今度はアメリカのメインランドで挑戦したいという気持ちが芽生えたのです。アメリカで日本にいるのと同じようにきちんとキャリアを積みながら生活できる、それがワーホリと比べた時のもう一つのメリットだと思います。

教えてQ&A

・「英語はもともと得意でしたか?」
観光でよくハワイに行っていたので、英語への抵抗はありませんでしたが、あくまで観光客として使うレベルの話。渡航前に多少は勉強しましたが、仕事で使えるレベルでは到底ありませんでした。英語はハワイに行ってから、仕事を覚えるのと同時に少しずつやっていった感じですね。今もまだまだ勉強中の身です。幸いにも私が就労していた出版社のお客様の多くは日系企業ということもあったので、何とか大丈夫でした。業界・職種によっては初めから英語をどんどん使う環境もあると思うので、事前に勉強しておくのに損はないと思います。
 
・「ハワイでのインターンシップ・ビザ終了後はどうしますか。」
正直まだ具体的な展望はありません。けれどアメリカ本土で働く機会をもらえて今とても楽しいので、まずは目の前にあるチャレンジしたい事にどんどん挑戦していくつもりです。海外での生活ってとても勇気がいるし、大きな決断だと思うのですが、あまり深く考え過ぎちゃうとリスクばかりに目が向き同じ場所に留まってしまいがち。少しくらい勢いで決めてしまうくらいのほうが、海外で道を切り開けるのではと思います。
 
※ハワイを含む、アメリカでの有給インターンシップの詳細は「アメリカのインターンシップ~J-1ビザ取得方法や求人情報」をご覧ください。
 
※また、ハワイでのインターンシップ求人の最新情報などは下記のJ1ビザインターンシップ専門エージェントにお問い合わせください。

サンディエゴでワーホリ!J-1ビザインターンの体験談

アメリカ版ワーホリ!J-1ビザインターンシップ徹底解説

このページでは、アメリカの有給インターンシップ制度を使って、サンディエゴに滞在、アメリカで業務経験を積んだ先輩の体験談をご紹介します。

体験者:Yさん
国・都市:アメリカ・サンディエゴ
期間:18カ月

昔から憧れていたアメリカ生活

もともとアメリカのカルチャーは大好きでした。学生時代にアメリカンスクールに通っていたり、ロサンゼルスでのホームステイ経験が本当に楽しかったので、「いつか絶対にアメリカで生活してみたい」という気持ちは常にありましたね。大学卒業後は、雑誌のライターや広告のコピーライターを経験し、その後フリーライターになりました。自分の中で海外へ行くことを現実的に考え始めたのは、ライターとして一定の経験を積み、次のキャリアを考え始めた頃。アメリカでやりたいことにチャレンジするなら今しかない!と思い、決意しました。

ワーホリではなく、インターンシップでスキルアップ

ワーホリも選択肢に入れると英語圏の国は他にもありましたが、海外で働くことを考えると、やっぱりアメリカで挑戦したいと思いました。ビジネスの場として刺激があるし、また、日系のコミュニティが発達しているので、ライターの経験も活かしやすいのでは、と思ったんです。
 
ワーホリで人気のオーストラリアには旅行で行く機会があって、大好きな国の一つですが、オーストラリアでワーホリ経験のある友達に聞くと、得られた仕事はツアーコンダクターのアシスタントが精一杯だったということで、「ワーホリ=アルバイトの延長線上の経験」という印象があったので。また、語学留学や大学への進学も頭に浮かびましたが、本当に学びたいものがない限り、学校へ行くのは時間やお金がもったいない、と思い、その道は考えませんでした。
 
特に私の場合は、長い間ライターとしてキャリアを積んできて、今後もスキルアップしていきたいと考えていたので、新しく何かを勉強するよりも、これまでの経験を活かして、ライターとして新しいことにチャレンジしたほうがいいと考えたんです。留学、ワーホリ、J1ビザインターンシップ、どれを選んでもアメリカに滞在できる時間は限られています。それなら、より刺激的で、経験を増やせる環境を選びたいと思い、私は「J1ビザインターンシップ」にたどり着きました。現在はアメリカにて、雑誌編集兼ライターの仕事を手がけています。ローカルのレストランや企業への取材など、日本では経験できなかったことに挑戦できており満足しています。

アメリカ・サンディエゴの良さ

サンディエゴはカリフォルニアを代表する都市の一つ。アメリカ西海岸の最南端に位置しており、ロサンゼルスから車で2時間程という立地の良さ。天気の良さはもちろん、メキシコに近いこともあって、ラテンの雰囲気が程よく混ざった独自の文化を生み出し、サンディエゴはアメリカで発表される「全米住みたい街ランキング」で毎年上位に選ばれるほど人気の都市なんです。カリフォルニアならではの美しいビーチやパークが都会に溶け込み、働く、遊ぶ、リラックスする、どれをとってもちょうど良い場所ですね。スーパーやレストランでは、店員の方が気持よく話しかけてくれて、こうした現地の人のフレンドリーさもサンディエゴを人気にしている理由の一つだと思います。

教えてQ&A

「渡米前どれくらい貯金をすべきですか?」
車の購入も考えると200万円くらいが目安ではないかと思います。でも、せっかくアメリカに来たのだから、グランドキャニオンに行きたい、ラスベガスに遊びに行こう、などローカルを楽しみたくなるもの。そういう人は、その分も考えて貯金しておくと良いと思いますね。とにかくスキルアップが一番という人でしたら、200万円以下でも暮らしていけると思います。
 
「J-1ビザの取得は、プロのエージェントにお願いした方がいいと思いますか?」
そうですね。私もエージェントを通して現在の就業先を探しましたが、世の中に公開されていないインターンシップの求人を紹介してもらえますし、選択肢を広げたい方はぜひエージェントにお願いしたほうが良いと思います。仕事の紹介だけではなく、ビザ申請の書類作成や大使館での面接に関してもサポートしてくれるので、忙しい人には特に心強いと思います。
 
※サンディエゴを含む、アメリカでの有給インターンシップの詳細は「アメリカのインターンシップ~J-1ビザ取得方法や求人情報」をご覧ください。

J1ビザ申請や取得期間・必要書類~インターンシップ開始までの流れ

アメリカ版ワーホリ!?J-1ビザインターンシップ徹底解説

アメリカのJ1ビザ申請方法や取得までのステップ・期間、必要な書類などについて詳しく解説します。アメリカのJ1ビザインターンシップ制度の詳細とあわせてご覧ください。

 

アメリカの「J1ビザ」取得までのステップ・期間

インターンシップ受け入れ企業を探し、スポンサー団体からの許可、ビザ申請を経て、晴れてアメリカでの生活が始まります。このページでは、J1ビザ申請に必要な各ステップの詳細やそれぞれのステップにかかる期間を説明します。J1ビザ申請の準備開始から実際にアメリカへ渡米するまでの期間は、余裕を持って半年程度を見ておくといいでしょう。

●J1ビザ取得までの主な流れと必要な期間

J1ビザの取得までの主な流れや必要なステップ、また各ステップに必要な期間は以下の通りです。最短では3カ月程度の期間でJ1ビザの取得・渡米が可能な場合もありますが、平均的には半年程度の期間がかかると見て準備を進めるのがおすすめです。

主な流れ・必要なステップ 必要な期間
①インターンシップ受け入れ企業探し・内定 1~2カ月
※受け入れ企業が見つからない場合は、さらに期間を要することも
②ビザ申請やスポンサー団体への提出が必要な書類の収集 1~2カ月
③米国大使館・領事館での面接予約、申請料金の支払い 1~2カ月
※大使館・領事館での面接は混雑する時期の場合、数カ月先となる場合も
④米国大使館・領事館での面接~ビザ発給 2~3週間
※面接そのものは1日だけで当日に合否が判明するが、パスポートが郵送されるのは面接の1~3週間後
⑤渡米 インターンシップ就業開始の1週間前までの入国が目安

①就労・インターンシップ先となる企業探し・内定

J1ビザ取得の第一歩は、「J1ビザインターンシップ・プログラム」の条件に合致したアメリカでの就労先・インターンシップ受け入れ先企業を探すこと。原則として自信の職歴や学歴に関係のある仕事・企業を選ぶことが必要で、前職や学歴とは全く違う仕事や企業を選ぶ場合はビザ取得の難易度が上がります。
 
またアメリカの現地企業であればどこでも就労・インターンシップ可能ではなく、J1ビザでは美容・医療関連の仕事が許可されていないなどの制限も。どの企業が「J1ビザインターンシップ・プログラム」の条件に合致しているのか、また自分の学歴や職歴に合っているのかを自分で探し、内定までこぎつけるのは時間のかかる作業です。

企業紹介サービスのあるJ1ビザ・エージェントの利用がおすすめ

すでにアメリカ現地の受け入れ企業が見つかっている場合を除いて、これからインターンシップを募集中の企業を探すのであればアメリカ現地の企業を紹介してくれたり、現地企業との面接設定から内定後のJ1ビザの取得をサポートしてくれるJ1ビザ専門エージェントのサービスの利用がおすすめ。当ページ下部で紹介している無料相談・問い合わせが可能なJ1ビザ取得専門エージェントの利用もぜひ検討してみてください。

②J1ビザ申請・スポンサー団体に必要な提出書類や取得にかかる費用

J1ビザ申請やスポンサー団体への提出で必要となる主な書類は下記の10点。詳細、最新の情報は米国大使館または総領事館のWEBサイトで必ずご確認ください。

1. 1年以上の有効期限が残っているパスポート
2. 英文履歴書
3. 英文成績証明書・英文卒業証明書(卒業または在籍中の学校から取り寄せる必要がある書類)
4. 「DS-160」フォーム(アメリカでのビザ申請に必要な書類、オンラインで作成)
5. 「DS-2019」フォーム(スポンサー団体が発行する交換訪問プログラムの資格証明書)
6. 「DS-7002」フォーム(インターンシップ中の研修プラン、受け入れ先企業の署名が必要)
7. SEVIS費用の領収書(SEVIS費用180ドルの支払いが完了していることを証明する書類)
8. 証明写真1枚(5×5cm、6ヶ月以内に撮影されたもの)
9. 面接予約時の確認ページおよびビザ申請料金の支払い領収書(ビザ申請費用160ドルの支払い領収書)
10. アメリカ滞在中の費用負担が可能であることを証明する書類(銀行の英文残高証明書など)

スポンサー団体が発行する「DS-2019」フォームとは

アメリカのJ1ビザはインターンシップ企業の受け入れ許可だけでなく、J1ビザによる交換交流プログラムを管轄するアメリカ国務省が認可したNPO団体・スポンサー団体による許可が必要です。J1ビザを取得するためには、このスポンサー団体に「DS-2019」の発行を申請、必要書類の提出とあわせてスポンサー団体による英語でのインタビューを受ける必要があり、審査後に許可されるとスポンサー団体より「DS-2019」フォームが発行されます。
 
つまり米国大使館での面接前にまずはスポンサー団体との面接が必要で、「DS-2019」フォームを取得できて初めて大使館・領事館面接の予約へと進みます。

参加する研修プランの内容の詳細「DS-7002」フォームとは

また、J1ビザの申請・取得には最大18カ月のアメリカでの研修・インターンシップ参加中の活動プランを詳細にまとめた「DS-7002」フォームの作成も必須。これは具体的にどのような研修・インターンシップ業務に従事したり、アメリカでどんな文化的な活動を行って、“交換交流プログラム”であるJ1ビザを活用する予定かといった内容の書類。就労先企業とも内容をすり合わせながら作成する必要がある書類です。
 
当然すべて英語での作成が必要なため、不慣れな場合には作成の難易度が高いもの。当サイトで紹介しているJ1ビザ取得専門エージェントのサービスでは、この「DS-7002」フォームの作成やスポンサー団体・就労先企業とのやり取りもサポートしてもらえる点がおすすめです。

③米国大使館・領事館面接のオンライン予約と申請料金の支払い

必要な申請資料・書類が揃い次第、次は米国大使館・領事館での面接を予約します。面接の受付は、日本国内の場合は在東京米国大使館領事(東京都港区)、在大阪・神戸米国総領事館(大阪市北区)、在沖縄米国総領事館(沖縄県浦添市)、在札幌米国総領事館(札幌市中央区)の4カ所で行っています。場所により申請方法が異なりますが、基本的にはWEBサイト上で面接のオンライン予約手続きや、ビザ申請料金の支払いを行います。
 
混雑時は1カ月以上先しか予約が取れないといったこともありますので、必要書類が揃い次第、早めに予約を済ませるのがおすすめ。ちなみに面接予約は3カ月先まで可能です。また、ビザ面接に向けた必要書類の作成や面接の設定および面接の練習なども一人では難しい部分も。この部分でも不安を感じられる場合は、J1ビザ取得専門のエージェントを利用するのが一つの方法です。

④日本国内の米国大使館・領事館での面接とJ1ビザ発給

予約した面接日の当日に日本国内にある最寄りの米国大使館・領事館を訪問、ビザ申請のための面接を受けます。必要な書類を忘れないようにするほか、大使館・領事館は混雑していることが多いため、余裕を持ったスケジュールで訪問するのがおすすめ。
 
なおこのビザ申請の面接も原則として英語で、面接後に申請が許可されるとJ1ビザが発給されることになります。一点注意が必要なのはその場でJ1ビザを取得できる訳ではない点。大使館・領事館に自分のパスポートを預けて帰宅し、後日(面接から1~3週間後)指定した自宅などの指定した住所に、J1ビザの貼付されたパスポートが郵送されます。

⑤パスポート返却後、渡米!アメリカ滞在・現地生活のスタート

J1ビザ発給されパスポートが返却されたら、アメリカへの航空券や滞在中の医療保険などの準備をして、いよいよアメリカへの渡米。現地での生活準備などに必要な期間も考え、インターンシップの就業開始1週間前にはアメリカ現地へ入国・到着しておきたいもの。現地で滞在するアパートやシェアハウスを見つけるまでの間、2週間~1カ月など短期間でのホームステイも可能です。実りの多い18カ月間のアメリカ生活を楽しみましょう!

Anime Expoで初のLA公演!ももいろクローバーZ

クオリティーの高い楽曲とエンタメ性満載のダンスで大ブレイク中のアイドルグループ「ももいろクローバーZ」が、Anime Expo 2015で初のLA公演を行います。なんとKISSのメンバーもゲストとして登場予定。今の心境をリーダーの百田夏菜子さん(右写真中央)にうかがいました。

(左から)有安杏果、佐々木彩夏、百田夏菜子、玉井詩織、高城れに。「ピュアな女の子が、幸せを運びたい」という意味を込め、「ももいろクローバー」として2008年に結成。約2年間の下積みを経た後、10年メジャーデビュー。11年にグループ名を「ももいろクローバーZ」に改名。12年には、アルバム『バトルアンドロマンス』でCDショップ大賞を受賞。また、紅白歌合戦にも出場。14年には女性グループ初となる国立競技場公演を実現。同年にはグループとしてドラマデビューを果たし、15年には主演した青春映画『幕が上がる』が公開されるなど、アイドル街道を突き進んでいる。

ライブを大切にしているももクロのコンサートはいつも熱狂的な盛り上がりです!

―ドイツなど海外でも公演を行われてきたももいろクローバーZの皆さんですが、アメリカで公演されるのは初めてですよね。ロサンゼルスでのライブを目前にしての思いを教えてください。

緊張しています!でも、海外でライブをした時に、言葉は通じなくても、音楽では通じるものがあるということが分かったので、楽しくできたらいいなと思います。この間、ラスベガスに行く時に、ロサンゼルス空港に降りたんですよ。その時に、みんなでロスに来たいねって話もしてたんです。だから、メンバーもスタッフさんもワクワクしていると思います。

―メジャーデビュー前には路上ライブを行うなど地道な下積み活動を積まれた皆さんにとって、ライブはどんな意味を持っていますか?

原点です。いつでもずっと。何のお仕事をしても、戻ってくるところはライブかなと思ってます。

―エネルギッシュなライブで有名なももクロ。常にいい公演をするために心がけていることは何でしょうか?

まずは私たちが楽しむことです!そうでないと、お客さんにも楽しさが伝わらないと思うので。みんなに届けるというところまで持っていくために、私たちとスタッフさんの気持ちを一つにすることも大事ですね。

―ロサンゼルスでのライブはどんなものになるでしょうか?

アニメの主題歌をたくさんやらせていただいているので、アニメを味方にしながら楽しめたらいいなと思います。アニメは世界共通なので。「ももクロ」×「アニメ」×「はじめましてのお客さん」で盛り上がれたらいいなと思います。

―『ドラゴンボールZ』や『美少女戦士セーラームーンCrystal』の主題歌も聞けることを楽しみにしています。LA公演ということで、アメリカ人のお客さんも多く来られると思うのですが、英語でのMCをされる予定はありますか?

そこが難関ポイントでして…(笑)。英語を話したいっていう願望はあるんですよ、昔から。KISSさんとコラボさせてもらった時に、KISSさんは私たちでも分かる単語を並べながら話してくれて、私たちも一生懸命知っている単語を並べて話してたら、普通に一日中一緒にいても喋り続けられるくらい楽しくて。なので、一生懸命努力します。あとはジェスチャーも得意なので、伝わるように頑張ります!

―KISSとコラボ曲をリリースされ、彼らの日本公演でもコラボ演奏を行われましたが、この先、コラボしてみたい海外のアーティストはいますか?

レディー・ガガさん!ガガさんのライブを見せていただいたことがあって、世界の強さっていうのを生で感じました。直接本人とお会いできたんですが、すごく気さくでいい方で。オープニングアクトもやらせていただいたのですが、同じステージで一緒にやったことがないので、できたらうれしいです。

―ロサンゼルスで行きたい場所や食べたいものなどはありますか?

なんでもいいから食べたい(笑)!あと、KISSとももクロのみんなで、トミー(KISSギタリスト)の自宅に集まろうっていう約束をしているんです。いつでも遊びにおいでって言われてるので、トミーの自宅に行きたい!トミーが家が広いって言ってたんで(笑)。

―最後に、『ライトハウス』読者へのメッセージをお願いします。

私たちのライブを生で見てもらう機会があまりないと思いますが、このような機会をいただいたので、良かったら遊びにきてもらえるとうれしいです!

ももいろクローバーZ・コンサート情報
北米最大のアニメコンベンション
「Anime Expo 2015」に登場!

2015年7月2日(木)
会場 : Nokia Theater L.A. LIVE
(777 Chick Hearn Ct., Los Angeles)
チケット : www.anime-expo.org
(入場には、コンサートチケットとAnime Expoの入場券の両方が必要です)
 
(2015年6月16日号掲載)

LA公演を見逃すべからず!SCANDAL

キャッチーかつ疾走感溢れるロック&ポップで、日本で圧倒的な人気を誇るガールズ・ロックバンド、SCANDAL。来たる2015年5月、ハリウッドとアナハイムでライブを行う同バンドのメンバーの皆さんに、今の心境をうかがいました。

SCANDAL◎2006年大阪で結成。08年「DOLL」でデビュー。翌年には「少女S」でレコード大賞新人賞受賞。2012年3月には日本武道館公演をデビューから異例の早さで成功させると、翌2013年3月には大阪城ホール公演チケットを5分で完売させるなど、実績を重ねていく。近年ではSCANDALの影響で楽器を始める女子が増え、2013年12月第4回SCANDALコピーバンドコンテストには国内外から550を超えるエントリーが集まる。2014年6月、横浜アリーナ2days公演を成功させた翌年の2015年1月から、日本国内ホールツアーと8カ国10都市を周る単独ワールドツアー「SCANDAL WORLD TOUR 2015 “HELLOWORLD”」を開催中。

―現在、日本やアメリカ、フランス、イギリス、香港、台湾などで全31公演を行うワールドツアー真っ最中の皆さんですが、ロサンゼルスでのワンマンライブは初めてだとうかがっています。まずは意気込みや見どころを聞かせていただけますか?

MAMI(写真右/ギター&ボーカル):久々のアメリカでのライブなので、とても楽しみにしています!まだ日本でもツアーをしたことがないインディーズ時代に、アメリカで対バンツアーをやる機会があったのですが、今のライブのスタイルの土台ができたのはそのツアーがきっかけだと思っています。なので、その初期衝動を感じながら、最高の夜にしたいなと思っています!最新アルバム『Hello World』の曲を中心に、ロサンゼルス公演に向けた演奏リストをいろいろと考えているので、楽しみにしていてください!

―『HelloWorld』では、ほぼ全ての楽曲をメンバーの皆さんが作詞・作曲されているそうですね。特に思い入れのある曲などあれば教えてください。

パワフルで迫力満点なSCANDALのステージは、一見の価値アリ

TOMOMI(写真左/ベース&ボーカル):「缶ビール」ですかね。私たち史上初のお酒ソングなんです。デビューした頃はまだ学生で、制服姿でライブをしていたことを思うと、私たちも大人になったなぁと思います(笑)。お酒が出てくるような曲って、独特のセクシーさ、切なさを持っているし、そんな世界観が好きだから書いてみようと思いました。でも、実は私自身お酒は飲めないので、思い描いていたお酒飲みの人のためのお酒ソングにはなりませんでした(笑)。でも逆に、飲めない人には分かってもらえる曲だと思っています。ロサンゼルス公演でも演奏できるかも…しれません!

―アメリカ人のお客さんも多く来られると思うのですが、英語でのMCをする予定はありますか?

HARUNA(写真左から2番目/ボーカル&ギター):少しずつですが英語の勉強をしています。日本語に誇りを持ってやっているので全て英語で話すということはないですが、盛り上がるワードなど、少しでも英語で話せたらと思っています。

―アメリカのバンドや歌手で憧れている、またはお手本としているようなアーティストがいたら教えてください。

HARUNA:Avril Lavigne、P!nk、Taylor Swiftなど、クールなボーカリストに憧れますね。彼女たちは女性らしさと力強さを兼ね備えたパフォーマンス、誰もを虜にする声など、全てがパーフェクトだと思います!

―今回、ロサンゼルスで観光する時間は取れそうでしょうか?もし自由な時間ができたら行きたい場所や食べたいものなどはありますか?

HARUNA:もし観光できるなら、Knott’s Berry Farmに行ってみたいです。遊園地、大好きなんです!あとはIHOPのパンケーキも食べたい!

―では最後に、『ライトハウス』読者へのメッセージをお願いします。

RINA(写真右から2人目/ドラム&ボーカル):今、自分たちの曲をコピーしてくれているガールズバンドがすごく増えてきていたり、日本のガールズバンドシーンが本当に盛り上がっているんです。そんなシーンの先頭を切って走っている自負があるので、音楽が好きなロサンゼルスの人全てに、私たちのライブを体験してもらいたいです。国境を越えて音楽で一つになりましょう!ぜひ、ライブに遊びに来てください。会場で待っています!

SCANDAL WORLD TOUR 2015 “HELLO WORLD”

【ライブ詳細】
■会場:
House of Blues Sunset Strip : 8430 Sunset Blvd., West Hollywood
House of Blues Anaheim : 1530 Disney land Dr.,Anaheim
■公演日:
ハリウッド公演 : 2015/5/22(金)7:30pm
アナハイム公演 : 2015/5/23(土)7:00pm
 
(2015年5月1日号掲載)

大阪の現役女子高生バンド「SCANDAL」が、ロサンゼルスにやって来た!

ポップなキャラクターが人気を呼び、バンド結成から2年足らずで全米ツアーを実現。ハリウッドのKnitting Factoryでのライブ直前にインタビューした。

初めてのロサンゼルスは?
全員:めっちゃ好き!
RINA:すべてが日本とは規模が違うから、ずっとテーマパークにおるみたいな気分でした。
MAMI:人がめっちゃくちゃフレンドリー。とってもあったかいです。
TOMOMI:日本と違って空が真っ青。めっちゃリゾート! 将来、住みたい。
HARUNA:夏じゃないのに夏だから、季節感覚がなくなりそうな感じ。でも夏好きなんで、言うことないかも。
 
「Japan Nite US tour」で印象的だったことは?
TOMOMI:飛行機の都合でデンバーに行けなかったんです。でも、デンバーで待ってくれていた人たちから差し入れが届いた時は、うれしかった。
HARUNA:日本のライブとはお客さんの反応が全然違って、ライブをしている実感があります。
RINA:サンフランシスコのライブハウスが1番大きくて、しかもその日はソールドアウト。先輩バンドの方々とも仲良くなって、色んなことを教わったのも良かったです。
MAMI:最初は頭の中がテンパって、みんなで緊張してたけど、回るたびにどんどん良くなってきて。ロサンゼルスでは今までで1番いいライブにしたいと思っています。

ダンススクールの仲間でバンドを組んで、最初はどうでした?
MAMI:ウチは兄がバンドをやっていたので、スッとバンドの方に行けた。今、こうやってできていることが、「これは運命だったんじゃないか」と思ってます。
RINA:最初は自分のドラムだけで精一杯だったけど、徐々にみんなの音を聴けるようになって。みんなで1つのものを作るのは、バンドにしかできないこと。「バンドええな」って思います。
TOMOMI:新しい技術やパフォーマンスを学ぶのは大変だったけど、お客さんが喜んでくれることがうれしい。支えられてます。
HARUNA:アメリカでライブ中にお客さんの反応がリアルに返ってきた時、楽しくて、「あ、これだ!」って感じました。
 
アメリカツアーが決まった時の気持ちは?
TOMOMI:うれしくて仕方がなかったけど、最初は不安ばっかりで。モノ投げられるんじゃないかと思ってた、アカン過ぎて(笑)。
MAMI:アメリカは地図帳で見て「でっかいなあ」みたいな未知の世界だったけど、みんなめっちゃくちゃ盛り上がってくれたので、うれしい。
RINA:「アメリカでツアーするねん」って友達に言ったら、「絶対ウソやろ」って。でも、「ホンマに来ちゃったよ」みたいな感じ(笑)。

今後の活動に活かせるものはありました?
TOMOMI:ほかのバンドから色んなこと学んだし、お客さんの乗せ方もわかってきたし。アメリカで得たものを全部日本に持って帰りたい。
HARUNA:アメリカ人と日本人の反応が違うっていうのがわかったので、逆にアメリカ人にやって盛り上がったことを日本人に試してみたい。
RINA:日本では、「こう言ったらカッコいい」ってことが恥ずかしくて言えなかった。でもアメリカに来たら、何でもバーっと言えて。日本でもその感覚でやっていきたい。
MAMI:こういうパフォーマンスをしたら盛り上がるっていうのもわかったので、日本でもどんどん試していきたい。
 
好きなアーティストは?
HARUNA:Sum41。ライブビデオをみんなで見た時、ものすごい衝撃で。パフォーマンスがカッコ良過ぎて、一瞬でホレました。
RINA:ちなみにその日、KISSのDVDも見たんですけど、みんな興奮して眠れなかった(笑)。
TOMOMI:それ見てから、みんなで楽器持って飛ぶ練習しました、布団の上で(笑)。

将来はKISSみたいになる(笑)?
TOMOMI:方向性は違うけど、あれくらいのパフォーマンスができたら・・・。
RINA:あんだけ激しくできたら、逆におとなしくもできるし。
TOMOMI:カッコいいって言われるようになりたい。だから、それを盗むんです(笑)。
全員:そう。カッコいいバンドになりたい!
 
これからの目標は?
TOMOMI:アメリカツアーを無事に終えたら、Sakura-Conに出るんですけど、そのためにも毎日、毎日練習します。最終目標は東京ドーム!
HARUNA:まずは4月4日と5月5日に出るタワーレコード限定のCDが、オリコン1位になること! 4月に出る『恋模様』の予約が既にインディーズ・チャート1位になっているので、かなり期待してます。将来の目標は世界を回ること。
RINA:最終目標は、有名になり過ぎて、どこも歩けない、「あ、RINAちゃんちゃう?」みたいになりたい(笑)。
MAMI:今日のロサンゼルスのライブを全力でやって、今までで1番いいライブにしたい。ウチの中で最終目標はないんです。例えば武道館の次はドーム、その次はドームツアーって新しい目標がどんどん出てくるじゃないですか。

最後に読者にメッセージを
TOMOMI:絶対また戻って来るので、その時はぜひライブを見てください。
HARUNA:SCANDALっていうガールズバンドがいることを知っておいてください。
RINA:この記事を読んで、ちょっとでも「面白いんちゃうか?」と思った人は、ぜひライブに来てください。
MAMI:「We will be back」ってことで、またSCANDAL、見に来てください。

アメリカン・ヴィンテージ愛好家 / 田中凛太郎

毎年、世界中から3000人ものヴィンテージファンをLAに集める古着の祭典「Inspiration」。主催者である日本人、田中凛太郎さんに、古着へのこだわりや今年で第6回を迎える同イベントの見どころなどをうかがいました。

Rin Tanaka◎1970年神奈川県生まれ。大学在学時、黒人音楽の評論家デビュー。1994年〜1998年、広告代理店に務めた後、98年、アメリカの古着文化を研究すべく、サンクレメンテに移住。以後、2003年〜12年に計10冊、自費出版で発行した写真集『My Freedamn!』シリーズではロックンロールやライダースジャケット、50’s〜80’sの古着文化などをテーマに取り上げ、世界中で計10万部以上を売る。2010年より古着・ヴィンテージの祭典、「Inspiration」を主催。

―古着を中心とするアメリカのヴィンテージ文化を研究すべく、28歳のときに会社を辞めてサンクレメンテに移住されました。大きな決断だったと思いますが、なぜそこまでアメリカのヴィンテージに傾倒されたのでしょう?

田中凛太郎さん(以下田中) :中高時代からジャズやロック、ブルースなどのアメリカ音楽にハマりまして。マイルス・デイビスとかジミヘンとか、ジェームス・ブラウンとか。それで、彼らのファッションにも自然と興味が湧いて…という感じです。サラリーマン時代は仕事をしながら革ジャンの研究をしていたんですが、日本では見られる古着の数も限られるし。もっと現地で深く研究し、本にしたい気持ちが強くなり、渡米しました。

1冊300ページにも及ぶ『My Freedamn!』シリーズ。取材、撮影、日本語と英語両方での執筆など、全て田中さん一人によるものというから驚き。アート性、資料性共に高く、世界中にファンがいるのもうなずけます

―なぜサンクレメンテだったのでしょう?

田中:南部音楽が身近なオースティンと迷いました。でも、サーフィンが趣味だったこともあって、当時のサーフィン界のトップ、デイル・ベルジーが住むサンクレメンテを選びました。

―渡米後は、どのような活動をされたのでしょうか?

田中:カリフォルニアをはじめ、ニューヨークやデトロイトなど全米を飛び回って古着屋やスワップミート、古着コレクターを訪ね、取材、撮影を続けました。それで、まずは革ジャンやライダースジャケットの本を何冊か出しましたね。

―そして2003年、代表作である古着の写真集シリーズ『My Freedamn!』第1弾の発行に至ります。12年までに計10冊、どれも世界中で合計1万部以上売れましたが、ここまで支持されたのはなぜでしょう?

田中:シリーズ通してのテーマは「ロックンロール=I love you, too!」。アメリカの精神を象徴する言葉だと思うんですが、これが勢いよく全面に出ていて、いいバイブとなって伝わったんでしょうかね。あと、同じ古着でもタグとか細部にこだわって撮影したり文章にしたりと、日本人のオタク的ミクロな視点が出ているのも認められたポイントかもしれません。

―10年には古着の祭典「Inspiration」を初開催されましたが、そのきっかけは?

田中:『My Freedamn!』最後の10冊目発行に合わせて、世界中の古着友達を集めてパーティーをやろうと思ったのがスタート。でも、2千人くらい参加しそうでパーティーのレベルを超えていたので、参加者にブースを出してもらって参加費をもらって、イベントとしてやることに。すごく楽しかったんですが、大赤字で、二度とやりたくなかった(笑)。でも、センスのある人たちが、皆すごくかっこいいブースを作るんですよ。こんな良い場はないな…と。それで2回めをやってみたら少しだけ黒字になった。それで続けることにして、今に至ります。

―最後に、2月開催、第6回の見所を教えてください。

田中:今回立てたテーマは「Happinessis…」。景気も良くない昨今、「幸せって何?」って考えてほしいなと。あとはとにかく「イイ感じ」のバイブを体感してほしいです。ビジネス面も考えつつ「感じ良く」やるってホント難しいんです(笑)。あと、「ロックンロール=I love you, too!」はずっと変わらない僕の人生のテーマなので、そんな雰囲気もお楽しみに!

INSPIRATION Vol.06 “HAPPINESS IS…”

開催日◎2/6(金)12:00pm-9:00pm、2/7(土)10:00am-5:00pm
会場◎The Reef(1933 S.Broadway St.,Los Angeles)
料金◎Friday Night Ticket:$40、Saturday “All-Day” Ticket:$20、 Saturday”Afternoon”Ticket:$10など。詳細はウェブサイトを参照
ウェブ◎http://inspirationla.com
 
(2015年2月1日号掲載)

奥田民生◎LAで「The Verbs」のライブ直前インタビュー

2015年1月、世界的ドラマーのスティーブ・ジョーダンらと組むバンド「The Verbs」のライブでLAに来る奥田民生さん。ライブの見どころや自身の今後などについてうかがいました。

奥田民生◎1965年5月12日、広島生まれ。1994年にシングル『愛のために』でソロ活動を本格的にスタート。ファーストソロアルバム『29』と共にミリオンヒットとなる。以後、井上陽水とのコラボレーションや、プロデューサーとしてPUFFY、木村カエラを手掛けるなど、その才能をいかんなく発揮。2009年にはロックバンド「ユニコーン」を再結成したほか、世界的なミュージシャンであるスティーヴ・ジョーダン、ピノ・パラディーノらとThe Verbsの正式メンバーとしてレコーディングやツアーを行うなど、さまざまな形態で活動。

―今回、The Verbsのライブで急遽LAに来られることになったそうですが、どういった経緯で決まったのでしょうか?

奥田民生さん(以下奥田):元々、ドラマーのスティーブが2015年1月17日(土)にLAで行われる「Drum-Off2015」っていうドラムの大会にゲストとして呼ばれたんですが、そこで一緒に演ろうって話がきて。じゃあせっかくだからThe Verbsのソロライブもやっちゃおうってことになった感じですかね。

―奥田さんは誰もが知るアーティストですが、The Verbsに関しては失礼ながら馴染みのないライトハウス読者もいると思います。スティーブ・ジョーダンはローリング・ストーンズなどともプレイしている世界的なドラマーですが、どのような経緯でバンドを組むことになったのでしょうか?

奥田:スティーブとは、僕のソロアルバム制作に参加してもらったり、ちょこちょこと一緒に仕事をしてまして。そのうちに彼が奥さんのミーガン・ヴォスとやっていたThe Verbsに「(ギタリストとして)入れ」と言われて。2010年から正式メンバーでやってます。日本でツアーを2回くらいやりましたが、それ以外の活動はあんましてないですね。まあ皆さん忙しいんで、ヒマになったらやるというやつですよ(笑)。

―The Verbsでは、どういった音楽をされているのでしょうか?

奥田:スティーブの主導のもと、ポップなことをやろうとしてる感じです。彼はローリング・ストーンズのギタリスト、キース・リチャーズのソロ・プロジェクト「Keith Richards And TheX-Pensive Winos」なんかでプレイする際はすごくタイトでロックンローラーなイメージがあるのですが、The Verbsは意外とポップ。女性ボーカリストのミーガンの存在でそうなってるんですかね。使う楽器も古めというか、ビンテージ・サウンドみたいなのが基本。だから、あんまり派手な音じゃないね。ギターも。昔の古き良き時代の音なんじゃないですか?

―The Verbsでは主にギタリストとして参加されていますが、フロントマンではなくギタリストに徹する奥田さんの姿は新鮮です。実際、ご自身はどう感じられていますか?

奥田:歌わなくて済む楽しみですかね。気楽っちゃあ気楽(笑)。普段は歌いながらギターを弾くってことが多いんですが、どっちかないだけでだいぶ楽。覚えることも少ないし(笑)。あとは、独特のグルーヴというか、あのメンバーとできる楽しみはもちろんありますね。

―今回のライブの見所をズバリ、教えてください。

奥田:ドラムのスティーブ、ボーカルのミーガン、ベースのウィリー・ウィークスだけで十分なくらい。そこにノンキに立ってギターを弾く僕の姿が見どころでしょうか(笑)。

―LAという場所でのライブに、何か特別な思いや意気込みはありますか?

奥田:LAはレコーディングでは何度も行ってますが、(LAを含む海外での)ライブは初めてなんで、新鮮ですね。英語で歌うわけでもないし、普通のいちギタリストみたいな感じでポンと行ける喜びがあります。プレッシャーが少ないですね。何と言っても(笑)。

―2014年、ご自身はソロデビュー20周年の節目を迎えられました。今後の音楽活動や人生の豊富を教えてください。

奥田:なんやかんや30年近くこの世界でやってますんで、もはや辞めるわけにもいきませんし、他の仕事も多分できないでしょうからね。何とかこの仕事を死ぬまで全うしたいと思っております(笑)。今までやってきたことを変わりなくやっていければいいですね。あとは健康に気を付けて、なるたけ波風立てないで淡々と50歳を迎えようと思います。

―最後に、『ライトハウス』読者にメッセージをお願いします。

奥田:LAはこれからも何度も行くと思いますので、よろしくお願いします。(自身のライブは)歩けなくなるまでには…やれたらいいですね。じゃあ、そのうち(笑)。もし実現した際にはぜひ、お越しください。

『The Verbs live in LA』

※21歳以上の方のみ入場可。要ID持参。
■公演日:1/19(月)開場6:30pm、開演時間は未定。会場に要問い合わせ。
■会場:The Hotel Café(1623 Cahuenga Blvd.Los Angeles)
■料金:前売り$15(2015年1/19(月)6:00pmまで購入可能。※当日券の料金未定。会場に要問い合わせ)サービスチャージ$3
 
(2015年1月1日号掲載)

LUNA SEA

日本を代表するロックバンド、LUNA SEA。女子中高生を中心に「SLAVE」と呼ばれる熱狂的なファンを持つが、2000年に“終幕”を宣言し、活動を終えた。その後、メンバーは、各方面でソロ活動を展開。およそ10年の歳月を経て、10年に「REBOOT(活動再開)」を発表した。
今回は、世界ツアーの一環で、2011年12月4日にロサンゼルスライブを開催した同バンドメンバーのRYUICHIとINORANに、REBOOTの経緯や今後の活動などについて聞いてみた。

LUNA SEAというバンドをステージの上で再確認できた

音楽って素晴らしいなぁってことを感じながらライブではギターを奏でていますね。(INORAN)

―REBOOTに至った経緯について教えてください。

INORAN:メンバー全員の気持ちとタイミングが合ったから、と言う以外、説明しようがないですね。タイミングが合う時は、何事も合うもの。今年がその時だったんでしょうね。

―別々に活動していても、メンバー間で心の通じ合いが、休止中もあった?

INORAN:そうですね。もちろん、(メンバー)5人もスタッフもそうです。休止中も応援してくれていたファンも。タイミングってあると思うから、それが1番。

―何がきっかけで、REBOOTへの動きが始まった?

RYUICHI:1番大きかったのは、2007年の一夜限りの再結成コンサートですね。あの東京ドーム公演のリハーサル初日に、みんなの音がすごく太くなって、〝終幕時に比べて、ロックしている度合いが増えていたことがわかったんです。「すごくカッコいいバンドになったなぁ」という実感が、5人の中に強くあったと思うんですよ。「こんなカッコいいんだ、オレたち」みたいな。
 それが元になって、「次に何かやらない?」って気持ちが、絶対みんなの中にわいてたと思うし。INORANが言うように、じゃあ7年ぶりに何で復活したんだ、なぜ10年ぶりにREBOOTなんだと言われても、細かいシナリオがあったわけではないし、厳密に考えていたわけではないんです。ただ、「5人が出している音ってカッコいいよな」っていう1点で、お互いのつながりを保っていられたんじゃないかなと。「あいつも頑張っているんだから、オレも頑張ろう!」と、お互いにそういう心のキャッチボールがあってから、今回のREBOOTができた気がしますね。

―REBOOTに際し、バンド結成時の原点に戻っているような感じがしますが?

RYUICHI:メンタル面では、そういう部分があるのかもしれないですね。なぜこのメンバーで、なぜこのバンドだったんだろうということを考えます。バンドに対して、ファンに対して感謝しているし、各々が感じていることを回想しながら、今、新しいLUNA SEAは動き出そうとしています。もう1度、エンジンに火がついた瞬間と言うか。「REBOOT」って言葉に、僕にはそういうイメージがあります。

―別々に活動していたメンバーがもう1度バンドとして集まった時、どんなインパクトがありましたか?

INORAN:それまでみんな、別々に走り続けていたし、集まった時のインパクトはありましたよ。みんな自分の想像を超えるくらいのモノを、いつも持って来てくれるからね。まぁ自分も当然そうだったらいいなと思うし。お互い刺激がすごくありますね。最初、出した音もそうだったし、リハーサルの時もそうでした。

―以前と比べて、何か違いはありますか?

RYUICHI:久々に集まったから、最初はどうなるんだろうと思ったけどね。僕の中では、「必死なんだけれど、余裕がある」っていうか。やっぱり、みんな場数を踏んできたからと思うんだけれど。自分なりに、ライブをやっていても、全体を感じられるようになったなと思います。そして、「LUNA SEAってこういうバンドなんだ」っていうことを、ライブステージの上で改めて再確認しました。それは、10年前の僕にはできなかったことだから。多分、メンバーも皆そういう感覚を持っていると思います。

―では、昔と変わったと感じたところは?

INORAN:日々、進化してるね。人間が太くなっているというか。だからこそ、隣りにいて、音を出すのがすごく楽しい。

R:変わったところはあまりないけれど、大人になったというか(笑)。発信している音が大人になったのではなくて、人間的に。日々、一緒にいると、1つ1つの仕草だったり、発言だったり、行動がすごく大人になったよね、っていう感じはします。ステージ以外でもみんな、イケイケだったから(笑)。今、ステージ以外では比較的大人で、蓄えておいて、ステージで爆発する、みたいな。

―ロサンゼルスがワールドツアーの公演会場に選ばれたのには、特別な理由が?

RYUICHI:実は、他にもパリや上海、北京などから公演のオファーをもらって、色々打ち合わせをしていたんですが、最終的にシェイクハンドできたのが、今回の公演数でした。また、限られた日程でしたので、ドイツ、LA、香港、台湾、日本という流れになりました。僕の希望としては、もっとやりたいんですよね。

僕らはLAにはすごくリスペクトがあるんです。今回、ニューヨークやパリ、ローマ、アテネだとか色んな都市の中で、LAの関係者やファンの声というのが特別強かったんですよ。やはり、選んだのはそこが1番大きかったですね。今回LAライブが成功して、LAでLUNA SEAの評価がすごく高くなれば、「次回、また来てくれ」ということになります。その時は、他の都市からも呼んでもらえるでしょうし、そうなれば僕らにとって幸せなことです。

INORAN:LUNA SEAを待っていてくれる人がいたから。だから僕らは、「行こうLAに!」みたいな気持ちで盛り上がれた。ダラダラやるのはイヤなので、バシッと。 期間を決めて、スケジュールを詰めて。

―LAには、以前に来られたことはありますか?

RYUICHI:ないですね。 ただ、アーティストの友人がLAに別荘を持っていたり、住んでいるので、話を聞いて憧れていたんですよね。いつかは来たいなぁと思っていました。

INORAN:僕も来たことがないです。 到着したばかりで、まだわから ないけど、思っていた想像とは違いますね。滞在が長くなれば多分味がすごく出てくるんだ ろうなと。世界中の人たちを魅 了している都市ですから、今回の滞在でその良いところをつ まみたいと思ってます(笑)。

RYUICHI:僕はニューヨーク からLA入りしたんですよ。マンハッタン のど真ん中にいたん で、それと比べると街 並みが比較的フラッ トですよね。車で移動しながら、ここにこういうポイント、そこから車で30分で別のポイント、さらに1時間でこんなビーチ、っていう風に、広い面に対して、各ポイントがいい感じに分散している街ですね。それから、本当にゆったりした時間が流れていると感じました。

どこの国のライブでも オーディエンスの想いは熱い

―ワールドツアー最初のドイ ツでは、早速反響があったようですが、いかがでしたか?

RYUICHI:ステージやホテルが郊外で、長野の軽井沢みたいな避暑地でしたので、こんな静かな街に何千人ものファンが来るのかなって、僕は最初、正直そう思っていました。実は会場は、もっと街のど真ん中だったんで、ホッとしたんですけれども(苦笑)。

とにかくオーディエンスのパワーがすごい。日本でライブをやっている時以上かもしれない。みんな日本語で歌っているし、国境を越えたすごい感動に、こいつらに負けちゃいけないなぁっていう思いさえあるライブでした。

―日本人ファンは多かったんですか?

RYUICHI:日本人は数十人程度でしたね。イタリアとかスイスからとか、ほとんどがヨーロッパのファンでした。なかにはチリから来たファンもいましたが。そういうファンを見て、本当に日本って、島国なんだなって、実感しました。見たいライブがあったら、ヨーロッパ内なら見 に行くみたいな感覚には、結構驚きました。国境はもちろんあるんですけど、ファンには国境 がないよね。

結成当時、全然想像しなかった空の下で歌っているし、演奏してるし、ライブやってるよね、僕らは。(RYUICHI)

―ステージにいる側から見て、 日本やドイツ、LAで行うライブに違いはあるんですか?

INORAN:どうでしょうね。まぁ、どこでも変わらないよっていうことを、ドイツのオーディエンスが教えてくれたと思う。僕らはオーディエンスから貰ったものを、それ以上にしてオーディエンスに返し、またそれをオー ディエンスが返してくれる。これは、どこの国のライブでも変わらない。音楽の力を信じている者同士だから、変わらないんじゃないかな。

―ライブでオーディエンスに求めることは?

RYUICHI:熱。想いと言うか、気持ちと言うか。ドイツでは、演奏中に泣いている人たちもいて、自分たちがここへ来たことを、こんなに喜んでくれているんだって。それを目の当たりにして、僕らもちょっとウルウルきたんですけども。だから同じようにしてくれという話ではなく、LUNA SEAを求めていたんだという、その想いをストレートにぶつけてほしいですね。

REBOOTしてもっと自由になれる

―海外でも歌詞は日本語のままですよね。それでも熱はちゃんと伝わるんですか?

RYUICHI:ドイツは、 10年ぶりのLUNA SEAのツアーだったし、ヨーロッパで初めてのライブでもあったので、どういう風にコミュニケーションを取ればいいだろうって考えましたね。過去にワールドツアーをやった日本のバンドのボーカリストにメー ルしたりして、どうしたらいいか聞いたんですよ。そうしたら、海外のファンは、ものすごく日本語を覚えてくる、日本語でバリバリ歌ってくるよって話で。本当かな?と思ったんだけど、フタを開けたら、ドイツで本当にそうだった。

MCも片言の英語とかドイツ語で長く話すよりも、ゆっくり日本語で話して、時々ポンとドイツ語や英語で話す方がウケるって言われて。実際にやってみたら、日本語のMCに対してリアクションがあったし、ひと言、ひと言に対して、重みを感じました。それくらい僕たちに、本当にのめり込んでくれているんです。海外のファンが日本人アーティストを探し当てて、好きになるなんてね、そもそもすごいことでしょ。

―物理的、文化的に距離がある分、ひょっとすると日本人ファン以上に熱が高いかもしれませんね。

RYUICHI:東洋の小さな島国にいるアーティスト、LUNA SEAを、世界中の人たちが必死に追ってくれている。そして、その世界に入り込んで、歌詞を覚え、意味を感じてくれ、日本語のMCに対しても反応してくれるっていうのは、本当にうれしい驚きでした。

日本のライブには、日本の良さがもちろんあるし、日本人のオーディエンスのすごさっていうのもあるんだけど、ヨーロッパの人の顔から日本語が出てきた時には、やはり驚きましたね。

―LA公演が終わった後も、香港、台湾、そして日本と続きますが、最終の日本公演まで、いい調子で行きたい?

INORAN:ドイツからバトンを持って走る僕らが、LA、香港、台湾、そして日本へと、ファンをつなげていけたらいいですね。僕は、音楽って素晴らしいなぁってことを感じながら、ライブではギターを奏でていますね。

―ライブを重ねるごとに、そういう想いは強くなっているんですか?

RYUICHI:日本人の文化がワールドワイドに通用するって、日本人としての一つの夢だったりするじゃないですか。それが今回、 第一歩とはいえ感じられていることに責任を感じるし、もちろん、もっと良いものを見せてや ろうという興奮もしています。結成当時、全然想像しなかった空の下で歌っているし、演奏してるし、ライブやってるよね、 僕らは。

―今後の活動は、どんな風に展開していこうと考えていますか?

RYUICHI:実は、まだほとんど白紙なんです。ワールドツアーや日本の公演の手応えなど、色々なものを噛みしめた後に、これからの答えが出て来るんじゃないかなと思ってます。ルーティーンで生きていかないといけないと思っているアーティストが多い中で、LUNA SEAの良いのは、毎年何かをやらないといけないという縛りなどがないところ。REBOOTして、もっと自由になれるんじゃないかな。動くことも、止まることも、しがらみなく感覚的にできるだろうし。

―最後に、LAのファンにメッセージを。

INORAN:今年は心から楽しんで、笑顔で過ごせると良いですね。

RYUICHI:「日本人って、素晴らしいよね」って思ってもらえるように、皆さん頑張っていると思うし、楽しんで生きていると思います。僕らも日本人の誇りとか、 そういう大切なモノを抱いて、 海外でももっとライブをやっていけたらいいなと思います。

1989年、RYUICH(I vo.)、SUGIZO(g.)、INORAN(g.)、J(b.)、真矢(dr.)の5人で活動を開始。91年に1stアルバム『LUNA SEA』をリリースし、翌年にメジャーデビューを果たす。その後、1年間の活動休止を宣言。98年に復帰第1弾シングル『STORM』を発表する。しかし、2000年12月26・27日の東京ドーム公演『LUNA SEA THE FINALACT TOKYO DOME』を最後に“終幕”。07年12月24日に東京ドームの『GOD BLESS YOU~One Night Déjàvu~』にて、一夜限りの再結成を果たした。
その後、10年8月31日に香港で緊急記者会見し、『LUNA SEA 20th ANNIVERSARY WORLD TOUR REBOOT~to the New Moon~』の開催を発表。「REBOOT(活動再開)」が始まった。11年3月16日には、1stアルバムのセルフカバーアルバム『LUNA SEA』をリリース予定。

(2011年1月1日号掲載)

料理家 栗原はるみさん×女優 榊原るみさん

去る9月19日に、TorranceMarriottSouthBayで開催した「栗原はるみ料理&トークショー」には、約580人の栗原さんファンが集まりました。栗原さんの料理の実演、試食会に続き、スペシャルゲストに女優の榊原るみさんを招き、対談を行いました。その一部を、誌面で再現します。

『ごちそうさまが、ききたくて。』は忙しかったから生まれたレシピ。

榊原:私が、大山のぶ代さんの料理ショーに出演するためにフジテレビに行って、その時、舞台裏で栗原さんは、ニンジンを一生懸命刻んでいらっしゃいましたよね。

栗原:私はその頃、仕事を始めたばかり。「料理番組の裏方をやらない?」って話があり、私、バイトもしたことがなくて、主人(栗原玲児氏)に「一度社会に出てみなさい。世の中は大変なんだから」と言われて。それが36歳の時だったかな。

榊原:それで料理の道に?

栗原:そうです。料理ショーの裏方を3年やって、「世の中ってこんな感じ」ってわかりました。色んな経験が得られて良かったなと。「世の中、そう簡単にはいかせてくれないぞ」と思いましたね。その時の経験がなかったら、今はないです。料理の仕事もしていないでしょう。仕事が忙しくなると、子供を置いていかなきゃいけない。その時に生まれた料理を紹介したのが『ごちそうさまが、ききたくて。』。20年前、子供が小さい時に家族のために作った料理で、美味しいって言ってくれた物を集めたんですね。忙しかったから生まれたレシピです。

料理を作るからには美味しく食べてもらいたい

榊原:家事とお仕事を両立していて素晴らしいですよね。

栗原:私は専業主婦だったから、1日中家にいたんです。彼は昔、テレビの仕事をしてたからすごく忙しかった。だから、3日も4日も帰って来ないこともありました。私、ずっと待ってたのね。そうしたら、「僕を待たないでくれ」って言われて、悲しい思いをしたことがあるんです。また、夫から「自分の世界を持ちなさい。君は僕があれこれ言わないと行動を起こせない。自分で物事を考え、何でもできないとダメだよ」って言われました。だから仕事がしたかったということもあります。

榊原:〝栗原はるみ”は、彼の力で作られたのかと思っていました。

栗原:そういう部分もありますよね。『EverydayHarumi』はイギリスで作ったんですが、私、英語がまだ苦手だから、気が進まなかった。それで断り続けていたのですが、それを見て主人が「どうしてそんなに前向きじゃないんだ。今すぐイギリスに行きなさい」って。それで3週間イギリスに行って、できない英語を毎日直されながら本を作りました。そこから英語の勉強も、もっと前向きに取り組めるようになったと思います。そういう時の後押しをしてくれたのが主人です。

榊原:本の制作以外にも色んなことをされて。

栗原:「『ごちそうさまが、ききたくて。』を見ていると、暮らしがわかる」って言われて、それからですね。仕事の幅が広がったのは。だけど、私がやっていることは特別なことじゃないから、不思議な気持ちでした。何か自分の人生が、とんでもない方向に進み始めた気がして。

今、こうしてロサンゼルスで講演しているのも、本当は「私なんかがロサンゼルスに行っていいのかな?」って最初はお受けしようかどうか迷ったんです。ただ、やはり1歩踏み出すことに意味があるかなと。新しい人たちと出会うのも、良いことですし。

榊原:やっぱり食べ物には注意してる?

栗原:ショウガとホウレンソウとインゲン、ニンジン、あと小松菜は、欠かさず冷蔵庫に入っていますね。ショウガとニンニクと長ネギ、この3つがあれば薬味ができます。ちょっと古くなりそうだったら、ショウガとニンニクはスライスして、しょう油に浸けておく。そういうしょう油を用意しておくだけで違います。同じように長ネギやニンニクを細かく切って、オイルに浸けておくとか。そうすれば、炒め物を作る時に薬味が要りません。例えば、カボチャを揚げたり、レンジにかけて熱々にして、そのネギソースと塩をかけるの。色々使えるから無駄がないんですね。何でも挑戦してみたら、楽しいでしょ。

榊原:なるほど。ショウガとニンニクとネギって老化防止にもいいですね。

栗原:他にも私のおすすめに、冷凍したご飯を、電子レンジで美味しく戻す方法があります。まず保存する時は、大体150gくらいのご飯を、ふわふわってラップに載せて包むんです。ギュッてやっちゃダメですよ。ちょっと隙間があるぐらい。それを3つとか、4つ保存する時は、必ず密閉できるポリ袋に入れて。そのまま冷凍庫に入れちゃうと、はがれたり、匂いが付いたりするからダメ。解凍時は、200W(解凍モード)で。いきなり加熱するとうまく行きません。150gで3分から3分30秒くらいが目安です。ご飯の固さとかレンジの機種によっても変わるから調節が必要ですけど、ほんのり温かいくらい。その後、600Wで1分くらい加熱します。こういう風にすれば、おいしいですよ。私の夫は、冷凍ご飯って気付かないくらい。1つ1つ丁寧に手間をかけることが大切。

1日のうちで達成感とか満足感を持つのが、楽しく暮らすコツ。

榊原:やはり愛情のかけ方ですね。

栗原:やっぱり作るからには、本当に美味しく食べてもらいたい。ご飯も上手に炊けたら、ちゃんと冷凍して、美味しく解凍したいなと思います。私も、何度も練習するんですよ。出来上がりが良くなるように、いつも考えながら作っていると、料理って上手になります。「電子レンジご飯だからしょうがないわ」って思っていたら雑になっちゃうけど、丁寧に作ろうと思うと楽しくなりますよ。

榊原:栗原さんの〝ひと手間かける〞というモットーを、頑張って実行しようと思っても、仕事が忙しくてできないという人は、どうすれば良いでしょう?

栗原:毎日、朝起きて、食事を作って、片付けして、掃除してって同じことをするでしょ。それを1日3回、15分間だけ、テンションを上げて、ものすごく頑張ってやるのがコツです。15分間だけでいいんです。料理でも、掃除でも、「じゃあ15分でやっちゃおう」って。ずっとは無理だから、1日に3回。そうすることで、一生懸命やってる自分が確認できるんですよ。達成感とか満足感とか、そういうものが1日のうちで持てないと、楽しく暮らせない。

榊原:でも、家事って誰も褒めてくれませんよね。

栗原:誰も褒めてくれなくて良いんですよ。私は、家族が気持ち良く過ごせるように頑張るのが好き。それに、小さなことでも、楽しいとか、幸せとか思えないとね。やっぱり良いことばっかりじゃないですから。そういう気持ちを忘れないで、毎日過ごすと楽しいんじゃないかなと思います。

榊原:私たち、あと25年くらいは生きられますよね。そうすると、まだまだ残りの人生がたくさんあります。将来の過ごし方は、どうされますか?

栗原:食の大切さや日本文化の素晴らしさを、次の世代に伝えていきたいです。その一つとして、今、小学校1年生から中学校3年生の子供たちに、料理を教えるボランティア活動をしています。また、主人との夫婦の時間や、家族と過ごす時間も、大切にしていきたいと思います。
 
(2010年秋・増刊号掲載)