日本舞踊家 / 花園 直道(はなぞの なおみち)

“Jダンス”の七変化楽しんで

自らの踊りを“Jダンス”と名付け、正統派の日本舞踊をベースにポップスや歌謡曲を取り入れて日本舞踊会に新風を巻き起こしている花園直道さん。10月のロサンゼルス公演を前に、花園さんに日本舞踊についての思いや公演への意気込みを伺いました。

花園直道(はなぞの なおみち)◎1998年東京生まれ。幼い頃から日本舞踊(坂東流名取。坂東蔦之龍襲名)と津軽三味線を学び、18歳でエンターテインメント集団「華舞斗~KABUTO」を結成。2008年に『花園直道with華舞斗』でCDデビュー。12年の韓国麗水万博イベントに出演経験がある他、ラスベガスやパリ、ハワイでの公演経験もあり。日本大学芸術学部中退。趣味は釣り。

― 10代から日本舞踊を始められたそうですが、きっかけは何でしたか?

花園さん(以下 花園):母親が日本舞踊をたしなみ、自宅に扇子や傘などの道具やビデオがあった関係で、私にとって日本舞踊はずっと身近なものでした。中学生の頃、同級生はサッカーや野球に熱心でしたが、そうしたものに関心がなく、打ち込めるものを探していたところ、出会ったのが日本舞踊だったのです。

―その踊りにどうしてここまで夢中になられたのですか。

花園:12歳の時。「将来、何かに役に立てば」くらいの感覚で坂東流の教室に通い始めました。また、当時、吉田兄弟の三味線が注目されていた影響で、津軽三味線も習いだしたところ、2年ほどして、津軽三味線の舞台に踊りで立たせてもらうことになりました。そこで人前で踊る快感を知ったのです。もう楽しくてたまらず、18歳で、エンターテインメント集団「華舞斗~KABUTO」を立ち上げました。

―舞台は斬新で、独自の世界を作られています。どんな思いからでしょうか。

花園:今年2月に亡くなった師匠、坂東三津五郎先生は「このままでは日本舞踊は存続がままならない」と話していました。江戸時代、 日本舞踊は大衆向けに始まり、50年ほど前までは若い人が教室に通うのは一般的でしたが、今、若い人の姿はほとんど見かけません。日本舞踊は指先の微妙な動きや所作一つで、キツネにも鬼にも変身できる全身芸術です。その魅力が理解されなくなっていて、将来が心配なのです。こうした文化が廃れないように、自分の踊りによって、日本の若い人にも、日本人以外にも日本舞踊の魅力を伝えられれば、と思っています。

華麗な扇子さばきを見せる花園さん

―どんな踊りを目指していらっしゃいますか ?

花園:江戸時代の日本舞踊は世相を反映していたので、その原点に立ち返って時代を移す踊りを目指しています。マイケル・ジャクソンやレディ・ガガなどのダンスや曲を取り入れながら、歌あり踊りあり、着付けあり、と和風テイストを残しつつ、新感覚で斬新な舞台で、今では「男宝塚」と呼ばれることもあります。私はこの踊りを「Jダンス」と命名し、今後日本以外でも広めていきたいと思っています。ただ。こうした踊りもちゃんとした日本舞踊の土台があってのことだと思うので、毎週欠かさず教室に通っています。

―今回のロサンゼルス公演の見どころは何ですか?

花園:ロサンゼルスの単独公演は昨年に続いて2回目で、今回は会場が広くなったので、「操り三番叟(あやつり さんばんそう)」など伝統的な踊りに加え、マイケル・ジャクソンや美空ひばりさんなどの曲に乗せて、踊りや歌の七変化をご披露したいと思います。ロサンゼルスには叔母が住んでいて、小学生の頃から、時折遊びに来ており、親近感を感じています。より多くの方々に「Jダンス」の舞台をお楽しみいただけたらと思います。

『花園直道特別講演 in ロサンゼルス』

■主催:
トーアエンタテインメント
■会場:
Aratani Theatre: 日米劇場 244 S San Pedro St, Los Angeles
■公演日:
10月24日(月)4:00pm
 
 
(2015年9月16日号掲載)

プロサーファー / 大原 洋人

サーフィン世界大会USオープンで優勝!日本人初の快挙を果たした18歳のプロサーファー

『僕が頑張ることでサーフィンの素晴らしさをもっと伝えたい!』

大原洋人さんが8月にハンティントンビーチで開催されたサーフィンの世界大会「2015 Vans US Open Of Surfing」で日本人として初めて優勝しました。ファイナルで見事な逆転劇を見せて、大会を制した大原さんに今の気持ちを伺いました。

大原 洋人◎1996年、千葉県生まれ。13歳でプロテストに合格後、スポンサーのサーフブランド「Hurley」チームに合流。今年から糟谷修自コーチと共にハワイ・ホノルルに拠点を移す。

― USオープンのファイナル(決勝)にはどんな気持ちで臨まれましたか?

大原さん(以下大原):決勝ということは2位は確実。どうせなら、優勝したいと思いました。予想していた優勝候補の選手が準決勝で敗退して、決勝の相手は自分と同じ世代の選手。十分勝てる、と自信を持って海に入りました。

―最初は相手が優勢。終了3分前に良い波をゲットした見事な逆転劇でした。

大原:会場となったハンティントンビーチは、大好きなポイントの一つ。何度も入っているし、波と相性がいいんです。決勝の波待ちをしている時、あ、潮が変わったと感じました。ピア(桟橋)の方に波が来るのが直感で分かり、最後の波を待つことができました。

―その波を乗り切って最後に見せたガッツポーズ。どんな思いで?

大原:誰に向かってということではなく、納得の行くライディングができて“よっしゃ!”という感じだったと思います。もちろん、これで勝てたという確信もありました。

サーフィンの世界大会USオープンで優勝し、日の丸の旗を掲げる大原洋人選手。

―今年に入って日本からハワイに住まいの拠点を移されました。影響はありましたか?

大原:ハワイで練習できたのは大きいと思います。決勝会場はグーフィー(陸に向かって左方向に進む)の波が多いのですが、いつも苦手で…。ハワイに来てボウルズに集中的に入って、グーフィーを何度も練習したのが役に立ちました。

―糟谷修自コーチの存在は大きいですか?

大原:もちろんです。今回、コーチと共に生活できたことでサーフィンが変わりました。いつもは海外でコーチと合流して、コミュニケーションもそこそこに試合になります。でも、今は生活を共にしていますから、試合の時は少し言葉を交わせば伝わります。

糟谷修自コーチ(以下 糟谷) :コーチとしては、選手が自分の思うように波の上で動いてくれるのが理想ですけど、なかなかそうはいきません。でも、まるでリモコンでもあるかのように、自分が望んだライディングをそのまましてくれる時がある。USオープンの洋人はそんなライディングをしてくれました。

―ご両親はテレビの前で号泣されたとか。

大原:今でも電話で喜びを伝えてくれます。サーフィン好きの父に孝行ができたことを嬉しく思います。

―一夜にして有名になった気分は?

大原:正直、まだ実感が湧かないのですが、SNSのフォロワー数が1万人単位で増えて、周囲の反応にびっくりしています。

―プロになった経緯と糟谷コーチとの出会いを教えてください。

大原:実は姉もプロのボディボーダーで、世界中を試合で周っています。それで、僕も海外の試合を転戦することになった時、少しでも家計の助けになればと(笑)。プロテストに合格したのは13歳の時でした。今回優勝した時、姉も海外の試合中だったのですが、とても喜んでくれたと聞いています。

糟谷 :実は昔、日本の試合に出た時に、小学生の男の子がとことこと近づいてきて「大原洋人です!」と自己紹介していったんですよ。その時のこと、よく憶えています。

大原:13歳の時、コーチとして再会したのですが、僕も憶えていました。修自さんはすごいオーラがあるプロでしたから。

―この優勝で2020年の東京五輪での種目に選定される可能性も高まりました。

大原:五輪種目になれば嬉しいですし、出場できたら、もちろんメダルを狙います。今回の優勝や五輪でサーフィンに注目が集まって、このスポーツの素晴らしさがもっと多くの人に伝わったら嬉しいです。

―優勝で世界ランクは81位から13位に。世界トップが競うワールドチャンピオンシップツアーの出場権が射程距離となりました。

大原:ここまで来たら出たいですね。だから年内の残りの試合で気を抜かずに良い成績を残さないと。ワールドツアーが今の最大の目標です。

糟谷:日本のプロで、ワールドツアーに最も近いのが洋人です。13位は日本人最高順位。最後まで気を抜かず頑張ってほしいです。

大原:はい、頑張ります!
 
(2015年9月16日号掲載)

ロックユニット / VAMPS (ヴァンプス)


世界中のファンを魅了する日本のロックユニットがLAで公演!

L’Arc~en~CielのボーカルHYDE(写真中央)とOBLIVION DUSTのギタリストK.A.Z(写真右)で結成されたロックユニットVAMPS。直前に迫ったロサンゼルス公演を前に、現在の心境からロサンゼルスへの思いまでを語っていただきました。

L’Arc~en~CielのHYDE(ボーカル)とOBLIVION DUSTのK.A.Z(ギター)が2008年に結成したロックユニット。デビュー初年に敢行した全米10カ所でのライブを筆頭に、7年間で日本国内外において350本以上のライブを行うなど精力的に活動。毎年主催する『ロック&ホラー』をテーマにしたハロウィンイベントは圧巻で、VAMPSの2人はもちろん観客も思い思いの仮装に身を包む。10年にはセカンドアルバム『BEAST』が南米チャートでトップ4入りするという日本のバンドとしては珍しい功績を上げた他、15年3月にリリースしたアルバム『BLOODSUCKERS』は、香港、台湾、インドネシアのiTunesロックチャートで1位を獲得するなど、海外でも高い人気を誇るユニバーサルミュージック/デリシャス・デリ・レコース所属。

―HYDEさんはL’Arc~en~Cielで、K.A.ZさんはOBLIVION DUSTで、それぞれ活躍されていましたが、VAMPS結成の経緯を教えて下さい。

HYDEさん(以下HYDE):もともと自分の中にあった少年時代からのロックへの憧れが再燃した感じかな。理想のロックバンドを作りたいを思ったんだ。
K.A.Zさん(以下K.A.Z):僕は海外での活動を視野に入れてこれまでやってきたけど、バンドだとなかなか意見がまとまらない。今は2人だからフットワークは軽いよね(笑)

―アジア、南北アメリカ、ヨーロッパなど、日本国外でもライブやツアーを開催されてきましたが、印象に残っているシーンはありますか?

K.A.Z:チリでのライブはものすごい熱狂っぷりと歓声で、曲のカウントが聞こえないくらいだったよね。
HYDE:そう。あの時は南米中からファンが集ってくれて異常に盛り上がった。DVDにも収録されているから、是非見てほしいな。

―今回はVAMPSの2度目のロサンゼルスでのライブですね

HYDE:前回よく覚えているのは、踊っている人もいれば、観ているだけの人もいて、とても自由だなぁって。見た目がイカツイおじさんからカワイイ女の子まで来てくれて、年齢層が幅広い。ロックが根付いた街だと改めて思ったよ。

K.A.Z:ロックの本場だし、みんなとても耳が肥えているよね。だから反応がとても素直。カッコイイとカッコ悪いの判断が的確かも。

HYDEさんが「VAMPSの集大成」と語る、2015年3月にリリースされたニューアルバム『BLOODSUCKERS』

―ミュージシャンとして経験豊富なお二人ですが、影響を受けたアーティストや親交のあるアメリカのバンドがいたら教えて下さい

HYDE:今年、全米ツアーを一緒に回ったSixx:A.M.のニッキー・シックスは、Montley Crue時代からの大ファン。今は彼がプレゼントを贈ってくれたりもするんだ。80年代のイギリス音楽にも影響を受けているよ。
K.A.Z:僕もSixx:A.M.は外せない。あとApocalypticaも。影響を受けたのはKilling JokeやNine Inch Nailsかな。

―お二人は普段どんな音楽を聞かれているのですか?

K.A.Z:EDM系やCelldwellerとか、Coldplay、Papa Roachもカッコイイよね。
HYDE:僕はSlipknotやLinkin Park、Marilyn Mansonなど、一般的なのが好きだよ。

―VAMPS結成元年から毎年ハロウィンイベントを開催されていますが、アメリカでハロウィンを経験されたことはあるのでしょうか?

K.A.Z:一度ハロウィンの時期にロサンゼルスに滞在していたんだけど、仮装した人たちがパレードをしていて、スタジオに到着できなかったことがあったよ。おまけに車はガス欠寸前。大変だったなぁ。
HYDE:僕はアメリカで経験したことないな。でも日本のハロウィンも随分盛り上がってきたよね。毎年、僕なりに楽しんでいるよ。

―HYDEさんは、L’Arc~en~Cielとしてニューヨーク・マディソンスクエアガーデンで公演した時、チケットが完売となりましたが、VAMPSの西海外での活動においてどのような青写真を描いていらっしゃいますか?

HYDE:ラルクの曲はアメリカのラジオで流れる場合、少し特殊なジャンルになると思う。でもVAMPSのは西海岸が似合うサウンド。アメリカのロックバンドの後で、僕たちの曲が流れるのが目下の夢なんだ。

―ところで、お二人はロサンゼルスでお気に入りの場所はありますか?

HYDE:初めて来た時からサンタモニカのビーチが大好き。日本では考えられないような開放感を得られるから。あとIn-N-Out(笑)。ダブルダブルのプロテインスタイルが好きなんだ。
K.A.Z:僕はベニスビーチかな。スケートボードでクールビズしたり、お気に入りのイタリア料理のお店で、ランチ食べてのんびりしたり。

―最後に、『ライトハウス』読者へメッセージをお願いします。

K.A.Z:ロサンゼルスは、20~30代の頃よくライブをしに来たり、レコーディングで何度も訪れた、思い入れのある場所なんだ。だからライブはとても楽しみで、待ち遠しい。是非ライブを観に足を運んでもらえたら嬉しいよ。
HYDE:そうだね、今回の会場は少し小さいから熱いライブになりそうだよね。VAMPSのアメリカでの活動は始まったばかり。今後もライブを増やしていくつもりなので、僕らの成長を見守ってほしいな。

VAMPSロサンゼルス公演情報

■会場:
The Roxy Theatere : 9009 West Sunset Blvd., Los Angeles
■公演日:
10月5日(月)8:00pm
 
(2015年10月1日号掲載)

158年の歴史を持つオーガニックソープ「ドクター・ブロナーズ」

ライトハウス・サンディエゴ版編集長、吉田聡子が、サンディエゴ生まれのブランドを訪問。世界に羽ばたいた物から、ローカルにこだわる物まで、名品の背景にある物語を探ります。

Dr. Bronner’s / ドクター・ブロナーズ

リキッドソープ

おなじみのリキッドソープの他にポンプ式のソープやリップバームなどもある

以前からDr. Bronner’sのリキッドソープを愛用していた。ナチュラルかつオーガニックな製品で、しかも、これ1本で髪も顔も体も(歯も!)洗えるとあり、キャンプやサーフィンのお供としてこれ以上ない理想的な石けんだからだ。
 
そのDr. Bronner’sの始まりは、1858年。当時ドイツにいたマイク社長の祖父の祖父が石けん職人となり、同社を創業。以後、5世代にわたり受け継がれ、現在に至る。 
 
160年近い同社の歴史の中で、転機をもたらし、現在の事業の礎を築いたのは3代目、マイク社長の祖父にあたるエマニュエル・ブロナーだ。

タンク

製造したリキッドソープを溜めておくタンク。香りごとにラベルと同じ色がついている
釜

リキッドソープ完成直後の釜。ラベンダーの良い香りにうっとり

1929年にドイツから一文なしでシカゴに移住したエマニュエルはすぐに石けん業界のコンサルタントとして名を成した。が、ドイツにいる両親がホロコーストで亡くなったことをきっかけに、キャリアを捨て、世界平和を訴えることを決意。ロサンゼルスへとやって来た。

ALL-ONE!

取材に対応してくれたマイク社長(右)とインターナショナル・セールス&マーケティングのキヨミさん。”ALL-ONE!”のロゴの前で

「ロサンゼルスで祖父がやったことは公園での演説。当初、石けんは、演説を聞きに来た人へのプレゼントだったんです。やがて演説を聞く前に石けんだけをもらいに来る人が増えた。そこで、彼は自分のメッセージを石けんのラベルにして売るようになったんです。石けんを売りたかったわけじゃなくて、自分の訴えを広めたかったんですね」(マイク社長)。
 
その後、サンディエゴに拠点を移したDr. Bronner’sだが、今もラベルデザインにはエマニュエルの伝えたかったメッセージが書かれている。オーガニックな自然素材を使い、フェアトレードの仕入れを実践している同社の製品作りの根底には、世界がより良いものになることを願い、人も動物も自然界のあらゆるものは一つ(ALL-ONE!)であるというエマニュエルの理念がある。

マイク社長と

マイク社長と吉田(左)。手にしているのはドイツ向けのラベルがついたポンプ式ソープ

1時間以上におよんだ取材の中で、マイク社長は今後の事業展開や新製品の話は全くしなかった。話すことは、会社がめざす”ALL-ONE!”の世界について、そしてその実現のために自分たちがしている取り組みについて。その姿に、公園で演説をしていたエマニュエルのイメージが重なった。世界各国に販路を拡大した今でも、製品を売るというより、より良い世界を実現するための手段として製品を作っているような印象を受けた。
 
ますます好きになった。

 

Dr. Bronner's

◎ Dr. Bronner’s/ドクター・ブロナーズ
1225 Park Center Dr., Vista
※上記住所は会社および工場で、販売や見学のツアーは通常行なっていません。製品はオンラインショップ、スーパーマーケットなどで販売
☎ 844-937-2551
▶ 営業時間:平日 7am~3:30pm
▶ Webサイト:www.drbronner.com

 
(ライトハウス・サンディエゴ版 2016年11月号掲載)
 
※このページは「ライトハウス・サンディエゴ版 2016年11月」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

日本で突然発生した二重国籍バッシング

冷泉彰彦のアメリカの視点xニッポンの視点:米政治ジャーナリストの冷泉彰彦が、日米の政治や社会状況を独自の視点から鋭く分析! 日米の課題や私たち在米邦人の果たす役割について、わかりやすく解説する連載コラム

1985年以前と以降の日本の二重国籍の扱い

二重国籍

日本人が世界で活躍するようになり、国際結婚が増えたり、外国で生まれた日本人が増える中で、二重国籍になる人も増えている。例えば、アメリカは「出生地主義」といって、アメリカ国内で生まれた人間は自動的に「市民」つまり米国籍者となるが、日本は「血統主義」で、親が日本人であれば日本国籍が取得でき、アメリカで生まれた日本人の子どもは二重国籍になる。
 
この二重国籍に関しては、1985年以前の日本は許容してきていた。例えば、少し前に元ペルー大統領のアルベルト・フジモリ氏が日本の国会議員に立候補したが、これも85年以前に生まれているからだ。
 
では、どうして85年に「禁止」になったのかというと、それまでは「父系主義」といって父親が日本人であれば日本国籍を与えるが、母親のみが日本人であれば与えないという制度であったのを、国連から勧告を受けて、父母どちらかが日本人なら日本国籍という改正がされたからだ。その際に、二重国籍が禁止となった。一説によれば母親のみが日本人である韓国や北朝鮮との二重国籍者が発生すると、差別の対象となるという懸念があったという。

二重国籍を解消することの難しさ

この二重国籍の禁止だが、制度としては22歳までに「国籍選択」をすることになっている。そして仮に「日本」を選択した場合は、外国の国籍を「離脱する努力」が義務付けられている。簡単に言えば、「選択」を宣言して「努力」をすればいいということで、それ以上のことは求めていない。
 
なぜならば、アメリカや英国など、「英米法」の国では国籍(市民権)というのは簡単に離脱ができないからだ。例えば、アメリカの場合、22歳になった日本との二重国籍者が「日本国籍を選択します」と日本政府に届け出て、その足で米国の判事もしくは領事(国外の場合)のところへ行って「米国市民権を放棄します」と言っても事実上は拒否される。
 
正確に言うと、アメリカの判事は「市民権放棄の理由」を尋ねるだろう。そこで「日本政府の法律に基づいて米国籍離脱の努力をしなくてはならなくなりました」という理由は認められない。なぜかというと、そのような「外国政府の圧力」から「市民の権利」を守るのが米国政府の統治目的だからだ。そこで判事はこう聞くだろう。「米国市民権の放棄は他国政府の圧力によるものではなく、完全にあなた個人の自由意志なのですか?」と。これだけなら「イエス」と言う人もいるかもしれない。だが、判事はこう付け加えるだろう。「ちなみに、ここで虚偽の証言をするとなると偽証罪として連邦法上の刑事犯になりますよ」。そう言われて「イエス」という勇気のある人はいないだろう。
 
要するに日本の法律で「離脱努力」をせよと言われているということは、米国市民権放棄の理由にならない。同じことは英国でもそうで、英国の場合は「日本政府に届けるための国籍離脱証明書」と「他国の強制によって離脱した国籍は自動的に復活する証明書」を同時に交付して「間違って復活の方を日本政府に出してはダメですよ」と丁寧に教えてくれるという話もある。
 
このように「出生による二重国籍解消」には難しさが伴う一方で、青色LEDの発明でノーベル賞を受けた中村修二教授のように、アメリカで研究費助成を受けるために仕方なく米国市民権を取り、そのために日本国籍を喪失したというケースもある。ノーベル賞の場合は特例で、日本政府は「名誉国民」のような扱いをするが、これも変な話だ。
 
そんなわけで、アメリカの在留邦人の中には「日本でも二重国籍を認めるように」という声があり、在外選挙制度の発足に伴って、そうした声を取り上げようという与党政治家も出てきていた。
 
そこへ、民進党の蓮舫党首と、自民党の小野田紀美議員の二重国籍所持が話題になり、日本では「二重国籍者へのバッシング」という異常な動きが出てきている。極めて残念な動きであり、一刻も早い沈静化を望みたい。

冷泉彰彦

冷泉彰彦
れいぜい・あきひこ◎東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒業。福武書店、ベルリッツ・インターナショナル社、ラトガース大学講師を歴任後、プリンストン日本語学校高等部主任。メールマガジンJMMに「FROM911、USAレポート」、『Newsweek日本版』公式HPにブログを寄稿中

 

(2016年11月1日号掲載)
 
※このページは「ライトハウス・ロサンゼルス版 2016年11月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

雇用によるグリーンカードの申請・取得

雇用によるグリーンカード取得にかかる期間と手続き

瀧 恵之 弁護士

Q:私は現在、H-1Bビザで働いていますが、H-1Bビザは最長6年までですので、グリーンカードの申請を考えています。アメリカが不景気になって以来、グリーンカードの取得が困難になり、取得にかかる時間も非常に長くなったと聞きました。何が困難で、どれくらいの期間を必要とするのですか?

A:確かに、アメリカが不景気になってから、グリーンカードの発給プロセスに変化が見られます。雇用を通してグリーンカードを取得するプロセスは細かく分けて、①「規定給料の設定」、②「人材募集広告」、③「Labor Certificationの取得」、④「I-140の審査」、そして、⑤「I-485(あるいはConsular Processingを通して)の審査」の5つがあります。

グリーンカード取得までの各ステップ

①の「規定の給料の設定」は、今までにも行われていましたが、非常に短期間で取得可能でした。しかし、最近になってシステムが変更され、このプロセスだけで約2カ月を要するようになりました。また、規定の給料の額が、以前よりも高く設定されています。ここで問題となるのが、スポンサーとなる会社が、規定の給料を支払えるだけの経済的能力があることを、④の「I-140の申請(審査)」の際に立証しなければならないということです。これに関しては、後述します。
 
給料の設定が終わった後は、②「人材募集広告」を約1カ月間行い、さらにその人材募集広告の反応を見るために1カ月間待ちます。
 
③の「Labor Certification」のプロセスですが、最近では以前に比べてかなり遅れ気味になっています。Audit(質問状)の来ないケースでも、Labor Certificationを取得するのに、約8~10カ月を要しています。また、Auditを受けたケースでは、Auditのプロセスだけで1年以上を要しています。
 
④の「I-140の審査」は、先述したように、スポンサー企業が労働局が定める規定の給料を払うだけの経済的能力があるかどうかが、その審査の主な対象となります。それは、以下の3つのステップで判断されます。
 
第1に、申請者が、現在その会社で(H-1Bビザ等を持って)働いている場合、既に規定の給料が支払われているかどうかです。もし規定の給料が既に支払われている場合は、仮にその会社が赤字であったとしても、認可される可能性は大です。
第2に、もし申請者の給料が規定の給料に満たない、あるいは、現在その申請者が働いていないような場合は、会社の純利益が規定の給料額以上あるかどうかが判断の対象となります。もし規定に達していれば認可される可能性は大です。逆に規定に満たない場合(例えば、会社が赤字のような場合)は、この判断基準をパスできません。
第3に、現在の給料も会社の純利益も規定に達していなかったとしても、規定の給与を支払えるだけの会社の資産があれば、基準をパスすることが可能です。これは、会社の資産表(貸借対照表)から判断されます。
 
また、これ以外にも問題を回避するための手段は多々あります。それらは会社の形態、納税申告のタイプにより異なるため、申請を開始する際に専門の弁護士に相談することをおすすめします。

グリーンカード取得までの時間に差が出るEB-3とEB-2の違い

④の「I-140の審査」を乗り切れば、最後のプロセスである⑤「I-485(あるいはConsular Processingを通して)の審査」を残すだけとなります。ここで問題となるのは、「Priority Date(優先日)」です。
 
H-1Bビザからのグリーンカード取得には、「EB-2」と「EB-3」の2つのカテゴリーがあります。EB-2は、修士号を持っているか、学士号+5年の職務経験のある人が該当します。EB-3は、学士号を持っているか、2年の職務経験のある人がその対象となります。EB-2に該当する人は、現在のところ、このPriority Dateに左右されることがなく、先述のAuditを受けなければ、約2年から2年半でグリーンカードを取得できます。
 
しかしながらEB-3の場合には、申請者のPriority Dateが回って来る(Currentになる)まで、I-485の申請を待たなければなりません。Priority Dateは、③「LaborCertification取得」の際に決められます。現在のPriority Dateは、http://travel.state.gov/visa/bulletin/bulletin_1360.htmlにて確認できます。
 
ちなみに2010年7月付けのPriority Dateは、2003年8月15日です。ただし、今申請を開始しても7年かかるという訳ではありません。現在1カ月で2カ月分、Priority Dateは進んでいます。このペースが保たれれば(これより速くなったり、遅くなる可能性があります)、Priority Date待ちで、約3年半かかるということになります。
 
(2010年7月1日号掲載)

グリーンカードの申請で取得までの時間短縮の動き

瀧 恵之 弁護士

Q:私は、現在アメリカの会社でH-1Bビザで働いています。グリーンカード(永住権)の申請を考えているのですが、現在、申請から取得までに非常に時間がかかっていると聞いています。これから申請を開始すると、取得まで何年も待たされることになるのでしょうか?

A:あなたのような人に、朗報があります。
 
アメリカが不景気になって以来、グリーンカードの手続きは、非常に遅くなりました。Labor Certificationの取得(労働局での審査)に1年以上かかるようになり、EB-3(後述)ですと、「Priority Date(優先日)」が著しく逆戻りし、その後も1カ月で2カ月分しか申請処理が進まないといった状況下にありました。しかしながら、ここ2カ月で変化がありました。Labor Certificationが、ほとんどのケースで6カ月以内、早いケースですと2カ月ほどで認可を受けています。また、EB-3のPriority Dateに関しても、6月までは1カ月間で2カ月ほどしか進んでいなかったのが、7月から8月に掛けて、一気に10カ月も進みました。
 
以下、これらの手続きについて、もう少し詳しくご説明しましょう。
 
グリーンカードの申請にあたって、まずあなたが最初に判断しないといけないのは、EB-2(第2優先)で行うか、EB-3(第3優先)で行うかです。一般的に、EB-2での申請の基本的条件としては、修士号(Master)以上の学位を持っているか、そうでない場合は、学士号(Bachelor)に加え、5年以上の職歴があることが必要です。
これに比べ、EB-3は、学士号を持っているか、そうでない場合は、2年以上の職歴があれば良いとされています。
 
仮に修士号以上の学位を持っているか、学士号に加え、5年以上の職歴があったとしても、あなたの取得した修士号、または学士号が何の専攻か、5年間の職歴も、どこで、どのような職務に従事したかということが問題となります。専攻や職歴が、スポンサーとなる会社の職場で活かされるものでなければならないのです。
 
EB-2のPriority Dateは、ここ長い間、常に”Current”となっていますから、もしあなたがこのカテゴリーに該当すれば、Priority Dateによって手続きを足止めされることはありません。Priority Dateに左右されることなく、手続きを進められるので、申請開始から約1年半で、グリーンカードを取得することができます。また、仮にあなたがEB-2のカテゴリーに該当せず、EB-3のカテゴリーで申請を行ったとしても、いつ就労許可が下りるかわからない、また、最終的にグリーンカードを取得できるのも気の遠くなるような先の話、といった状況が、先述したようにここ2カ月ほどで、大幅に改善されてきています。

改善の動きが出たグリーンカードの申請状況

グリーンカードの申請には、「Prevailing Wage(規定の給与)」の設定(これに現在約2カ月かかっています)、そして「募集広告」(同約2カ月)を終えた後、労働局に「Labor Certificationの申請」を行います。この段階では、前述のように従来は1年以上を要していたのが、現在では半年以内、早いケースで2カ月程度で認可が得られています。
 
労働局での審査で認可され、Labor Certificationが下りた後は、Labor Certificationを添付し、移民局へ永住権の申請書を提出します。この移民局でのプロセスは、大きく2つに分かれます。1つ目は、「書式I-140の申請」です。これは、スポンサーである会社が、当該従業員(申請者)に労働局が定める規定の給料を払うだけの経済的能力があるかどうかが、審査の主な対象とされます。次に、EB-3のカテゴリーでグリーンカードを申請する場合の最大の問題となる、Priority Dateが待っています。EB-3における申請では、このPriority DateがCurrentにならない限り、申請の最終段階に進むことができません。
 
この段階においても、今まで1カ月につき2カ月しかPriority Dateが進まないという状況が、突然10カ月も進みました。もちろん今後、どのような変化が見られるか、大いに注目されるところです。いずれにせよ、アメリカが不景気に入り、グリーンカードの申請状況が著しく悪化して以来初めての大きな改善ですので、多くの申請者にとって朗報と言えるでしょう。
 
(2010年8月1日号掲載)

グリーンカード申請中の労働とアメリカへの出入国について気を付けるべき点は?

吉原 今日子 弁護士

Q:グリーンカード(永住権)を申請中で、先月「労働許可」が取れました。1度日本に帰国しようと思っていますが、何か気を付けなければいけない点はありますか?ちなみに労働ビザ(Hビザ)は切れていて、3年間の延長申請を行っている最中です。

A:グリーンカードの申請中に取れる「労働許可」には、2通りあります。「Labor Certification」と「Employment Authorization」です。これらは、グリーンカード申請者の間でしばしば混同して考えられ、誤解を生む原因となっています。1つ目の「Labor Certification」は、グリーンカード申請者の間では「労働許可」と呼ばれていますが、「労働認可証」と訳すのが妥当かもしれません。
 
Labor Certificationは、グリーンカード申請の第1ステップです。労働局(Department of Labor)が発行するもので、移民局にグリーンカードの申請を行う前に取得すべき書類に過ぎません。ですから、これによって就労資格を得ることはできません。

「I-140」と「I-485」の申請が必要

グリーンカード取得のプロセスでは、労働局でLabor Certificationを取得後、移民局にて「I-140」と「I-485」の2つの申請を行う必要があります。これらをおおまかに区分すると、I-140は「雇用主の審査」、I-485は「申請者個人の審査」が行われるプロセスと言えます。
 
I-140の申請は、Labor Certification取得後すぐに開始できますが、I-485は申請者の「Priority Date(優先日)」が来た時点で申請可能となります。ちなみに現在(2013年7月時点)、グリーンカードの審査カテゴリーにおける「第3優先」の場合は、2009年1月1日以前のPriority Dateを保持している人が、I-485の申請を行うことができます。

出入国できるか否かはビザステータスが関係

I-485の申請を行う以前の段階でアメリカからの出入国が可能かどうかは、グリーンカードの申請とは関係がなく、ビザステータスがどうなっているかによります。もしあなたが取得した「労働許可」がEmployment Authorizationではなく、Labor Certification である場合、あなたはビザの延長申請を行っている最中ですので、通常はこの段階でのアメリカからの出入国はおすすめできません。ビザ延長の手続きが完了するまでアメリカ国内で待つか、急を要する場合には「プレミアムプロセス(Premium Processing)」を申請し、ビザの延長手続きを早めることをおすすめします。
 
プレミアムプロセス(Premium Processing)は、移民局に1225ドル支払うことにより、15日以内に結果を得ることができます。緊急の場合は、アメリカ出国後、日本国内でビザ延長手続きが完了するのを待ち、日本のアメリカ大使館・領事館でビザを取得して、アメリカに帰国する方法もあります。
 
I-485の申請をアメリカ国内ではなく、日本のアメリカ大使館で行おうとしている場合(Consular Processing)は、日本での面接までにアメリカからの出入国が可能かどうかは、グリーンカードの申請プロセスとは関係ありません。ビザステータスが現在どうなっているかが問題となるので、この場合も同様に前出の選択肢の中から選ぶことになります。
 
一方、Employment Authorization は、I-485 と共に申請を行い、申請後約2、3カ月で取得できます。これを取得すれば、現在働けないステータスの方も就労が可能となります。取得したのがEmployment Authorization の場合、アメリカから出入国できるかどうかはビザステータスとは関係なく、「再入国許可(Advance Parole)」を取得しているかどうかが問題になります。Advance Parole は、Employment Authorizationと同様、I-485と共に申請し、約3、4カ月で取得できます。これによりI-485の申請中、アメリカからの出入国が可能になります。現在、I-485に加えてEmployment AuthorizationとAdvance Paroleを同時に申請すると、Employment AuthorizationとAdvance Paroleの両方の用途を1枚で兼ねるカードが送られてきます。このカードの取得後であれば、現在ビザスタンプが切れている場合でも、出入国が可能になります。

H-1Bビザ保持者は許可を受け、出入国可能

H-1B、L-1ビザ保持者を除いては、Advance Parole申請中のアメリカの出入国は認められていないため、I-485が却下されてしまいます。これは、H-1B、L-1の場合、アメリカでの短期就労と永住の意思を持つ(Dural Intent)ことが認められているからです。あなたの場合、H-1B保持者ですので、Advance Parole申請中でも、H-1Bの移民局での認可を取り、H-1Bの大使館面接を受ければ、アメリカの出入国が可能です。
 
(2013年7月16日号掲載)

グリーンカードを取得した後に気を付けるべきことは?

吉原 今日子 弁護士

Q:私は会社を通してグリーンカード(永住権)を取得しました。グリーンカードの取り扱いなどについて、今後気を付けるべきことはありますか?

A:グリーンカードを取得すると出入国に制限がなく、職業選択も自由で、米国内の滞在期間に制限がありません。米国民との婚姻を通して取得する「条件付きグリーンカード」の場合を除いて、通常、グリーンカードの有効期限は10年です。しかし、更新することができるので、実質的に永住が可能となります。さらに5年間、納税等の基本的義務を果たし、犯罪歴などもなければ、米国市民権を申請することもできます(米国民との婚姻を通してグリーンカードを取得した場合は、3年後に市民権の申請が可能)。
※詳細は「気になるメリット&デメリットどう違う?市民権vs永住権」にまとめています。
 
グリーンカードを取得することにより、全世界の所得が米国での課税対象となります。しかし、日米間の様に「相互租税条約」を結んでいる国との間では、対象国で課税されていれば、米国では免税、または減税となります。米国では、納税者は基本的に確定申告(タックスリターン)を行います。企業に勤務する人の場合、日本の源泉徴収と同じ形態で納税するケースがほとんどです。
※詳細は「アメリカでのタックスリターン(確定申告)」をご覧ください。
 
それ以外に、グリーンカード保持者が18~26歳の男子の場合は、兵役義務「Selective Service」に登録しなければなりません)が発生します。兵役の義務を拒否することはできますが、拒否することによって、将来の市民権申請に制限が出てきます。
 
また移民法では、米国に在留する外国人は、常にグリーンカード、もしくはその受領書を携帯する義務があるとしています。その義務を怠った場合、軽犯罪とされ、100ドル未満の罰金、または/および30日未満の禁固刑が課されます。
 
これは、長い間存在してきた法律ですが、取り締まられてきませんでした。しかし、最近、この法律が執行され始めているという現状が、明らかになってきています。ですからグリーンカード保持者は、常にカードを携帯しなければなりません。

米国外での長期滞在にはRe-entry Permitを取得

グリーンカード取得後に、もし6カ月以上米国を離れる場合、「Re-entry Permit」を申請する必要があります。これは、長期にわたり米国外に滞在しても、再度米国に戻る意志があることを証明することにより、グリーンカードを維持し続けられるシステムです。Re-entry Permitがない状態でグリーンカードを維持するには、連続180日以上米国外に滞在しないことが、1つの条件として挙げられます。また、180日以内であっても、長期にわたり出入国を継続し、米国外での滞在期間が過去5年間で合計2年半以上になると、永住の意志を放棄したと見なされ、グリーンカードを失う可能性があります。
 
例えば、日本に連続して5カ月間滞在し、米国に戻り1週間だけ滞在し、再度日本に5カ月滞在するというようなことを繰り返した場合、米国入国の際、入国審査でグリーンカードを取り上げられることになります。入国審査官にグリーンカードを取り上げられた際、コンテスト(異議申し立て)を行うかどうか聞かれます。行わない場合は、一般の観光者と同じように観光のステータスで入国が許可され、最高90日までの滞在資格が与えられます。
 
異議申し立てを行う場合は、移民局の裁判所への出頭日をその場で知らされます。裁判では、米国永住の意志があるかどうかが焦点となり、この意志がないと判断されると、グリーンカードを失うことになります。永住の意志の確認では、客観的な証拠(例えば、米国に会社を持っていて、米国民の従業員が多数いるなど)が吟味されます。そして、その判断基準は極めて厳しいと理解した方が良いでしょう。

一方、Re-entry Permitを申請した場合、1回の申請で最長2年間、グリーンカードを維持しながら米国外に滞在できます。その間、米国への出入国は自由にできます。2年以上、米国外に滞在する場合は、いったん2年以内に米国に戻り、滞在中に再度Re-entry Permitを申請します。2度目の申請までは、2年間のRe-entry Permitを取得できますが、3度目以降は1年間のみとなります。
 
ここで気を付けていただきたいのは、Re-entry Permit取得後、米国を2年間離れると、その後、市民権を申請することができないということです。なぜなら、市民権申請の条件として、過去5年間に連続して180日以上米国外に滞在していないこと、および過去5年間のうち、合計半分以上の期間、米国内に滞在していることと、規定されているからです。
 
(2011年3月16日掲載)

まもなく21歳になる娘と一緒にグリーンカードを取得するには?

瀧 恵之 弁護士

Q:私は、日本の大学を卒業後、7年間働いた後にアメリカに来ました。現在、Eビザを保持し、会社を通してグリーンカードを申請しています。私の場合、グリーンカードは1年半程で取得可能と聞いていますが、私にはアメリカの大学に通う長女がいて、もうすぐ21歳になります。私がグリーンカードを取得する前、娘が21歳の誕生日を迎えてしまうと、私と一緒にグリーンカードが取れないだけでなく、その時点でEビザの資格がなくなり、学生ビザに切り替えないといけないと聞いています。そうすると学費も上がるので、何とか一緒にグリーンカードを取りたいと思います。何か良い方法はありますか?

A:4年制大学を卒業し、5年以上の職歴(あるいは、職歴がなくとも修士号以上を取得)があれば、グリーンカードの申請における第2優先のカテゴリーに属し、通常よりも遥かに短い期間で取得することができます。仮にあなたのお嬢さんの21歳の誕生日までにグリーンカードが取得できない場合、お嬢さんが「Child Protection Act」の適用を受けることができるかどうかが大きな問題となります。この点について、以下に述べさせていただきます。
 
雇用を通してグリーンカードを申請する場合、一般的にその第1段階として、労働局に「Prevailing Wage(申請職種における平均的な給与)」がいくらであるか確認した後、人材募集広告を出します。そして、労働局に「労働認可証(Labor Certification)」の申請を行い、その認可を受ける必要があります。この最初の手続きには、通常Prevailing Wageの要請から人材募集広告完了まで約3カ月、労働局の審査に約3~5カ月、合計で平均約7カ月を要しています(2011年3月時点)。ただし、労働局からの監査(Audit)を受けてしまった場合(これは、一般的にランダムに行われる場合がほとんどです)には、さらに10カ月を要することになります。
 
第2段階では、スポンサーである会社が、当該従業員(申請者)に労働局が定める規定の給料を払うだけの経済的能力があるかどうかが審査されます。この申請は、通常I-140による申請と呼ばれます。最後に第3段階として、申請者自身が条件を満たしているか、犯罪歴や不法滞在歴がないかなどが審査されます。この申請は、通常I-485による申請と呼ばれます。

労働認可証の取得時期が大きな鍵

あなたの場合は、第2優先のカテゴリーでの申請が可能なため、前記の第2段階の申請(I-140)と、第3段階の申請(I-485)を、同時に移民局に行うことができます。Child Protection Actでは、I-485の申請を行った時点で、子供が21歳に達していなければ、その後、グリーンカードの取得までにどれだけ時間がかかっても、子供も同時に取得できると規定しています。従って、I-485の申請が認可され、あなたがグリーンカードを取得した時点で、お嬢さんが21歳の誕生日を既に迎えていたとしても同時にグリーンカードを取得することができるわけです。さらに、I-485の申請が何らかの理由で却下され、その後、不服の申し立て(Motion to reopen、Motion to reconsider)、あるいは異議の申し立て(Appeal)を行い、その後、認可を勝ち取ったような場合であっても、Child Protection Actが適用されるとされています。
 
従って今回の場合、いつ前記のLabor Certificationを取得できるかが重要な鍵になります。労働局からの監査を受けない場合ですと、前述したように、現在、平均約7カ月間でLabor Certificationの手続きを終了することができる一方、監査を受けてしまうと、合計で約17カ月間かかることになります。あなたがこの監査を受けなければ、かなりの可能性でお嬢さんは、一緒にグリーンカードを取得することができるでしょう。
 
しかしながら、万一監査にかかってしまい、Labor Certificationが認可された時点で、お嬢さんが21歳の誕生日を迎えてしまっていれば、ご一緒にグリーンカードを取得することはできません。その場合、家族申請、あるいは独自に申請することを考えなくてはなりません。そこで、現時点でまだLabor Certificationの申請に到っていない段階にあるのならば(監査を受けるか否かは、特殊な場合を除いてあなた自身がコントロールできないことであるとしても)、Labor Certification申請までの時間をできる限り無駄にしないように、Prevailing Wageのリクエストや人材募集広告等の手続きを、円滑に進めておくことをおすすめします。

永住権(グリーンカード)申請の「I-140」手続きに「プレミアムプロセス」適用開始

吉原 今日子 弁護士

Q:私はH-1B ビザを取得しており、現在アメリカでグリーンカード申請中です。最近、「I-140」の手続きに「プレミアムプロセス」が適用されたと聞きました。これによって私のビザ、グリーンカード取得にどのような利点があるでしょうか。教えてください。

A:雇用を通してのグリーンカード申請の場合、大きく分けて3つのステップがあります。第1ステップは、「Labor Certification」(労働局の審査-「PERM」と呼ばれるもの)です。これは、アメリカ国内に、あなたが申請している職務を果たせるアメリカ人がいないことを証明するための審査です。第2ステップの「I-140」では、主にスポンサー会社が、労働局で定められた給料を支払うことができるかを審査します。第3ステップ「I-485 / Consular Processing」は、申請者自身が条件を満たしているかの審査です。
 
今回、法改正(2009年6月29日より施行)により、第2ステップに「プレミアムプロセス」が適用されるようになりました。これにより、通常約1年間かかっていたI-140の審査結果を、わずか15日間で知ることができます。この法改正により、グリーンカード取得においてどのような変化が出るのかは、グリーンカード申請のカテゴリー、申請方法によって変わります。

「EB-3」カテゴリーの申請者への影響

EB-3(4年制大学卒か、2年間の訓練を必要とする職務に就いている場合)で申請している人は、第2ステップの申請が終わっても、自分の「Priority Date」が回って来るまで、第3ステップに入ることはできません。従って、第2ステップの審査が早く終わっても、グリーンカード取得期間が短縮されるわけではありません。
 
しかし、多くのグリーンカード申請の却下原因が、このI-140の審査にあります。理由としては、スポンサー会社が労働局で定められた給料を申請者に払うことができないと判断される場合が多いです。ですから、I-140の結果を早く知ることで、現状のスポンサー会社で申請を続けるか、別のスポンサー会社を探した方が良いのかの判断が早くできます。

「EB-2」カテゴリーの申請者への影響

「EB-2」カテゴリー(4年制大学を卒業し、スポンサーである雇用主の業務に関連した職務に5年以上従事しているか、修士号を取得している場合)でのグリーンカード申請には、第3ステップをアメリカ国内で申請する方法(I-485)と、日本で申請する方法(Consular Processing)があります。アメリカ国内で申請する場合、I-140とI-485 を同時に行えます。この場合、I-140 の結果を早く知ることができても、I-485 の結果が出なければグリーンカードを早く取得することはできません。ですから、米国内で申請している人にとってのベネフィットは、EB-3で申請している人の場合と、ほとんど同じです。
 
しかし、第3ステップをI-485 ではなく、Consular Processing で行う人にとっては、グリーンカード取得の時間がかなり短縮できると考えられます。日本で申請をする場合、第2ステップ(I-140)の申請が終わった後、第3ステップの審査が日本で行われ、審査終了後、日本での面接後、グリーンカードが届きます。ですから、通常約1年かかるI-140の審査を、15日間で終わらせることによって、1年近くグリーンカード取得時間を縮めることができるということになります。

法改正によるH-1Bビザへの影響は?

H-1Bビザの有効期限は、通常最長6年間です。しかし、H-1Bビザの期限が切れる1年前からグリーンカード申請(第1ステップ)を始めていれば、期限が切れた後も1年ごとの延長が可能です。また、H-1Bビザの期限が切れてしまう前に、第2ステップ(I-140)の審査が終わり、認可を受けていれば、H-1Bビザの有効期限を3年間延長することができます。
 
以前は、H-1B ビザの6年間の期限が切れる6カ月前からでなければ、I-140でプレミアムプロセスを行うことはできませんでした。しかし、今回からは、それに関係なくI-140でプレミアムプロセスを行うことが可能です。ですから、H-1Bビザの失効期限まで6カ月以上あっても、3年ごとの延長が可能になります。 グリーンカード申請カテゴリー、申請方法によって、法改正の影響は違ってきます。また、H-1Bビザの延長をする時点で、期間があとどれくらい余っているかによっても違ってきます。ですから、現在の状況を弁護士と相談され、プレミアムプロセスを利用した方が良いのかどうか、判断してもらった方がいいでしょう。
 
(2009年8月16日号掲載)

PERM施行開始から約3年、雇用を通じてのグリーンカード申請の状況

KEVIN LEVINE 弁護士

永住権(グリーンカード)の取得プロセス

PERM は永住権(グリーンカード)の取得プロセスを早める目的でアメリカ労働省により2005年の3月に施行されたプロセスで、雇用を通じての永住権申請における労働認可(Labor Certification)の手続き期間を短くするというものです。現在、労働省では大量の申請を受領しており、幸運にも申請が下りている人もいますが、その後の過程で “優先日(Priority Date)”と“未処理残留数(Quota Backlogs)”で問題が生じています。
 
アメリカの移民法では毎年度(年度は10月から翌年の9月まで)、グリーンカードの発給数をすべてのビザカテゴリーごとに定めています。さらに雇用を通じてグリーンカード権を申請する場合、雇用主、国などにより、EB-1(第1優先枠)、EB-2(第2優先枠)、EB-3(第3優先枠)といったカテゴリーに分けられます。特定のビザカテゴリー、もしくは国籍について、発給数の制限を越えてしまう場合、ウェイティングリストを作り、申請がファイルされた日により優先順位をつけ、ケースの手続きが進められます。この日付が“優先日”と呼ばれるもので、ほとんどのケースの申請に大きく影響するとても重要なものです。なお、この日付は雇用を通じた申請の場合、労働認可が労働局でファイルされる日と同じ日です。
 
永住権を取得するためには、ビザナンバーが有効にならなければなりません。これを優先日が有効(Current)になったと言い、自分の優先日より古い優先日を持つ人が未処理で残っているうちは順番が回ってきません。現在有効になっている優先日は、アメリカ国務省が毎月発表する公報Visa Bulletin でわかります。2008年2月付のVisa Bulletinによると、現在、有効になっているEB-3の優先日は2002年11月1日となっています。また、EB-1、EB-2 のケースは現在の優先日が有効になっています。つまり、古い優先日のケースで未処理のものはないということです。しかし、これのカテゴリーも近い将来、状況が変わる可能性があります。
 
なお、EB-3 はEmployment-Based Third Preference の略で、Skilled Worker と呼ばれるカテゴリーです。これにあてはまるのは専門職、もしくは技術を有する労働者で、学士号を持っているか2年以上の就労の経験がある者。特に寿司シェフやH-1B ビザで働いている人がこのカテゴリーに該当します。 また、EB-2 はEmployment-Based Second Preference の略で、該当するのは修士号や博士号を持つ専門家です。EB-2 かどうかを決定する学位の条件については、申請者がどんな学位を持っているかではなく、雇用される企業のジョブポジションにおける必要条件によります。さらに、最低学士号を必要とする仕事でも、責任を伴った5年の経験があれば、修士号のレベルとみなされ、EB-2 に該当すると認められます。
 
(2008年1月16日号掲載)

アメリカグリーンカードについて、雇用ベースの取得など

KEVIN LEVINE 弁護士

Q:雇用を通してグリーンカードを申請しています。PERM導入前に労働認可の手続を始めたのですが、なかなか認可が下りません。また、優先日についても現状を教えてください。

A:PERM(Permanent Foreign Labor Certification Program)は、適当なアメリカ人労働者が見つからない場合に、雇用主が外国人労働者を雇うことができるプログラムです。このプログラムは、迅速かつ確実に実行するための改善策として、2005年3月28日に施行されました。主な改善点は、IT技術の発展を利用した申請プロセスの再構築および合理化と、州と連邦の重複する役割の削除です。この整理統合されたプロセスでは、申請上問題のないケースの場合、以前は何カ月、時には何年もかかっていたのが、45日から60日でプロセス可能になりました。
 
また、このプログラムが施行され始めた当初は、多くのコンピューター上の問題がありましたが、2006年の始め頃から効率的に動き始めるようになりました。PERMが導入され始めた頃には、約36万2000件もの未処理の労働認可申請書が、山積みにされたままになっていました。政府は、ダラスとフィラデルフィアにバックログ(未処理ケース)の解消のためだけに、バックログセンターを設立しました。2007年1月25日現在、バックログは67パーセント減少し、9月30日までには、すべて解消できる見通しです。
 
グリーンカードを雇用を通して取得するには、2段階のプロセスがあることを理解するのが重要です。労働認可のケースが政府に申請された日付、「優先日(Priority Date)」が設けられており、この優先日が有効にならなければ、アメリカでグリーンカードは取得できません。現在、米国修士号、もしくは学士号に加え5年以上の職務経験が必要とされる職業に関しては、この優先日が10月に再び有効になると思われます。ただし、専門職のカテゴリー(学士号保持者または2年以上の就労経験者)は、有効になるのにたいてい2、3年かかりますが、予測をするのは難しいことです。このため、移民法改正の議論の際に、再び議会が雇用を通したグリーンカード申請カテゴリーの発給ビザ数を増やすことが、重要なポイントとなります。
 
(2007年8月16日号掲載)

ミュージシャンの大学進学

アメリカの高校生の多くはさまざまな課外活動に参加しています。音楽に積極的に取り組む高校生の中には、大学でも音楽を続けたいと考えている人も数多くいます。今回は、大学で音楽を学びたい学生の進学方法についてご説明します。
音楽を主専攻とする学生の進学先は、大学の音楽学部とコンサバトリー(音楽学校)の2つに大別できます。
音楽も学びたいけれど普通の大学生活も楽しみたい学生には、音楽学部のある大学がお勧めです。ミシガン大学やUCLAのような大規模総合大学からイサカカレッジのような小規模のリベラルアーツ・カレッジまで多様な大学が質の高い音楽学部を持っています。
コンサバトリーは、音楽を専門に学びたい学生にとって魅力的です。一般教養も含めて、学習のほとんどが音楽に関わる内容なので、音楽漬けの学生生活が送れます。フィラデルフィアのカーティス音楽学校やニューヨークのジュリアード音楽院のように、小規模の単科大学として独立したコンサバトリーもありますが、イーストマン音楽学校(ロチェスター大学)やジェイコブズ音楽院(インディアナ大学)のように大学に併設されたコンサバトリーもあります。

自分に合うプログラムを選択

大学で音楽を学ぶと言っても、その目的は学生により異なります。プロの演奏家を目指す人もいれば、課外活動として音楽活動を楽しみたいという人もいます。音楽以外の学習にも取り組みたい学生のために、アメリカの大学ではさまざまな学習プログラムが用意されています。

①デュアルディグリー

コンサバトリーで音楽を学びながら、大学で他の専攻も併せて学ぶことにより、コンサバトリーと大学の両方から学位を取得できます。ノースウエスタン大学を例に挙げると、ノースウエスタン大学で文学士や理学士を取得すると共に、併設するビーネン音楽院で音楽学士を取得するプログラムがあります。また、ハーバード大学とニューイングランド音楽院のデュアルディグリー・プログラムでは、ハーバード大学で文学士を、ニューイングランド音楽院で音楽修士を取得できます。デュアルディグリー・プログラムに進学するためには、コンサバトリーと大学の両方に合格する必要があります。2つの学位を取得するのには、一般的に5年かかります。

②ダブルメジャー

主専攻を2つ選び、同時に履修する方法をダブルメジャーと言います。音楽学部の中で2つの専攻を選ぶ場合もあれば、音楽学部とそれ以外の学部で2つの専攻を選ぶ場合もあります。デュアルディグリー・プログラムによく似ていますが、ダブルメジャーの場合、得られる学位は1つです。例えばカーネギーメロン大学の音楽学部は、音楽以外の専攻とダブルメジャーをしている学生が多いことで知られています。ダブルメジャーの要件や卒業までの年数等は、大学ごとに異なります。

③ミュージックマイナー

心理学や生物学など、音楽以外の主専攻を選び、音楽を副専攻(マイナー)で学ぶ方法もあります。主専攻では将来の進路に大きく関わる分野を選びながらも、音楽にも積極的に関わりたい学生に適した選択と言えるでしょう。例えば南カリフォルニア大学ソーントン音楽学校は、音楽をマイナーで選ぶ学生向けのプログラムも非常に充実しています。

④課外活動としての音楽

音楽学部に所属しなくても、大学で音楽活動をすることは可能です。音楽を専攻していない学生でもアンサンブルに参加したり、レッスンを受けたりすることができます。また、マーチングバンドも課外活動として取り組む学生がほとんどです。

進学準備の進め方

進学準備で最初に取り組むべきことは、大学探しです。知名度の高い大学や、有名な音楽家が在籍するコンサバトリーに目が行きがちですが、そうではなく、自分との相性を見極めることが大切です。実際にキャンパスを訪問し、音楽学部の教授や学生に会って、大学の雰囲気を肌で感じとってください。
 
アメリカの大学のアドミッションは書類審査が基本ですが、音楽を主専攻として進学する場合はオーディションが課せられます。オーディションに向けて練習を積む必要があるため、音楽専攻の進学準備は、一般の専攻よりもはるかに長期戦となります。また、締切や応募要件も一般の専攻とは異なるので、できるだけ早く情報収集を始めて、余裕を持って準備を進めましょう。
 
(2016年10月16日号掲載)

ジャズピアニスト / 上原ひろみ


「音楽を作ることに毎日わくわくドキドキ」

日本を代表するジャズピアニストで、世界中に幅広い層のファンを持つ上原ひろみさん。毎年、世界を舞台に約100日150公演のツアーを続けています。9月のLA公演を前に、今回の公演に対する思いや見どころなどについてお話をうかがいました。

上原ひろみ◎1979年静岡県浜松市生まれ。6歳よりピアノを始め、同時に作曲も学ぶ。17歳の時にチック・コリアと共演。1999年にボストンのバークリー音楽院に入学。在学中にジャズの名門テラークと契約し、2003年にアルバム『Another Mind』で世界デビー。2011年、『スタンリー・クラーク・トリオ feat.上原ひろみ』で第53回グラミー賞「ベスト・コンテンポラリー・ジャズ・アルバム」を受賞。2014年、オリジナルアルバム『ALIVE』をリリース。

―今回のツアーのみどころを教えてください。

上原ひろみさん(以下上原):最新のアルバムリリースから1年経ち、進化した姿を見ていただけると思います。1年ずっと曲を料理してきたので、味付けが変わったり、いろんなアングルから捉えられるようになったり、曲が成長した所も見どころです。

―ライブのセットリストは当日作るそうですが、どのようなことを考慮して作るのですか?

上原:その日のフィーリングや会場の雰囲気に曲が合うかですね。会場の音響環境も気にしてます。1日2回公演のときは、1回目と2回目で曲を全て変え、全く違うコンサートにします。

―馴染みのライブハウスで演奏することと、初めての会場や土地で演奏することは違いますか?

上原:やっぱり馴染みの会場は、自分たちも慣れているので演奏しやすいです。同じ会場が続くときは、毎日同じ音の環境で演奏できるので集中できますね。初めての会場では、音の環境に慣れるように、サウンドチェック中にいろんな曲を試して弾きます。

―お客さんの反応は国によって違いますか?

上原:国というより、会場によって違いますね。例えば日本でもブルーノート東京とフジロックフェスティバルとサントリーホールでは反応が違います。お客さんのリラックス度が一番高いのは、ご飯を食べ、飲みながら聴くクラブ。コンサートホールは音に対する集中力が高いので、最初の1音からお客さんの研ぎすまされた集中力を感じますし、それぞれの良さがあります。

―さまざまな方とコラボする中で、今のトリオが長続きしている理由は何ですか?年が離れた2人(ベースのアンソニー・ジャクソンはアフリカ系アメリカ人で63歳、ドラムのサイモン・フィリップスはイギリス人で58歳)と、なぜうまくいってるのでしょう?

上原:今のトリオを始めてもうすぐ5年ですが、やればやるほど3人の化学反応が面白いです。ステージに上がると年齢、国籍は全く関係無くなり、いちミュージシャンとして音で会話するので、一緒に演奏していて歳の差を意識したことはないです。彼らと一緒に音楽を作ることに毎日わくわくドキドキしています。自分たちが自分たちの音を一番聞いているので、自分たちの好奇心をかき立て続けられるかどうかは重要で、それができる刺激的な仲間です。

―上原さんはよくラーメンの写真をブログにアップされますね。

上原:そうなんです(笑)。ツアーで海外に行くと和食を食べられる機会は少ないので、LAのように和食が食べられる街に行くのは楽しみです。特にしょう油ラーメンととんこつラーメンが好きで、去年LAで公演した際も、ミツワでラーメンを食べました。

―ライトハウス読者に向けてメッセージをお願いします。

上原:今回、LA公演を行うブロードステージは、とても好きな会場の1つです。毎日、一期一会でその日その場所でしかできない音楽を追い求めています。即興演奏は、その日どんな冒険が待っているのか自分たちでも分かりません。その冒険をお客さんたちと一緒に楽しめたらいいなと思っています。

『Hiromi The Trio Project』

■公演日: 9月28日(月)
■時間: 7:30pm
■会場: The Broad Stage
(1310 11th St., Santa Monica)
■料金: $65〜
■チケット&詳細: www.thebroadstage.com
■上原ひろみ公式サイト: www.hiromiuehara.com
■上原ひろみ公式ブログ: http://blog.hiromiuehara.com
 
(2015年9月1日号掲載)

俳優 / 松井 誠


「舞台中はすべて忘れて酔いしれて」

昭和の大俳優、長谷川一夫の再来と言われ、多くの熱烈なファンを持つ松井誠さんは、歌舞伎界や日本舞踊会からも注目される俳優。8月に初のLA公演を控え、会場の下見に来ていた同氏にインタビューし、今回の公演に対する思いや見どころなどをうかがいました。

松井誠◎1965年、九州が拠点の松井千恵子一座の子どもとして生まれ、0歳から子役としての人生を歩む。旅役者生活に嫌気が差し、中学卒業時に一度は家出して上京するも、18歳で再び九州に戻る。それからは順調に舞台経験を重ね、「肥後の杉良」「生きる博多人形」と呼ばれ人気を博す。25歳で再び上京し、劇団員4人で「劇団誠」を旗揚げ。以降、「歌舞伎より美しく、吉本よりも面白く、新派よりもせつなく」をモットーに独特の大衆娯楽劇でファンを魅了している。

―LA公演実現まで3年間スケジュールが埋まっていたほどご多忙の中、今回は会場の下見に来られたそうですね(取材は2015年5月)。

松井誠さん(以下松井):下見は公演2、3日前でいいのではとも言われたんですが、中途半端なことはしたくないんです。初めての会場なので、舞台から客席を見た感覚はもちろん、客席から舞台を見た感覚も自分の体に入れておきたくて。そのために昨日は客席から別のショーも見ました。

―LA初公演ということで、日本人をはじめアメリカ人の方々も観劇に来られると思います。見どころを教えてください。

松井:日本の伝統的舞踊である黒田武士などを通して、日本文化をきちんと伝えたいですね。また、魂が宿った日本人形に扮して動き回り、最後は人形ケースに帰っていくという芸や、舞台上で女形を演じながらお客様の前で着物を着替える「女形早着替え」などもぜひ見ていただきたいです。それからもう一つ。最近の舞台は、演者とお客様がテレビとその視聴者のような、お互いからかけ離れたものになってきている気がするんです。でも、私の舞台ではライブならではの迫力をしっかり出しながら、お客様からも拍手やお声がけをいただいたりして、役者とお客様で舞台の熱を共有したいと思っています。

―なるほど。それは本当に楽しみです。今回、LAに来られて、訪れてみたい場所や食べてみたいものなどはありますか?

松井:ゆっくり観光を楽しむってなかなかできないんですよね。舞台前は体調を崩したくないのであまり外出しません。出かけるとすれば舞台が全て終わってからですが、次の舞台もあり、なかなか時間が取れないのが正直なところです。食べ物に関しては、今日ステーキを食べに行くのを楽しみにしています。ただ、こちらの食事はボリュームがすごいですよね。職業柄太れないので、全部食べちゃわないように気を付けます(笑)。

―体調管理にすごく気を遣ってらっしゃるんですね。プロ意識を感じます。

松井:食事制限以外にも風邪を引きそうだったらすぐ風邪薬を飲んじゃうとか、体調にはすごく敏感です。ただ不思議なことに、舞台に上がってしまうと39度の熱があっても終わる頃には下がっているなんてこともよくあって。これはもう、何か自分以外の別の力をどこかからいただいている感じがしますね。

―最後に、読者に向けてメッセージをお願いします。

松井:私の舞台はどなたさまが観ても楽しんでいただけますし、観た後は2、3日夢に出てくるくらい、忘れられない舞台を目指しています。いいことも悪いことも全て忘れて酔いしれていただくよう精一杯努めますので、ぜひ観にいらしてください。

『松井 誠&USフレンズショー』

■主催:松井誠&USフレンズ・ショー・サポート・クラブ
■公演日:8/9(日)1:00pm開演
■会場:Aratani Theatre(244 S. San Pedro St., Los Angeles)
■料金:$60、$45、$40、$30
■チケット配布元:カルチュラル・ニュース
■チケット取扱店
・上原旅行社(319 East 2nd St. ,Suite 203, Los Angeles☎213-680-2499・上原)
・元氣倶楽部(18187 Van Ness Ave.,Torrance☎310-819-8703 Eメール:info@higenkiclub.com ・中村)
 
(2015年7月16日号掲載)

シンガー・ソングライター / アンジェラ・アキ


「LAにいる今だからこその大胆なライブがしたい!」

毎年秋恒例、オーロラ日本語奨学金基金主催のベネフィット・コンサートに、今年は人気シンガー・ソングライターのアンジェラ・アキさんが出演!昨年から活動停止に入り、LAで音楽を学ぶ彼女に、その理由や毎日の生活、ライブへの意気込みなどについてうかがいました。

アンジェラ・アキ◎シンガー・ソングライター。3歳からピアノを始める。中学校まで徳島県と岡山県で過ごし、15歳の時にハワイへ。ジョージ・ワシントン大学で政治学を専攻、大学時代から音楽活動を本格化。2005年のメジャーデビュー以降、60万枚を超えるロングセラーのデビュー・アルバム『Home』、プラチナディスクを獲得したシングル「手紙~拝啓十五の君へ~」など、ヒット作多数。2014年8月、日本武道館公演をもって、日本での無期限活動停止に入った。

―昨年からご主人と3歳の息子さんと渡米し、LAの大学で音楽を学ばれていますが、なぜ活動を停止してまで改めて音楽を学ばれようと思ったのですか?

アンジェラ・アキさん(以下アンジェラ):頭の中で鳴り響いている音がたくさんあって。でも、それをどう表現するかで限界を感じたというか…。絵に例えると、赤はマスターできた、青を使った絵も上手に描けるけど、パステルを使った絵は描けないとか、蛍光色は上手に使えないとか。要は自分の表現のパレットにある絵の具の色を増やしたかったんです。

―なぜ、LAだったのでしょう?

アンジェラ:知り合いの音楽プロデューサーから、LAのある大学を「キミにピッタリの学校がある」って勧められたんです。学部長に会って話を聞いてみたら、まさに自分が学びたいことが学べそうだったので、決めました。場所ではなく、学校ありきでした。

―改めて大学で音楽を学んでみて、どうですか?

アンジェラ:私が取っているプログラムは、アメリカ中のシンガー・ソングライターのサラブレッドたちが集まって、曲作りやパフォーマンスなどを学ぶ場。18歳で既に音楽の英才教育を受けていて「キミ、明日からもう仕事できるよ!」って子たちばかりなので、ケツに火が付く感じで焦ってます(笑)。でも、ひねくれたところがなく、何でもチャレンジするフレッシュなマインドの彼らと一緒に音楽を学ぶのは、すごく刺激的です。

―新たに学んだことは作品作りに影響しそうですか?

アンジェラ:英語での歌詞作りは面白いですね。日本語だとシンプルなことも着飾って伝えちゃうことがあるのですが、英語だと身近な何でもないことを楽しく歌えるんです。私服のすっぴんの歌というか(笑)。このマインドセットで日本語の曲を作ったら、面白いんじゃないかとも思っています。

―毎日の生活はいかがですか?

アンジェラ:息子を朝、プリスクールに預けて授業を受けて、終わったら迎えに行って、家で母親業をして、宿題をして…と、とにかく忙しいですよ。さらに今、ミュージカルの作詞や作曲の仕事などもしていて、毎日、「母親として自分は失格」という葛藤との戦いですね。でも、主人がすごくサポーティブなので、二人三脚で何とかやっています。

―今回、活動休止中にもかかわらず、ライブを行う理由は?

アンジェラ:オーロラ基金の活動や、同基金の代表、阿岸さんの生き方にすごく共感を覚えて。あと、去年の同じコンサートでTSUKEMENさんのステージを拝見して、コンサートというより何かをシェアする「つながり」みたいなものを感じたんです。それで、私もぜひ出たいなって。

―どんなライブになりそうでしょうか?

アンジェラ:LAでしか見られないアンジェラ・アキを見せたいですね。日本の時のような「プロだから、プロらしく」ではなく、若い子たちに囲まれているがゆえの大胆さ、無邪気さが溢れているような…。自分にとってもいい思い出にできたらと思っています。

―本当に楽しみです!最後に、読者にメッセージをお願いします。

アンジェラ:我が家も『ライトハウス』で情報を得て、こちらに住む日本人の方々の仲間入りをさせてもらいました。そんな皆さんと一緒に楽しく、日々のストレスを忘れ、つながりを感じられたらと思います。当日、お会いできるのを楽しみにしています。

「Angela Aki Benefit Concert in LA」

■主催:オーロラ日本語奨学金基金
■公演日:10/18(日)5:00pm~;
■会場:The Redondo Beach Performing Arts Center (1935 Manhattan Beach Blvd ., Redondo Beach)
■料金:$125、$100、$75、$55、$35(全席指定)
■チケット取扱店:
・紀伊國屋書店LA店(☎213-687-4480)
・紀伊國屋書店コスタメサ店(☎714-662-2319)
・All American Tickets(☎888-507-3287、Web : www.allamerican-tkt.com)
・Aurora Foundation Office(☎323-882-6545、Web : www.jlsf-aurora.org)
 
(2015年7月16日号掲載)

俳優 / 仲代達矢

映画やテレビ、舞台で活躍を続ける俳優の仲代達矢さん。2014年5月に開催される「仲代達矢映画祭」では、主演映画等3本が上映される他、仲代さんによるトークショーや舞台挨拶も行われます。渡米前にお話をうかがいました。

1932年東京生まれ。81歳。俳優座養成所時代に、黒澤明監督の『七人の侍』でエキストラとして出演し、映画デビュー。以後、小林正樹、黒澤明、市川崑、成瀬巳喜男らによる数多くの名作に主演。75年からは劇団「無名塾」を主宰し、後進の養成にも当たっている。

―昨年公開の『日本の悲劇』についてお聞かせください。

仲代達矢さん(以下、仲代):『日本の悲劇』は、小林政広という若い監督によるものです。私は、19歳から俳優活動を始めて、これまで約60年の間に150本近い映画に出てきましたが、このシナリオを見たとき、こういうものは初めて見たなという感じがしたんです。人間の生き様、死に様を描いた作品はいっぱいありますけれど、これは私がミイラになるって話で、非常に独創的で興味を引かれたんです。

出来上がった作品は、やはり今までに見たこともない映画です。芸術―映画や演劇が果たして芸術の分野に入るかどうかは分かりませんけれども―は、常に今まで描かれなかった新しいものをやりたいわけです。好き嫌いのある、万人に喜ばれる作品ではないかもしれませんが、素晴らしい仕事をさせていただきました。

―今回の映画祭では、時代劇も上映されます。時代劇と現代劇では、演技に違いはありますか?

仲代:日本の時代劇は、アメリカの西部劇と同じように、やはり日本にしか作れないもので、日本映画特有のものだと思います。私は現代劇も含めて、黒澤明さん、小林正樹さん、成瀬巳喜男さん、市川崑さんら巨匠と呼ばれる方々に随分使っていただきましたけれど、同じ時代劇でも黒澤さんと小林さんの時代劇、岡本喜八さんの時代劇では全然違うんです。時代劇、現代劇にかかわらず、作る人や作品によって演技の質を変える必要はありますね。

現代劇より面白いなと思うのは、虚と実というものがありますでしょう?時代劇はそれって嘘じゃないかというような虚も堂々と描けるんですよ。ただそれを描くために、黒澤さんが生きていらした頃の時代劇などは、例えば『影武者』がそうですけど、ワンシーンのために1カ月、猛烈に稽古をするとか、時間もお金も随分かけたし、時代劇の歩き方とか、そういう様式を役者に対して厳しく指導しましたね。

―黒澤さんはどんな監督でしたか?

仲代:何より純粋で正義感と強さがありました。『乱』なんて見事な反戦映画でしょう。『用心棒』は何で作ろうと思ったかと聞くと、「ヤクザが大嫌いだから」だと言うんですよ、ヤクザを滅ぼすにはヤクザ同士をケンカさせろって。『椿三十郎』も悪しき者に対する告発ですよね。

外国に行くと、日本の総理大臣を知らない人も、黒澤だけはどこに行っても知っています。かつては黒澤さんがいて、小津安二郎さんがいて、溝口健二さんがいて、彼らが贅沢にお金をかけて映画を作ることができ、映画が最大の娯楽で、世界に冠たる日本映画であった時代があったんですよね。今、経済状況はその頃に比べて貧しくなってはいないのだけど、映画や演劇に対する関心が薄くなってきたのかな。世相でしょう。パソコンや色々なものが出てきて、劇場にわざわざお金を出して見に来るのが難しくなっています。エンターテインメントも必要ですけれど、テーマをしっかり持って、こういう人間もいるんだ、こういう社会もあるんだというようなものを見せられたらいいなあ。まずは我々作り手が魅力的なものを作って、見に来てもらわないといけないね。

―これからのチャレンジについてお聞かせください。

仲代:81歳になりましたので、役者人生もそろそろか、とは思っておりますけれども、倒れるまでは、まだ遭遇していない作品や役柄を目指したいですね。俳優座にいた頃、「失敗した作品はいつまでも覚えていてもいいけれど、成功した作品はすぐに忘れろ」と言われました。世阿弥もそう言ってるんですよね、「常に壊せ」と。成功作の後を追っていると、だんだん小さくなっていくと言うんです。ですから今までやったこともないことをやりたいなと思いますね。それと、「無名塾」なんてのをやっておりますから、僕一人じゃなくて、これまでやってこられた先輩からの文化、特に演劇を、次世代の人にどうつなげていくかということを後押ししたいと思っています。

―ロサンゼルスのファンにメッセージを。

仲代:外国に行ってそこで生活をしておられる方は、開拓者というのか、ドラマチックな生き方をされているような気がしてならないのですけれど、そういう方に今度の映画祭で、私の映画を見て共感していただけたら、非常に嬉しいです。

役者人生を捉えた、最新ドキュメンタリー映画『仲代達矢 「役者」を生きる』も上映予定

仲代達矢映画祭 @ LA日本映画祭

5/10(土)
『仲代達也「役者」を生きる』+仲代さんトークショー(New Gardena Hotel)
『用心棒』仲代さん挨拶あり(New Beverly Cinema)
5/11(日)
『天国と地獄』仲代さん挨拶あり(Double Tree by Hilton Santa Ana)
前売り映画チケット:
映画+仲代さんトークショー:
その他の映画情報やチケット購入:www.JFFLA.org
5/10~/18に開催のLA日本映画祭では、LA、OC、サンディエゴにて約20作品を上映予定。
 
(2014年4月16日号掲載)

臨床心理医 / 美甘 章子

原爆を生き抜いた父、進示さんの体験を描いた著書『8時15分ヒロシマで生きぬいて許す心』に込めたメッセージが評価され、イギリスの財団「The World Peace and Prosperity Foundation」の世界平和賞を受賞した美甘章子さん。2014年11月、授賞式帰りの美甘さんにお話をうかがいました。

みかも あきこ◎カリフォルニア心理学専門大学院で心理学博士等を取得した後、1995年よりサンディエゴ市で臨床心理ドクター、エグゼクティブ・コーチとして開業。NPO「サンディエゴ・ウィッシュ~世界平和を願う会」の代表として、さまざまな啓蒙活動を行っています

―イギリスでの授賞式はいかがでしたか?

とても素晴らしかったです。会場はウエストミンスター宮殿内貴族院の晩餐室。ウエストミンスター寺院は観光で訪れることができても、宮殿は普段は入れない場所が多く、特別な場所で各国の王族、貴族などさまざまな方とお会いし、お話できて、とても貴重な体験をさせていただきました。

―受賞の知らせを聞いたとき、どう思われました?

ちょうどその頃、学会で南アフリカに行っており、帰国後、留守番電話で財団議長のプリンスからのメッセージを聞きました。折り返し電話を差し上げたら、私の活動と、原爆を生き抜いて許す心を教えた私の父を称えたいと言ってくださって、大変光栄に思いました。
最初は父が受賞したのかと思い、そう話したところ、父に「賞はいただいて終わりではなく、さらにいろいろな場面で貢献できる可能性を広げるもの。だから、老齢の自分ではなくまだ若い章子がいただいた方がうれしい」と言われました。これは、まさに父らしいなぁと思いました。

―精力的に平和に関する活動されています。最も伝えたいメッセージは何でしょうか?

最も伝えたいのは「許す心」。でも、それだけを聞くと「言うのは簡単だけど…」というのが多くの人の正直な印象だと思うんですね。だから、人間の心を理解するという意味で、まず自分を理解できるようになってほしい。それから身近にいる相手。違う人間がいるから私たちはチャレンジをさせれたり、考えさせられたり、成長する機会があるんです。身の回りの人間関係から学び取れるものについて考えられるようになれば、それがひいては「許す心」につながります。違いを取り入れて同じになる必要はなく、「共感」(理解してみようという気持ち)を持つ。皆がそうなれば世界はもっと変わっていくと思います。

―自分を理解する、他人を理解するためのコツはありますか?

人それぞれの性質によるところもあるのでひと言では難しいですが、物事の意義をいかに多面的に考えられるかが大切だと思います。同じ出来事でも前向きに捉えるということですね。とはいえ、無理矢理前向きになろうとしても、きちんと処理できずに押し込めた感情はまた出てきます。だから、全ての出来事を一つ一つ全部処理しなくてもいい。ただ、整理できるものは整理する、相談できるものは相談する、今は置いておくものは置いておいて後でその意味を考える。そのように考えられるようになるだけで違ってくると思いますよ。

―誰もが幸せと平和を願っているはずなのにトラブルや戦争が絶えないことが不思議です。

戦うこと、力を誇示すること、自分の正当性を示すことというのは、人間の本能の中にあるものだと思います。ただ、核兵器などテクノロジーが進化していますから、本能のままでは本当に未来が危ぶまれます。だからこそ、これからは、人間性、ヒューマニティーの発達を考えていかないといけないと思うんです。宗教や信条の違いを越えて、地球人、人間家族という視点を持って共存できる方法を考えていかないと。

―サンディエゴ・ウィッシュの平和イベントも「平和とヒューマニティーの日」という名前ですね。

世界平和を謳うのは重要ですが、人間の弱い部分、生の部分を無視しては難しいんですよね。生の痛み、苦しみ、欲は皆ありますが、その上でそこにとらわれないというチョイスはできる。生の感情は感情ですが、それをどう扱うか、どういう考え方を持って、どう行動に移していくかはチョイスできることなんです。

―今、特に気になることは?

戦争を知らない時代、戦争を考えないでいい時代に育った私たち日本人の多くは、世界で起きている出来事を他人事のように傍観しているところがあるように感じます。日本社会、日本人社会のことだけではなくて、その外の人たちを思う気持ちをもっと持つ必要があるんじゃないかと思いますね。日本人対それ以外ではなく、自分も地球のいろいろな人たちの一部であるという考え方。それは日本人の誇りやアイデンティティーを捨てることとは違って、両者は共存可能なはずです。そういう教育がこの先必要だと強く思います。

 
(2014年12月1日号掲載)

『8時15分ヒロシマで生きぬいて許す心』

爆心地近くで被爆した著者の父、美甘進示さんの体験を描いた物語。想像を絶する悲惨な状況にもかかわらず、「許す心」を持って生き抜いた進示さんの生き様に心を揺さぶられます。原本英語版は『Rising from the Ashes :A True Story of Survival and Forgiveness from Hiroshima』。Amazon.co.jpまたはAmazon.com、Kindleストアなどでも販売中。

写真家 / 原美樹子

原美樹子さんをはじめとする4人の写真家が写した東京が並ぶ、「In Focus:Tokyo」展がゲティーセンターで開催中です。原さんに同展の見どころやご自身の写真について、お話をうかがいました。

1967年富山県生まれ。1990年慶應義塾大学文学部卒業。94年、東京綜合写真専門学校に入学し、本格的に写真を始める。96年、同校研究科を卒業。以後、日本国内外で多くの展覧会に出展。2007年にはニューヨークで日本国外初の個展を開催。初期から一貫して、日常の光景や偶然にめぐりあった光景を撮影し続け、その独特な空気感の作品は世界中で人気が高い。2014年秋、写真集『These Are Days』(オシリス)刊。

―ゲティーに収蔵された原さんの作品から、12点が展示されている「In Focus:Tokyo」展。見所は?

ロスに初めて来て本当に車社会なのにびっくりしたのですが、あんなに大きな美術館に自分の作品が展示されていることにも驚きました(笑)。この展覧会には、4人の写真家がそれぞれの切り口で2000年代東京を写した写真が展示されています。ロスとは全く違う都市構造の東京の街路やそこに生きる人々など、写真の細部に写りこんだ東京の魅力を見ていただけたらと思っています。

―今回の展覧会からどんなものを受け取ってほしいですか?

展示をご覧になっていたアメリカのご婦人が、私の写真の中の若い女性を見て「この人に会ったことがある気がする」とおっしゃっていました。全く異国の写真なのに、そんなふうに既視感みたいなものを感じてくださったのは不思議だなと思いました。私は写真を通して何か特定のメッセージを伝えたいとは思っていません。写真は見る人の経験や記憶によって見方もそれぞれ違うと思いますし、それぞれの方の感じ方を限定したくない。見てくださった方の記憶の断片や、それぞれの方の持つ言葉にならない複雑な感情などに、どこか触れることができればいいなと思っています。

―撮影されるときには、何を考えていらっしゃいますか?

なるべく何も考えないようにしています。ふっと感じたときに撮っています。私が使っているのは1930年代のフィルムのカメラで、ほとんどビューファインダーを見ないで撮影しています。デジカメと違って、撮ってすぐには見られないし、フレームにどんな状態で画像が収まっているかも全くわからない。だいたいこのへんが撮れているかなくらいの感覚で撮っていますね。被写体との直接の対話もほとんどありません。

―日常を撮り始めたきっかけは?

写真を始めたきっかけは、父親からカメラをもらったとか、会社勤めをしていたのだけど辞めたくて写真学校に行ったといった些細な理由でした。写真学校での最初の課題がたまたま「街に出て人を撮る」というストリートスナップで、人にカメラを向けるのは勇気がいりますが、私はそういう雑踏の中の人波に分け入っていく高揚感みたいなものが嫌いではなかったので、その課題を続けていきました。

最初は35㎜の一眼レフカメラを使っていたのですが、カメラや撮影方法を少しずつ変えていき、本当に自分の写真がこれでいいのかと行き詰まっていた1995年頃、知人がイコンタというドイツ製の6×6のカメラのボディーに50年代のレンズを付けて提供してくれたんです。それ以来、気に入ってずっと使っています。
こんな古いカメラですから、実際に撮影に使う人はあまりいませんけれど、軽くて使いやすいし、いつもバッグ入れて持ち歩いています。

―フィルムを使い続けられますか?

デジタル化が進み、フィルムや印画紙の供給量も減っています。でもなくなってしまうまでは、今の形を続けていこうと思っています。デジタル写真は物質感がないので、手応えのなさを感じてしまう部分もあります。フィルムが発酵したり熟成したりするわけではありませんが、フィルム写真の「撮ってすぐに見る」ことができない時間に、何か加味されるものがあるんじゃないかと。それに、自分にとっては今のままのスタイルでまだできることがあるように思っています。

―原さんにとって写真とは?

「写真とは何か」「なぜ撮るのか」について明快な答えはいまだに見いだせなくて、余りのある割り算をずっとし続けているような気がします。でも、答えなんてないのかもしれないですね。正しい答えなどないからこそ、写真を撮り続けている、その状態が私にとっての写真行為なんじゃないかと思っています。

Untitled(Primary Speaking),1999©Mikiko Hara

『In Focus:Tokyo』展

原美樹子、森山大道、長野重一、瀬戸正人ら日本を代表する4人の写真家による、巨大都市、東京を写した写真展。そこに生きる人々の日常と街の風景は、東京に暮らしたことがある人にも、見たことがない人にも、どこか懐かしい表情をしています。

開催期間:12/14(日)まで|The Getty Center|1200 Sepulveda Blvd., Los Angeles|☎310-440-7300|www.getty.edu|入館無料(駐車料金$15、午後5時以降は$10)
 
(2014年11月1日号掲載)

詩人 / 伊藤 比呂美

特別インタビュー 「海千山千人生相談」連載中・詩人 伊藤比呂美

本誌で「海千山千人生相談」を連載中の伊藤比呂美さん。実は、人生相談回答歴はなんと17年にも上るのです。そしてこの秋、人生相談をまとめた『女の一生』を刊行。びりびり響く愛の言葉に打たれた編集者が、サンディエゴの伊藤さんのお宅にお邪魔しました。

伊藤比呂美(いとうひろみ)◎詩人。1955年東京都生まれ。78年、第1詩集『草木の空』刊行。82年から1年間、留学した恋人を追ってポーランド暮らし。帰国して結婚し、娘2人を出産。出産・育児エッセーで人気を博す。91年離婚。カリフォルニアと熊本を行ったり来たりした後、95年三女出産。97年にサンディエゴに移住。『西日本新聞』で人生相談「万事OK」連載開始。2005年から12年まで、母と父の介護のために頻繁に日米を往復。14年10月『女の一生』(岩波新書)を刊行。現在本誌にて「伊藤比呂美の海千山千人生相談」を連載中。

ライトハウス編集部(以下編集部):2014年1月1日号から本誌で連載していただいている「海千山千人生相談」も、もうすぐ1年です。

伊藤比呂美(以下伊藤):「海千山千」の相談は自分の状況に一番近い相談が来るのよね。『西日本新聞』の人生相談「万事OK」にも、海外に住んでいる人から相談をもらうことがあるのだけど、その人には分かっても、日本の読者にはその悩みは分かってもらえない。でも、こっちの人には分かってもらえるから、すごく面白い。

編集部:ここにいるからこその悩みがあります。ここに残るか日本に帰るかとか。

伊藤:悩むよね。悩んでいる人の中には、子どものことで帰るに帰れない人もいると思う。実際、遠隔介護を経験した人間としては、やっぱり大変(伊藤比呂美さんは日米を往復しながら、09年にお母さんを、12年にお父さんを見送られました)。今一番考えているのは、私が日本に帰ったとして本当に老いたときに、アメリカにいる子どもたちが、自分もお母さんを看取らなきゃと苦労させるのがいや。

編集部:アメリカに暮らしながら、日本語で書いていくのは大変ではないですか?

伊藤:最初に来たときは、仕事も自分のスタンスの取り方も違和感があったし、仕事も減ったよね。日本に住んでいる読者と同じ感覚を持ち続けるのも難しかった。渡米当初はワープロで仕事をしていたのが何年かしてからコンピューターを導入して、ネットで新聞も読めるし市場調査もできるようになったの。それで、ようやく日本語の崩壊が止まり、違和感を感じないでここに住めるようになったかな。

編集部:英語で思うように話せなくて、もどかしくなることがあります。

伊藤:あるよね。アメリカに来て1年目に、講演をするために日本に帰ったことがあるの。そうしたらつっかえてつっかえて…。そのときから英語は読まない、書かないと決めたんです。でも、絶対読まないって決めたら、英語はなかなかうまくならないし、アメリカのコミュニティーに入れないわけ。日本語をしゃべっていたら何でも言えて、こんなに全能感があるのに、英語だとほんと惨めな移民のおばちゃんなのよね!それで苦節5年…。5年したら何となくこんなこと話しているって分かるようになってきた。

編集部:でも英語を読まなきゃいけないときもありましたよね。

伊藤:うん。子どもたちが学校から宿題とか持って帰ってくるでしょ。しかも上の2人は英語の「え」の字も知らないで来た(伊藤比呂美さんは前夫との間の12歳と10歳を含む3人のお子さんを連れて渡米)。で、連れ合いがね、本当に役に立たなかったの!「何て書いてあるの?」って聞くと仕事に入っちゃうのよ(「連れ合い」とはイギリス人の画家の方で、97年から一緒に暮らしています)。父親って根本はとにかく掛け値なしの肯定から始まっていると思うの。そこから色々あって否定していくんだけど、ステップファーザーは子どもを「人間」として見ちゃうから、悪いところがいっぱい見えて、見えたら批判するわけ。でも私たち親は「うちの子に限って」というのがなかったら育てられない。一方、相手を立てないと家族ってやっていけないのよね。でも上の子はもっとかばってあげればよかったな。アメリカに来て、子どもたちには余計な苦労をさせた。

編集部:来て良かったですか?

伊藤:分かんない。来なかったら、もうちょっと子どもたちは楽だったかな。でもいられなかったから来たわけで、しょうがないよね…。

編集部:アメリカに来て、楽になりましたか?

伊藤:今はすっごく楽!日本にいたら巻き込まれていたような面倒な付き合いもなくて、自分のやりたいことだけやっていられるしね(笑)。でも、例えば駐在員の妻は妻でこっちの付き合いがあるから大変よね(伊藤比呂美さんは前夫と共にポーランドに滞在)。日本だと、妻は勝手に自分たちの生活を持っているでしょ。でも、こっちは夫に付いて回るじゃない?最近になってようやくそういうときにどうやって動いたらいいのか身に付いたかな。

編集部:どう動けばいいのでしょう?

伊藤:日本人の妻は夫の陰にいなくちゃって思うじゃない?でも、こっちでは誰も要求していないのよ。自分が自分として振る舞っても全く平気。「あの奥さん、変わっているね」くらい。夫と妻の関係性が、アメリカと日本では全然違うんだって、始めからのうのうとしちゃえばいいの。でも、こっちに来てアメリカ風に振る舞っていると、自分のアイデンティティーがなくなっちゃうところもあるし、難しいとこよね。

編集部:ご自身の悩みをどうされますか?

伊藤:友達に言い散らす(笑)。それと、今は悩みができると「人生相談ならこう答えるな」と自分で思うわけ。でも夫婦の間のこととか、それでも解決できないものがある。それは自分の詩の中に書いちゃうの。特に『とげ抜き新巣鴨地蔵縁起』(詩集ですが、小説のようにも読め、詩の世界では「これは詩か!?」と大論争になりました。萩原朔太郎賞、紫式部文学賞受賞)は、書いているときに親も倒れ、連れ合いともすごいケンカをし、娘も大変だったけど、やっぱり書くと客観視するのよね。書いたものを見直して推敲すると、そのときに距離を取るんですよ。詩だけじゃなくて、書いているもの全部だよね。何でも書くってことで生き抜いてきた。今もそれは一緒。それしかなかった気がする。悩みはさ、最終的には自分で解決しなくちゃいけないんだけど、人生相談は悩みのクッションみたいなもので、手伝いますって感じかな。

編集部:日本の女が、アメリカで楽しく暮らしていくコツってなんでしょう?

伊藤:「あたしはあたし」。難しいなあ。はみ出し度が問題な気がするの。ここってそのための社会な気がする。それから、変人になること。詩人って変人だと思われているでしょ。すごく便利で、ゴミ出しの日を間違えても「伊藤さんは詩人だから」って。ほんと楽なのよね。あとね、ズンバ!(伊藤比呂美さん、身を乗り出しました)ズンバってお互いに紹介し合うのよ。踊りながら、「ハイ!アイム・サンディー」なんて。そうしたら人があたしの名前を覚え、あたしも覚えるでしょう。昔は比呂美で生まれてきたのに、なんで英語の名前がいるのって思ってたけど、サンディーって超楽。ズンバやってるから、最近体力もあり余ってるもんね。うーん、コツはもっとある気がするけど、個別のケースも多いから、相談ください、かな。

*「伊藤比呂美の海千山千人生相談」では読者の皆さんからのご相談をお待ちしております。お名前(ペンネーム可)、年齢、ご連絡先と共に、Eメールでdokusha@us-lighthouse.com宛にお送りください。
 
(2014年11月16日号掲載)

 

伊藤比呂美の海千山千人生相談ライブ in Los Angeles レポート

去る2015年10月24日、本誌で『海千山千人生相談』を好評連載中の詩人、伊藤比呂美さんによる「ライブ!海千山千人生相談in Los Angeles」を開催しました。ご自身もたくさん悩み、考え、書いてこられた伊藤さんの、実感とユーモアと含蓄あふれる回答に、60人近くが集まった会場は大いに沸きました。

米国初の伊藤さんのライブ!人生相談開催

1997年のサンディエゴへのめ、の『西日本新聞』で人生相談を始め、20年近く回答してこられた詩人の伊藤比呂美さん。本誌『ライハウス』では、2014年1月1日号から「海千山千人生相談」が始まりました。そして、去る10月24日(土)には、初めての「ライブ!海千山千人生相談」を開催。いつもの人生相談が誌面を飛び出して、ライブで参加者の皆さんの悩みに回答していただきました。
 
日米で人生相談に答えている伊藤さんは、まず自己紹介を行われた後、日米における相談内容も、その相談をされる読者の姿勢も異なることを指摘されました。日本に暮らす女性よりも、アサーティブで、日に焼けていて、そして人の目を気にしないで生きられる、アメリカに暮らす日本の女たち。しかし、そんな異文化、異言語の中でのアメリカ暮らしだからこそ、伊藤さんも日本の女たちも同じように悩みを抱えています。
伊東さんは、平坦ではなく、今も奮闘を続ける自信のアメリカ生活を振り返りながら、「ずっと日本に向けて、『アメリカで生きている』ことを中心に物を書いているんですけれど、日本の人がどこまで私の環境を分かってくれるかは分からない。それを理解してくれるのは、ここに暮らしている日本人じゃないかという気がする」と、アメリカに暮らし日本人に向けて人生相談に答える喜びを語られました。

観客の前でスピーチをする伊藤比呂美さん

「あなただけじゃない。みんなそうですよ」

そして始まったライブの人生相談。夫に対する不満を訴える女性には「夫は金太郎飴。どんな夫もある一定の時間が経つと、同じような不満だらけになります。昔、不満は話し合えば解決すると思っていました。でも話し合えないから夫婦なんです。話し合おうとすると夫は攻撃だと受け止める。迂回すれな話せることも20%くらいある。でも早いのは自分の生き方、考え方を変えること。夫なんていなくても何とかなるという気持ちで外に出て、友達を作る。ズンバをやる(笑)」と伊藤さん。
 
ティーンエージャーのお子さんの子育てで悩む方には、「自分を親と思わない方がいいです。では、何か。我々は『野生動物保護センターの所長』なんです」と子供との向き合い方を提案し、突然大学を辞めてフリーターになった子どもについては、「放っておきます。でもとにかく一日一つは何かを見つけて褒める。こっちの子どもは褒めると確実に伸びます」とアドバイス。
 
ほかにも義理の家族との付き合い方、性の相談、家の片づけなどの多岐にわたる内容の相談に、「あなただけじゃありません。みんなそうですよ」と、ご自身や周りの女たちの経験、そして仏典をも引いて、明るく説得力のあるご回答を次々と繰り出された伊藤さんに、会場は大きくうなずいたり、笑い転げたり……。日頃は一人で向き合ってきた孤独な悩みに、伊藤さんをはじめ会場の皆さんが肩を差し出して支えてくださったような気がした、不思議で愉快な1時間半でした。
 
(2015年12月1日号掲載)

 

ライトハウスで連載中!伊藤比呂美の海千山千人生相談コラム

生きていると、日々いろいろなことが起こります。しかもアメリカに暮らしていると、悩みはさらに複雑に…。そんな悩みの解決策は、酸いも甘いも味わってきた比呂美さんにたずねてみましょ。
※ライトハウスにて連載中の伊藤比呂美さんのコラムをいくつかご紹介いたします。

「帰るか残るか、帰るならいつか」

読者から伊藤比呂美さんへの質問:30代日本人夫婦。約5年前に夫の仕事で渡米し、アメリカで出産。現在は仕事もしています。住んでみると意外に快適だったアメリカ。でも、やっぱり日本も恋しい。夫の会社は、希望すればいつでも帰任できるらしく、その一方で夫婦揃ってグリーンカードが取得できてしまい、アメリカにずっといられる状態。子どもの教育、夫や私の将来を考えると、いつが日本への引き揚げ時なんだろうかと悩みます。いったい、どこから考え始めればいいのでしょうか。

伊藤比呂美さんの答え:帰るか残るか、あなたはまだどっちでも選べるんですね。
 
そりゃもちろん、ここでこうしましょう的なマニュアル回答があればいいんですが、一人一人事情が違いますからね。英語・文化・友人・家族・食べ物等々ひっくるめて、どっちが自分らしく生きられるかを指標にしましょうなんつーことはあたしが言わなくても、みなさんわかってらっしゃると思います。
 
とりあえず、これから起きることを予想します。
 
子どもが思春期にさしかかってしまったら、帰れなくなります。アメリカの文化に慣れた思春期の子どもを、日本の思春期の集団の中に入れるのは、はっきり言って怖ろしい。そして大学もこっちで行ったら子どもは当然、アメリカ的な価値観・アメリカ的な能力・アメリカ的な生活基盤を持って、こっちで暮らすことになる。子どもに定期的に会いたいなら、グリーンカードを失いたくない親はこっちに残るしかない。つまり帰れなくなります。
 
あなた本人ないしは夫が今までにも日本文化にきゅうくつさを感じているなら、やはりおいそれと帰れなくなります。
 
やがて親の介護で、日本のきょうだいに頼むとか、こっちから通うとか、呼び寄せるとか、ああもっと早く日本に帰っていればよかったと思いながら右往左往するうちに、いのちには限りがあるから親が死ぬ。
 
それが終われば自分の番だ。日本の介護保険はとてもいいけど、子どもは働き盛りになってまして、通ってこられるかというとかなり難しい。それで、子どもに会えない老後を考えると、やはり帰れなくなります。
 
つまり今の時点でのあたしの老婆心(あたしがいうとシャレにならないんですが)の助言は「帰るなら早く」です。もちろんさっきも言ったように、英語はどうか、友人はいるか、お金はあるか、日米の文化が好きか等々一人一人違う事情でどっちが自分らしく生きられるかがカギです。そしてそれは自分で決断を下すしかない。ああ、あたしもずっと悩んでます。
 
(2017年2月1日号掲載)

 

「政治観の異なる夫」

読者から伊藤比呂美さんへの質問:結婚して7年になる50代の女です。ご相談したいのはアメリカ人の夫との接し方です。夫は非常に熱心な共和党員でトランプ支持者です。選挙中は集会にも出かけ、選挙で勝ったときも心底うれしそうに大声を出して喜んでいました。私もどちらかと言えば共和党の考えに近いほうですが、それでもトランプを支持する気にはなれず、選挙の間は夫と何度もぶつかりました。夫と私は、政治の話をしなければ仲良く楽しくやっていますが、政治の話になるともうだめです。私が変わってしまえばいいのでしょうか。私は夫とどう接するべきかアドバイスをお願いします。

伊藤比呂美さんの答え:まず心を落ち着けてよくよく考えます。この夫と添い遂げたいかどうか。YESだった場合は、夫婦の間で政治の話を封印します。それはもうピシャッと戸を閉めるみたいに。
 
政治の話は、基本、しない。自分の意見は言わない。言わずにおれなくなったら、ぶつかりそうになったら場を離れる。話題を変える。大切な夫とケンカしたって政治的状況は変わりません。それなのに、夫婦関係も人生も崩壊してしまう。
 
国事は大事です。国事のためなら身命惜しからず、そう思って吉田松陰も井伊直弼も坂本龍馬も死んでいったと思います。あたしだってもし志士だったらそうしますけど、まだ志士になる覚悟ができてません。
 
家族や友人を大切にしたいと思う心があり、責任があると思う心がある。それを捨てる覚悟がないんだから、国事のための志士にも、サトリのための出家者にもなれずに、浮世の濁世で生きていくしかない。
 
去年死んだ夫とは、何を話してもケンカになってた時期がありました(遠い目)。そんなときでも政治的な意見だけは一致してたので、必死に政治欄読んで政治の話ばかりしてました。夫婦和合のために政治を利用させてもらったわけです。あなたのところはその逆ですね。
 
今は日本のリベラルな友人たちともそんな感じがあります。あたしだってリベラルなはずなのに意見が合わない。かれらの価値観や現実は、こっちに住んでこっちの価値観や現実を日々感じている我々とは、ちょっと違う。で、意見を言うと、外国暮らしが何を言うかと反発されてシュンとなる…。そんなことが何度もありました。
 
やがて、意見の違う話題には深入りしないという方法を身につけました。せこい世渡りと言わば言え。あることについての意見は違っていても、他に共感できるところ、意見が合うところがいっぱいあるから友人なんだ。何千何万という知り合いの中からせっかく手に入れた友人を、一つや二つ意見が合わないからって失ってたまるか、と思うんですよ。
 
(2017年4月1日号掲載)

 

「LINEで自撮り写真を送ってくる友人」

読者から伊藤比呂美さんへの質問:地元の同級生5人のLINEグループがあるのですが、定期的に「着物着たよ」「ディズニー来た★」などと自撮り写真をアップしてくる友人がいます。Facebookやインスタだとスルーできますが、LINEだと無視しづらく、毎度適当なコメントを返すのが面倒です。彼女は基本的に悪い人でないし、これからもずっと付き合いたいとは思っているのですが、何か角の立たない定型で返せるセリフのアイデアをください。(シアトル在住、36歳、女性)

伊藤比呂美さんの答え: 「いいね」ですよ。あの、よくFacebook で使ってるやつです。あの親指をあげてる絵文字も使えますね。
 
つまりあなた自身もまさに「Facebook やインスタだとスルーできます」と言ってますから、まるでFacebook のように、あるいはFacebook だとあなたが勘違いしたかのように、ああいうハンコみたいなことばを使えばいいんです。
 
相談の本質を見てみましょう。これはリア充な友人をうらやむ気持ちとLINEのグループという機能が重なったゆえのめんどくささです。LINEのグループとは、Facebook やTwitter よりは親密にちゃんとコミュニケートしようという機能ですよね。しかもあなたたちの作っているのはたった5人。これはきつい。小人数だから無視しにくい。感情はこじれやすい。でもやめにくい。だんだん身動きが取れなくなっていく人数にぴったりと合致します。
 
そんな場にリア充投稿する友人も少々掟破りですが、コミュニケートしたくないととだだをこねるあなたもまた掟破りではないですか。
 
この友人は、自分の見栄を人に見せびらかして、ほめてもらったりうらやましがってもらったりするのが、自分の存在意義になってるみたいですね。
 
そのほめ要員うらやみ要員にLINEグループの友人たちが動員されているわけ。それに従うあなたは、友人にいい顔をしたい、悪く思われたくない…という八方美人。
 
これなら、ずっとつきあっていきたいなんて思い込まずに、「いいね」しか返さないくらいに適当にやっても、その結果つきあいが途切れちゃっても、いいと思います。
 
したくないことはしません。そのかわり友人がほんとにおもしろい投稿をしたら、心の入ったコメントをします。「Like」でも「いいね」でもなくて、自分の肉声を彼女に伝えます。
 
そのときの楽しさは大きいですよ。そしてほんとうは、SNSってそうやってコミュニケートするためにあるんじゃないかと思うんです。
 
(2017年4月1日号掲載)

 

伊藤比呂美さんのTwitterはこちらから!

作家 / 柴崎 友香

特別インタビュー・柴崎 友香さん(作家)

今年「春の庭」で第151回芥川賞を受賞された作家の柴崎友香さん。英語で日本現代文学を紹介する文芸誌『Monkey Business』の朗読ツアーで、初めてカリフォルニアを訪れられた柴崎さんに、小説の面白さや創作方法、ロサンゼルスの印象についてお話をうかがいました。

しばさきともか◎1973年大阪生まれ。大阪府立大学卒業後、会社勤めを経て、99年作家デビュー。2004年には『きょうのできごと』が行定勳監督により映画化。10年、『寝ても覚めても』で野間文芸新人賞受賞。14年、『春の庭』で芥川龍之介賞受賞。

編集部:サンディエゴから始まったツアーはいかがですか?

柴崎友香さん(以下、柴崎):楽しいです。ユーモラスな作品を選んで読んでいるのですが、笑うところで笑ってくれて、こっちの人はリアクションがいいですね。

編集部:小説では意味だけでなく言葉も大切なものかと思います。自身の小説が翻訳で読まれることについてどうお考えですか?

柴崎:私自身、外国の小説が好きでたくさん読んできたので、言葉が違っても伝わるものもあるだろうし、もし誤解があったとしても翻訳はそれも含めてのものかなと。日本語が読める人だからと言って、全て意図した通りに伝わるわけではないですしね。書かれている世界に興味を持ってもらえればいいかな。違う言葉になると、自分ではあまり意識していなかった要素が目立つことや、そういう見方があったのか!と新しい発見があることもあります。

編集部:柴崎さんの作品は、どれも「ヘン」ですよね。どんなふうにあの世界に辿り着かれるのですか?

柴崎:ヘンですよね(笑)。普段から人を見るのが好きというのか、気になるんです。喫茶店にいても隣の席の人がすごく気になる(笑)。実は普通の人っていなくて、ジッと見ていると皆どこかに過剰なところがある。その面白いなとか、ヘンだなというひっかかりから想像していく感じです。。維持しようと思って維持しているわけではないのですが、子どものときの感覚がそのまま残っているのかもしれません。子どもって「あれって何でああなん?」とか聞くでしょう?私、しつこく聞いて、親や先生に面倒くさがられました。今はその疑問を自分で調べたり、考えたりできるようになったんですね(笑)。そういう小さな違いから、歴史的なことや社会的なことなど、いろいろなことが考えられますよね。

編集部:柴崎さんの目に映るLAは?

柴崎:ロサンゼルスは今まで経験したことがない感じで、人間の代わりに車がいるみたいで面白いです。ロサンゼルスに暮らしていると見慣れてしまうかもしれないけれど、違う所から来ると不思議だと思うし、逆にそれを体験して日本に帰ると、東京は人が多過ぎるように見えるかもしれない。異なるものを見ることで感覚がリセットされて、また新しい発見ができるところがありますね。

編集部:LAのことを書くご予定は?

柴崎:あると思います。でもすぐにそのままを書くわけではなく、体験したことが自分の中でフィードバックされて、何かしらの形で小説になって出ていくと思います。

編集部:映画がお好きなんですよね。

柴崎:好きですね。だからアメリカはどこに行っても、「あ!あの映画のあれだ」と。ロサンゼルスを舞台とした映画もたくさんありますけど、今はデヴィッド・リンチ感が強いかな。昨日ダウンタウン・ロサンゼルスを少し歩いただけでもすごく不思議なことがあって、「リンチの映画ってリアリズムなんだ」と思ったんです。日本では彼の映画は非現実的な世界に見えるけれど、ロサンゼルスでは普通、ではないかもしれないけれど、現実とつながった実感できる世界かもしれないと思いました。実は私は映像にとても影響を受けていて、最初は映画のように小説を書きたいと思ったんです。でも自分の小説が映画になって、撮影現場をよく見に行っていたのですが、やっぱり全然違うものでした。作り方も、できること/できないことも全然違っていて、そこから小説は自分がやりたいことを自由にやればいいかと思うようになったんです。

編集部:小説にしかできないこととは?

柴崎:ずっと模索中ですが、まずは映画は撮るのが大変(笑)。でも小説はお金はかからないし、時間も場所も選ばない。映画の撮影は天気にも左右されますが、小説は「嵐が来た」と書くだけでいい(笑)。15年くらいずっと書いてきて、こういうこともできる、ああいうこともできるんだと、少しずつ掴めてきたところです。

編集部:小説の楽しさとは?

柴崎:映画は外側から見る感じが強いですが、小説は書く方も読む方も、一回体の中に言葉が入ってくる感じがします。そうすると普段は体験できない他人の視点や、違う思考回路を一緒に体験できて、何かが体の中に残るところがある。小説は内側の感覚を書くのに強いかな。本当にその人のことが分かるわけではないのですが、他人の感覚を一緒に体験できる、それが小説の面白さかと思います。
 
(2014年11月16日号掲載)

芥川賞作家・柴崎 友香さんとめぐるミュージアムの旅 in ロサンゼルス

真っ青な空とパームツリーのおかげで、ロサンゼルスは美術にとぼしいと思われがちですが、実は世界に誇る美術館がわんさかあるのです!あまり知られていないその魅力を訪ねて、美術に造詣の深い作家の柴崎友香さんと一緒にロサンゼルスのミュージアムをめぐってみました。
 
文◎柴崎 友香

柴崎 友香さんとめぐるミュージアムーLos Angeles County Museum of Art (LACMA)ー

「巨大なエレベーターの周りの壁は、上から下までバーバラ・クルーガーの作品が展示されています」

「LACMAのミュージアムショップで、日本へのお土産をあれこれ購入しました」(柴崎さん)

ロサンゼルス、と聞いて、まず思い浮かべる観光地は、ハリウッドにテーマパーク、ビーチやショッピングあたりで、美術館!と答える人は少ないだろう。わたしも、昨年の秋に初めて訪れるまで、LAがこんなに美術館の宝庫だとは知らなかった。
 
最初に行ってみたのは、LACMA。Wilshire Blvd.に面した、街灯がびっしり並んだユニークな作品に迎えられ、オープンテラスのカフェが賑わう敷地内に入ってみると、とにかく広い!テーマごとに分かれた館がいくつもあり、一日では回りきれないほど。現代アートや南北アメリカの美術・工芸品、ドイツ表現主義、映画関係の資料などなど、あまりの充実ぶりに、一人でお祭り騒ぎ状態でよろこんでしまった。
 
広大な敷地を生かして、特大サイズのエレベーター型展示室(実際に乗れます)や中に入って体験できるジェイムズ・タレルの作品もゆっくり楽しめる。南北アメリカ大陸の古代文明の土器や人形は素朴で心がやわらかくなるようだし、絵画や家具からはこの大陸に渡ってきた人たちが生活や文化をどう作っていったかがよくわかる。
障子のような外壁が特徴的な日本館は、螺旋状の展示室もおもしろい。一階の根付コレクションは驚くほどの充実。動物や妖怪を象った、精巧でかわいい根付の数々は思わずほしくなってしまう。
 
お隣の、タールから今も化石を発掘中のペイジ博物館(Page Museum)と合わせて、ここでゆっくり過ごす休日はすばらしいだろうなあ、とLA在住の人が羨ましくなる。
 

Los Angeles County Museum of Art (LACMA)
5905 Wilshire Blvd., Los Angeles|☎323-857-6010|www.lacma.org|月火木11:00am-5:00pm、金11:00am-8:00pm、土日10:00am-7:00pm、水休|$15(一般)、$10(62歳以上、学生)、無料(17歳以下、第2火、LA郡在住者は平日の3:00pm以降も)

 

柴崎 友香さんとめぐるミュージアムーゲティーセンター・ロサンゼルス現代美術館ー

「展示の仕方がゆったりしていて、いい」

「 この作家、好きなんです。見られてうれしい」と柴崎さんが立ち止まったフィリップ=ロルカ・ディコルシアの作品

LAの美術館として次に名前が挙がるゲティーセンターは、ウエストウッドの山の上にある。無人運転のトラムで登ると、まるで別天地に来たように絶景が開ける。海まで一望でき、西海岸の空の美しさが目に焼き付く。ゲティーで驚くのは、 創設者の遺産で運営されていて、トラムも展示も無料なこと。
 
角度をずらして建設された各パビリオンは迷宮的な楽しみ方もできるし、日常から離れた場所だからこそ、作品ともじっくり向き合える。
 
再開発が進むダウンタウンLAにも、見所がたくさんある。ロサンゼルス現代美術館は前述の二つの美術館に比べるとこぢんまりして見えるけれど、アメリカの二十世紀の作品の宝庫。十代のころ、ポップアートの自由な表現に触れて世界に対する見方が更新された、その興奮が静かによみがえってくる。ミュージアムショップが充実していて、お土産にもぴったりだし、生活雑貨も使ってみたくなるものがいっぱいだった。近くで建設中のブロード現代美術館(The Broad・2015年9月開館予定)は、網みたいな不思議な外観はできあがっていて、開館がとても楽しみ。
 
少し歩くと、ウォルト・ディズニー・コンサートホールの銀色の建物が光っている。外から見ると金属質で未来的だけれど、階段を上ってみると庭園があり、木々が鮮やかな色の花をつけてとても美しかった。
 

Getty Center / ゲティーセンター
1200 N. Sepulveda Blvd. Los Angeles |☎310-440-7300|www.getty.edu|火~ 金日10:00am-5:30pm、土10:00am-9:00pm、月休|無料(駐車料金$15、5:00pm以降は$10)

The Museum of Contemporary Art, Los Angeles (MOCA) / ロサンゼルス現代美術館
MOCA Grand Avenue: 250 S. GrandAve., Los Angeles|☎213-626-6222|www.moca.org|月金11:00am-5:00pm、木11:00am-8:00pm、土日11:00am-6:00pm、火水休|$12(一般)、$7(学生、65歳以上)、無料(11歳以下、木5:00pm-8:00pm)

 

柴崎 友香さんとめぐるミュージアムー全米日系人博物館・ノートン・サイモン美術館ー

「情熱的なゴッホやゴーギャンにも圧倒されるけど、マネのセンスのよさには脱帽。足すところと引くところが完璧」と柴崎さん

全米日系人博物館には、明治のころに初めてアメリカやハワイに渡った日本人の資料や戦時中の強制収容の歴史が詳しく解説されている。戦時中の日系人の歴史はテレビで特集番組を見たことがあった程度だったので、ここで実際の建物や写真などを見、体験された方のお話を直接うかがう機会にも恵まれたのは、本当に貴重な経験だった。海を渡ってきたトランク、収容所の生活道具など、実際に使われていたものだからこそ伝わってくる歴史があった。同館ではキティちゃん展も開催中(5月31日まで)。キティちゃんの耳型をかぶったアメリカの中高生たちが館内を見学している光景が、心に残った。
 
パサデナまでドライブして訪れたのはノートン・サイモン美術館。海側とはまた違った緑豊かな街にあり、館の裏手にはまるでモネの「睡蓮」のような大きな池もある。彫刻の置かれた周囲をゆっくり散策するもの気持ちいい。相当な点数のドガのコレクションを始めマティス、ピカソなど近現代の名匠の作品が展示されていた。代表作とはちょっと違うおもしろい作品が多々あり、コレクションのセンスと作家に対する思い入れが伝わってくる、とてもいい美術館だった。ヨーロッパの近世絵画、アジアの彫刻や石像まで充実していて、こんな規模の美術館がまだ他にもあるなんて、ただただ驚くしかない。

柴崎さん撮影のノートン・サイモン美術館の庭。すぐ近くにこんな絵のような風景が広がる場所で見ると、絵もまた違って見えます
Japanese American National Museum / 全米日系人博物館
100 N. Central Ave., Los Angeles|☎213-625-0414|www.janm.org|火水金~日11:00am-5:00pm、木12:00pm-8:00pm、月休|$9(大人)、$5(62歳以上、学生、6-17歳)、無料(5歳以下、木5:00pm-8:00pm、第3木)
Norton Simon Museum of Art / ノートン・サイモン美術館
411 W. Colorado Blvd., Pasadena|☎626-449-6840|www.nortonsimon.org|月水木12:00pm-5:00pm、金土11:00am-8:00pm、日11:00am-5:00pm、火休|$12(一般)、$9(62歳以上)、無料(18歳以下、学生、第1金5:00pm-8:00pm)

 

柴崎 友香さんとめぐるミュージアムーシンドラーハウス・ジュラシックテクノロジー博物館ー

シンドラーハウスにて「こんな良いところがあるなんて、知らんかった」(柴崎さん)

ロサンゼルスには、個性的な、小さなミュージアムも数え切れないほどある。
 
ビバリーヒルズ近くの住宅街にあるシンドラーハウスは、日本家屋の特徴を取り入れたシンプルな建築。ガラス戸に囲まれた部屋で、庭を眺める時間の静寂は、なにものにも代えがたい豊かさがあった。
 
ジュラシックテクノロジー博物館は、一言では説明できないとびきり不思議な世界。宇宙船やちょっと不思議な動植物などから広がる、誰かの夢に入り込んでしまったようなパラレル・ワールドが待っている。鳥が遊び、懐かしい響きの音楽が演奏されている屋上庭園にいると、そこがロサンゼルスだとは信じられない。
 
外から見ると、シンドラーハウスは普通の生け垣に囲まれた住宅だし、ジュラシックテクノロジー博物館は倉庫と間違えて通り過ぎそうな入口。だけど、そこには特別な経験ができる空間が広がっている。
 
だだっ広いロサンゼルスの街は、一見味気なく、無個性にも見える。だけど、一歩、その中に踏み込めば、自由で、想像力に溢れる世界が待っている。
 
またすぐにでも、ロサンゼルスの街を探索したい気持ちでいっぱいだ。

Schindler House at Kings Road / シンドラーハウス
835 N. Kings Rd., West Hollywood| ☎323-651-1510|www.schindlerhouse.org|水~日11:00am-6:00pm、月火休|$7(一般)、$6(学生、シニア)、無料(11歳以下、金4:00pm-6:00pm)
The Museum Of Jurassic Technology / ジュラシックテクノロジー博物館
9341 Venice Blvd., Culver City| ☎310-836-6131|www.mjt.org|木2:00pm-8:00pm、金土日12:00pm-6:00pm、月~水休|$8(一般)、$5(21歳以下、学生、60歳以上、無職)、無料(12歳以下)

 

柴崎 友香

小説家。1973年大阪市生まれ。99年作家デビュー。2004年には『きょうのできごと』が行定勳監督により映画化。14年、『春の庭』で芥川龍之介賞受賞。最新刊『パノララ』大好評発売中。オフィシャルサイト http://shibato.com

(2015年5月16日号掲載)

映画監督 / 岩井俊二

いわい・しゅんじ◎映画監督・映像作家・脚本家・音楽家。1963年1月24日生まれ。宮城県仙台市出身。横浜国立大学在学中から映画を撮り始め、ミュージックビデオや深夜テレビドラマの演出を経て映画監督に。代表作に『Love Letter』や『スワロウテイル』などがある。現在、長編映画の撮影準備を進めるかたわら、映画ファンとの相互コミュニケーションで構成される「岩井俊二映画祭」の企画も進行中。詳細は、www.iwaiff.com

音楽みたいにとらえて ずっと映画を作っています

ロサンゼルスには10年くらい前から時々来ていました。映画の仕上げが主な目的です。こちらはオーディオのミックスとかフィルムの仕上げとか、優秀なスタジオが多いですからね。

初めて渡米したのは20代半ば。ボストンの北のフェアヘーブンという街で、ジョン万次郎の取材のためでした。雪景色を眺めながら、「地球の裏側にいる」という感動がありました。その時は英語が壊滅的にしゃべれなくて、ホテルのフロントに電話してみたものの、何を言っているのか意味がわからず、無言で切ったりしてました。それからちょこちょこと英語の勉強を始めて、気が付けばあれからもう20年以上経ってる訳で。依然この程度の英語力とは、我ながら情けないです(笑)。

 

4年くらい前からロサンゼルスに部屋を借りて、本格的にこちらで生活してます。ハリウッドに憧れて、という訳ではないんですが…。環境を変えたかったんですね、まず。僕は、同じ場所に長くいると、過去の残留思念が景色の中に残っていて、仕事にならなくなるということがあったりします。だから家を買えない(苦笑)。思えば昔から1カ所にいられない性格で、人生を辿ると、仙台、横浜、川崎、東京、そして今はロサンゼルスにいるという訳です。

それと、ボストン以来、英語圏の国で映画を作ってみたい、という想いもありました。ちょっとずつではありますが、英会話の勉強もしてましたからね。勉強した以上、使いたくもなる訳です。

自分なりのペースでの映画作り インディーズに目からウロコ

昨年4月に『New York, I Love You』という短編オムニバス映画の1エピソードをニューヨークで撮影しました。全員地元のスタッフでしたが、2日間という短い撮影だったので、それほど大変ではなかったですね。その際、アメリカのシステムが、意外にも僕の撮影法とよく似ていたのに驚きました。

僕はアシスタント歴がなく、学生時代からずっと監督をしてきたので、撮影法はとにかく我流だった訳です。日本でプロになった時、まずそこで色々衝突がありました。俳優さんたちから、「お前の撮り方は変だ」とか、「ドラマの撮り方を知らない」とか、色々叱られました。ですが、逆に僕からすると、彼らの言っている撮り方が、どうしてもいいとは思えなかったので、この我流に磨きをかけ続けてきた訳です。するとまるで同じシステムがアメリカにもあった訳です。この件に関しては、やはり日本のやり方はかなり奇妙です。自分を疑わなくて良かったです。

自分のやり方は、信じた方が勝ちかも知れません。「人と違う」というのは、僕らの仕事の場合、最大の強みになり得るので。人となんか競い合わない方がいい。マラソンに例えれば、時々他の人とすれ違うけど、自分のコースには誰もいない、というのがいい感じです。人と違うなら、そこまで違った方がいい。

自作の中で一番の大作映画となった『スワロウテイル』では、当たり前ですが、現場にたくさん人がいました。いかにも「映画の現場」という雰囲気です。ですが、実は個人的にはその姿に、いささかの疑問を抱いていました。そもそも映画作るのに、こんなに人がたくさんいる必要があるのか? 現場のスタッフはもちろん一生懸命やってくれてる訳ですが、監督にとっては身の丈に合ったサイズというのがある訳です。僕は、少数精鋭の方がモチベーションを維持できるタイプで、以後、ずっと小さなチームで映画を作ってきました。

ニューヨークでの撮影は、それでいうと久しぶりの大所帯でした。もちろんスタッフの質は高いし、言うことはないんだけど、やはりそれだと肝心の自分のモチベーションが維持できないんです。わかりやすく例えると、引っ越しの時に業者に完全に委託した方がいいか、自分で家具を運んだ方が楽しいか?こんな違いがあるわけです。僕の場合、自分でも家具を運びたいタイプなんですね。全部お任せでは楽しくない。美容院に来ているみたいに、かゆいところに手が届き、何でも至れり尽くせりの手持ち無沙汰な現場では、逆にしんどいです。こういう点では、アメリカのシステムも必ずしも僕の理想と合致するものではないし、その辺りは、常にカスタマイズが必要ですね。

元々日本で映画を撮っていた時も、学生時代の映画作りに戻りたかったところがありました。自由奔放に映画を撮れていた時の方が、やはり楽しかった。産業のための映画作りと、自分がやりたいことのための映画作りは、どこかで相容れないんです。好きだから作る、という純度の高いモチベーションに立ち返る。プロフェッショナリズムみたいなものを捨てないと、その純度が上げられないなら、そうした方がいいかな、と。

でもアメリカは、さすがDIY精神に溢れていると言うか、インディペンデントに映画を作っている人たちもたくさんいます。そして、それなりにビジネスとしても成り立っている。そういうところは本当に凄いと思うし、こんな僕にとっても居心地の良さを感じます。

映画やアニメは、途方もなくお金がかかると思いがちですが、原点に立ち返ればそんなことはないはず。それは先達たちが自分たちの利権を確保するために誇張し過ぎた部分が多大にある訳で。もし1人でアニメを作ったら、予算は0円です。こういうことに憧れるんですね、僕は。0円にではなくて(笑)、未だ誰も発想をしていないことに、です。

音楽のようにイマジネーションが刺激される映画を作りたい

『New York, I Love You』の撮影現場で、オーランド・ブルームとのツーショット

もともとハリウッド映画のような大作が撮りたくて、ロサンゼルスに来た訳ではありません。自分の作風と作品サイズに合った映画作りをしていきながら、日本だけじゃなくて、色んな国の人たちと映画を撮っていきたいと思って、その皮切りに英語が通じるアメリカに来た、というところがありますね。

ロサンゼルスに住んでも、やはり根っこでは全然日本人。日本で培ったものを表現したいというのが根本にはあるし、そこから離れてしまうと何も作れなくなると思います。これから作る作品も、そういう意味では今までとあまり変わらないし、変われないのかもしれません。

自分ではドラマを作っているという意識はないんですよね。話の展開より、2時間で何かのエモーションが動くといいな、というような。自分の中では音楽みたい。
 
(2010年1月1日号掲載)

声楽家 / 秋川雅史

あきかわ・まさふみ◎1967年、愛媛県西条市生まれ。4歳よりバイオリンとピアノを始め、声楽へと転向。国立音楽大学・大学院卒業後、4年間イタリアのパルマで、デリオ・ポレンギ氏に師事。98年、カンツォーネコンクール第1位、日本クラッシック音楽コンクール声楽部門最高位をそれぞれ受賞。2001年、日本コロムビアより日本人テノールとして最年少CDデビュー。06年、『千の風になって』がアルバム『威風堂々』よりシングルカット。同年から3年連続でNHK紅白歌合戦出場

1人でも多くの人に歌を届けて 元気になってもらいたい

声楽を始めたのは、中学3年生の時に音楽の先生から「秋川君が入団して、合唱団を盛り上げてよ」と、誘われたのがきっかけ。父親も声楽家で、家の中が絶えず歌声で満たされていましたから、ある意味すごく恵まれた環境だったと思います。合唱を始めてみたら「歌って楽しい」と思い始め、それから歌の道に進むことを決意しました。

高校に入ってからレッスンを受け始め、25歳から約4年間、本場で声楽を勉強したいと思ってイタリアに留学しました。イタリア語がまったくわからなかったですし、海外に出ること自体、その時が初めてだったので色々と苦労しましたね。ですが日本しか知らない自分にはすべてが新鮮で、イタリアでの未知の経験は自分にとって刺激になりました。

イタリア留学の最後の年に、扁桃腺が原因で声に雑音が入るようになってしまいました。当時は原因を探るために色んな病院を回って、日本に帰国してからもずっと検査を続けました。

手術を受けても治らなくて、もう完治の見込みがないと自分が諦めた時が、声楽を辞める時だと思いました。ですが、「もし治らなかったら」と考え出したら、自分の意識がすべてそちらの方向へ向いてしまう気がしましたから、マイナス思考にならないよう、最後の最後まで、自分の声は絶対治ると信じていました。結局、手術を3回受けました。

イタリアでオペラの発声法を学んだのですが、日本に戻ったら、日本人の良さをすごく感じて、自分の中で日本の曲がすごく大切になりました。それから日本の名曲のレパートリーを広げていって。そんなある時、お客様からたまたまリクエストされたのが『千の風になって』だったんです。すごくメロディーが美しい曲だったので、それに惹かれて歌い始めたのですが、曲が広がっていくのに、どんどん引っ張られて行きました。この歌を歌うようになって、色々な方から声もかけていただけました。「この曲で本当に救われた」っていうようなお手紙もたくさんいただいて、そのひと言ひと言に、私の方がまた歌う勇気をいただいています。

本当の秋川は〝バンカラ” で男っぽい

僕は、愛媛県西条市で生まれ育ち、故郷には「だんじり祭り」があります。西条の人は、皆お祭りが大好きです。秋川もお祭りが好きで、イタリア留学中も、この時期には帰国していたくらい。祭りにかける情熱と、歌にかける情熱には通じるものがあって、パッションがすごく大事。

クラシックや『千の風になって』のイメージとは違う〝バンカラ” な男っぽい物が、本当は大好きなんですよ。楽しいことが好きで、いつも笑いの絶えない生活をしたいっていうのが、本当の自分かなと思います。だから、クラシックを歌いながらも、〝男らしいクラシック” っていうのを表現したい。クラシックと言うと繊細なイメージがありますが、それを打破し、新しい音楽のスタイルを作っていきたいと思います。

全力を出し切れば その熱は必ず伝わる

ロサンゼルスは、公演で来た今回が初めて。ロサンゼルスの印象? 初めは街を走る車が日本と同じで、日本人の方も多くいらっしゃったので、あまり「外国に来た」という印象がなかったのですが、ショッピングに出かけたり、観光をするうちに、アメリカの風景や空気感を味わえました。

ヨーロッパは、例えば街並みひとつにしても、景観が揃っていないといけないとか、古くからの伝統を守るという美徳がありますが、アメリカというのは本当に自由な国で、建物ひとつ取ってもすごく斬新。1番印象に残ったのがディズニーホールで、日本でもちょっと考えられないデザインですよね。ヨーロッパだと外観は全然目立たないけれど、中に入ると豪華という劇場やコンサートホールが多いんです。ディズニーホールは、外観からしてもう全然違う。これぞアメリカだなと思いました。やっぱり、何だか自由な感じの雰囲気が満ちあふれています。ですから、ヨーロッパとはまた違った良さがありますね。

 

コンサートでは120%、力を出し尽くして歌うというのが秋川のポリシーですから、ロサンゼルスでも完全燃焼しました。全力を出し切った時は、聴いてくださっている方に、その熱が必ず伝わるという信念で歌っています。ロサンゼルスでも、皆さんのパワーが伝わって来て、その熱気が自分の歌声を引き出してくれた気がします。

ロサンゼルスに来たら、「乾燥しているから、喉には良くないでしょう?」ってよく言われたんですが、あんまり湿度は気になりませんでした。また、時差で身体のコンディションがどうかなぁと思っていたのですが、ロサンゼルスのファンの方々の熱意のおかげで、メンタルの部分では、逆に良いコンディションで歌えたと思います。

今までイタリア留学中も、モスクワに立ち寄ったりした際も、海外に出た時は日本人の温かさに触れることが多かったんですね。海外にいる日本人は、祖国から訪れる同胞に対して本当にすごく優しく、温かい気持ちで迎え入れてくれるんだなと、今回改めて感じました。とはいえ、ロサンゼルスの皆さんの歓迎ぶりは予想以上でした。

秋川の今年の目標は、1人でも多くの人に歌を届けて、元気になってもらうこと。将来は、イタリアでさらに声楽を勉強して、その世界の頂点であるオペラで何か歌えるといいなと思います。大学生だった時、ニューヨークのメトロポリタン歌劇団やロサンゼルス歌劇団が来日して、プラシド・ドミンゴなんかが歌ったステージにすごく影響されました。それで歌を頑張ってきたという経緯もあるので、自分もそういうオペラのステージに立てたらという夢はあります。そういう場で、自分の歌がどう世界の人たちに響くかっていうのが、自分自身興味があるし、楽しみでもあります。

2010年も皆さん元気いっぱい、120%頑張っていきましょう。いつもプラス思考で、楽しく笑顔の絶えない生活を送れるといいですよね。
 
(2010年1月16日号掲載)

キャンドルで表現したサンディエゴの街の香り「ソーカル・キャンドル・カンパニー」

ライトハウス・サンディエゴ版編集長、吉田聡子が、サンディエゴ生まれのブランドを訪問。世界に羽ばたいた物から、ローカルにこだわる物まで、名品の背景にある物語を探ります。

SoCal Candle Company / ソーカル・キャンドル・カンパニー

ファーマーズ・マーケット

オールドタウンのファーマーズ・マーケットにて。ファーマーズ・マーケットへの出店は不定期なのでFacebookなどで最新情報の確認を

ソーカル・キャンドル・カンパニーを見つけたのは、毎週土曜にオールドタウンで行われているストリートマーケットでだった。
 
歩いていたら、素朴で可愛らしいデザインのキャンドルに目が止まり、試しに大好きな街の一つである「Ocean Beach」と名付けられたキャンドルの香りを嗅いだところ、とんでもなく驚かされた。香りが良いというだけでない。海の雰囲気と、そこはかとないヒッピーな感じ…オーシャンビーチのイメージが見事に香りで表現されていた。
 
あまりに感動していたら、販売を担当していたルイスが今度は「Del Mar」のキャンドルの香りを嗅がせてくれた。何の香りと言えばいいだろう?洗練された、大人を想像させる香りはまさにデルマーだ。

ソイビーンワックス

キャンドルは天然のソイビーンワックスを使って全て手作りしている

香りの調合を担当しているのはルイスの妻、ローズ。
 
「例えば、Del Marには競馬場の存在を感じさせるレモングラスの香りが入っています。最近できた新作、Coronadoには、ホテル・デル・コロナドをイメージして、ジンジャーの香りを使いました」(ローズ)。
 
なぜホテル・デル・コロナドがジンジャーなのか?素人には聞いただけではピンとこないのだが、香りを嗅ぐと「なるほど、これは確かにコロナドっぽい」と思わされるから不思議だ。 

コットン

芯には漂白されていないコットンを使うなど、できる限り自然であることを心がけているという

「サンディエゴの街の名前を付けたLocally Grown Collectionは11種類あるけれど、どれも同様に私たちが感じている街のイメージを香りで表現しています」と言うローズはもともと香りの専門家だったわけではない。ただ、フレグランスキャンドルが好きで、ナチュラルで良質なキャンドルを作りたいとの思いから2012年にキャンドル作りを開始したところ、家族や友人から買いたいという人が増えたことから、14年にフルタイプのビジネスとして立ち上げたそう。

Locally Grown Collection

サンディエゴの街をイメージしたLocally Grown Collection

ソーカル・キャンドル・カンパニーの商品は現在、オンラインやファーマーズ・マーケットで販売しているほか、スパやギフトショップなどにも置かれている。ほとんどの店が、どこかでこのキャンドルの存在を知り、自ら取り扱いたいと連絡を取ってきたという。それだけの魅力があることは、一度この香りを嗅いだら分かるのではないかと思う。

ルイス(左)とローズ

創業者夫婦、ルイス(左)とローズ

「可能な限り自然な材料を使って、家で安心して使えるキャンドルを作るのが私たちのポリシー」とルイスとローズ。
 
夫婦二人三脚。商品は全て手作り。機械的な大量生産でないところがまたいい。サンディエゴみやげとしても良さそうだ。

 

SoCal Candle Company

◎ SoCal Candle Company/ソーカル・キャンドル・カンパニー
1205 Knoxville St., San Diego
☎ 619-275-2215
▶ 取り扱っている店はウェブサイトを確認。ファーマーズ・マーケットへの出店など最新情報はFacebookで発信中
▶ Webサイト:www.socalcandleco.com

(ライトハウス・サンディエゴ版 2016年10月号掲載)
 
※このページは「ライトハウス・サンディエゴ版 2016年10月」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

アメリカへの日本の新幹線輸出が難しい理由

冷泉彰彦のアメリカの視点xニッポンの視点:米政治ジャーナリストの冷泉彰彦が、日米の政治や社会状況を独自の視点から鋭く分析! 日米の課題や私たち在米邦人の果たす役割について、わかりやすく解説する連載コラム

アメリカで進む高速鉄道網の推進と計画

 

新幹線

2009年に発足したオバマ政権は、景気刺激策と環境対策として、全国に「高速鉄道網」を推進する計画を打ち出した。今回の大統領選でも、民主党のヒラリー・クリントン、そして撤退したバーニー・サンダースの両候補は、同じように高速鉄道の推進を政策として掲げている。
 
そこで、日本のJR各社などは、定評のある日本の「新幹線」を輸出しようと懸命の努力を続けている。だが、今のところ、日本方式での建設が見えてきているのは、テキサス州の「ダラス=ヒューストン間(約400キロ)」の計画だけだ。日本勢はなかなか食い込めていない。
 
そこには3つ理由がある。

日米カルチャーの違いが阻む新幹線の輸出

1つは、日本の車両が柔らかいという問題だ。日本の新幹線は、ATC(自動列車制御装置)などによって、徹底した安全運行がされている。1964年の東海道新幹線開業以来、鉄道側に責任のある形での人身死亡事故はゼロというのは本当であり、とにかく無事故というのが至上命題になっている。
 
そのために、車両については「衝突することが前提」という考え方ではなく、省エネのために徹底した軽量化が施されている。これは欧米の「鉄道というのは衝突するもの」という考え方とは前提が違うことになる。
 
欧米には、カルチャーとしても「鉄道はぶつかるもの」という「常識」がある。例えば、イギリスの子ども向け絵本・アニメ『機関車トーマス』などは、毎回事故を起こしているわけだし、アメリカでも一連の西部劇では、鉄道事故は「お決まり」の題材だ。もっと言えば、鉄道の衝突を題材にしたジャンルというものもあって、『Unstoppable』(2010年)など最近のハリウッド映画でも取り上げられている。実際問題、アムトラックの州間特急などは、毎年数件の割合で深刻な衝突事故を起こしている。
 
そんなアメリカでは、日本の新幹線のような「柔らかい車両」というのは基準に合わないのだ。
 
2つ目は、日本の「専用線」という考え方だ。日本の新幹線が無事故であって、車両が柔らかいのは運行の技術が優れているだけではない。一番の理由は「専用線」という考え方で、フル規格の新幹線の線路には「他の車輌は入ってはいけない」ことになっているからだ。これは法律で決まっており、政府(国土交通省)が厳しく監視している。
 
ところが、アメリカにはこの考え方は全くない。反対に、現在計画が進行している高速鉄道の場合でも、「高速鉄道、貨物列車、郊外通勤列車」が同じ線路を共用しているのである。昔からレール幅が共通化されていたということもあるが、とにかく50年代以降の鉄道が斜陽化する中で、今ある線路を安く有効活用するために「共用する」というのが定着しているのだ。
 
いろいろな種類の列車が同じレールを走るのであれば、衝突の危険を考えて「硬い車両」が必要という発想法になるわけで、そこには日本の思想が入り込む余地は少ない。
 
3つ目は、人間のソフトの部分だ。日本の新幹線は、例えば東海道新幹線などは最速で時速285キロの車両が3分おきに走るという運行密度を誇る中で、時間に正確なことが安全性の一端を担っている。だが、そのような精度の高い運行は、そもそもアメリカのカルチャーにはない。アメリカ人はアドリブで「すごい力」を出すのは得意だが、地味にコツコツと時間に正確な仕事を続けるのは苦手だ。そこに、日本の「3分おき」を持ち込むのは難しい。
 
ではどうしたら良いのだろうか?結局は「トータルパッケージ」としてのビジネス提案をするしかないのだと思われる。専用線で、しかも厳格な定時運行をすることで、軽量化された省エネ車両の持ち味が生きてくる、その考え方を「まるごと」理解してもらうのである。とりあえず、テキサスのケースがこれに近い計画となっているが、ここで成功事例を作ることが大切になってくる。

冷泉彰彦

冷泉彰彦
れいぜい・あきひこ◎東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒業。福武書店、ベルリッツ・インターナショナル社、ラトガース大学講師を歴任後、プリンストン日本語学校高等部主任。メールマガジンJMMに「FROM911、USAレポート」、『Newsweek日本版』公式HPにブログを寄稿中

 

(2016年10月1日号掲載)
 
※このページは「ライトハウス・ロサンゼルス版 2016年10月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

特集「日本vsアメリカ」大学進学徹底比較

日本とアメリカ、どちらの大学に進学するかは人生の大きな選択。英語力や適性、ビザや就職問題など、さまざまな要素がからみ合い、ケースは個人により千差万別。本特集では、日本とアメリカの大学についての基礎的な予備知識と、両国の大学進学の現状についてまとめてみました。

●本コンテンツは「ライトハウス 2010年5月1日号」に掲載されました。最新の特集「教育のプロに聞く!アメリカ&日本の大学進学事情2016」も合わせてご覧ください。
●アメリカの大学への進学・留学については「アメリカ・ロサンゼルス留学~おすすめ大学・語学学校の最新情報」でも詳しく紹介しています。

「日本vsアメリカ」大学進学比較の概要

 

日本とアメリカの大学進学、仕組みの違いは?

アメリカの大学には、総合大学の4年制大学、2年制のコミュニティーカレッジ、専門大学がある。アメリカ・カリフォルニア州の場合、州立の4年制大学は、博士課程まである研究重視のカリフォルニア大学システム(University of California System:以下UC系)と、修士課程までの実務重視のカリフォルニア州立大学システム(California State University System:CSU系)の2つに分けられる。また、アメリカの私立大学ではスタンフォード大学や南カリフォルニア大学(USC)、カリフォルニア工科大学などの研究大学が有名である。また、コミュニティーカレッジの中にも公立と私立があり、共に2年間で準学士号(Associates Degree)を取得して卒業するか、4年制大学に編入することができる。
 
通常、「大学」「カレッジ」と言えば4年制大学を指すが、アメリカのカレッジは、基本的にリベラルアーツとして4年間教養科目を身に付ける所。学部以下は単位に互換性があり、専門分野を柔軟に変えることも可能だ。アメリカの大学院には、専門家を養成する教育機関として、ロースクール(法科大学院)やビジネススクール(経営大学院)、メディカルスクール(大学院医学研究科)などのプロフェッショナルスクールと、そのほかの分野の大学院がある。
 
一方、日本の大学は、通常1、2年生は教養課程で、3年次から専攻に分かれる。日本とアメリカの教育システムに詳しい教育カウンセラーの松本輝彦さんは、「日本の大学制度は、元々アメリカのシステムを基に作られているのですが、プロフェッショナルスクールのシステムを取り入れる時に、例えば法学部などのように、大学の中に専門課程を入れ込んでしまいました。そのため、アメリカの大学に比べ、教養課程をじっくり学ぶ期間が少ないのです。また最近では、高校の勉強の繰り返しになるということで、1年生から専門課程に入る大学も増えていますが、最初から専門課程に入っても学力が伸びないとして、逆に1、2年のうちは教養課程を重視するという動きも出ています」と語る。
 
実際のところ、現在、日本の大学には大きな変革が起こっている。例えば、少子化による学生の減少、グローバル化を目指した留学生の受け入れ枠拡大など、多様な課題が山積している。「大学の内容のみならず、入試自体も以前とはまったく異なってきていますので、保護者の方はご注意いただきたい」と松本さん。

 

アメリカの大学進学の仕組み

アメリカの大学進学は高校での成績を重視

日本とアメリカ・大学学費の比較(年間)

アメリカの大学には、日本のような入学試験(入試)のシステムはない。大学への入学出願に必要なのは、基本的に高校の成績評価値であるGPA(Grade Point Average)と、SATやACT(American College Test)などの全米統一試験の結果だ。
 
SATとは、一般的には “SAT Reasoning Test” のことを指し、 英語の読み書きと数学の学力を測ったもの。特に、 “SAT Subject Tests” という科目別テストでは、 英語、数学のほか、歴史・社会、科学、語学から3科目を選ぶ。最近 受験者数が増えているACTは、英語、数学、読解、科学の4科目を受けることになっている 。
 
これらの試験は、GPAだけでは学校による格差が大きいため、全米共通の試験で学力を測るのが狙いで、大学に入るための力を調べるテストだ。統一試験の受験は、11年生の1月くらいからその年の12月まで。大学によってどの試験の得点提出が求められるかが違うため、事前に調べる必要がある。私立大学の場合、学業成績以外の業績を積極的に評価するため、エッセイや面接などを重視する学校も多いようだ。
 
「アメリカの大学進学では、基本的に現地校の成績が重要視されます。UC系の場合、12年生の11月末が出願締め切りですが、実際には12年生の成績は大学側には提出されず、10年生と11年生までの成績で決まることになります。なぜなら、12年生の成績は翌年1月末に前期の成績が出されるからです」と松本さん。
 
さらに、UC(カリフォルニア大学)系では2012年より、ELCプログラム(Eligibility of Local Content Program)を導入する予定だ。これは、各高校、または州全体で上位9%の成績を修めた12年生に、UC系への進学を保証するというもの。松本さんは、「このプログラムは、現在の10年生から適用されます。つまり、大学入試は10年生から始まっているということになるわけですから、日頃の勉強を怠らないことがとても重要となります」と注意を呼びかける。なお、同プログラムの実施により、現在UC系への出願時に提出している “Subject Test” 2科目の成績は、提出する必要がなくなる。

 

不況の影響によるアメリカの大学学費が値上げ

世界中が経済不況であえぐ中、アメリカ・カリフォルニア州の財政もこの3年で危機的状態。こうした状況は、果たして学校にどのような影響を与えているのだろう。
 
松本さんによると、10年ほど前は、私立大学の学費が著しく値上がりしていたのに対して、最近は州立大学の値上がりがひどくなっているという。また、州の税金で運営されているUC(カリフォルニア大学)系は、大幅な経費削減が実施され、入学定員数の削減や学費の値上げ、クラス数の削減、奨学金の減額といった影響も出ている。
 
入学定員数の削減により、UC、CSU共に狭き門となっており、その影響で私立大学の競争率も高くなっている。また、入学後も卒業に必要なクラスがなかなか受講できず、卒業までに5、6年もかかるというケースも出ている。
 
学費の値上げに関しては、カリフォルニア州は現在、今後2年間に3段階の授業料値上げを検討している。これにより、2011年秋には現行比で30%アップ、年間1万ドルに値上げされるという。州外生(Out-of-State Students)の場合は、追加授業料として、さらに年間2万ドル以上かかることになるという。だから、保護者としては、大学進学の情報収集と共に学費準備が急務となる(奨学金制度については後述)。
 
ここで気を付けたいのがアメリカでのビザの問題。「親がLビザやEビザなどの駐在員ビザを持っていても、子供は21歳になると親の扶養家族に認められず、本人用の学生ビザ(Fビザ等)を取得する必要が出てきます。その場合、大学受験・進学においては州外生扱いとなるため、年間の授業料だけで3万ドルはかかってしまいます。永住権や市民権を持っていれば、2年目からは州民と見なされるので、保護者の方には大学進学に際して永住権を取るようにすすめています」と松本さんは語る。ちなみに、現在のCSU(カリフォルニア州立大学)系の授業料は、州内在住の生徒で年間約4千ドル、州外からの生徒で約1万4千ドルほどかかっている。
 
また、授業料以外の大学進学にかかる費用、例えば、住居、食事、学用品などの諸経費も考慮に入れておきたい。なかでも、最も大きな費用の差は、住居費で生じる。「生活費などを含めて考えた場合、カリフォルニア州ではなく、少し田舎の他州の大学に進学するのも、選択肢の1つとなります」と松本さん。日米の大学でかかる費用の概算データは、表①を参考にしてほしい。

 

日本の大学進学の仕組み

変わってきた日本の大学の入学審査

さて、アメリカの大学進学と同様、日本の大学進学も大きく様変わりしている。
松本さんによると、日本の私立大学の場合、今年4月入学の学生のうち、入学試験(入試)を受けて入った人は約半分。残りの半分は、推薦枠で入学したという。現在は、一般入試と呼ばれる入学試験のほかに、例えば、高校での成績を添えて学校長の推薦で出願する学校推薦や、学校や学校での成績とは関係なく自分で自己推薦状を提出する個人推薦やAO(Admission Office)入試など、さまざまな推薦入試がある。
 
「少子化に伴い、大学としては何とか学生を確保して生き残っていかなければなりません。推薦枠を拡大するのはそのためです」と松本さんが語るように、卒業生が100人のところに、推薦枠を300人設けるという高校も少なくない。また一方で、学生数は減少しているのに、新設の学部数を増やすという、一見矛盾する傾向も見られるものの、経営難から新入生を受け入れないという学校も出てきている。もちろん新入生を入れなければ、4年後には大学自体が完全閉鎖する危険性もある。
 
そういった深刻な状況の中、地方の公立大学などには医療・福祉関係など、新しいタイプの学部を増設している学校があると共に、この不況下で、学費の高い私立大学への進学志願者が減少し、公立大学や自宅から通える地方の公立大学への入学生が増加する傾向にある。
 
「現在日本では、進学志願者数と大学の募集人数は、ほぼ同じなんです。単純に頭数で考えれば、全員が入学できる”全入時代”。行く先にこだわらなければ、誰でも大学に入れる時代です。とはいえ、日本の大学がどこも入りやすくなっているかと言えば、一概にはそうとは言えません。いわゆる有名私立大学は、ますます狭き門になっているというのが現状です」と松本さん。

帰国子女にとって日本の大学への進学は簡単?

では、帰国子女にとって、日本の大学入試はどうなのだろうか。
 
帰国子女枠は”帰国枠”とも呼ばれ、大学によって定義が異なる場合があるが、一般的には高校卒業前の2年間(11年生と12年生)を日本国外で過ごし、日本で教育を受けていない生徒が対象となる。松本さんは、「日本の大学が帰国子女を受け入れる狙いは、海外での教育で、日本とは異なった資質や能力を身に付けた学生を入学させることで国内生を刺激し、大学の教育効果の向上を図ることです。ですから、帰国子女に対する入学試験・審査は、日本国内受験生向けと大きく異なっています」と語る。
 
帰国子女を対象とした推薦入試の選考は、国私立共、高校での成績と小論文、面接が基本。現地校の成績だけでは日本で判定できないため、面接で人物を評価したり、小論文で日本語能力を判定したりするのである。また、国語(日本語)や英語の試験を課したり、SATやTOEFLの成績の提出を求める大学も見受けられる。
 
松本さんによると、全世界から戻って来る帰国子女は、年間で800~1千人程度。一方、帰国子女を受け入れている大学は全国で400校以上あるという。「つまり、単純計算をすると、1校あたり10人ずつ受け入れるとして、4千人の枠があるということなんです。帰国子女にとって、1人あたり平均4校の枠があることになります」。
 
とは言うものの、実際には、帰国子女をずっと募集しているものの「受験者数ゼロ」という大学は山ほどある。その一方で、特に首都圏の有名私立大学や人気大学に希望者が著しく集中しているのが現状だ。

ブランド志向ではなく何が学びたいかを大学進学の基準に

最近では、帰国子女枠が一般の推薦枠の中に組み込まれる学校も多いため、日本の高校からの志願者と競争することになる。「日本の大学は、帰国子女に国語に関して日本国内生と同じ力を期待しているわけではありません。やはり、帰国子女には英語ができることを期待しているのです。そういった帰国子女が入試で有利になれるのは英語です。まずは英語力をしっかり付けてください。それには、とにかく現地校の勉強をしっかりやることです」と、帰国枠で受験する際も現地校の学習が大切と、松本さんは強調する。
 
大切なのは、英語を受験対策として勉強するのではなく、現地校の勉強を通じて英語で色々な知識を学ぶということ。日本語で学ぶにしろ、英語で学ぶにしろ、肝心な知識や理解力、理論力を身に付けていなければ、大学に入っても苦労する。
 
また、何を学びたいかを明確にして進学することが重要なポイントとなる。「アメリカの大学は、専攻によって学ぶ内容が決まっており、やりたいことで学部を選べますが、日本の場合は曖昧です。1通の願書でどの学部にも行けるという大学もありますし、文学部の中に社会学も史学も入っているというような大学もあります。また、大学によっては新しい学部がどんどん増えているため、何が学べるのか、親も本人もきちんとリサーチし、じっくり検討する必要があります」と松本さん。
 
最も好ましくないのは、”良い”大学に行きたいというブランド志向だと松本さんは指摘する。「何でもいいから、良い所に行きたいという考え方は、あまり好ましくありません。なかには、学びたいことが具体的に決まっている高校生もいますが、大半の高校生は大学についての知識や判断力がありませんから、親の言うことに従わざるを得ないことがあります。しかし、親の持つ価値観だけで子供の将来の可能性を狭めない方が良いでしょう」。

 

日本とアメリカ・大学進学選択のポイント

加速するグローバル化、在米経験を強みに

日本の大学進学の流れ

日本の大学で、盛んに行われているのが教育のグローバル化だ。その1つが、講義の全面英語化。早稲田大学国際教養学部、上智大学国際教養学部、立命館アジア太平洋大学、多摩大学グローバルスタディーズ学部など、英語による授業だけを受けて卒業できる大学・学部が増えている。特に早稲田大学は、2010年9月から政治経済学部と理工学部でも、同様のコースを設けた。
 
「日英両語で読み書きができ、日米の社会生活習慣を身に付けたレベルの高いバイリンガル・バイカルチャーを目指す高校生にとって、両国で活躍できる可能性が広がります」と松本さん。また、加速する少子化の下、日本政府は「留学生30万人計画」を掲げ、大学生・大学院生約300万人の1割を留学生にすることを目指している。
 
一方、アメリカの大学にも色々な動きがある。先述のように、州の財政危機による州立大学の学費高騰、入学定員数の減少、クラス数の削減など、シビアな問題が多発し、また、インドや中国からの技術系留学生が、卒業後アメリカで就職せず、自国に帰っていくという傾向も見られる。
 
「子供がアメリカに残ると決めた時、親は一緒に残れるのか、あるいは、日本に帰ると決めた時、親は日本で仕事があるのかなど、世の中の動向や将来を見据え、家族ぐるみで子供の進路を考えなければなりません。子供の進路で、家族の住む場所が決まる場合もあるのですから」と松本さん。
 
「子供の資質や能力をよく見極めることも親の役割。子供にどんな能力があり、どういう力を付けさせるべきかなどを見抜き、最適な教育機会を与えてあげなくてはなりません。親は、わかる範囲で今できる最大限のことをすべきですし、子供には、時代や場所が変わっても生き残れる言語力や能力、スキルを身に付けてほしいですね」と松本さんは続ける。
 
家庭の事情で渡米した子供にとって、日本とアメリカのどちらが良いかは、人それぞれ。それに関して、最後に松本さんは、こう付け加える。「英語で苦労して、マイノリティーとして生活するのは嫌と日本に帰るお子さんも多いでしょう。しかし、そうしたお子さんも、アメリカでの経験を利点として活かしてほしいと思います。どんな進路を選んでも、視野が広がったという点ではアメリカでの生活が強みになっているはずです。日本にいたら得られなかった貴重な価値観をすでに身に付けているはずですから」

 

アメリカのコミュニティーカレッジからの編入

日本の大学でも受け入れ

アメリカの場合、コミュニティーカレッジで取得した単位を4年制大学に移し、編入できるシステムがある。コミュニティーカレッジの授業料は4年制大学に比べて安いため、コミュニティーカレッジに2年間通学してから、4年制大学に編入・進学する生徒も多い。
 
また、1年生の時点で希望する4年制大学に入れなかったとしても、コミュニティーカレッジを経て、4年制大学に編入できる可能性が生まれてくる場合もある。4年制大学によって、編入に必要な科目が指定されており、またコミュニティーカレッジによっては各大学への編入率が違うため、その辺の情報を事前にきちんと調べておく必要がある。しかし、コミュニティーカレッジは入学選考がなく、授業料が安いという点からも、1つの良い選択肢と言える。
 
一方、日本の大学システムでは、大学入学後の他大学への編入学は非常に難しく、同時に、アメリカのカレッジや4年制大学に在籍する生徒が日本の4年制大学に編入することもきわめて困難だ。実際には、立命館アジア太平洋大学(www.apu.ac.jp)や上智大学(www.sophia.ac.jp)、多摩大学(www.tama.ac.jp)など、英語で授業を行う一部の大学・学部でしか行われていない。
 
そんな中、埼玉県上尾市の聖学院大学(www.seigakuin.jp)では、アメリカのコミュニティーカレッジの単位を認め、編入学できる「特別入学試験・トランスファー制度」を開始した。アメリカの大学で1年以上学んだ学生が、アメリカにいながら出願でき、書類審査と電話面接を受けることができる。講義を日本語で受けられることも大きな特徴だ。
 

日本で進学?それともアメリカ進学?

大学進学&就職・実際のケース

アメリカの大学のキャンパス風景

アメリカに住む日本人家庭の事情はさまざま。どの家庭も、難しい選択を迫られる可能性があるが、その中で実際のケースを紹介しよう。
 
ケース①:父親の転勤で渡米永住権を取り、アメリカの大学に進学
日本で有名私立高校に通っていたA君は、高1の終わりに父親のアメリカ勤務で渡米。2年間現地校に通い、見事UCに進学。元々A君がアメリカの大学進学を希望していたため、父親は渡米後まもなく永住権を取得していた。
A君は、最初はアメリカで就職するつもりだったが、大学時代に考えが変わり、日本での労働経験を経てアメリカに戻って来ることを決心。在学中より日本企業への就職活動を進め、卒業の翌年4月に日本の大企業に就職した。父親は、駐在期間を終えてからも、アメリカに在留している。
 
ケース②:父親の帰任後も母子で残りアメリカ大学へ進学
小学3年生と5年生で渡米してきた兄弟。父親は7年間のアメリカ駐在を経て帰国したが、駐在期間に永住権を取得しており、子供が習得した英語力を活かしたかったことと、日本の高い授業料や下宿代のことを考えると、アメリカの大学に通わせた方が割安と判断、子供たちと母親は、その後8年間アメリカで暮らした。2人共UC系でエンジニアリングを専攻し、卒業後、日本の企業に就職した。次男の就職が決まった時点で、自分の役割を果たしたとして、母親は日本に帰国した。

 

アメリカの大学における奨学金制度

全米統一の判断基準で公平に学資援助を受給

援助金(Financial Aid)の分類

さて、アメリカの大学を志望する子供を持つ親の中には、漠然と学費に不安を抱いている人は多いはず。そこで、気になる学費とその援助について考えてみよう。
 
現在、学費(授業料、教材費、寮費、交通費等を含めた大学進学にかかる費用)は、私立大学で年間平均4~5万ドル、先述したように州立大学も、ここ数年の値上がりが著しく、1万ドル以上かかっている。そんななか、「お子さんが市民権や永住権を持っていれば、学資援助(Financial Aid)を受けることができます」と話すのは、学費対策のセミナーやコンサルティングを提供するミッドタウンプランニングの代表、福士俊輔さん。福士さんによると、日本と違ってアメリカには、学資援助に全米共通のシステムがあり、アメリカ連邦政府、州、そして大学から奨学金や補助金、低金利のローンが出るという。しかし、このFinancial Aidについて勘違いしている人が多くいるため、「成績が良くなければもらえない」「我が家は高収入だからもらえない」と最初から諦めている人が多いと、福士さんは危惧している。
 
それでは、実際にどのような基準で援助金が出るのだろうか。まず、学資援助には、学生の能力に基づいて供与される「Merit-based Aid」(メリット・ベース)と、学生の家庭の支払い能力に基づいて供与される「Need-based Aid」(ニード・ベース)の2つのタイプがある。前者は、学校や団体ごとに基準が定められているため対策が立てにくく、支給金額も対象者も少ない。一方、後者はアメリカ連邦政府、州政府、大学を財源としているため資金源が多く、また多くの大学で共通のルール・計算式が使われているため基準が明確で、対策が立てやすいという。従って、福士さんは、この「Need-based Aid」に申請することをすすめている。
 
そのほかの援助金には、返す必要のない(Gift Aid)「奨学金(Scholarship)」と「補助金(Grant)」、返す必要のある(Self Help)には、卒業まで返済する必要のない「低金利ローン(Preferred Loan)」と、学生本人が在学中に働くことで非課税の報酬を得られる「ワークスタディー(Work Study)」などが存在する。
 
では、この援助金の判断基準となる”家庭の支払い能力(別名ニード)”は、どのように決められているのだろう。その家庭が高所得か低所得かは、一概に決めることは困難だ。そこで公平を期するため、全米共通の2通りの計算式に基づいて判断される。1つは連邦政府基準の「Federal Formula」で、Tax Return(税申告書)に記載されている家族控除(Exemption)の人数や収入(Adjusted Gross Income)、預金の残高などの要素が考慮される。もう1つが私立大学でよく使われるCollege Board基準の「Institutional Formula」。これは、さらに細かく、持ち家の資産価値、生命保険キャッシュ残高、ローン残高、自営業であればビジネスの資産価値などの情報が必要となる。
 
これらの計算式を基に、大学の学費に対する1年間の支払い能力を示す数値が、家族負担(Family Contribution:FC)として表される。つまり、この算出されたFCの金額だけ、その家庭では学費を払う能力があると判断されるということだ。

援助金の申請は無料、大学選択の1つの指標に

通常、学資援助の申請プロセスは、連邦政府に「FAFSA」という申請書を提出することからスタートする。私立大学によっては、「CSS/Profile」の登録・提出を事前に要求するところもある。受付開始は12年生の年の1月1日から。「FCを実際に計算してみることによって、学資援助をもらえるかどうか判断すると良いでしょう。FAFSAは申請料が無料、CSSは16ドルなので、申請してみる価値はあるはずです」と福士さん。
 
申請したデータを基に連邦政府がFCを算出し、その情報は申請書に記入された志望大学に直接送られる。そして、めでたく合格した大学から、合格通知と一緒に援助の受給額を明示した手紙(Award Letter)が届き、そこにはどこからの奨学金・助成金・ローンがそれぞれ何パーセントで、いくら受けられるかが具体的に記されている。
 
だが、大学選択の際は、見た目の金額だけではなく、どの大学がどの程度の学資援助を支給するかを事前に調査し、念頭に入れることが大切と福士さんは語る。なぜなら、実はアメリカでは州立大学より安く私立大学に入れるケースもあるからなのだ。その理由を、福士さんはこう語る。
 
「卒業生の寄付などで資金の豊かな私立大学には、ハーバード大学のように学費の100%を支給してくれる学校も多く存在します。もちろん、私立でも資金が乏しい大学もありますが、一般的に州立大学は私立大学よりも資金を持っていないので、私立大学に行く方が州立大学に行くよりも安くつくということが起こりうるのです」。
 
気を付けなければならないのが、子供が志望する大学に行かせたいという親心から、学資援助金が出ない学校に入学させてしまうこと。ハーバード大学やプリンストン大学のような一流校は学資援助が多く出る上、卒業生の人脈も広く、高収入の就職先が待っている可能性がある。しかし、そういったメリットに乏しい大学に、借金を抱えながら子供を無理して入学させたとしても、卒業後にどれほどの見返りが得られるのか定かではない。そうした〝投資対効果〟を家族ぐるみで話し合い、冷静に判断することが大切だと福士さんは強調している。

 

帰国子女の進学状況

英語の壁や親の帰任で日本で進学する傾向が主流

近年の帰国生大学入試志望者数・合格者数の推移

ここからは、日本の大学進学状況について考えてみたい。帰国子女の日本の大学進学の現状に関して、日本で教育と学校経営に関するコンサルティングを提供する、コアネットの宮本智彰さんと、受験生を指導する進学塾enaロサンゼルス校の高校部責任者である、片野孝一さんに話を聞いた。
 
現在、アメリカ在住の帰国子女が、進学に伴い帰国する傾向にあるのかどうかについて、宮本さんはこう話す。「一概には言えませんが、ここ2~3年は日本に戻る傾向が高いようです。この不況で、どの企業も約3分の1の社員が日本に戻されており、実際、一昨年と昨年の中学入試における帰国受験生がかなり増えていますので、恐らく大学入試においても同じ現象が起きていると思われます」。
 
さて、最終学年を含め2年以上海外の高校に在籍していれば受験できる帰国枠は、魅力的なのだろうか。これに対し、片野さんはこう語る。「ロサンゼルス近郊に加え、全米各地の生徒に聞き取り調査をしたところ、日本の大学を選択する主な理由として、『家族が帰る』『英語力が不足している』『アメリカは学費が高い』『日本で就職したい』『日本の方が入学してから楽』という声が挙がりました。ただし、『大学院はアメリカに戻って来たい』『仕事はアメリカでしたい』という生徒たちもいました」。

大学・学部によっては帰国枠撤廃の学校も

先述したように、現在、日本全国に773校ある4年制大学のうち、400校余りが帰国子女を受け入れている。だが、大学によっては従来の帰国枠から、自己推薦・AO入試へと制度的に統合させる動きや、学部によって募集廃止をする動きがあると片野さんは注意を促す。
 
「例えば、立教大学では2009年度入試から社会学部、観光学部など4学部で帰国枠を撤廃。10年度入試からは、さらに経済学部と理学部での募集を廃止しました。法政大学でも、10年度入試から社会学部で廃止しています」。
 
一方、青山学院大学では、2009年度入試から社会情報学部で帰国生の受け入れを開始するなど、新学部が募集開始することもある。いずれにせよ、大学のウェブサイトなどで入試情報を確認することが必要だ。
 
それでは、帰国枠の難易度はどうだろうか。学部レベルで考えた場合、年によって難易度が上下するため、大学の難易度を一概に説明できないと片野さんは言う。例えば学習院大学では、2008年度入試の法学部での帰国枠は、志望者数82人中、合格者が50人だったが、2009年度入試では、志望者81人中、合格者は14名と激減し、難化した。一方、同年の経済学部では、志望者52人中、合格者は23人だったが、実際に受験した生徒数が23人だったため全員合格。かなりの易化となった。また、他の私大の合否が判明した後の11月下旬に入試がある大学では、第1希望の大学に合格した生徒が受験しないため、見かけよりも実は競争率が下がるとのこと。

大学進学を決める際には、大学合格の先にある将来設定を立てるべき

実際の教育現場で、帰国子女にどのような進路指導が行われているのだろう。「大学進学がゴールではなく、その先の就職を考慮すべきです。どのような仕事がしたいのか、そのためにはどの大学のどの学部を選ぶことがベストなのかを考えるのです。日本の中高一どちらに進む?◎日米大学・徹底比較貫校では、早い段階からキャリア教育を開始し、生徒に将来の目標を設定させ、目標達成のためのベストの大学を考えさせる進路指導を行う学校が増えているようです」と宮本さんは説明する。
 
片野さんも次のように語る。「何を学びたいかは、学部で選ぶのが最も自然だと思います。同時に世の中の動きを踏まえ、就職も視野に入れて決めるべきでしょう。ただ、同じ学部名・学科名であっても、大学によって学ぶ内容に差異があるため、事前の比較検討は十分に行ってください」。
 
しかし、なかには進学の願望が希薄な生徒もいると言う。「もしそうなら、早慶上智に目標を設定するよう指導しています。それで実際に学力が身に付いてくると、本当にそこを目指す意欲が湧き、難関国立大学も射程に入れ始める生徒も現れてきます」。
 
それでは最後に、入試対策についてのポイントを片野さんに解説してもらった。
 
●英語エッセイ
母語干渉による誤用を見抜くことができ、日英言語に習熟した人からの添削指導を受けるのがベスト
 
●英文法
現地校に、半ば放り込まれた形で入った帰国生は、体系的な文法指導を受けていないため、英文法の知識が断片的。日本で高校英文法の文法項目を一通り学習しておくことが望ましい
 
●英語長文問題・国語・小論文
世界規模での出題が近年増加傾向にある。そのため、国連のウェブサイトなどで世界の出来事を把握する。また、日本が世界の諸問題に対してどう対応しようとしているのか、文部科学省のウェブサイトなどで関連記事を読み、有用情報を集約しておく。そうすることで、時代を象徴する用語学習や背景知識の拡大と深化につながる

 

新卒者の日米就職事情

求められているのはグローバルな視点

日米どちらかの大学進学を検討する際、その先の就職まで視野に入れて考えることも重要だ。日米での新卒者の就職について、日米に拠点を持つ人材総合サービス会社のインテレッセ・インターナショナル(以下、インテレッセ)の菊池正博さんと、ディスコインターナショナル(以下、ディスコ)の横田梢さんに聞いた。
 
「日米共に、就職には本人の持つ語学力や専門知識・スキルといった”内的要因”、労働許可やその時々の景気動向といった”外的要因”が就職状況を左右します」と言うのはインテレッセの菊池さん。例えば、日本では大企業や外資系企業のほか、世界に拠点を広げている中小企業も、語学力があり海外で勉学をした人や勤務経験者を求めているという。「特に日本の製造業は海外にオフィスがある企業が多いので、広い視野を持った人が求められています」と、菊池さんは付け加える。
 
また、ディスコでは海外で学ぶ日本人留学生を始めとする日本語・英語のバイリンガルを対象に、毎年秋にボストンキャリアフォーラムを行っているが、「例年出展している金融、コンサルティング、IT、会計のほか、近年では業界・規模共にバラエティーに富んだ企業の出展が顕著になってきました」と横田さん。「企業は良い人材であれば日本内外問わず採用します。企業は基本として日本国内学生と同じ資質を求めていますが、プラスアルファとして海外で学ぶ学生からはバイリンガル、自立精神やグローバルな視点を求めています」。
 
では、アメリカの大学卒業後、アメリカで就職する場合はどうだろう。菊池さんは「日系企業でも、既にローカライゼーション化している企業では、日本語ができるということよりも、どんなスキルや能力があるかが重要視されます。逆に、日本から進出してきたばかりの企業やローカライゼーションの過程にある企業は、日本の本社とのリエゾン的な仕事も多く、日本語の読み書き会話ができる人が重宝されるようです。日系企業以外では、日本をターゲットとしている会社なら日本語ができることが強みになりますが、当然ながら日常業務は英語で行われるため、日常会話もさることながらビジネスレベルで通用する英語力が必要です」。

日米で大きく異なる新卒の採用方法

日米で就職活動をするにあたって、横田さんは採用のスタイルの違いについて、こう言及する。「日本では、新卒の採用活動は大学3年生の秋に開始されます。卒業年の4月入社が新卒採用の応募条件となりますので、日本の学生はその流れに合わせて一斉に就職活動をするわけです」。とは言え、アメリカの大学で学ぶ者が不利になるわけではないと横田さん。「海外からの学生を積極的に採用している企業なら、一般の応募を締め切った後でも電話・オンラインによる面接を行う可能性があります。また、夏休みや冬休みを利用して日本で就職活動をする方法もあります」。
 
逆に、アメリカでの採用活動は、日本のように一斉に新卒を採用するということはなく、ポジションに空きが出るたびに募集をかけるというスタイルが多い。そのため、卒業後、就職先が決まっていないのも珍しいことではない。「金融業界など一部の企業では、新卒を一斉採用する際、大学内でオンキャンパス・リクルーティングを行う所もありますが、基本的にアメリカでは自分から積極的に動いて探していかなければなりません」と横田さん。
 
また、アメリカでは、新卒であってもスキルの有無が重視される。「大学の専攻で学んだ知識が、戦力として使えることが望ましいですね。もちろん、インターンシップをすることも強みです」と、横田さんは説明する。逆に日本は、技術職のように大学で学んだことを活かせるポジションでの採用もあるが、専攻に関わらず、入社後の可能性に期待する”ポテンシャル採用”が一般的だ。

自己分析をしつつ世の中の動き見据えて

現在日本の有効求人倍率は0.47倍、正社員有効求人倍率に至っては0.29倍(厚生労働省2010年2月発表)と、まさに厳しい就職氷河期の最中にある。また、終身雇用制、年功序列が崩壊し、能力・実績主義へと移行していることや、第2新卒、中途採用、派遣社員など、日本の中でも雇用形態が多様化してきていることにも注目する必要がある。
 
菊池さんは、「この企業に入ったから一生安心という考えは、もう日本でも通用しません。また、世界の変化が加速化しており、5年後、10年後にどの業界が繁栄しているのか、予測がつきにくくなってきているのも事実です」と指摘すると共に、まずは自分が何をやりたいか、しっかり自己分析をすることが大事だと強調する。大学選びもまずそこから始め、その上で世の中の動きを注意深くキャッチしながら、自分の活躍できる場を求めると良いと言う。
 
また横田さんは、「企業は『一緒に働きたい』と思う人を選びます。日米どちらの大学に進むにしても、なぜその大学・専攻を選び、なぜこの会社を選んだかをじっくり考え、説明できることが重要です」と言う。
 
最後に菊池さんは、こう語る。「人生の一時でも海外経験がある人は、日本では学べない経験を積んだ分、視野が広く、柔軟性もあると思います。企業の採用担当者も、海外経験のある人は何かプラスのものを持っているだろうと考えますので、その点をうまくアピールできると良いと思います」。

【取材協力】

松本輝彦(教育カウンセラー)
海外子女教育情報センター
www.infoe.com
 
福士俊輔
Midtown Planning
www.midtownplanning.com
 
宮本智彰
コアネット
www.core-net.net
 
片野孝一
enaロサンゼルス校
www.ena.co.jp
 
菊池正博
interesse international inc.
www.iiicareer.com
 
横田梢
DISCO International, Inc.
www.careerforum.net
 
(2010年5月1日号掲載)

●本コンテンツは「ライトハウス 2010年5月1日号」に掲載されました。最新の特集「教育のプロに聞く!アメリカ&日本の大学進学事情2016」も合わせてご覧ください。
●アメリカの大学への進学・留学については「アメリカ・ロサンゼルス留学~おすすめ大学・語学学校の最新情報」でも詳しく紹介しています。

 

脳神経外科医 / 福島孝徳


持てるもの、できる限りのこと 「すべてを患者さんのために」

臨床実績がなかなか評価に直結しない日本医学界で、「本当の医者は患者さんを治せる医者」と信じ、ひたすらに手術中心の日々を送る脳神経外科医の福島さん。48歳で南カリフォルニア大学(USC)医療センターから脳神経外科教授のオファーを受け渡米。自身が確立させた「鍵穴手術」により、「神の手を持つ男」「ゴッドハンド」、海外では「侍ドクター」とも呼ばれ、絶望の淵から多くの患者を救う。現在も第一線で活躍し続ける世界一の脳神経外科医に、その想いを聞いた。

やんちゃな不良少年は 叔父の影響で医学部へ

恩師の佐野先生は東大病院当時からいつも応援しサポートしてくれた

父は明治神宮の神官、母は代々神職を務めた家に育ったやさしく気丈な人でした。高校生くらいまでは、そんな両親に反発ばかりしていた悪ガキで、兄と新宿辺りを遊び回り、家出をしたこともありました。そんな私を不良少年から更生させてくれたのが、父の弟である叔父。内科医だった彼の影響もあって、医者を志すようになりました。1浪して、東京大学医学部に入学しました。

 

「医局に入ったら忙しくて遊べない。学生のうちに人生を謳歌しておけ」と先輩たちに言われ、学生時代はスキーやジャズなど、学業そっちのけで一生分遊びましたね(笑)。誉められた学生じゃありませんでしたが、あの時に徹底的に遊んだからこそ、卒業後はきっぱりと意識を切り替えることができました。医療の現場に出て、「患者を持つ」ということのその重さを、本当の意味で自覚したんです。

 

私の人生の目的、モットーは「すべてを患者さんのために」です。その言葉通り、自分の持てるもの、できる限りのことを、すべてを患者さんのために使う生活です。卒業後5年間は、医局に泊まり込み、月に1度しか家に帰らないこともザラ。1日24時間、患者さんのそばで過ごしていましたね。5年経った頃には、「もしかしたら自分は日本一の専門医になっているんじゃないか」なんて思ってしまっていたほどでした(笑)。

 

その後ドイツで2年、アメリカで3年、合計5年間かけて欧米の先進医療を学びました。日本一、そして世界一の脳外科医になることが目標で、そのための努力は人一倍しました。そして、世界中の名医や達人と呼ばれる人を直接訪ねては、実際にその技術をこの目で確かめ、良いものは治療に即取り入れました。常に前進、常に進歩、常に改革。この姿勢は今でも変わりません。

ギャップに悩みながらも 鍵穴手術の確立へ

帰国後は1978年から80年まで、東大病院に在籍しました。そこで私は、欧米と日本のギャップに悩まされました。私の考え方は「東大方式を次々破る不埒なヤツだ!」などと取られてしまうこともあり、閉塞感やストレスを感じることも多々ありました。

 

そんな時に私を導いてくれたのが、恩師である佐野圭司先生(現東京大学名誉教授)です。ドイツやアメリカへの留学をすすめてくれ、また、大学病院で“はみだし者のようになっていた私を親身にかわいがってくれた方です。私の臨床の力を認めてくれていた佐野先生が、三井記念病院脳神経外科部長の話を紹介してくれました。当時私は37歳、部長医師としては若過ぎると反対意見もありましたが、「日本の脳神経外科の権威」とも言われる先生の後押しが決定につながりました。

 

三井記念病院勤務時代に、鍵穴手術を確立させました。頭部に1円玉ほどの小さな穴をあけ、顕微鏡を使って脳腫瘍を切除・縫合する手術方法です。頭部を大きく切開する必要がないので、患者さんの負担を大幅に軽減することができます。私が行っているのは、ほかの医者には想像もできない、超微細、ミクロ単位の手術。“福島流は、キレイで緻密な手術、腫瘍のパターンによって攻め方を変えます。

 

三井記念病院での手術のない曜日や夜は都内近郊の病院、週末は北海道から沖縄まで、文字通り日本中の病院で手術を行いました。日本はもとより世界中から患者さんが訪ねて来たこともありますし、また世界中から私の手術を見学に来る医療関係者も多かったです。手術数は年間900件を超えました。

世界最高の手術の提供と若手の育成に注力

37歳で三井記念病院の脳神経外科部長に就任してからは、日夜寝食を忘れて手術に取り組んだ

1991年に、南カリフォルニア大学(USC)医療センター脳神経外科教授に就任しました。日本の医学界は、臨床の実績よりも論文本数などが評価の対象になるような状況。ですが、実際に患者さんを治療する臨床の現場こそが、医者としての本分です。USCからの誘いを受けた時、私は48歳。周囲で止めた人も多かったのですが、行って良かったですね。アメリカでは「治せる医者」、臨床医としての実力があれば必ず評価されます。それまでの疑問やしがらみから解放されて、自分がやったことを「これはオレがやったんだ」と自信を持って言えるようになりました。

 

USC勤務の間、約4年暮らしたLAでは、周囲から本当に良くしてもらいました。当時、野茂選手もドジャースに在籍していて、「ロサンゼルスで活躍しているのは福島さんと野茂さんですね」と言ってもらったりもしましたね。

 

海外で生活をすると、愛国心というのはさらに強くなります。アメリカに渡ってからの私は、日本にいる時よりもずっとのびのびと目標に向かうことができるようになりました。その上、両国の状況を伝え、いいものを取り入れていくことができる。日本にずっといたら、こういうこともできませんでしたね。現在は、ノースカロライナ州のデューク大学やウエスト・バージニア大学などのほか、欧州の大学でも勤務しています。手術は日本やアメリカを始め、世界中で行っています。

 

世界一を目指すには、1にも2にも3にも努力です。私はそうしてきましたし、現在も勉強中の身だと思っています。「もっと患者さんに負担をかけずに治せる、もっといいやり方があるんじゃないか」と、いつも考えています。すごいと聞けば、他の先生の手術だって見に行きます。患者さんは皆、命がけで連絡しているんです。頼みの綱と思ってくれるなら、どんな所にでも出かけて行きたい。私が現場で闘い続けたら、「やろうと思えばここまでできる」と周囲を刺激し、それによって最新の治療法やテクニックが広まっていくことと期待しています。

 

今後も、「手術一発完治」をテーマに、世界最高の手術を目指し続けます。そしてもう1つ大切なのが、若い人たちの育成です。私財や日本で手術をしている病院からの寄付などで運営している「国際脳外科教育財団」での活動や、研修生への直接指導を通して、後進の育成に力を入れています。全世界の患者さんが求めているのは、大病院でもなく、論文が書ける教授でもなく、治してくれる医者。それには、一刻も早く、一人でも多くの「病気をちゃんと治せる医者」を育て上げることが必要です。そのために私が役立てることがあれば、喜んで力を提供したいと思います。

ふくしま・たかのり●1942年、東京都出身。東京大学医学部卒業後、同大学医学部付属病院脳神経外科臨床・研究助手。ドイツのベルリン自由大学、米国メイヨー・クリニックでの留学を経て、78年に東京大学医学部付属病院脳神経外科に勤務。80年より三井記念病院脳神経外科部長。91年にUSC医療センター教授就任。ペンシルベニア医科大学教授などを経て、現在は、カロライナ脳神経研究所、デューク大学、ウエスト・バージニア大学教授。カロリンスカ研究所、マルセイユ大学、フランクフルト大学教授を兼任。鍵穴手術の考案者にして脳腫瘍外科手術の世界的権威であり、20,000件を超える手術実績を持つ。
http://takafukushima.com
 
(2009年1月1日号掲載)

CGアートディレクター / 中島聖

夢を実現するには、とにかくやってみることアメリカでは失敗を恐れる必要はありませんから

ハリウッドの老舗CG映像制作会社Rhythm & Hues Studios(R & H)に入り、200人ものスタッフを従え、社内でも数少ないアートディレクターの1人として活躍する中島さん。コンピューターを駆使する技術者が多い中、手描きのデザイン能力を発揮してきた。コカコーラのシロクマ、Geicoのトカゲ、映画『ALVIN』のシマリスなど、彼の手がけるキャラクターは、世界中の人が目にする作品も多い。これまでの軌跡から、ハリウッドのエンタメ業界の第一線で活躍する日本人として、その展望までを聞いた。

アメリカに来て発見するアートの魅力、日米の違い

トカゲに似た社名に合うものをという要望で考案したGeicoのキャラクターは、今もCMで健在

アートへの関心は幼少の頃からありました。オモチャを買ってもらえなかったので、レゴや粘土でいつも遊んでいました。作り出したら止まらないという子供でした。画家である父からは「絵は教わるものではない」と言われ、絵画のクラスなどは一切取らせてもらえませんでした。

 

見聞を広めるためと、親の知人のすすめで日本の高校を卒業後、私立のオーハイ・バレー高校に編入しました。英語は得意ではなかったので、最初は本当に大変でしたが、美術の担当教師にアート方面に行った方が良いとすすめられ、自分自身もアートの楽しさを知ることができました。日本とは違い、自由な発想を評価してくれるところが気に入りました。

 

その後、オレゴンのカレッジに半年くらい通って経済や法律を勉強しましたが、「ここは自分の土俵ではない」と気付いて。本当に自分のやりたいことを考えようと、しばらく休学して2カ月部屋にこもっていました。その間に、自分の感情を表現する手段として絵を描いていたんですね。自分の進む道はこれだと確信し、美術系の学校に入ることに。自分の作品を車に積み込み、30時間ドライブをして、ロサンゼルスの学校に乗り込んで交渉。英語の力は足りませんでしたが、やる気が認められ、入学が許可されました。

 

学校では2年生で専攻分野を学びます。僕は人物画のコースの多いイラストレーションを専攻しました。そして、卒業制作に描いた女性画の評価がとても良かったので、「これで食べていこう」と決心しました。そうは言っても、絵描きとして突然生活ができるわけではありません。悩んだ末、絵を描いて仕事になるのはアニメーションしかないとスタジオを探すことに。名刺をもらっていた教授の勤めるCG映像制作会社R & Hを訪ねてみました。その時に持参したのは、普段使っているスケッチブックだけ。独り言のようなメモ書きを見て、「これがいいんだ。人間性が見える」と雇ってもらえることになりました。

 

最初の見習い期間で基本をみっちり学びました。今はすべてデジタルですが、当時は手描きの部分も多く、線の決め方にしても日本とアプローチが違うのに戸惑いました。何となく柔らかく、といった表現ではダメ。アメリカでは、はっきりしないといけないんです。

キャラクターは交渉の末に誕生するもの

ところが見習いの3カ月が経ち、これからという時に僕を含むアート部門の全員がレイオフされたんです。路頭に迷いましたが、就職先を探し、ドリームワークスで雇ってもらうことに。ジュラシックパークの新作ゲームのデザインチームに入ったのですが、その仕事が軌道に乗ったところで、R & Hから再雇用されることになりました。

戻ってみると、デザイン担当は僕だけ。すべての仕事を1人でこなさなければならなくなりました。しかし、クビを切られたことがトラウマになってしまい、次は切られないようにと、がむしゃらに働きました。そのうち、ディズニーランドからキャラクターデザインの仕事が来て。ピクサー映画『a bug’s life』をモチーフにしたアトラクションのテーマパークを作るというのです。それが、キャラクターデザインの面白さを知るきっかけとなりました。

キャラクターを決める前に、まず脚本を全部読んでキャラクターをイメージするんです。脚本家やほかのスタッフたちもイメージを持っているので、みんなで話し合い、1つにしていきます。僕の場合は、アニメーションに使うキャラクターをデザインするのですが、例えば、『The Incredible Hulk』などは、元になるマンガが立体で描かれているので楽。ですが、線画で描かれた『Garfield』のような昔のコミックはCGに起こしていくのが大変です。

キャラクターデザインの仕事は、もう10年になります。CMでは自動車保険のGeicoのトカゲやKernsネクタージュースに付いているハチドリ、COXケーブルのマックスなどを手がけました。非常に有名になるものもありますし、逆に一生懸命作っても、クライアントさんに気に入ってもらえない場合もあります。

失敗を恐れていては誰も道を譲ってくれない

シマリス3兄弟を描いた『ALVIN』は、2009年末に第2弾公開予定

映画では『The Flintstones』や『Dr. Seuss’ Cat in the Hat』の中に出てくる魚のキャラクターなど。『THE MUMMY: Tomb of the Dragon Emperor』に登場する竜も作りました。また、シマリス3兄弟が登場する映画『ALVIN』は、昔の線画のアニメがあるのですが、あのキャラクターを再び蘇らせたいという作者の希望でCG化しました。

 

例えば、昔なら生きたネズミを目の前においてスケッチするところを、今は写真を撮って画面上で加工するんです。絵心があると強みになりますね。話し合いの時も、その場でデッサンを描いて決めていくことができます。

 

僕の関わるスタッフは、CMで20~30人、映画で200人くらい。作品を通して定期的にチェックし、指示を出します。実際、CGの作業は数学的な世界。そこに僕のようなアート系が入っていくことで、バランスが取れていくようです。アートディレクターは社内で4人。僕が1番若く、もちろん日本人は1人です。英語もできなかった自分が、こうしてこちらでやっていることが不思議ですね。ただ、僕は頑固なんです。諦めない。目の前にハードルがあったら、飛ばないと気が済まないんです。

 

これからもっと日本人としての感性を伝えたい。一昨年前、アメリカのロックを題材にしたゲーム『GUITAR HERO』の広告ディレクターをした時に、日本的なカッコ良さを伝えようと思ったんです。日本人の感覚からいうと、こちらのキャラクターは決めポーズが甘い。そこを主張したところ、そのモデルとなった元Guns N’ Rosesのスラッシュさんも気に入ってくれて。ツアー用のバスにポスターを貼ってくれています。アメリカがすごいなと思うのは、自分が正しいと思ったら正面からぶつかっていけるところ。これからも、自分がいいと思うものを世界の人がわかるように解釈して、きちんと伝えていきたいですね。

 

夢を実現するには、とにかくやってみること。目の前にあることをやってみる。その後は、それから考えればいいんです。日本社会は失敗を許さないところがありますが、アメリカでは失敗を恐れていては誰も道を譲ってくれません。自分を主張していくことに気後れする必要はありません。これから世界はもっとグローバルになっていくので、僕たちのような文化の違った人たちのアイデアが重要になっていくのではないかと思います。

なかしま・せい●1970年東京生まれ。日本の高校卒業後に渡米、オーハイ・バレー高校に編入する。オレゴン州のカレッジを経てロサンゼルスのデザイン学校Otis College of Art and Designでイラストレーションを専攻。95年Rhythm & Hues Studiosに就職、現在アートディレクターを務める。映画などのエフェクトデザイン、プロダクションデザインやキャラクターデザインを担当。ディズニー映画『a bug’s life』をモチーフにしたカリフォルニアアドベンチャーパークのアトラクションのキャラクターもすべてデザインした。
 
(2009年1月1日号掲載)

特集:教育のプロに聞く!アメリカ&日本の大学進学事情

世界最高峰の大学教育を誇るアメリカで、学ぶ価値とは?
本特集では、各分野のプロフェッショナルにお話を聞き、アメリカの大学教育の特徴や学費・奨学金の情報、求められる学生像についてまとめました。また、日本の大学進学事情についての情報も盛り込み、アメリカもしくは日本の大学に進んだ学生体験談も紹介します。
※本コンテンツは「ライトハウス 秋の増刊号 2016年」に掲載されました(2016年6月1日号掲載の特集を再編集したものを一部含みます)。

アメリカの大学進学について

アメリカの大学で学ぶ価値

アメリカの大学は、他に類を見ないユニークな教育システムを有しており、その教育を受けるために、世界中から2016年現在、100万人の留学生が集まってきています。アメリカの大学を一言で言えば、一人一人のポテンシャルを最大限に引き上げるための教育の場。日本や他の国の大学とは比べものにならないほど専攻の種類が多く、また進学後も自由に専攻が変えられるなど、学生本位の柔軟なプログラムが提供されています。
 
17、18歳の高校生にとって、将来の進路を一つに決めて学部や学科を選ぶのは至難の業です。むしろ大学生になって幅広く社会を見ることで、自分が本当にやりたい分野が見つかるという人も少なくありません。そのような学生にとって、大学進学後に専攻を自由に選べるアメリカの大学のシステムはとても魅力的なものと言えるでしょう。アメリカの大学は学部や学科による選考ではなく、大学で一本化された入学審査(アドミッション)となっています。大学に合格した学生は、学部や学科への入学資格を得たのではなく、その大学そのものに入学する資格を得たことになります。そのため、大学入学後も自由に専攻を変えたり、また専攻を決めずに受験することもできたりするのです。こうした柔軟な教育システムを持つ大学は世界中どこを探しても他にはなく、個々の学生のポテンシャルを伸ばすことに注力するアメリカならではの制度と言えるでしょう。

世界各国からアメリカの大学に進学する留学生数の推移

【表①】世界各国からアメリカの大学に進学する留学生数の推移

しかし近年、日本の若者の内向き姿勢が顕著になっているとよく言われます。実際に日本からアメリカの大学に進学する留学生の数は2000年代に入ってから減り続け、過去13年間で約6割減りました。これに対して、インドからの留学生は倍増、中国からは4倍近くにまで増えています。これらを比較すると、日本はグローバル化が進むアジアの潮流に逆行しているように感じられます。(表①
 
少子高齢化が進み、国内市場が飽和する中、日本企業が生き残るにはグローバル化が不可欠。それにもかかわらず、グローバル化を支える人材が育っていないことに、日本の産業界は危機感を持っています。日本の大学は、教育のグローバル化を掲げた取り組みを進めていますが、状況は改善されていません。
 
このような深刻な日本の状況を救ってくれるのは、海外で育つ子どもたちかもしれません。アメリカで育つ日本の子どもたちは、日米2つの言語を操り、2つの文化に日々接しています。それに加え、第3の言語を学ぶ生徒も少なくありません。子どもたちは無意識のうちに国際感覚を身に付け、国際社会へ目を向けています。将来日本で活躍し、日本の社会や経済を支える人材がここから生まれてくることが期待できます。海外で学ぶ日本の子どもたちは数多くのチャンスを持っているとも言えるのです。では、そんな恵まれた環境に住む私たちや、その子どもたちは、いったいどうやって大学を選べばいいのでしょうか。

 

アメリカの大学におけるリベラルアーツ教育

アメリカの大学は4つの種類に大別されます。(表②
知名度が高く幅広い専攻を持つ大規模な総合大学に目がいきがちですが、全学生にそれがベストな選択とは限りません。将来の進路が決まっていない学生や、主体的に学習を進めるのが苦手な学生には、サポートがしっかりしている小規模の大学の方が適しているかもしれません。
そこで、アメリカの大学教育の特徴に「リベラルアーツ教育」が挙げられます。これは、身に付けるべき教養を深めるための教育であり「教養教育」とも呼ばれています。アメリカでは、教養教育に力を入れる「リベラルアーツ・カレッジ」が高い人気を誇り、日本人でもこの種のカレッジを希望する学生が増えています。

【表②】アメリカの大学の種類は大きく分けて4つ!

◆総合大学
幅広い専攻分野を持ち、大学院教育や研究にも力を入れている大学。多くの州立大学や大規模私立大学が含まれる。
◆リベラルアーツカレッジ
教養の修得を重視し少人 数制で質の高い教育を提 供する大学。学部に特化した小規模大学が多く、きめ細かいサポートが魅力。
◆単科大学
音楽、美術、工学など特定の学部に特化した大学。専攻が明確に定まっていて効率的に学習を進めたい学生向き。
◆短期大学
2年制大学で、4年制大学への編入を目指す「進学コ-ス」と職業技術を修得する「職業訓練コ-ス」がある。

 
リベラルアーツ・カレッジとは、高い教養を有するバランスの取れた人間の育成に注力した大学です。学部の教育を重視していて、特定の職業に直結する専門知識や技術の会得だけでなく、幅広い教養の修得にも力を入れた教育を行うことで、将来さまざまな分野で活躍できる人材を育てることが狙いです。  
教養教育は、日本の大学でも行われてきました。大学4年間を「教養課程」と「専門課程」に分け、教養課程で一般教養を幅広く身に付けるのが一般的で すが、教養教育は日本ではあまり重要視されてはいませんでした。特にバブル後の就職氷河期以降、就職率を高めたい、即戦力を求める企業のニーズに応えたいとする大学の思惑が”専門教育偏重”の流れを加速させました。
 
リベラルアーツ・カレッジは小規模の私立校が多く、大規模な総合大学では得られない、各学生のニーズに応じたきめ細かい指導が受けられることが魅力です。リベラルアーツ・カレッジではそれぞれの学生に進路カウンセラーが付き、クラスの履修方法や専攻の選び方、将来の進路に至るまで親身になって相談に乗ってくれます。もし自分に合う専攻がない場合、新たに専攻を作ってもらうこともできます。
 
リベラルアーツ・カレッジは専門分野が学べないので就職に不利だと誤解する人もいますが、そうではありません。日本の「教養学部」とは異なり、アメリカのリベラルアーツ・カレッジでは、自分の専門分野についてもしっかり 学びます。学部生に対する研究支援について、むしろ研究系大学よりもリベラルアー ツ・カレッジの方が優れている場合が多く、大学1年生からリサーチを行う学生も少なくありません。

大学選びのための情報収集

実際にアメリカの大学を選ぶにあたっての情報収集は、何から始めるとよいのでしょうか。まず、The College Board(www.collegeboard.com)のウェブサイトを活用して、3,000校以上の中から、自分の条件を入力し、大学を検索してみましょう。自分に最も合う大学を見つけるために、なるべく地域を絞らず全米を対象に探してみてください。
 
アメリカの18歳の人口は年々増加しており、特に人口増加の激しいアリゾナ州やテキサス州などの西部や南部では、大学受験者数も急増しています。またカリフォルニア州のように、他州に比べると人口に対して大学の少ない州では、必然的に競争が激化します。そして州立大学の学費の高騰や教育水準の下降も深刻な問題となっています。ですから州外の大学も含め、幅広い視点で自分に合った学校を探すことが必要です。
 
興味のある大学が見つかったら、ぜひキャンパスツアーに参加してみましょう。自分と相性の良い大学を探すのにベストな方法は、実際に訪問することです。遠くの大学ですぐに訪問するのが難しい場合は、メールやSNSで大学のアドミッションに直接質問し情報収集することをお勧めします。キャンパスツアーは通年で行われているので、夏休みを利用し州外の大学を訪問するのも良いでしょう。その学校の雰囲気、居心地、アドバイザーの対応などが、自分に合っているかどうかを確認しましょう。将来の目標が一人一人異なるように、それを実現するための大学進学の方法もそれぞれ異なります。大学だけでなく、大学院そして社会に出てからをイメージして、大学の知名度や周囲の意見に惑わされず、情報収集を進めましょう。
 
例えばハーバード大学は、世界的権威の教授陣を擁する名門大学として有名ですが、著名な教授のクラスが取れるのは大学院の学生です。学部ではアシスタントの学生が担当しているクラスも少なくありません。また、「ビジネスに強い大学」「バイオに強い大学」などの特徴を打ち出している大学も、そのメリットを享受できるのは大学院からという場合が多いのです。ですから、学部レベルの大学選びでは、前述のようにいかに自分に合う大学かを優先してください。
 
また、大学によっては表③のように、非常に特徴的な教育システムを持つところもあります。

【表③】特徴的なシステムを持つアメリカの大学リスト

◆「4-1-4制」の大学
一般的なセメスターやクォーター制ではなく、4-1-4のシステムを採用している大学です。1月にひと月だけの短い学期があり、前後の学期と組み合わることができるほか、大学によっては、そこで科目だけ履修することも可能です。
 
エッカード・カレッジ / Eckerd College :Winter Term(フロリダ州)
セントメリーズ・カレッジ・オブ・カリフォルニア / Saint Mary’s College of California :January Term(カリフォルニア州)
マサチューセッツ工科大学 / Massachusetts Institute of Technology :IAP(マサチューセッツ州)
パシフィック・ルーテル大学 / Pacific Lutheran University:J-term(ワシントン州)
 
◆「インターンシップ」が充実している大学
学生が在学中にフルタイム(有給)でインターンシップを行うCO-OPというプログラムを積極的に導入している大学があります。大学卒業後に就職できるかどうかは、在学中にどれだけしっかり準備したかで決まります。在学中の早い段階からイン ターンシップに参加して業界を知り人脈を広げたり、キャリアセンターに通って情報を集めたりすることが重要です。
 
ドレクセル大学 / Drexel University (ペンシルベニア州)
ノースイースタン大学 / Northeastern University(マサチューセッツ州)
イーロン大学 / Elon University (ノースカロライナ州)
コーネル大学 エンジニアリング / Cornell University (ニューヨーク州)
 

そして、特徴的な学習スタイルを採用する大学もあります。
 
●Colorado College (コロラド州)www.coloradocollege.edu
一つのことに集中して学びたい学生向き
同時に複数の教科を学ぶことにストレスを感じたり、同日に複数のテストや提出物があると精神的に追い込 まれたりするタイプの学生に適した大学です。この大学の特徴は、学期制 ではなくブロック制を採用していること。3週間半を1ブロックとし、1ブロックに1クラスのみ受講する履修スタイルです。一つの教科に集中できるので落ち着いて学ぶことができます。
 
●New College of Florida (フロリダ州)www.ncf.edu
テストにプレッシャーを感じる学生向き
学習への意欲は高いけれど、試験で実力を十分に発揮できないという学生に人気の大学です。この大学の成績評価はABCではなく、担当教授が学生の成果を文章で論じます。日々の取り組みそのものが評価されるので、学生はテストのプレッシャーから解放されます。文章での評価は努力がしっかり伝わるため、頑張った学生は大学院入試でも有利。メディカルスクールやロースクールなどへの高い合格率を誇っています。
 
●Curry College (マサチューセッツ州)www.curry.edu
学習に問題を抱えている学生向き
ADHD(注意欠陥・多動性障害)やDyslexia(読語障害)のような発達障害を持つ学生の支援で先駆的な取り組みをしているリベラルアーツカレッジ。Program for Advancement of Learning(PAL)というプログラムを通じて、個々の学生の学習ニーズに合ったサポートを提供しています。アメリカでは、学習に問題を抱えている学生のための支援プログラムがどの大学にもありますが、一般の大学が提供できる範囲のサポートでは不十分な学生も多く、その場合は特別なプログラムを持っている大学が最適です。

アメリカの大学入学審査の特徴

①将来性や人間性を重視
アメリカの大学のアドミッションは一般的な日本の入学審査と大きく異なります。日米の大学で入学審査が異なる最大の理由は、求める学生が異なるからです。日本の大学は「現在優秀な学生」を評価しますが、アメリカは「将来伸びる学生」を求めます。つまり、現時点の成績だけで判断するのではなく、将来のポテンシャルを見極めて評価するのがアメリカの大学です。
 
アメリカで学生の将来性を重視する理由は、卒業生が社会で活躍することが大学の長期的な繁栄につながると考えているからです。社会で活躍する卒業生が増えれば大学の名声は高まり、寄付金も増え、大学の経営基盤がより強固になります。そのため、アメリカの各大学は学生のポテンシャルを的確に評価しようと工夫を凝らします。ポテンシャルを伸ばす教育を目指すアメリカの大学は、アドミッションにおいてもポテンシャルを重視した選考を行っているのです。
 
将来性を重視するアメリカの大学では、学業以外の取り組みや人間性もアドミッションで評価されます。もちろん高校の成績が重要なのは言うまでもありませんが、成績以外もきちんと評価しようという傾向は年々高まっているように感じられます。特に難関大学ほどその傾向は強く、アイビーリーグの大学やスタンフォード大学のようないわゆるトップスクールは、どんなにアカデミックが優れていても、それだけで合格を勝ち取るのは困難です。
 
人物評価の方法として最重要なのは、アプリケーションの中のエッセイです。学生がどんなことを考えながら生きてきたのか、将来どのようなビジョンを持っているのかなど、大学はエッセイを通じて学生の人物像を読み取ろうとします。従ってアメリカでは、受験生はエッセイを通じて自分の良い面をどう大学に伝えるかという戦略が重要です。

②他の学生との差別化が重要
アドミッションにおいて最も重要なことは、他の学生との差別化です。アメリカの大学は、学生を選ぶ際に、その学生が他の学生と比べてどう違うかを見ます。他の学生にはないユニークな点があるからこそ、その学生を合格させる意味があると考えます。従って、進学準備をする際は、他のクラスメイトと横並びで考えるのではなく、自分の強みや良いところを伸ばすことに注力をすることがポイントです。
 
こうした「他の学生との差別化」の重要性は奨学金獲得に関しても当てはまります。自分を差別化できる大学、つまり自分が特別な存在になれる大学を選ぶことがポイントです。難関大学を避けて成績など学力面で他の学生と差別化できる大学を選ぶのは最もポピュラーな方法です。
 
「自分の成績では差別化は難しい」と悲観的になることはありません。自分が特別な存在になる方法は、成績以外にもいろいろあります。例えば、アドミッションにおいてダイバーシティーは常に最重要テーマのひとつであり、少数派の学生は優遇されます。例えば、リベラルアーツ・カレッジでは男子学生が優遇され、工科大学では女子学生が優遇されます。

③全学生対象のメリット・スカラーシップ
アメリカの大学に進学する上で、高額な学費は大きなハードルです。大学によっては年間7万ドルにもなる学費を全額払って進学するのは現実的ではなく、各大学はさまざまなファイナンシャル・エイドを提供して、多くの学生に進学の機会を与えています。
 
奨学金は次の3つに大別されます。
①ニードベース
家庭の所得が学生の学費を全額負担するのに十分ではないと判断された場合、不足分の一部または全部を大学が負担する制度。原則として米国市民および米国永住者が対象ですが、一部の大学では非永住学生や外国人留学生のファイナンシャル・ニーズも考慮されます。
 
②メリットベース
学生個人の評価に対して提供される奨学金。大学がその学生をどの程度欲しているかによって金額が定められる場合が多いため、その額は一人ひとり異なります。メリット・スカラーシップは、合格者に対して入学を促すためのツールとして利用されるため、合格通知と同時期にオファーされるのが一般的で、非永住者や外国人留学生も対象となります。一定の条件を満たすことを条件に4年間同額が給与されます。なお他の奨学金と同様、返済不要です。
 
③タレントベース
スポーツや芸術で高い能力を有する学生に対して提供される奨学金。NCAAの上位ディビジョンで活動するアスリートを対象としたアスレチック・スカラーシップや、大学で音楽活動を行う学生を対象としたミュージック・スカラーシップ等が含まれます。非永住者や外国人留学生も対象です。
 
中でも、②メリットベースのメリット・スカラーシップの獲得は、国籍を問わず、全ての学生が対象になるという点で、最も重要な方法と言えるでしょう。ずば抜けて高い能力を持っている必要もなく、大学が欲しいと思う学生であれば対象となるメリット・スカラーシップは、学力やリーダーシップなど学生個人の評価に基づいて提供される奨学金で、その金額は、2千ドル程度からフルスカラーシップ(学費全額免除)までさまざまです。
 
Rolling Admissionを採用する大学では締切日は明確に定められていませんが、メリット・スカラーシップで有利な条件を得るためには少しでも早くアプライすることを心がけてください。また、早期締切(Early Action)が設定されている大学にアプライする場合は、ぜひこの制度を利用しましょう。
 
締切直前に願書を提出する学生よりも、早期に提出する学生の方が評価が高くなることと同様に、その評価の違いは奨学金の額にも影響します。早期にアプライする学生は自分の大学に高い関心を持っているので、メリット・スカラーシップを弾んで入学の意思を確実にしたいという意図が大学側に働きます。また、学生の評価が同じでも、アプライする時期によりメリット・スカラーシップの金額が異なる場合があります。奨学金の予算は限られているので、終盤になれば財布の紐は固くなりがちです。自分の強みを評価してくれる大学は必ずあるはずですが、どの大学が評価してくれるかを予測するのは困難です。そこで、なるべく多くの大学にアプライすることをお勧めします。闇雲に受けるのではなく、自分に合ったプログラムがあり、かつ自分の強みを評価してくれそうな大学に狙いを定めて数多く受けてください。

入学審査の最新動向

①SATのリニューアル
アメリカの大学のアドミッション(入学審査)は毎年少しずつ変化しています。特に2016年はアドミッションテストに大きな動きがあり、SATの内容が刷新され、3月から新テストに移行しました。
 
アメリカの大学では、出願時にSATまたはACTの入学審査テストを義務付けるところが多く、学生は自分に合った方を選んで準備します。大学は将来性を重視して学生を選びますが、中でもSATは、学生の将来性を測る判断として、数多くの大学に利用されてきました。しかし近年はSATの有効性に否定的な研究結果が発表されるようになり、大学のSAT離れが進みました。これが学生のSAT離れを呼び、2013年にはACTのシェアがSATを追い抜きました(表④)。

SATとACTの受験者数の推移

【表④】SATとACTの受験者数の推移

これによりSATを実施するThe College Boardは2016年春から学力評価テストとして、SATをリニューアルしました。新しいSATは、高校のカリキュラムに沿った内容で、学生が大学で学ぶための基礎学力があるかどうかを測ることを目的としています。The College Boardが、新旧SATの両方を受けた生徒を対象に行ったアンケートによると、6対1の割合で新しいSATが評価されているようです。
 
SATがリニューアルされたことにより、いわゆるテスト対策に多大な時間を割く必要はなくなりました。高校での日々の学習の積み重ねが結果的にスコアアップにつながります。やみくもに専門塾などに通うより、まずは日々の学習にしっかり取り組んだ上で、SATかACTのどちらか自分に向いている方のテストを選んで受験しましょう。

②今夏導入のアプリケーションシステム
アメリカの大学のアプリケーションで今年注目されているのがコアリション・アプリケーションと呼ばれる共通出願システムの導入です。現在、アメリカでは約600の大学でコモン・アプリケーションが利用されていますが、コアリション・アプリケーションは、アイビーリーグや有名リベラルアーツ大学が共同で作り上げた新しいアプリケーションシステムで、2016年8月現在で、94校が採用しています。2016年7月からアプリケーションのウェブサイトがスタートし、2017年の秋、シニアになる学生から利用が可能です。
 
中心となるのはオンライン上の「Locker」と「Collaboration Space」です。これは9年生から使用できる無料のシステムで、「Locker」は学生が学校で取ったクラスやエッセイ、プロジェクトを管理できるほか、課外活動の情報も掲載できます。高校での生活を事細かに記したポートフォリオのようなものです。また、学生は「Collaboration Space」にアドミッション担当者など情報を共有したい人を招待してアドバイスを受けることができます。
 
現在アメリカの大学では、学力に加え、どんな人物であるかも入学審査の対象となっています。近年、この人物評価の方法として最も重要視されているのがエッセイですが、コアリション・アプリケーションでは、双方向コミュニケーションを通じて、従来のアプリケーションよりも、深く人物を評価できる方法として期待されています。これまでも、キャンパス訪問やFacebookなどのSNSにより、学生と大学のアドミッション担当者とのコミュニケーションの双方向化は進んでいましたが、学生は「Collaboration Space」を通じて、必要なアドバイスをもらうことができ、大学側も「Locker」の情報から学生のことを深く知ることができるのです。
 
コアリション・アプリケーションは、メディアを賑わせる全米大学ランキング上位の一部の難関大学のみが導入するシステムであり、コモン・アプリケーションに代わることはありません(表⑤)。しかし、高校に入学したときから大学進学を念頭において準備できることや大学とコミュニケーションが取れること、そしてこれまで学習や進学準備支援を受けづらかった低所得層の学生の進学率アップにもつながるなどの利点があり、出願システムの新しいオプションとして注目されています。

【表⑤】全米大学ランキングおよび「Common Application」への対応可否

2016
ランキング
大学名 場所 Common
Application
Coalition
Application
1 Stanford University Stanford, CA
2 Williams College Williamstown, MA
3 Princeton University Princeton, NJ
4 Harvard University Cambridge, MA
5 MIT Cambridge, MA X X
6 Yale University New Haven, CT
7 Pomona College Claremont, CA
8 Brown University Providence, RI
9 Wesleyan University Middletown, CT
10 Swarthmore College Swarthmore, PA
11 University of Pennsylvania Philadelphia, PA
12 Amherst College Amherst, MA
13 University of Notre Dame Notre Dame, IN
14 U.S.Military Academy West Point, NY X X
15 Northwestern University Evanston, IL
16 Columbia University New York, NY
17 Dartmouth College Hanover, NH
18 Tufts University Medford, MA
19 Bowdoin College Brunswick, ME
20 University of Chicago Chicago, IL

 

まとめ

●アメリカの大学を一言で言えば、一人一人のポテンシャルを最大限に引き上げるための教育の場。
●質の高い教育をリーズナブルな学費で受けるために、自分に合った奨学金獲得方法を考えて大学を選ぶ。
●アメリカの大学の入学審査は、学生の将来性や人間性を重視している。
●入学審査では、他の学生との差別化を意識することが重要。 
●2016年3月からSATがリニューアル。高校での日々の学習が重要に。
●2016年夏から、一部大学で「コアリション・アプリケーション」導入。出願システムのオプションが増えた。

 

【取材協力】
原田 誠
MACS Career & Education
2033 Gateway Place #500, San Jose
☎ 408-786-5359
E-mail: info@macscareer.com
www.macscareer.com

 

アメリカの大学における学費とファイナンシャルエイドの最新動向

FAFSA申請は10月1日から

ここ数年アメリカでは、オバマ大統領が行ってきた政策の一環として、ファイナンシャル・エイドのシステムは大きく変わっています。2011年には「Net Price Calculator」と呼ばれるシステムが生まれ、年間でかかる大学に通うための費用や、学生が受け取る可能性のあるファイナンシャル・エイドを差し引いた自己負担額を算出できるようになりました。さらに2014年からは、連邦政府提供のエイド申請フォーム「FAFSA(Free Application for FederalStudent Aid(fafsa.gov)」申し込み方法の簡略化が進められ、IRSの納税情報をFAFSAのサイトにダウンロードできるDRT(Data Retrieval Tool)を皮切りに、2015年にはFSAIDを導入し、以前は面倒だったウェブサイトへのログインも簡単になりました。そして今年から始まったのが申請手続きの早期化です。これまで12年生の年次の1月1日が申請受付開始日だったのですが、2016年からは10月1日に変更されます。大学入学願書の時期(通常10月)と重なることで便利になります。
 
また、FAFSAのサイトでは、納税情報の入力が必要ですが、受付開始日の変更により、入学年の前々年度の確定申告の情報を使用でき、2017~2018年度入学生の場合、FAFSA申請に使用するのは2015年度の納税情報となります(表⑥)。

【表⑥】申請に使用する納税情報は前々年度に変更。今年からFAFSA申請受付開始日が10月1日に!

入学年度 FAFSA申請期間 申請に必要な納税情報の年度
2015-16 2015年1月1日~2016年6月30日 2014年
2016-17 2016年1月1日~2017年6月30日 2015年
2017-18 2016年1月1日~2018年6月30日 2015年
2018-19 2017年1月1日~2019年6月30日 2016年

最新の確定申告を急いで終わらせる必要がなくなり、余裕を持って手続きできることから、より早期にそして正確なファイナンシャル・プランを立てやすくなったと言えるでしょう。

州内・州外レート適用に注意

アメリカの大学の学費は、州立大、私立大を問わず、毎年3~6%ずつ上昇しています。ここで注意したいのは、同じ州立大学を選択した場合でも、学生の居住場所が州外か州内かによって学費が変わることです。1年間の学費は、例えばState University of New York(NY州立大学)では、NY州内レート適用で2万3167ドルですが、NY州外レートでは3万8247ドルと大きな差が生じます。同様にTexus State University(TX州立大学)の学費は、州内レートでは2万2190ドル、州外レートでは3万4430ドルになります。

各大学の1年間の学費(2016~2017年)

【表⑦】各大学の1年間の学費(2016~2017年)

一方、私立大学のUSC(南カリフォルニア大学)の学費は、1年間で6万9771ドルになります。費用は莫大ですが、私立大学には州内・州外レートはありません。州外の州立大学は意外にもたくさんお金がかかり、ファイナンシャル・エイド換算後は財源の多い私立大学の学費負担の方が安くなることがあります。(表⑦

 

まとめ

●FAFSA申請受付は10月1日。申請時に使用する納税情報は前々年度となる。
●ファイナンシャル・エイド換算後の最終的な自己負担額を確認する。

 
【取材協力】
福士俊輔
(Certified Financial Planner™)
Midtown Wealth Advisors,Inc.
18411 Crenshaw Blvd, #252, Torrance
☎ 1-800-679-7304
E-mail: info@midtownplanning.com
www.midtownwa.com

 

新入生インタビュー:私が進学大学を決めた理由(アメリカの大学編)

折井健人

折井 健人(おりい けんと)さん
 
進学大学:
Southern Methodist University-Cox School of Business (2016年9月入学)
その他の合格大学:
Bentley University、Chapman University、Fordham University、Loyola Marymount University(Honors Program ) University of San Francisco、Seattle University、Syracuse University

ビジネスをしっかり学べる環境が決め手に

大学を選ぶ最大条件はビジネスの基本を学べること。ビジネスの知識は、将来どの分野に進んでも必ず役に立ちます。その万能性と将来性に早くから惹かれ、ビジネスに強いプログラムのある大学を探すことに注力しました。
 
この秋に入学するSouthern Methodist University(SMU)は、私にとって理想的な大学です。経営学士号(BBA)を取得できるCox School of Businessに入ることが確約されたBusiness Direct Programの学生として合格できました。SMUはビジネス専攻を希望する入学者がとても多いので、このプログラムに入れたことはうれしかったです。入学後に経済、会計、統計、数学などの必須科目を履修し、2年生の後期から本格的にビジネスを学びます。
 
合格した大学の中で、Southern Methodist University(SMU)、Bentley University、Loyola Marymount University(Honors Program)に絞り訪問しました。最終的にSouthern Methodist University(SMU)に決めた理由は、Cox School of Businessの評価が全米でとても高く、私の望む進路を実現できると思ったこと、そしてキャンパス訪問で、その素晴らしい環境に一目惚れしたからです。大都市ダラスにありながら、クラスサイズも小さく学生のケアも行き届いています。さらに多くのビジネスリーダーを輩出していることからも、充実したインターンシップ制度や、将来のためのネットワーク作りにも期待が持てます。進学の準備としては、11年生から時間管理に努め、勉強とスポーツを両立。私はLAで生まれ育ちましたが、父の仕事で5年間日本に帰国し10年生で再渡米しています。その際GPAが下がっても、あきらめずに成績を上げ12年生で過去最高値を獲得しました。後で大学の担当者に聞いたのですが、そういった努力も大きく評価されたようです。

 

洪美陽

洪 美陽(こう みはる)さん
 
進学大学:
Allegheny College (2016年9月入学)
その他の合格大学:
Earlham College(IN)、Hobart & William Smith Colleges(NY)、Knox College(IL)、Lake Forest College(IL)、Ursinus College(PA)など

自分に合ったリベラルアーツ大学を選択

私は中学1年生で渡米したのですが、父の駐在期間が未定だったため、当初は帰国子女枠で日本の高校受験を考えていました。しかし姉の影響もあって、次第にアメリカの大学に進みたいと思うようになり、教育カウンセラーにお願いして、アメリカの大学進学の準備を行うことにしました。大学選びにおいては知名度だけではなく、「自分に合った大学を選ぶこと」が基本でした。私は自分をアピールするのに時間がかかり、大勢の中では埋もれてしまいやすいタイプ。その上、英語で生活していくというハンディから、リベラルアーツ特有の一人ひとりへの手厚いサポートや、教授との深い交流、校外勉強が充実しているところなどが私に合うのではないかと思いました。11年生の春休みからはキャンパス訪問を開始して、当初は父に同行してもらいましたが、ほとんどの大学に1人で訪問しました。実際に足を運ぶことにより、良くも悪くも印象が大きく変わり、最終的に自分が行きたい大学を絞り込むことができました。
 
最終的に、多数の大学から合格通知と奨学金をいただきましたが、ペンシルベニア州のAllegheny Collegeへの進学を決めた理由は、
①メリットベースエイド(返済なし)を獲得できた
②テニスチームがDivision3と自分のレベルに近く、キャンパス訪問時に非常に印象が良かった
③興味のあるEnvironmental ScienceやBiochemistryを学ぶ環境が整っている
④卒業生とのネットワークの強さを感じた
からです。進学準備を通して、自分に向き合い、悩んだり、大きな達成感を感じたり、多くの経験をしました。大学では自分の可能性を信じて好きなことに挑戦し、将来やりたいことのためにさらにいろんな経験を積んでいきたいです。

 

日本大学進学について

拡大する特別入試制度

文部科学省の調査によると、日本には2016年5月1日現在で、計777校の大学があり、生徒数は増加傾向にあります(出典『学校数:全国大学一覧、在学者数:学校基本統計(速報)』)。そのうち、約400校が一般入試に加え、特別入試制度を採用しています。いわゆる「帰国子女」の受け入れを行っている大学を探すには、海外子女教育振興財団(www.joes.or.jp)のオフィシャルサイトや同団体が発行している『帰国子女のための学校便覧』などが便利でしょう。
 
しかし最近では「帰国子女」や「海外帰国生」という名称で特別入試制度を設けていない大学も増えているようです。帰国子女数の減少もありますが、帰国子女であっても、国内AO(アドミッションズ・オフィス:成績証明書などの書類審査と面接で合否が決まる)入試を受験できる大学も増えているのが理由です。このAO入試ですが、2015年文部科学省がまとめた「平成27年度国公私立大学・短期大学入学者選抜実施状況の概要」によると、国立大学でも全体の半数を超える57.3%、47校139学部で実施しています。そして東京の私立大学にいたっては、AO入試や推薦入試で入学する生徒が、全体の6~9割を占めることもあると言われています。「帰国子女」「海外帰国生」の名称にとらわれず、受験可能なAO入試、AC(アドミッションセンター)入試など、多様な入試制度について調べてみましょう。
 
帰国子女の受験資格は大学によって異なりますが、海外での学校の在籍期間が2年以上継続していることや、卒業の有無、高校を卒業してから2年未満であることなどが挙げられます。入学時期には4月と9月があり、大学によっては、統一テストと呼ばれるSATやTOEFLスコアだけで合否が決まったり、日本で受験することを求めたりとまちまちです。受験する場合は小論文、面接に加え、進む学部によって国語、英語、数学、理科などを受ける必要があります。

地方の大学や国際教養に注目

帰国子女に人気のある大学と言えば、相変わらず東京の私立大学が圧倒的に多く、中でも早稲田大学と慶應大学は、2016年は約200名の帰国子女合格者を出しています。しかし近年は、地方の大学や国際教養を学べる大学にも注目が集まっています。
 
●公立大学法人国際教養大学 / Akita International University(秋田県)
国際教養教育(International Liberal Arts)を教育理念として掲げており、一般入試に加え、「特別選抜入学試験」として、個別学力検査、面接、提出された資料により、英語の読解力や表現力、高校での活動等を評価します。
http://web.aiu.ac.jp/
 
●立命館アジア太平洋大学 / APU Ritsumeikan Asia Pacific University(大分県)
外国人学生が半数近くを占め、教員の約半数も外国籍という多文化共生キャンパス。環境・開発、観光学などを学ぶ「アジア太平洋学部」や「国際経営学部」など幅広く学ぶことができます。
http://www.apu.ac.jp/home/
 
●南山大学 / Nanzan University(愛知県)
2017年度に国際教養学部を設置予定。目標とする人材育成のために、外国語学部との相互乗り入れ科目の積極的導入や主専攻・副専攻制の導入など、これまでの南山大学にない教育課程の編成を目指しています。
http://www.nanzan-u.ac.jp/
 
現在、国際教養学部を有する大学は全国で20校ほどですが、毎年増えています。 グローバル化を目指す大学が国際教養に力を入れたいという思いが背景にあるようです。

 

専攻の途中変更は不可

日本の大学がアメリカの大学と大きく異なる点は、入学前に専攻を決定するということです。つまり学びたい分野が変わっても、専攻を途中で変えることはできません。学部名は大学側が決めるため、同じ学部名でも学校によって学ぶ内容がかなり変わってしまうこともあります。実際に大学を訪れたり、卒業生や現役の学生に話を聞く機会を設け、事前に情報を得ることが大切です。

まとめ

●「帰国子女枠」という名称は減少傾向に。代わりに帰国子女も受験可能なAO入試が増えている。
●帰国子女の受験資格は事前に確認。受験科目は大学によって大幅に異なる。
●地方の大学や国際教養を学ぶことができる大学に注目が集まっている。
●専攻の途中変更はできない。学部選びの際には十分な情報を得ること。

【取材協力】
松本輝彦
海外子女教育情報センターINFOE代表
E-mail: matsumoto@infoe.com
www.infoe.com

 

新入生インタビュー:私が進学大学を決めた理由(日本の大学編)

海部真世

海部 真世(かいふ まよ)さん
 
進学大学:
慶應義塾大学総合政策学部(2015年9月入学)
その他の合格大学:
University of California Barkley、Irvine、San Diego、Riverside

日本の教育で図る差別化と将来の基盤作り

高校在学中はUC Berkleyが第一志望で、日本の大学に進学するつもりはありませんでした。ところがUC系大学に出願した後、母のアドバイスもあって、日本の大学について調べたところ、慶應義塾大学には、GIGAという英語によるプログラムがあり、帰国子女や留学生に対するサービスが手厚いこと、また私が学びたい政治を学部で履修できると知り、興味を持ちました。UC Berkley合格からまもなく、慶應義塾大学からも合格通知が届き、両親とも何度も話し合いを重ね、慶應義塾大学に進むことを決意しました。
 
進学の大きな決め手は、将来を考えた時に、どちらが在学中に得られるものが大きいのか、ということでした。幼い頃に渡米しアメリカの教育を受けてきた私にとってUC Berkley進学はとても魅力的でしたが、同時に日本人の考え方やマナーなどを身に付けたいという思いがありました。慶應義塾大学に進むことで、今後、自分を差別化できる良い機会になるのではないかと思ったのです。現在、湘南藤沢キャンパスで総合政治学を学びながら、「日本若者協議会」とボランティア団体「Club World Peace Japan」にも所属しています。「日本若者協議会」は、若者の声を政策に反映させることを目的とし、現役の国会議員にもお会いでき、とても勉強になります。またボランティア団体の活動では、熊本地震の支援をはじめ、全国を回る機会も増え、充実した日々を送っています。いずれは日本を拠点に、政治や国際関係に関わる仕事に就きたいと思いますが、アメリカやヨーロッパに留学もしたいし、国際政治やインターナショナルリレーションシップも学びたいと考えています。 2つの大学の間で大いに悩み迷ったものの、この時間があったからこそ、最良の選択ができたのだと思います。

大谷光波

大谷 光波(おおたに みなみ)さん

進学大学:
上智大学総合人間学部心理学科(2016年4月入学)
その他の合格大学:
関西学院大学、国際基督教大学

進学塾で早期受験対策。時間をかけ準備

中学2年生でアメリカに来たのですが、小学生の時にも父親の仕事のためヨーロッパにいたことがあり、進学するなら日本の大学に行きたいと考えていました。ところがビザの関係で、高校を1年早く卒業しなくてはならず、入学してすぐ、カウンセラーと話し合い、特別なスケジュールを組んでもらうことになりました。4年間のカリキュラムを3年で終わらせるため、日々の授業をこなすだけで一苦労。さらに10年生の時に進学塾に入塾し、日本の大学に進む準備を始め、寝る時間も取れずつらいこともありました。
 
そんな私を支えていたのは、日本の大学で心理学を学びたいという強い思い。大学の情報に関しては、日本の大学は入学前に専攻を決めなければならないので、学部や学科の内容などに詳しい進学塾の先生に相談し、先に帰国した先輩に話を聞き、学部選びは慎重に行いました。国際教養や英語なども候補に挙がりましたが、やはり一番興味のある心理学を選ぶことにしたのです。
 
2015年6月に高校を卒業し、その後家族とともに帰国しました。入学試験は9月以降の大学が多いため、帰国後もアメリカで通っていた進学塾のスカイプセミナーを取り、帰国子女入試対策を続けました。日本の進学塾に行かなかった理由は、コース途中で入校することに不安があったこと、また私の性格や進路を熟知した先生に指導してもらったほうが良いと思ったからです。
 
受験の結果、数校から合格通知をいただきましたが、上智大学を選んだのは、なんといっても心理学のプログラムが秀逸で、1年生から専門分野を学べるという点です。心理学を習得する上で、机上論だけでなく、さまざまな経験を通して学んでいきたいと思っています。
 
(秋の増刊号 2016年掲載)

特集:社会人の大学・大学院進学 〜アメリカの短大・4年制大学・オンラインMBAまで

経験を積んだ社会人でも、新たに大学や大学院などで学ぶことで、さらにステップアップでき、視野が広がります。人生をより豊かにするアメリカでの社会人進学を取り上げました。

アメリカにおける社会人進学~教育に投資して人生の選択肢を広げる

今回の特集に先駆け、取材対象者を募ったところ、多くの読者の皆さんからご応募を頂きました。アメリカで進学した学校の種類も、公立の2年制大学コミュニティカレッジをはじめ、4年制大学、MBA(Master of Business Administration)、そしてインターネットの台頭で普及したオンラインスクールなどさまざま。また進学理由には「人生の選択肢が広がる」「キャリアアップ」「年収を上げたい」などが挙げられました。
 
進学で気になるのが授業料。アメリカのコミュニティカレッジやオンラインスクールは比較的安価ですが、やはり4年制大学や大学院は高額(下図参照)。一方で、連邦・州政府補助金や各校奨学金プログラム、24歳以上対象の奨学金制度(http://goo.gl/jDDTN4)、母親向けの「スカラシップ・フォー・マム(www.scholarships4moms.net)」など、多様な助成金プログラムが揃っているのは、アメリカならでは。

卒業後の年収と大学授業料

 

ここからは、アメリカで社会人進学を決意した読者5人のインタビュー・体験談を紹介します。

アメリカのコミュニティカレッジから4年生大学編入を目指し邁進中(野崎薫さん/42歳)

1972年生まれ。神奈川県出身。高校卒業後、CADオペレーター*として3年半勤務。その後アメリカ人と結婚。2007年、転勤に伴い渡米。子育てしながらアメリカのコミュニティカレッジで学ぶ。離婚を経て、現在、San Diego Mesa Collegeに在学中。社会運動にも興味を持ち、署名活動(www.change.org)にも力を入れている。サンディエゴ・チュラビスタ在住。
*建築物や工業製品などを設計するソフトウェアシステム

野崎薫さん年表

35歳で一念発起。夢は数学の大学教授

家族の転勤に伴い、35歳で渡米。手に職を付けるため、短期美容専門学校への進学を考えていた時、3人の子どもを育てながら修士号を取得した友人の勧めでコミュニティカレッジへ進学しました。たとえアメリカでの大学卒業に計10年かかっても45歳。65歳の定年までの20年間を高卒の最低賃金で働くよりは、きちんとした職に就き、安定した収入や保障を得る方が将来的に良いのではないか。友人の言葉に今まで考えたことのない境地が見え、何よりも見解が広がり、また職業の選択肢が幅広くなるコミュニティカレッジを選びました。
 
早速、当時住んでいたベンチュラ郡のOxnard Collegeの入学テストを受けたところ、なんとESLと数学はレベル1のクラスからのスタート。しかしここで数学の面白さに目覚めてしまいました。その後、サンディエゴに転勤になり、地元のSouthwestern Collegeに転校したのですが、離婚を機に1年ほど休学。その後復学し、San Diego City Collegeを経て、今年の1月からSan Diego Mesa Collegeに通っています。4つのコミュニティカレッジの学費は総額約6千ドル。今年の秋にはSan Diego State University(サンディエゴ州立大学)への編入を目指し、現在出願中です。学費は大幅に跳ね上がり、年間1万2ドルもかかりますが、学生ローンを組んで進学する予定です。専攻はもちろん数学で、優秀な教育プログラムがあるので他の学校は考えていません。もし合格すれば、上の娘と同じジュニア(大学3年生)になるのでとても楽しみです。
 
将来は数学の大学教授になるのが夢。修士号や博士号を取得することを考えたら、あと6年以上は学生ですが、進学をきっかけに、時事や社会問題に興味を持ったり、何よりも自分のやりたいことが明確になったのは、大きなメリットだと思いますね。

営業畑から一転、公認会計士に(樫山リサさん)

福岡県元黒田藩士校の修猷館高校卒業。同年9月渡米。1985年6月サンタモニカカレッジ卒業後、加州毎日新聞社入社。1998年日系商社在籍中に通信制University of the State of New York/Regents Collegeを卒業。大手会計事務所や玩具メーカーなどを経て、2002年CPA資格取得。現在Applied Accountancy勤務。ロサンゼルス・レドンドビーチ在住。

樫山リサさん年表

昼は会社員、夜は学生。10年かけ公認会計士に

20代半ばに勤めていた日系商社で、営業から経理に異動したのを機に、約10年にわたり、社会人と学生の二足の草鞋を履くことになりました。UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)のエクステンションプログラムでは、会計、税務、会社法など18クラスを履修。その後、母校のSanta Monica College(サンタモニカカレッジ)に復学し、会計監査などを受講しました。学費はUCLAのエクステンションは1クラス250ドル~300ドルでしたが、コミュニティカレッジは1クラス50ドル程度でした。
 
最初は、基本的な会計の知識を得るために学校に通っていたのですが、そのうち公認会計士になりたいという夢が芽生え、土日はCPA Examの勉強のため対策コースにも通うように。
 
その後、無事にCPA Examに合格し、また4年生大学に必要な単位が揃ったところで、通信制University of the State of New York/Regents College(現Excelsior)に出願。働きながら、夜や週末に勉強する生活に慣れていたので、通信制でも続けられるという自信がありました。当時はオンラインクラスはなかったので、教科書を使って自宅で勉強し、期末試験は提携の地元大学で受けるだけ。通信制大学の利点は自分のペースで勉強ができること、そして学費が安いことです。卒業には約1年かかりましたが、登録代や教科書代を合わせても総額1500ドル程でした。
 
会計の学士号とCPA Examに合格したおかげで、その後KPMGやMattel社で働く機会に恵まれました。2002年には、公認会計士(CPA)を取得。現在、日系会計事務所で勤務していますが、会計監査関係の仕事もしており、これまで学んだ会計学や税務法がとても役に立っています。やみくもに勉強するだけでなく、きちんと学位や資格を取得したことで、将来の幅が広がり、何よりも自信が付いたと思います。

●樫山さんが進学したUCLAのエクステンションプログラムやサンタモニカカレッジについては以下でも詳しく紹介しています。
UCLAへの留学・進学~エクステンションプログラムの活用
サンタモニカカレッジ(SMC)~英語の語学留学も可能な2年制大学

長年の夢を叶え、弁護士へ(西尾砂由美さん/52歳)

1984年渡米。結婚し一女をもうける。その後日系企業で経理を担当。27歳で離婚。コミュニティカレッジを経て、日本の通信制大学法学部を卒業。2004年CPA取得後、再婚し44歳で息子を出産。14年12月にFlorida Coastal School of Lawを卒業。現在、公認会計士事務所Labis Global Practitioners, Inc.共同経営。ランチョ・パロス・バーデス在住。

西尾砂由美さん年表

高卒から25年間かけて法学修士号取得

昨年末に、Florida Coastal School of Lawで念願の法学修士号を取得したばかりです。大学院を選ぶ際に、オンキャンパスも検討したのですが、公認会計士としてフルタイムで働き、当時5歳の息子を持つ身では到底叶わず、オンラインスクールで学ぶことにしました。講義はライブチャットで行われ、質問があればその場でメールを送ります。学費は総額1万5千525ドルで、一般的な法科大学院に比べて約4分の1です。
 
日本で事務職として働き、渡米後に22歳で結婚。娘を出産後、日系企業で経理を担当していたのですが、離婚で過酷な体験をし、法律の知識を得たいと思うようになりました。高卒のシングルマザーで、資格もない私は、働きながらコミュニティカレッジに通い、その後日本の通信教育大学の法学部に進みました。学費は50万円程度でしたが、年に2回スクーリングがあり、仕事を休んで一時帰国していたので想像以上に大変でした。その後卒業はしたものの、生活費や娘の大学費用などの経済的な問題もあり、経理経験を生かせて、さらにより早く安定した生活を得られるという理由から、会計事務所に入所しました。そこで現在の主人と出会い、CPA取得後、2人で独立。しかし弁護士になりたいという夢をあきらめきれず、主人に後押しされてロースクールへの進学を決意しました。Florida Coastal School of Lawは、カリフォルニア州とワシントン州の司法試験認定校なので、まずは7月末にワシントン州司法試験を受ける予定です。
 
合格後は、会計士兼弁護士として税法や会社法を手掛けていきたいと思いますが、いずれは、孤児や養護施設にいる子どもたちのために養子縁組をするNPO法人を、日米で立ち上げたいと思っています。

ロースクールからMBAに進学(関 洋子さん)

2001年に日本の4年制大学法学部を卒業。同年、住友電気工業株式会社入社。法務部勤務。2012年、同社の海外留学制度に応募。2013年、USC Gourd School of Lawに入学。翌年Master of Lawを取得。現在USC Marshall IBEAR(International Business Education and Research)MBA Programに在学。ランチョ・パロス・バーデス在住。

関洋子さん年表

国際的な環境で“ビジネス共通言語”を学ぶ

日本の住友電工法務部で10年以上勤務した後、一昨年、主人と当時5歳の娘を伴って渡米、USC法科大学院に進学しました。当初は9か月のLL.M.(法学既習者対象のプログラム)修了後、Visiting Scholar(客員研究員)に進む予定でしたが、留学2年目は法律以外の分野のインターナショナルな環境で考え議論し自分を鍛えたいと上司に伝え、USCのIBEAR MBAプログラム(1年制)に進学の変更を認めてもらいました。
 
IBEARの生徒の就労経験平均は10年で、アジアを中心に10カ国以上から53名の生徒が在籍しています。現在全5ターム中の3ターム目に入ったところで、4ターム目に、International Business Consulting Projectという、チームで世界のクライアントを相手にコンサルティングを行うユニークなプログラムが始まります。クライアント企業には、費用が発生するまさに“実践”で、今から楽しみであると同時にプレッシャーも感じています。
 
社会人学生の悩みどころは、常に時間との闘いを強いられること。なかでも子育てとの両立は大変で、退職して一緒に渡米してくれた主人の理解と協力のおかげで、学生生活を送ることができていると感謝しています。実は主人も同じMBAの学生なので、車中2人で授業の予習・復習をしながら通学しています。経済的な負担もありますが、それでもこの留学から得るものは大きいですね。法務の専門性を向上させるだけでなく、MBAに進んだことで、戦略から会計、オペレーションに至るまで、生きた“ビジネスの共通言語”を学んでいるという実感があります。
 
修了後の進路は、会社の決定を待ってからになりますが、今後は法律に留まらない広い視点で、ビジネス部門の海外展開をサポートできると確信してます。

CEOが挑むブレイクスルー(込山洋一さん / 49歳)

香川県出身。国立弓削商船高等専門学校商船航海学科卒業後、1986年渡米。88年学習塾「開高塾」創立。1989年Takuyo Corporation(Lighthouse)設立。2000年国際教育事業部を開設。06年Lighthouse Career Encourage(LCE)を設立。現在Takuyo Corporation会長/CEOおよびLCE代表取締役会長を兼任。パロスバーデス在住。

込山洋一さん年表

50歳目前。経営の面白さに開眼

22歳で起業して以来、出版と教育の分野で事業を拡大してきました。出版事業は、西海岸とハワイの4拠点で行なっています。教育事業も、 年間1000名を超える学生に海外研修を提供。その一方で、会社勤めの経験がなく、我流でやってきた自らの経営に限界を感じていました。自分の能力の限界が会社の限界になってはならない、事業がブレイクスルーするための論理的な思考と知識を身に付けたい、そんな思いからMBAの取得を決めました。
 
海外出張も多いためオンラインスクールに的を絞り、昨年4月からビジネス・ブレイクスルー大学大学院の経営管理専攻で学んでいます。学費は2年制で280万円。元マッキンゼーの大前研一さんが学長を務め、優秀な経営陣による講義はもちろんのこと、多種多様な最新のビジネスモデルをケーススタディーに取り入れているのが特長です。1年次は「会社経営実務」や「問題発見思考」などを履修しましたが、なかでも大前さん自ら教鞭を執る「経営戦略論」や「新資本論」が実践的で面白かった。
 
授業は全て24時間オンデマンド。世界20カ国の学生によって交わされるエアキャンパス上の議論は、まるで教室にいるような白熱ぶり。論拠が浅いものにはどんどん突っ込みが入るから真剣勝負です。学期中は、大好きなサイクリングは封印し、出社前と帰宅後、そして週末を含め週に40時間を講義や課題に費やします。学んだことは、即経営に生かすことを心がけています。以前であれば、限られた知識や思い込みから即決して、失敗することが多々あったのですが、事実ベースで論理的に考える習慣が身に付きつつあります。現場で培った実務経験に加え、大学院で論理的かつ体系的に学ぶことで、改めてビジネスの面白さや可能性を体感しています。
 
(2015年3月1日号掲載)

“アメリカで働く”を知る!アメリカ・短期インターンシップ

このページはアメリカでの短期インターンシップについて紹介するページです。滞在期間1年以上のアメリカ有給インターンシップについては、「アメリカのインターンシップ~J-1ビザ取得方法や求人情報」をご覧ください。

アメリカでの短期インターンシップ、どうやったらできる?

“アメリカで働く経験、インターンシップなどをしてみたい” “アメリカでの働き方と日本の働き方、どう違うのか自分の目で見てみたい”という大学生や社会人の方が年々増えているようです。
 
インターンシップとは一定期間企業や団体で研修生として仕事を体験し、将来のキャリアを決めるための材料にしたり、自身のキャリアアップを図ったりするためのもの。アメリカでは大学生が在学中からインターンシップを経験することが一般的であったり、また企業側もインターン生の受け入れに積極的であったり、インターンシップ制度が広く浸透しています。
 
ところが、いざ日本にいる大学生や社会人のみなさんが“アメリカでインターンシップをしてみよう!”と思っても、「ビザって必要なの?」「そんなに英語力に自信が無いけど、大丈夫?」「そもそも受け入れてくれる企業をどうやって探せばよい?」などの疑問や不安も多く、実際に行動に移すのはなかなか難しいようです。そんな悩みや不安を抱えている方々にぜひおすすめしたいのが、ライトハウスが提供する短期インターンシップ(就業体験)型研修プログラムなのです!

“春、夏”の長期休暇中でも参加できる短期インターンシップ型研修がおすすめ

海外インターンシップと一言で言っても、実際にはいろいろな形態のインターンシッププログラムが提供されています。例えば、働いた分の給与がもらえる有給プログラムもあれば、無給のインターンシップもあり、また期間も2週間から1ヵ月といった短期のものもあれば、最大18ヵ月間という長期のものまでさまざま。
 
しかし3ヵ月以上の期間に渡ってアメリカに滞在したり、あるいは有給のインターンシッププログラムに参加しようとすると、必ずアメリカの滞在許可、いわゆる「ビザ」が必要です(※)。
 
一方、滞在期間が3ヵ月以内で、無給が前提の就業体験型・短期インターンシップ型研修ならビザなしで参加できるので、海外、あるいはアメリカでのインターンシップが初めての方には、こちらの短期インターンシップ型研修がおすすめ。特に2週間から1ヵ月程度のプログラムの場合、春休み・夏休みなどの長期休暇中に参加できるため、多くの学生や社会人の方が短期のプログラムを利用してアメリカに滞在しています。
 
※アメリカの「ビザ」とは…アメリカに3ヵ月以上滞在したり、就労するためには「ビザ」が必要。ビザには、アメリカ滞在の目的に合わせて、就労ビザ(Hビザ)、インターンシップビザ(J-1ビザ)、企業内管理職・専門職転勤者ビザ(Lビザ)、留学ビザ(Fビザ)などがあります。逆に3ヵ月以内の滞在であれば特別なビザは不要です(ただし、渡航前にはESTA登録が必要となります)。

アメリカ・ロサンゼルスで短期インターンシップ型研修に参加しながら、海外生活を体験!

私たちライトハウスでは毎年2月から3月の春、8月から9月の夏の長期休暇の間に日本全国にお住いの18歳以上の大学生、大学院生、専門学校の学生のみなさんを対象に、アメリカ・ロサンゼルスで2週間から最長1ヵ月程度の短期海外インターンシップ型研修プログラム『グローバル・キャリア・プログラム(GCP)』を提供しています。毎年数百名規模の学生が参加する人気のプログラムです。

 

ライトハウスの短期インターンシップ型研修プログラム『グローバル・キャリア・プログラム(GCP)』の魅力

1.インターンシップ型研修先はアメリカ現地の日系企業が中心だから、英語力が不安でも大丈夫!

ロサンゼルスには非常に多くの日系企業があり、たくさんの日本人が働いています。例年短期インターンシップ型研修に参加して頂いている学生のみなさんは、日系の大手旅行会社や貿易関係や流通関係、製造関係の企業、また幼稚園や福祉施設などを研修先として、インターンシップ型研修を行っています。資格なども特に必要はなく、英語力に自信がない方でも一人ひとりの希望を聞いた上で、個人個人の英語のレベルに応じた研修先のマッチングしますので、安心して参加できます。

2.インターンシップ型研修だけでなく、ホームステイも同時に体験することもできるから、アメリカの雰囲気を体験できる

海外でのインターンシップ型研修を希望している学生のみなさんの中には、語学力を伸ばしたいと思っている方、英語を使いたいと思っている方も。ライトハウスの短期インターンシップ型研修プログラム『グローバル・キャリア・プログラム』なら、インターンシシップ型研修だけでなく、ロサンゼルスの家庭でのホームステイも経験できます。
 
ホームステイとは現地のホストファミリーと呼ばれる滞在先の家族とともに、その家族の一員になって生活を共にすること。ロサンゼルスという異国の地で、日本の家族や友達と離れて生活をし、自分で考えて行動することにで、学生のみなさんの大きなキャリアアップになること間違いなしです!詳しくは「楽しく生活しながら語学習得!アメリカ・短期ホームステイ」も、ぜひご覧ください。

3.学生同士で仲良くなれる!もちろん、短期でも観光も楽しめる!

ロサンゼルスはアメリカの中でも有名な観光都市で、短期インターンシップ型研修で働くことを体感するだけではなく、週末や休日を使って観光を楽しめるのもロサンゼルスでの短期インターンシップ型研修に参加する魅力の1つです。
 
例えばマダム・タッソーという蝋人形館は、世界中の有名人やハリウッドスターの蝋人形が本物そっくりに作られていて、実際に触れて一緒に写真を撮ってまわることができる人気のスポットです。ライトハウスのインターンシップ型研修プログラム『グローバル・キャリア・プログラム』には個人で参加する学生が多いので、毎年全国各地から集まった初対面の学生同士が仲良くなり、週末に本場のディズニーランドやユニバーサルスタジオに足を運んで休日を過ごしています。
 
また、ロサンゼルスの位置するアメリカ西海岸はビーチがとても有名なエリアで、中でも若者に人気なのがベニスビーチと呼ばれる、有名なサンタモニカの隣に位置するビーチです。ベニスビーチはストリートパフォーマーの発祥の地とされていて、大通りでダンスやストリートライブをしている人たちをよく見かけます。スケートボードやサーフィンを初めとしたスポーツも盛んな場所で、テニスやバスケットボールのコート、スケートパークなどを無料で利用できます。さらに、たくさんのショップや出店がストリートに並んでいるので、ショッピングやお土産を買う場所としても最適。そしてなんといっても砂浜の綺麗なアメリカのビーチを楽しむことができます。ロサンゼルスはほとんど雨が降らない気候なので、青い空と海をバックに写真を撮ってみてはいかかですか?

そもそも、海外で短期インターンシップ型研修プログラムに参加するメリットって?

アメリカの西海岸に位置するロサンゼルスには、様々な国から人が集まってきており、日系企業も数多く進出しています。ライトハウスの短期インターンシップ型研修プログラム『グローバル・キャリア・プログラム(GCP)』では、そうした世界の最前線で活躍しているビジネスマンの仕事ぶりを見ながら時間を共に過ごす経験を通して、「グローバルな人材として働く」ことのリアルやグローバルスタンダードを知り、「海外で働く」ことの想像と現実とのギャップを埋めることができます。
 
またアメリカには様々なバックグラウンドやキャリアを持っているビジネスマンが多く、そういった方々から日本と海外での仕事の違い、働き方の違いなどの話を聞くことで、国内外を問わない将来のライフプランを考えるきっかけにも。さらには、自分の将来を自分自身で主体的に決定していく大切さを学ぶことができることも、海外インターンシップ型研修ならではの醍醐味の1つです。
 
英語を学びたい学生のみなさんは、英語を使った電話対応や商談同行により英語のスキルアップを図ることも可能ですし、大学3年生など就職活動を控えた学生も数多くこの短期インターンシップ型研修に参加して、就職活動のための自己成長や自己分析、業界の絞り込みなどに多いに役立てています。週末や仕事が休みの日には、バスやUber(格安タクシーサービス)を使ってロサンゼルス中を観光でき、本場のアメリカンライフを多いに楽しんでもらえると思います。


 

アメリカ・短期インターンシップ型研修&ホームステイプログラム
『グローバル・キャリア・プログラム(GCP)』の内容

◆短期留学ではもう足りない!海外でのインターンシップ経験が就活に効く!◆

アメリカ・ロサンゼルスで約2~3週間の企業インターンシップ型研修を通し、以下のような目的を達成することを目指しています。
 
①現地企業で”海外で働く”を体感する
②様々な経験をしたアメリカ在住の人々と交流する
③自分自身のキャリア(就職・将来)について視野を広げ、深く考え、今後につなげる

アメリカでの短期インターンシップ型研修&ホームステイプログラムを通じて得られることは…

  • アメリカをはじめ、海外で様々なキャリア(グローバルキャリア)を積んだ人と出会える!
  • 就活に向けて、人とは違ったアピールポイントができる!
  • 日本国内のインターンシップよりも、より刺激的な体験ができる!

  • 短期留学よりも、より実践的な経験を積める!
  • 多くの人々との交流にて”多様性”への理解(ダイバーシティ)を深める!
  • 英語を含む、異文化間コミュニケーション能力を伸ばせる!
  • 日本全国から参加する他大学生とも交流できる!
  • アメリカ・ロサンゼルス界隈で特別な夏の思い出を作る!

◆◆◆プログラム日程◆◆◆

春休み
2月中旬~18泊20日または24泊26日
3月上旬~18泊20日または24泊26日
 
夏休み
8月上旬~18泊20日または24泊26日
8月下旬~18泊20日または24泊26日

◆◆◆プログラム費用(目安)◆◆◆

①18泊20日(合同ビジネス研修4日+インターンシップ 9日)間コース:約3,600 USドル
②24泊26日(合同ビジネス研修4日+インターンシップ14日)間コース:約3,900 USドル
※いずれのコースも航空券は自己手配となります。
※通貨はUSドルにてお振込み(送金)いただきます。
 日本円に換算すると振込日の為替レートによって金額は変動しますのでご注意ください。

為替レート別参考金額(円)
$1=¥105の場合、①約378,000円、②約409,500円
$1=¥110の場合、①約396,000円、②約429,000円
$1=¥115の場合、①約414,000円、②約448,500円

◆◆◆プログラム概要◆◆◆

2017年夏(実施済み)のスケジュールです。参考までにご覧ください。
 
※タップで拡大表示

◆◆◆プログラムの特徴と流れ◆◆◆

【出発前】
①不安の少ない環境で、海外での短期インターンシップ型研修を経験できます。

日系企業を中心に約80社の候補の中から、研修先企業を決定します。研修内容は、リアルな通常業務を任せられるものから、現地調査を行い企業にプレゼンするものまで様々。自分の英語力を試したい!という方はもちろん、逆に、英語力に自信がない、という方も社内言語が100%日本語の企業もあるので大丈夫!
参加申込後に、弊社スタッフとのWeb面談を通して英語の使用頻度や業界、働き方等、研修先のイメージをすり合わせます。

【過去の短期インターンシップ型研修・実施業界一例】
メーカー、通信、旅行、ホテル、流通、貿易、アパレル、美容、販売、飲食、メディア、出版、広告、エンターテインメント、人材・教育、IT、通訳・翻訳、幼稚園、医療、会計事務所、福祉・介護、NPO、その他多数

【過去の短期インターンシップ型研修・実施企業一例】
・IRIS USA, Inc.
・KDDI America, Inc.
・H.I.S. International Tours Inc.
・Reins International California, Inc (米国牛角)
・Daiso California LLC (ダイソー ジャパン)
・DoubleTree by Hilton Torrance/ Southbay(ダブルツリーホテル)
・Japan America Society of Southern California(日米協会)
・Japan Foundation(国際交流基金ロサンゼルス日本文化センター)
・JVTA, INC.
・United Television Broadcasting Systems
・La Primera Pre-school   ※非公開企業含めその他多数

【ロサンゼルス到着直後】
②インターンシップ型研修を有意義なものにするためのビジネスプログラム開催
実際にインターンシップ型研修の研修先企業に入る前に、導入編として、まずロサンゼルス到着翌日からの4日間、合宿型のビジネスプログラムを受講します。
全国から参加する50~70人の他の学生と同じホテルに宿泊して切磋琢磨するので、1人での参加も安心です!

【インターンシップ型研修期間中】
③”多様性”の街ロサンゼルスを体感できるホームステイインターンシップ型研修期間中は、ホームステイ型滞在をします。
”多様性”の街ロサンゼルスらしく、ホストファミリーはヒスパニック系だったりアジア系だったりすることも。ホストファミリーの生活や文化に触れながら、これまで学んできた英語を机の上ではなく、日常生活の中で存分に試してみてください。

【滞在期間中の週末】
④休日にはアメリカンライフを満喫!
インターンシップ型研修は原則週休2日なので、休日には友達とロサンゼルス観光に繰り出すも良し、ホストファミリーと過ごすも良し!
ディズニーランドやユニバーサルスタジオ、ワーナーブラザーズスタジオといったテーマパークを訪れたり、メジャーリーグの野球観戦に行ったり、アウトレットでショッピングを楽しんだり。

サンタモニカやハリウッド、ベニスビーチといった観光スポットも盛りだくさん!
実際にこの研修で知り合った他大学の友達同士で近況報告をしながら、どこかにお出かけすることも多いようです♪

◆◆◆申込要項◆◆◆

・申込資格:日本の大学・短大・専門学校に在学する学生、学年不問
・事前の説明会への参加必須

◆◆◆申込から渡米までの流れ◆◆◆

【申込】上記締め切り日までに必要書類の提出
 
【申込後すぐ】Web面談、航空券手配
(各自、ロサンゼルス国際空港までの往復航空券をご手配ください)
 
【申込1週間後】プログラム費用のご入金
(費用の詳細は説明会にてお伝えします。)
 
【渡米約1か月前】最終Web説明会、インターンシップ型研修先企業のお知らせ
 
【渡米約1週間前】ホームステイ先のお知らせ

 

『グローバル・キャリア・プログラム(GCP)』に参加した学生の体験談

中京大学生 3年 古橋くん インターンシップ型研修先:生活情報誌 広告営業部

僕がこの『グローバル・キャリア・プログラム』に参加した理由は、自分の通っている国際英語学部の卒業必須用件として「2回、何らかの海外研修プログラムに参加しなければならない」というものがありました。留学なども考えていたのですが、どうせ海外に行くなら英語だけ学ぶのももったいないなと思ったので、インターンシップ型研修に参加しながらアメリカでの生活も体験できるこのプログラムに参加しました。
自分にとって初めてのインターンシップ型研修だったのですが、営業という仕事を知れただけではなく、商談の同行をさせてもらえたことにより、リアルな営業の現場を見ることができ、普段会えないような方々にお会いすることができました。そして実際に営業の仕事を体験させてもらえて、英語で飛び込み営業をする、という日本では経験できないようなグローバルな出来事を体験することができました。今回のインターンシップ型研修で、なんでもチャレンジする精神の大切さを学びました。慣れない英語での営業などは、とても大変なことでしたが、言葉が不自由でも、伝えたいという熱意を汲み取ってもらえた機会が多かったので、日本に帰ってからもその経験を忘れずに、就活などに活かしていきたいと思います。

同志社大学生 3年 山崎さん インターンシップ型研修先:海外教育研修企画・運営会社

私は両親やおじが海外で働いていたり出張をしていたという環境で育ったので、小さい頃から漠然と海外で働くということに興味を持っていました。
そしてAIESECという海外インターンシップの受け入れや送り出しをする大学生の学生団体に所属していた経験から、自分も海外インターンシップ型研修に興味を持ち、この『グローバル・キャリア・プログラム』に参加しました。私は、他の海外研修グループの同行でカリフォルニア州立大学に行った際、バスの中でその大学についての説明をさせてもらいました。自分も初めて行く大学だったのですが、しっかり下調べして説明をしたら、後で研修グループのみなさんに「ほんとに行った事ないの?」と驚かれた事がとても心に残っていて、実際にアメリカでアメリカのことを説明する機会は、ここでしか味わえなかったな、と感じています。この『グローバル・キャリア・プログラム』を通して私は、しっかり準備をすることの大切さと、海外の魅力を伝える喜びを強く感じたので、帰国後に、もっとこの業界や仕事について学んでいきたいなと思いました。

運営企業:Lighthouse Career Encourageについて

当社は『若者が、自分らしい「生き方」「働き方」を見出すキッカケを掴めるよう応援していくこと』を目的として、グローバル・キャリア・プログラム、シリコンバレー研修等、カリフォルニア州を中心とした活動(2016年度実績:研修参加学生数約1,200人)を行っています。

【研修参加校実績例】
愛知学院大、亜細亜大、大阪外語専門学校、華頂短大、関西大、関西学院大、神田外国語大、北九州市立大、九州ルーテル学院大、京都華頂大、近畿大、甲南大、甲南女子大、駒澤大、相模女子大、上智大、摂南大、拓殖大、中央大、中京大、同志社大、東京農業大、東洋大、日本外国語専門学校、広島国際大、武蔵野大、明治大、桃山学院大、山口県立大、横浜市立大、立命館大、早稲田大   
※その他専門学校など多数

【研修参加学生就職先例】
日本アイ・ビー・エム(株)(IBM)、朝日加工(株)、イオンリテール(株)、川崎重工(株)、(株)神戸製鋼所、五洋建設(株)、(株)サイバーエージェント、(株)JTBコーポレートセールス、全日本空輸(株)(ANA)、ディーゼルジャパン(株)、日本タタ・コンサルタンシー・サービシズ(株)、(株)パソナ、(株)バンダイ、三菱日立パワーシステムズ(株)
※その他非公開企業含め多数

LCEスタッフ

現地情報に詳しい私達が精一杯サポートします!
ご質問等もお気軽にどうぞ!


 

滞在期間1年以上のアメリカ有給インターンシップについては、「アメリカのインターンシップ~J-1ビザ取得方法や求人情報」ページをご覧ください。

アメリカ・ロサンゼルスのホームステイ~生活しながら語学も習得

ホームステイ

アメリカ・ロサンゼルスは、観光地としても留学先としても人気で訪れる日本人が多い都市。1週間ほどの短期の観光滞在から、留学などで1年以上の長期滞在の方までさまざまですが、このページでおすすめしたいのがアメリカ・ロサンゼルスの一般家庭へのホームステイによる滞在です。
 
ホームステイ先の家族の一員として、アメリカ・ロサンゼルスでの生活を体験できるホームステイは、ホスト家族との会話を通して英語力を高める機会になるほか、観光・旅行だけではなかなか味わえない貴重な経験をできたり、語学留学で滞在中の場合には学校で学んだ英語を実践する機会にも。
 
そこでこのページではアメリカ・ロサンゼルスでのホームステイの魅力やおすすめ理由のほか、日本人経験者による体験談やホームステイにかかる費用や料金の目安まで網羅的に紹介します!

ホームステイでアメリカ・ロサンゼルスの現地生活を体験!

ホームステイと言う言葉を聞いてどのようなイメージを思い浮かべますか?このページで紹介するアメリカ・ロサンゼルスでのホームステイは、現地のホストファミリーと呼ばれる滞在先の家族とともに、その家族の一員になって生活を共にすること。そして、アメリカ・ロサンゼルス現地の家庭で生活すると言うことは、日本の家庭には無いような新しい体験があなたを待ち構えているということです。

アメリカ・ロサンゼルスの家庭に滞在・日本との違いを知る良い機会

ホスト家族の子供と

毎日の食事も含め、生活環境や生活の仕方も日本の家庭とは違うことも多いアメリカ・ロサンゼルスの家庭に滞在することで、もっと深くアメリカという国を知るきっかけになったり、日本での生活との違い比較できるとても良い機会にもなります。海外での生活に興味はあるけれど何をすれば良いか分からない…。そんな気持ちを持った日本のみなさんにとって、ホームステイは手軽に海外生活を体験できる一つの手段。日本とは違う海外の生活環境で、考え方が変わったり、自分を見つめ直す良い機会にもなります。

短期1週間から1年以上の長期ホームステイも~観光・旅行や留学滞在中におすすめ

アメリカ・ロサンゼルスでのホームステイは、滞在期間1週間ほどの短期から、1年以上滞在する長期ホームステイも可能。このため、アメリカに観光・旅行で訪れる場合も、普通のホテルとは違った滞在経験をしてみたい!という方や、滞在中に英語を話せるようになりたい!という方にもホームステイはおすすめの滞在方法。もちろん、語学留学や大学・カレッジへの留学生であれば長期のホームステイプログラムを選ぶことも可能です。

長期ホームステイの場合はアメリカ滞在のビザが必要な点に注意!

基本的に4カ月以上のアメリカ滞在には、滞在目的に合うビザが必要です。留学中でアメリカの学生ビザあれば問題ありませんが、ホームステイだけが目的の長期滞在は難しい点が注意点。また「ホストファミリーと合わなくて続ける事が難しくなった」というトラブルも起こり得るため、初めてのホームステイの場合、まずは短期のホームステイ体験から始めてみるのもおすすめの方法です。

アメリカ、特にカリフォルニア州ロサンゼルスでのホームステイはおすすめ

アメリカ・ロサンゼルス

アメリカ・ロサンゼルスは海外旅行はもちろん、留学先としても人気の都市

アメリカにはさまざまな人種が住んでいて、各家庭で料理が違うなど、日本との違いを存分に体験できる環境。またホスト家族によっては週末パーティーをしたり、家族みんなでショッピングに行ったりなど、アメリカの現地生活を楽めるのもホーム指定の醍醐味。
 
そして中でもアメリカ西海岸・カリフォルニア州ロサンゼルスは、「人種のサラダボウル」と呼ばれるほど多様な国の人々が生活する都市。さまざまな異文化に触れることができるエリアで、観光・旅行先や留学先にはもちろん、ホームステイ先としてもロサンゼルスはおすすめのエリアです。
 
以下でアメリカ、特にロサンゼルスでのホームステイをおすすめする理由を紹介します。

アメリカでのホームステイの魅力・おすすめ理由

(1)アメリカ・ロサンゼルスのホスト家族との英会話生活で英語力向上

ホームステイが始まれば、もちろん家族との会話はすべて英語。本場のアメリカ英語を学びたい方や、自分の英語力を試したいと考えている方には絶好の機会です。日本で生活しているとなかなか外国人との英会話の機会は少ないと思いますが、ホームステイ滞在では英会話漬けの生活を送れる点が英語力向上におすすめです。
 
また実際にアメリカで生活する中で、日本では学べないような実践的な英語力を高める機会も。例えばアメリカのレストランやファストフード店のメニューには、ドリンクの欄にサイズではなく「Fountain drink」とだけ書いてあるメニュー表を数多く見かけます。「Fountain drink」は直訳すると“噴水のドリンク”になりますが、この意味は日本で言う「ドリンクバー」。このような学校では習わないような英語にも触れ、本場・アメリカで英語力を身につける良い機会です。
 
語学留学中であれば学校で習った英語を実践できますし、また観光・旅行でアメリカ・ロサンゼルス滞在中にホームステイを利用すれば、自分たちだけでは行けないような場所を訪れたり、無料で英語力を高められる良い機会になるかも知れませんね。

(2)ロサンゼルス(アメリカ)での異文化体験

アメリカという異国の地にいるだけでも、風景や建物、そして街を行く人など多様な面で日本との違いを発見できると思います。さらにホームステイであれば観光地では体験できないような、アメリカ人の日常生活を見て、体験することもできます。
 
また多種多様な人種が住むロサンゼルスという土地柄、ホームステイ先の候補も様々な人種の家族・家庭があり、日本での生活とアメリカでのライフスタイルの違いはもちろん、人種や宗教の違いなどにも触れ、そうした異文化をできる機会が豊富な点もロサンゼルスでのホームステイの魅力の1つです。
 
例えば、アメリカは日本と比較して雨量が少ないため、水資源を大切にしています。ゆえにホームステイ先の家庭によってはシャワーの時間が決まっていることも珍しくありません。またロサンゼルスには公共交通機関にバスや地下鉄がありますが、1時間に1本しかバスなどが通っていない場所も多くあり、バス停の場所が分かりにくいことも。同じ公共交通機関でも日本とは使い方が違うものもあるので、そういったことを体験し、慣れて適応していくことも貴重な機会でしょう。

(3)エンターテイメントが豊富!長期で生活しても飽きない環境

いくらホームステイが貴重な海外生活の機会だとは言え、見どころの少ない街でのホームステイでは長期となると刺激が足りなくなるもの。その点、アメリカ・ロサンゼルスはエンターテイメントの街。ハリウッドやビバリーヒルズなどの観光名所やディズニーランドなどのテーマパーク、日本には無いような飲食店・レストランやブランドでのショッピングなど、楽しめることに事欠かない点も、アメリカ・ロサンゼルスでのホームステイの大きな魅力の1つです。

日本人のみなさんによるアメリカ・ホームステイ体験談

白人のホスト家族とともに異文化体験(大学生・Sくん)

僕は、白人のホストマザーと2人のホストブラザーがいる家族でホームステイをしました。僕のホストマザーはとても元気でにぎやかな人だったので家に帰ると「今日は晩ご飯がないからパーティーに行くわよ!」と言われて、10人ぐらいの様々な人種の人たちとピンポンやダーツをして遊びながら、一緒に食事を共にしました。またアメリカのボードゲームを教えてもらい、中で好きになったのがスキップ・ボーと呼ばれるカードゲームで、負けるのが悔しくて何回もホストマザーとカードゲームを繰り返したのが良い思い出。
 
食事は、白人のホストマザーだったのでアメリカンフードが多く、肉料理が中心。中でもビーフがとても美味しく満足でした。ホームステイ中に、シャワーからアリが出てくるというトラブルはあったものの、今となってはホームステイならではの経験だったと思い返せるし、ホスト家族と共に行動することでさまざまな国籍や人種の人たちと出会って会話することができ、まさにアメリカ・ロサンゼルスの「人種のサラダボウル」を満喫。良い異文化体験になりました。

ラテン系のホスト家族で食事はメキシカンフードを堪能!(大学生・Iさん)

私のホームステイ先はラテン系のホストマザーと2人のホストシスターがいる家族でした。ホストマザーは様々なところに連れて行ってくれる人で、ロサンゼルスはサマータイムが長いこともあり、夕方からでも海に連れて行ってくれたり、サッカー観戦や海軍を見に行ったり、ビーチでのフェスティバルなど様々な体験ができました。
 
食事は、ホストファミリーがラテン系だったのでタコスが多く出されて、メキシカンフードを堪能できたのが印象的。そして驚いたのは、食事前には必ず胸の前に手を合わせてお祈りをしてからご飯を食べるという習慣。陽気な明るさと正反対な敬虔な一面もあって、とても興味深かったです。またホストファミリーには毎日シャワーを浴びるという文化がなかったため最初は少し戸惑いましたが、アメリカ・ロサンゼルスは湿度が低く、すぐに衣類や汗も乾くので次第に慣れてしまいました。
 
私がホームステイを通して学んだことは、日本との家族の概念の違い。例えば日本の家族なら食事の時に食べ物をシェアをしたりしますが、私のホストファミリーは自分の物は自分の物と言う感じで、年齢関係なく独立した存在なんだなと思った事が、一番のホームステイでの学びでした。

アメリカ・ロサンゼルスの大邸宅での生活体験(大学生・Mくん)

ホームステイ先はヨーロッパ系アメリカ人の夫婦の家族。今は夫婦しか住んでいいものの、子供が7人おり、車が3台あったのに驚きました。僕は東京に住んでいますが、ホームステイ先には庭があり、飼い犬が放し飼いで飼われていて、東京の家ではなかなか見られない光景。アメリカ・ロサンゼルスならではの大邸宅だなと感じました。食事はホストマザーが毎日作ってくれて、健康に気を使って毎日3食出してくれました。一番美味しかったのは、ひき肉のカレー。ご飯のかわりにポテトがでてきて、新しい食べ方だったのにとても美味しかったです。
 
今回のホームステイを通して、たくさんアメリカ人の家族と話せたのも良かったんですけど、ホームステイ先の同居人に英語を勉強しにきているサウジアビアの留学生がいて、様々な国の人と話して文化などを学ぶことができ勉強になりました。

 

留学や観光にもおすすめ!ホームステイ滞在の費用や料金の目安

旅行・語学留学イメージ

ここまでの内容でアメリカ・ロサンゼルスでのホームステイの魅力を紹介しましたが、観光・旅行中の滞在や留学中の滞在などでのホームステイ利用がおすすめですが、どの程度の費用や料金がかかるのでしょうか?ここではパターンごとに目安の費用・料金を紹介します。

アメリカ・ロサンゼルスの留学先の学校が手配する場合の費用や料金

アメリカ・ロサンゼルスへ語学留学や大学・カレッジへの留学で訪れる場合、留学先の学校がホームステイを手配するサービスを実施している場合があります。この学校の手配サービスを利用する場合、学校により費用や料金が変わりますが、最初に支払う手配料金が100ドル~300ドル、1週間の滞在費用が300ドル~400ドルが平均のようです。

ホームステイ紹介の専門サービスを利用する場合の費用や料金

アメリカ・ロサンゼルスへの訪問が留学目的ではない場合、ホームステイ紹介の専門サービスの利用がおすすめ。あなたの希望を伝えることで、希望に合った滞在先のホスト家族を紹介、手配までしてくれるサービスです。手配料金として手数料が必要になる点がありますが、自分では探すことが難しいホームステイ先を紹介してくれる上、トラブルなどがあればサポートをお願いできる点は個人で手配するよりも安心。また1ヶ月以上のアメリカ・ロサンゼルスでの観光・旅行滞在の場合、ホテルよりも滞在費用が安い点がおすすめです。

内容 費用・料金
手配料金 200ドル~300ドル
ホームステイ滞在費用 4週間で1,000ドル~1,500ドル
1ヶ月滞在の場合の合計費用 1,200ドル~1,800ドル(日本円で15万円~20万円)

当サイト・ライトハウスが提供する短期ホームステイプログラムの利用

当サイトを運営するライトハウスでは、アメリカ・ロサンゼルスでの短期のホームステイ&アメリカ企業でのインターンシップ体験プログラムを提供しています。実施時期は2月から3月の春、8月から9月の夏の長期休暇の間で、主に18歳以上の大学、短大、専門学校生のみなさんを対象にした2週間から3週間の滞在プログラムです。
 
ホームステイでは「ホスト家族と合わなかったらどうしよう?」「英語をあまり話せないけど大丈夫だろうか?」「アメリカで病気や怪我をしてしまったらどうしよう?」などの不安を感じる方もいるかも知れませんが、ライトハウスのホームステイプログラムでは、日米バイリンガルスタッフが入国から帰国までをサポート、何かトラブルがあった時にはすぐに対応できる点がメリット。
 
また本プログラムはホームステイだけでなく、アメリカで仕事をする・働く経験をできるインターンシップ体験もセットにしたプログラム。英語力に自信がない方でもアメリカ・ロサンゼルス現地の日系企業でのインターンシップもご案内できるので、安心して利用しいただけるプログラムです。詳細は「短期インターンシップ&ホームステイ型研修-グローバル・キャリア・プログラム」をご覧ください!

アメリカの大学にリーズナブルな学費で進学する方法

アメリカの大学は、その質の高い教育が世界的にも高く評価されていますが、一方で高騰する学費は、家計を圧迫する深刻な問題となっています。しかし、さまざまな手段を用いてリーズナブルな学費で進学する学生も少なくありません。今回は、リーズナブルな学費で進学する方法をご説明します。

COAとネットプライス

学費を理解する上で重要なキーワードがコスト・オブ・アテンダンス(COA)とネットプライスです。COAには、授業料だけでなく、寮費、食費、教材費、交通費など、大学に1年間通うのにかかる費用全てが含まれます。つまり、1年間の学費を全額自費で負担した場合の金額がCOAです。各大学のウェブサイトには、COAの金額が示されています。ただし、全ての学生がCOAの全額を負担して進学するわけではありません。そうした学生はむしろ少数派で、多くは奨学金などのファイナンシャル・エイドを得て、学費を下げて進学します。各学生が1年間大学に通うのにかかる実際の費用をネットプライスと言います。つまり、COAから奨学金等の額を引いた金額です。学費を考える上で重要なのは、このネットプライスです。リーズナブルな学費で進学するということは、言い換えればネットプライスが実際に支払い可能な範囲の大学に進学することになります。では、どのようにすれば、ネットプライスを抑えられるのでしょうか。以下にその方法を挙げます。

(1)COAが低い大学を選ぶ

COAの額は大学により大きく異なります。授業料を高く設定した上で、経済的に支払いが困難な学生には奨学金を提供するという大学は多くありますが、一方で最初から授業料を低く抑えて、誰でもリーズナブルな学費で進学できるようにしている大学もあります。例えば、ペンシルベニア州のグローブシティー・カレッジはもともとCOAを低く抑えているため、COA全額を自費で負担する場合でも、比較的リーズナブルな学費で進学できます。

(2)経済的ニーズをサポートしてもらう

経済的ニーズが大きい場合は、ニードベースの奨学金が充実している大学を選ぶのが得策です。家庭の所得が学生の学費を全額負担するのに十分ではないと判断された場合、不足分の一部または全部を大学が負担する制度がニードベースの奨学金です。マサチューセッツ州のアマースト・カレッジは、難関大学として有名ですが、ファイナンシャル・エイドが充実していることでも知られています。同大学は、学生の経済的ニーズを100%大学が負担し、その負担額は学生1人当たり4万7千ドルを超えます。そのため、学生のネットプライスは平均で約1万7千ドルと、全米で最もリーズナブルな学費の大学の一つです。なお、アマースト・カレッジは留学生などビザで滞在する学生の経済的ニーズも100%カバーします。

(3)メリット・スカラシップを獲得する

メリット・スカラシップは、学生個人の評価に対する奨学金で、非永住者や外国人留学生も対象となります。大学がその学生をどの程度欲しているかによって金額が定められる場合が多く、その額は一人一人異なるのが一般的です。極めて評価の高い学生には、授業料全額免除や、学費全額免除などの条件が提示される場合もあります。一方で、一律にメリット・スカラシップを給与する大学もあります。例えば、エンジニアリングの専攻で有名なオーリン・カレッジやクーパー・ユニオンは、入学する全ての学生に対して授業料の半額に当たる奨学金を提供しています。フロリダ州のニュー・カレッジは州立のリベラルアーツ・カレッジですが、州外学生や外国人留学生に対しては、年間1万5千ドル以上の奨学金を給与しています。

(4)タレントベースの奨学金を獲得する

スポーツや芸術で高い能力を有する学生は、その能力に対して奨学金獲得が可能です。COAの上位ディビジョンで活動するアスリートを対象としたアスレチック・スカラシップや、大学で音楽活動を行う学生対象のミュージック・スカラシップなどが、タレントベースの奨学金です。この奨学金も、非永住者や外国人留学生も対象となります。ディビジョンIのアスレチック・スカラシップの中には、無条件で学費全額を負担する種目もあります。学費を抑える方法は一人一人異なるので、自分に合った奨学金獲得戦略を立てて、実行しましょう。そして、大学を比較検討する際は、COAではなくネットプライスの比較が重要です。
 
(2016年9月16日号掲載)

昭和女子大学学長 / 坂東眞理子


昭和女子大学学長 坂東眞理子 インタビュー


「品格」とは誰にも必要な人間性。素晴らしい品格を持つ人は、社会で成功します

昭和女子大学の学長であり、官僚として長いキャリアを持つ坂東眞理子さん。女性としての振る舞い方を説いた『女性の品格』は、若い女性だけでなく中高年の女性や男性まで多くの読者を獲得し、300万部を超える大ベストセラーを記録した。2008年8月、ライトハウス/UTB共催によるロサンゼルス講演の際に、すべての人に伝えたい真の「品格」について、ご自身の経験を交えながら語ってもらった。

女性性を活かすことでより豊かな社会が実現

『女性の品格』を書いたきっかけは、2007年から昭和女子大の学長になることが決まり、一種のマニフェストとして、「理想的な女性はこうあらねばならない」というのをまとめたいと思ったこと。それから、私自身34年間も公務員をやってきて、ワーキングマザーとして子育て、家庭と両立しながら働いてきたなかで、試行錯誤しながら身に付けたことを、若い女性たちに伝えなければいけないんじゃないかと思ったこと。また、各分野に進出している女性に向けて、女性が社会に出て行くということは、女性の良いところを活かして、社会がそれによって、より豊かになるんだというメッセージを伝えたいと思ったこと。そういった思いがあって書きました。

この本の内容は、みんな子供の頃に「絶対にやらなければならないことだよ」と、1回は教えられているようなことです。ですが、社会に出ていくうちに、「そんなことをしていると、厳しい競争社会で脱落してしまうんじゃないか。とにかく、負けないように頑張らなくちゃ」と考え方が変わってしまいました。そこに「いや、そうじゃない。やっぱり基礎が大事なんだ」と、私が自信を込めて伝えたので、「あっ、そうかも」って、少し安心なさったのだと思います。それがブームの背景にあるのでしょう。

本の中には、私の反省材料が山ほどあります。例えば、職場で会食に招かれても、「これも仕事のうち」と、いちいち礼状を出さない習慣になっていました。ところがオーストラリアで総領事をしていた時、お招きした方からは必ずと言っていいほど、お礼状が来るんです。「私は今まで、何をしていたんだろう」と、とても恥ずかしくなりました。逆の立場になって初めて、自分が心ないことをしていたと反省させられました。

個人として通じる人間かが問われる時代になる

35年前に総理府に採用された時は、本当にうれしかったですね。当時、民間企業は女性を男性と同じように採用していませんでした。人間、世の中から必要とされてないのはつらいことです。

ですが、この35年で状況は本当に変わりました。バブル崩壊後、「失われた10年」の間に、社会全体が随分変わりました。男性も今までと働き方が変わらざるを得なくなり、かえって女性の方が頑張り過ぎてるっていうようなところもあります。これからは男性も女性も組織の中で、組織の肩書きに頼って仕事をするのではなく、個人としてちゃんと通じる人間かどうか、人間性が改めて問われるようになってきている気がします。個人としての品格は、男性も女性も持たなければいけないのですが、特に女性の場合はまだお手本が少ないですから、これから自分たちがどういう働き方をするのか、どういう生き方をするか、意識的に身に付けていかなければならないことがたくさんあると思います。

私は、「品格」というのは人間性だと思っています。その人自身がどういう風に考え、どういう風に行動するかということ。それは、男性にも女性にも、日本人にもアメリカの方たちにも必要です。現に、「素晴らしいな」という品格を持った方は、長い目で見ると社会で成功していらっしゃると思いますね。ですから、若い方たち、世界で活躍なさる方たちには、人生も長期的な目で作り上げていかなければならない、目先の利益、自分の利益ばかり考えていると卑しくなってしまうということを伝えたいですね。

私の考え方が多くの方に受け入れられたのは、「短期的な成功ばかりを目指す生き方ではまずいんじゃないか」と、皆さんが不安を感じていらっしゃるところに、インパクトを与えたからかなと思います。

丈夫な心と身体で地球のフルメンバーに

ロサンゼルスは太陽がいっぱいで、自由なライフスタイルというイメージがありますが、それと同時に、日系の方たちがそれぞれ頑張っていらっしゃるなという印象があります。「順境は教育の敵、逆境は最大の教師」という言葉がありますが、豊かで恵まれた社会で、ちゃんとした人間になるというのはとても難しいんですね。逆に色々な障害があった方が、それに打ち勝つために努力するし、その中で自分は何者であるか、自分の優れているところはどこか、足りないところはどこか、と考えざるを得ません。日系の方は、今からは想像できないような偏見や迫害、戦争などを乗り越えられた中で、自身が受け継いだ良きもの、日本人の誇りや伝統を意識して、大事にされてきたんじゃないかと思います。それをぜひ若い世代に受け継いでいただきたいと思います。

日本にいる時に、在日アメリカ大使館で働く日系3世、4世の方と仕事でお目にかかる機会がありました。その方たちは、日本語はほとんどお話しにならないんですが、自分のルーツは日本であるということをとても意識し、色々な意味で日本の理解者であることがわかりました。アメリカで、日系の方たちがもっと社会のメインストリームに入り、重要な立場に入って行かれると心強いので、日本人としても応援したいと思いました。

また、日本から来ている駐在員や永住の人たち、特に若い人たちが、アメリカとの架け橋になってくれることを非常に期待しています。日本のいいところとアメリカ、あるいは世界のいいところを自分のものとして持つ人たちが、日米関係の担い手になっていくと思っています。バイリンガルの若い人たちが活躍するようになったら、日本人は地球のフルメンバーになれると、非常に期待しています。

日本の社会は、本当に今、多様化に向けて大きな曲がり角に立っています。アメリカがそうだったように、さまざまなバッググラウンドを持ち、色々な考え方をする人たちが同じ社会に入り、チームメイトとして働くというのは大変なことが多いです。それをアメリカは苦しみながら克服していったわけです。

これから日本もさまざまな考え方を持つ人たちを受け入れて、しかもその人たちが、「日本社会へ来て良かった」「日本社会は自分たちにいいものを与えてくれた」と思ってくださるような社会を作るのが、私たち日本人の役割だと思います。また、個人の日本人としては、どういう社会で生きていくにしても、その社会のいいところを発見して、エンジョイする丈夫な心を持たなければいけないと思います。そういう丈夫な心と丈夫な身体を持った人たちが、21世紀を支えていくんだと思います。

ばんどう・まりこ●富山県出身。元官僚、評論家。東京大学文学部卒業後、1969年に総理府入省。80年よりハーバード大学へ留学。埼玉県副知事、在豪州ブリスベン総領事(女性初の総領事)、内閣府男女共同参画局長等を経て2003年に退官。現在、昭和女子大学学長を務める。官僚として多くの女性政策関連事項に携わり、その立案を一貫してリードしてきた。官僚としてのキャリアと2児の母としての役割を両立した経験を活かし、女性のライフスタイルに関わる著作も多数。06年9月発売の新書『女性の品格』(PHP新書)は昨年大ブームを巻き起こし、累計300万部を超えるベストセラーとなった。
 
(2009年1月1日号掲載)

坂東眞理子:ロサンゼルス講演会直前インタビュー in 2008

新書『女性の品格』の大ヒットで、一躍時の人となった坂東眞理子さん。現在、昭和女子大学学長として、教育の現場で「品格」ある女性の育成に携わる傍ら、講演、テレビ番組出演依頼で、多忙なスケジュールをこなす。そして、来たる2008年8月31日、レドンドビーチ・パフォーミングアーツセンターにて、ロサンゼルス初の講演会を実施する。当日は「品格」だけに留まらず、幅広いトピックでお話しいただく。そのさわりを坂東さんに聞いた。

社会や周りの人の人格を尊重する 思いやりの心をいかに形に表すか

坂東さんの指摘する「品格」とは、端的にはどのようなことですか?
人間性だと思います。自分中心でなく、社会や周りの人の人格を尊重すること、つまり他者に対する思いやりです。そうした心をいかに形で表すか。その形と心のバランスが取れている人が「品格がある」と言えます。
 
例えば、装いならばTPOにふさわしい振る舞い、期待される役割を考えて装わなければなりません。自分の好きなものを、好きなように着れば良いのではないんです。当たり前のことが当たり前にできる、挨拶や基礎的マナーを身に付けていることが大切だと思います。
 
日本人はかつての美徳を失いつつあるようです。それを取り戻すには、どうしたら良いとお考えですか?
昔は親たちが、これだけはどうしても子供に身に付けさせなければならない、という風に、基礎的な躾をしていたと思います。今の日本の親たちは、子供をのびのびと育てたい、個性を発揮するように生きてほしいということで、躾を「押さえつける」「抑圧する」という風に捉えてしまっています。基礎的な習慣、マナーを身に付けさせるというのは、親から子供へのとても大事なプレゼントだということを、もう1度親が認識する必要があると思います。
 
相手のミスをとことん突いて、自分の権利を振りかざす、いわゆる「モンスター・ペアレンツ」や「クレイマー」が最近増えてきていますが、私は権利を持つ人こそ、それを大事に行使しなければならないと思います。権利を振りかざすと、お互いの信頼関係がなくなります。「モンスター・ペアレンツ」が権利を振りかざすことで、のびのびとした良い教育がかえって受けられないという被害を、子供が被るんですよと言いたいですね。
 
また、「クレイマー」と言えば、お店に対して消費者が尊大に振る舞うことも「社会の品格」を失わせています。物を作ったり、サービスをしてくれる人に対する感謝を、いくらお金を払っているといっても忘れてはならないと思います。
 
官僚という男社会で仕事をしてきて、ご苦労は?
官僚をやっていた時は、圧倒的に女性の数が少なかったので、珍しく見られました。何をしても、みんなからジロジロと遠巻きにして見られている感じです。女性のキャリアはどういう風に働くんだろう、どういう風に口を利くんだろうという感じで見られていました。
 
当時、男性は女性と働くことに慣れていませんでした。女性は男性と同じように昇進しなくても気にしない、男のように厳しい仕事をしたくないんじゃないかと、思い込んでいる人が多かったんです。差別しようとか、いじめようというのではなく、できるだけ楽な仕事が良いだろう、転勤させたらかわいそうとか、逆に変に気を遣っていたんですね。ですから、そうじゃないんですよと、話を聞いてくれる人を通じてやんわりと伝えました。直接人事当局に申し入れるのではなく、間接的に伝わるようにするというのが日本的なやり方です。アメリカだったら、なんて持って回ったやり方なんだと思うんでしょうけどね。

正確な自己認識による 「等身大の自信」を持つ

アメリカに住む日本人に求められる生き方とは、何だとお考えですか?
まず、「等身大の自信」を持つということだと思います。自分の身の丈に合った自信。「日本人はどの国の民族よりも優れているんだ」というようなうぬぼれも良くないですし、逆に「所詮日本人はダメだ」と、卑下して自信を失い過ぎるのも良くありません。
 
自分の実力をしっかり見つめて、「自分はここまではできる」「ここが足りない」というような正確な自己認識、それを私は等身大の自信と呼んでいます。それを基にして、少しでもできることを積み重ねていくことが必要だと思います。
 
アメリカ留学中に感じた、アメリカの良いところは?
1980~81年に、ハーバード大学の客員研究員をしていた時、「ここは何でも自分の思っていることを言っていいんだ」「率直に発言していいんだ」と感じたのが新鮮でした。というのも、日本で公務員の会議などは、まず役職の偉い人が口を利いたり、誰が発言するか会議の流れ、空気を読んでから発言しないといけませんでしたから。
 
あと、アメリカ人はとてもよく誉めてくれますね。日本では誉められることがなかったので驚きました。そして、自分に少しだけ自信が付きました。確かに言葉が通じなくて悔しい思いをしたこともありますが、全体としてアメリカ人の率直さ、ボランティア精神に感嘆しました。当時貧乏留学生だった私を、見返りや報酬なしで迎えてくれた草の根の方たちに、アメリカ社会の良さを痛感しました。
 
ロサンゼルス講演会で期待したいことは何ですか?
当日は、私が日本社会で「女性はこういう風に振る舞った方が良い」という自分の経験から得た考えをお話しすると思いますが、それに対してアメリカ社会に住んで、働いていらっしゃる方たちがどういう風に受け止めていただけるか、意見を聞くのがとても楽しみです。
 
私の言っていることが日本のスタンダードなのか、それとも他の社会にも通用するスタンダードなのか。私は自分の本に書いたことは、日本だけでなくアメリカ社会でも通用することではないかと期待しているので、ぜひ会場の皆さんからご意見を聞きたいです。
 
南カリフォルニア在住の日本人にメッセージを
日本でも女性たちの役割、生き方や働き方、求めるものは、とても大きく変わってきています。今、アメリカに住んでいらっしゃる方たちも、色々な生き方にチャレンジしていらっしゃると思いますが、それがどういう方向に行くのか、私と一緒に考えていただけたら、とてもうれしいです。8月31日に、会場で皆さんにお目にかかれることを楽しみにしています。

【坂東眞理子 ロサンゼルス講演会】
■日時:2008年8月31月(日)午後3時30分開演
■会場:Redondo Beach Performing Arts Center
    1935 Manhattan Beach Blvd., Redondo Beach
■チケット:(全席自由)
■チケット購入:Mitsuwa Marketplaceチケット販売窓口
        三省堂書店
        All American Tickets(☎ 1-888-507-3287)

坂東眞理子:ロサンゼルス講演会レポート in 2008

2008年8月31日、日本で大ベストセラーとなった『女性の品格』の著者、坂東眞理子さんがレドンドビーチ・パフォーミングアーツセンターで講演会を開催した。当日は1千人を越える観客が来場、坂東さんの人生観や、今後の日本社会で女性はどうあるべきかなどの話に、熱心に耳を傾けた。
第2部では、在ロサンゼルス日本国総領事館の元領事、海部優子さんとの対談が行われ、第1部とは違った和やかな雰囲気で、会場は大きな笑いと拍手に包まれた。

第1部 講演

男性と張り合わず 女性として生きる
こんにちは。このロサンゼルス講演に、私自身がとても感動しています。
 
さて、今の日本社会は豊かで、お金万能主義の風潮があります。そのため、「当たり前」とされてきたことが、どんどん失われました。
 
日本は、若い女性にやさしい社会ですが、25歳を過ぎると急に周りの対応がきつくなります。かといって、まだ一人前になりきれていない。そういうつらさのなかで働く女性が読者の中心で、「肩の力が抜けました」「ほっとしました」という感想をたくさんいただきました。当たり前のことを当たり前に、長期的に頑張ればいいんだと、皆さんわかったのです。
 
元々日本は女性が強い社会でした。表向きは男尊女卑でしたが、家庭内では女性が強かった。なぜなら、女性も働いていたからです。母親となった女性は尊重され、特に家長の母親は隠れた権力者でした。この風潮は昭和30年代くらいまで続きましたが、同時期の高度経済成長期に、男性は外で働き、女性は家庭で家事や育児をする体制になりました。日本の雇用体制も男性中心となり、女性は男性をサポートする存在となりました。
 
しかしその後、時代の流れと共に社会も変わり始め、バブル以降は女性の生き方に再び変化が訪れました。女性の進学率や就職率は上がり、日本政府も、働く女性を応援する態勢を本格的に整えようとしています。
これからの女性は、男性と同レベルで働こうとするのではなく、女性らしさを大事にしながら生きていく。そうすることで、日本社会に質的な多様性を提供することができるのです。
 
子供の教育は 多様な価値観で行う
 
戦後日本は、「個性重視」「創造性向上」という発想に転換しました。本来、そういう高い目標を達成するには、きちんとした基礎固めが必要です。しかし今の日本では、基礎は二の次。いきなり個性や創造性を発揮させようとします。
 
これからの日本人に必要なのは、バイタリティー。丈夫な身体と丈夫な心です。失敗してもくじけず挑戦する、こういう人間を育てなければなりません。そのためには、子供のしつけを変える必要があります。90点の答案に対して「何で100点取れなかったの」ではなく、「良かったね、90点じゃない!」と言ってあげる。スポーツや芸術なども評価するなど、色んな長所を認めるのです。子供たちは小さな成功を実感すると、それが小さな自信となり、やがては丈夫な心と身体を持った人間へと成長します。「子供を愛するのが親の責任」「何でもやってあげるのが愛情」と思っている親は、逆に子供たちのバイタリティーを失わせています。
 
また、「人に迷惑をかけてはいけません」「早く自立しましょう」というしつけだけでは、子供の人生は寂しく、もったいないものになります。せっかく生まれてきたのだから、社会に役立つ人間に育てる必要があるのではないでしょうか。

第2部 海部優子さんとの会談

嫌なことでもやると 守備範囲が広がります
 
海部:私が外務省に入った頃も女性が少なく、上司から「外務省に入ったからには女性を捨てなさい」と言われました。でも全部捨てるのはかわいそうなので「お茶くみしなさい」と(笑)。
坂東:私も1年間、お茶くみをしましたよ。当時の総理府には、「女性の問題」を扱う部署はありませんでした。在職中、私は3回も「女性の問題」を扱う業務に携わりましたが、実際は、それ以外の仕事の方が長いのです。しかし、関係のない仕事の経験が、後で自分のやりたい仕事の役に立つんです。嫌でも、やるべきことはやる。すると自分の守備範囲が広がります。
 
海部:女性の大役である出産と育児に関してはどうですか?
坂東:私は、子供を0歳から保育所に預けました。迎えが時間的に不可能でしたので、近所の方にお願いしていましたが、たまに都合が付かないと、母に富山から夜行電車で来てもらいました。その後父が亡くなり、母が私と一緒に住み始め、子育てを手伝ってくれるようになりました。そこでわかったのですが、子育てって1人でやると重荷でも、子供に愛情を注いでくれる誰かとやると、とても楽しい。
海部:私の場合は、幸い夫が手伝ってくれました。
坂東:アメリカは男性が協力的。日本と違うところですね。
海部:そうですね。アメリカの女性の社会進出は目覚しいのですが、保育園は高いし、6時以降は預かってくれません。小学校に入っても送迎が必要で、育児はとても大変です。
 
坂東:それなのに、なぜアメリカの女性は重要任務に就けるのかと考えると、アメリカは自由がきくというか、「この日は仕事、この日は子供と家庭」という風に、自分でメリハリを付けられるのでしょうね。
海部:そういう意味でアメリカ社会は、女性は働きやすく、男性も育児に参加しやすい。
坂東:家庭や子育てと関わることで、男性の人生も多様化し豊かになります。日本のように、「男の人生は職場」だと、職場でうまくいかないとストレスで、家庭内暴力になることもあります。人生がシンプル過ぎて、多様性に欠けているのです。
 
身内だけでなく他人にも無償の愛を
海部:これからアメリカで頑張りたいという日本人女性たちにメッセージはありますか?
坂東:何でも上手になろうとせず、得意なところをまず完成させ、そこから活動の場を広げていくのがいいでしょう。それから、応援してくれる人を持ってください。人間は、応援団がいると力を発揮できるものです。
海部:仕事を辞め、家庭で頑張っていらっしゃる女性へのメッセージは?
坂東:報酬のある男性の仕事に対して、無報酬だけど、社会と家族を維持するための重要な仕事があります。これを女性が一手に引き受けてきました。これからは、自分の身内だけに無償の労働をするのではなく、他人にも範囲を広げることで、社会と関わってください。日本人女性は世界でも健康的で、教育水準も高い。そういうパワーのある女性たちが、その力を必要とする人たちのために使い、彼らに愛を与えていただきたいと思います。

女性らしさを保ちながら生きるそうすれば、日本社会にも多様性が生まれます

 
 

講演2日前の2008年8月29日、ミツワ・トーランス店内の三省堂書店で、日系メディアを招いての共同記者会見が開催された。

Q:『女性の品格』を出版されたきっかけは?
A:昭和女子大学学長に就任し、どんな女性を世の中に送り出すべきかを考えたことがきっかけです。また、公務員として子供を持ちながら男性社会で働き、そこから得た経験を若い世代に伝えたいと思ったからです。
 
Q:『女性の品格』を読む男性をどう思われますか?
A:読んでくださった男性方は、「女性だけでなく、男性、ひいては日本人全体にあてはまりますね」と異口同音におっしゃいます。本の後半の「いかに生きるべきか」「社会人としてどのように行動するべきか」については、男女共に共通するところが大きいと思います。責任を取れる人間、社会や周囲の人たちに配慮できる人間になることは、性別に関係なく大事です。
 
Q:男女では、品格に異なる部分はありますか?
A:男性は職業的な分野で、女性はプライベートな場で、それぞれ能力を発揮することが求められます。ですから、品格の基本的な部分は一緒でも、それぞれの役割に応えているうちに品格にも違いが生まれると思います。
 
Q:女性にこだわった理由は?

A:私自身が女性だからということもありますが、日本の女性自体が大きく変わってきていることも理由です。私の母世代の女性は専業主婦でしたが、私の世代は、子供が生まれたら仕事を辞める世代です。今の世代は仕事を続け、家庭だけでなく社会とつながりを持ちたいと思っている世代。私が生きている間だけでもこんなに変わっているので、女性が新たなガイドラインを必要としていると思ったのです。
Q:女性の品格が変わってきた原因は?
 
A:社会の繁栄や少子化などが大きな理由だと思いますが、それよりも、「個性の発揮や創造力の向上が1番大切」という思想の下、次元の高い目標を子供たちに期待するあまり、「基礎」がおざなりになったからだと思います。親として、子供に良い環境を作りたい気持ちはわかりますが、子供に苦労をさせないように何でもやってあげる親の増加が、色々な問題を生じさせているのだと思います。

FAFSA最新情報

アメリカの大学にファイナンシャル・エイドを得て進学を希望する学生が登録するFAFSA(Free Application for Federal Student Aid)が、2016年10月から刷新されます。登録開始時期が3カ月早まるとともに、登録システムにも変更があります。
アメリカの大学の学費は高額なので、多くの学生はファイナンシャル・エイドを得て学費を抑えて大学に進学します。ファイナンシャル・エイドにはさまざまな種類がありますが、その中で、学費全額を自費で支払うのが困難な学生が不足分(ファイナンシャル・ニーズ)の一部を負担してもらう制度が、ファイナンシャル・ニーズベースの奨学金です。そして、このファイナンシャル・ニーズを算出するために最も広く利用されているサービスがFAFSAです。
 
各家庭が1年間に負担できる学費の上限額をEFC(Expected Family Contribution)と言います。このEFCが、1年間にかかる学費の総額(授業料、寮費、食費およびその他の諸経費)を下回る場合、差額がファイナンシャル・ニーズとなります。FAFSAに登録されている家庭の収入や資産の情報を元に、EFCが算出されます。FAFSAに登録するとSAR(StudentAid Report)というレポートが提示され、そのレポートからEFCの額等が分かります。

FAFSA登録開始時期の変更

従来FAFSAの登録開始日は高校最終学年(12年生)の1月1日でしたが、今年度から12年生の10月1日に変更されます。3カ月の前倒しにより、FAFSA登録開始時期が大学出願後から出願前に変わるため、受験生は自分のファイナンシャル・ニーズの額を確認してから出願大学を選べるようになります。
 
登録開始時期の変更に伴い、大学進学年度の前々年のタックス・リターンの情報が必要となります。例えば、17年秋に大学に進学する学生の場合、FAFSAの登録開始は16年10月1日、その際に15年のタックス・リターン情報が必要です。なお、タックス・リターン情報はIRSから直接FAFSAに取り込めるようになるため、FAFSA登録時の入力作業が軽減されます。

大学が得られる情報の制限

FAFSAに登録する際、FAFSAの情報を開示する大学を10校までリストアップできます。このリストに載った大学は、受験生の経済状況を知ることができ、それに応じてファイナンシャル・エイドの額を決めます。
 
従来のFAFSAでは、情報を開示された大学は、その学生が他にリストアップした大学名や大学のリストアップの順番を知れました。そのため、アドミッションが自分の大学を上位にリストアップしている学生を優遇する等の操作を行えました。今年度の変更で、大学は学生がリストアップしている他大学の情報にアクセスできなくなるため、受験生はもう大学の順位を気にする必要はありません。

FAFSAとCSSPROFILE

FAFSAによるEFCの算出方法はFM(Federal Methodology)と呼ばれています。全米で広く利用されていますが、EFCの算出方法はFMだけではありません。ファイナンシャル・エイドが充実している一部の大学では、大学独自の基準でEFCを算出しており、それはIM(Institutional Methodology)と呼ばれています。IMを採用する大学は、主にカレッジボードのCSS PROFILEというサービスを利用しています。
 
FAFSAはアメリカの市民権または永住権を有する学生が対象であり、非永住の学生は利用できません。従って、FMを採用する大学は、FAFSAの対象とならない学生のファイナンシャル・ニーズは一切考慮しません。これに対し、非永住の学生のファイナンシャル・ニーズも考慮する大学は、IMを採用しています。非永住の学生や外国人留学生にもCSS PROFILEの提出を求める大学は全米で100校以上に上ります。CSS PROFILEの登録開始日も12年生の10月1日です。
アメリカ市民や永住者がIMを採用する大学を受験する場合は、CSS PROFILEに加えて、FAFSAも提示する必要があります。なぜなら、ファイナンシャル・ニーズをカバーする際に、大学独自の奨学金制度だけでなく、Pell Grantのような政府の奨学金制度も使われる可能性があり、その場合はFAFSAの情報が必要となるからです。
 
大学からファイナンシャル・エイドを得ている場合は、大学進学後もFAFSAの情報が使われますので、FAFSAの情報は毎年更新します。年度の途中で家庭の経済状況が大きく変わった場合は、速やかに大学のファイナンシャル・エイドのオフィスに連絡を取り、対応を相談することをおすすめします。
 
(2016年8月16日号掲載)

コアリション・アプリケーション最新情報

「コアリション・アプリケーション」という共通出願システムが新たに導入されることは、以前お伝えしましたが、その概要が徐々に明らかになってきました。今回は、コアリション・アプリケーションについて現時点での最新情報をご紹介します。
 
全米の名門大学のアドミッション担当者が「コアリション」というグループを作り、これからの時代にふさわしいアドミッションの方法について検討しました。そこから生まれた新たな共通出願システムが「コアリション・アプリケーション」です。2016年4月から、高校生がオンラインでアカウントを作れるようになりました。16年7月にアプリケーションのウェブサイトがオープンし、16-17年のアプリケーション(17年秋入学)から使えるようになります。
 
コアリションには、アイビー・リーグ各校や主要なリベラルアーツ・カレッジ、州立大学などが加盟しています。当初加盟大学は80校でスタートしましたが、5月25日現在94校(私立56校、公立38校)に増えています。コアリションは、既存のコモン・アプリケーションにとって代わるものではなく、アプリケーションの選択肢の一つです。

導入の2つの狙い

コアリション導入には、2つの狙いがあります。一つ目は的確な人物評価です。現状のアドミッションでは、大学は限られた情報を基に短期間で受験生を評価しなければならないので、学生の将来性を的確に判断しにくいのが難点です。これに対して、コアリションでは、アドミッションが長期にわたって学生の評価を行えます。
 
コアリションは9年生からアカウント(mycoalition.org)を作って利用できます。その中核は「The Locker」という容量制限のないオンラインのストレージです。ここには、クラスのプロジェクトやエッセイ、課外活動など将来大学にアプライする際に使えるかもしれない情報を何でも保管できます。つまり、「The Locker」は高校での活動を事細かに記したポートフォリオと言えるでしょう。
 
「The Locker」に載せた情報を、他者と共有する場所が、「Collaboration Space」です。学生は、高校のアカデミック・アドバイザーや大学のアドミッション担当者などを、「Collaboration Space」に個別に招待して、「The Locker」の情報を共有できます。誰とどの情報を共有するかは学生が自由に決められます。
 
「Collaboration Space」を通じて双方向のコミュニケーションを行うことは、受験生とアドミッション担当者の双方にメリットがあります。高校生は、日々の学習や進学準備についてのアドバイスをもらえ、アドミッション担当者は、従来のアプリケーションに比べてより的確に人物評価できるのです。現行のアドミッションにおいても、キャンパス訪問やメール、SNS等を通じて、アプリケーションを提出前に学生とアドミッション担当者がやりとりをする機会はあります。ハイスクール・ポートフォリオの共有により、アドミッションの双方向化はさらに進むと予想されます。
 
コアリションのもう一つの狙いは、潜在学生の掘り起こしです。低所得・低学歴の家庭で育った学生は、学習や進学準備について支援が受けにくく、その結果、高い潜在能力を持ちながら、能力を十分発揮できていない場合が多数あることが問題視されてきました。そのような学生は、「CollaborationSpace」を通じてアドバイスを受けることで、大きな成長が可能となります。このような金の卵を見つけることも、大学がコアリションを導入する重要な目的の一つなのです。

アドミッションの変化

コアリションは、大学のアドミッションにとって画期的なシステムであることは間違いありませんが、受験生にとっての価値を判断するのは時期尚早です。「The Locker」の情報がそのままアプリケーションに使えるので、出願時における作業が減るのが受験生にとってメリットであるとコアリションは指摘しています。確かに12年生の秋に行う作業は軽減されるかもしれません。しかし、一方で高校生はより長期にわたって進学準備に追われる可能性があります。「Collaboration Space」を有効活用するためには、高校生は9年生からアドミッション対応を考えることになるからです。
 
コアリションは、16年秋に12年生となる学生から対象となります。ただし、アドミッションの対応が間に合わず、16-17年のアドミッションで使用しない大学もかなりの数に上るとみられています。新12年生は、今後の各大学の動向を見ながらコアリション対策をするかどうか検討することをお勧めします。
 
(2016年6月16日号掲載)