大学進学の準備は、まずキャンパス見学から

そろそろ大学進学の準備を始めようとお考えの方には、まず大学のキャンパス訪問をおすすめします。実際にキャンパスに足を運んで施設を見学したり、学生と話したりすることで、大学への理解が深まり、進学準備を進める上での動機付けになるはずです。
 
訪問する大学選びについては、最初はあまり難しく考える必要はありません。しかし、州立大学、私立大学、規模の大小など、さまざまなタイプの大学を訪問し比較すると、それぞれの特徴がよくわかると思います。訪問時期は2月から4月で、高校が休みの週がいいでしょう。キャンパス訪問を効果的に進めるための注意事項を、以下にまとめました。

キャンパス訪問10の要点

⒈キャンパスツアー事前予約
 
キャンパスを訪問する際、大学主催のキャンパスツアーに参加することが一般的です。多くの大学は、オンラインでツアーの申し込みを受け付けています。申し込みが不要の大学に関しては、スケジュールと集合場所をウェブサイトで確認してください。
 
⒉訪問前の情報収集
 
訪問大学がどんな大学なのか事前に知ることはとても大切です。大学のウェブサイトをしっかり読み、興味のある学部やコースの情報などはあらかじめ入手しておきましょう。
 
⒊訪問計画を立てる
 
短期間で複数の大学を訪問する場合、大学の所在地を正しく把握して、合理的な訪問計画を立てましょう。1つの大学に少なくとも半日は滞在できるよう、余裕を持った計画を立ててください。
 
⒋キャンパスツアーに参加
 
当日は、指定場所に早めに集合してください。そして、ツアー前にアドミッション・オフィスに立ち寄り、キャンパスマップを入手してください。マップを見ながらキャンパスを歩くと位置関係がよく理解できます。ツアーは1時間程度かかります。長距離を歩くことになるので、歩きやすい靴を履きましょう。カジュアルな服装で構いません。なお、キャンパスツアーは家族で参加するのが一般的です。
 
⒌大学施設をチェック
 
キャンパスツアーでは、学生がよく利用する施設が案内されます。図書館や大学寮、カフェテリア、周囲の環境など、学生生活に関わるものは何でもチェックしましょう。また、学問だけでなく、課外活動への取り組みも非常に重要です。芸術やスポーツ、地域貢献等、自分のやりたい分野でどんな機会が得られるのか、しっかり情報を集めてください。そして、ツアー中はメモ代わりにたくさん写真を撮りましょう。
 
⒍キャンパスツアーでの質問
 
ツアーは在学生が案内しますので、現役大学生に直接質問する絶好の機会です。その大学を選んだ理由や入学して良かった点など、質問を用意しておきましょう。また、訪問したい場所があれば、その旨を担当者に伝えてください。ある程度対応してもらえるはずです。
 
⒎足跡を残す
 
ツアー終了後、アドミッションの説明会が用意されている場合があります。説明会では、大学の特徴や代表的なプログラム等の説明に加えて、アプライするために必要な準備についても話を聞くことができます。説明会で自分の名前や高校名、連絡先を書いて堤出することが求められたら、必ず堤出してください。この時点で、大学のデータベースに名前が残ります。将来もしその大学を受けることがあれば、この時点ですでに一歩リードです。説明会がなかった場合は、必ずアドミッション・オフィスを訪問し、受験生向けの資料を送ってほしいと伝えてください。大学に自分の名前と連絡先を伝えること、つまり足跡を残すことが大切です。
 
⒏キャンパスの周辺を散策
 
ツアー後、寮の周りに買い物場所があるのか、周囲の治安はどうかなど、キャンパス周辺を自分の目で確かめましょう。
 
⒐訪問メモの作成
 
キャンパス訪問が終わったら、学んだことや気付いたことをメモにまとめましょう。複数の大学を訪問すると、どこの大学で何を見たのか忘れてしまう場合が多いためです。
 
⒑お礼のメールを書く
 
アドミッションにお礼のメールを書き、キャンパスツアーに参加して良かったこと、学んだことを簡潔に伝えましょう。
 
(2013年1月16日号掲載)

成功の鍵は、多様な出願締切の把握と管理

大学進学を目指す学生にとって最も大切なのは、締め切りまでにアプリケーションを堤出(出願)することです。しかし、忙しい高校の学習や課外活動をしながら、きちんとアプリケーションを仕上げて期日までに堤出することは決して簡単なことではありません。
出願締切は大学によって異なる上、ひとつの大学が複数の締切を設けている場合があります。今回は、アプリケーションの提出締切についてお話しします。

一筋縄ではいかない多様な締切の種類

締切には、一般締切(Regular Deadline)と早期締切(EarlyDeadline)があり、一般締切のみを採用する大学と、両方を併用する大学があります。カリフォルニアやハワイの州立大学は一般締切のみを採用していますが、2つの併用は私立大学の多くで見られます。
 
一般締切では締切日を明示する大学が多い中、締切日を定めない大学もあります。この方法をローリング(Rolling Admission)と呼び、大学はアプリケーションを受け取ったらその都度、審査、合否判定を行います。
 
一方、早期締切の特徴は、締切時期が早いので合否結果が早くわかるということです。早期締切は11月初旬に設定している大学が多く、その場合、早ければクリスマス前に合否が決まります。
早期締切には、Early Action(EA)とEarly Decision(ED)があります。EAは、早く出願し結果も早くわかるだけで制約はありません。ですから、合格しても進学するかどうかは他校の結果が揃ってから決定できます。しかしEDは、合格したら必ず進学するという条件付き。従って、EAでは何校出願しても構いませんが、EDで出願できるのは1校のみです。
 
さて、EA、EDのどちらか片方を採用する大学が多いですが、中には両方採用する大学もあります。また、早期締切日を複数設定している大学もあります。さらに、数は少ないですがRestrictive Early Action(REA)という特殊な早期締切を採用している大学もあります。これは、合格しても進学する義務はないという点ではEAと同じですが、REAでアプライした場合は、他の私立大学には早期締切で出願できません。イエール大学やスタンフォード大学などがこれを採用しています。

それぞれの締切をどう選択すればいいの?

一般締切で出願するか早期締切で出願するかは、受験生が自由に選択できます。では、どちらを選べば良いのでしょう。早期締切に間に合うようにアプリケーションを準備するのは、実はかなり大変です。12年生で進学準備に取りかかるのでは、おそらく間に合いません。早期締切は競争相手が少ない分、有利だと考えられます。そこで、EAを採用する大学への出願を決めたら、迷わずEAで出願しましょう。EAでアプライした方が多少なりともアドミッションで有利になる可能性が高く、少なくとも不利になることはありません。
 
EDで出願するかどうかについては、慎重に検討してください。合格したら迷わず進学したいと思える大学であることは言うまでもありませんが、学費が払えるかどうかの見極めも大切です。一般締切やEAで出願した場合は、大学から提供されるファイナンシャル・エイドの条件を比較してから進学先を選ぶことができますが、EDの場合はそれができません。 
EDは、大学にとって大きなメリットがあります。合格通知を出せば必ず入学してくれるわけですから、歩留まりを気にする必要はありません。また、その学生に経済的ニーズがなければ、確実に授業料収入が見込めます。そのため、奨学金を必要としない学生は、EDで出願すればアドミッションで確実に有利になります。
 
ローリング(Rolling Admission)を採用する大学は締切日を設定していませんが、なるべく早く出願しましょう。ローリング(Rolling Admission)のアドミッションは、最初は審査が甘く、徐々に厳しくなっていくと言われています。また、必要な人数が確保できた時点でアドミッションは打ち切られます。
 
一般締切で出願する場合でも、実は学生により締切日が異なる場合があるので注意が必要です。例えば、奨学金を希望する学生の締切は、一般締切日と異なる場合があります。また、ポートフォリオの堤出やオーディションが必要な専攻では、別の締切日が設けられている場合があります。自分が出願する大学の締切日をしっかり把握・管理し、必ず期日内に堤出できるようにしてください。
 
(2012年12月16日号掲載)

アメリカ大学進学、SATの得点重視は時代遅れ?

いまだに多くの方から、「大学に進学するのに、SATは何点必要ですか」という質問を受けます。大学のアドミッションにおけるSATの重要性が低下傾向にあり、代わりにエッセイを重視する大学が増えていることは以前お伝えしました。また、セミナーでもこのことは度々話していますが、点数を少しでも上げようとSATの準備クラスをとったり、家庭教師を付けたりしている人を周りで見ると、とても不安になるようです。今回は、大学がテストスコアについてどのように考えているのかをお話しします。

SATの得点は家庭の年収に比例する

アメリカの大学は、「今、優秀な学生」がはなく「将来伸びる学生」を欲しいので、学生のポテンシャルを評価することに注力してきました。各大学が長年アドミッションでSATを採用していますが、これはSATが学生のポテンシャルを評価するのに適したテストだと考えられてきたからです。
 
ところが、その価値を疑問視する声が徐々に大きくなり、2000年頃からSATの有効性について研究が行れるようになりました。さまざまな大学でSATの点数と進学後の成果を調べたところ、その相関関係はさほど強くないことが明らかになりました。むしろ、SATの点数と家庭の年収の関係の方がはるかに強かったそうです。テスト対策に大金を投じられる人ほど点数が上がるのであれば、それは学生のポテンシャルを評価するのに適しているとは言えないため、大学はアドミッションにおけるSATの位置付けを大きく下げることになったのです。

合格基準の流れは点数偏重から人物評価へ

人種により点数に大きな差があることも、アドミッションにとって大きな問題です。アメリカの大学はどこも「多様性」を非常に重要としており、特定の人種に偏った大学にならないよう人種構成には特に気を配っています。白人の学生はマイノリティーの学生と比べるとはるかにSATの点数が高いので、白人偏重のアドミッションにならないようにするためにも、SAT重視のアドミッションは避けるべきという考え方が広まっています。また、アジア系の学生はSATの点数が最も高いので、良い点数を取っても評価につながりにくいという傾向が見受けられます。
 
アドミッションにおけるSATの価値が下がるなか、そのスコアなしで出願できる大学が増えてきました。最初にリベラルアーツ大学が積極的に取り組み始めましたが、その後NYU(NewYork University)やWake Forest Universityのようなトップレベルの総合大学にも広がりつつあります。以前お会いしたNYUのアドミッション担当者は、このように話していました。
 
「大学は合格者のSATレンジを公表しているが、本当は公表したくない。なぜなら、公表すると、そのレンジよりも低い学生が受けなくなるから。スコアが低くても欲しい学生は数多くいるのに、そのような学生が受けなくなってしまうことはぜひとも避けたい。」
 
SATの点数よりも、エッセイを通じてしっかり人物評価をすることが、学生の将来性を判断する上で効果的であるとの認識が高まってるのが現在のアドミッションです。多少の点数を上げるために多くの時間と労力を費やすよりも、自分の成長につながる活動に注力した方が、結果的に大学進学に有利になることを理解し、日々の活動に取り組んでください。
 
(2012年11月16日号掲載)

ファイナンシャル・エイドの基礎知識Q&A

アメリカの大学に進学する際、学費の高さは常に大きな問題となります。大学によっては年間6万ドルにもなる負担を少しでも軽減するために、多くの学生は大学のファイナンシャル・エイドを活用しています。
 
先日大学進学セミナーを行った際、アメリカのある名門私立大学でファイナンシャル・オフィサーとしてアドミッションに関わってこられた専門家に話を聞く機会がありました。今回は、そこでの質疑応答をご紹介します。

Q:ファイナンシャル・エイドにはどんな種類がありますか?

A:次の3つに大別されます。
 
①返済不要なタイプ
奨学金のことです。奨学金には、学生の経済的な必要性に応じて給与されるニーズ・ベースの「グラント」と、学生の評価に応じて給与されるメリット・ベースの「スカラシップ」に大別されます。また、選手として活躍するアスリートに給与される「アスレチック・スカラーシップ」も返済不要です。
 
②返済が必要なタイプ
いわゆる学費ローンです。政府が補助するローンには、学生本人が借りられる無利子の「学生ローン」と、学生の保護者が低金利で借りる「プラスローン」の2種類あります。学生ローンは、初年度は3500ドル、2年目は4500ドル、3年目以降は5500ドルまで借りられます。学生ローンは、大学卒業後半年間は返済義務が発生しません。プラスローンに上限はありませんが、学費に必要な額以上は借りることはできません。これら以外に民間の金融機関のローンもありますが、条件面で不利なのでおすすめはできません。
 
③働いて稼ぐタイプ
大学内でアルバイトをすることで、「ワーク・スタディー」と呼ばれており、これもファイナンシャル・エイドに含まれます。しかし単なるアルバイトではなく、学生が学業の合間に無理なく働けるよう配慮されたプログラムです。

Q:①は誰が負担しているのですか?また奨学金の額は大学により差はありまか?

A:奨学金の大半は、大学が保有する基金(Endowment)から支払われます。基金の大きさは大学により異なり、資金力のある大学はより多額の奨学金を給与できます。また、アメリカ政府や各州政府が負担する奨学金もありますが、これらはすべてグラントです。

Q:ファイナンシャル・エイドの応募方法は?

A:まずは、CSS Profile(www.profileonline.collegeboard.com)とFAFSA(www.fafsa.ed.gov) に登録します。CSS Profileは、12年生の年の10月1日、FAFSAは同じく1月1日以降に登録できます。出願の際はアプリケーションだけでなく、FAFSAとCSS Profileの3つをセットで準備してください。

Q:ファイナンシャル・ニーズの算出方法は?

A:家庭が1年間に負担できる学費の上限を示すEFC(ExpectedFamily Contribution)が年間の学費より少ない場合、学費とEFCの差額がファイナンシャル・ニーズとなります。EFCは、FAFSAに登録された情報を基に計算されます。

Q:ファイナンシャル・エイド・パッケージとは?

A:大学が合格者に対して学費をどのように支払うことができるかを示した書類です。パッケージの中には、大学から給与される奨学金の額に加え、ローン、ワーク・スタディーなども含まれます。ファイナンシャル・エイド・パッケージの作成は毎年1月から始まり、アプリケーション、FAFSA、CSS Profile など必要な情報がすべて揃っている合格者からパッケージ作りを始めます。

Q:ファイナンシャル・エイドの金額が入学後に減ることはありますか?

A:あります。ただし、大学が意図的に減らすわけではありません。例えば、グラントは家庭の経済状況の変化に応じて変動します。スカラーシップは、一定の条件を満たせば翌年度以降も継続されますが、GPA等の基準を満たさなければ打ち切りになったり、額が減ったりする場合があります。
 
当日のセミナーでは、ファイナンシャル・エイドとアドミッションは密接な関係があるため、アドミッションのプロセスに関する質疑応答も行いました。その内容は、次回ご紹介します。
 
(2012年9月16日号掲載)

10年生が終わったら始める大学進学準備

大学進学準備で最も大切な時期は、11年生が終わった後の夏休みです。この時期に、アプライする大学を最終的に選んだり、アプリケーションのエッセイを仕上げたりします。しかし、最大の成果を上げるためには、進学準備はその1年前から始めると良いでしょう。今回は、10年生が終わってからの1年間にやるべき4つの準備についてお話しします。

①将来の進路を考える

11年生の時点で、将来の目標がはっきりしている高校生は決して多くありません。また、自分が本当にしたいことに出会うのはもっと先かもしれません。しかし、この時期から将来について考えることは大切です。
大学は、夢を実現するために未来を切り開く力を身に付ける場所です。従って、まずは将来の目標を持つことが進学準備の第1ステップであり、そのために、世の中にどんな仕事があるのかを調べたり、自分が興味を持つ分野を深く学んだりすることが大学を選ぶ上でとても役に立ちます。

②日々の学習に注力する

大学のアドミッションで最も重視されるのは高校の成績です。高校4年間の成績全てが評価の対象となりますが、現実的にアドミッションで評価される最後の成績は11年生のものです。また、アドミッションでは成績の動向を重視します。10年生から11年生にかけて上昇傾向にある成績は高く評価されますから、11年生の成績は高校4年間で最も大切と言えます。
とは言え、必ずしも全ての科目でAを目指す必要はありません。教科の得意・不得意は誰でもありますし、学業以外にさまざまな活動に取り組んでいる高校生は、日々の学習にかけられる時間は限られています。大切なことは、自分にとって満足のいく成果を上げられるかどうかということです。

③テストを受ける

ACTやSATなどのテストは、11年生の間に受けておきましょう。大学のアドミッションでは、テストスコアの堤出が必要な場合が多く、その場合、ACTまたはSATスコアを堤出することになるからです。また、得意科目については、科目別テストであるSAT Subjectも受けておくと良いでしょう。SAT Subjectのスコアを要求する大学は少ないですが、任意で提出することは可能です。
SATは秋から春にかけて7回、ACTは6回受けられます。しかし、アドミッションにおけるテストスコアの重要度は決して高くなく、またスコアの堤出が不要な大学も増えています。わずかなスコアアップのために莫大な時間とお金を注ぎ込んでいる方を見かけますが、アドミッションへの効果はほとんどありません。
SATは新テストに移行して、日々の学習にきちんと取り組んでいれば、ACTと同様に特別なテスト対策をしなくても点数が取りやすいテストに変わりました。アドミッションにおける学力評価の基本はテストスコアではなく高校の成績です。テスト対策に時間を取り過ぎて、日々の学習に悪影響を及ぼすようでは本末転倒となりますから、注意してください。

④キャンパスツアーに参加

10年生が終わった夏休みや、11年生の春休みは、大学を訪問するのに絶好の機会です。実際にキャンパスに足を運んで施設を見学したり、学生と話したりすることで、大学への理解が深まり、進学準備を進める上での動機付けになります。
訪問する大学選びについては、最初はあまり難しく考える必要はありません。近所にある大学や、旅行先にある大学など、まずは行きやすいところからで構いませんが、訪問する際は、必ずキャンパスツアーに参加してください。キャンパスツアーは通年で行われており、ほとんどの大学ではオンラインで予約が可能です。
訪問する大学が1校決まったら、その周りにある大学も併せて訪問しましょう。できれば、私立、州立、規模の大小など、さまざまなタイプの大学を訪問して、比較検討できると理想的です。カレッジボードのウェブサイト(www.collegeboard.org)には、大学を検索できるサービスがありますので、訪問する大学を探す際に活用してみてください。
大学選びにおいて、大学と自分との相性はとても重要です。相性はウェブサイトだけでは分かりませんが、実際にキャンパスを訪問して学生やスタッフと話をすると、はっきり感じられるはずです。その大学が本当に自分に合っているかどうか、ぜひ自分自身で判断してください。
 
(2016年7月16日号掲載)

理工系学生の大学選びは、こう考える

日本とは反対に、アメリカでは理工系学生は年々増えています。今回は、アメリカの大学で理工系を専攻するメリットや注意点をお話しします。

メリットの少ない日本の大学

大学進学の際に日米で迷う学生がいますが、理工系の学生にとって日本の大学を選ぶメリットはあまりありません。日本の大学では、物理学科や機械工学科など希望学科を先に決めてから受験します。入学後に専攻を選べる大学でも、学科ごとに定員が設けられており、希望のコースを選べるとは限りません。大学在籍中に極めたい分野が見えてくることが多くあることを考えると、理工科系志望の学生にとって、コース選択に制限がある日本の大学は不向きと言えます。さらに、理工系分野を日本語で学ぶ必要性も決して高くありません。なぜなら、学会発表は英語で行われ、日本企業に就職しても、研究・開発の現場で英語が使われる場合が増えているからです。
 
一方、アメリカの大学は産業界と密接な「産学連携」を築き、実践的な研究が幅広く行われているため、国内外から優秀な学生が集まります。また、新たに生まれる境界領域の研究を扱う専攻を新設するなど、社会のニーズに迅速に対応する柔軟さも魅力です。さらに、女子学生の比率が高いのも特徴で、カリフォルニア工科大学(Caltech)は学部学生の40%が女子学生、マサチューセッツ工科大学(MIT)にいたっては45%です。これに対し、東京工業大学は11%に過ぎません。

本格的な専攻の学習は大学院で目指す

アメリカの大学は、専攻を決めずアプライしたり、入学後専攻を変えることが容易なのが魅力のひとつですが、すべての専攻が揃った"万能大学"は存在しないため、大学選びが重要であることに変わりはありません。ただし、細かい専攻にこだわり過ぎると必要以上に選択の幅を狭めてしまうことになりかねませんので注意してください。例えば、生化学(バイオケミストリー)を専攻として開講している大学は多くありませんが、生物学や化学まで視野を広げると、勉強できる大学は多くあります。理工系学生にとって、学びたい分野を極めるには学部レベルの教育では不十分で、大学院に進学するのが一般的ですから、もし本格的に生化学を学びたいのであれば、大学院で学べば良いのです。
 
しかし、理工系の専攻を目指す学生からは「バイオが強い大学はどこですか」「コンピューター・サイエンスを学ぶのに適した大学は?」などの質問をよく受けます。実は、評判や知名度は大学院や研究レベルの評価によるものであり、学部レベルの教育は各校それほど大差はありません。いくら有名大学に進学しても、成績が伴わなければ満足のいく大学院進学は望めませんし、逆に無名大学でも、きちんと成果を挙げれば大学院進学には大いに有利となります。むしろ、博士号課程がなく知名度の低い大学の方が、より質の高い教育を提供している場合があります。ですから学部では、まず自分に合った環境でしっかり基礎学力を高めることを念頭に、大学院進学への準備を行うことが重要となります。つまり、大学進学は"大学院進学の準備"であり、専門領域は大学院で勉強すれば十分ということなのです。
 
リベラルアーツ・カレッジは工学系学部を持たない大学が多く、理工系学生は研究系の総合大学や理工系に特化した工科大学に目を向けがちです。しかし、実は小規模大学の中にも理工系をしっかり学べる大学はあります。(表参照)小規模校ならではのきめ細かいサポートが自分の専門分野を決めるのに役立つことも多いはず。理工系の学生は、色々なタイプの大学を比較検討し、自分に最も合う大学を見つけてください。

最新動向!ウェイトリストの積極活用

大学のアドミッションが変化し続けていることは以前もご紹介しましたが、今年(2012)も新たな動きがいくつかありました。その一つとして今回は、「ウェイトリストの積極活用」についてお話しします。

学生を見極めるウェイトリストとは?

ウェイトリストとは、欠員補充のための"補欠学生リスト"です。学生は複数の大学を受験するため、大学側は定員よりも多くの学生に合格通知を送ります。歩留まり(入学率)を予想しながら合格者数を決めるものの、合格者中、何人が入学するかを正確に予想することは難しいため、合格発表後も定員に達するまでウェイトリストから学生を繰り上げ合格させます。
ところが昨年(2011)あたりから、学生を見極める手段としてこのウェイトリストを積極的に活用する大学が出てきました。ボーダーライン上の学生を多めにウェイトリストに掲載し、その後の学生の反応を見ながら繰り上げ合格を決めていくのです。
 
ウェイトリストに入った学生にはその旨の通知が届き、アドミッションを継続するかどうかの意思確認をします。すでに他校に合格し、繰り上げ合格に興味のない学生は通知を放置しておいても大丈夫です。手続きをしなければ、自動的にリストから名前は削除されます。
 
逆に、その大学に行きたいという希望を強く持っている学生は、そのままアドミッションを継続してもらうために、期間内に所定の手続きを取らなければなりません。それと同時に、 自分を強く売り込みます。(売り込み方は後述)
 
最終的な合格者の絞り込みを行う際、このように学生の反応を見ながら選べるのは大学にとって大きなメリットです。アドミッションの評価で大きな違いがなければ「気に入った大学なので、ぜひ進学したい」という学生を優先して選びたいと大学は考えています。なぜなら、その大学を気に入って入学する学生は、その後も頑張ることが期待できるからです。
 
また、大学に興味がなくなった学生をリストから外すことで、結果的に合格者における入学率が高まります。この歩留まりの向上も、実は大学にとって大きなメリットなのです。歩留まりの高い大学は、それだけ人気の高い大学であることを意味します。そのため、合格者に対して入学する学生の割合を少しでも上げたいというのは、アドミッション担当者の共通の願いです。

リストに入った場合の具体的な対応方法

ウェイトリストの積極活用は大学側にとって大きなメリットがありますが、リストに入った学生はどう対応をすれば良いのでしょうか。
 
ウェイトリストが作られた時点ではリスト内に学生ランキングはなく、その後の学生の反応でランキングが作られます。つまり、ウェイトリストに載せられた後の対応次第で、自分を少しでも有利なポジションに持っていくことが可能となるのです。
 
ウェイトリストに入った大学に進学を希望する学生は、まず大学にアドミッション継続の意思を伝えます。そして追加の情報を提示し、再評価を依頼します。ポイントは、「なぜその大学が自分に適しているのか」と「自分がその大学のためにどんな貢献ができるのか」の2点をきちんと伝えること。堤出したアプリケーションに記載済みでも、再度伝えることは可能です。また、アプリケーションに未記載の追加情報や、堤出後に達成したことなどがあれば、それらも簡潔にまとめて伝えます。重要なのは、「自分がその大学にとって価値のある学生であること」をきちんと示すことです。
 
このように、ウェイトリストを積極的に活用する大学が昨年から増え始め、今年一気に広がった気がします。大学にとってメリットが大きいため、来年度以降もこの傾向は続くと考えられます。
 
一方、ウェイトリストに入ることで受験生はさらに一手間増えることになりますが、新たな自己PRの機会を得たと考え、このチャンスをぜひ活用してください。  
なかには、「ウェイトリストからの合格ではファイナンシャルエイドは期待できない」と決め付ける方もいらっしゃいますが、それは早計です。もちろん、ウェイトリストからの合格やスカラシップの獲得は決して楽なことではありませんが、リストに入るということは、少なくとも"合格に足る学生"の評価を得ているわけです。自信を持って、大学に自分を売り込んでください。
 
(2012年6月16日号掲載)

教育コンサルタントの仕事から見る受験の1年

将来のキャリアステップであるアメリカ大学進学について、教育コンサルタントが解説します。
 
受験生にとって5月1日は特別な日です。アプライした大学の結果は3月末にほぼ出揃い、受験生は合格大学の中から進学大学を1つ決めてデポジットを収め、大学の籍を確保します。その締め切りが5月1日なのです。教育コンサルタントの仕事は、受験生が進学する大学を決める日まで続くため、私にとっても5月1日は特別です。
 
今回は、教育コンサルタントの仕事を紹介しながら、受験生の1年間をご説明します。

こうして始まるコンサルタントの仕事

アメリカでは、教育コンサルタントの支援を受けながら大学を探し、アプリケーションの準備を進めることが広く行われています。なぜなら、アメリカのアドミッションは常に変化している上、とても複雑。しかも、奨学金を含めた学費も重要なポイントとなるなど、それらすべてを考慮しながら、全米規模で最適の1校を見つけるのは至難の業だからです。
 
さて、教育コンサルタントは、毎年5月に入るとすぐに全米教育コンサルタント協会(IECA)主催のカンファレンスに参加します。カンファレンスは年2回開催されますが、5月は大学のアドミッション担当者からアドミッション直後の最新情報が入手できるため、とても貴重な機会です。カンファレンスの場所は毎回変わりますが、今年(2012)の5月はボストンで開催されました。
 
また、カンファレンス前に教育コンサルタント向けの大学見学ツアーが開催されます。コンサルタントにとって、数多くの大学を訪問することは極めて重要であり、この機会を最大限に活用して、各大学の情報収集を行います。

早期締切の私立大の鍵は夏休中のエッセイ執筆

5月から6月は、11年生(ジュニア)のクライアント向けに、大学のリストアップと絞り込みが本格化。大学訪問をした学生の感想に耳を傾けながら、学習目標や経済的ニーズを考慮して大学を絞り込みます。同じリストは2つと存在しない完全な個別対応となるため、この作業にはかなりの時間を要します。
 
夏休みに入るとすぐに、アプリケーションで必要なエッセイの準備に取りかかります。学生の優れている点をしっかり伝えるためにも、家族を交えてブレインストーミング(ブレスト)を行います。日頃はスカイプやメールでやり取りする遠方の方に対しても、ブレストは極力対面で行いたいため、私は全米各地、および日本を訪問してミーティングを行います。
 
ブレストが終わると、学生はエッセイの執筆に取りかかります。目標は、夏が終わるまでに3つのエッセイを仕上げること。「夏休みから始めるのは早過ぎる」と思われるかもしれませんが、私立大学の早期締切(Early deadline)に間に合うように準備するためには、夏にどれだけエッセイを仕上げられるかが勝負となります。

通常締切の合格発表は3月中旬以降に集中

 

高校最後の学年が始まる秋からは、アプリケーションを仕上げ、提出する作業に入ります。アプリケーションの締め切りは11月初旬から年明けまでとさまざまです。アプリケーションを堤出した後も、大学や学部によっては面接があったり、オーディションや作品堤出があったりするので、期限内に志望大学すべてのアプリケーションを完成できるよう、綿密な計画を立てて準備を進めます。
 
早期締切で受けた大学の合格発表は、早ければクリスマス前に行われますが、通常の締め切りで受けた大学の合格発表は3月中旬以降に集中します。IECAの調査によると、教育コンサルタントのサポートを受けていない学生の80%は州立大学に進学し、サポートを受けている学生の80%は私立大学に進学するそうです。私のクライアントも私立大学狙いの学生が多く、結果が出揃ってから約1カ月間は、合格した各地の私立大学を巡るのに大忙しです。大学訪問から帰ってきた学生の報告を聞き、実際に進学する大学を決めるところまで見届けて、私のコンサルテーションは終わります。
 
スポーツ奨学金を狙うアスリートや、日本やカナダの大学を目指す学生の場合はスケジュールが異なりますが、これについては別の機会にお話しします。
 
(2012年5月16日号掲載)

日本とアメリカの大学比較

将来のキャリアステップであるアメリカ大学進学について、教育コンサルタントが解説します
 
「アメリカの大学は、アドミッションが複雑で学費も高い。奨学金もどれだけもらえるかわからないので、日本の大学に進学した方が良いのではないか」という質問を受けることがあります。将来、日米どちらの大学に進学するのか迷っている子供たちも多いと思います。「日本の大学なら帰国生枠で有利に進学できるし、学費も安いのでお得」という考え方は一見理にかなっていますが、果たしてメリットはあるのでしょうか。今回は、日本の大学の現状と課題についてお話しします。

留学生頼みの日本の大学中身の改革が先決のはずが…

今、日本の大学が持つ共通の課題は、「いかに外国人留学生を獲得するか」です。年々受験者数が増えているアメリカの大学とは異なり、"大学全入時代"を迎えた日本では、生き残りをかけて学生の争奪戦が行われています。特に近年は、優秀で学習意欲の高い海外からの留学生を確保しようとする動きが活発化しています。
  
文部科学省は、2020年を目途に日本全体で30万人の留学生の受け入れを目指す「留学生30万人計画」を進めています。これに伴い、日本の大学では英語だけで学位が取れるコースが増え、また外国籍の学生に手厚い奨学金を授与するなど、新たな制度が導入されています。
このように、海外の学生にとって日本の大学の魅力が増しているように見えますが、現実には課題が山積しています。なぜなら、制度を作るだけで肝心の教育の中身を魅力的に変革する努力がおざなりにされているからです。

9月入学は競争力強化にはならない!?

東京大学が秋入学への変更を進めています。日本国外では秋入学が主流であり、それに合わせることで国際的な学生の動きを促し、競争力を付けるのが狙いです。能力の高い外国人留学生を集めて、留学生と日本人学生が切磋琢磨する環境を日本国内に設けるという狙いはすばらしいですが、残念ながら効果は期待できません。なぜなら、9月入学や英語の授業を導入したところで、そのような大学は世界中にたくさんあり、"競争"が激しくなるだけでが増すわけで"競争"はないからです。秋入学によって東大の競争力が高まるというのは妄想です。
 
アメリカの大学では、進学後に学部や学科を自由に変更できたり、取得した単位を大学間で互換できる制度があったりと、学生本位の学校運営が行われていることが魅力ですが、日本の大学では、そのような取り組みは一切議論されていません。東大医学部出身の大学教授である和田秀樹氏は「ソフトやハードの競争力を付けることなしに、外形的なことだけで競争力を高められるという発想はあまりに甘い」と指摘しています。
  
外国人留学生を優遇する日本の大学政策は、本来であれば海外で学ぶ日本の子供たちにとっても役に立つはずです。しかし、このように制度をいじるだけで肝心の中身がまったく伴っていないため、魅力に欠けてしまっています。

大学に大切なのは目的意識を持った留学生

外国人留学生を増やすのは歓迎すべきことですが、その方法を疑問視する大学関係者は少なくありません。英語の学位を充実させれば優秀な外国人留学生を集められるという発想は短絡的です。英語だけで学位が取れるコースには、楽に進学できるというだけの理由で日本に来た学生もいます。「日本語をまったく学ぼうとせず、英語での対応に少しでも不備があると、すぐに自国の大使館を通じて抗議をする学生がいる」と、ある国立大学の担当者が嘆いていました。学力不足で自国の主要大学に進学できない海外の学生に、日本の補助金を投入してただ同然で進学させてあげることが、大学の繁栄につながるのでしょうか。
  
英語で学位が取れるようにすれば外国人留学生が押し寄せるという発想で導入したプログラムが、結果的に学力の劣る留学生を増やし、大学の質の低下を招きつつあります。この実態に危機感を持つ大学関係者は多いのですが、表沙汰にすると大学のイメージを損なうこともあり、手をこまねいているのが現状です。
  
一方で、本気で日本に留学しようとする学生の多くは、自国で日本語を学んでいます。なかには、専門学校等で日本語力をさらに鍛えてから大学に進学する学生もいます。将来自国と日本の架け橋となって活躍することを目指す留学生にとっては、日本語で学ぶことこそに意味があるのです。
  
目的意識を持った留学生や帰国生こそ日本の大学にとって大切なのですが、彼らへのサポートは十分とは言えません。外国人留学生や帰国生を、大学の国際化に利用するだけで、彼らを日本の将来を支える人材として育てていこうという戦略が欠けている大学も少なくありません。日本の大学を目指す学生は、大学がどう自分を育ててくれるかまで踏み込み、教育プログラムの中身をしっかり検証することが重要です。

アメリカの大学の魅力は専攻が変えられること

アメリカの大学生は、在学中に平均2回専攻を変えると言われています。大学に進学して学んでいく中で、自分のやりたいことが見えてくる学生は数多くいますが、大学にアプライする17歳前後で将来の目標が決まっている学生は多くはありません。また、高校時代から明確な目標を持っている学生でも、大学進学後にもっと興味のある分野が見つかることもあります。そのような学生にとって、専攻を決めずアプライでき、進学後も自由に専攻が変えられるアメリカの大学制度はとてもありがたいものです。
  
大学はその後のキャリアのスタートですから、そこで何を学ぶかは極めて重要なポイントです。アメリカの大学は専攻の種類が膨大で、学生のあらゆるニーズに対応できることで知られています。ただし、すべてを網羅する大学はありません。また、規模の小さな大学は提供できる専攻も限られています。
 
明確なビジョンを持つ学生は、将来の目標を実現するために大学で何を学ぶべきかわかっている場合が多いので、学びたい専攻がある大学を選ぶと良いでしょう。しかし多くの学生は、大学の専攻や将来の進路で悩んでいます。このような場合、大学選びで専攻にこだわり過ぎると選択の幅を狭めることになるため、良い方法とは言えません。進学後に、より興味のある分野が見つかる可能性が大いにあるからです。

自分専用の専攻も見つかるリベラルアーツ・カレッジ

以前、「リベラルアーツ・カレッジ」への進学を希望する学生が増えているという話をしましたが、将来の進路が定まっていない学生へのサポートが充実していることも、その魅力の一つです。多くのリベラルアーツ・カレッジでは、各学生に進路カウンセラーが付き、授業の履修方法から専攻の選び方、将来の進路に至るまで、親身になって相談に乗ってくれます。
  
リベラルアーツ・カレッジの大半は小規模な私立大学で、提供するプログラムも限られています。しかし、他大学との単位の互換制度が充実し、自分の大学にないクラスを他校で履修することが容易です。また、自分にぴったりの専攻がない場合は、新たに専攻を作ってもらうこともできます。
このように、学生のニーズに合わせて柔軟に対応するのがアメリカの大学の強みです。日米で悩んだ結果、アメリカの大学進学を選んだ学生にその理由を聞くと、「将来の進路が決まっていなかったから」という返事がよく返ってきます。
 
日本の大学は、学部や学科ごとに定員を設けて学生の選考を行いますが、アメリカは基本的に大学全体で一本化されたアドミッションを行っています。日本のように既存の組織に合わせて学生を集めるのではなく、学生のニーズに応じて大学のプログラムを変えるため、このようなフレキシブルな対応が可能となります。

大学教育は「生きる力」会得の場

「リベラルアーツ・カレッジは知名度が低く、就職活動で心配」という話をよく聞きますが、心配無用です。私は大学生のキャリアサポートにも長年取り組んできましたが、知名度の低い大学の学生が不利になったケースはありません。むしろ、「有名大学に進学したから何とかなる」と考え、将来のキャリアに向けた準備を怠った学生が、就職で苦戦しています。
  
今は日本でも、有名大学に進学すれば将来が約束されている時代ではありません。『13歳のハローワーク』の著者の村上龍氏は、「いい大学に行って、いい就職をすれば安心という時代が終わろうとしているのに、親や教師は未だに勉強していい大学に行き、いい会社に入りなさいと言い続けている。それは、彼らがそれ以外の生き方を知らないからだ」と述べています。
  
子供にとって、夢を実現するために自ら未来を切り開いていく力、すなわち「生きる力」を身に付けることが大切であり、そのための手段の一つとして大学教育を考えれば、失敗のない大学選びができるはずです。
  
(2012年3月16日、2012年4月16日号掲載)

アメリカの大学での奨学金(スカラーシップ)獲得

アメリカの大学での奨学金(スカラーシップ)獲得戦略

アメリカの私立大学は、教育の質や学生のサポートは優れていますが、進学のハードルが高いという話を以前しました。なかでも最大のハードルが学費です。「私立は学費が高いから、州立を目指す」という話をよく耳にしますが、州立よりも安く私立に進学する学生も少なくはありません。大学進学を自分の将来への投資と考えた時、質の高い教育をなるべく安い費用で受けることが賢い投資方法と言えます。ROI(Return on Investment)を高める上で重要な、アメリカでの奨学金(スカラーシップ)の獲得方法についてご説明します。

種類が異なる2つの奨学金(スカラーシップ)制度とは?

援助金(Financial Aid)の分類

アメリカにおいて「ファイナンシャルエイド」という言葉は、学費負担を軽減するための金銭的支援プログラム・制度の総称です。その種類はさまざまで、返済が必要な「学生ローン」や、キャンパス内で働くことで経済支援が受けられる「ワークスタディー」もファイナンシャルエイドに含まれます。その中で、一般的に返済不要な金銭的支援を「奨学金(スカラーシップ)」と言います。日本では、返済の義務を負う奨学金が数多くありますが、アメリカでは奨学金(スカラーシップ)はすべて返済不要です。奨学金(スカラーシップ)には、色々な団体が授与するものが多くありますが、最も重要なのは、金額的にも大半を占める大学からの奨学金です。この奨学金は、学生の経済的な必要性に応じて給与される「ニーズ・ベース」と、学生の能力に基づいて給与される「メリット・ベース」に大別されます。

 

ニーズ・ベース

家庭の収入では学費が足りない場合は、その不足分が経済的ニーズとなります。この一部(もしくは全部)をカバーするのがニーズ・ベースの奨学金(スカラーシップ)です。このタイプは「グラント」とも呼ばれ、主としてアメリカ市民、およびアメリカ永住者が対象となります。

メリット・ベース`

受験生の学力やリーダーシップ等の能力に対する評価として与えられるのが、「メリット・ベース」の奨学金(スカラーシップ)です。スポーツ推薦で進学するアスリートに授与されるアスレチック・スカラーシップもこのタイプですが、これについては以後説明します。メリット・ベースの奨学金は、原則として国籍を問わず誰でも対象となります。

経済状況にかかわらずメリット・ベースの奨学金(スカラーシップ)を狙う

学費のせいで適切な教育機会を失ってはならないというのが、アメリカの大学教育における基本的な考え方であり、ほとんどの大学でニーズ・ベースの奨学金(スカラーシップ)制度があります。ですから、家庭の収入が少ないからといってアメリカでの大学進学を諦める必要はなく、むしろ他人のお金で教育を受ける絶好のチャンスと考えれば良いのです。
 
家庭の経済的ニーズは、アメリカ連邦政府が行うFAFSA(www.fafsa.ed.gov)というサービスを利用して計算されます。そのため、奨学金(スカラーシップ)希望の受験生は、大学に進学する年の1月1日以降にFAFSAでアカウントを作成し、家庭の収入や資産の情報を入力します。FAFSAのデータはすべての大学と共有されますが、これに加えてCSS Profile(https://profileonline.collegeboard.com)というサービスを併用する大学もあります。CSS ProfileはCollege Boardが行っている有料サービスで、毎年10月以降利用できます。
 
ニーズ・ベースの奨学金(スカラーシップ)は大変ありがたい制度ですが、これだけで学費のすべてをカバーできるわけではありません。経済的ニーズを100%奨学金(スカラーシップ)で補ってくれる大学は限定的で、その多くは超難関校です。FAFSAの計算方法は必ずしも現実を正しく反映したものではないため、経済的なニーズがあるにもかかわらず、FAFSAの数字には表れない場合も多々あります。
 
そこで、メリット・ベースの奨学金(スカラーシップ)が重要となります。これは、大学が欲しいと思う学生に対して提供するもので、その金額は大学がその学生をどれくらい欲しているかで決まります。メリット・ベースの奨学金の額は、下は1千ドルから、上はフル・スカラーシップ(学費全額免除)までさまざまです。ニーズ・ベースの奨学金(スカラーシップ)重視の大学もあれば、メリット・ベースの奨学金(スカラーシップ)重視の大学もありますが、限られた資金を効率的に使うという観点で、近年はメリット・ベースを重視する大学が増えています。そこで、受験生は経済的ニーズの有無にかかわらず、まずはメリット・ベースの奨学金(スカラーシップ)の獲得を目指すことをおすすめします。

アメリカで奨学金(スカラーシップ)を得るにはSEMで自分を評価させる

では、メリット・ベースの奨学金(スカラーシップ)を得るためには、何をすれば良いのでしょうか。大切なことは2つ、自分の強みをきちんと大学に伝えることと、それを評価してくれる大学を探すことです。 合格者にどの程度の奨学金を提示するのかも、SEM(戦略的受験者管理システム)の大事な役割です。つまり、SEMで高く評価してもらえるように、アプリケーションで自分の魅力をきちんと伝えることが重要です。

 

高騰するアメリカの学費、無理のない進学を目指す

アメリカの大学の授業料が高いのは周知の通りです。では、実際にどれくらい学費はかかるのでしょうか。学費とは、大学で学ぶのに必要な費用(授業料、および教材費)と生活するのに必要な費用(寮費、および食費)の合計です。学費は年々上昇傾向にあり、アメリカ・カリフォルニアの州立大学で年間2万から3万ドル程度(州内学生の場合)、私立大学は年間4万ドルを超える所が多く、5万ドルを超える大学も珍しくありません。
 
アメリカの「州立大学は安い」というのは昔の話で、例えばUC(カリフォルニア大学)の州内学生の授業料は、過去20年間で5倍以上に跳ね上がっています。州立大学の学費の高騰は今後も続くことが予想されるため、学費面でのメリットは年々小さくなっています。もっとも、額面上の比較はあまり意味がありません。なぜなら、私立大学生の多くは何らかのファイナンシャルエイドを得て進学しているため、実際に支払っている学費は異なるからです。
  
では、奨学金(スカラーシップ)はどれくらいの額を目指せば良いのでしょうか。年間の学費がそれほど無理なく支払えることが理想ですから、そのための差額を埋められる額が目標となります。例えば、年間に2万5千ドルまで払える方が学費が4万5千ドルの大学を受ける場合、奨学金の目標額は2万ドルとなります。授業料は大学ごとに大きく異なりますから、受ける大学によって目標とする奨学金(スカラーシップ)の額も変わってきます。

メリット・スカラーシップの獲得を目指す

メリット・ベースの奨学金(スカラーシップ)を得るためには、自分を高く評価してくれる大学を数多く受験することが大切という話をしました。では、そのためにはどうすれば良いのでしょうか。ここで、自分を評価してくれる大学の探し方を説明します。
 
大学は高いレベルの教育を受ける場ですから、進学において学力評価が重要なのは言うまでもありません。ですから、まずは自分の学力を評価してくれる大学を探しましょう。「自分の成績では難しい」と悲観的になる必要はまったくありません。アメリカの多くの大学では、在校生の高校時代のGPAやSAT等の点数の情報を公開しているので、それらを手がかりにしながら、自分に競争力がありそうな大学を選べば良いのです。
 
アメリカの大学が評価するのは、成績だけではありません。どの大学も、色々な価値を持った学生を集めて魅力のある学生集団を作りたいと考えています。そこで受験生は、自分のどのような価値を評価してもらいたいのかを考える必要があります。どの学生も優れた面を持っています。リーダーシップに長けた学生もいれば、芸術的センスに優れた学生もいます。自分の価値をしっかり大学に伝えることは、合格の可能性を高めると共に、奨学金の獲得にも有利になります。もちろん、自分の強みをどの大学が評価してくれるのかは実際に受験しないとわからないので、なるべく多くの大学を受けることも重要です。しかし、ただ闇雲に受けるのではなく、自分に合ったプログラムがあり、かつ自分の長所を評価してくれそうな大学をリストアップし、その中から狙いを定めて選んでいきます。

プロ級でなくても狙えるアスリート向けの奨学金(スカラーシップ)制度

アメリカの大学には、スポーツ推薦枠での大学進学の道もあります。スポーツ推薦の学生は、「アスレチック・スカラーシップ」というメリット・ベースの奨学金(スカラーシップ)の対象となります。スポーツ推薦というと、プロ選手を目指すようなトップアスリートのためのプログラムと思われるかもしれませんが、そうではありません。高校で積極的にスポーツに取り組んでいる多くの学生は皆、スポーツ推薦枠を利用して進学を有利に進められる可能性があるのです。
 
アメリカの大学では、学力評価に加えて、芸術やスポーツの才能、リーダーシップや社会貢献等の人間性など幅広い観点で学生を評価し、評価の高い学生には経済面で優遇してくれます。従って、自分独自の奨学金獲得作戦を立てて実行することが、奨学金への近道と言えます。

アメリカの大学でスポーツを続ける価値とは

まず理解していただきたいのは、スポーツ推薦はプロ選手を目指すトップアスリートだけのプログラムではないということです。NCAA(全米大学体育協会)に所属する大学では40万人以上の大学生がアスリートとして活躍していますが、その中で将来プロとして活躍できるのはごくわずかです。また、運良くプロ選手になれたとしても、引退後は別のキャリアを積むことになります。つまり、アメリカの大学でしっかり学んで将来のキャリアにつなげるという点では、アスリートも一般学生も何ら違いはありません。
 
では、アメリカの大学はなぜスポーツに励む学生を優遇するのでしょう。その理由のひとつに、学業とスポーツを両立させることで人間的に大きく成長することが挙げられます。スポーツを通じて培ったチームワークやリーダーシップは貴重であり、また、限られた時間で最大限の成果を上げる工夫をしながら習得した「自律」や「時間管理」の能力は、社会に出た時に大いに役立ちます。つまり、学業とスポーツを両立する人は、即戦力として社会に受け入れられるのです。

 

海外の学生も対象となるスポーツ奨学金(スカラーシップ)の仕組み

スポーツ推薦で進学することは、スポーツ奨学金(スカラーシップ)を獲得して進学することを意味します。大学チームのコーチからスポーツ奨学金の候補者に選抜され、大学のアドミッション審査を通ると進学が認められます。各チームが学生に授与できる奨学金の合計上限額は、競技の種類やチームが所属するディビジョンにより、NCAAで細かく決められています。
 
例えば、ディビジョンⅠの男子サッカーチームには、9.9人分までの奨学金が授与できます。この場合の1人分とは、授業料、および寮費、食費等を含む額です。スタンフォード大学の場合、1人分の額は約5万4千ドルなので、これに9.9を掛けた額が提供できる奨学金の総額です。そして、この金額をチームに所属する20数名の学生に分配することになります。もちろん均等に分配されるわけではなく、選手のチームにおける重要度により受給額は大きく異なります。
 
このように、決められた人数分の奨学金を所属選手に分配する方法を採る競技は「イクイバレンシー競技」と呼ばれ、NCAAが扱う23種類の競技の多くはこのカテゴリーに入ります。
 
一方、アメリカでは、奨学金(スカラーシップ)の数と授与学生の数が同数になることを義務付けている競技があります。これらは「ヘッドカウント競技」と呼ばれ、奨学金を授与できる学生数が限られているため、学生にとっては奨学金獲得は狭き門と言えます。しかし、奨学金を獲得できれば、それは例外なくフル・スカラーシップとなります。 なお、スポーツ奨学金は、他州やアメリカ国外の学生も対象となります。

スポーツ奨学金(スカラーシップ)の獲得を目指すには

スポーツ奨学金の候補に選ばれることがいかに重要かはおわかりいただけたと思います。それでは、そのために何をすれば良いのでしょうか。なかには何もしなくても大学から誘いを受ける学生もいますが、多くの学生は大学に自分を積極的に売り込むことからスタートします。スポーツ推薦で進学するには、まず自分の存在を大学チームのコーチに知ってもらうことが先決というわけです。
 
激しい競争の中でスポーツ奨学金を獲得するには、他のアスリートとの差別化が大切です。スポーツ推薦の選抜基準として、「アスリートとしての能力」が問われるのはもちろんですが、「学力や人間性」も重要な評価ポイントとなります。いくら優れたアスリートでも、成績や素行の問題で出場停止になる選手を受け入れるわけにはいきません。ですから、大学は慎重に学生を選びます。アスリートとしての能力だけでなく、学習面やリーダーシップ等も含め、自分の価値をしっかり大学に伝えていくことが、他の選手との差別化につながるのです。
 
また、自分が活躍できるチームの見極めも重要です。高いレベルでのプレーが目標ならディビジョンⅠやⅡ、学業を優先しながらスポーツに取り組みたいという学生はディビジョンⅢというように、自分に合った大学を探しましょう。
 
(2011年12月16日、2012年1月16日、2012年2月16日号掲載)

アメリカにおけるメリット・スカラーシップ(奨学金)の獲得戦略

アメリカの大学に進学する上で、高額な学費は大きなハードルです。大学によっては年間6万ドルにもなる学費を全額払って進学するのは現実的ではなく、各大学はさまざまなファイナンシャル・エイドを提供して、多くの学生に進学の機会を与えています。中でも、メリット・スカラーシップ(奨学金)の獲得は全ての学生が対象になるという点で、最も重要な方法と言えるでしょう。

個人の評価で決まる奨学金

メリット・スカラーシップは、学力やリーダーシップなど学生個人の評価として提供される奨学金で、その金額は、2千ドル程度からフル・スカラーシップ(学費全額免除)までさまざまです。中には入学する学生全員に同額のスカラーシップを給与する大学もありますが、基本的には、大学がその学生をどれくらい欲しているかによって金額が定められるため、その額は一人一人異なります。
 
メリット・スカラーシップは、家庭の経済的ニーズの有無にかかわらず給与されます。また、原則として国籍やビザの種類も問わないため、非永住者や外国人留学生も対象となります。メリット・スカラーシップは、合格者に対して入学を促すためのツールとして利用されるため、合格通知と同時期にオファーされるのが一般的です。一定の条件を満たすことを条件に4年間同額が給与されます。なお他の奨学金と同様返済不要です。

自分を差別化できる大学選び

アドミッションを有利に進めるには他の学生との差別化が重要ですが、それは奨学金獲得でも当てはまります。自分を差別化できる大学、つまり自分が特別な存在になれる大学を選ぶことがポイントです。難関大学を避けて成績など学力面で他の学生と差別化できる大学を選ぶのは最もポピュラーな方法です。
 
「自分の成績では差別化は難しい」と悲観的になることはありません。自分が特別な存在になる方法は、成績以外にもいろいろあります。例えば、アドミッションにおいてダイバーシティは常に最重要テーマのひとつであり、少数派の学生は優遇されます。例えば、リベラルアーツ・カレッジでは男子学生が優遇され、工科大学では女子学生が優遇されます。同様に、白人比率の高い大学では、アジア系学生というだけで優遇されたり、中にはアジア系学生のためのメリット・スカラーシップを別途用意している大学もあります。

スカラーシップ(奨学金)の獲得には、出願時期や大学数も重要

締切直前に願書を提出する学生よりも、早期に提出する学生の方がアメリカでは評価が高くなることは以前お話ししましたが、その評価の違いは奨学金の額にも影響します。早期にアプライする学生は自分の大学に高い関心を持っているので、メリット・スカラーシップを弾んで入学の意思を確実にしたいという意図が大学側に働きます。また、学生の評価が同じでも、アプライする時期によりメリット・スカラーシップの金額が異なる場合があります。奨学金の予算は限られているので、終盤になれば財布の紐は固くなりがちです。
 
Rolling Admissionを採用する大学では締切日は明確に定められていませんが、メリット・スカラーシップで有利な条件を得るためには少しでも早くアプライすることを心がけてください。また、早期締切(Early Action)が設定されている大学にアプライする場合は、ぜひこの制度を利用しましょう。
 
自分の強みを評価してくれる大学は必ずあるはずですが、どの大学が評価してくれるかを予測するのは困難です。そこで、なるべく多くの大学にアプライすることをお勧めします。もちろん、闇雲に受けるのではなく、自分に合ったプログラムがあり、かつ自分の強みを評価してくれそうな大学に狙いを定めて数多く受けてください。

自分の価値を明確に伝えることが重要

素晴らしいスキルや経験があっても、その価値が大学に伝わらなければ評価につながりません。アプリケーションのエッセイ等を利用し、自分の強みをきちんと大学に伝えましょう。自分がどのように成長してきたのか、またその成長がアメリカでの大学生活にどう活かされるのかを明確にしてください。
 
スポーツや芸術など特別な能力を持つ学生には、別途タレントベースの奨学金が用意されている場合が多いですが、メリット・スカラーシップの中でまとめて評価する大学もあります。いずれの場合でもアドミッションが自分の価値をしっかり認識していることが極めて重要なので、出願時期を待たず大学のアドミッションと連絡を取り合うことも大切です。
 
(2015年7月16日号掲載)

受験生を効果的に選抜するSEM時代が到来!

将来のキャリアステップであるアメリカ大学進学について教育コンサルタントが解説します。

進化版受験生管理システムSEMとは?

今回は、受験生が大学でどう評価され、合否の判定が下されるのかという、アドミッションの裏側についてお話します。
 
前号で、アメリカの大学では将来伸びる学生が評価されることをお話しましたが、実はそれだけではありません。どの大学も、それぞれが思い描く理想的な大学像を持っています。その大学像を実現するために、どの大学も幅広い観点で学生を評価し、目標とする学生構成を築き上げます。
 
「A大学は成績重視だ」とか、「B大学はボランティアをしていないと入れない」という話を聞くことがありますが、大学のアドミッションはそれほど単純ではありません。どの大学も、成績が優秀な学生は欲しいですし、リーダーシップのある学生やコミュニティーに貢献する学生も大いに求めます。また、芸術の才能のある学生や、スポーツに秀でた学生など、特別な才能を持つ学生も大学にとっては不可欠な人材ですし、そのほか性別、人種、出身地希望専攻など、考慮する点は山ほどあります。
 
このように、さまざまな要素を考慮して受験者を評価する手法は長年研究され、それ自体が大学院の専攻になるほどです。しかし近年、その手法が飛躍的な進化を遂げています。それがSEM(Strategic Enrollment Management/戦略的受験者管理システム)です。SEMは、従来の受験者管理の手法をコンピューターで拡張し、より幅広い観点から効率的に受験生を評価するシステムです。2008年頃から全米の大学で急速に普及し、今では州立・私立を問わず、ほとんどの大学で導入されています。

SEMの評価方法はカテゴリーで生徒を選抜

では、SEMがどう学生を評価するのか見てみましょう。
 
SEMは、まず受験生の情報を分析することから始まります。大学の願書は、今ではほとんどオンラインで提出され、受験生の個人情報はすべて大学のコンピューターシステムに入力されます。高校の成績やSAT等のテストスコアから、提出されたエッセイや推薦状の評価まで、学生に関するあらゆる情報がコンピューターで管理されます。
 
次に、受験生をさまざまな指標に基づいて分析します。指標の数は大学によって異なりますが、80から100に上ると言われています。その分析に基づいて、受験生は複数のカテゴリーに分類されます。
カテゴリーの分け方は大学で異なりますが、細分化される傾向にあります。受験生はそれぞれのカテゴリーの中で評価、ランク付けされ、カテゴリーごとに合格者が決定するのです。そのカテゴリーで何人の合格者を選ぶかも、SEMの仕事です。そして、「カテゴリーごとに選んだ学生を集めることで、大学が目指す学生構成を実現する」、これがSEMの考え方なのです。
 
学生の評価だけではありません。SEMは、大学のコスト削減にも大いに貢献しています。大学にとって、優秀な学生を獲得することはとても大切ですが、同時に学生獲得にかかるコストの抑制も重要課題です。その点SEMは、学生の評価時のアドミッションコストを抑えると共に、奨学金の効果的な活用法も提示してくれます。例えば、学生に合格通知を出す際、その学生に実際に入学してもらうためには奨学金をいくら提示すべきか、というアドバイスも示すのです。

 

SEMの基本対応は自分の強みのアピール

では、具体的に受験生にどのような影響があり、どう対応すべきなのでしょうか。
 
SEMを導入すると、特定の分野に秀でる学生が高く評価される傾向があります。反対に、日々の学習や課外活動に真面目に取り組み、一定の成果を上げている学生の中には、バランスの取れた魅力的な受験生であるにもかかわらず、SEMではどのカテゴリーでも上位にならず、アドミッションで不利になる場合があります。
このため、SEMは努力している一般の学生を正当に評価しない不公平なシステムだと考える人もいますが、必ずしもそうではありません。SEMは、特筆すべき能力を持ったスーパーマンを評価するシステムではなく、学生が持つさまざまな強みや魅力を定量評価するシステムなのです。
 
誰でも、他の人より優れた面を持っています。例えば、真面目に努力できることや、さまざまな活動に取り組めることだって、素晴らしい能力です。大事なことは、その自分の強みをSEMにきちんと評価させることです。そのための手段が、アプリケーションのエッセイです。アドミッションがいくらコンピューター化しても、エッセイを読んで受験生の人物評価をし、その結果をSEMに入力するのは人間です。エッセイを通じて自分の魅力をアドミッション担当者にきちんと伝えましょう。そうすれば自分を高く評価してくれる大学がきっと見つかるはずです。
 
(2011年11月16日号掲載)

アメリカの大学には、どんな種類と役割がある?

リベラルアーツ・カレッジ人気の高まりとその利点

大学のアドミッションの変化については前回お話しましたが、学生が大学を選ぶポイントにも変化が見られます。アメリカでは特にここ最近、「リベラルアーツ・カレッジ」を希望する学生が増えています。
 
リベラルアーツ・カレッジとは、ひと言で言うと「学部の教育を重視している大学」です。特定の職業に直結する専門知識や技術の会得よりも、幅広い教養を身に付けることを重視した教育を行い、将来さまざまな分野で活躍できる人材を育てます。リベラルアーツ・カレッジの大半は、小規模な私立大学です。カリフォルニアでは、比較的学力の高い学生でも州立大学志向が強く、最近までリベラルアーツ・カレッジを希望する学生は限られていました。
 
ところが、授業料の高騰や教育の質の低下など、州立大学の問題点がメディアで取り上げられるようになると、私立大学に目を向ける学生が増え、それに伴いリベラルアーツ・カレッジへの注目も高まってきました。
 
州立大学や大規模私立大学のように、数多くの学部を有し、大学院レベルの教育にも力を入れている大学は「総合大学」と呼ばれています。総合大学の特長は、多くの学部や専攻を有することです。また、さまざまな実験設備や、運動場などの施設の充実も、大規模大学ならではと言えます。
 
これに対して、リベラルアーツ・カレッジの最大のメリットは、きめ細かいサポートです。少人数のクラスで指導が受けられることの価値は、1クラス200人の教室で講義を聞くのと、1クラス20人の教室で議論しながら理解を深めるのとの違いを想像すれば、容易に理解できます。
 
また、リベラルアーツ・カレッジでは、各学生に進路カウンセラーが付き、授業の履修方法から専攻の選び方、将来の進路に至るまで、親身になって相談に乗ってもらえます。自分にぴったりの専攻がない場合は、新たに専攻を作ってもらうこともできます。

アメリカの高等教育を支えてきた私立大学

アメリカの高等教育を牽引してきたのは、私立大学だと言われています。実際に、アメリカの大学の歴史は私立大学から始まりました。例えば、ハーバード大学は1636年設立で、アメリカ建国の140年も前です。
 
アメリカの私立大学は、より質の高い教育を求める市民の声に応えながら進化してきました。その過程で、数多くのリベラルアーツ・カレッジが誕生しました。そして、私立大学だけではカバーできない幅広い層に教育を提供するために、各地に州立大学が作られました。

スクールカウンセラー不足の影響とは?

私立大学には教育の質や学生のサポート等で大きなメリットがありますが、すべての学生が私立大学を目指しているわけではありません。むしろ、州立大学しか受けないという学生の方が多いくらいです。その最大の原因は、私立大学を受けるのに必要なサポートを、高校で受けられていないことが挙げられます。
 
私立大学進学には、より複雑なアドミッションやファイナンシャルエイドへの対応が必要ですが、これは簡単な作業ではありません。高校生にとって、進学準備の相談相手は学校のスクールカウンセラーですが、そのカウンセラーが大幅に不足しています。
 
2008年度の調査によると、全米の公立高校では、1人のスクールカウンセラーが、平均457人の生徒を担当しています。一方、カリフォルニア州は、全米最悪の814人。カウンセラーが生徒のニーズに個別対応できるのは150人くらいが限度ですから、カウンセラーが私立大進学をサポートをするのはほとんど不可能です。私立大学を受けるためには、学校のサポートに頼ることなく、独自に準備を進めることが不可欠と言えます。
 
(2011年10月16日掲載)

日本の将来を支える子供たち

将来のキャリアステップであるアメリカ大学進学について、
教育コンサルタントが解説します。

海外で学ぶ子供たちが日本を救う

これからライトハウス誌面で、アメリカで学ぶ子供たちの進学や進路に関わるさまざまな話題を取り上げていきたいと思います。   
日本の若者の内向き姿勢が顕著になっているとよく言われます。実際に内向き姿勢を示す調査結果もあり、例えば、日本からアメリカに来る留学生の数はここ5年間で4割以上減っています。もちろんアメリカだけが留学先ではありませんが、同期間に韓国やインドからの留学生が3割以上増え、中国からの留学生は倍以上に増えていることと比較すると、国際化が進むアジアの潮流に逆行しているように感じられます。
 
少子高齢化が進み国内市場が飽和する中で、日本の企業が生き残るためにはグローバル化が不可欠です。しかし、そのグローバル化を支える人材が育たないことに、日本の産業界は危機感を持っています。2010年にノーベル化学賞を受賞した根岸栄一さんも、日本の若者に対して積極的な海外修業を呼びかけています。
 
アメリカで子育てをしている日本人家庭では、日本人の国内志向という問題があまりピンと来ないかもしれません。それもそのはずです。子供たちは、日米2つの言語を操り、2つの文化に接しています。第3の言語を学ぶ生徒も少なくありません。子供たちは、無意識のうちに国際感覚を身に付け、国際社会へ目を向けています。
 
私が海外で暮らす日本の子供たちと接して感じることは、皆日本に対する思いがとても強いということです。日頃日本に住んでいないからこそ、日本への憧れが増すのかもしれません。また、日本を外から見ることで、日本のために役に立ちたいという気持ちが強くなるのかもしれません。日本から来て間もない人や日本に住んだことのない人など、子供たちの日本とのつながりはさまざまですが、日本に住んでいる子供たち以上に日本を大切にしていることが、とても強く感じられます。
 
このように、国際感覚に富み、日本を愛する子供たちの中から、将来日本で活躍し、日本の社会や経済を支える人材が数多く生まれてくるはずです。グローバル化を目指す日本の産業界においては、海外から日本に学びに来る外国人留学生と共に、海外で学んだ後日本に戻って来る日本人学生の活躍の機会は限りなく広がっています。日本の若者の内向きな姿勢は、逆に海外で学ぶ日本の子供たちにチャンスをもたらしていると考えられるかもしれません。

将来日本を支える子供たちへの支援

海外で学ぶ日本の子供たちを支援するために、文部科学省では海外子女教育のための施策を行っていますが、将来の日本を支える子供たちを育てるという点において、十分な支援が行われているとは言えません。その理由のひとつとして、文科省の施策が主として海外に駐在する日本人家庭を対象としていることが挙げられます。つまり、海外に永住している家庭や日本国籍以外の子供たちは、基本的に支援の対象となっていないのです。
 
今年3月の東日本大震災後、アメリカ各地の現地校や補習授業校では、被災地の子供のために募金活動をしたり、千羽鶴を折ったり、励ましの手紙や絵を送ったりなど、さまざまな活動が行われました。震災で被害を受けた子供たちは自分の仲間であり、その仲間のために何かしてあげたいという気持ちが、生徒の自発的な行動となって表れました。
このような活動をした生徒には、当然ながら永住家庭の子供も数多く含まれています。日本のために貢献したいと考える子供たちにとって、滞在の形態や国籍の枠はまったく関係ないのです。
  
日本政府には「駐在家庭は日本に戻るから支援するが、永住家庭は日本とのつながりがなくなるので支援しない」という短絡的な発想ではなく、将来の日本を支える子供たちを育成するという視点での、戦略的な支援が望まれます。そのためには、私を含め海外で日本の子供たちの育成に関わる者が、日本政府に対して具体的にどのような支援が必要なのかきちんと伝えていくことが大切だと考えています。
 
(2011年10月16日掲載)

アミドッションを取り巻く環境の変化

将来のキャリアステップであるアメリカ大学進学について、教育コンサルタントが解説します。

複雑な大学のアドミッション

「アメリカの大学の入学審査は複雑でわかりにくい」とよく言われます。「ハイスクールの成績が重要なのはわかるが、それ以外にもSATなどのテストのスコアが必要だったり、またボランティアや音楽、スポーツなどの課外活動も評価されるらしい。ぜ日本のように、わかりやすい入試にならないのか」。このようなご質問を受けることがよくあります。
 
日本とアメリカで入学審査が大きく異なる理由は、そもそも日米の大学で学生の評価の基準が根本的に異なるからです。例えば、日本の大学では、「今、優秀な学生」が高く評価されます。もっと正確に言えば、高校卒業時点において、特定の形式の入学試験でより高い得点を取った学生が評価されます。
 
一方アメリカの大学では、「今、優秀な学生」ではなく、「将来伸びる学生」が評価されます。つまり、現時点の点数ではなく、将来のポテンシャルを評価するのです。もちろん、今の高い学力が、将来さらに飛躍するために役に立つと考えられるため、現時点で優秀であることは重要です。しかしそれ以上に、今後どこまで伸びる可能性を秘めているのかがポイントとなるわけです。
 
では、なぜアメリカの大学は、学生の将来性を重要視するのでしょうか。それは、卒業生が社会で活躍することが、大学にとって最もありがたいことだからです。卒業生がさまざまな分野で活躍することで、その大学の名声が高まり、目指す学生が増えます。アメリカの大学の卒業生の多くは、出身大学に寄付などの貢献をしますが、社会で成功する卒業生が増えれば、その分大学への寄付金も増え、大学経営を支える基金が潤います。つまり、大学が長期的な繁栄を目指す上で、卒業生が社会で活躍することが最も重要であり、そのためにも、将来性の高い学生の集団を創り上げることが必要なのです。

学生のポテンシャルを見極める

では、大学はどのように学生のポテンシャルを見極めているのでしょう。これは大きなチャレンジであり、各大学は長年にわたりさまざまな方法で学生の将来性を評価してきました。例えば、多くの大学がアドミッションでSATを採用していますが、これは、SATが学生のポテンシャルを評価するのに適したテストだと考えられてきたからです。
 
最近はSATを要求する大学が減少傾向にあり、代わりにエッセイを重要視する大学が増えています。これも学生のポテンシャルをより適切に評価したいという大学の意向が反映された結果です。長年にわたる調査から、学生のSATのスコアと入学後の成果の相関関係があまり強くないことが明らかになるにつれて、エッセイを通じてしっかり人物評価をすることが、学生の将来性を判断する上でより効果的であるとの認識が高まりました。
 
このように、大学が学生のポテンシャルをより的確に評価しようと工夫を凝らしていることが、アメリカの大学のアドミッションを複雑にしている最大の理由です。アメリカの大学のアドミッションの歴史は、学生のポテンシャルを見極めるための、試行錯誤の歴史と言えるでしょう。

変わり続けるアドミッション

しかし、大学が学生を選ぶ基準は、ポテンシャルだけではありません。各大学には理想の大学像があり、その大学像を創り上げるために、学生の構成を考えながら戦略的に学生を選んでいます。その基準は多岐にわたっていますが、中でも近年注目されているのが「多様性」です。例えば、女子学生の比率の高い大学では男子学生を優遇したり、特定の人種に偏っている大学では、それ以外の人種を優遇するなど、より積極的に行われるようになってきました。つまり、目指す大学像が変われば、それに伴ってアドミッションも変わっていくということです。
 
アドミッションにとってもう一つ重要なポイントは「お金」です。2008年の金融危機以降、各大学は、限られた運営予算の中で、欲しい学生をいかに効率的に獲得していくかということに注力してきました。奨学金についても、経済的なニーズのある学生全員にばらまくという大学は減少傾向にあり、逆に欲しい学生を取ることを目的とし、戦略的に資金を投じる大学が増えています。
 
このように、アドミッションが絶えず変化し続ける中で、学生にとって大切なことは、アドミッションの変化にむやみに振り回されないことです。自分が行きたい大学に入るためにはどうしたら良いかを考えることはもちろん重要ですが、そこに固執し過ぎると、自分を無理に大学に合わせようとして、結果的に自分を見失ってしまう恐れがあります。それよりも、自分の良い面や優れている点をアドミッションにしっかり示した上で、「自分を最も高く評価してくれる大学に行こう」というフレキシブルな考え方が大切です。
 
(2011年9月16日掲載)

シンガーソングライター・作家 / さだまさし


自分のことを好きになったり嫌いになったり 何度もぐるぐる回ってみんな生きているんだよ

繊細で率直、かつ叙情的な歌詞を、高音の美声で歌うさだまさしさん。軽快な話術とユニークなキャラクターで観客を魅了するさださんだが、実は17歳でノイローゼになった過去を持つ。歌手として華々しく活躍するその裏側にも、自分の存在意義を模索し続ける17歳の自分の姿が常にあった。今、彼の背中を押すものは「日本を良い国にしたい」という思い。現代日本が抱える問題は、言葉の使い方にキーワードがあると指摘する。そんなさださんに、昨年10月のロサンゼルス公演終了直後に話を聞いた。

言葉を素直に発すると 相手も素直に反応する

最近の日本人は、言葉使いが上手じゃない。それが、日本の崩壊にもつながっていると思いますね。日本語を「話せない」「聞けない」人が多いから、互いの間に軋轢が生まれる。ちょっとの言葉に自分の思いをギュッと詰め込もうとするから、どんどん言葉数が減ってきて、挙げ句の果てに言葉が記号化しちゃう。

 

僕はね、世の中に作品を出すからには、世の中を象徴するものであるべきだと思っています。同時に、批判であれ賛同であれ、自分が何に感動し、何に苛立っているのかも素直に表現しなければなりません。だからコンサートのトークでも、僕は思っていることを率直に話します。もちろん、僕の言うことに納得する方もいれば、反発する方もいます。でもね、大切なのはまず自分から相手に何かを素直に投げ込むってこと。そうしたら相手も「おっ、投げ込まれたっ」って、素直に投げ返してくる。どうでもいい話ならしなきゃいいし、どうでもいい歌なら歌わなきゃいい。そうやって自分の思いを素直に出すと、相手の言うことも素直に聞けるんだよ。それとね、イヤホンで音楽を聴いている最近の若者を見ると、かわいそうだなって思っちゃう。あれは「音楽を聴く」のではなく、「外部とのコミュニケーションを断つ」というサインだからね。

 

昔、僕の歌は暗いと言われた時期がありました。でも音楽って、本来明るいとか暗いっていうもんじゃなくて、もっと柔軟に聴くべきもの。第一、明るい歌って心を打たないじゃない(笑)。

僕は、好きなアーティストを聴く時は、必ず落ち込んでいる時。ウェットな感じが好きなんだよね。だからと言って、いくらステキな音楽でも垂れ流しは大嫌い。例えば、雄大な太平洋に臨む犬吠埼の絶景に立った時、どこからともなく静かな環境音楽が聞こえてきたりするとどう思う? 僕は無性に腹が立つんだよね。「なぜここに音楽がいるんだ」って。人間の生活って、元々色んな音楽に満たされています。風の音、空の音、海の音に人の息づかい…。そこに人工的な音をはめようとすることに、とても耐えられないんです。

自分に振りかかる問題を 丸投げにした17歳

僕は17歳の時に、ちょっとしたノイローゼにかかって、3歳から続けていたバイオリンを止めました。その不安定な自分にどう対応したかというと、大きな紙に自分の怒りや悩み、不安を全部書き出すんです。思い付いたことをすべてね。翌日、まだ覚えていることがあったら、また書き尽くす。これを毎日続けました。すると、書くことがどんどん減ってくる。で、最終的に残るのが「何のために生きているのか」という哲学的な悩み。でもそんなこと、17歳の少年に分かるわけがない。で、思ったんです。45歳までは、自分に振りかかる問題を全部丸投げしようって。何があっても気にしないって。でも45歳になったら、きちんと自分の意見を発言できるようになるぞ、そのために頑張っていくぞって決めました。

今思えば、若い頃に作った曲は、45歳の自分に宛てた手紙みたいなもの。だから20代前半で作った『秋桜』や『雨やどり』は、56歳で歌っても照れくさくないし、恥ずかしくもない。逆に、今作る楽曲の方が若々しいかも知れない。だって、今度は僕が、17歳の自分に返事を書く番だからね。ほら、17歳って切実に高い次元の自分を求めちゃうじゃない。いつもダメな自分に苛立っているというか。もちろん、当時の自分に「これで良いんだよ」って言うにはまだ早いけど、同じことをひと筋にやって来たことに関しては「よくやった」と言ってあげたい。そして、その頃の自分をもう許してあげてもいいかなって思いますね。

僕の歌や小説の基盤になっているのは、17歳の頃に抱いた「何のために生きているのか」という問い。僕は、苦しむことを前提に生きているから、人生から悩みや苦しみがなくならないと思っています。でもやっぱり、苦しみながら苦しむのはつらいから、楽しみながら苦しもうって思います。僕は煮詰まった時、心の中では冷や汗をかいていても、「どうにかしちゃおうっ!」て、どうにかしちゃう。すると壁が1つ破れるから、また困難にぶち当たっても、「大丈夫」って思う。世の中には、生き生きしている人がいっぱいいるけど、それはみんな、楽しみながら苦しんでいるから。本当は楽しめないんだけど、苦しみに立ち向かってエネルギーを発散させている。そういう姿を歌っていきたいね。

僕にはまだ、完成したっていう実感がありません。何でもやればやるほど難しくなるし、書けば書くほど書けなくなる。進歩っていつも螺旋状に進むから、周りから見ると同じ所をぐるぐる回っているようにしか見えないかもしれません。でも、テーゼとアンチテーゼをぐるぐる回って、ちょっとでも前より良くなっていればいいじゃない。自分のことを好きになったり嫌いになったり、何度も何度もぐるぐる回ってみんな生きているんですよ。

日本を良い国にしたい そのために僕は頑張る

海外で暮らす日本人の方には、頭が下がりますね。ロサンゼルスは、僕が24歳の頃にレコーディングで1カ月ほど暮らした青春の街。でも、その街で暮らせるかって聞かれたら、答えは「無理」ですね。自分の拠り所を見つけるのがとっても難しいから。プライドを持ち続けなきゃいけないし、差別とも戦わなければいけない。言葉の壁も文化の壁も、日本ではぶち当たらない障壁を乗り越えなきゃいけない。

以前、サンタモニカ辺りだったかな、海辺にある日系人墓地にお参りしたことがあるんです。そこではね、みんな海の方を向いて墓石が建っている。それを見た時、僕は胸が詰まりました。「死んでまで日本を見つめてくれている人たちがいるんだ」って。でもそれと同時に、「オレたち日本に住む日本人はどこを見てるんだ!」とも思いましたね。今でこそ日本人の印象は良いけど、それは海外で暮らした日本人の先人が、誠実に、プライドを持って、歯を食いしばって、耐えてきた血と汗の賜物。ハワイもロサンゼルスも、そういった方の礎があるから、日本人はアメリカで居場所を獲得できた。でも、日本人がもっと愛され、もっと尊敬されるためには、これからは本国がしっかりしなきゃダメ。だから僕は日本を、海外で暮らす日本人の方に恥じない国にしたい。そして世界の人が、「日本人だから信用できる」って思ってくれるような国にしたいんだよ。その思いを大切にしながら、僕は生きています。日本が良い国になるように、一生懸命僕頑張りますから、皆さんも、辛いこともあるでしょうが頑張ってください。

さだ・まさし●1952年、長崎県生まれ。72年に吉田昌美と2人組のフォークデュオ「グレープ」を結成。74年のセカンドシングル『精霊流し』が大ヒットし、全国区で有名になる。76年のグレープ解散後にソロ活動を開始。『雨やどり』『関白宣言』『北の国から』など、続々とヒットを飛ばす。叙情的かつ文学的な歌詞の世界は、彼独自のものとして定評がある。また2008年3月現在、日本で最も多くのソロ・コンサートを行った歌手で、その回数は3500回を越えた。近年は作家としても活動しており、児童文学書、長・短編小説、エッセイなどを精力的に執筆。08年5月には4作目の小説『茨の木』を出版した。www.sada.co.jp

 
(2009年1月1日号掲載)

シリコンバレー5泊7日間研修ツアーのご案内

※2019年度のシリコンバレー研修ツアーの開催が決定しました!

 

シリコンバレーで学ぶ1週間ツアー/グローバル交流 × ITプログラムに挑戦!

シリコンバレーってどんなとこ?

みなさんは日常生活でFacebook、google、Yahoo!を使うことありませんか?この大手企業の本社は、なんと全て《シリコンバレー》にあるんです。他にもAppleなど、シリコンバレーでは最先端をいくハイテク企業が多数!テクノロジーに興味がある方、起業してみたい方は一度は訪れるべき場所です。さらに、パブリックスペースを見学することもできるので観光地としても賑わいがあります。

 

 

なぜシリコンバレーで研修ツアー?

シリコンバレーには、新しいビジネス・テクノロジーや、起業家をサポートする仕組み『エコシステム』が存在します。そのため、世界中から超一流の人材・テクノロジーが集まる場所として注目されています。
 
※エコシステム…自由な発想+新しい働き方+失敗を恐れない=イノベーション
世界トップクラスの環境で①起業家、エンジニア、②投資家、③大手IT起業、④サポート機関など、起業を目指す人にチャンスを与えてくれる仕組み。

 

この研修プログラムでは、現地に行くことでよりリアルにシリコンバレーを感じることができ、実際にシリコンバレーで活躍されている方達の話を聞くセミナーもプログラムに用意しています。社会人との交流&プレゼンテーションの場もあるので、コミュニケーション能力を発揮することもできます。さらに、サンフランシスコの観光もあるので、新しくできた仲間とさらに絆を深められるはず!

  

シリコンバレー研修ツアーのメリット!

①イノベーションの聖地シリコンバレーで『?』→『わかる!発見!』に。

「シリコンバレーって言葉は聞いたことあるけど、、、詳しいことはわからない」という方でも大丈夫!シリコンバレーの歴史から、なぜこのエリアからイノベーションが創出され続けるのか、実際に体験型研修(講演、現地訪問)を通じて、理解を深めていきます。

 

②あらゆる分野で活躍される一流の人・企業と出会える!

まだ自分の未来がはっきりと決まっていない方は、多様性を重視するシリコンバレーで様々な価値観に巡り合うことで、新たな刺激を得られます。

③全国各地から集まった大学生・仲間との交流♪

異なるバックグラウンドを持つ日本人学生が全国からシリコンバレーに集結!新しくできた仲間とディスカッションの時間もあるので、お互いの発見を共有することも!

 

★★こんな人におすすめ★★

□ 将来、起業家やエンジニアになりたい。
□ 海外で働くことに興味がある。
□ シリコンバレーが具体的にどんなところか詳しく知りたい。
□ アメリカで活躍するビジネスマンや学生に出会ってみたい。
□ コミュニケーション能力をあげたい。
□ 1人でシリコンバレーにいくのはちょっと不安。

 

 

シリコンバレーITビジネス研修ツアーの内容

①『エコシステム』イノベータサミット

※イノベーターサミット…ベンチャー、起業家など革新者のことを指します。
今現在、シリコンバレーで活躍する起業家・エンジニアをゲストに呼びます。彼らのシリコンバレーとの関わりを実体験を元にお話いただきます。また、シリコンバレーには欠かせない『エコシステム』の体系についても、ここで理解を深めることができます。
※ゲストは英語スピーカーとなりますので日本語通訳が入ります。
 
過去のゲストスピーカー例
 
Tomasz Kolodziejak氏(新規事業開発ヴァイス・プレジデント)
●会社名:Ario(アリオ)
●紹介
2013年にクラウドファンディンサイト、Kickstarterで始まり世界中のメディアで取り上げられたスマート・アイマスク(Neuroon)の創設者兼元CFO。ホテルや航空会社との大型契約を結んだ手腕&IoT業界に対する知識を買われArioへ入社。現在は学生寮・病院など企業間取引にフォーカスした事業開発を行っている。

Sal Sarosh氏(創設者兼CEO)
●会社名:CrowdPlat(クラウドプラット)
●紹介
アメリカで20年以上のビジネス&ITの経験がある起業家。HPやsalesforce等でマネージャー職を歴任した後、クラウドプラットを起業。シリコンバレーにある著名なアクセラレータ「500 Startups」の出資により誕生した。また、コロンビア大学でコンピュータサイエンスを専攻、UCバークレーでMBA取得。

 

②ロンドンブーツ田村淳さんも過去にイベントを開催!!
『インキュベート施設』プラグ・アンド・プレイ(Plug & Play)を訪問

新事業を開始したばかりの企業を支援するインキュベート施設。安価な家賃で入居できることもあり、起業家はここで新たな発想、事業を展開していきます。
 
特にPlug & Playは各国の首相や大臣なども見学に訪れるほど注目されています。今、P&Pには世界中からの300社以上もの企業/団体が入居。日本人ITビジネスコンサルタントが、シリコンバレーの歴史や業界の成り立ち、そして現状をわかりやすく説明した後、施設をご案内します。

そして!!
ここPlug & Play はBSジャパン【田村淳のBUSINESS BASIC】で2016年に取り上げられました!
 
ロンドンブーツの田村淳さんはシリコンバレーで有名企業を訪問。番組では特別企画として、『田村淳がシリコンバレーとつながる日』と題したパネルトークをPlug & Playで開催!有名起業家たちがなぜシリコンバレーにきたのか等、シリコンバレーの魅力を語りました。

 

③シリコンバレーを体現する、新進スタートアップ企業ファウンダー(創業者)による講演

ベンチャー企業ファウンダーから、まだ発展途上の新たなイノベーションを世に送り出す想い、苦労等の実体験などをお話し頂きます。

 

④スタンフォード大学へ訪問&キャンパスツアー!

ニュース誌TIMEが選ぶ【世界トップ大学】でハーバード大学に次いで2位に選ばれたスタンフォード大学のキャンパスに訪問します!HP創設者やグーグルの創設者ラリー・ペイジなど数々の起業家を輩出しているスタンフォード大学は産学連携の体現者でもあり、実際に大学訪問することによりアメリカの学びの環境を体感できます。
 
スタンフォード大に通う日本人学生によるキャンパスツアーも。大学の歴史を伝えてもらいながら、キャンパスを巡っていきます。ランチもスタンフォード大の学食でいただくため、アメリカで学生になった気分に♪
 
その後は、ブックストアへいきます。ブックストアと聞くと本屋のイメージですが、スタンフォード大学ではお土産の購入もできます。大学の限定グッズもここでGET!

 

⑤グローバルディスカッション《学生フォーラム》

この研修プログラムに参加学生と、現地で学ぶ日本人留学生や外国人学生の仲間達とディスカッション。学校生活や部活動、キャリア・職業観、また将来の自分像などについて互いに語り合い、異文化交流を行います。同年代の学生から、日本とは異なる考え方に出会えるかも!

 

⑥アメリカで活躍する日本人とディスカッション《社会人フォーラム》

現在シリコンバレーで活躍される社会人の方を囲み、研修生がそれぞれのキャリアに対する考え方、将来の夢を語り合います。アメリカで働く様々な業種・職種におけるビジネスパーソンの経験談から、多くのことを学ぶことができます。
 
ディスカッション形式は、8名の学生に1名のビジネスマンがつき、20分単位でローテーションとなります。アメリカで働くことに興味がある人は、アメリカの社会の『ホンネ』を知ることができるはず!ここでは、どんどん質門してください!

 

⑦有名IT企業&業界周辺企業を見学

IT業界に関心のある学生にとっては聖地とも言えるIntel (博物館), Google, Yahoo , Apple 、などを有名企業を見学します。
 
※基本はパブリックスペースの見学です。

 

⑧世界トップクラスの『コンピュータ歴史博物館』へ

コンピュータの歴史を触れて・見て学ぶことができる博物館!コンピュータではなく、計算機から歴史を辿ります。中には触れることができる展示品もあるので、貴重な体験になります。さらに、コンピュータゲームエリアではビデオゲームやパックマンなど遊べる空間も。コンピュータチップの技術も知ることができ、コンピュータの歴史を丁寧にみていきます。

 

⑨ 6日間の学びをプレゼンテーション

学びあったことを共感する場になります。グループ単位で振り返り、《チームワーク力・コミュニケーション力・プレゼン力》の3つのスキルを駆使しテーマに基づいた発表をします。こちらのテーマは事前にお伝えするので、各グループで事前準備をして全体へプレゼンテーション!

 

⑩美しい街並み、世界のエネルギーを体感《サンフランシスコ観光》

サンフランシスコでは、ゴールデンゲート・ブリッジ、ケーブル・カー、フィッシャーマンズ・ワーフなど観光スポット巡りをします。参加した仲間とサンフランシスコで思い出づくりも。日本人スタッフも同行するので、安心して観光いただけます。

 

 

シリコンバレー研修ツアーに参加したみなさんの声

・P&Pで支援をしている方と利用している方の双方の話を聴くことで、どのような場所なのか実際に何の役に立っているのか知ることができた。
・同じ年代の人が留学に至った過程や強い思いに触れられてとても刺激になりました。
・今後の学生生活や就職活動や就職の際の目標や道筋が見えてきたのでとても自分のためになった。
など、去年開催して大好評のシリコンバレー研修ツアー!テクノロジーを学びつつ、同学年・社会人の方たちと交流することで将来につながる出来事になった先輩も!

 

研修ツアーについてのよくあるご質問

Q1. 英語力は必要ですか?
A1. 研修ツアー実施中、基本的には弊社スタッフが通訳しますが、訪れる場所の情報収集はしておいたほうが、より充実した見学となります。
 
Q2. 治安は大丈夫ですか?
A2. 本ツアーでの滞在先はアジア人が多く住むミルピタスというエリアになり、比較的治安は良いとされています。研修ツアー中は基本団体行動なので問題ありません。
 
Q3. 現地での費用はどれぐらい必要ですか?
A3. 昼食にかかる費用:4回$15×4、夕食にかかる費用:5回$20×5=$160、これに加えて各自お土産代などを足した額が平均的です。
 
Q4. ツアー参加中、自由時間はありますか?
A4. はい。基本的に夕刻以降は自由時間となります。ホテル近くにショッピングモールがあり、過去の学生さんはウーバーなどを使って行動されています。
 
Q5. このツアーには誰でも参加できますか?
A5. はい。どなたでも参加可能です。文系・理系も問いません。

 

シリコンバレーITビジネス研修研修ツアー概要・申込要項

2017年夏(実施済み)のスケジュールです。参考までにご覧ください。※タップで拡大表示
 
日程:8月の下旬~5泊7日
滞在先ホテル:5泊 Embassy Suites Milpitas ※3名1部屋にてご利用頂きます。
添乗員:日本からの添乗員は同行しませんが、アメリカ滞在中は現地日本人スタッフが同行いたします。
応募締め切り:7月末
応募資格:日本の大学に通う大学生/短大生/専門学校生、事前の説明会への参加必須(4月~5月開催予定)
参加費目安:約1,900 USドル

為替レート別参考金額(円)
$1=¥105の場合、約199,500円
$1=¥110の場合、約209,000円
$1=¥115の場合、約218,500円

研修ツアー参加費用に含まれるもの:
現地コーディネート費用…宿泊費、滞在中の移動、ガイドおよび通訳、視察訪問箇所への手配・謝礼、入場料、毎朝食
 
参加費用に含まれないもの:日本/サンフランシスコ間航空運賃、日本国内移動費、特別燃油サーチャージ、出入国諸費用、空港保安税などの航空券発券に付随する費用、海外旅行者保険、プログラム期間中の傷害、疾病に関する医療費、電話代などの個人的費用、滞在中の昼食/夕食(記載されているもの以外)

 

※より長期間に渡って(12ヶ月~18ヶ月)アメリカで研修・滞在をご希望される場合は、アメリカのJ-1ビザインターンシップがおすすめです。「サンフランシスコでのJ-1ビザインターンの体験談」などもあわせてご覧ください。

女優 / 美元

結婚が自分の心のゆとりになって仕事もプライベートも充実する気がします

俳優の高嶋政伸さんと2008年8月に東京・帝国ホテルで式を挙げた女優の美元さん。日本人の父と韓国人の母の間に生まれ、ミス・ユニバース日本代表の準グランプリをきっかけに、グローバルな視点を持って、モデルとして、また女優として活躍してきた。「ロサンゼルスには人生の節目で呼ばれる」と言う美元さん。結婚指輪を作るためにロサンゼルスに訪れた際に、仕事のこと、結婚のこと、将来の夢を語ってもらった。

ミス・ユニバースで 物の見方が世界基準に

幼少の頃から、モデルに憧れていました。私が9歳の時に他界した母が、結婚前にモデルを夢見ていたことも、この世界を目指した大きな要因の1つかもしれません。

 

大きな転機は、20歳の時のミス・ユニバース大会。高校2年生の時、進路を迷い、海外で暮らしてみたいと思い始めていました。父はそれを許してくれたのですが、「費用は自分で出しなさい」と。そこで高校を中退して、1年半で500万円を目標に派遣社員やアルバイトをして、必死に貯金を始めました。そして、目標を達成した時にふと目にしたのが「賞金100万円」という、ある企業のイメージガールの募集要項。「これがあったら、現地で楽ができるのでは」と、勢いで受けた審査会場で、ミス・ユニバースに推薦してくださる方と出会いました。

 

残念ながらミス・ユニバースは賞金はなかった(笑)のですが、母が出場を夢見ていたと聞いたことがあったので、迷わず挑戦しました。天国の母が喜んでくれることだけを考えていたので、優勝争いはまったく念頭になく、一番のんきな出場者だったと思います。

 

ミス・ユニバース受賞後は、各国の大使や各種メゾンの方など、諸外国の方々と触れ合う機会に恵まれました。あるパーティーで、香港のアクションスターのサモハン・キンポーさんと出会い、アジア人の女優を探していたプロデューサーの方をご紹介いただいたのが、最初にロサンゼルスに来たきっかけです。

 

当時は英語も片言で、何しろ物心付いてから初めての海外だったので、本当に不安でした。ロサンゼルスではホームステイをさせていただきながら、英語を勉強したり、サモハンの携わっているチャリティー活動に、一緒に従事させていただきました。

 

でも、その頃の私は女優にも憧れていましたが、モデルは今しかできないという思いの方が強く、滞在を3週間程で切り上げて、「パリコレに出るまで帰らない」と、フランスに行くことを決意しました。

 

そして、その目標を達成できた時、今度は世界中を見てみたいと思うようになりました。大学に行く代わりにモデルをしながら4年間世界を回ろうと、進学のための貯金を使って、まずはアジアから旅を始めました。同じアジアの中でも文化や生活習慣、国民性が違うことに驚きました。ロシアやベルギーなど、各国から集まっていたモデル仲間と一緒に暮らしたりもしました。

 

私は当初「モデルの仕事が好きだから、例えお金にならなくてもモデルができるだけでいい」と思っていました。でも、一緒に暮らしていた女の子たちは、10代にして家族を養うためにモデルをしていました。大きな仕事が決まると、「弟が学校に行けるよ」と、家族に報告。それを見て、自分がいかに贅沢な環境にいるのかを、痛感させられました。

 

20代前半の時に、他国の方々を身近に感じられる環境にいられたのは、本当に幸せだったと思います。結婚が決まった今、いつか自分が母親になることを、よりリアルに感じられるようになったからこそ、自分が見てきたことが、いつか子育てに役に立てられたらと思っています。

この人といれば大丈夫 いらない気負いが取れた

政伸さんとはドラマの共演をきっかけに出会いました。大韓航空機爆破事件を題材にしたフジテレビのドラマで、私が金賢姫さんを、政伸さんは外交官を演じました。

 

初めてお会いしたのは台本の読み合わせの時でした。でも、役作りに必死でひと目ぼれとか、政伸さんを個人的に意識できる余裕はありませんでした。私の母方の家族は、朝鮮が南北に分断される前に日本に移り住んだのですが、もしその時、日本ではなく北側に移り住んでいたとしたら、私の母がテロリストになっていたかもしれない。決して他人事ではない、という思いでドラマに取り組んでいました。

 

でも、政伸さんとのラストの山場のシーンでは、2人の中で何かがつながったように感じました。それは男女としてではなく、役者同士としてというか、戦友になったような。不思議な感覚でした。

 

政伸さんを異性として意識するようになったのは、撮影がすべて終わってからです。打ち上げの日に、政伸さんが帰り際に送ってくださって、そこで初めて2人でお話しする時間が持てました。その後、政伸さんが想いを伝えてくださったのですが、実は最初にお付き合いを申し込んでいただいた時は、即答できませんでした。交際するのは、結婚を意識できる方、と決めていたので、もう少しお時間をいただきたいと思ったのです。でも結局その後、結婚を決めるまで、2人でお会いしたのは、わずか5回程(笑)。
 

決心できたのは、ベトナム旅行も大きなきっかけかもしれません。友人と海外旅行を計画していた時、政伸さんがベトナムをすすめてくださいました。こと細かく教わった通りに旅をしてみたら、「こういう時間の過ごし方が楽しめる方なんだ」と、いつか一緒に旅をしたいと思うようになりました。

 

結婚後は、政伸さんに「帰りたい」と思ってもらえるような家庭を築きたいです。以前は結婚すると仕事や趣味を抑えなければならないのでは、と不安もありました。でも、役者の先輩である政伸さんとだったら、仕事も今まで以上に広がっていくように思えます。食にも旅にも詳しいので、趣味の世界も広がる。友人との時間も大切にしてくださる方なので、交友関係も広がっていく。今はまったく不安はありません。世界が2倍、3倍に拡大していくようにも感じています。

 

政伸さんは画面で観ていた以上に本当に「いい人」でした。何をやるにも真面目で、安易な近道をしないんです。周囲の方々を大切にして、1つ1つの決断が思慮深い。「政伸さんに従っていれば大丈夫」。これまで何でも自分で決めてきた私が、今まで感じたことのなかった心境になりました。その想いがいずれ自分のゆとりとなって、自然と仕事もプライベートも充実していくような気がします。

 

夢は母親になること。自分が今、両親に感じているように、私の子供にも想ってもらえるような親になりたいです。あとはとにかく健康でいること。「元気が1番、笑顔が2番、あとはおまけ」が父の口癖。孫を見られなかった母の分まで長生きしたいと思っています。

 

今までは日本と韓国、アジアと世界の架け橋になりたいという大きな目標がありました。でも、今はまず何より自分の家庭を大切に築くこと。そうしていけば、自ずと色々なことができるようになるのではと、発想が変わってきています。

 

「3年くらい経ったら新居を構えたい。それまでは世界中を一緒に旅して、それから子供を授かれたらいいね」とプロポーズの時に言ってくださった政伸さんの言葉に従って、いつかそんな流れに乗れたらいいなと思っています。

先日、私が食事の支払いを終えた政伸さんに「ごちそうさま」と言っていたのを友人に、「夫婦なのに?」と言われました。だんな様が支払ってくれて当たり前ではなく、きちんと感謝を言葉にしたいと思っています。「ごちそうさま」「ありがとう」、そのひと言があるだけで、家事が義務ではなく喜びになりました。ずっと感謝を「伝え合える夫婦」でいたいです!

みをん●1979年生まれ、東京都出身。日本人の父と韓国人の母を持つ。2000年度の準ミス・ユニバース・ジャパンを受賞。アジアを中心に、パリやLAなど10カ国以上でモデルとして活動する。05年、中国で開催された、MODEL LOOK世界大会で特別賞を受賞。07年9月公開の映画『M』(監督:廣木隆一、原作:馳星周)でヒロインを演じ、女優としてもデビュー。ウォーキング講師やライター、MCなど幅広く活動中。www.miwonkeito.com
 
(2009年1月1日号掲載)

ロサンゼルス×英語×子ども×教育の現場に触れる短期研修プログラム

アシスタントティーチャープログラムとは?

 

★プログラムの概要

ロサンゼルス郊外、サウスベイ地区の公立小学校で担任の先生のアシスタント業務を通してアメリカの教育現場を学ぶプログラムです。「人種のサラダボウル」と呼ばれ、多種多様な文化や価値観が共存するカリフォルニアで生活しながら、英語で子どもと交流しつつ、教育の「プロ」である担任の先生のアシスタントとしてアメリカの教育・子どもに対する接し方を学ぶことができます!現地の子どもと毎日一緒に過ごしながら、担任の先生のオリジナリティに溢れた授業にアシスタントティーチャーとして参加してみませんか?

★研修内容

現地公立小学校の担任の先生のアシスタント業務を担います。
 
例えば、教材作りのお手伝い、宿題や提出物の配布や回収、宿題の丸付けから始まり、手助けが必要な子どものサポート、図画工作の作品の展示、本の読み聞かせ、昼食時の補助、授業の見学、テストの監督、休み時間の監督、テストの丸つけ、などです。
 
過去の参加者の中には、子どもに折り紙を教えたい!日本の文化を紹介したい!と直接担任の先生に相談して授業の時間をもらったり、日本から事前準備して持ってきた展示物を飾ってもらい、子どもと仲良くなるきっかけを作ったりした方もいらっしゃいました。
 
受け身で先生からの指示を待つのではなく、自分から積極的に行動することが一番大切です!
 
 

★英語教育に関わる「2つのグローバル化」

言うまでもなく、日本人が海を渡り海外で働く機会は、以前に比べて飛躍的に増えました。海外に拠点を展開する、取引先をもつ、といった企業が増え、また企業だけでなくNPOやフリーランスなど、多様な海外との接点の持ち方がある今、日本人が英語を使って海外で活躍するシーンはますます増えていくでしょう。2020年の東京オリンピック開催も、こういう流れにさらに拍車をかけそうです。教育の業界でも、国際的な視野を持ち、日本を飛び出して海外の教育現場に立ったり、NPO、NGOなどに所属し国際的な教育問題に取り組んだりするなど、海外で活躍できる人材への期待が高まっています。
 
一方、さまざまな国から日本に来る外国人が増えるということもまた、グローバル化のもう1つの側面です。少子高齢化がますます進みお年寄りの割合が増えていく一方で、日本を支えなければならない働き手の人口が減っていく。そうすると、その働き手となってくる外国人の流入が増えていきます。このような外国にルーツを持つ子どもの増加に伴い、既に日本の教育現場では、異文化を理解し、多様な子どもたちへの指導・支援、周りの子どもへの指導を行うことのできる先生が求められるようになりつつあります。
 
当社のアシスタントティーチャープログラムでは、教育の業界において、日本人が海外で活躍する、日本国内に外国人を迎え入れる、その両方の側面から、グローバルに繋がる経験を得る機会を提供します。

●こんな人にオススメ!●
・将来先生になりたい
・教育に興味・関心がある
・子どもが好き
・アメリカの教育現場を見てみたい
・英語環境に飛び込んで英語を伸ばしたい
・海外でボランティアをしてみたい
・多種多様な文化に触れてみたい
・研修も頑張りたいし、アメリカンライフも楽しみたい

 

アシスタントティーチャープログラムの特徴

★アメリカの教育の現場を体験する

アメリカの小学校で教育の「プロ」である先生たちの授業のアシスタントとして教育現場を体験することが出来ます。
 
カリフォルニアの小学校では、「キンダーガーテン (日本で言う幼稚園年長クラス 5~6歳)」と「グレード 1~5 (小学校1年生~5年生)」が同じ敷地内で学んでいます。現地小学校の1日は、アメリカの国旗に向かって「忠誠の誓い」を皆で言うことから始まります。キンダーガーテンでは「読む・書く・聞く・話す」の基礎を学び、グレード1になると国語や算数などの教科ごとの授業が始まります。座学だけでは分からない教育の現場を体験することができます!
 
研修先となる現地小学校の例
・トーランス学校区: Hickory Elementary School, Walteria Elementary Schoolなど
・レドンドビーチ学校区: Beryl Heights Elementary School, Washington Elementary Schoolなど

 

★毎日が子どもとの交流

「人種のサラダボウル」であるロサンゼルスの現地小学校には、もちろん様々なバックグラウンドをもった子どもが通っており、彼らと交流できることが特徴です。授業時間に加え、休み時間や昼食時の補助など、彼らと一日の大半を共に過ごすことに加え、自ら折り紙を教えたり、日本の文化を紹介するなど積極的に行動することによって、日本とは異なる文化的背景をもった子どもとの距離が近づき、より仲良くなることもできます。
 
日本では移民や外国人労働者が年々増え続けています。日本の幼稚園や小学校にも日本人でない子どもの受け入れが今後増える可能性が大きい中、こういった経験が将来に役立つことは間違いありません。

 

★英語力を鍛える

日本の小学校では、2020年から小学校5,6年生で英語が正式教科となり、3,4年生では外国語活動を行うことが決まっています。また、私立の幼稚園では英語教育を取り入れているところが年々増えており、今や半数を超えているとも言われています。このように英語学習の低年齢化や英語に対する需要の拡大はますます進んでいるのです。
このアシスタントティーチャープログラムでは、もちろんクラス内言語も、コミュニケーションをとる方法も、全て英語になります。毎日子ども、先生たち、オフィススタッフ、保護者と英語で接することを通じて「生きた英語」「教育で使う英語」に触れ、学ぶチャンスに溢れています。

 

★日本人スタッフのサポートがあるから安心

海外に行くこと自体が初めてだから心配…研修先でも上手くやれるかな…病気になったらどうしよう…という方もご安心下さい。日本人スタッフがロサンゼルス到着から日本への帰国まで完全サポートします!
 
到着後、ロサンゼルスの空港にスタッフがお迎えにあがります。その後、プログラムのオリエンテーションを行い、カリフォルニアとロサンゼルスの概要・研修の心構え・必要書類の記入アシスト・初日の流れ・バスの乗り方などをレクチャーいたします。その後も、週一回の定期報告で皆さんの状況を把握し、緊急時には日本語でサポートします。

 

★放課後、休日はアメリカンライフを満喫!

研修はだいたい15:00~15:30くらいに終わるので、その後、夕食の時間まではフリーです!(*小学校や配属クラスによって終了時間は異なります。)ビーチに立ち寄ってインスタ映えする写真を撮ったり、ショッピングセンターに行ってお買い物をするなどアメリカンライフを満喫することができます。
また、ロサンゼルスには、ハリウッドやサンタモニカのような有名観光スポット、いくつものテーマパーク、アウトレットモールなど、一度は訪れておきたいところがたくさん。ぜひ休日を有効活用してください。


 

ホームステイでL.A.ライフを体感?それともMarriott系列のホテルに滞在?
2つのコースから選べます!

滞在先はロサンゼルス南部のサウスベイ地区になります!サウスベイにはTOYOTA、HONDAの本社をはじめ日系企業が多数進出し、日本人駐在員、日系人が多数生活しており、ロサンゼルスの中でも非常に安全なコミュニティとして知られています。
 
選択コースによって、滞在方法は下記2種類に分かれます。
 
①ホームステイ
②ホテルステイ

①ホームステイ コース

「人種のサラダボウル」ロサンゼルスで実際に生活体験ができるコースです。
 
【日程】2018年2月11日(日)~2月25日(日)または~3月3日(土)まで
【食事】朝食・夕食がつきます。
【特徴】”多様性”の街ロサンゼルスらしく、ホストファミリーはヒスパニック系だったりアジア系だったりすることもあります。異国の地でホストファミリーと生活をすると言う事は、様々な刺激的な体験があなたを待ち構えているということです。食事1つとってもそうですし、生活環境も日本とは異なることも多いのでその国を知るきっかけになり、日本との生活を比較できるとても良い機会になります。ホストファミリーの生活や文化に触れながら、これまで学んできた英語を机の上ではなく、日常生活の中で存分に試してみてください!
 
 

 

②ホテルステイ コース

Marriott系列の長期滞在型ホテルで過ごすことができるコースになります。
滞在先ホテル:Residence Inn By Marriott Torrance Redondo Beach ※当社の他の研修参加者との同室で、3名1部屋にてご利用いただきます。
 
【日程】2018年2月24日(土)~3月11日(日)まで
【食事】朝食(ビュッフェ形式のフル・ブレックファスト)がつきます。
【特徴】長期滞在型ホテルなので、各部屋にコンロ、電子レンジ、冷蔵庫、食器洗浄機付のキッチンスペースがあり、自炊が可能です。ホテルのフロントがあるゲートハウスには自由に使える共有スペースがあり、日によってアメリカのホテル特有のソーシャルアワーと呼ばれる、他の宿泊者との交流イベントが行われます。また、敷地内には、BBQスペース(グリル2台)、バスケットコート、プール、ジム(全て無料)もあり、快適なホテルステイを送ることが可能です。
 
ロケーションも抜群で、大通りを一本渡ったモール内にスーパーマーケットがあり、自炊やBBQのための買い出しもできます。また、徒歩圏内に大型モール「デルアモ・ファッションセンター」があり、ショッピングも楽しめます。
 
 

 

参加者の声

・アシスタントティーチャーの経験を通して得た「自分はあの時あれだけの事ができたんだから」という思いを原動力にして、これから色んな事に積極的に取り組み、色んな知識を身に付けたいと思ってます。
 
・英語に対する学習意欲が高まりました。また、先生という職業をよく知ることができました。これをいかして、TOEICや英検などで高得点を取れるようにがんばりたいと思っています。また、私の所属している児童英語専攻では、日本の小学校で実際に授業をする実習があるので、日本とアメリカの小学生の違いなども意識して、授業にいかしたいです。
 
・アメリカの学校と日本の学校との相違点などが見えたので、その辺りを日本の教育現場に取り入れる事は可能か思索しながら、自分なりの教育観念を確立させたいと思いました。
 
・アメリカの小学生に教科を教えることはむずかしく毎日反省だらけでしたが、自分で解決策を探りながら乗り越えてきました。社会人になってからは特に自分の力でどうにかしなければいけないことばかりだと思うので、この経験を生かし何事にも恐れず取り組んでいきたいです。
 
・日本でも、子どもの使う言葉や能力をじっくり観察してみたいと思った。また、遠慮せず積極的に話しかけることを日本でも続けて、自分からたくさんのことを吸収するという姿勢をこのまま大切にして行きたい。
 
・教育の現場の特徴などは違うと思ったが、教育に対する考え方や思いなどは同じだと思った。 だから将来に生かせると思った。
 
・自分から動くことによって、子どもとの距離が狭まり、だんだんと心を開いてくれると思った。子どもと一日、ご飯を食べたり学んだり遊んだりすることで、より観察もできたし、子どもを理解できたような気がする。
 
・将来英会話の先生となり、学校で学んだ授業の発展のさせ方を英語教育に生かしたり、多国籍の人々とコミュニケーションをとれる楽しさを伝えたりしていきたい。
 
・ロサンゼルスに行く前は子どもと接する機会が ほとんどなく、いきなりキンダーガーテンに通うことを不安に思っていましたが、実習を通して多くの子どもと関わることができてすごく楽しかったです。 これから就活をしていく中で、子どもと関わる仕事もいいなと思うようになりました。
 
・子どもたちと上手に会話ができなくて泣きそうになった時もありましたが、私は諦めませんでした。失敗を恐れていたら前に進めないし、積極的に行動していかないと失敗にも気付けないと思い、失敗を重ねながら諦めずに頑張りました。努力し、頑張り続けると自分の思いは必ず相手に伝わるということを実感できました。
 
・私は今、3回生で教職課程を履修しているのですが、今回の体験を機に日本で教師になる道以外の選択肢も持つようになりました。今回の体験で得た教育の重要性、価値観、文化、風習の違い等は、自分の視野を大きく広げてくれました。これからは、世界には様々な考え方や価値観があるということを意識しながら大学での勉強や就職活動に取り組みたいです。また、自分は日本人であるということを強く意識するようになったので、今後は自国の文化、風習や、アイデンティティ等についてもしっかり学びたいです。

 

よくある質問

Q1. 配属学年はどうなりますか?
A1. 基本的にキンダーガーテン(日本の幼稚園年長クラス/ 5~6歳)~小学校5年生 (6~11歳)のいずれかのクラスになります。トランジショナル キンダーガーテン(キンダーガーテンの準備クラス)やLearning Center(補助が必要となる生徒を対象にしているクラス)に配属になる場合もあります。
基本的に1つのクラスに1人の配属となります。
*学校・学年の指定はできません。
 
Q2. 研修時間は何時から何時までですか?
A2. Torrance 地区の小学校→8:30~15:00ごろ、Redondo Beach地区の小学校→8:00~14:30ごろになります。
*学校やクラスによって時間は異なります。
*アメリカの祝日はお休みになります。
 
Q3. 食事はついていますか?
A3. ホームステイの方は朝食と夕飯が含まれます。
ホテルステイの方は朝食が含まれます。
昼食については含まれませんので、ご自身でご用意していただきます。
 
Q4. 小学校までの通勤方法は何になりますか?
A4. 主にバスと徒歩での通勤となります。
(バスの乗り方については到着後のオリエンテーションでご説明いたしますので、ご安心ください!)

申込要項

★日程

①ホームステイ コース
A:2018年2月11日(日)~2月25日(日)まで
B:2018年2月11日(日)~3月3日(土)まで
C:2018年3月18日(日)~4月1日(日)まで
 
②ホテルステイコース
D:2018年2月24日(土)~3月11日(日)まで

 

★費用

A:$2,504
B:$2,860
C:$2,504
D:$2,582
※いずれのコースも航空券は自己手配となります。
※通貨はUSドルにてお振込み(送金)いただきます。
※日本円に換算すると振込日の為替レートによって金額は変動しますのでご注意ください。

 

★申込締め切り

A:2017年12月11日(月)
B:2017年12月11日(月)
C:2017年12月25日(月)
D:2017年12月25日(月)

 

★申込資格(全日程共通)

・日本の大学/短大/専門学校に通う学生の方
・事前の説明会への参加必須
※既卒の方、社会人の方は別途、lceusastaff@gmail.comまでお問い合わせください。
※2019年春のプログラムの説明会は、2018年10月頃を予定しています。

 

申込後の流れ

【申込】上記締め切り日までに必要書類の提出
        ↓
【申込後すぐ】航空券手配(各自、ロサンゼルス国際空港までの往復航空券をご手配ください。)
        ↓
【申込1週間後】プログラム費用のご入金(費用の詳細は説明会にてお伝えします。)
        ↓
【渡米約1か月前】最終Web説明会、配属学校のお知らせ
        ↓
【渡米約1週間前】滞在先(ホームステイ先/ホテル)のお知らせ (①ホームステイ コースの方のみ)

 

運営企業:Lighthouse Career Encourageについて

当社は『若者が、自分らしい「生き方」「働き方」を見出すキッカケを掴めるよう応援していくこと』を目的として、アシスタントティーチャープログラムの他にもグローバルキャリアプログラム、シリコンバレー研修等、カリフォルニア州を中心とした活動(2016年度実績:研修参加学生数約1,200人)を行っています。
 
【研修参加校実績例】
愛知学院大、亜細亜大、大阪外語専門学校、華頂短大、関西大、関西学院大、神田外国語大、北九州市立大、九州ルーテル学院大、京都華頂大、近畿大、甲南大、甲南女子大、駒澤大、相模女子大、上智大、摂南大、拓殖大、中央大、中京大、同志社大、東京農業大、東洋大、日本外国語専門学校、広島国際大、武蔵野大、明治大、桃山学院大、山口県立大、横浜市立大、立命館大、早稲田大
 

現地情報に詳しい私達が精一杯サポートします!
ご質問等もお気軽にどうぞ!


 


ファーデザイナー / 今井千恵

私のデザインの原点は、自分が着たい軽くてきれいな毛皮を作るということです

全米・カナダで販売され、日本国内でも著名なファーブランドに成長した「ロイヤル チエ」。その革新的なデザインと色鮮やかな作品はニューヨークを始めとするショーでも高く評価されている。女性の海外1人旅が珍しかった頃に雑貨輸入販売から始め、ファーデザイナーへと華麗なる転身を遂げた今井さんのフロンティア精神は、カリフォルニア米栽培の先駆者である祖父譲り。女性起業家として世界で活動する今井さんに聞いた。

貿易会社オーナーからファーデザイナーへ転身

2008年、ニューヨークでエコ素材と毛皮をジョイントしたコート「エコハーモニー」を発表。多くのメディアでも注目された。

フライトアテンダントの仕事を辞めた後、絵画やフラワーデザインを本場ヨーロッパで学ぼうと思い、1年の間に2回、3カ月の勉強の旅に出ました。もう35~36年も昔の話ですから、見る物すべて新鮮で。街の美しさに感動し、そこで売られている物も珍しい物が多く、洋服や靴、小物やバッグをたくさん買って日本に帰りました。最初は人に差し上げたりしていたんですが、みんなに喜ばれ、買って来てと頼まれるようになりました。そこで、雑貨の輸入販売をやってみようと思い立ったんです。ヨーロッパでの買い付けは2年やっていましたが、アフターサービスのことも考え、1977年に友人4人で会社を設立しました。

1年目は雑貨が中心でしたが、その翌年には毛皮を扱い始めました。ヨーロッパの冬は耳がちぎれるほど寒く、毛皮がないとダメなんです。そしてその毛皮がとても重いんです。軽い毛皮でファッショナブルな物はないかと、世界中を探しましたがありません。それで、「自分で作るしかない」と毛皮のデザインを始めました。

最初は何もわかりませんでしたが、調べていくうちに、フィンランドの技術で非常に軽い1枚仕立てのファーを見つけました。また、染色についてはフランスできれいな色の物を見つけたので、染めはフランス、技術はフィンランドと決め、その技術開発をフィンランドの工場のパートナーと始めました。私の作品は30年以上、今もフィンランドの同じ工場で作っています。

当時は、ヨーロッパ1人旅をする女性は皆無に等しかったんです。私の行動力は、やはりDNAに入っている気がします。私の祖父、宮田武二はカリフォルニア州のコルサで広大な土地を借り、「ジャパンライス」という品種の米の栽培を行っていました。祖父は第二次世界大戦の時に日本に帰って来たんですが、私の小さい頃は、よくアメリカの話を聞かせてくれました。クリスマスにはツリーを飾ってプレゼントをくれる、非常にモダンな人でした。ですから、私も海外に出て行くことに抵抗はありませんでした。祖父譲りのフロンティア精神があるんじゃないかと思います。

誰にも負けないものを目指しニューヨークのショーで絶賛

色の違うミンクを組み合わせたモザイク・ドゥ・チエは、ロイヤルチエのアイデンディティ作品。

福岡に直営店と東京にオフィスを作り、ビジネスが軌道に乗ってきた91年、毛皮の草分けである皇室御用達の「フタバファー」がオーナーを亡くされて買取先を探しているという話を耳にしました。直接その店舗を借りるには順番待ちがあり、私たちは33番目。ところが、会社の買い手がいなかったので、私のところに話が回ってきたんです。そして、帝国ホテルの地下1階にある店舗を買い取ることになりました。これを機に、ブランド名もそれまでの「ロイヤルファー」から「ロイヤル チエ」に変え、皇室御用達のブランドとして随分ネームバリューが上がりました。

 

ニューヨーク進出は、99年の毛皮コレクションがきっかけです。業界トップの女性が、「あなたの毛皮は誰も見たことがないほど素晴らしい。ニューヨークでファッションショーをやれば絶対成功する」と提案してくれたんです。オスカー・デ・ラ・レンタやバレンチノなど有名デザイナーも参加するショーだったので、準備に1年かけ、誰にも負けないような商品構成にしました。ショーでは高い評価が付き、私のブランドが一躍有名になりました。

 

最初は、当時全米に120店舗を持つサックス・フィフス・アベニューで取り扱ってくれることになりました。しかし、ビジネスには良い時も悪い時もあります。9・11の時に大量のキャンセルが出て、本当に大変な思いをしました。ですが、「5千人もの命に比べれば大したことではない」と気を取り直し、ショップを開くことにしました。マディソン街59丁目のミッドタウンにあり、セレブリティーの方が来てくださる店に成長しました。

 

今も世界的不況の風が吹いていますが、そんな時こそがチャンスです。それにメゲないで、目標を持ち、しっかりしたプランを立てること。他社と差別化できる時なのです。99年にアメリカに渡った時も、日本の経済はどん底でした。ショップの話があった時が好景気だったら、やっていなかったと思います。良くない状況下で日本にも明るいニュースをと思って始めたわけですから。

 

日本のデザイナーは素晴らしい技術や発想力を持っているのに、なぜか世界で評価されていません。シャネルやグッチは世界を制覇しているのに、日本には世界を制覇したブランドは1つもない。ですから、日本の技術が非常に進んでいるということを世界に知らせたいという思いもあって、頑張っています。

多くの苦労は神がくれた試練辛抱強くやればチャンスが来る

2002年世界女性起業家賞を受賞。75カ国から毎年40人選ばれ、日本では4人目の栄誉。

私のブランドが世界で受け入れられているのは、従来にない発想で作られているからではないでしょうか。原点は自分が着たい軽くてきれいなものを作るということです。私のアイデンティティーである「モザイク・ドゥ・チエ」というミンクも、最初は業者の方に「作れない」と抵抗されました。美しいミンクを切り刻んで縫い合わせるわけですから。ですが、工場主と一緒に頑張って開発しました。パートナーへの熱意や協力関係がなければ誕生しなかったでしょう。

現在取り組んでいるのは、帝人が蓮の葉の研究から開発した再生繊維「エコレクタス」と毛皮とのジョイントです。撥水効果や通気性もある繊維で、製造時のエネルギーも80%節約できるというものです。また、オーストリアと日本の交流140周年にちなみ、今年日本のオーストリア大使が「デビュタント」という社交界デビューのしきたりを伝えるイベントを催すのですが、そこで着るドレスのデザインを担当しています。日本の3大織物の1つである博多織とエコ素材、そして毛皮を組み合わせた物を作ります。

 

これまで多くの困難がありましたが、これも神がくれた試練だと前向きに考えてきました。「これが自分の仕事」と決めたら、コツコツと辛抱強くやることが大切ですね。そうすれば、チャンスは必ずやって来ます。それを見極めることも大事なことです。

 

これからも日本とアメリカから発信し続けます。2002年に世界の女性起業家賞をパリでいただきましたが、そこで知り合った友人や、仕事を介して知り合った友人がLAにもたくさん住んでいますので、LAにもぜひ行きたいと思っています。

いまい・ちえ●日系航空会社でフライトアテンダントとして勤務後、1977年に女性4人で洋服・小物雑貨の輸入会社「レイナ」を設立。翌78年、オリジナルファーの生産を開始。82年、初の直営店を福岡にオープンし、東京にもオフィスを開設。 91年に「フタバファー」を引き継ぎ「ロイヤル チエ」として皇室御用達ブランドとなる。99年、ニューヨークでの毛皮コレクションに参加、アメリカでの販売を開始する。現在、日本とニューヨークを拠点とし、帝国ホテル、ホテルニューオータニ東京、ホテルニューオータニ博多、札幌、松山、鹿児島にショップを持ち、ニューヨークにも直営店を持つ。www.royalchie.com
 
(2009年1月1日号掲載)

俳優・コメディアン / 神田瀧夢

日本の素晴らしさを伝えたい。それが僕の生き様だからいまだにサムライを続けてる

ABCテレビの『I Survived A Japanese Game Show』の司会者に抜擢された神田瀧夢さん。米4大ネットワークのプライムタイムの番組に、日本人が司会者として出演するのは初めての快挙。コメディアンとして、俳優としてNY、LAで精力的に活動を続け、「国際人であるということは、無国籍人ということではない」と、空手道、剣道などの武道に通じ、能・狂言、日本舞踊などの伝統芸能に精通する「ホンモノ」の俳優。渡米のいきさつから、今後の夢まで語ってもらった。

大阪と日本を背負って立とうと決めた

第2期放送が決定した『I Survived A Japanese Game Show』

海外に出ようと決めたきっかけは、19歳で大阪からロンドンに遊学した時。当時はみんな日本のことすら知らなくて、ブルース・リーは日本人、ナショナルや富士カラーが「Made in England」と信じている人もいました。これではダメだと、大阪と日本を背負った人物になろうと思ったんです。世界で通用する人物になるには色んな方法がありますが、僕にはショービジネスの世界で人を喜ばせたり、楽しませたり、感動を与えたりすることが向いてるかなと。でも、僕自身、どれだけ踊りを勉強してもマイケル・ジャクソンには勝てないし、どれだけ歌を勉強してもローリング・ストーンズのようにはなれない。「じゃあ、芝居で行こうか」と思って俳優になりました。

 

俳優界の世界最高峰がハリウッド。でも、僕と同じような顔をして、英語が話せて、演技ができるような人は山ほどいる。その人たちに勝つためには、日本で生まれ育った日本人の魂、伝統文化と芸能が必要だと思ったんです。空手、剣道、居合道、日舞に能・狂言、書道、華道、茶道、全部やりました。その間、K-1のリングアナウンサーや、司会の仕事などもやってきました。16年間かけて修得してきたそれら伝統芸能が、米移民局から特殊技能であると認められ、グリーンカードを取得することができました。

 

永住権取得後は、NYに渡りました。TVや映画のオーディションを受け続けましたが、ほとんど受からない。寂しさと屈辱と敗北と、地獄のような6年間でした。NYでは生きて行くこと自体が大変。毎日、自分を表現して、誰かに対して怒っていないとダメ。負けてしまいます。LAは生きていくのは楽だけど、自分でハッパかけていかないと堕落してしまいます。だから、LAに来てからの方が、表情が厳しいって言われたこともあります。

LAには2006年に来ました。それまで映画に何本か出た実績があるので、それでエージェンシーやマネージャーを探して、オーディションの情報を送ってもらいました。NYは舞台の街、LAはTVと映画の街。それにアジア系が多い。でも、競争とかライバルとかって特に考えたことはありませんね。自分との戦いなんですよ。それに、自分は殺陣や空手、コメディーなど人にできないものを究めることが成功の秘訣だと思っています。

 

映画『ラスト・サムライ』のオーディションも受けましたが、結局通ったのは渡辺謙さんと真田広之さん。僕に勝ち目はありません。でも、彼らができないことで自分ができることは、「お笑いだ!」と。友達と漫才を英語でやって、ショーがヒットしたし、コンビを解散した後もスタンダップ・コメディーの大会に1人で出て、優勝したこともあります。コメディーの分野に進んだのはそこからです。

 

僕はわかりやすいネタが好き。日本文化とからめて、アメリカ人が笑い終わった後に、「日本って面白い」「日本に行ってみたい」って、日本人の文化の素晴らしさに気付くようにしたい。それが僕がアメリカにいる目標というか、生き様ですから。「サムライ」をいまだに続けてるんです。

 

ABCTVのリアリティー番組は、最初から極秘のインタビューでした。僕のコメディーを気に入ってくれて、1カ月後に「お前が第1候補だ」と。その後のカメラテストでは、3ページの英語の台詞を丸暗記して、それをやりました。それに通ったと分かったのがロケで日本に出発する2週間ぐらい前です。

 

日本ロケでは毎日10ページくらいの英語の台詞が届きます。日本に3週間滞在しましたが、連日朝から晩まで収録で、セットとホテルとファミレスの3カ所しか行ってないですよ、忙しくて。収録は、日本人の観客が100人映っていて、その周りに日本人制作スタッフが50人、さらにその周りを100人のアメリカ人クルーが取り囲む。僕はその間に入って大変でした。通訳が3~4人しかいないから、僕がアメリカ人と日本人スタッフ、アメリカ人出場者10人をケアして、なおかつお客さん100人を笑わせないといけない。英語の台詞も覚えないといけなかったし。

日本人にも応援してほしい

『I Survived A Japanese Game Show』はアメリカ人が観たら、すごく面白いと思う。僕のキャラが活かされてたし、「面白い日本人だな」って思うんじゃないかな。台本にはアメリカ人ライターの考えたジョークがいっぱい書いてあったのですが、実際にオンエアで使われたジョークのほとんどは、僕がアドリブで入れたものでした。

 

おかげさまで、番組に出てからアメリカ人が作るファンサイトもできました。「ロム・カンダ・プロジェクト」っていう僕を売り出すためのプロジェクトも立ち上がってて、マネージャーもいます。ただ、僕自身、アメリカ人から注目されているという自覚はあまりないんです。私利私欲なんか1つもないんですよ。ただ日本を背負って、日本人の素晴らしさをアメリカ、世界各地にアピールするためにやっているつもり。ショービズ界の親善大使ですから、アメリカにいる日本人の皆さんと一緒に、盛り上げて行こうと思います。

 

うれしいことに『I Survived A Japanese Game Show』はセカンドシーズン制作が決まり、僕も続投することになりました。09年公開予定のスティーブン・ソダーバーグ監督の『INFORMANT』にも出演します。ハリウッドで映画のプロデュースや、殺陣と芝居の指導もしています。

 

まだまだアメリカでの日本人のステータスは低いです。僕が生きている間にそれをグッと上げたいですね。その方法が、映画だと思って頑張っています。いつも日本という国が良くなること、その日本で自分を生んでくれた両親と先祖に感謝すること。この2つだけを考えていますね。

 

アメリカでショービズを目指している人にアドバイス?ネバーギブアップの根性、礼儀と忠義を重んじてほしいです。「英語と芝居を勉強しなさい」なんて、当たり前のことは言いません。僕も間違えることはいっぱいありますけど、間違いは反省して。

 

目標はでっかければでっかい方がいいですよね。僕なんか、一生かけてできないようなことを目標に掲げてます。それぐらいの方がいいと思います。

かんだ・ろむ●大阪・清風高校を卒業後、イギリスとアメリカに留学。英知大学卒。演技は奈良橋陽子らに師事するほか、NYアクターズスタジオで学ぶ。他に講談、日本舞踊、能・狂言、舞踏に精通。LA留学中にコメディークラブに出演。87年には日米合作の『トーキョーポップ』で映画デビュー。89年北野武主演・監督の『その男凶暴につき』出演、93年『ソナチネ』から96年までの北野監督全作品に出演する。2008年、ABC『I Survived A Japanese Game Show』で司会者に抜擢。09年3月公開のマット・デイモン主演『INFORMANT』にも出演している。www.romekanda.com
 
(2009年1月1日号掲載)

タレント / コロッケ

1つのことを永遠に続けることは大変 でも自分は死ぬまで芸人でありたい

ものまねのレパートリーは100種類以上。ロボットバージョンやヒップホップダンスとの融合、1曲のメロディーに乗せて、高速で一気に33人もの顔を連続で変える「ものまね33面相」など、エンターテイナーとして新境地を開拓し続ける、ものまね芸人のパイオニアだ。もうすぐ芸歴30年を迎えるコロッケさん。6月にTJSラジオ主催で行われたロサンゼルス公演直前に、芸に対する姿勢やこれからの抱負を聞いた。

アメリカの人は見る人もエンタメ上手

お客様は日系の方が多いので、ネタ的に極端に洋モノを出すわけではありませんが、やはり外国で行うのと日本で行うのとでは気分的に全然違います。日本を離れてロサンゼルスで暮らす皆さんがどれだけ楽しんでくれるかという点で緊張感がありますね。

 

海外公演の場合も、基本的にお客様は日本人がメイン。なかには海外生活の長い方もいれば、まだ在住1、2年という方もおられますので、変に洋モノをやるよりも、日本のものを中心にしっかりやる方がいいと自分なりにリサーチしてきました。日本でやっているような形に、アメリカバージョンとして少し普段と違うものを取り入れようと思っています。

 

アメリカに住んでいらっしゃる方は反応が速いですね。それにベタな笑いやわかりやすい内容の方が、ひねったものやマニアックなものよりウケがいい。今、日本でウケている笑いは、「一部の人にだけウケればいい」という場合が多いんですが、僕はあまりそういうのが好きじゃなく、皆さんにとってわかりやすい方がいいと思っています。

 

それから、盛り上がりも非常にいい。特にロサンゼルスやラスベガスあたりだと、いい意味で能天気な方が多いじゃないですか(笑)。楽しい感じがしますしね。パフォーマンスする側としても、とてもやりやすいです。

 

アメリカに住む皆さんは、もともとエンターテインメントへの受け入れ態勢ができているのでしょう。日本ではエンターテインメントという言葉が少し違う意味で使われているように思います。アメリカはオールマイティーでなければダメ。日本にもオールマイティーにやれるすごい人たちも大勢いるのですが、あまり認められていません。それより1つの分野で優れている人の方が、人気になっているところがあります。僕は、そういうところに反発して、色々なことにチャレンジしているんです。

海外では日本人同士の連帯感がいい

南カリフォルニアは、カラッとしていて、本当に過ごしやすい気候ですね。それに、日系人や日本人の方と話をしていると、日本人同士の楽しい連帯感みたいなものを感じます。日本を離れているからこそ、お互い助け合っていくところがあるのかなと思います。

 

ロサンゼルスでは、日系の焼鳥屋や焼肉屋にも行きました。働いている若い人たちを見て、「皆さん、アメリカに来てよく頑張っているな」と感心しました。英語がわからなくて一生懸命勉強している子もいれば、英語がわかる子もいるだろうし。でも、基本的には最初は皆わからずに来て、こうやって働いて、色々苦労しているんでしょうね。

 

それから、今回サンタモニカの街を歩いていて、日本人に「アッ!」と気付かれましたね。「アッ!」と言われれば、こちらも「エッ?」と言う感じで(笑)。街中で会って「一緒に写真を撮ってください」とお願いされれば、「じゃあ、撮りましょう」という感じで。だから道中、かなり多くの方と一緒に写真を撮りましたね。

ものまねの世界を自分の色に染めていきたい

ものまねをやり続けている理由を聞かれたら、「一生芸人でありたい」というのが1番わかりやすい答えになるかもしれないですね。芸人でも仕事が良い形になってくればくるほど、他の方面に進む方が多いものですが、僕は一生芸人でありたいと思っているんです。

 

そういう面ですごく好きで尊敬しているのは、志村けんさん。志村さんは、コントを「もういいや」と絶対に投げ出しません。他の分野に進出するよりも、永遠に同じ分野でやり続けることの方が大変じゃないですか。誰でもどこかで、「こっちに行きたいな」とか「あちらへ行きたいな」という欲が出てくるものです。自分の場合はそうはならないでしょう。死ぬまでものまねをやり続けたいですし、気持ちの中でもやり続けます。

 

僕の場合、つらいことが99%あったとしても、良いことが1%あれば、それでつらいことが忘れられると思います。それはお客さんの応援であったり、笑い声であったり。そういう点ではすごく恵まれていると思います。何しろ舞台に立っていると、反応がすぐにわかりますからね。逆に「ちゃんとしなきゃいけない」という気持ちにもなりますが。

 

僕には、「ものまねというジャンルを軽く見られたくない」という思いがあります。この世界は、まだ誰も特別な色で染めていない真っ白な道。そこを自分色に染めていきたい。そして後輩たちに、「君たちも別の色で染めてよ」と。「オレはそんなに真っ黒にはしてないよ。黄色とか薄いピンクとかそういう色にしておくから、また上から色塗れるでしょ」みたいな。

 

年齢的に1つの道を作り続けていかなきゃいけない立場にあるというのも感じますね。とはいえ、やはり基本的には見る人に楽しんでもらいたい。僕はそれでお金をいただいて生活できているのですから、これほどうれしいことはありません。ありがたいことです。

 

この仕事は好奇心や興味がなくなると続けられません。芸能界でも新人が出て来ると、気になる人はよく観察します。僕はいい意味でミーハーなんですけど、それが芸の上でも大切なことなんですね。

 

最後に南カリフォルニアに住む皆さんへのメッセージですが、こちらには日本にいる日本人より、日本人らしさを忘れないでおられる方が多いと思います。特に日系1世、2世の方など、色々な意味で日本を背負いながら頑張ってこられたのではないかと思います。自分たちにはそんなに大きなことはできませんが、より一層日本人として大切なこと、優しさや潔さを忘れないで引き継いで頑張っていきたいと思いますので、皆さんも頑張り続けてください。

 

1世の方が来られた頃のアメリカは大変だったと思います。そういう方たちの熱い想いを、逆に自分たちが忘れてはいけないなと、こちらに来て痛感しました。皆さんがいるからこそ、今、日本人がアメリカの人たちにこれだけ良い形で受け入れられているんだよと、後から来た日本人やこちらで育った人たちが、ちゃんと知っておかなければならないと思います。

ころっけ●1960年3月13日生まれ。熊本県熊本市出身。80年8月、日本テレビ『お笑いスター誕生』でデビュー。ゴールデンアロー賞・芸能賞、浅草演芸大賞・新人賞他、多数受賞。ものまねで全国コンサートを行う傍ら、TV・ラジオ等で活躍する。また、ロサンゼルス、サンフランシスコ、シカゴ他、海外公演も数多く行い、2006年8月にはラスベガスでの公演も大成功を収めた。新宿コマ劇場、名古屋中日劇場を始め、大劇場での座長公演も定期的にこなし、映画やドラマなど、俳優としても円熟度を増している。
 
(2009年1月1日号 掲載)

映画監督 / 井筒和幸

映画はオリジナルストーリーがいい。サプライズがあって、日本人を表すような

在日朝鮮人をテーマにした青春群像劇、映画『パッチギ!』で、国内の映画賞を軒並み受賞する旋風を巻き起こした井筒監督。独自の批評精神を買われ、さまざまな分野での辛口コメンテーターとしても知られ、レギュラー番組も持っている。11月に、UTB・ジェトロ主催のショートフィルムコンテスト「Picture Battle×Show Biz Japan」の審査員として訪米した際に、日米の映画界、映画のあり方について聞いた。

ロスの日本人作品は有望株揃い

2007年の夏にも審査員としてロスに来ましたが、さすがに07年よりグレードアップしてますね。日本にもこの手のコンペがあるんですけど、日本のテクニックは負けてます。ロスにはクリエイティブの土壌がある。作品を持って来るディレクターやプロデューサーには、ロスの映像コースで学んだ人、学んでいる人が多い。テクニックも長けているし、テーマの絞り方、見つけ方も上手い。

日本の映画界は元気がない。テレビ主導になってますから。子供を対象にしたようなモノしか作っていない。映画も原作がテレビドラマや小説っていうのが多い。バカみたいでしょ。原作が150万部売れたとか、そんなのどうだっていいんだよ。

そこから見ると、08年のコンペは有望株がいっぱいいたよ。大したものだよ。みんなバイリンガルだしね。しかも、ハリウッドに乗り込んでやろうという欲望を持っている。なかなか頼もしいことですね。何しろ「欲」が大切。

僕がロスに来ていた時期に、アメリカでは色々なことがありました。大統領選挙では民主党のオバマが勝って、これからどんな変革が行われるか見ものですね。ところがその一方で、同性婚はダメだという、カリフォルニアの住民投票の保守的な結果はちょっとつらい。それが「本当の自由」なのか? 「自由」とは一体何なのか? 考えさせられました。本当の自由、民主主義とは何かと感じさせるイベントに、リアルタイムにロスで立ち会えたのは、日本人の映画監督で多分オレだけ。ちょっと面白い経験をしたなと思う。

アメリカがすべてにおいてグローバルスタンダードだった体制は崩れちゃった。金融が崩壊して、市場経済主義がおかしくなった。お金の貸し借りばかりして、夢を膨らませるだけ膨らませ、モノを作らないで、買うだけ買って、消費して……。消費することに命がけで、誰がモノを造るの? モノは外から買えばいい、足りなければドンドン証券を作って、金が金を生めばいい、と。これはやり過ぎですよ。そりゃあ崩壊するよ。支払いができない人間に、信用を持たせて金を貸してるんだから。

アメリカには心に迫る大人の映画がない

日本の映画界もダメだから偉そうなことは言えないけど、アメリカの映画界もダメ。なにせ売れたのが″クモ男に″コウモリ男でしょ(苦笑)。もっと人間臭いストーリー、人生の機微に触れる映画を作らないと。大人の観る映画が減ってきているのよ。

日本人の大人で、しみじみとしたハリウッド映画が観たい人はいっぱいいるわけですよ。そういう客が付かなくなっちゃった。だから今、日本では洋画が全滅です。軽薄な作品が多いから。ハリウッド映画はもうちょっとレベルアップしないと。僕は、次回作はロスに持ち込んでやろうと思ってます。僕の作品はエピックストーリー。みんなが興味を持てるテーマですよ。そうでしょ、一大叙事詩っていうのは。

このコンペのように、日本から来た若きクリエーターたちが、アメリカの土壌で頑張るっていうのは、いいこと。まさに″チェンジですね。アメリカに媚びず、日本の素晴らしいアイデンティティー、考え方をアメリカに輸出できるような、そういうワールドなノリでできるような若い作家、クリエイター、 ディレクターが出て来ることを期待します。

先日、ロスに住んでいる在日(コリアン)の方たち50人ぐらいがミニパーティーを開いてくださって、最高の夜を過ごしました。日系人も在日の方も、みんな頑張ってますよね。日本にいる日本人はふやけてるから、見習わなイカンところがいっぱいあります。在日出身でロスに暮らしている人たちに「励ましてくれ!」って招かれて、逆にオレが励まされましたよ。

世界=ハリウッドという神話はない

日本人が映画を作るなら、日本オリジナルのアイデンティティーをちゃんと持ってほしい。そうでないと、世界に通用しないと思う。世界=ハリウッドっていう神話はもうない。映画っていうのはオリジナルなものだから、ドメス(ティック)なものですよ、元々は。

 

若くて有能な人材が流出していくという危惧があるけど、それがわかっていてハリウッドに渡るんならいいわけ。若き才能がハリウッドによって磨かれて、また日本に戻って来るというのが1番望ましい。日本人が″アメリカ人になってもうたら、もうアカンやん。日本人はハリウッドにいようが、ロンドンで暮らそうが、日本人ですよ。

最近の日本の映画界はテレビ、マンガと、つまらん小説の焼き直しばっか。映画はオリジナルストーリーがいいに決まってますよ。サプライズがある、誰もやったことがないオリジナル。しかも日本人を表すようなね。僕は日本のカルチャーを撮りたい。どんな文化でもいい。食文化、考え方、生活習慣、民主主義、自由、平和、日本のスタンダードは世界中に売れるんだから。

最近良かったと思う日本映画か……。ないねぇ(苦笑)。アメリカ映画だったら、ポール・トーマス・アンダーソン監督の『There will be the Blood』。アカデミー主演男優賞を取ったけども、作品自体が素晴らしかった。アメリカの歴史をちゃんと入れてる。石油王に成り上がっていく話で、成功の陰にはものすごく醜いこと、非人間的なことがいっぱいあったんだということをちゃんと描いた。これを世界中にちゃんと見せたところがスゴイ。それ以外はダメ。クリント・イーストウッドもスコセッシ、コッポラも、みんなどっか行っちゃった。

日本のクリエイターとハリウッドのクリエイターに違いはないと思う。そんなに差はないと思いますね。ただ、日本のクリエイターにはひらめきがないな。ショートストーリーを作る腕がない。それはプロでもダメだね。ショートストーリーを上手く組み立てられない。パッションがないんだよ。アメリカの映像学校上がりのセミプロに負けてる。

でも、最近のハリウッド映画界もプロがクモ男にコウモリ男だから、ちょっとどうかな。アニメーションも多いけど、とにかく無難な作品はダメ。映画は無難じゃダメなんだよ。映画制作はインベストメントだって言うけどね、冒険しないと。ハリウッド映画も、もっと冒険をしてほしいね。じゃないと、日本映画も張り合いがないよ。

いづつ・かずゆき●1952年奈良県出身。県立奈良高校在学中から8ミリや16ミリの映画を撮り始め、75年に高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立、映画界入り。81年には映画『ガキ帝国』で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降、『みゆき』(1983)、『晴れ、ときどき殺人』(1984)、『二代目はクリスチャン』(1985)、『突然炎のごとく』(1994)、ブルーリボン作品賞を受賞した『岸和田少年愚連隊』(1996)、『のど自慢』(1999)、『ゲロッパ!』(2003)など話題作を発表。『パッチギ!』(2005)では国内で数々の映画賞を受賞。
 
(2009年1月1日号 掲載)

アーティスト / LOVE PSYCHEDELICO

LAと東京から世界に向けて自分たちの信じる音楽を発信したい

日本語と英語が自然な形で行き交う独特な歌詞、存在感あるKumiのヴォーカルスタイルとNaokiの印象的なリフに、日本では「デリコサウンド」という言葉まで浸透している。2008年5月には、念願のアメリカ版ファーストアルバムをリリース。今後、アメリカでの活動を広げていくため、夏の3カ月をサンタモニカで過ごした2人に、LAの印象や今後の展望を聞いた。

LAの広い空を見ていると誰もがただ癒される

Kumi:大学時代にNaokiが「一緒にバンドやらない?」って声を掛けてくれて、なにげなく始まったバンド。プロデビューなんて野心はまったくなかった。ファーストアルバムも、バンドがなくなって次のベースとドラムとキーボードを探すまでに2人で作っていたデモテープだったんですよ。それがそのままCDになっちゃった。

Naoki:ファーストを出したおかげで、音楽を今も続けられている。でも、根拠のない自信が確信に変わったりすることってあるじゃない。若い時って根拠ないんだけど、「この音楽が素晴らしい」と自分で信じ込もうとしているエネルギーが強くて、それがだんだん確信に変わる。 
世の中に出て行く″ビックバンの速さ、その瞬間は誰もが経験できるものではないので、それを音楽人生の中で、早いうちに経験させてもらえたのは大きな財産です。

Kumi:私は2歳から7歳までサンフランシスコで育っているのですが、その頃はよくLAに来ていたので懐かしいですね。

Naoki:僕が最初にLAに来たのは2001年のライブ。でも印象に強く残ったのは、それから少し経ってから『I am waiting for you』っていう曲のプロモーションビデオ撮影で来た時。LAって建物が東京と違って低くて、空が広いでしょ。空が広いっていうのは、神様から恩恵をすごく受けているって思う。嫌なことがあっても次の日起きて、空を見ると癒される。土地のエネルギーが強くて、タフになれる気がする。
今回、ステイするだけじゃなくて、住むっていう感覚を味わっています。今までとはちょっと違う角度で、LAという街、街の人たちを見ることができます。サンタモニカビーチとか行くと、「何でこの国にこの音楽があるのかわかった」みたいな瞬間がすごくある。
LAでは色んなコンサートを観に行くのが楽しい。こっちはいっぱいいいハコがあるし、いいミュージシャンもいるし。この前、サンタモニカにボブ・ディランが来て。知ったのが2日ぐらい前だったんだけど、それをスッと観に行けた。日本では、あんな小さい所では観れないからね。

音楽は生活をウキウキさせるエネルギー

Kumi:今回こちらで出したアルバムは、日本で出した1枚目から3枚目のコンピレーション。まず、ラブ・サイケデリコの音楽、世界観を紹介しようというものです。選曲は、ハックトン(レコード)にお任せしました。

Naoki:日本人と共通してるところがあるのが意外だったね。アメリカ色の強い音楽を入れたいのかなと思ったら、日本での代表曲をいっぱいチョイスされたので面白かった。

Kumi:リリックは英語が多いけれど、音楽は歌詞だけがメッセージじゃないから、特にそれでアメリカで有利になるとは思っていません。本当に伝えたい部分はすごいシンプルな言葉、わかりやすい英語で表現していますし。音楽は音楽自体が主役ではなくて、その人の生活をちょっとウキウキさせてくれるエネルギーがあったりするし、歌詞で人をハッピーにするというよりは、言葉を超えて楽しめるものだと思っています。

Naoki:今回の滞在では、とにかくライブハウスに足を運び、そういったなかで色んなミュージシャンと仲良くなって「一緒にライブやろうか」って話にもなった。自分たちでドンドン直接コミュニケーションを繰り返していったけど、日本ではそういう機会はないから、エキサイティングな経験をしてます。
来た当初はライブの予定はなかったんだけれど、やることになりました。ライブで楽しいのは、お客さんの気持ち、興奮を共有できた時。今回は特に、新しくこっちで出会ったミュージシャンたちと一緒に、新しいラブ・サイケデリコのサウンドを流すことができるっていうのが楽しみですね。

LAでの楽しかった経験を曲で恩返ししたい

Kumi:日本に帰ったらLA滞在の経験をなるべく活かしたいから、すぐに次のアルバムのレコーディングに入りたい。

Naoki:アボット・キニーが好きで、「アボット・キニー」って曲を書いたんですよ。こっちでリリースできたらいいなと思ってます。楽しかった経験をプレゼントしてもらった分、曲で恩返ししたい。
今回感じたのは、こっちのミュージシャンは音楽至上主義の人が多いこと。音楽家だから音楽でコミュニケーション取ろうよ、みたいなのが強い。自分の音楽に対するスキルを大切にするし、相手の音楽性もすごく大切にする。
僕たちは名声や地位とか、守らなきゃいけない物は何もない。自分たちの音楽を気持ち良くやるために、LAがベストだったら、過去もすべて捨ててLAに来るのも全然怖いことではないですね。「音楽があるから大丈夫」っていう思いが持てました。LAに来て、いい意味でアマチュアに戻れましたね。LAにもこれから毎年、来ますよ。少しずつこっちでの拠点を大きくしていきたい。

Kumi:ゆくゆくは日本とLAを活動の拠点にしたいですね。そのための準備も始めているので、ライトハウスの読者のみんなと会う機会がドンドン増えると思います。

Naoki:僕らがやっているような音楽にとって、LAは刺激が大きい。もともと60、70年代的な、西海岸の音楽とかロックがすごい好きだから。LAの空気が好きです。ちょっと涼しくなった夕方に街を歩いていると、『ホテル・カリフォルニア』が生まれてきた訳がわかるし、イーグルスがそういう曲をいっぱい作ってきたのがわかる。「この音楽が生まれてきたのは、LAという土地のせいなんだ」っていうのが、すごくわかるね。

Kumi:今後はまず、LAでの音楽活動を活発にしていきたい。対象を日本中の人から世界へ広げていきたいって思っています。私たちの音楽がLAと日本を発信源にして、もっとどんどん広がっていけばいい。焦らず、自分たちの音楽の力を信じてやっていけばいいと思っています。

ラブ・サイケデリコ●Kumi(Vo.)とNaoki(G.)による音楽ユニット。青山学院大学の音楽サークルで出会い、1997年にバンドを結成。2000年にビクターより『LADY MADONNA~憂鬱なるスパイダー~』で衝撃的なデビューを果たす。これまでにオリジナルアルバム4枚、ベストアルバムとライブ版をリリース、驚異的なロングセールスを記録する。04年11月には韓国・香港で初のアジア・ワンマンツアーを、05年には台湾公演を実現、05年と07年には日本武道館での公演を成功させる。08年5月、ロサンゼルスのハックトン・ミュージックから『THIS IS LOVE PSYCHEDELICO』をリリース、アメリカデビューを果たした。
 
(2009年1月1日号 掲載)

古き良き時代を感じる家族経営のワイナリー「バーナード・ワイナリー」

ライトハウス・サンディエゴ版編集長、吉田聡子が、サンディエゴ生まれのブランドを訪問。世界に羽ばたいた物から、ローカルにこだわる物まで、名品の背景にある物語を探ります。

Bernardo Winery / バーナード・ワイナリー

バーナード・ワイナリーの敷地内

敷地内はきれいにガーデニングされている。庭いじりはサマンサの母、ベロニカが担当

南カリフォルニアでワインと言えばテメキュラが有名だが、現存する南カリフォルニア最古のワイナリーはサンディエゴ、ランチョ・バーナードにある。それがここバーナード・ワイナリーだ。
 
誕生は1889年。当時の経営者はシシリア出身の5人だったそうだが、残念ながらこの頃の詳細な記録は残っていない。そのワイナリーを1927年、ビンセント・リッゾが購入したことから、バーナード・ワイナリーの歴史が始まった。

バーナード・ワイナリーにある風車

敷地内にある風車。この美しい風景をいかして、ウエディングなどにも貸し出している

当時は禁酒法が施行中。ワイナリーは、教会の儀式に使うワインを提供する他、オリーブを育て、オイルを生産することで苦難の時代を乗り切った。
 
禁酒法下では、ブドウ果汁の状態で出荷して、長い道中で発酵させるという手法も取られたそうだ。もともとビンセントはメキシコのティファナにバーを持っていたので、酒造業には厳しい時代とはいえ、勝算があってワイナリーを買ったのかもしれない。
 
1964年、ビンセントの息子、ロッソがワイナリーを引き継いだ。敷地内の古い建物を貸し出し、ワインだけでなくショッピングも楽しめる、まるで小さな村のようなユニークなワイナリーへと変化したのはこの時代である。

ラニー(右)とサマンサ(左)

テイスティングルームのラニー(右)とサマンサ(左)

2008年にロッソが他界した後は、妻、ベロニカと、2人の娘、セレナとサマンサ、そして息子のランが運営を続けている。
 
取材に応じてくれたのはマーケティング担当のサマンサ。このワイナリーでは、カリフォルニアワインの定番とも言えるカベルネ・ソーヴィニヨン種を扱っていないのだそう。 
 
「ワイン造りをしている弟のランはブドウが育つ環境、いわゆる“テロワール”にとてもこだわるの。土壌や気候、場所、全てに耳を澄ませて、この環境に合うブドウしか育てない。人気品種だからといって、環境に無理にブドウを合わせることはせず、ブドウ自身が自然で、ハッピーに育つことを大切にしているのよ」(サマンサ)。

昔の熟成室

昔の熟成室。エアコンなどはなかった時代、ワインをいい状態で管理するために丘の斜面の影に熟成室を作るなど自然環境を最大限に利用していたそう

彼女の案内で、ワイナリー内を歩いた。至るところに年代ものの道具が残されていて、さながら映画のセットみたいだ。
 
大きな古い樽が並ぶ昔の熟成室が何気なく開放されていて、中で子どもたちが遊んでいた。
 
「コウモリがいるから気を付けて」と男の子に声をかけられる。「お化けがいるかもね」とサマンサが応じると「お化けなんか怖くないもん」と返ってきた。

Vincenzo Bianco

サマンサのお気に入りの白ワイン, Vincenzo Biancoをテイスティング。甘く、フルーティーで女性好みの味

ワインを買って帰って家で開けるのもいいけれど、この場所で、この雰囲気の中で飲むのがまたいいんだろうなと感じた。

Bernardo Winery

◎ Bernardo Winery/バーナード・ワイナリー
13330 Paseo Del Verano Norte San Diego
☎ 858-487-1866
▶ 営業時間:8am~6pm 定休日なし
※ファーマーズ・マーケットやライブも開催
▶ Webサイト:http://bernardowinery.com

 
(ライトハウス・サンディエゴ版 2016年9月号掲載)
 
※このページは「ライトハウス・サンディエゴ版 2016年9月」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

映画『今日という日が最後なら、』 柳 明菜監督 × サンプラザ中野くん

2008年4月11日~20日まで開催された「Japan Film Festival 2008」にて上映された『今日という日が最後なら、』。同作が初監督作品となる柳明菜監督とエンディング曲を歌うサンプラザ中野くんさんがプロモーションも兼ねて訪米した。2人に今作のテーマと意義についてお聞きした。

今回の作品を作ったきっかけは?

柳監督:根本にあったのは子供の頃からの映画作りの夢でした。でも、無理なんじゃないかと諦めかけていた時、社会起業家研究会というのがあって、第1回の合宿が八丈島だったんです。「社会起業家として、あなたの世界の変え方を八丈島で教えてください」というのが課題のテーマで、そんななか、忘れそうだった夢を思い出したんです。

サンプラザ中野くんさんは、なぜエンディング曲を歌うことに?

サンプラザ中野くん:映画の最初のプレゼンに呼ばれて気に入ったから、「オレ、歌手だから、歌を歌うよ」という約束をしたんです。社会起業家としての志が響いたのと、脚本はまだできていなかったんですけど、あらすじが面白いと思ったんです。あと、離島が好きで、八丈島も行ったことがあるんで、いい島だったなあと思って。

作品は島おこしを越えたところがあると思うんですが?

柳監督:映画を通して島おこしというのは、もちろん頭の片隅にはありましたが、それがメインではないです。ただ、完全なフィクションを作るというのは嫌だったんですね。で、ノンフィクションでもドキュメンタリーでもない、何か夢で現実を引っ張っていけたらという思いがすごくあったんです。なので、作中でお祭りをやるというのを思い立った時に、実際にみんなが楽しめるお祭りにしようとしました。
 映画というのは作る過程にも物語があるから、制作過程で何か1つ夢を作るのもありだと思ったんです。今後もそれはできるんじゃないかと思います。

作中での「祭り」の意味は?

柳監督:すべてを忘れ、すべてを思い出すみたいな、情を再生するという意味なんですね。「八丈祭」の「八」は8を横にして「∞」、「丈」は「情け」と書いて、「祭」を再会の「再」にして(∞情再)。無限の情をもう1度呼び起こしたかった。それを物語の軸にしているんですね。

対照的な姉妹を通して、伝えたかったことは?

柳監督:1歩踏み出せば世界は変わる、という物語にしたかったんです。すごく極端な言い方なんですよ、「1歩」と「世界が変わる」っていうのは。でも、ちっちゃなことでもいいから何かやってみることで、世界って変わっていくんだよ、というのが見せられたらと思いました。

1歩踏み出したところで、世の中何も変わらないという雰囲気が世の中に漂っている気がします。

柳監督:はい、極端に感じていました。私も夢を持っていたけど、挫折も多かったですし、「映画はビジネス」「どんなに夢を持っても無理」とか、色んなことを言われると、私自身も段々とそう言うようになってきたんです。そのムードを覆したいと思いました。

サンプラザ中野くん:僕は、最近の若者は結構やる気あるなという気がします。その代表が柳監督で、映画の立ち上げの時から見ているんですが、不撓不屈の精神で、ぺっちゃんこになった所から、またムクムクと膨れ上がっていくという感じ。私もすごく勇気をもらいました。

明日も明後日も永遠に続くと感じて生きている人が多い?

柳監督:今日という日が最後なら、という気持ちは大事だと思うんです。あなたと私が会っているこの一期一会と同じことです。今は今でしかない。一瞬で過去になっていくわけですから。そういう気持ちで生きるっていう。「未来で生きていると、一生未来で生きていくことになっちゃうよ」って、昔、言われたことがあって、ハッとしたことがあるんですよね。

本作で影響を受けてほしい層は?

柳監督:1番は大学生ですね。チャンスがなかなか掴めなくて、結局、やりたくないことをやっている葛藤と、でも「将来安定したらやるんだ」という気持ち。実は正直、私もまだ迷いの段階です。夢はちゃんと追い続けて、本当にやりたいことをすることが大事なんじゃないかということは、薄々気付いているんです。だからそれを実証したいという思いで、今、頑張っています。止める理由っていくらでも作れちゃう。でも、それを越えて続けられたら、変われるんじゃないかと思うんです。

サンプラザ中野くん:僕の場合は、子供の頃から歌が好きで、スターにすごく憧れて。それで歌を歌い出して、そのまんま大学に行かなくなっちゃったんで、就職できなかった。だから前に進むしかなくて、頑張って何とかデビューできたんですけど。
 僕は好きなことを職業にしたけど、好きなことだけをやっているわけじゃない。嫌な人もいるし、嫌な仕事もしているわけですよね、部分的には。だから、「オレは望んでいない仕事を仕方なくやっている」という人と、本当に微妙な差だと思います。

本作をどういう気持ちで見てほしいと感じていますか?

柳監督:単純に楽しんでもらったり、こんな美しい場所があったんだとか、そういう風に感じてもらえたらいいですね。結果的に、ちょっと迷っていた人とか、夢があるんだけどどうしようかなと思っている人が、「1歩踏み出してみようかな」「何かやれることからやってみようかな」と、エンパワーメントされたらうれしいです。

LAの日本人にメッセージを。

サンプラザ中野くん:ロサンゼルスは空が広くて、土地も広くて、とても気持ちが大きくなっています。威張っているわけではないですけど(笑)。僕の歌い方も、『Runner』のように勇気付けながらも、『大きなタマネギの下で』のようにホロッとさせる、という新境地なので、日本を離れて寂しいと感じた時には聴いてみてください。

柳監督:日米両方を見た上で、良いところを伸ばして日本を良くし、アメリカ自体も色々改善していくことで、お互いハッピーになれるんじゃないかと思います。あと、時々日本に帰って来て、八丈島みたいに残されている文化に目を向けて、「日本っていいものを持っているな」というのを実感してほしいです。

『今日という日が最後なら、』
監督・脚本・編集:柳明菜
出演:森口彩乃、柳裕美、他
公式サイト:www.livefree.jp
ストーリー
 八丈島で生まれた双子の姉妹。2人がまだ幼いうちに、身体の弱い舞子(柳)を残し、聖子(森口)を連れて母親は島を飛び出す。それから20年後、段々と活気がなくなりつつある島。そこで自由奔放に育った舞子は「八丈祭」を行い、島を盛り上げようとする。
 お祭り直前、舞子は「今日という日が最後なら、何をしたいか考えました」と書かれた置手紙を残し、聖子に会いに突然都会へ飛び出す。閉鎖的な環境にいた聖子は家を抜け出し、2人で島へ渡る。
 状況が変化するにつれ、2人の歯車は狂い始める。たった数日間で20年の時をどれほど縮められるのだろう? まったく違う環境、違う性格、それでも君と一緒にいたい。過去でも未来でもない、今を共に生きるために…。

【PROFILE】

■やなぎ・あきな

 愛知県出身。慶應義塾大学在学中、社会起業家のゼミ合宿で八丈島の地域貢献の研究を通じて、映画作りに目覚める。卒業後、映画制作の合同会社The☆Willowsを設立、代表に。初監督作品『今日という日が最後なら、』では、資金集めや脚本なども手掛ける。

■さんぷらざ・なかのくん

 1960年山梨県生まれ。早稲田大学政治経済学部除籍。80年、パッパラー河合、ファンキー末吉らと「爆風スランプ」を結成、『Runner』『リゾ・ラバ』『大きな玉ねぎの下で』などヒット曲多数。99年に活動休止、株取引、健康関連のコラムなどを連載。今年1月、芸名をサンプラザ中野から変更。
 
(2009年1月1日号 掲載)

日本からアメリカへの留学生6割減という衝撃

冷泉彰彦のアメリカの視点xニッポンの視点:米政治ジャーナリストの冷泉彰彦が、日米の政治や社会状況を独自の視点から鋭く分析! 日米の課題や私たち在米邦人の果たす役割について、わかりやすく解説する連載コラム

少子化、内向き、不景気海外留学に立ちはだかる壁

留学

日本からアメリカへの留学生が減っている。長年にわたって、日本からアメリカへの留学を支援してきたフルブライト・ジャパン(日米教育委員会)のデータによれば、2014年の留学生数は1万9064人に留まっている。これは、ピークだった1997年の4万7073人と比較すると40.5%に過ぎない。つまり、20年弱で半減どころか6割になっているのだ。この間の日本では少子化が進行しており、大学生の数が減っているということはあるだろう。だが、それにしても40%になってしまったというのは衝撃的だ。
 
その背景にあるのは、日本の「内向き志向」だろう。例えば、14年のデータによれば、日本のパスポート保有率はG7の先進国中最低で24%であるという。ここアメリカもかなりの「内向き」国家だが、それでも国務省によれば46%が保有している。また、ヨーロッパに行くと軒並み50%を越えており、英国では70%以上になる。これに対して、24%というのは低過ぎる。日本の場合、特に若者の保有率が15%前後と低迷しているのが特徴で、これでは、留学生が減るわけだ。
 
そうした「内向き志向」の理由としては、何といっても経済力の低下というのが大きい。現在は、日本の大学を卒業する際に「奨学金という借金」を背負う若者が増えており、就職しても収入が十分でないために返済が困難というのが社会問題になっている。その背景には親の仕送りが細っているという問題があり、現在では、平均の仕送り額は8万円程度だという。これでは、留学どころではない。
 
もう一つ、カルチャーとしての「内向き志向」を指摘する声もある。いつまでも改革の進まない英語教育のせいで語学力が身に付かない、テロや銃撃事件が怖いので自分も家族も留学に消極的、さらには日本の食事が世界一なので「飯のマズい海外はイヤ」という声も大きくなっている。

 

日本の若者のため今からできる対策は?

社会の風潮や経済力の問題について考え出すと、簡単な対策はないということになってしまうが、一方で具体的に制度を工夫すれば改善できるという種類の問題もある。
 
一つは単位交換制度だ。大学に4年間行く中で、途中の半年とか1年は姉妹校に留学して単位を取るというのは、世界的に普及している。交換留学制度であれば、日本からの留学生の場合は日本の学費を払うだけでいいのだから、経済的にも負担は楽なはずだ。
 
だが、日本の場合は、一部の大学を除くとこの単位交換制度が積極的に利用されていない。例えば、文部科学省は財界をスポンサーにして、「トビタテ留学ジャパン」という112億円をかけた留学支援を行っているが、この制度では「単位は取ってこなくていい」ことになっているのである。その背景には「気軽に行ってほしい」ということだけでなく、在籍大学に「海外の提携校と単位を交換する」ための事務を担当する人材がいないという単純な理由が大きいという。この点は、即刻改善が求められる。
 
留学生が減少する一方で、日本から「東大や京大ではなく、アイビーリーグなどの名門を狙う」という受験生は少しずつ増えている。この場合、「英語の内申書や推薦状を用意できる高校」が限られるという問題があるようだ。首都圏でも、事実上数校しか対応ができていないという声もある。
 
もう一つは、就職活動のスケジュールの問題だ。現在の日本では、制度としての就職説明会が「大学3年生の終わる3月から」ということになっている。また、その前の時点でも、3年生の6月頃から「インターンの申し込み」や「企業研究・自己分析」といった日本独特の「就活」日程が始まる。ということは、3年生以降は短期留学をしていたら、就活に影響が出てしまう。
 
社会・経済のグローバル化が加速する中で、日本の若者が取り残されていかないように、海外への留学生を増やすことは急務だ。とにかく制度面など、できることから対策を急いでほしい。

冷泉彰彦

冷泉彰彦
れいぜい・あきひこ◎東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒業。福武書店、ベルリッツ・インターナショナル社、ラトガース大学講師を歴任後、プリンストン日本語学校高等部主任。メールマガジンJMMに「FROM911、USAレポート」、『Newsweek日本版』公式HPにブログを寄稿中

 

(2016年9月1日号掲載)
 
※このページは「ライトハウス・ロサンゼルス版 2016年9月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

特集:2016年アメリカ大統領選挙

決戦までのカウントダウン!2016年アメリカ大統領選挙

8年にわたるオバマ大統領の任期終了に伴い、新しい顔ぶれが揃った2016年アメリカ大統領選挙。民主党・共和党、各政党の候補者も決定し、改めて世界中の注目を集めています。複雑な大統領選挙の仕組みから、候補者の政策・主張、そして新大統領就任による日本や在米邦人への影響について説明します。

10カ月の長期戦!アメリカ大統領選挙の仕組み

新大統領決定までの流れ

アメリカ新大統領決定までの流れ

4年に一度行われるアメリカ大統領選挙。まずはその仕組みについておさらいしてみましょう。大統領選挙は、全米各州で民主党・共和党の各政党別に行われる予備選挙と、11月の本選挙の2つのステップに分かれています。
 
年初のアイオワ州党員集会を皮切りに、6月まで全米50州において予備選挙・党員集会が開かれ、各党の候補者を絞り込んでいきます。中でも多くの州で予備選挙・党員集会が開催される「Super Tuesday」(2016年は3月1日)は、政党内での勝敗を左右するヤマ場です。
 
アメリカの大統領選挙は、予備選も本選も間接選挙。予備選挙後、7月に各政党の全国大会が行われますが、その候補者を決めるのは「代議員」と呼ばれる人たちで(右図参照)、この代議員の獲得数が候補者にとって大きな鍵となるのです。全国大会には全ての代議員が出席して、過半数の支持を得た者が、最終的に党の大統領候補として選ばれます。各党の候補者が選出されると、いよいよ本選挙です。投票は11月第1月曜日の翌日の火曜日(2016年は11月8日)と決まっています。ここでもやはり間接選挙のため、有権者は自分が支持する大統領候補に投票すると誓約している「選挙人」を選びます。
 
選挙人の数は最低3人(アラスカ州など)から最高55人(カリフォルニア州)まで。50州にワシントンDC(コロンビア特別区)の3人を加え、合計538人となり、選挙人投票でその過半数の270人以上を獲得した方が大統領となります。ただしメイン州とネブラスカ州を除き、一般投票で1位になった選挙人がその州の選挙人を”総取り“するので、事実上は一般投票で選挙の勝敗が決まります。

民主党代表候補:ヒラリー・クリントン氏

ヒラリー・クリントン氏

民主党代表候補:ヒラリー・クリントン氏

“Stronger Together” Hillary Rodham Clinton

1947年10月26日生まれ。68歳。シカゴ出身。イエール・ロー・スクール卒業。ロー・スクール在学中に知り合った、後の第42代アメリカ合衆国大統領ビル・クリントンと結婚。1993年から8年間ファーストレディーを務める。その後、上院議員、国務長官を歴任。2008年の大統領選挙ではオバマ大統領に敗れるも、2015年4月に再び出馬表明。バージニア州上院議員のティム・ケイン氏を副大統領候補に指名した。

“大きな政府”民主党

民主党はリベラル・自由主義を掲げ、政府による介入を是とする「大きな政府」を容認しています。民主党支持層は、白人、アフリカ系アメリカ人、ヒスパニック、アジア系、ユダヤ系などさまざまな人種がいます。女性や中産階級、低所得層にも多く、西海岸やハワイなど移民の多い州で強い傾向があります。党のシンボルは家庭の象徴、ロバ。

ブレない政策で臨む堅実派 壁を壊して国民の権利を確保

ファーストレディー、上院議員、そして国務長官を歴任し、世界中にその名を知られるヒラリー・クリントン氏。選挙で当選すれば初の女性大統領として、アメリカの歴史を塗り替えることになり、注目を浴びています。
 
2016年3月29日に、ニューヨークのアポロシアターで行った選挙演説で「人々の生活向上」「安全保障」「アメリカの団結」と謳った通り、性差、人種、経済格差の壁を壊して、あらゆる国民の権利を守りたいという主張は終始一貫しています。
 
経済再生の面では、オバマ政権の税制をほぼ踏襲し、富裕層への増税を続行。年収100万ドル以上に「Buffett Rule」と呼ばれる30%の所得税の導入を、さらに年収500万ドル以上に4%上乗せするとし、一般的なアメリカ家庭の生活向上を目指し、景気賃金の値上げ、雇用創出、中間層減税などを具体的に掲示しています。数多く掲げている政策のなかでも、弊誌コラム「アメリカの視点×ニッポンの視点」の著者で、日米の政治・社会事情に詳しい作家の冷泉彰彦さんが注目しているのが「Technology and Innovation(技術革新)」です。「世界に誇る技術革新を行いながら、その実、インドなどの国外の技術者に頼っているのが現状です。アメリカが真の牽引者となるように、若い世代がITを学べる環境を作ろうというもので、非常によく練られた優秀な政策と言えるでしょう」。外交問題の要となる中東問題に関しては、消極的だったオバマ政権と打って変わり、強硬な態度で臨むのではないかと冷泉さんは分析しています。「夫のビル・クリントン元大統領は、1993年の『オスロ合意』にかかわった人物。そしてヒラリー氏自身も、国務長官時代にパレスチナを訪問しており、その経験を活かし、何か前進する可能性もありますね」。

共和党代表候補:ドナルド・トランプ氏

ドナルド・トランプ氏

共和党代表候補:ドナルド・トランプ氏

“Make America Great Again” Donald John Trump

1946年6月14日生まれ。70歳。ニューヨーク出身。ペンシルベニア州大学ウォートンスクール卒業。ニューヨークのブルックリンで父親の経営する不動産業勤務を経て、不動産王としての頭角を表し、現在、ホテルやゴルフ場を扱うThe Trump Organizationのチェアマンおよび代表を務める実業家。2015年6月に大統領選挙出馬を発表。インディアナ州知事マイク・ペンス氏を副大統領候補に指名した。

“小さな政府”共和党

共和党は新保守主義・中道右派を掲げ、なるべく政府の介入を抑えて市場に任せる「小さな政府」を理想としています。共和党支持層は、主に中高年の白人男性や高齢の白人女性、また中産階級以上や富裕層も多く、古き良きアメリカを代表する中西部で強い傾向があります。党のシンボルは知識と力の象徴と言われる象。

強いアメリカを主張するも暴言は日々エスカレート

アメリカ有数の不動産王として知られるドナルド・トランプ氏。議員や知事などの公職経験を持つほかの候補者を蹴落とし、最終的に共和党の候補者に登りつめました。
 
政策においては、クリントン氏との相違点も多く、移民問題では、不法移民の市民権獲得のため法改正を挙げるクリントン氏に対して、メキシコ国境に壁の建設を提案したり、イスラム教徒の一時的な入国禁止措置を挙げたりしているほか、外交問題についてもことごとく対立。北大西洋条約機構(NATO)加盟国への負担を要求したかと思えば、金正恩朝鮮労働党委員長との会談に前向きな姿勢を見せたり、その言動が日々世間を騒がせていました。「環太平洋パートナーシップ(TPP)と北米自由貿易協定(NAFTA)に関しても、民主党左派やクリントン氏とは相違があります。何よりもトランプ氏には知識や経験がない。『無条件でのエルドアン(トルコの大統領)政権支持』などの発言もそういった背景があると思います」と冷泉さんは分析しています。政策についても修正が多く、直近では、CNBCのオンラインニュース「Donald Trump just made a major change to his tax plan」(2016年8月8日付け)によると、ミシガン州デトロイトで、所得税制度について、これまで最低10%、最高25%としていた所得税制度について、3段階に分け、税金を納めなくてもよい労働者を増やすために新たな修正案を発表。2016年1月のギャラップ世論調査によると、両党の支持者ともに、大統領選挙における最重要課題として「経済」を上位に挙げており、トランプ氏も2016年11月の本選挙を睨み、最終修正を図ったと言われています。

今後どうなる?新大統領就任までのタイムスケジュール

  • 2016年7月末:民主党・共和党、各党全国大会終了 各党代表候補決定
  • 2016年9月~10月:候補者の遊説
    注目!テレビ討論会 Presidential Debate
    第1回:First Presidential Debate 9月26日(月)
    場所:ニューヨーク州 ホフストラ大学
    第2回:Second Presidential Debate 10月9日(日)
    場所:ミズーリ州 ワシントン大学セントルイス校
    第3回:Third Presidential Debate 10月19日(水)
    場所:ネバダ州 ネバダ大学
  • 2016年11月8日(火):本選挙 選挙人を選出
  • 2016年12月中旬:大統領選挙人による投票 連邦議会上院に送付
  • 2017年1月6日(金):開票 新大統領決定
  • 2017年1月20日(金):新大統領就任 Inauguration Day
     

本選挙は11月8日!今後の見どころと注目点は?

スキャンダルに見舞われるトランプ陣営

11月8日の選挙まで残すところ約2カ月。共和党全国大会が終了した頃の支持率は、トランプ氏が1%ほど上回っていましたが、その後、民主党大会後にじわじわとクリントン氏が追い上げ、政治専門サイト「Real Clear Politics」では、クリントン氏が47・7%、トランプ氏41・0%になっています(8月15日現在)。急激な支持率の変化の背景には、イラクで息子を亡くしたイスラム教徒遺族を侮辱したトランプ氏の発言があり、これによって、帰還兵であるジョン・マケイン上院議員やポール・ライアン下院議長から批判を受けたトランプ氏は、今後2人の再選を支持をしないと宣言し、共和党内に大きな溝を作ってしまいました。さらにそれまでトランプ氏を支持していた退役軍人らも、連邦議会議事堂でトランプ氏の支持撤回を求める嘆願書を提出するなど飛び火し、深刻な事態となっています。ほかにも7月31日付けの「ニューヨーク・ポスト」誌の表紙にメラニア夫人が過去に撮影したヌード写真が掲載されるなど、さまざまなスキャンダルに見舞われています。
 
しかし冷泉さんは、トランプ陣営のダメージコントロールが行き届いていない点を指摘しながらも、今後の展開によっては、まだまだ勝敗の行方は分からないと説明しています。「これからの大統領選挙において注目すべき点は『世論調査の誤差』『景気の行方』そして『テレビ討論会』です。先のイギリスEU離脱の際にも問題になりましたが、世論調査の結果はあまりあてになりません。今回のように激しく揺れ動く場合は特にそうです。また新聞やテレビの報道も決して中立とは言えないものの、有権者はあらゆる情報を収集して見極め、公正な判断をする必要があるでしょう」。
 
2つ目の「景気の行方」は、何か大きな問題が勃発し、良くも悪くも景気が急激に変化した場合、国民の支持もそれに伴って変わる可能性があるといいます。「アメリカの景気を脅かす大きな事件が起きれば、オバマ政権を踏襲するクリントン氏の政策よりもトランプ氏が有利になるでしょうし、またテロが起きれば、イスラム教徒の入国禁止など”鎖国”を示唆するトランプ氏に国民は傾くかもしれません」。

選挙資金とその用途

ドナルド・トランプ氏、ヒラリー・クリントン氏、それぞれの選挙資金総額とその用途

 

大統領選挙・最終決戦の舞台は3回のテレビ討論会

ヒラリーvsトランプ支持率

ヒラリーvsトランプの支持率など、大統領選挙に関するさまざまな調査結果が、日々更新されている「Real Clear Politics」(www.realclearpolitics.com)

そして3つ目の「テレビ討論会」は、9月から10月に3回に分けて放映されるのですが、これは、たとえそれまで優勢だったとしても、ひっくり返ることもあるくらい影響力があると冷泉さんは言います。1998年のマイケル・デュカキス民主党代表候補は、ジョージ・ブッシュ共和党代表候補との第2回テレビ討論で、冷たい人間だという印象を有権者に与え、それまでは勝利が予想されていたものの、これが原因で選挙で敗退してしまっています。またオバマ大統領も、2012年の第1回のテレビ討論会で、消極的な態度を見せ、ミット・ロムニー共和党候補者にリードを許し、苦戦を強いられており、テレビ討論会の内容によっては、再びトランプ氏が優勢になる可能性も十分あるというのです。「トランプ氏にしてもクリントン氏にしても、叩かれ慣れていますし、用意周到で臨むでしょう。ただしクリントン氏なら、ホワイトウォーター疑惑などの弱点で新たな事実を暴かれたり、衝撃的な質問をされてしまうと分からないし、トランプ氏も、メキシコに壁を作るなど不可能な政策を掲げていますが、10月の時点でこんなことを言っているようなら、そもそも質疑応答が成立するのか甚だ疑問です」。
 
これまでの大統領選挙と異なるのは、民主党・共和党ともに、各代表候補が、典型的なタイプではないことだと冷泉さんは分析しています。「トランプ氏は、保守的な共和党の考え方を持ち合わせていません。クリントン氏も同様で、弱者救済を行う自由民主の代表というよりは、ある意味、非常に保守的なタイプ。この”ねじれ”は、過去の選挙を振り返ってみても例がありません。クリントン氏、トランプ氏ともに特異なキャラクターの持ち主ですから、単純に”好き嫌い”の問題にもなってきます。また多くの国民が、党というよりは、両代表候補が掲げる政策が、自分にとって得かどうかで判断しているようです。たとえば若い世代ならクリントン氏の公立大学学費軽減策を支持するし、職種や階層によっても変わるでしょう」。
 
11月8日の本選挙を終えれば、事実上、新しい大統領が決定。選挙の勝敗の行方を全世界が注目しています。

大統領の無謀な政策は施行されるのか?真の「三権分立」国家の強み

「メキシコとの国境に『万里の長城』を作る」「1100万人のメキシコ人を送還する」などというトランプ氏の発言が話題になっていますが、果たして彼が大統領になった場合、これらは簡単に実現するのでしょうか。答えは”No”です。
 
アメリカは「行政(大統領と配下の内閣)」「立法(議会)」「司法(裁判所)」の三権分立が徹底しています。連邦憲法の規定に基づき法律を作るのが議会、実行するのが大統領と内閣、議会や大統領の暴走を正すのが裁判所。だから、たとえトランプ氏が公約した政策を強引に施行しようとしても、そうはいかない。優先権が大統領にあるのは、外交・宣戦布告権と州際業務だけなんです。
 
多くの在米邦人が、同氏の政策を危惧しているようですが、これには日本の強すぎる「内閣」の存在が影響しています。日本は三権分立を謳いながら、その実「内閣」の力が突出しています。日本人は強い内閣しか知らないから、日本流に考えてしまいがちです。一方、アメリカの三権分立は「チェック&バランス」の利く制度の一つと言われ、たとえ内閣が政策を進めようとしても、議会が「アメリカのためにならない」と拒否すれば流れてしまいます。過去の例を挙げると、カーター元大統領が選挙公約として在韓米軍引き上げを掲げていましたが、議会が反対し叶いませんでした。たとえ大統領であっても、その権力が暴走しないようになっているというわけです。(後藤英彦氏)

在米邦人が気になる 新大統領誕生の影響とは「対日政策」「移民・教育改革」

対日よりも、注目すべきは対中対策(冷泉彰彦氏)

クリントン氏が選挙で当選した場合、対日対策はほぼ現状維持と言っていいでしょう。人権問題に深い志を持つ方ですから、まだ性差別がはびこる永田町は震え上がるかもしれません。クリントン氏は、思っているよりも日本を知っているし、国務長官になった時も真っ先に訪日していますが、問題は日本に対等に話せる女性がいないこと。ただし先日、小池百合子氏が初の東京都知事に就任したので、これからどうなるか興味深いところです。一方トランプ氏は、同盟国をむげにする発言を繰り返し、日本に対して米軍駐留費全額を要求していますが、すでに日本は8割近くを負担しているので、現実的ではありません。それよりも、中国を為替操作国と批判しながら、その実、損得勘定から中国をかなり贔屓しているので、中国の改革にトランプ氏が介入して間違った方向に進めば、おのずと日本も影響を受けるでしょう。

実現への道のりは遠い移民・教育改革(冷泉彰彦氏)

トランプ氏が掲げる移民法改正や税制改革は、在米邦人にとっても注目すべき話題です。特に永住権の発行が少なくなるとか、相続税で締め上げられるなどと言われていますが、実際にはそれを施行するのは容易ではなく、現実的ではないでしょう。
 
またクリントン氏は、公立大学の学費軽減を上げ、家族の年収が12万5000ドル以下なら無料にすると謳っています。特にUC系の授業料が高額なカリフォルニア州では、非常に気になる政策でしょう。しかし実現してしまうと、州の教育財政は悪化し、大学側も、特にバークレー校などは、ことによっては私立化を検討するかもしれません。実際にミシガン大学(UM)は、ここ10年ほど、私立化すべきか迷っています。ほかにも教育の水準や講師の給料問題など弊害も多くあり、実現するのは簡単ではないと言えます。

トランプ氏による“言いがかり”を懸念(後藤英彦氏)

両者の主張がほぼ一致しているのは、対日本におけるTPP問題と貿易政策で、厳しい態度で臨むとしています。つまりどちらが大統領になっても、円高になるだろうから、自動車や鉄鋼、そして輸出業にとっては痛手になるでしょう。クリントン氏は、概ね現政権を受け継ぎ、雇用や景気に支障がなければ、TPPを容認する可能性も十分あるのですが、過激なトランプ氏では、日本に火の粉が及ぶ可能性もあります。
 
もちろん先のコラム(P43)で説明した通り、アメリカは三権分立がきちんと機能しているから、たとえトランプ氏が当選しても、無茶な政策がまかり通ることはありません。しかし、たとえば事故や欠陥を理由に日系自動車会社を訴えたり、アメリカですっかり浸透した寿司でも、食中毒で集団訴訟したり、衛生面での行政指導したりする可能性もあるので注意が必要です。

在米邦人への無理難題も?(後藤英彦氏)

トランプ氏は、もしかしたら日系多国籍企業の所得税を引き上げたりなど、無理難題をふっかけてくるかもしれません。日本人はあまりアメリカのコミュニティーに溶け込まないところがあるし、そこを突っついてくるかも。たとえば現地法人は全てアメリカ人を社長にしろとか、株も日本人だけで持たずアメリカ人に渡せとか。日本も2020年までに女性管理職3割増と言っているから、現地法人もそれに倣えとかね。
 
それから、移民の多いカリフォルニア州ではありえないけど、アメリカ統一のために、日常会話を英語になんて言い出すかもしれない。戦時中は日本語を話さないのが良い市民だった。故ブラッドレーLA市長の補佐官コジマ氏に実際に聞いた話。だから日系弁護士にはネイティブ並みの英語を話せとかね。抵抗すれば日系人を強制収容所に送った例の「大統領令」をちらつかせるとか。ここまで想像させるのはトランプ氏ならでは。

【取材協力・監修】
冷泉彰彦(れいぜい あきひこ)東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒業。福武書店、ベルリッツ・インターナショナル社、ラトガース大学講師を歴任後、プリンストン日本語学校高等部主任。メールマガジンJMMに「From 911 USAレポート」「Newsweek日本版」公式HPにブログを寄稿中

【取材協力】
後藤英彦(ごとう よしひこ)
中央大学法学部法律学科卒業。1964年時事通信社入社。旧通産省、旧農林省、旧大蔵省担当後、ロサンゼルス特派員を経て、時事通信社本社海外部次長。希望退社して盛岡大学客員教授、評論活動。2度目の来米で「ジャパン・ジャーナル」を主宰。講談社、「エルネオス」を中心に寄稿中

ピアニスト/フジコ・ヘミング


フジコ・ヘミング◎コンサート直前インタビュー

演奏の中に詩や語りが入ったり色彩を表現しています

日本人ピアニストの母とスウェーデン人の父との間に生まれたフジコ・ヘミングさん。幼少の頃からピアニストとしての才能を発揮し、天才と賞賛される。耳が聴こえなくなるなど困難に見舞われたが、ピアニストになる夢は諦めず、プロデビュー。情感あふれる独特な演奏スタイルから「魂のピアニスト」と呼ばれ、絶大な人気を誇る。3年ぶりのアメリカツアーでロサンゼルスを訪れるフジコさんに話を聞いた。

Ingrid Fuzjko af. Georgii-Hemming◉日本人ピアニストの母と画家で建築家のスウェーデン人の父を持ち、ベルリンに生まれる。5歳の時、日本へ移住するが、父はスウェーデンに帰り、母子家庭で育つ。東京芸術大学を経て、NHK毎日コンクール賞など受賞。ウィーンでのコンサート直前に高熱をこじらせ耳が聴こえなくなるなど、幾多の波乱を乗り越え、プロデビュー。アルバム『奇蹟のカンパネラ』はクラシック界において異例の売り上げを記録。情感たっぷりの独特な演奏スタイルから絶大な人気を誇る、世界的ピアニスト©Samon Promotion, Inc.

リストを弾く時は大きな音でサーカス的に

母が弾いてくれたピアノが、私のピアノとの最初の出会いです。ただ、毎日、母からは「お前はバカだ」と言われ続けていたので、実は自分でも自分のことを〝イディオット〟だと、本気で思っていました。なので、ピアノを弾き始めて、周りの人たちから〝天才ピアニスト〟と呼ばれても、信じられませんでした。

子供の頃に聴いた曲で、印象に残っているのは、リストの「ラ・カンパネラ」。10歳の時に日比谷公会堂で(レオニード・)クロイツァー先生*が弾いたのを聴いて、「まあ! なんて美しい音色かしら」と感動したのを、今でも鮮明に覚えています。

それ以来、リストの曲が大好きになりました。リストの曲は、まるでサーカスのように人をびっくり仰天させるような旋律が多いんです。だから私もリストの曲を弾く時は、できるだけ大きな音を出して、サーカス的に弾くよう心がけています。

戦争が激化すると、ピアノを習うことも、演奏することもままならなくなりました。私は、人として1番醜いことは、誰かを傷つけることだと思います。命というのは自分のためにあるのではなく、〝愛〟を捧げるためにあるものです。その命を〝欲〟のために抹殺する、戦争をする人たちは、必ず地獄に落ちると思います。

命というと、私はネコが大好きで、捨てネコたちを何匹も拾って育てているの。ピアニストとして脚光を浴びる存在になれたのは、今まで私が命を救った動物たちが、恩返しをしてくれているからのような気がします。イヌは一生恩を忘れませんし、ネコは幸せを運んできてくれると、私は思います。

日本も戦争をして命を粗末にしたけれど、いい所もあり、悪い所もあります。ただ、昔の日本は、今よりもいろんな意味で美しかったと私は思うの。

©Ikuo Yamashita

恋はいい仕事をするための燃料

私がドイツに留学している間に、カラヤンを始め、多くの天才音楽家たちに出会いました。最高の音楽に触れられたこの時期の経験は、私のその後の音楽人生にどれだけプラスになったかわかりません。そのなかでも、1番の思い出となったのは、バーンスタインに出会ったことです。また20世紀最高の作曲家で指揮者のブルーノ・マデルナに認められ、彼のソリストとして契約したことは、私の人生の誇りのつとなりました。

最近、興味を持っている音楽家は何人かいますが、私はパリに住んでいますので、フランス人のローラン・コルシアというヴァイオリニストに注目しています。彼は私のパリ公演を聴きに来てくれましたが、とても素敵な方でした。

近年になって皆さんから、「魂のピアニスト」などと評されています。最近、高い技術を持った演奏家がたくさん出て来ています。ただ、テクニックというのは〝技巧的に早く正確に〟弾くということではないと思います。

私の演奏の中には詩や語りが入っていたり、さまざまな色彩を表現しています。作曲家がどういう想いでその曲を作ったかを、大切にしているつもり。だから、私の演奏は毎日変化します。本当のテクニックというのは、人の心に触れることができるかどうかではないでしょうか。私は、いいピアノの音色を出すには、恋愛が必要だと思いますよ。恋はいい仕事をするための燃料となるのよ。

私の今後の人生の目標、夢ですか? 私の夢は、有名になれなくてもいいから、私の音楽を聴いてくれる人の前でピアノを弾くことでした。これからもそうです。私にとって音楽、ピアノは、子供の頃から唯一諦めなかった夢です。私の演奏を聴いて癒される人がいる限り、私は演奏し続けます。

ロサンゼルス、オレンジ、サンディエゴのファンの皆さん。当日は、どうぞ会場に足を運んでください。いい演奏をできるよう頑張ります。

*フジコさんの母のドイツ留学の時の恩師。フジコさんの才能を認めた最初の人物。

フジコ・ヘミング コンサート・インフォ

場所: Orange County Performing Arts Center
  600 Town Center Dr., Costa Mesa
  www.ocpac.org

■2007年2月13日(火)・8:00pm
♦チケット購入:$25~$85
 OCPAC BOX OFFICE     (☎714-556-2787)
 All American Tickets    (☎1-888-507-3287)
 紀伊國屋書店  コスタメサ店 (☎714-662-2319)
        ロサンゼルス店(☎213-687-4480)
 三省堂書店コスタメサ店   (☎714-556-2200)
 旭屋書店トーランス店    (☎310-375-3303)
 H.I.S.           (☎1-877-447-8721)

「魂のピアニスト」と称賛されるフジコ・ヘミングが、3年ぶりのアメリカツアーでロサンゼルスを訪れます。今回は、過去にエミー賞を受賞している南カリフォルニアの名門オーケストラ、グレンデール・シンフォニー・オーケストラとの共演で、演目はベートーベン・ピアノ協奏曲第5番変ホ長調「皇帝」。第2部には、カラヤンから「神様からの贈り物」と絶賛された韓国人ソプラノ歌手、スミ・ジョーが出演します。
 
(2007年2月1日号掲載)

 

フジコ・ヘミング◎リサイタル直後インタビュー

2009年7月24日、26日の2日間、The Broad Stage at Santa Monica College Performing Arts Centerにて、フジコ・ヘミングさんのソロピアノ・リサイタルを開催した。両日とも540席が完売。ベートーベンの『テンペスト』やショパンのエチュード、そしてトリにはフジコさんを一躍有名にしたリストの『ラ・カンパネラ』が演奏され、観客は一様に、情感あふれる、力強い演奏に感動した。最終日の終演直後に、フジコさんに話をうかがった。

 

フジコ・ヘミング(Ingrid Fuzjko Hemming)
日本人ピアニストの母と、スウェーデン人建築家の父の下、ベルリンで生まれる。10歳からレオニード・クロイツァーに師事。毎日コンクール入賞、文化放送音楽賞を受賞するなど注目を浴びる。28歳の時にベルリンへ留学。風邪による高熱で聴力を失い、スウェーデンへ移住。再びドイツへ戻り、音楽教師をしながら演奏活動を行う。1999年にNHKで放送されたドキュメンタリーをきっかけに大ブレイク。デビューアルバム『La Campanella』は200万枚を売り上げ、日本ゴールドディスク大賞を4度受賞。2008年にアメリカにて”Fuzjko Label”を設立、アメリカデビューを果たす。

私の公演は、いつもソールドアウトであってほしい
今回の公演を終えて、感想は?
 
今日は素晴らしい演奏ができました。自分の出来というのは自分にしかわからないものですが、すごくうれしいです。最近はすごく調子が上向きで、度胸も付いて、完全な演奏ができるようになりました。すごく満足しています。
 
この前ロスで弾いた時(2007年の公演)は、2千人か3千人くらい入る会場が完売になったんですが、ああいうのは向いていないかもしれません。私にはもっとこぢんまりした所が向いているし、お客さんが喜んでくれているのもわかるし。今回のような会場で2~3回演奏した方がいいです。お金のない苦学生とかを対象に、タダの演奏会をしたっていいわ。
 
今回のプログラムは、あんまり欲張って、色々とやらない方が良いと思ってレパートリーを決めました。ただ、『ハンガリアン・ラプソディー』は、今回弾くはずだったのだけど、ちょっと手を痛めて止めたんですよ。昨年12月にロンドンで、新しいフジコレーベルのCDを録音しました。そこはビートルズを育てた大物プロデューサーが作った素晴らしいスタジオで、「神の手」と言われるロンドンの技師たちが録音に携わってくださって。今までにないような音響のCDなので、皆さん興味を持っていただけると思います。
 
アンコールの2曲は、どちらもしっとりしていますが、何か意図はありましたか?
 
『ラ・カンパネラ』を弾いた後で、もう1回ブラボーが出るような曲を弾いてもしょうがないから、わざとしっとりした曲にしたの(笑)。お客さんが静かなのは感動と関係ないから。

今回も非常にパワフルな情感溢れる演奏でしたが、そのパワーの源はどこにありますか?
 
私は神様を信じているから、弾く時にはいつも「お守りください、お守りください」とお祈りしています。だから神様はちゃんと守ってくださるし、信仰は大切ですよね。
 
曲と曲の間で黙想しているのも、実は心配なんです。私、歳を取ってきているから、背中が丸くなっておばあさんみたいに見えないかしらと思って。カッコ悪いかなとか、そんなことばかり考えています(笑)。だから一所懸命、背筋を伸ばして。私の公演は、いつもソールドアウトであってほしいですから。もし将来聴く人がいなくなったら、ネコと犬のためだけに弾きますよ(笑)。
 
今回のお召し物は大変素敵ですね。いつもそのような装いで演奏されるんですか?
 
私のお世話をしてくれている友達が、京都などで芸者さんのお古などを探してくるんですよ。昔の着物の色って素晴らしいですからね。染め物も、私は好んでいます。海外で公演する時は、現地の方は絶対に着物がいいと言います。日本人はあまり喜びませんが(苦笑)。でも日本人、特に男の人はもっと着物を着てほしい。とても似合うから。
 
もうハッタリでは弾かない飾るから滑稽になる
ロサンゼルスの印象はいかがでしたか?

 
日本で言えば、軽井沢みたいにお洒落な街だし、歩いている人もお洒落な人が多いですね。私はアメリカ人が好きで、アメリカに憧れていました。だけども、昔は全然お金がなかったから。渡米しようと大使館に行っても、「いくらお金を持っているか?」と聞かれると、預金通帳も持ってなかった状態でしたので、仕方なくヨーロッパに留まったんです。
 
(指揮者の)小澤(征爾)さんにヨーロッパで会ったことがあるけど、モヤモヤしてたの。彼はそれでアメリカに来て、初めてパワーアップしたんですよね。アメリカ人てすごく寛大で、人間としては世界最高だと思います。

媚を売らないで、もっと純粋でありたい

フジコさんは、音楽を通して何を伝えたいですか?
 
さあ、何でしょうね。何で皆さんが私の演奏会に来るのかわかりません(笑)。ただ、ほかの演奏家からは、「フジコのピアノは深い」って言われたりします。きっと、信仰があるから深いんじゃない?深みとかは自然に出るもので、私は「作る」ことが全然できません。
 
この間、華道の大家の假かりやざき屋崎省吾さんの知り合いで、パリコレにも出たすごくきれいな女優さんがいて、彼女の首が痛くて回らなかったんですって。ところが私の演奏会に来て、「ラ・カンパネラ」を聴いたら、帰る時には首が治ってしまったと、私に言ってくれました。病院にいる人が私のCDを聴いたら、どういうわけか治っちゃったとか、そういう話をよく聞くから、どうもウソじゃないらしいわ。きっと私があまりにも神様に祈りながら弾いているから、それで効くのかな。薬みたいなものよね。
 
フジコさんにとってピアノや音楽とはどういうものですか?
 
私にとって、ピアノは人を慰めるものです。私も慰められているし、最近はお金も入って来るから、毎年、ユニセフにも寄付しています。(日本の自宅がある)下北沢辺りの野良ネコも助けることができました(笑)。すごくうれしい。
 
ピアノはお客さんが入る限りやりますよ。あとはネコと犬のためにね。ネコも結構、聴いているんですよ。人間と同じで、ネコにも色々いて、音楽なんか聴かずに尻尾巻いて逃げて行っちゃうのもいるしね(笑)。
 
今まではハッタリ。「こうやったらウケる」といったことばかりを考えていたけれど、バカバカしくなって。最近はいっぱいバッハを弾くようになりました。バッハなんてハッタリが利かないですからね。だから私は、媚を売らないでもっと純粋でありたいと思います。
 
東京では私のバッハをとても感激したとみんなが言ってくださったから、同じ曲をパリの友達のピアニストに「弾いてみな」と言ったの。そうしたら、まるでチョコレートみたいなバッハを弾いたから。飾るから滑稽になっちゃうのよね。
 
来年あたりから、全米ツアーもやる予定です。私、飛行機がダメなので、大きな車を借りてアメリカ横断するみたいだから、すごく楽しいと思います。やれるうちに早くやっておかないとね。

ロサンゼルス公演 演奏プログラム (2009年7月24日/26日)

DEBUSSY Clair de Lune(De “Suite Bergamasque”)
Jardin Sous la Pluie(“Estampes”)
BEETHOVEN Piano Sonata No. 17 in D Minor,Op. 31-2(Tempest)
CHOPIN Nocturne in E Flat Major, Op.9-2
Waltz in E Flat Major,Op.18-1(Grande Valse Brillante)
Étude in E Major, Op.10-3(Chanson de L’adieu)
Étude in G Flat Major, Op.10-5(Black Keys)
Étude in C Minor, Op.10-12(Revolutionary)
BACH Jesu, Joy of Man’s Desiring( Aria)
LISZT Un Sospiro(3 Études de Concert S144-3)
Frühlingsnacht(Schumann Transcription)
Grandes Études D’après Paganini No.6 S.141-6
La Campanella (Grandes Études D’après Paganini No.3 S.141-3)
Encore
CHOPIN Nocturne No.1 in B Flat Minor Op.9-1
J.M. Ravel Pavane pour une Infante Defaunte
 
(2009年8月16日号掲載)

ロサンゼルス・ドジャース / 斎藤隆

ロサンゼルス・ドジャースのクローザーとして、チームのプレーオフ進出に貢献した、遅咲きの日本人メジャーリーガー。1度は断念したメジャー再挑戦を決意したことが報じられた時、誰がこの活躍を予想しただろうか。父と兄の影響で、物心ついた時から野球をしていたという斎藤投手の野球に対する思いを聞いた。

自分で能力を決めるのではなく見極めるためにチャレンジする

さいとう・たかし◉1970年2月14日生まれ。宮城県仙台市出身。91年、東北福祉大学からドラフト1位で横浜大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)入団。14年間で339試合に登板し、87勝80敗48セーブ、1284奪三振、防御率3.80を記録。2006年、ロサンゼルス・ドジャースに移籍し、72試合に登板、6勝2敗24セーブ、107奪三振、防御率2.07を記録。ドジャースの新人セーブ記録を塗り替え、奪三振と被打率(.177)は救援投手の中ではメジャーナンバー1。
http://sports.yoshimoto.co.jp/t_saito/

意識していなかったプロ選手への道

僕が野球を始めたきっかけは、実ははっきりとは覚えていないんですよ。父親が少年野球の監督で、2人の兄が野球をしていたので、小学3年生になって僕自身がチームに入る前から、土日には試合や練習を見に行くのが当たり前でした。環境そのものが野球だったので、他のスポーツをする選択肢はなく、運命付けられていた感じですね。

高校時代まではプロなんて、考えもしませんでした。テレビの中の世界でしかなかったですよ。大学に入って、ピッチャーになったのは2年の終わり。3年の初めから本格的にやり始めて、4年の春くらいに急にプロからも注目され始めて、その1年間で、ようやくプロ野球を意識できるようになったというか、周りが意識させたというか。でも、「えっ? 本当に俺がプロ?」って感じでしたね。

プロに入ってからも、メジャーリーグに対しては、子供の頃にプロ野球をテレビで見ていたのと同じような感覚での憧れは持っていましたが、何か強い願望を持っていたというわけではありません。佐々木主浩さん(元シアトル・マリナーズなど)が大学でもプロでも同じチームの先輩だったんですが、あれほど近かった人が、雲の上というか、手の届かないところに行ったというか、まったくリアリティーを感じなかったです。

だから、メジャーリーグについて関心を持ったのも、そんなに昔のことではないんですよ。自分がどのようにチームに貢献しようかとか、自分のクオリティーを上げるためにはどんな努力が必要かとか、そういうことにだけ集中していましたから。5、6年くらい前に、長谷川滋利さん(元アナハイム・エンジェルスなど)と、自主トレを一緒にさせてもらったのがきっかけです。エンジェルスタジアムのブルペンで練習して、「ああ、こういう場所でメジャーリーガーたちはプレーしているんだな」と、リアルに感じられるようになって、何となく意識し始めたんです。

1番印象的だった打ち込まれた試合

2006年がドジャース1年目でしたが、最初はマイナーでスタート。すぐにお呼びがかかって、4月9日のフィラデルフィア・フィリーズ戦でデビューしました。シーズンを通して、本当に緊張の連続でした。特にメジャー初登板の時の緊張は、今までにない感覚でしたね。

でも1番印象深かったのは、デビュー戦でも初勝利でもないんです。優勝争いをしていた大事な1戦、9月18日のサンディエゴ・パドレス戦で、1点リードされた9回の表に登板して、1点も取られてはいけない場面で3点取られた試合です。ベンチに帰ってきた時、僕はうなだれて、落ち込んでいたんですが、チームメートが代わる代わる僕のところにやって来て、僕にもわかる英語で、「サミー、顔を上げろ」「お前がいたから俺たちはここまで来れたんじゃないか」って言ってくれたんですよ。うれしかったですね。そして9回裏に4人連続ホームランで延長戦。最後はサヨナラホームランと、本当に劇的な試合でした。

昨シーズンは、世界一の一歩手前まで行ったんですが、残念でしたね。とにかく悔いだけは残したくないと思って、無我夢中でやりました。

アメリカに来る前は、ピッチングスタイルが少し似ていたので、カート・シリング(現ボストン・レッドソックス)に憧れていました。昨シーズンのチームメートでは、グレック・マダックスですね。彼のことはプレーヤーとしても、人間的にも尊敬しています。練習でもグラウンドへ来るのは1番ですし、聞くところによると、グラウンド以外でもエクササイズを週に4日はやっているそうです。動きを見ているだけで勉強になるし、同じチームでプレーできたことがうれしいですね。あんな大投手なのに、決して偉そうにしてるわけではないし、すごく気さくで、驚くくらいなんですよ。

僕はメジャーでまだ1年しかやってないので、ひと言で日本の野球との違いを言うのは難しいんですが、あえて言うなら、アメリカの場合は1人1人の選手が力を発揮して、それを監督がうまくまとめる。個人を尊重しているお国柄なのか、僕にはそういう風に映りますね。日本の場合も、選手はみんなとても個性があって、それぞれ考え方も違うんですけど、まず監督の考え方を選手が理解して、それによってプレーするという、まったく逆なんですよ。

かといって、メジャーでは選手が自分勝手なことばっかりしているわけではないんですよ。ただ、練習メニューもトレーニングメニューも、最低限ここはやってくれ、という課題しか与えられないんです。そこから先は自分のやりたいこと、すべきことを考えてやっていく。練習量が10だとするならば、メジャーでは3ぐらいまでを最低限の全体の課題としてやる。残りの7は個人が工夫して自分のペースでこなしていく。日本の場合は全体で決められているのが7で、残りが自分に与えられた幅。そういう感じですね。

チャレンジする気持ちを持ち続けることが大切

プロで15年間野球をやってきて、最近よく思うことは、プロ選手というのは自分だけじゃなく、多くの人々の夢を背負っている、だから自分は能力が続く限り、チャレンジしていく気持ちを持ち続けなければいけないんだな、ということです。例えば、小・中学校の頃に、僕がレギュラーに選ばれたり、ポジションを取ったために、補欠になったり、野球を断念した友達がいた。高校時代には、僕たちのチームが甲子園に行ったことによって、涙をのんだ他校の高校球児が何千何万といた。そうやって僕のレベルが上がれば上がるほど、多くの人が僕に夢を託してくれていたんだろうなと、漠然となんですが感じたりします。

僕は、自分では意識していなかったにもかかわらず、結果として野球人の憧れであるメジャーのユニフォームを着ることになりました。人には、自分自身でもわからない能力がきっと誰にでもあって、僕はそれを試すためにずっと野球をやってきて、そのうちにだんだん貪欲になって、そして周りのみんなに支えられながら、しかもタイミングが合って、こうしてアメリカでプレーできているのだと思います。

自分で自分の能力を決めるのではなく、その能力を見極めるために、チャレンジしていく気持ち。そのお陰で、僕はメジャーの舞台でプレーできている、そんな感覚でいるんですよ。

 
(2007年1月16日号掲載)

『Form W-4』とは?

新しく仕事を始めるとき、新規雇用者は「Form W-4」を記入し、雇用主に提出します。これは源泉徴収額を決めるもので、生活状況に変化があった際に更新すると、確定申告時に支払い義務の生じる可能性が低くなります。「Form W-4」は2ページ構成で、1ページ目は基本的な家族構成などの質問で、全員が記入します。2ページ目は項目別控除を利用する人、複数の仕事を持つ人などが記入する場所です。

「Form W-4」1ページ目の内容

1ページ目では、AからGまでの質問に数字で回答し、それらで算出された総数を問Hに記入します。この数字は、自分がどの程度の所得控除や税額控除を利用できるかの目安であり、源泉徴収を計算する計算式に利用されます。合計数が大きいほど各種控除を利用できると予測、つまり、源泉徴収額が低く設定されます。ですから、家族構成の変化などで控除額が減ったにもかかわらず、「W-4」の内容を更新していない場合、本来支払うべき税金より少ない額を源泉徴収されていたことになるので、確定申告時に支払い義務の発生する可能性が高くなるのです。
問AからEでは記入者本人や扶養家族、収入源の数を確認します。これは、個人控除(Personal Exemption)を利用できるか、利用できるならばそれがどの程度かを確認するためです。例えば、学生がアルバイトをする場合、「W-4」で自分が扶養されていると申告し、両親の扶養家族として両親の確定申告の中で個人控除を利用する方が、家庭全体で、より税額の削減につながる場合も多々あります。
給与の源泉徴収は雇用者ごとに行います。累進課税制を採用している米国では、複数の収入源がある場合、全ての収入源からの給与を合算した結果、より高い税率で課税されることも珍しくありません。問Dで配偶者の収入の有無を問うのは、夫婦合算申告を行う場合、両人の収入を合算して税率を算出するためです。
問Fは、子育て費用クレジット(Child and Dependent Care Credit)を2000ドル以上利用できるかの確認になります。このクレジットは、働くため、あるいは求職のために扶養家族(子どもや障がい者など)のケアに支払った額の一部を、扶養者一人当たり最大3000ドル、対象が複数人の場合は最大6000ドルまで控除として利用できる制度です。
問Gでは世帯の総収入と、17歳未満の子どもを対象にした子ども税クレジット(Child Tax Credit)が利用できるかどうかを確認します。
また、1ページ目では、基本的な個人情報も記入します。

「Form W-4」2ページ目の対象者

「W-4」の2ページ目は、項目別控除(Itemized deduction)を利用する人や、複数の仕事を持っている人、そして共働き家庭の人が記入し、より実態に見合った控除用の数字を算出したり、追加の源泉徴収額を計算したりするものです。項目別控除とは、一般的に家を持っている人などが対象となりやすい控除です。

正確に書く意義

もちろん、「W-4」で算出される数字にはある程度予測が含まれるため、最終的な還付や納付を完全に防ぐものではありません。ですが、これらをより実体に近く記入することで、確定申告時に支払い義務の生じる可能性が低くなります。
今年の確定申告で支払い義務が生じた人、結婚や出産、副業の開始など生活状況に変化のあった人は、「W-4」を見直し、月々の源泉徴収額を調整してみてはいかがでしょうか。

(2016年8月16日号掲載)

石上洋◎米国公認会計士
カリフォルニア州立大学ロングビーチ校を卒業後、大手監査法人、現地会計事務所パートナーを経て石上・石上越智会計事務所を設立。税務をメインに事業を展開。
アメリカでの会社設立・確定申告・タックスリターンは「石上、石上&越智公認会計士事務所」へ
米国公認会計士・石上洋さんのインタビュー

※本コラムは、税に関する一般的な知識を解説しています。個別のケースについては、専門家に相談することをおすすめします。ライトハウス編集部は、本コラムによるいかなる損害に対しても責任を負いません。