日本に住む親の老後をどうするのか?と考えた時、自分が日本へ引き揚げる以外にも親をアメリカに呼び寄せることが選択肢となってきます。そこで、実際に日本の親を呼び寄せて一緒に暮らす(暮らした)人と呼び寄せられた親に、渡米までの準備やアメリカでの生活について、また呼び寄せを検討している人へのアドバイスなどを伺いました。
ケース01:
母一人娘一人、アメリカに呼び寄せる以外の選択肢はなかった
呼び寄せた増井信子さん(トーランス在住)
![]() 母の慶子さん(右)と娘の信子さん(左)。信子さんのピアノ教室にて。
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-どのような経緯で親御さんを呼び寄せることになったのですか?
私は一人っ子で父も私が幼い頃に亡くなっていたので、母の老後を考えると私が呼び寄せる他に選択肢がないと、ずっとそのつもりでした。母は30年近く勤務した大手新聞社を退職した後に、観光ビザを取ってアメリカと日本を往復するようになりました。その間に私は母の永住権のスポンサーのために市民権を申請しました。その傍ら、母も永住権の抽選プログラムに応募し続けましたが、残念ながら当選はしませんでした(笑)。
-お母様を呼び寄せて一緒に暮らして良かったことは?
何と言っても、母が子どもの面倒をしっかりと見てくれたことです。母がこちらに来るまでは夕飯の支度のため、自宅でやっているピアノのレッスンの仕事を午後6時までに終わらせるようにスケジュールを組んでいました。でも、母が来てからは、食事の支度をしてくれるので、生徒さんの要望があれば6時以降でもレッスンを入れることができるようになりました。
-今後もずっと一緒に住む計画ですか?
日本に母だけが帰る、または私も一緒に帰るという選択肢はありません。私の娘に子どもも生まれました。母にとってはひ孫になるわけで、家族がいるアメリカに母も私も今後も住む予定です。また、母の老後に備えて、随分前から介護保険に加入しています。私自身、ピアノ講師の仕事をできる限り長く続けるつもりなので、母に介護が必要になったら自宅にケアギバーさんに来てもらいます。そのために何十年も前から計画を立てて、今も支払いを続けています。それでも、89歳になる母は、今も元気で普通に日常生活を送っています。
呼び寄せられた橋本慶子さん
![]() 母親の慶子さんにとってのひ孫が誕生。
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-娘さんの呼び寄せにすぐに応じたのですか?
私には日本に兄弟がいるのですが、自分に介護が必要になったら頼れるのは娘しかいないと思っていました。幸い、娘の主人も快く賛成してくれたので、すぐに決心しました。
-アメリカに住むようになって困ったのはどんなことでしたか?
言葉が通じないことです。例えば買い物に行っても、レジの人に言われる言葉が全然分かりませんでした。それでアダルトスクールに通ったのですが、結局、話せるようにはなりませんでした(笑)。
日本では車の運転はしていなかったのですが、娘に絶対に必要だからと言われて、こちらで日本語で指導する先生に習って運転免許を取りました。孫の学校や食料品マーケットなど行かなければいけない所には自分で行けて、免許を取って本当に良かったと思います。
また、こちらに来て何か楽しみを作らなくてはと思い、日本語の電話帳で日本舞踊の教室を調べて、コロナの前まではずっと通っていました。故坂東三津五郎師の直弟子の故坂東三津拡師匠の教室です。
-これから日本から来る方にアドバイスするとしたら何と言いますか?
まず健康であること。これが一番です。そして、ある程度英語の知識を付けておくこと、さらに車の運転はできるようにしておいた方がいいと思います。
ケース02:
80代半ばの両親と同居
残された時間を一緒に過ごせた
呼び寄せたラナ・ソーファーさん(トーランス在住)
![]() ラナさん(左)は、夫のダニエルさん(右)に「両親を受け入れてくれて一生感謝する」と話します。
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-ご両親をアメリカに呼び寄せた経緯をお聞かせください。
以前から両親の老後の面倒をどうやって見るか、私と同じくロサンゼルスに暮らしていた姉と話し合っていました。姉はアメリカに親を呼び寄せることになったら永住権をスポンサーできるように市民権を取得しました。そして、私は親が日本に住み続けた場合に、長期間、日本に滞在できるように永住権のままで市民権は取らずにいました。
2013年ぐらいには、父の体力が弱ってきたので、アメリカに呼び寄せた方がいいという結論に達しました。日本の施設も見学したのですが、両親を施設に入れるよりも一緒に住みたいと思ったのです。
それで、姉が両親の永住権申請に必要な書類をそろえてくれて、手続きを進めました。大変だったのは、スポンサーする姉に一定額以上の収入や資産があることを証明しなければならないことでした。姉は当時、フリーランスの同時通訳者でしたので、親を呼び寄せる十分な収入と資産があることを証明することが難しかったようです。しかし、何とか書類もそろえて、資産価値なども証明して、申請してから1年足らずで永住権を取得できました。
-ご両親と一緒に暮らして良かったことは?
永住権が取れた2014年当時、父は85歳、母は86歳でした。そして、父はすでに認知症を発症しており、2015年に亡くなり、母もまた認知症になってしまい、2017年に亡くなりました。認知症の方は住む環境を変えると症状が進みやすいそうです。ですから、親の環境を(呼び寄せによって)変えてしまったことで進行が早まったのかもしれないと思うこともありますが、それでも親を日本の施設に入れていたとしたら、果たして、亡くなるまでどれだけ会いに行けただろうかと考えると、やはり呼び寄せて良かったのだと私は思います。私も姉も若い時に親元を離れてアメリカに渡ってきたので、両親を呼び寄せてから、思う存分、一緒の時間を過ごすことができました。
実は、両親は渡米当初、姉の家に住んでいました。しかし、姉は一人暮らしで、彼女一人で両親の面倒を見ることが大変だったこと、また仕事柄、出張も多かったので、1年後、両親は私の家に引っ越して来ました。同居に関して快く了承してくれた夫には、一生感謝し続けます。認知症の父は、勝手に家の外に出て行くなど大変なこともありました。でも夫は文句一つ言わず、私の両親と仲良くしてくれました。親の呼び寄せには、家族の理解が大切です。もし、家の人が理解してくれなかったら同居はスムーズにいきませんから。
それから、両親と同居するようになって、東海岸に住む息子がよく祖父母を訪ねてくれるようになりました。彼は自分で日本語を勉強して、会話できるまで上達させたのです。
![]() ラナさんの息子のケンさん(右)は、東海岸から何度も訪ねてくれたとか。
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-ご両親との暮らしで大変だったことは?
これは呼び寄せとは関係ないことですが、認知症の両親が、夜中でも何をし始めるか分からないために、私はずっと注意していなければなりませんでした。ただし、日本のテレビが見られるように契約したので、父も母も家でテレビの前にいる時間が長かったですね。
また、母の姉、私にとっては伯母が昔からアメリカに住んでいたので、母にとっての甥と姪がよく母のことを気にしてくれて、ショッピングモールなどに誘ってくれたことも助かりました。
-医療保険はどうしたのですか?
私たち姉妹も正直驚いたのですが、「Medi-Cal」を申請したら最初は却下されたものの二度目に通ったんです。「Medi-Cal」はカリフォルニア州が運営する所得が低い人向けの医療保険で、(両親には)アメリカでの所得がないという理由で申請が通ったようです。それまでは、民間の医療保険に2人で月に400ドル払っていました。私は非常に安いと思いましたが、母はその額を聞いて、「400ドルって年間の料金じゃないの?」とびっくりしていましたね。
-これから親を呼び寄せる人にどんなアドバイスをしますか?
まず呼び寄せる前に調べものをきっちりすることです。永住権申請の書類は自分でそろえて、専門家に相談すること。また、医療保険についても事前に調べておきましょう。そうでないと、せっかく一緒に住めたのに、アメリカの高い保険料や医療費で思うような生活が送れないこともあります。さらに、呼び寄せ後もさまざまな事情で日本に帰らなくてはいけないこともあります。日本でどういう施設があるのかなどについても調べておくと良いと思います。
ケース03:
認知症の母を迎えて6人家族に
日本語を話すアメリカ人夫が強力サポート
呼び寄せたC・Yさん(ブレア在住)
-どのような経緯で親御さんを呼び寄せることになったのですか?
5年ほど前に父が亡くなってからは、母が日本の実家で一人暮らしをしていました。その母が10年前に認知症を発症しました。それからもヘルパーさんが手伝いに来てくれていたので普通の生活は送れていたのですが、私もアメリカから母の世話をするために年2回帰国するようになりました。ところが、昔は私がアメリカで一緒に暮らそうと誘っても断っていた母が、ある時「寂しいから(アメリカに)帰らないで」と私に言ったのです。
また、ある時期までは私が母を日本に迎えに行き、一緒にアメリカに遊びに来ていたのですが、入国審査で何度も出入国している記録を見て、審査官に「次回からはちゃんとビザを取ってアメリカに来るように」と言われたことも、母を呼び寄せるきっかけになりました。それで母がこちらに滞在中に「こっちに住んだら?」と言ったところ、母もついに「そうさせてもらっていいかしら?」と答えてくれました。私のアメリカ人の主人も、日本の母のことが心配だから家族で一緒に暮らそうと何度も提案してくれていました。
-お母様と一緒に暮らすためにどのような準備をしましたか?
私が米国市民権を取得後に、母の永住権を申請しました。弁護士は通さずに主人が全て手続きをしてくれました。申請したのは3年ほど前になりますが、パンデミックで移民局の業務が一時期ストップしていたせいなのか、まだグリーンカードは届いていません。それでも申請以来、出入国していないので「申請中」というステータスのまま、カードが届くのを待っている状況です。グリーンカードさえ届けば、家族で海外旅行に行けるので、今はそれを楽しみにしています。母は今87歳ですが、まだ旅行に行く意欲を失っていません。
-お母様をどのようにお世話しているのですか?
一人では外出できませんので、いつも誰かが一緒です。また、家で仕事をしている主人がいつも母のサプリメントを用意してくれます。永住権の申請もそうでしたが、主人が本当によく母の面倒を見てくれるのです。それは昔、私たち一家が日本に住んでいた時に母が主人によくしてくれていたことも理由だと思います。日本の親を呼び寄せてこちらで世話をするには、配偶者のサポートがかなり重要です。もし、配偶者に(親の面倒を見ることに対して)ネガティブなことを言われたら嫌になってしまいますよね。まるで自分の親のように全て受け止めてくれる主人には、心から感謝していますし、母も喜んでいます。
我が家は3人の子どもも同居しているので、全部で6人家族です。母は夜、何度もトイレに起きるのですが、どれがトイレのドアかすぐに忘れてしまうので、トイレの明かりはずっとつけっ放しにしています。そして、家族のうち誰かがサポートできるようにスタンバイしています。私と主人だけでなくて、家族皆で世話をしているという感じですね。
-お母様を迎えて良かったこと、また大変なことは何でしょうか?
良かったことは、「日本で一人暮らしの母は大丈夫だろうか」と以前ずっとしていた心配を、今はしなくて済むということです。離れていた時は頻繁に電話していました。でも、電話口で「今日は元気よ」と母に言われても、それだけで終わってしまって、実情は分かりませんでした。だから、今は母がパンデミックの前にこっちに来ることができて、本当にラッキーだったと思います。
また、母との生活で大変なことは、認知症なので、同じことを何度も繰り返して伝えないといけないことです。家族の名前を忘れてしまうこともあります。でも、それも分かって呼んでいるので覚悟しています。
助かっているのは、私はもちろん、主人も子どもたちも皆日本語が話せることです。主人は母に時々、「僕の名前、分かりますか?」と話しかけています。だから本当に心強いです。
-ずっとアメリカで一緒に暮らすのですか? 将来のことはどう考えていますか?
今のところは楽しくやっていけているので、このまま過ごしていきたいです。子どもたちが巣立っていった後、母が日本に帰りたいと言えば、一緒に帰ることもできます。何かが起こったら、その時に一番いいと思うことを実行に移せばいいと考えています。母は昔から施設には入りたくないと話していました。だから今、家族で暮らしていることは、母の望み通りなんじゃないかな、と思います。
ケース04:
60歳前後で移住した両親
父はアメリカでも17年間働いた
呼び寄せた横山智佐子さん(トーランス在住)
![]() 左から智佐子さん、啓子さん、佐右衛門さん。
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-いつ頃、どのような経緯でご両親をアメリカに呼び寄せたのですか?
両親が渡米してきたのは1995年5月でした。息子がその年の9月に生まれたのですが、最初の子どもで私も育児に慣れていないし、フィルムエディターとしての仕事もあったので、親のヘルプが必要でした。また、当時、日本ではバブルが弾けて、景気があまり良くなかったんです。両親は三重県で料亭を経営していたのですが、このまま店を続けていても借金だらけになってしまうということで、思い切って引退してアメリカに行こうという話になり、私が呼び寄せました。
-呼び寄せのためにどのような準備をしましたか?
最初に両親を観光ビザで入国させて、私が市民権を取って両親の永住権を申請しました。申請から取得までは1年半くらいでした。
-こちらに移住後、ご両親は何をして過ごしたのですか?
アメリカに移住した時、両親ともに60歳前後でしたので、まだこちらでも働けました。父は料亭での経験を生かしてニジヤマーケットに就職し、17年間働きました。父がこちらに来てから働いたおかげで、両親ともに「Medicare」も受給できました。また、息子に続いて娘も生まれたので、出張が多かった私は子どもたちの食事も全部、親に任せきりでした。両親がアメリカに来てくれなかったら、仕事を辞めざるを得なくなっていたはずです。
-大変だったことはどんなことですか?
父がニジヤで仕事中に魚からばい菌が体内に入ってしまったことがありました。緊急入院したのですが、父が全く英語を話さないので苦労しました。その時は私も仕事でそばにいられませんでした。今は両親が病院に行く時は通訳として必ず一緒に行くようにしています。
-今も一緒に住んでいるのですか? 今後の計画は?
私が数年前に再婚したので、両親の家とは離れた別の家に、私と夫、そして娘の3人で暮らしています。両親は息子と部屋を借りてくれている女の子との4人暮らしです。両親は高齢ですが、息子とその女の子がいてくれるおかげで助かっています。ただし、この先、両親が施設に入居するにしても日本語だけで生活できるところはなかなかないので問題ですね。
-これから親を呼び寄せる人にアドバイスするとしたら?
お父さんやお母さんを呼び寄せるとしたら、10年間はこちらでも働いて税金を納めることで「Medicare」が受給できるようになるので、計画的に動いた方がいいです。日本と違ってアメリカは医療費が驚くほど高いので、(「Medicare」を受給しないなら)その点を覚悟してください。
呼び寄せられた横山佐右衛門さん
-アメリカに来て困ったこと、良かったことはどんなことでしたか?
アメリカ暮らしで不服もなければ不自由をしたこともありません。「住めば都」で満足しています。特にここは天気がいいし、こちらに来てからゴルフを始めました。友達は働いていたニジヤマーケットで作りました。一緒に出かけたりしましたね。英語は話せるようにはならなかったけど、代わりにメキシカンが多かったのでスペイン語を多少話せるようになりました(笑)。
呼び寄せられた横山啓子さん
-アメリカに来ることに躊躇はなかったですか?
娘がいましたからね。困ったことがあっても何でも娘がやってくれました。
-アメリカに来て良かったことは?
60代の間は、娘の出張に一緒について行って、いろんな所に出かけました。フロリダ、オレゴンのポートランド、国外はカナダ、イタリア、イギリスには2回。夫は仕事があったので一緒に行けませんでしたが、私は娘のおかげで楽しい思いをさせてもらいました。
ケース05:
父と10年間アメリカで暮らし、70歳を前に日本帰国を決意
呼び寄せた込山洋一(ライトハウス代表・サウスベイ在住)
![]() 「子どもの頃は船乗りの父のことを理解していなかったが、一緒に暮らして温かい人柄に触れた」と話す、弊社代表の込山。
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-どのような経緯で親御さんを呼び寄せることになったのですか?
1996年、当時56歳だった父が胃がんを患いまして、また母とも離婚して独り身になったので、「(胃を切除して)もうハードな仕事もできないから、アメリカにおいでよ」と私の家に呼ぶことにしました。
-お父様はアメリカではどのように過ごしていたのですか?
父は船乗りだったので知らない土地で動き回るのも苦にならない人だったし、若い人たちとも気軽に話せる性格でした。麻雀が上手だったので、その仲間に入れてもらえるようになりましたが、あまりにも強すぎて最後は呼ばれなくなってしまったようです(笑)。他にも乗合船で釣りをしたり、こちらに来たのを機にゴルフを始めたりしました。私が週末にゴルフに行ったり、人と会ったりする時はできるだけ父も一緒に連れて行きました。
ところが、車の事故を何度か起こし始めたことが、移住後10年で再度日本に引き揚げるきっかけになりました。運転の感覚が鈍ってきて、とうとう父の過失で大きな衝突事故を引き起こしてしまいました。私も「このまま運転を続けたらさらに大きな事故を引き起こしかねない。かといって、父の性格を考えるとじっとしているのは酷」と父の将来について思いを巡らすようになりました。
運転以外にも、病院に行くとクリニック間の連携が取れていなくて、医者から医者にたらい回しにされることも問題でした。
家族の負担や心配をよそに、父親の酒量は増えていきました。今思えば、歳を取ってからの海外生活、家族には言えないストレスがそうさせた部分もあったと思います。考え抜いた挙句、元気なうちに慣れ親しんだ日本に帰ったほうがよいと思うに至り、「これからは日本で過ごした方がいいと思う」と父に伝えました。聞く方も辛かったと思いますが、それを言う方も辛かったです。父は70歳になる前に日本に帰りました。
-日本ではその後、どのように生活されていたのですか?
山口県萩市の実家で、年の離れた姉と二人で生活していました。その後、父から実家を出たいと言われたので、近くの施設を探し、そこで亡くなるまでの5年間を過ごしました。その施設はもちろんバリアフリーで1LDKの個室に3食付き。温泉まで出るんですよ。施設の職員の方たちは親切で本当によくしてくれました。熱が出たり、けがをしたらすぐにメールで知らせてくれました。もちろん、全ての施設がそうとは思わないので、人任せにせず、実際に足を運んで、施設や職員の対応はもちろん、入居者の様子を自分の目で確かめることをお勧めします。
最後の頃、父がガンで闘病中だった時には、施設、主治医、転院先の喉頭がん担当の医者とリハビリの先生、全ての連携が見事に取れていて、日本はすごいなと思わされました。ルールとか役割でなく、使命感や思いやりで動いてくださっているのが分かりました。
施設では父はいつも同じ女性と食事をしていたようで、その女性に「自分が船乗りの頃に行ったバンコクに連れて行きたい」と話していたそうです。そのことを亡くなってから知りました。最後、同世代の人との交流に恵まれて本当に良かったなと思います。
![]() 在りし日の父親の博さん(手前)。作家の阿木慎太郎さん(左奥)と。
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-親の呼び寄せを検討中の方にアドバイスするとしたら、何と言いますか?
アメリカで老後を過ごすのは、受け入れる家族の精神的負担、経済的負担も大きく、日本人にとっては当然日本より大変です。何歳まで(アメリカで)一緒に暮らすという期限を決めて、その後の話もした上で呼び寄せることをお勧めします。期限が決まっていたら、その間、しっかり一緒に楽しもうという気持ちになるでしょう。もしくは、季節に応じて日米を往復する2拠点生活を送るのも良いと思います。
-お父様とのアメリカ生活でどんなことを思い出しますか?
子どもの頃、父はずっと船に乗っていて家にいなかったし、両親が不仲だったこともあって、私は全然父に懐いていなかったんです。でも大人になって一緒に暮らして、父の温かい人柄を知ることができました。家族や友人、社員、みんなが父を慕い大切にしてくれました。
今、父との生活を振り返ると、自分で釣ってきた魚を料理してくれたり、家族ぐるみの友人と一緒に食卓を囲んだり、家族として過ごせた大切な時間を思い出します。会社のイベントや社員旅行にも参加しました。ラスベガスやグランドキャニオンにも行きましたし、父が南米のイグアスの滝を見たいと言うので、家内の両親とアルゼンチンまで足を延ばしたことも良い思い出です。
ケース06:
孫の世話で1年の半分アメリカ暮らし
「おばあちゃんがいてくれる」安心感
呼び寄せたR・Nさん(アーバイン在住)
-どのような経緯でお母様を呼び寄せることになったのですか?
いくつか理由があります。まず、私自身がシングルマザーなので、2007年当時、まだ小学生だった子どもの世話を母に手伝ってほしかったことが最も大きな理由です。どこかに預けたりするのは心配でしたし、小学校の娘の送り迎えを、母にやってもらいたいと思いました。それで母には「来られる期間に来て手伝ってほしい」と言うと、1年中日本を離れることはできないけれど、滞在できる期間だけアメリカに来てくれることになり、娘が高学年になるについて滞在期間が長くなり、最近は日本に半年、アメリカに半年といったバランスです。
二つ目の理由は、母が日本の梅雨があまり好きではなく、カリフォルニアの気候が素晴らしいからと、梅雨の期間に日本を離れてこちらに過ごしたいということでした。そして三つ目は、母が少しずつ高齢になってきて、私が多忙のために日本に様子を見に行くことができないので、母がこちらに来てくれると母の様子が分かっていいという理由でした。
-どのような準備をしましたか?
母がこちらに来るようになった少し前に、私自身が米国市民権を取得していたので、私がスポンサーとなり、母の永住権の申請をしたところ、申請後2カ月でカードが送られてきました。
-お母様を呼び寄せて良かったことは?
子どもが小さい頃は母が面倒を見てくれたことで助かりましたし、また「おばあちゃんが生活の中にいる」という温かみや安心感が子どもに良い影響を与えたと思います。子どもの日本語に関しても、母が日本語で話しかけてくれることで日本語の会話ができるようになりました。しかし、将来的には母は日本で生活したいと言っています。主治医も日本にいるし、自分の居場所は日本だと話しています。
呼び寄せられたT・Nさん
-アメリカ生活で大変なことは?
交通の便です。運転をしないのでこちらでは徒歩で行けるところにしか自分では移動できません。コロナ禍の今はどこにも行けず、時間を持て余しているというのが正直なところです。
-最終的には日本に戻るのですか?
そうですね、日本はやはりこちらに来るようになるまで60年間暮らした国ですし、日本の良さが体に染み込んでいるので、行き来できなくなったら日本に戻って暮らします。
知っておきたい
親のビザ取得方法
親をアメリカに呼び寄せるには合法なステータスが必要です。そこで移民法弁護士の瀧先生に、親のビザ取得までの手続きを聞きました。
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Q1. スポンサーとなる子が永住権者の場合、親の永住権取得までどれくらいかかりますか?
最初にスポンサーのお子さんが市民権を取得する必要があります。これには、過去5年の間に連続して180日以上アメリカを出国していないこと、また5年間のうち、半分以上アメリカに滞在していたことなどが申請の条件となります。申請から市民権取得までは1年強ほどです。その後、親御さんの永住権申請に必要な書類をそろえて移民局に提出します。面接は日本の場合は東京のアメリカ大使館か沖縄の領事館、すでに親御さんがアメリカに入国している場合は移民局になります。日本での面接は日本語で行われるか、大使館側で通訳をリクエストすることができます。面接で落ちることはほぼないので、必要な書類をそろえることが重要です。お子さんの市民権取得後、親御さんの永住権取得までは1年半から2年くらいです。
Q2. 親がアメリカに在住するために永住権以外の選択肢はありますか?
親御さんがアメリカに法人を設立し、投資家ビザ(E2)を取得する方法があります。これは20万〜30万ドルほどの投資と、従業員を3人以上雇うことが主な条件となります。
知っておきたい
医療保険の選択肢
日本から移住した親には、どのような医療保険の選択肢があるのか、保険ブローカーのヘイグ博子さんにアドバイスしていただきました。
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Q1. 呼び寄せた親が「MediCare」を受給するための条件を教えてください。
5年間アメリカに継続して居住している65歳以上のアメリカ市民か永住権保持者は、「MediCare」が受給できます。ただし、その親御さんが移住後に働いて収入を得ていなければ、メディケア・クレジットが十分に貯まっていないはずですので、メディケア・パートA(入院費用等をカバー)の保険料が発生します。
Q2.「MediCare」以外の医療保険の選択肢とは?
65歳以上の方が医療保険のマーケットを利用して医療保険加入の申請をすると、保険料に充てられるオバマケアの補助金を受給して安い保険料で加入するか、所得が一定以下の方が加入できる医療保険プログラム「Medicaid」(カリフォルニア州では「Medi-Cal」)を利用するか、どちらかになります。
どのプログラムを利用して医療保険に加入するのがベストなのかはケースバイケースですので、プロのアドバイスを聞いて対策を立てることを強くお勧めします。