平凡社員から凄腕起業家にこれからは経験を活かし「地球と人間をenrichしたい」
「いつかは海外に出たい」という思いを胸に、満を持してソニーの駐在員として渡米した雪江さん。その後、考えもしなかった起業家の道を突き進み、企業支援や社会貢献へと活動を拡げる。そんな雪江さんが、これまでの経緯を話すと共に、頑張る日本人へエールを送る。
【雪江 悟さんのプロフィール】
ゆきえ・さとる◎1980年に上智大学を卒業後、ソニー株式会社に入社。1987年、衛星通 信システム事業の立ち上げで渡米し、1995年にソニー米国法人のマーケティングディレクターとして、携帯電話事業の立ち上げに参画。2001年、永住権取得を機に独立し、Accetio, Inc.(現Franklin Wireless Corporation)を創業した。現在、米国のモバイルネットワーク関連技術開発企業、環境系技術開発企業、Eコマースを活用したナチュラルスキンケア商品の個人輸入促進事業などの取締役、役員や顧問を兼務している。
重要な関係になるのは100人に1人くらい
1980年に上智大学を卒業し、ソニーに入社しました。当時は特に大きな夢はなく、最初に内定が決まったという単純な理由で入りました。設計を担当しましたが、その仕事が退屈で苦痛。大学に入る前は、外国航路の士官を養成する商船学校に通っていたくらい世界への憧れが強かったですから、常に「海外に行きたい」と思っていました。そのため、語学だけは習得したいと英語を勉強し、海外赴任のチャンスを待っていました。
念願叶って1987年、ニュージャージーに赴任しました。レンタカーを借りて自分で運転してオフィスへ向かいましたが、そこで木々が豊かに生い茂る風景に触れ、この街は空気が合うと直感しました。アメリカが気に入ったんですね。やがて、私はずっとこっちにいたいと思うようになり、次第に起業を意識するようになったのです。
それ以降、土日を利用してMBAを取得。1996年には本格的に起業準備に入りましたが、永住権がありませんでしたから、数年間はソニーで働きました。そして2001年に永住権を取得。その後1週間ほどで辞表を提出し、同年に新興で携帯電話を取り扱うAccetio, Inc.を創業しました。
起業パートナーは、韓国とのビジネスで知り合った気心の知れた友達でした。退職の2年ほど前から、「一緒にやるなら彼」と心に決めていました。私たちの場合、詳細なプランを詰めていくというよりは、食事をしながら「後進国での通信端末の事業は可能性が高い」とか「こんな通信端末を作りたい」と、テーブルの紙ナプキンにアイデアを書いて構想を膨らませていくという感じでした。
起業準備で大切なのは、「意識的に他人と違うことをすること」と「ネットワーキング」です。私は、ソニーで携帯電話のインターナショナルセールスのマーケティングディレクターとして世界中の人と握手を交わし、その信頼に応える仕事をしてきました。幸い、そこで得た人との信頼関係が、後々活きました。
私がそれまでに交換した3500枚ほどの名刺のうち、後にビジネスに活きる重要な関係になったのは100人に1人。つまり、10人の大切な仲間を得るために1千人との握手が必要なわけです。やはりビジネスは人とのつながりですから、ネットワーク作りに手間と時間を決して惜しんではいけません。
その次に大切なのが、「ポジティブ思考」です。私は、どんな時でも自分の運を信じ、ポジティブな気持ちと態度で次の手を考えています。何事にも「それは面白いね」という肯定から入ります。なぜなら、意識してそうすることで、何か問題があっても、その解決策が必ず見えてくるからなのです。
最初の会社は上場せず2つ目の会社で株式公開
そうやってAccetioを立ち上げましたが、間もなくしてパートナーとは経営面で意見がかみ合わなくなってきました。折しも、Accetioの同業他社であるAxesstel, Inc.の副社長から、代表取締役社長兼CEOに就かないかという誘いを受けていました。それを機に2002年5月、一旦Accetioの彼とはパートナーシップを解消しました。
軽い気持ちで入ったAxesstelでしたが、年商がたったの50万ドルと知った時はさすがに驚きましたね。20人ほどの従業員に給料を払わないといけませんから、入ったその日に自ら営業に奔走。まず最初に門を叩いたのがVerizonでした。当時のVerizonは、家ではコードレス、外では携帯電話を普及させようと勢いに乗っており、その流れとソニー時代の知識と経験のおかげで、400万ドルの契約をいただきました。
その400万ドルの契約金の一部を利用して、事業拡大のために「リバースマージ」という手法ですぐに株式を公開しました。アメリカの株式市場は色々ありますが、私たちが選んだのは「OTCBB」というNASDAQ付属の市場です。上場にかかったのはわずか4カ月。すでにOTCBBに上場していた経営難の企業を買い取ることで、実現しました。リスクを伴うことでしたが、勢いを付けて自分たちで良い流れを作りたかったため、すぐに決断して勝負に出ました。
株式を公開することは、「公」になるということ。善くも悪くも、自分で決められる個人会社とは性質が異なります。4半期ごとに業績発表をするのはもちろん、自分の給料もベネフィットも公になります。すべてオープンにすることで透明性が増し、正当な経営ができるからです。人様のお金を預かっているのだから当然ですね。
株式公開は、業績が良ければ株価が上昇、悪ければどんどん下落する厳しい世界です。韓国のLGなど、大手企業との競合もしょっちゅうで、勝つことよりも負けることが多かった。それでも私たちは、前向きな気持ちだけは失わず、不眠不休の努力で、1株20セントから2年後には4ドルへ株価を上げることができました。
これは、私を誘ってくれた韓国人の会長、CEOの私、そして主に投資家への広報を担当するアメリカ人の3人が、それぞれの役割をきちんと果たしたことが成功の要因です。投資家、顧客、社内と、色んな関わりの中で事業を成功させるには、その場に一番ふさわしい「顔」と「スキル」を持った人間が、その役目を担うことが大切です。例えば、米系のテレビや雑誌、投資家に対しては、アメリカ人経営者が前面に出た方が受け入れられやすいですし、アジア人社員との接点にはアジア人リーダーの方が共感を得やすいでしょう。人種ありきではないけれど、そこは適材適所、うまく使い分ければ良いのです。
2年間のAxesstel勤務でサラリーマンの二生分を生きた
Axesstelは、その勢いのまま、OTCBBよりひとつ規模の大きいニューヨーク証券取引所Amexへの上場を果たしました。増減幅が少ない分、不況の影響を比較的受けにくいOTCBBに留まる選択肢もありましたが、あの鐘(※)を鳴らしてみたかったのです(笑)。
今でこそ言えますが、資金繰りはまさに綱渡り。億単位の大きな仕入れをする際、銀行から個人保証を求められた時には手が震えました。会社の銀行口座残高が10万ドルを切ったこともありましたし、崖っぷちの局面を何度も体験しましたよ。
Axesstelの2年間に、サラリーマンを続けていたら絶対に得られないほどの報酬を手にしましたが、サラリーマンの二生分ぐらい疲れました(苦笑)。この会社の後に、Accetioの元パートナーと共にまったく同じ手法で同社の株式公開にも成功したのですが、Axesstel以上の苦労は後にも先にもしたことがありません。
それでも、余りあるほどの達成感を得ることができたのは、アメリカのダイナミックな株式市場の魅力、自分たちが世界と直接勝負できる躍動感、そして、パートナーや社員との強い絆があったからです。運にも助けてもらいましたし、家内や娘も心の支えでした。それらすべてのおかげで、成し遂げられたことでした。
私は自らの経験から、アメリカで頑張っている日本人の皆さん、これからアメリカを目指す皆さんに、こういう世界があることをぜひ知ってほしい。そして、知るだけではなくチャレンジしてほしい。「就職はいつ」とか「入るなら大手」とか、そんな既成概念から解き放たれて自由に発想し、まずチャレンジをしてほしいと思っています。他人と違うことを恐れないでください。
地球と人間に良い事業、一生現役で社会に貢献
現在は、AccetioやAxesstelを退き、Bernardo Internationalという会社のCEOを務めています。この会社は、ベンチャー企業などへのマネージメントを通じ、事業戦略の立案と実行、および事業投資などによる企業の活性化などを主な業務としています。私は今後、自分の経験を活かして、日本企業や在米日系企業をアメリカで上場させるお手伝いをしたいと思っています。OTCBBを見てみると、中国や韓国の企業が何百社と上場しており、例えば中国企業は、アメリカ市場に上場した後に得た利益を、すべて中国本国に返しています。Axesstelの場合も、本社こそアメリカですが、開発の拠点は韓国でしたから、こちらで調達した資金を韓国の経済発展に役立てていました。資金を回すことで自国の経済を発展させているんです。しかし、日本企業は、アメリカで株式を公開して資金を調達する仕組みを知りません。私は、日本企業もアメリカでの株式公開を活用して資金調達を行い、その資金を積極的に日本国内に再投資するべきだと思っています。あれだけ国際化を叫んでいるのですから、活かせる環境をもっと活かすべきです。
あと日本に欠けているのは、OTCBBを始めアメリカ株式市場の知識を持つ起業家が少ないことと、英語力です。日本人以外のアジア人は下手でも堂々と英語を話しますが、日本人にもそんな図々しいほどの度胸が必要です。
そんな中で、私は特に「地球と人間をenrichする事業」、つまり地球と人のために良い事業を厳選し、その企業や経営者のお手伝いをしたいと考えています。最近、LinkedAcademyという国境のない学校事業に取り組んでいます。通信技術が発達した今、教育がない国や地域にアメリカの教育を届けたい。この事業では、インターネットを通じて世界をつなぎ、一緒に勉強をする場を設けます。
アフリカを始め、世界中で民族抗争が続いていますが、それを解決できるのは、武器ではなく教育だと考えます。例えば、オンラインで色々な国の子供たちが1つのクラスに集まり、国境のない生徒会を作ったり。このように、まだまだ私にやれることがたくさんあるのは、本当に幸せなことです。
今はまだ不況を脱していません。それでもアメリカは投資が盛んで、世界中のお金が集まって来ます。投資を通して、経済を活性化させる人が世界にはたくさんいるからです。
私は一生引退しないつもりです。これからも、企業の支援や、自分自身の事業に人生を費やしたい。70を過ぎても仲間とワイワイ新しいことに挑戦し続けることができたら、楽しいじゃないですか。
※取引開始時と終了時に鳴らされる鐘。新規株式上場した会社社長などが鳴らすが、これを鳴らすことは栄誉とされている。
(2011年1月16日掲載)