アメリカの音楽の歴史に残るような
ギターが作れたらいいなと思います
15歳の頃にギターが欲しくて始めたギター製作。持ち前の器用さと探求心で瞬く間に技術は上達し、プロ級の品質のギターを作れるようになった須貝さん。本場アメリカで自分を試してみようと渡米し、自らのショップをオープン。以来30年以上にわたりトップミュージシャン御用達となった須貝さんのギターの秘密を聞いた。
そもそもアメリカで働くには?
- アメリカで働くためには、原則として合法的に就労可能な「ビザ」が必要になります。
アメリカ・ビザの種類と基礎知識 - 日本から渡米してアメリカで働く方法として、18ヶ月の長期インターンシップも選択肢の1つ。
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「やってみよう」の精神で 挑んだアメリカでの人生
父親が社交ダンスの先生、叔父が喫茶店を営んでいたこともあり、子供の頃から家には色んなレコードがありました。特に影響を受けたのは、ポール・アンカ、エルビス・プレスリー、グレン・ミラー、ビートルズなどです。彼らの影響でギターを弾きたいと思い始めました。けれど、ギターを買うお金がない。だから自分で作ろうと思ったのが15歳の頃でした。当時はギター作りの知識なんてありませんでしたが、材木屋だった隣の家から材料を入手して、趣味感覚で始めました。しばらくして、バンド仲間たちからも頼まれるようになりました。皆は練習して上手に弾けるようになっていくのですが、自分はひたすらギターを作っていましたから練習する暇がなくて、全然うまくならない(苦笑)。
ギター作りを始めてから技術面で困ったことがなかったのは、小さい頃から父親のオートバイや自動車修理、大工仕事を手伝って、技術を教わったからだと思います。それに、ラジオやステレオなども自作していて、そこからエレキギターに必要な電気技術の知識を身に付けられました。
ギター製作などモノ作りをする能力は、当人が持っているセンスやアイデア、応用力で決まると思います。それから、「やってみよう」という心構え。あと、技術を習得するには、色んな発想が大事だと思います。ある時は、どうしてもギターの中の構造を知りたくて、知り合いの歯科医院にギターを持ち込んで、レントゲンを撮ってもらって調べたこともありました。普通はこういうことはしないでしょうが、こういう背景があって、応用力が磨かれたのだと思います。
初渡米は1970年、20代前半の時でした。ギター以外に飛行機や自動車も好きだったので、飛行場でメカニックとして仕事を得られ、操縦免許も取得できてうれしかったですね。そのままアメリカで人生を懸けてみようと思ったのですが、2年後に一旦帰国。それから3年間、再渡米の準備をしていました。
75年に準備が整い再渡米。アメリカのギター会社、Fender社と日本のモーリスギター・グループを結ぶ仕事を始めました。 ハリウッドでは、色んなアーティストがレコーディングをします。そういった人たちの手伝いができたらと思ったんです。初めは片手間で手伝っていたのですが、そのうちそちらの方が忙しくなり、79年1月に今のショップを始めました。
1本1本のギターから甦る その時々の思い出
ショップを創立以来、アメリカの第一線で活躍するアーティストたちへのギター提供、メンテナンスや音作りを手掛けてきました。
Ratt というLAメタルロックバンドのリードギタリスト、ウォーレン・デ・マルティーニに、自身のヘビ柄のコスチュームに合わせたギター作りを依頼されたことがありました。クリスマス前のショーに間に合わせたいと言われて、生後4カ月の娘をおんぶしながら作りました。そんな感じでギリギリで仕上がって、本人が取りに来たのですが、すごく喜んでくれました。今でも忘れられないギターのうちの1本です。
アーティストの中で個人的に特に好きなのは、Eaglesのジョー・ウォルシュです。彼のギター作りとメンテナンスも、ずっと手掛けてきました。また、彼らの日本ツアーには、私たちが帯同して、テクニカルな仕事の手伝いなどもしました。近くでコンサートがある時には、いつも招待してくれます。ビッグプレーヤーの素晴らしいショーに招待されるのはうれしいですね。
ちょっと個性的な方だと、フランク・ザッパという人がいます。10年くらい前に亡くなりましたが、この方の伝説はいまだに広まっていて、ザッパのギター、そのサウンドをどのように作ったのかと、今でも随分聞かれます。それぞれのギターにそういったエピソードがあります。
もちろん一般のお客様のギターも手掛けます。「こういうことはできないか」「こんな音のギターは作れないか」という要望を度々受けては、風変わりなギターを作ったりします。例えば、琵琶のエレキ版を作ったり、エレキ琴を作るために琴にマイクを付けたり、特製エフェクターを作ったり…。今まで色々な音作りをしてきましたし、これからもやっていくつもりです。
オリジナリティーの国で 認められた技術
ギターを作る上で、まず大事なのが素材。良い木を選択し、それから高い精度で作り上げていきます。
しかし、もう1つの大事な要素は、お客様の要望です。お客様の好みの音に合わせてアレンジするのはもちろんですが、ステージで弾きますから、色や形など、見た目にもこだわります。例えばスティーブ・ヴァイからは、有名になるために「Something special, something diff erent」なギターをと、頼まれました。それでホットロッド・カーのような炎のギターを仕上げました。
お客様からの要望、例えばどういうジャンル、どういうスタイルでそのギターを使うかを考えなければなりません。既に何十本、何百本もギターを持っているプロの人たちは、音楽やショーに合わせてギターを作りますから、次のツアーのテーマをうかがってアイデアを得たり、動画を一緒にインターネットで見て「こういうスタイルで弾きたい」と言われたら、それを基にアイデアを出します。もちろん私からも「こういうこともできるよ」と、提案することもあります。
そうして完成したギターを、ステージやレコーディングで使ってみて気に入ってくれれば、私たちの仕事を全面的に受け入れてくれます。そして、ギターの持ち味を100%活かすよう使ってくれるところが、やはり素晴らしいですね。さすがオリジナリティーの国だと思います。
日本のミュージシャンは非常にレベルが高いですが、やはりアメリカでは個性、スタイルを持っていないと、この業界では食い込んでいけません。アメリカでは自分たちのスタイルを生み出さないと、プレイヤーとしての地位を確立できないのです。そういうこともあって、カスタムメイドでオリジナルを作る、私たちの仕事がアメリカで受け入れられたのでしょう。
アメリカのプレイヤーたちは、新しいアイデアや音を目指しています。そういう人たちを手伝い、一緒に仕事ができて、すごくうれしい。日本では決してできないことを、アメリカで達成して、それがミュージックビデオやCDに残り、さらにジャケットの後ろにスペシャルサンクスで私たちの名前が入ったりします。そういうのを見ると、自分の仕事を思い出して、満足感が得られます。
アメリカ人は、物を粗末に扱うと思われがちですが、私たちが手掛けたギターを、皆さんすごく大事に使ってくれます。長年使ってくれて、「ほかのギターはボロボロになっちゃうけど、君が作ったギターは何でこんなに丈夫なんだ」と言われたこともあります。
また、開店当時のお客様から問い合わせがあって、「君の店、まだあったのか!」って言われることも(笑)。「いまだに気に入っているので、もう1本作って」という依頼も度々あります。
「ずっと前に作ったギターを送るから、メンテナンスしてもらえませんか」という問い合わせもあります。それで30年近く経ったギターの中を開けて見てみると、しっかりしていて、「あの時ベストを尽くして仕上げておいて良かったな」と思ったりします。
これからもお客様の要望に応え、アメリカの音楽の歴史に残っていくようなギターを作れたらいいなぁと思います。
(2010年6月1日号掲載)