ドライバーとして頂点を目指すのはもちろん
社会に良い影響を与えられる ドライバー、 人間になりたい
アメリカではプロフットボールに次ぎ、 テレビ視聴 者が多いと言われる自動車レースの NASCAR。 そこに2003年から参戦し、 奮闘中の日本人 ドライバーが尾形明紀さんだ。 今年から拠点を ノースカロライナに移し、 腰を落ち着けて取り組 む準備が整った。 現在、 年間参戦を目指し、 スポン サーを募集中と言う尾形さんにその魅力を聞いた。
そもそもアメリカで働くには?
- アメリカで働くためには、原則として合法的に就労可能な「ビザ」が必要になります。
アメリカ・ビザの種類と基礎知識 - 日本から渡米してアメリカで働く方法として、18ヶ月の長期インターンシップも選択肢の1つ。
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NASCARを知るほど 膨らんでいった憧れ
横浜に住む祖父母の家に遊びに 行くたびに、 おじいちゃんの車に乗 せてもらっていました。 そのおじい ちゃんの車が、 テールに羽根が突き 出るような大きなアメ車。 助手席に 座り、 ボワンボワンと優雅に揺れる 感じは、 今でも強く印象に残ってい ます。 今思えば、 私のアメ車との付 き合いは、 おじいちゃんの車から始 まっていたのかもしれません
モータースポーツとの出会いは、 14 歳の頃、 実家隣のオートバイ店で 働くお兄さんたちのモトクロッサー に魅せられたのがきっかけです。 す すめられて乗ってみると、 楽しくて仕方がない。 それからは毎週末、 河 川敷までバイクを押して行って、 練 習に明け暮れました。
1993年当時、 プロのレーサー を目指して本格的に活動していた のですが、 大きなジャンプで転倒し、 右足を複雑骨折してしまいました。 その療養中にたまたま入ったミニ カー屋さんで、 NASCARのミニカー と出会いました。 何も知らないまま カッコ良さに魅了されて購入しまし た。 後で調べると、 これが NASCARと いうもので、 全米でテレビ中継され ているほど人気があるレースだと知 りました。 そして、 衛星放送で観戦 するほど、 NASCARに夢中になって いったんです。
22 歳の時、 新婚旅行で初めてアメりカを訪れました。 どこのおもちゃ 屋さんに行っても NASCARの商品が 置いてあり、 その人気の高さとカル チャーが深く根付いていることに衝 撃を受けました。 日本のレースとの 違いにとても驚きました。
それで、 その翌年、 NASCARと言え ばデイトナということで、 友人とフ ロリダのデイトナビーチに NASCAR レース観戦に行き、 そのエキサイ ティングさに完全にハマってしまい ました。 帰国後も、 憧れの気持ちは どんどん大きくなって、 「どうにかし て NASCARと関わりたい」 、 そう強く 願い始めました。
23 歳でモトクロスレースと並行し て、 NASCARのミニカーの輸入販売 を始めました。 その仕事の関係で、 NASCARチームや関連業者が集ま るノースカロライナにも足を運び始 め、 今度は 「 NASCARレースに出た い」 「 NASCARレーサーになりたい」 と、 気持ちがますます膨らんでいき ました。 しかし、 現実問題として、 資 金もないし、 環境も整っていない。 ど うしようと悩んでた時、 マイナーで すが、 「ミジェットカーレース」 とい うオーバルレースの登竜門的な4輪 のレースがあることを知りました。モトクロスに限界を感じていたこと もあり、 NASCARレーサーになるこ とを目標に、 99 年に思い切って4輪 レースに転向しました。
甘く見て受けた NASCARの洗礼
ミジェットカーレースに真剣に 取 り 組 ん で4年 目 の2002年 に、 スポンサーが付いて、 いよいよ NASCAR挑戦ができることになりま した。 しかし、 その時点では参戦チー ムもサーキットもまったく決まって いない状態。 ノースカロライナに直 接行き、 目星を付けていたサーキッ トのマネージャーに交渉することか ら始めました。 相談を持ちかけると すごく親身になって探してくれたの ですが、 南部ということもあり、 どこ の誰かもわからないアジア人を受け 入れてくれるチームはなかなか見つ からず、 結局この時の滞在では、 収 穫は得られませんでした。 2度目に 渡米した際のチャレンジで、 ようや く受け入れチームが見つかったので すが、 当時はかなり色眼鏡で見られ ることもありましたね。
翌年2003年3月からレースが 始まることになっていたので、 2月に 渡米し、 すぐに練習を始めました。 初めて NASCARの車体に乗った時、 想像していたより簡単で、 「これは いいセン、 イケるんじゃないか」 と感 じました。 ですが、 NASCARレースは 接近戦で、 数台の混戦の中を走らな ければならない。 練習では1人で走 るだけだったので簡単に思えました が、 レースはまったくの別物でした。 いきなり NASCARの洗礼を受け、 そ の後も1年間で8戦ほど出走した のですが、 走れば走るほどオーバル レースの世界は奥が深いことがわか り、 良い結果を残すことはできませ んでした。
それでも出場回数を重ねるうち に、 徐々に感触を掴んでいる感覚は、 自分の中でありました。 しかし、 不 況の影響もあって、 04 年にはスポン サーが下りてしまい、 参戦できなく なってしまいました。 当時も今も、 年 間通して支援していただけるスポンサーを見つけるのは、 レースで勝つ ことくらい難しい (苦笑) 。
その時は、 日本でとにかくスポン サーを探すことに奔走して、 レース 関係やミニカー販売の仕事をしつ つ、 スポンサーとも交渉。 さらに、 ミ ジェットカーレースにも参加し続け ていました。 しかし、 08 年の終わり頃 から 「 NASCARドライバーが日本に 住んでいてはいけない」 と思い始め ました。 拠点を本場であるアメリカ に移すために、 色々苦労して、 よう やく昨年ビザを取得。 今年からノー スカロライナに拠点を置いて、 本格 的に活動を行っています。
幅広く社会貢献をする ドライバーたち
NASCARレースは、 車同士がぶつ かり合う荒々しいレースなので、 細 かい整備は行っていないと思われが ちです。 しかし、 実はオーバルコース をグルグル回るだけあって、 車体に ごまかしがききません。 少しでも車 のセッティングが甘いと、 ドライバー の技量ではどうにもカバーできない んです。 だから、 いかにレース前や予 選で、 良い車を作り上げられるかが すごく重要。 それにはチーム内でう まくコミュニケーションを取り合い、 コースに合うセッティングをしない といけない。 もちろん、 ドライバーの 技量も大事ですが、 チームワークを 上手く保つことがレースの鍵です。
トム ・クルーズ主演の 『 Days of Thunder』という NASCARが題材の 映画では、 相手を挑発したり、 ぶつ かって妨害するシーンがあります。 しかし、 実際のレースでは、 全員ジェ ントルマンなんです。 いくら荒々し いレースとは言っても、 故意に相手 の進路を妨害する行為はルール違 反。 もちろん競走ですから対抗心を 持って臨みますが、 敵対心は持って いません。
ファンから見ると、 エキサイティ ングさ、 わかりやすさが NASCARの 魅力だと思います。 僕にとっては、 多 くの人に影響を与えられるというの が、 大きな魅力の一つ。 アメリカ、 特 に南部では、 NASCARは一部のレース 好きの人たちだけのものではなく、 一般文化の一部で、 日常生活にも深く 根付いています。 また、 ドライバーた ちは、 レース以外にもスポンサーの 宣伝活動やファンサービス、 ボラン ティア活動と、 幅広く社会貢献をし ています。 だからこそ、 これだけアメ リカで愛されるスポーツになったの だと思います。
僕も 「アキノリ ・オガタ ・ ファウン デーション」 を設立し、 障害を持つ子 供たちに夢を与えるためのチャリ ティー活動を行っています。 最初は お金を寄付するだけだったんです が、 自分が実際に何かを行って、 触 れ合うことが大切だと感じました。 僕がイベントに行くと、 子供たちは すごく喜んでくれる。 それは、 やは り僕が NASCARドライバーだからな んですね。 僕がもっとメジャーなド ライバーになれば、 もっと多くの人 と触れ合え、 喜んでもらえます。 そ のためにも1レースでも多く出て、 頑張っていきたいです。
僕の目標は、 ドライバーとして頂 点を目指すのはもちろん、 社会に良 い影響を与えられるドライバー、 人 間になること。 僕自身、 恵まれた環 境でレースをやってきたわけではあ りません。 自分を信じ、 多くの協力 に支えられたからやってこられたん です。 そんな僕が、 アメリカで人気の レースでチャンピオンを取れれば、 「何でもない人間が、 ここまででき た」 と、 証明できると思うんですね。
(2010年11月1日掲載)