マスコミTeam J Station プロデューサー(企画・コーディネート系):新海景基さん

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ご意見や感想が自分にダイレクトに返って来るっていうのは、
やっぱりやりがいがあり、うれしいことです。

24時間放送の日本語ラジオ局「Team J Station」のプロデューサー、新海景基さん。平日朝にFM106・3で放送されている『LAMorning』の金曜日のパーソナリティーとして、その声を知っているという人も多いだろう。郷里の地方局で積んだ経験が、アメリカでも活きていると話す新海さんに聞いた。

【プロフィール】しんかい・けいき◉1974年、山梨県生まれ。高校卒業後、東京都内にある音響の専門学校に進学。同校卒業後にレコーディングスタジオに就職するが、専門学校時代に授業で受けたラジオ番組制作の面白さが忘れられず、ラジオ番組制作会社に転職。約7年間、関東エリアのFM各局の音楽関係の番組制作を手がける。2002年に山梨放送に転職し、10年3月に退社。ロサンゼルスの24時間放送の日本語ラジオ局「Team J Station」に転職。現在は、FM106.3の金曜日朝の枠でパーソナリティーも務める。 公式サイト:www.tjsla.com

そもそもアメリカで働くには?

ラジオ制作の醍醐味を知った 地方局勤務時代

山梨放送時代の同僚たちと

バンドを中学生の頃からやっていて、ライブハウスで見たPA(放送設備)の人たちの仕事に興味を持ちました。そういうこともあり、高校卒業後は、東京の音響専門学校に進みました。そこの授業の一つに、ラジオ番組制作がありました。深夜ラジオ世代だったので、勉強して知識が深まると、面白くてすっかりハマってしまいました。
 
卒業してレコーディングスタジオに入ったのですが、やっぱりラジオがやりたくて、都内のラジオ番組制作会社にAD(アシスタント・ディレクター)として転職しました。ADの仕事と言うと、雑用、使いっ走りのイメージがあるじゃないですか。まさにそんな感じでした(苦笑)。番組で曲の分数を計ったり、リサーチをしたり、リクエスト曲を手配したり、いつも走り回っていた思い出がありますね。
 
そうやって忙しく働くのも楽しかったのですが、少し落ち着いた雰囲気で仕事をしてみたいと感じ始めた時に、たまたま故郷の山梨放送で人材募集の話があり、じゃあやってみようと思いました。最初は「東京でやっていた」という妙な自信を持っていました。ですが、機材こそ東京の方が進んでいたものの、制作者とリスナー、クライアントとの密着度が濃くて、それに慣れなくて、悩みましたね。
 
しかし、ラジオの本当の楽しさを教わりました。それまでは、「最新の音楽はこうだ!」って出せばいいと思っていたのですが、それよりも大切なもの、もっと奥底にあるものを出せる方がいいと学びました。
 
少し話が戻るのですが、東京の制作会社の社長というのが、日本の洋楽界の権威でした。その社長に、当時からずっと「アメリカのラジオは、日本と全然違うんだぞ」と聞かされていました。日本では「総合編成」と言って、同じラジオ局が色んな世代や嗜好を持った人に向けてプログラムを組みます。アメリカではジャズやロック、トーク、スポーツ、ニュースといった具合に、ステーションによって専門が分かれているのだと聞いていました。
 
そんな時に、観光でロサンゼルスに行く機会があったんです。それで、本場のラジオを聴いてみたら「楽しい‼」。衝撃を受けました。数年後にまたロサンゼルスを訪れたのですが、レンタカーで常にラジオを流していたら、「こんな雰囲気の中で仕事ができたらいいな」という気持ちがわき上がってきました。
 
折しも、ラジオにもデジタル化の波がやって来て、山梨でも多チャンネル化、専門化が進みました。まさにアメリカのラジオみたいになってきたんです。それで、専門知識を付けるために、アメリカでラジオの仕事をしてみたいという気持ちがどんどん大きくなりました。
 
2009年9月にまたロサンゼルスに来ました。今度は、僕の中では就職活動。とは言っても、ツテもなければ、英語が堪能なわけでもない。ロサンゼルスに日本語放送局があるということは知っていたので、ホテルから電話して、見学させてもらえないかお願いしました。快くオッケーしてもらって、訪ねてみたらすごく良い雰囲気でした。でも、さすがにいきなり「就職させてください」とは言えなかった。ですが、アメリカにツテができたことで満足でした。

アメリカでも活きた 地域密着の考え方

帰国して2カ月後、「こちらで働きませんか?」というオファーをいただきました。願ってもない話だったので、二つ返事で「行きます!」と答えました。急ピッチで渡米準備を進め、山梨放送に3月で退職する意向を伝えました。随分、慰留されたのですが、もう35歳でしたから、「今行かないと、もうチャンスはない」と思いました。
 
TJSで働き始めて改めてわかったこと、それは、ラジオ局の運営に関わることすべてを、自分もやらなければならないということですね。番組の制作やプログラムを並べたりする運行、そして営業、さらに実際に番組内で話すことまで、すべてです。さらに、リスナーの方と触れ合えるイベント事業も入ってきます。すべてをやらなければならないことは、頭ではわかっていたんですが、実際はやはり大変でした。これまでメインは制作者でしたので、「営業なんて、どうすりゃいいの」と本当に悩みました。
 
だけど、色々なことをやっていると、局の中の単なる一員では見えていなかったものが、見えてきました。局自体を、すごく客観的に見られるようになったんです。これは、日本にいたら経験できなかったことです。それが今、すごい勉強になっていますね。
 
番組1つ作り上げるのにも、企画を立てて、営業してスポンサーを付け、実際に制作/放送する。さらに、局を知っていただくために、イベントをやってPRして。こういったことが頭でなく、すべて身体でわかるようになりました。CBSとか大きな局は別として、普通にたくさんある局も、話を聞いていると、さまざまなことを皆さんやっているんですよね。番組のパーソナリティーが、自分でスポンサーを持って局に売り込んで、番組をやらせてもらったりということもあるんです。
 
アメリカ、ロサンゼルスに色んなステーションがある中で、TJSラジオは日本語のラジオ局ですから、その日本語が武器となるはずです。それをどのように活かしていくのかが課題。聴いてくださっている方もほぼ日本人ですから、皆さんにどうアプローチすると、どういうレスポンスが返って来るのか考えることが、今は面白いですね。
 
山梨放送で、地域に根ざした局を経験できたことが、今すごく役立っています。日系社会で色んな人に会って、ご意見や感想が自分にダイレクトに返って来るっていうのは、やっぱりやりがいがあり、うれしいことです。反面、難しいところでもあるのですが…。「地域密着」を、アメリカに来てこんなに感じるとは思いませんでした。ただ、日系社会の中で、局をやっていくのであれば、そこが1番大切なのかもしれませんね。

高い学歴がなくても やる気と情熱で乗り越える

僕がこの局で、まず、やりたいなと思うのは、とにかくリスナーを増やすことです。生意気な言い方ですが、ロサンゼルスの日系社会で、もっともっと必要とされる局にしていきたい。そして行く行くは、アメリカの他地域に暮らす日本人にも、必要とされる局になりたいですよね。全米に拡がった時に、「アメリカのラジオ業界の中に、僕がいるんだ」って、多分納得できるのかな。
 
ラジオやテレビのようなマスコミって、人気の就職先だと思うんですよ。この業界で働きたいと願う人たちに、僕がアドバイスできるとしたら、とにかく色んな局を聴いてみること、行動することですかね。まずは、どこの局でも良いから見学から始めるんです。見学した時に、自分がどう感じるかが、重要なんですよ。そこで、「あ、私には無理」と思ったら、そこで終わり。難しそうだけど興味を持てたら、そこから先は自分で入って行けると思います。
 
学歴がなければ、下積みから始めればいいんです。高い学歴がなくても、やる気と情熱があって、厳しい下積み時代を乗り越えられれば、将来が広がっていく業界だと思います。
 
あと、夢を周囲に語っておくと良いと思います。「こういう風になりたい」と、色んな人に言っていると、関連した情報が入ってきたり、思いがけず誰かに助けてもらえることもあります。逆にやる気がおろそかになっている時にも、「以前ああ言ってたけど、どうなった?」と、思い出させてくれますよね。口に出すことによって現実になることって多いのかなって、僕は思っています。
 
(2011年3月1日掲載)

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