支店長/アシスタント・バイスプレジデント(企画・コーディネート系):大鹿勝雅さん

ライトハウス電子版アプリ、始めました

お客様にいかに利益をもたらすことができるか
提案することにやりがいを感じます

7年間大手銀行に勤務した後、 Bank of Southern Californiaに転職した大鹿さん。昼間は支店長として同銀で働くかたわら、夜間には米国公認会計士の資格取得のため、勉学に励む。常に努力を惜しまず、より良いサービスを提供できる銀行作りに情熱を注ぐ大鹿さんに聞いた。

【プロフィール】おおしか・かつまさ◉小学5年生で渡米し、ボストンの小学校へ。中学2年の時に日本へ帰国するが、その1年半後に姉と共に再渡米。カリフォルニア大学サンディエゴ校経済学部を卒業後、Citibankに7年間勤務。今年7月、Bank of Southern Californiaに転職し、現在、Assistant Vice Presidentとして同行に勤務

そもそもアメリカで働くには?

小学生で渡米した時 アメリカの自由さに圧倒された

新聞記者だった父の転勤のため、小学校5年生の時に渡米しました。それまでも父の仕事の関係で海外に住んだり、転校したりということには慣れていたので、アメリカへ来ることも自然に受け入れていました。英語はできませんでしたが、不思議と苦労した記憶はありません。それよりも、アメリカの学校の自由さに圧倒されたことが強く印象に残っています。
 
中学に進むと、日本に帰国することに。アメリカにいた数年間はこちらの勉強が中心で、日本語での勉強は、土曜日に通っていた日本語補習校で補う程度でした。ですから、日本の中学の勉強に付いていくのはとても大変でした。アメリカの学校では成績がトップだったため、日本へ帰って急に勉強に付いていけなくなり、成績が落ちたことに大きな戸惑いを感じました。特に数学は、いつも簡単に解けていた問題も、日本語となると途端にわからなくなり、アメリカと日本のギャップにストレスを感じていました。
 
そんな時、姉が「私はアメリカに戻って学校に行くけど、勝雅も一緒に行く?」と言ったのです。私は迷うことなく姉とアメリカへ行くことを希望しました。幸い両親も理解してくれ、中学2年の時に姉弟だけで再渡米。ニューヨークに行きました。姉は両親の知人の家に住み、私は両親の探してくれたホームステイ先にお世話になりながら学校に通いました。渡米は一緒にしたものの、姉と私は別々に暮らしました。
 
アメリカに戻って来てからは成績が上がり、勉強が楽しくなりました。順調に高校を卒業し、ロサンゼルスの短大へ。その後、カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)に編入し、経済学を専攻しました。大学に通っている間にサンディエゴがすっかり好きになり、卒業後も暮らそうと思いました。
 
卒業後に就職したのは、商業物件を扱う不動産会社で、大きな土地物件を企業などに販売する営業の仕事に就きました。1件1件の価格が高いため、成功すればハイリターンですが、ミスをすれば莫大な賠償責任を負うことになる、ハイリスクを伴う仕事でした。1年ほどこの仕事を続けましたが、もう少し安定した仕事に就きたいと思うようになりました。
 
それで、Citibankに転職しました。1年目は窓口でお客様対応をすることから始め、少しずつ知識を付けていきました。大きな銀行なので、お客様の数は多く、さまざまなケースを担当することができ、勉強になりました。
 
しかし、勤め始めて7年が経ち、自分のやりたいことと、大銀行の中で自分ができることのギャップが埋まらなくなってきました。例えば、自分のアイデアがなかなか上層部に通らなかったり、成績を上げても昇進できなかったり…。アジア系は、他の人種に比べて外見が幼く見えることもあり、自分よりも経験が少なく、成績も低いアメリカ人が、どんどんマネージャーになっていくのを見て、歯がゆい思いもしました。アメリカは実力主義だと言われますが、その時、外見の印象もまた、大きなポイントとなりえるということを、実感しました。

お客様との距離が近い 今の職場に満足

Bank of Southern California Del Mar支店の同僚と

そこで、キャリアアップのために転職を考え始めました。具体的にどんな役職で、どんな条件の仕事が良いのかを考え、職探しを始めました。私が必ずすることは、やりたいことが決まったら、それを具体化し、公言すること。「自分はこうなるんだ!」と、思い続けることで実現できるのです。
 
その時に掲げた目標は、2011年7月までに、自分のやりたいことのできる銀行に転職すること。もちろんそこには細かい条件も付けました。1年半探し続け、自分の希望通りの仕事ができる銀行、Bank of Southern Californiaを見つけました。同銀行では、ロサンゼルスにあるみずほ銀行のリテール業務を引き継いだばかりで、ちょうど日本人を探していたのです。そして、すべてのタイミングがぴったり合い、目標通り7月に支店長という役職で転職することができました。
 
当銀行は規模が小さく、一人一人のお客様との距離が近いですから、より丁寧に対応することができます。そして、当銀行での私の業務ですが、個人や法人のお客様のお金を預かったり、その運用をお手伝いすることです。口座の種類もさまざまですので、どれがそのお客様に向いているのか、利益をもたらすことができるのかを判断するのが重要な役目です。また、ビジネスオーナーの方などチェックを頻繁に扱うお客様には、銀行まで足を運ばなくてもチェックを入金できる機械を提供するサービスも行います。
 
アフターケアとして、電話やメールでお客様とコミュニケーションも取ります。大手の銀行では、通常お客様とのメールのやり取りは禁止されています。形に残る方法でお客様とコミュニケーションを取ると、責任問題が生じた際に困るからです。ですが、小さな銀行では、すべての業務がそれぞれの銀行員に任されている上、管理も行き届いているので、細やかで迅速な対応ができるのです。
 
お客様にどうしたら利益をもたらすことができるか、便利なサービスを提供できるのかを考え、提案することにやりがいを感じます。例えば、現在の預金では利益が生まれないものが、お客様の知らなかったサービスを紹介することで、利益が出るということが意外に多いのです。そのようなことは、大きい銀行で多くの商品を扱っているような状態では、なかなか対応できません。お客様が自分で調べたりしない限り、知らないままなのです。そういう細かいところまでケアできる今の職場が、私には合っています。
 
また、私は日米の文化、慣習、考え方の違いなどを理解しているので、日本人のお客様にも重宝されます。特に言葉や文化の壁があるためにやり取りがうまくいかないと、大変不便ですし、不安に感じると思います。そこを私が日本語ですべて説明し、サポートできることをとてもうれしく思います。

目標となる人に話を聞くことで 自己の課題が見えてくる

私の好きな言葉に「一生懸命」と「実践躬きゅうこう行」があります。「実践躬行」は、自分自身の力で実際に行動を起こすことを言います。一生懸命努力して、自分でアクションを起こすことで道が開ける。努力すれば、達成できないことなどないと思っています。
 
そんな私も実は、学生時代は仕事について具体的なことは考えていませんでした。今、もし学生時代に戻れるなら、興味のある仕事を片っ端から調べます。そして、その仕事に就いている人に、直接話を聞きに行くでしょうね。学生や求職者の方で、自分の目的や目標が定まっていないという人は、どんな職業の人でも良いので、まず話を聞きに行ってみてほしいと思います。もちろん私のところに来てくれれば、私の仕事の話を喜んでします。
 
先駆者に話を聞くことで、具体的に自分に何が必要か見えてきます。たとえば、資格や経験など、自分にないものがあったら、それを身に付ければいいのです。私も次に就きたいポジションの人によく話しかけます。どんな仕事を今しているのか聞くことで、モチベーションも上がりますし、具体的な課題が見えてくるのです。
 
現在私は、米国公認会計士(CPA)の資格を取るための勉強をしています。この資格を持つことで専門的な知識を高め、お客様により良いサービスを提供できるようになるからです。目下のゴールは、CPAの知識や資格を活かし、銀行を中から変えていくことです。そして、いずれは何らかの形で、コミュニティーに大きく貢献できるような人間になりたいと思っています。
 

(2011年9月1日号掲載)

「アメリカで働く(多様な職業のインタビュー集)」のコンテンツ