西大和学園カリフォルニア校・補習校(その他専門職):教頭 芦田 隆さん

ライトハウス電子版アプリ、始めました

自分の背中を見て、何かを感じ取ってほしい。
子供たちがそれで行動してくれる様な、そんな自分でいたい。

日本で非常勤講師、教師として約2年勤めた後、アメリカの日本人子弟教育に携わることを決意し渡米。西大和学園カリフォルニア校で、クラス担任や帰国子女向けの受験指導に6年間携わり、2年前に30代で教頭に就任した芦田隆さん。「先生方が教務に集中できる環境作りが私の任務」と語る芦田さんに話を聞いた。

【プロフィール】あしだ・たかし◉岡山県生まれ。関西大学文学部英語英文学科卒業後、英語の専門学校に通う。高校の非常勤講師を経て、2003年に奈良県の有名進学校、西大和学園に就職。翌年、同校カフォルニア校に赴任。その後6年間、英語教師やクラス担任の教務を歴任し、10年より現職土曜補習校でも同職

そもそもアメリカで働くには?

渡米翌日に出会った子供たち みんな目が輝いていた

生まれは岡山ですが、父の仕事の関係で大阪、三重、滋賀、奈良と、さまざまな場所で育ちました。大学で英語英文学科を卒業後、勉強がまだ不十分だと思い、英語の専門学校で2年ほど集中的に勉強しました。専門学校卒業後は、非常勤講師として高校生に英語を教えました。その契約が切れる頃、子供たちにもっとじっくりと教育を施せるよう、腰を据えて学校で働きたいという気持ちが芽生え、奈良県の西大和学園に転職しました。同校では中学部の英語を担当。1年ほど働いた時、学校側から私を含む数名の英語教師に、カリフォルニアにある分校に赴任しないかという話が来ました。その時に、日本の教育現場だけではなく、海外での教育にも携わり、日本に戻った時にその知識を活かしたいという思いが芽生え、渡米を志願しました。
 
2004年4月、カリフォルニア校始業式の前日に渡米しました。学校でのミーティングにもまだ参加できず、情報がまったくないまま子供たちに出会わなくてはなりませんでした。わからないこと、知らないことがたくさんありましたが、まだ20代と若かったこともあり、不安はあまりありませんでした。翌日の始業式で最初に感じたことは、日本とアメリカの子供たちの質の違いでした。開放的なカリフォルニアの環境に溶け込んだ子供たちの目は、本当に透き通って、非常に輝いていると感じたのを覚えています。

ここにはバランスが取れた 理想的な教育環境がある

担任初年度の2004年度学園祭(演劇発表会)出演
前の記念の一枚

渡米から6年間は、中学部の担任として、さらに9年生を担当した際には進路指導で高校入試にも関わりました。当校は日本に帰る生徒が多いため、当然日本の高校入試に向けた受験英語を指導します。帰国子女として高校入試に挑む子供たちは、難関私立校を受ける子もいれば、地方の公立校に行く子もおり、受験に対して幅広い知識を持たなくてはいけません。入試難易度の高い学校に対しては、前倒しで教えなければならないことがあります。その点、私は本校におりましたので、文部科学省検定済みの教科書ではなく、本校が独自に使っている中高一貫のテキストで受験英語を指導しました。これに関しては、日本での経験が大いに活きていると思います。私が日本にいたのは8年前なので、今は日本の英語教育もずいぶん変わったと思いますが、日本ではESLクラス、あるいはALTによる授業は基本的に週に1回だけ。クラスのレベルも特に分けることはありません。また、リスニングやオーラルはあまり重視されず、受験英語を集中的に学ばなければなりません。その点、こちらではESLの教育環境が整っており、文法、リスニング、ライティング、オーラルとバランスを取りながら教えられる環境です。もちろん、本来日本では高校生が学ぶような難易度の高い内容を、こちらでは中学生で教えなくてはいけない現状もありますが、それでもロサンゼルスは、英語と日本語をバランス良く学べる恵まれた環境が整っています。それは、いずれ日本に帰る子供たちにとっても、またこちらでバイリンガルとして活躍していく子供たちにとっても、とても素晴らしいことだと思います。私自身、そのような環境で教育に携われることがとても貴重だと感じています。
 
このように英語教師として教育に携わる間、部長職も兼任していました。部長職というのは、先生たちが日々の教育活動を円滑に進めるためのサポート役。時間割りの制作や運動会などの年間の行事の企画、運営が主な仕事です。その中でも教務を4年間兼任した後、2年間は文化体育部、生活指導部など、さまざまな部をまとめる総務を担当しました。また同時に、当校は土曜補習校も開校していますので、そちらでも教務、総務を務めました。
 
カリフォルニア校は、来年20周年を迎えるまだまだ若い学校です。幼稚園から中学校までの一貫教育が、同じ敷地内で運営されているという、とてもまれなケースだと思います。私が赴任してきた頃は、まだまだ教育や行事の「形」ができていませんでした。大きな学校や歴史の古い学校には当たり前にある流れがないので、それぞれを整備する必要性がありました。しかし、先輩の先生がいない学校なので、20代、30代の若い同僚たちと共に考え、協力し、構築していくことは、とてもやりがいがあることでした。結果として今は、そうやって先生たちと作ってきたものが形になり、少しずつ基盤ができ上がってきました。

やる気と希望に満ちた そんな先生たちと作る学校

昨年4月からは、教頭職を専任しています。就任した時は、自分で大丈夫だろうか、務まるだろうかという不安がありました。通常教頭は、小・中学校、そして幼稚園の副園長といった具合にそれぞれ別々に存在します。それを幼稚園から中学校まで、さらに土曜補習校と、全部の教頭を務めますから、どのような仕事をやっていくべきなのかを自分自身で模索し、作り上げていかなくてはいけません。今もそれは模索中です。教頭の仕事はどちらかと言うと裏方役で、当校の教育基盤を整えることが任務だと思っています。先生たちがいかに学級担任や教科指導に集中できる環境を作れるか、それに尽きるかなと。補習校では特に、現場の先生たちの意見を吸い上げ、客観的に分析し、判断していかなくてはいけません。そして、教員同士が同じ視点で歩んでいける環境を作ることが大切だと思っています。そして、それがうまく機能した時、本当にやりがいを感じます。
 
先生には、授業中も休み時間も、朝から晩まで子供と関わり続けるエネルギーを持っていてほしいです。その点、当校の先生は皆やる気と希望に満ちた人ばかり。その結果、今のような30代、40代の先生が役職に就いているのかもしれませんね。

色々な知識を身に付けて 広い視野で判断ができる人に

私が意識していることは、先生たちにも、子供たちにも、自分の姿や行動が規範となる、そんな自分でいたいということです。言葉で言うだけではだめ。私の背中を見て、そこから何かを感じ取ってもらえるような自分でいたいですね。
 
そして、大切にしているのは学び続けること。学びとは、義務教育が終わっても、社会人になってもずっとずっと続きます。だから、一時だけすごくいい教育を受けたり、その時だけ頑張るのでは意味がないと思っています。地道に継続することがどんなに大切かを、いかに子供たちに提示できるかを常に考えています。これから教育者を目指す人たちには、専門分野だけを勉強せず、さまざまなことを幅広く学ぶ姿勢を忘れないでほしいと思います。義務教育の間はたくさんの教科を学ぶ機会がありますが、高校、大学と進学するにつれて専門性が高まり、その分野に直接的に関係ない科目は、どんどん選択制になっていきます。でも、広い視野を持って、色んなことを学んでほしいですね。無駄なものはなく、自分で勝手に無駄と判断しているだけ。固定観念だけで決め付けず、現実的に狭まっていく学びの機会を広げる意識を持っていてほしいです。広い視野を持って専門分野に入ると、客観的に、多角的に判断できるようになるのです。
 
今は教鞭を執る現場からはほぼ完全に離れ、担任も持っていません。直接子供たちに触れる機会が減って、正直、寂しいという気持ちはあります。ですが、まだまだ経験していない業務がたくさんあるので、色んなことに携わりたい。そして、また教育の現場にも戻りたいと願っています。他の業務で付けた知識を活かして、学校に、そして子供たちに、その知識を還元できる自分になりたいです。そして、将来は自ら学校を運営したいと思っています。そこに至るまでは、もう少しさまざまな経験を積まなければなりませんね。
 
(2011年12月1日号掲載)

「アメリカで働く(多様な職業のインタビュー集)」のコンテンツ