ふとしたところに発見がある
刺激のある作品を創っていきたい
ハーバード大学卒業後、大手コンピューターメーカーにてソフトウェアの研究者として勤務。その後、芸術を学びたいと大学院入り、映像作家、監督としてヨーロッパ、日本、アメリカを舞台に活躍した緒方 篤さん。「世界的にインパクトのあることをしたい」と話す緒方さんに話を聞いた。
そもそもアメリカで働くには?
- アメリカで働くためには、原則として合法的に就労可能な「ビザ」が必要になります。
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不器用でアートは苦手 カメラでは感性を表現できた
13歳の時、父の仕事の関係でニューヨークに引っ越してきました。子供の頃は芸術の世界に入るとは思ってもいませんでした。学校の工作の時間でも、彫刻刀で何かを彫っても上手くできない、どちらかというと不器用なタイプでした。ところが、高校生の時に父が買ってくれたスチルカメラで写真を撮ったり、現像したり、焼き付けたり、それから8ミリフィルムを使って、自分で撮影したものを編集して遊んでいました。カメラを使っていると、まるで筆で何かを描くみたいに、自然に感性を表現することができたんですね。そういうことが非常に面白くてたまりませんでした。
大学ではいくつかアートやデザインのクラスは取りましたが、プロになるとは、まだ思っていませんでした。家族にも周りにもアートの分野で活躍している人はいなかったですし、そういう学部で学んでいたわけでもなかったですし。
大学を出て日本に戻り、富士通の研究所に就職してソフトウェアの開発をしていました。その頃、アメリカ人の友人が僕が撮った写真を見て、「才能があるよ」って言ってくれて。そこで初めて、やっぱり自分の感性を使って仕事がしたい、試してみたいという気持ちになったんです。それで、少し芸術的なことを学ぼうと大学院に行きました。大学院では、ビデオカメラや編集機材が使い放題でした。それで、写真やビデオを、思う存分やったんです。基本的にこれが、私の人生の大きな分かれ道だったと思います。
漠然とした監督業への憧れ やれることからやってみた
大学院を卒業後、いったん富士通に戻ったのですが、ドイツにあるメディア・アート・アカデミーに客員作家として呼ばれ、半年くらいの予定でドイツに行きました。結局そのままフリーランスとしてヨーロッパに残って、ドイツ、オランダなどを中心に脚本を書く助成金もらったり、テレビに俳優として出演したりという機会に恵まれました。
もともと映像作家だったのが、脚本を学び、演技を学び、演出を学びという形で広がり映画監督に行き着いたので、監督という仕事は、今まで自分のしてきたことの集大成という感じ。それらを全部経験していなかったら、できなかったと思っています。スチル写真が動画になり、ストーリーを書き、それを全部まとめて監督すると、自分の作品になって、発表できることになります。そういった形で監督になりました。
映画は色んな人の知識が コラボされて作られる
2005年に、オランダで短編作品を初めて監督。その後、冬休みで日本に帰国しました。その時に父の具合が悪くなり、少し長く日本に滞在することになりました。そこで、せっかく日本にいるのだから、日本でも何か作品を作れないかなと思ったんです。
新潟の十日町で、屋外彫刻を主にやる芸術祭があるんですが、映画をやりたいと思って、その十日町を舞台にした作品を提案してみました。すると企画が通って、製作費を出していただいて、製作できることになったんです。それが、短編映画『不老長寿』を作るきっかけでした。
『不老長寿』がうまくいったので、今度は長編作品の監督としてデビューしたいと考えました。実は、ヨーロッパで長編デビューをしようと何回も試みたことがありました。一部製作費が出るようなところまで話がいったこともあったんですが、デビューにまでは至りませんでした。
アメリカで長編デビューをするのはとても難しいことなので、それだったら日本の方がデビューしやすいのではないかと。『不老長寿』でとてもレベルの高いスタッフと、プロの役者さんに出ていただけたので、同じ方たちなどに協力していただいて、長編作品の『脇役物語』を作ることになったんです。
撮影の現場では、コメディーを撮ってますし、基本的にユーモアを持った形でやるようにはしています。小学校の頃、先生の後ろに立って変な格好をしたりして皆を笑わせるタイプの子っているでしょ?僕がそんなタイプ。そういう感じでチームをリードしていった部分がありました。日本の撮影現場は、監督だけでなく目上のスタッフがやたら怒鳴ったりするらしいんですけど、私にしてみたら、スタッフの皆さんに自分の作品を作るのを手伝ってもらっているという気持ちもあるし、怒ったってみんな萎縮しちゃうだけ。もちろん、「こうしてください」と監督の立場として強く主張する部分もありますが、もっと論理的に「こうだから、こうした方がいいんじゃない」と、励ますような形で皆の気持ちを動かすようにしていますね。
映画は色んな人の色んな意見を取り入れて、その人たちの経験や才能をうまく組み合わせていくことによって作られていくものなんです。さまざまな意見をうまく取り入れることによって、1+1+1が1万になるような、良いコラボレーションをしていかなくてはならないと常に思っています。
脚本を書き、役者さんと一緒に考え、スタッフと撮影をして、作品を作るというプロセスすべてが楽しいですね。それを観てもらって、「感動した」とか、「面白かった」とか、「泣けた」とか、そういうフィードバックをもらえるのは、やっぱりすごくうれしいですし、とても励まされます。商業的には、ターゲット層を絞って作った方が良いのかもしれないですが、そうなると特定の人にだけ向けた物しか作れなくなってしまいます。いつもは別々の世界、別々の社会にいる人たちが、映画を観る時は一緒の空間で一緒に笑ってほしい。僕の場合は「色んな人が一緒に観る」ことが大事だと思っているんです。『脇役物語』が北米でも配給されることになったので、できるだけ多くの人たちに観ていただきたいですね。
社会のためになる刺激を 作品に入れていきたい
今は次の映画の脚本を書いています。今度の映画は英語でやろうと思っていて、これもコメディーです。これから、どんどん世界的にインパクトのある仕事をしたいという思いがあります。もちろん簡単にできることではないですし、どういう世界を描きたいかということが明確にあることが大切だと思います。
先日、大学の同窓会のイベントに参加してきたんですが、そこでアメリカのTV番組に携わる先輩が話していました。ハリウッドはエンターテインメント性を狙っていますから、そういう観点しかない人たちと一緒に仕事をしながらも、社会を少しでも前に動かすような努力をしているんだそうです。
例えば『ER』というTV番組では、初めてアフリカ系アメリカ人のエイズに感染している女性を主人公の一人として登場させることを実現させました。普通のエンターテインメントなんだけれど、メッセージを作中に埋め込んだんです。もちろん、それを前面に押し出して企画を進めたわけではなかったらしいんですが、社会のためになるようなメッセージ性のあるものをこっそり混ぜる。そういうふとしたところに発見があるような、人を刺激できる作品を作っていけたらと思っています。
映画監督を志す前に、自分が何になりたいか、何に一番向いているか、自分がどういうことを表現したいかをよく考えてみるべきだと思います。技術的なことはいくらでも後で習えますから、たくさんの映画を観たり、たくさんの本を読んだり、実際に色々な体験をしてみることが大切だと思います。そうしないと、他の人が作った作品を真似るだけになってしまいます。それでは監督である意味がないと思います。脚本を書いてみたり、演技をしてみたり、そういうことは、私の現在の監督という仕事に対し、全部プラスになっています。色んなことを経験して、自分が何を求めているのかを知ることが大事だと思います。
(2012年2月1日号掲載)