フィルムエディター(クリエイティブ系):横山智佐子さん

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世界に通用するフィルムメーカーを育て
日本映画産業の向上に繋がれば最高です

アメリカで夢を実現させた日本人の中から、今回はフィルムエディターの横山智佐子さんをご紹介。大好きな映画を学ぶために単身渡米後、オスカー受賞のイタリア人エディターに師事し、数々のハリウッド映画に携わる。現在は、映画学校を設立し、日本人フィルムメーカーの育成に貢献している。

【プロフィール】よこやま・ちさこ■三重県出身。1963 年生まれ。87 年に渡米。UC サンタバーバラ校映画科を卒業後、ピエトロ・スカリア氏に師事。代表作は、『グラディエーター』『ブラックホーク・ダウン』など多数。最近では『Memoirs of a Geisha』の編集も担当。2005 年に映画学校ISMP を設立。06 年8 月から『アメリカンギャングスター』の編集に参加と多忙な日々を送る。

そもそもアメリカで働くには?

フィルム学生時代から積極的に映画制作に参加

ACE(American Cinema Editors Award)
の授賞式にて真ん中がスカリア氏 

 日本で短大生だった頃、ロサンゼルスに語学留学したのが渡米のきっかけです。ロサンゼルスには、大好きな映画を学べる学校がたくさんあることを知り、1987年に渡米しました。最初の2年間は、サンタモニカ・カレッジで基礎的なことを学び、その頃から、雑誌や学校で見つけたPA ( プロダクション・アシスタント) の仕事に積極的に参加しました。
 
 今、当時を振り返ると、「よくやったな」と思います。でも、こうして映画制作の現場をできるだけ多く見ることで、映画作りに関するさまざまな職業や制作のプロセスを学ぶことができたし、何が自分に1番向いているのかをしっかりと見極めることができました。監督以外のスタッフや俳優は、とにかく待ち時間が多いのを知って、「自分は現場には向いていないな」と。そこで、フィルムを切り、全体の構成をまとめて仕上げる「エディター」の道を目指すことにしたのです。
 
 PAを続けるうちに、多くの人と知り合い、英語にも自信がついてきました。この人脈から次々と仕事が入ってくるようになったのです。ハリウッドの映画業界では特に、人と知り合うことは、とても大事なのです。この頃、グリップ( カメラの動きや影を作る) の仕事をしている主人とも知り合い、彼のアドバイスで、UCサンタバーバラ校映画科へと進みました。

成功へのカギは3つ粘り強さ、運、最後に才能

『Memoirs of a Geisha』の編集中
編集作業は体力勝負の部分もある

 同校を卒業後、『地獄の黙示録』や『レッズ』でアカデミー賞撮影監督賞を受賞したビットリオ・ストラロ氏が、ネパールで、ベルナルド・ベルトリッチ監督の『リトル・ブッダ』の撮影をしていることを知りました。彼の大ファンだった主人がロケに参加していたのです。
 
 そこへ、『JFK』でアカデミー賞を受賞し、現在、最も注目されている実力派エディター、ピエトロ・スカリア氏が編集に雇われ、アシスタントが足りないという現場の状況を知った主人から連絡があり、急きょ、自費でネパールへ飛びました。着いたその足で、編集室へ直行し「無給でも構わないから、仕事させてください」と直訴。ネパールで3カ月、シアトルで1カ月半、一緒に仕事することになったのです。35ミリを初めて編集するということは本当にうれしかった。だから無給でも、一生懸命仕事をし、常に何かしら動いて、「帰りなさい」と言われるまで決して帰らない、と決めていました。
 その仕事に対する姿勢が気に入られて、最初はインターンから始まったのですが、『GIジェーン』では、セカンド・アシスタント、『グッドウィル・ハンティング』からは、ファースト・アシスタントを担当することになりました。
 
 エディターの仕事って、実はかなり体力がいるのです。スカリア氏とは初仕事以来、11年間以上一緒に仕事をすることになりましたが、環境的に恵まれていたと思います。彼自身がロケに家族を連れてきていたこともあり、作業終了時間になると、オーバータイムを言い渡されることもありません。私も、母親と当時まだ幼い息子とロケ現場に同行しました。
 成功へのカギって、3つあると思うのです。第1に、粘り強さ。決してあきらめずに続けること。次に、運。運というのは、自分が動いていたら自然と入ってくるものなのです。そして最後に、才能だと思います。

経験重視のハリウッドで映画制作を学んでほしい

 近年、韓国の映画産業が、すごい勢いで伸びています。その理由の1つは、ハリウッド的な制作プロセスをうまく取り入れたことだと思うのです。そこで、日本の映画産業にもっと頑張ってもらいたいという思いから、日本人を対象にした映画学校をハリウッドの傍で設立しようと考えました。以前、このアイデアを現地のアメリカ人たちに話してみたのですが、いまいち反応が悪かったんです。でも、『キャシャーン』のUSA公開バージョン編集を担当した折、一緒に仕事をした日本人映画関係者たちに同じ話をしてみると、とても反応が良かったのです。
 
 それを実際に始めたのが2005年のことです。本場ハリウッドの映画制作のノウハウを、現役で活躍するインストラクターが日本語で教える映画学校「International School of Motion Pictures」を創立しました。若手日本人フィルムメーカーたちに、多くのことを学んでもらいたいと思っています。とにかく、ハリウッド流プロダクションの一連の流れ、ハリウッドのシステム、やり方を学んでほしい。デジタル技術の発達もあって、こちらの学生は素晴らしいものを生み出していますが、その作品と競争できる映画を作るのが目標です。そして、撮影クルーに参加するチャンスをつかんでもらいたいですね。若手日本人フィルムメーカーの育成が、将来的に日本の映画産業向上に繋がってくれれば、というのが学校設立のねらいです。また、日本で経験を積んだプロの方たちにもハリウッドスタイルを体験してほしい。多くの方に参加していただけたらうれしいです。
 
 これから映画制作者を目指す人たちには、日本人であるということはとても特異な存在である、ということを活かして、活躍してもらいたいです。
 
(2006年6月16日号掲載)

「アメリカで働く(多様な職業のインタビュー集)」のコンテンツ