幼稚園教諭(その他専門職):佐藤恵美さん

ライトハウス電子版アプリ、始めました

うれしいとか悲しいと感じるのは幼児も同じ
子供と同じ目線で考えることが大切

アメリカで夢を実現させた日本人の中から、今回は幼稚園教諭の佐藤恵美さんを紹介しよう。高校の音楽教師を辞めて、青年海外協力隊としてジンバブエの高校に赴任。帰国後は派遣会社に登録し、幼稚園のアシスタントとして渡米。カレッジで幼児教育の単位を取得し、現在は幼稚園教諭として活躍中。

【プロフィール】さとう・えみ■1967年生まれ。長野県出身。89年、武蔵野音楽大学音楽教育学科を卒業。都内の私立女子高に音楽教師として赴任。93年、青年海外協力隊員としてジンバブエの高校へ。97年に帰国後は、幼児クラスで英語を教え、2002年、聖愛幼稚園のアシスタントとして渡米。04年にカレッジで単位を取得後、正式に教諭となる。放課後の音楽クラスも担当。

そもそもアメリカで働くには?

ジンバブエの高校に音楽教師として赴任

同僚の先生たちと。園内はいつも明るい雰囲気

 小学校1年生の時からピアノを習っていましたが、高校で合唱部に入ったことで音楽大学への進学を決めました。その頃から将来は、舞台の上に立つのではなく、音楽の先生になりたいと思っていました。武蔵野音楽大学に入学してからは、毎日弾いたり歌ったりの世界。アルバイトでもピアノを教えており、忙しくも楽しい毎日でした。大学4年の時、大学の就職課で青年海外協力隊の募集の張り紙を見つけ、アフリカで音楽を教えてみたいと思いました。でも、英語の試験があることを知り、断念しました。英語に自信がなかったからです。
 
 大学を卒業後、都内にある中高一貫の私立女子校に音楽教師として着任したのですが、学校のブラスバンド部が、ローズボウルのパレードにゲストとして招かれたのです。高校生に混じって教員1年目の私もミニスカートで参加。その楽しかった印象が強く、漠然とですが、いつかここに住んでみたいと思いました。
 
 就職して3年ほど経った頃、実務経験もできたので、思い切って青年海外協力隊に応募したら、アフリカにあるジンバブエの高校に音楽教師として赴任することになりました。26歳の時のことです。ジンバブエはイギリスの植民地だったので、公用語は英語です。それで初めて英語を勉強したのですが、あんなにやったのは初めてというほど必死で勉強しました。
 
 ところが、私が音楽教師として派遣されても、一般の人は「なぜ音楽を学校で勉強するの?」という反応。ジンバブエのような発展途上国には、音楽が教科として存在するという概念がなかったのです。そこで赴任後は、カリキュラムを作るところから始めました。「日本と同じような授業をしてほしい」と言われたので、クラスには音楽鑑賞やリコーダーなど日本の授業を持ち込み、合唱クラブを立ち上げました。公用語である英語の歌が主でしたが、ジンバブエの言葉は、発音が日本のカタカナに近いのです。だから『茶摘み』など日本の歌も紹介しました。そのうち近くのプリスクールや小学校からも頼まれて教えに行くように。ピアノのプライベートレッスンも人気でした。
 
 この国には必要最小限のものしかなく、日本だったら捨ててしまうものも大切に使い、ほしい物は自分で作ります。日常の中に何かを生み出す喜びがあふれているここでの生活で、自分の価値観が変わりました。

アシスタントをしながら大学で幼児教育を勉強

ひな祭りのお祝いで。行事は子供たちにとって
日本の文化を体験できる貴重な機会

 4年近く滞在した後、帰国して、幼児向けのクラスで英語を教えました。なぜ音楽ではなく英語を選んだのかというと、私自身が諦めていた英語を26歳で習得できたから。もし私も子供の頃から英語ができていたら、何かが変わっていたかもしれないという思いがあったので、子供たちに英語を教えたいと思いました。ジンバブエに行って、いろいろな意味で世界が変わったのですね。そして以前、漠然と考えていた渡米に挑戦しようと、インターンシッププログラムの派遣会社に登録。ところが教師の職は本当に少なくてなかなか見つからず、半ば諦めかけていました。ところが音楽教師として別の会社に登録したら、わずか20分後に返事が来ました。
 
 その後はとんとん拍子で、3カ月後にはJビザで渡米し、聖愛幼稚園でアシスタントとして仕事を始めました。ただ私は中学・高校の教員免許は持っていますが、幼児教育の資格はありません。そこで、仕事をする傍ら、夜はロサンゼルス・ハーバーカレッジに通い、2年かけて幼児教育の勉強をしました。カリフォルニアで幼稚園の教諭になるには、Early Child Developmentの単位が必要です。児童心理学などの他に、カリフォルニア州独自の必須科目である多文化を学ぶクラスを受講しました。昼間は幼稚園勤務と個人レッスン、夜は大学の授業と1日があっという間に過ぎていきます。忙しい毎日でしたが、カレッジに夜通っている人は、皆同じような環境の人ばかり、そう思ってがんばりました。

幼いからできないということはない

 幼稚園勤務は初めてですが、皆それぞれ個性があって、可能性があると実感します。「幼いからわからない。小さいからできない」ということはまったくありません。うれしいとか、悲しいとか感じるのは、どんなに幼くても大人と同じです。毎日子供たちと接していると、私の方が、子供たちから教えてもらうことが多いように思います。
 
 例えば、大人ならケンカをするとそれが尾を引いたりしますが、子供は例え叱っても、次の日は元気に「おはよう」と挨拶してくれます。そういう意味では、私の方が子供たちに受け入れてもらっているのだと感じます。今年で5年目に入りましたが、子供たちの成長には驚くばかりです。彼らの進歩を見るのが楽しいので、続けて通ってもらえるように、これからも努力していきたいと思っています。幼稚園教諭という仕事を選んで本当に良かったですね。
 
 これから目指す人は、「教える」という意識より、自分の知識を「分かち合う」という意識で臨んだ方が、うまくいくと思います。これは私自身にも言い聞かせていることですが、大人だからと上に立つのではなく、子供と同じ目線で考えるようにすることが重要ですね。
 
(2006年7月1日号掲載)

「アメリカで働く(多様な職業のインタビュー集)」のコンテンツ