地元の日本人・日系人に支えられる
コミュニティーホテルであり続けたい
アメリカで夢を実現させた日本人の中から、今回はホテルディレクター/総支配人室長の中野一章さんをご紹介。幼児期をアメリカで過ごした経験から留学を決意。ハワイ旅行でホテル業の素晴らしさを再認識し、留学してホテル学を学ぶ。LAでのインターンを経て、帰国後にニューオータニに正式入社した。
そもそもアメリカで働くには?
- アメリカで働くためには、原則として合法的に就労可能な「ビザ」が必要になります。
アメリカ・ビザの種類と基礎知識 - 日本から渡米してアメリカで働く方法として、18ヶ月の長期インターンシップも選択肢の1つ。
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授業では肉の切り方やワインテイスティングも
父の仕事の関係で、2、3歳の頃、ニューヨークに住んでいました。当時のことは記憶にありませんが、写真を見ていたせいか、中学生の時には、アメリカの大学に留学しようと決めていました。せっかく留学するなら専門知識を身につけたいと思っていましたが、建築家やCPAなど数多くあった夢の1つがホテル業でした。そこで高校2年の夏休みに、自分の気持ちを確かめようと、1人でハワイに旅行しました。ワイキキビーチ沿いのリゾートホテルに宿泊したのですが、スタッフ全員が「ハワイにようこそ」と温かく迎えてくれている気がして、「ホテルってこんなにすてきな思い出をプレゼントできるんだ」と感動し、ホテル学を専攻することにしました。
ネバダ州立大学ラスベガス校に決めたのは、観光都市にある上、独立したホテル学部があり、授業内容が充実していたからです。高校を卒業後、渡米したのが1976年の春。最初の2年間は一般教養科目に加え、経済学や会計学の基礎など、ビジネス全般の勉強が中心ですが、3年目からはホテル関連の授業が増えました。専門授業では、ワインテイスティングや業務用の肉や魚をカットするクラス、客、サービス、調理を生徒が交代で担当するクラスや、ラスベガスらしくカジノゲームの確率を試算するクラスなどもあり、楽しかったですね。
就職1年目に休学し大学院で修士号取得
学位を取得するためのインターンシップで就職したのが、今働いているホテル・ニューオータニです。79年の暮れも押し迫った12月29日に飛び込みで人事課を訪ねたところ、「大晦日の夜から働いてください」と言われ、「なんとラッキー」と思いました。最初の仕事はナイトクラーク。夜11時から翌朝7時までの勤務で、お客様のチェックインからチェックアウト、その日の売上計算や売上日報をまとめるまでが日課でした。夜間はマネージャー兼務で、フロントも1人。朝帰って、またその晩に出勤というきついシフトでしたが、短い期間にフロント業務のすべてを体験できました。これほどの研修は他にはなかったと感謝しています。
1年後に帰国し、東京のニューオータニに正式入社しました。ですが帰国して半年後に、コーネル大学大学院から合格通知が届きました。ロサンゼルスでの研修中に、大学院入試を受けていたのです。ホテル学ではナンバー1といわれる同大学院で修士号を取得するのは、以前から目標の1つでした。入社1年目の新入社員が留学中1年半も休職するのは無理だと思い、退職願を出しました。ところが社内には同校の卒業生も多く、サマースクールに社員を送っていたこともあり、温かい計らいをいただいて休職扱いとなりました。コーネルでは、主に財務管理や市場調査、人事管理など、経営サイドからのホテル学を勉強しました。卒業して帰国したのが83年、25歳の時です。
帰国後は、東京でフロントと営業に籍を置いた後、88年にニューヨーク営業所勤務になりました。ニューオータニグループの各ホテルに、アメリカからの送客をサポートするのが主な仕事でしたが、カナダを含む北米東海岸が担当で、1年の3分の1は出張という生活でした。3年間の駐在後、大阪、東京で宿泊企画プランや広告などのマーケティングを担当、幕張のホテル開業にも関わることができました。
同時テロでは全米の日本人から問い合わせ
93年よりロサンゼルス勤務になりましたが、赴任して間もない翌年1月17日未明、ノースリッジ地震が発生しました。私はまだホテル住まいで、いきなり体がベッドから飛び跳ねるような感覚で目を覚ましました。急いでフロントに下りると、既にお客様の安否を尋ねる電話が殺到していました。幸いホテルには大きなダメージはありませんでしたが、現地の様子を知りたいと、ニューヨークや東京の新聞社など、マスコミ数社から電話が入ってきました。また2001年の同時多発テロの直後は、全米の空港が閉鎖されるなど大混乱の中、全米を旅行中の日本人から多くの問い合わせがありました。総領事館の緊急対応事務所も、ホテル内に設置されました。これらの緊急事態での経験から、アメリカにある日本のホテルとして、困った時に頼りにされる、期待に応えることのできるホテルでありたいと常に感じています。
さらに、リトルトーキョーという土地柄、地元の日本人・日系人に支えられるコミュニティーホテルであり続けたいとも思っています。そのためにはコミュニティーの一員として、誇りに思ってもらえるホテルでなければならないと認識しています。地元の人々はもちろん、世界中からロサンゼルスに旅行する人々に、親しみを持ってもらえるようなホテルを目指して努力していきたいと思っています。
ここでは、いろいろな国やバックグラウンドの人が集まってチームを作っています。アメリカで働きたい人は、自分の意見を積極的に相手に伝える力を身につけることが重要です。ホテル業に限らずどんな仕事でも、言葉だけではなく、表現力や理解力など広い意味でのコミュニケーションスキルが大切だと思います。
(2006年7月16日号掲載)