バレエインストラクター(その他専門職):西野多恵子さん

ライトハウス電子版アプリ、始めました

バレエはビジュアル、才能の世界だが、
日本人も努力を重ねていけば認められる。

アメリカで働く日本人の中から、今回はバレエインストラクターの西野多恵子さんを紹介しよう。6歳でバレエを始め、プロとして活躍後、20歳で渡米。1度はバレリーナの道を諦めるが、縁あってバレエ学校のインストラクターに。この秋には地元のバレエ団を結成するまでになり、後進の育成に情熱を注ぐ。

【プロフィール】にしの・たえこ■大分県出身。6歳からバレエを始める。プロとして活躍後、86年に渡米、シアトルのバレエ学校に入る。96年にチュラビスタに転居。98年、Neisha’s Dance Academy(NDA)のインストラクターに。2006年9月、チュラビスタ・バレエ芸術監督に就任。全国バレエコンクール、ジャパン・グランプリ芸術監督補佐として日本でも活躍。

そもそもアメリカで働くには?

自由な環境で
学びたくて渡米

華やかなグラン・パ・ド・ドゥ(男女2人で
の舞踊の1つ)。ドン・キホーテ第3幕より

 6歳でバレエを始めました。高校を卒業するまで、別府の実家から先生のスタジオのある東京の中野区まで、1カ月に1回は飛行機でクラスに通っていました。当時日本のバレエ界は、1人の先生につくと他の教室に移りにくいなど、しがらみが多かったのですが、アメリカではそういったことはありません。もっと自由な環境でやってみたいと思い、20歳の時に渡米しました。その頃はすでに日本バレエ協会の公演にプロとして出演しており、アメリカでもっと演技を磨こうと思いました。
 
 最初はシアトルのパシフィック・ノースウエストバレエという大きな学校に入りました。アメリカに来て、やはりショックを受けましたね。まず、体形が全然違う。顔立ちも骨格も違います。特に骨格はバレエにとって非常に重要ですから、日本人の自分がいくらがんばってもだめかもしれないと落ち込みました。その後、ジャズダンスなどもやってみましたが、結婚して子供ができたことを機に、バレエをお休みしました。日本では、学校が終わってから夜寝るまで毎日レッスン。バレエ漬けの人生でしたので、1度バレエから遠ざかってみたかったんです。その後、主人の仕事の関係でサンディエゴに移って来ました。
 
 ある時、近所の友達がバレエ学校に見学に行くというので、私も気軽に足を運んでみると、本格的にバレエを教えておられる先生がいて。こんなところに、プロの指導者がいるんだと感激しました。簡単なクラスから上級へと進み、通う回数も増え、1年で舞台に立つまでに復帰しました。舞台での主役も何度か務めた頃、「そろそろ指導の方に入っては」とオーナーに言われて。そこで初めて「教える」という仕事に就きました。

進化し続けるバレエ
教える側も常に勉強

海賊のグラン・パ・ド・ドゥ。
ボリショイ・バレエのダンサーと

 私の学校(NDA)では、8段階のレベルに分かれており、私はトップの3レベルを担当しています。上級レベルでは、プロのダンサーになりたいという目的意識を持った生徒がほとんどです。
 
 気をつけているのは、自分が教わってきたことだけを普遍的に教えるのではだめということ。生徒1人1人に個性があります。全員に同じことを同じように教えていたのでは、生徒はついて来ません。自分も常に勉強しています。バレエの世界も進化しています。例えば、20年前に世界的なプリマバレリーナだけが披露できた技は、今や普通にこなせるダンサーはいくらでもいます。全体的にレベルが上がっているんです。もちろん、クラシックの伝統や振り付けは自分で崩したり、簡単にしたりしません。
 
 この9月に、チュラビスタ・バレエというバレエ団を結成しました。コミュニティー内でバレエを広めていくことが目的です。このチュラビスタはサンディエゴ郡では2番目の都市ですが、芸術が浸透していません。そこで、「自分が作ろう」と。NDAのオーナーに、「すべて任せるから、やってみたら」と後押しされ、決意しました。実は2年くらい前から、私が監督となって試験的に団の運営を経験していたので自信はありました。

地元からバレエの魅力を
発信していきたい

 アメリカのバレエ団は、年に1回オープンオーディションを行います。大きなバレエ団は全米の主な都市を回り優秀なダンサーを選びます。オーディション通過者はシーズン契約で、1年だけの契約が更新される形になっています。また、それぞれの技量によって、ランク付けされます。小さなバレエ団では、楽な生活ができるような賃金はもらえません。アメリカン・バレエシアターのような超一流のカンパニーでも、新人で群舞の役では厳しいというのが現状です。
 
 アメリカでもバレエのステータスはあると思うのですが、女の子の習い事という程度の認識が主流でしょう。ここでは私が日本で受けたような、鍛錬を強いる厳格なレッスン方は受け入れられません。しかし、アメリカは恵まれています。広いスタジオで練習できますし、月謝や発表会出演料も日本のように高くない。最初のハードルが低いですね。日本では小さいうちに叩き込みますから、11、12歳でプロ級のテクニックを持った生徒がたくさんいますが、こちらでは逆に高校生くらいで急に上達する人が多いというのも特徴です。
 
 バレエは才能の世界です。ビジュアルの世界ですから、まずバレエに適した体型が重要です。しかし、多くの日本人が国際コンクールで受賞しているのは、訓練を積むことによってハンデを克服しているから。日本人特有の努力の成せる業です。アメリカでバレリーナを目指している日本の方にとって、難関はビザです。メジャーなコンクールで入賞し、有名なバレエ団や学校から招待されれば、ビザもサポートしてもらえます。また、小さいバレエ団に見習いで入団し、数カ月滞在して日本に帰り、またやって来るという方も大勢います。
 
 私自身、サンディエゴでバレエと再会して幸運でした。今後は、チュラビスタ・バレエ団を大きくしたいですね。生徒を育て、新しい生徒も増やしたい。公演を定期的に開き、日本との交換留学生プログラムを始める計画もあります。多くの方にアメリカでバレエを学んでいただく機会が増えればと思っています。
 
(2006年11月1日号掲載)

「アメリカで働く(多様な職業のインタビュー集)」のコンテンツ