オーディオ・エンジニア(クリエイティブ系):笠井 利朗さん

ライトハウス電子版アプリ、始めました

人のやっていないことをやるバンドと
意表を突くような曲を作るのが夢

アメリカで夢を実現させた日本人の中から、今回は「オーディオ・エンジニア」の笠井利朗さんを紹介しよう。音楽プロデューサーになりたいと夢を持って渡米したのが97年。人間関係を大切にして着実に人脈を築きあげ、現在はノースハリウッドのスタジオで多くのミュージシャンに頼られている。

【プロフィール】かさい・としあき■東京都出身。1997年6月、ロサンゼルス・レコーディング・ワークショップに留学のため渡米。同校在籍中に数々のスタジオでインターンをこなし、現在はノースハリウッドのスタジオを中心に活躍中。手掛けたアーティストに、トゥール、メルヴィンズ、ウィリー・ネルソン、フーファイターズなど多数。

そもそもアメリカで働くには?

ノートを取ったことが、仕事の足がかりになった

メルヴィンズとの録画風景

 父は趣味でキーボードを、兄と姉はエレクトーンを弾いていました。小学生の時に兄のすすめで初めて聴いた洋楽が、ビリー・ジョエルの『マイ・ライフ』。日本にはないさわやかな音と英語の流れが格好いいと思いました。
 
 中学の時からギターを弾き始め、地元でロックバンドを組んでいましたが、R&Bやサウンドトラックも好きで、20歳前後になると1つの音楽にこだわりたくないと思うようになりました。音楽を作る側に回りたかったのです。『スーパーマン』や『バック・トゥー・ザ・フューチャー』などの映画の影響でアメリカが好きだったし、どうせやるならアメリカで、と思っていました。
 
 その頃、ちょうど友人がロサンゼルス・レコーディング・ワークショップに通っており、その友人に誘われて渡米したのが1997年のことです。もともと音には敏感だったのですが、正式に勉強するとシェフが料理に何が入っているのかがわかるように、クリアに音の違いが整理されて納得できたのです。
 
 ロサンゼルス・レコーディング・ワークショップでは、すぐにいろいろなスタジオでインターンシップをさせてくれました。あるスタジオに行った時、ブラッドハウンド・ギャングのセッションがあり、その時は教えてもらう立場だったのでノートを取っていると、プロデューサーが「ノートを取ったのはお前だけだ」ということで、「明日から雇う」と言ってくれたのです。そのアルバムは200万枚弱売れました。
 
 でも最初の8カ月くらいは大変でした。一応日本で貯金して来ていましたが、使えるお金は月200ドル、なんていうのも珍しくありません。毎日インスタントラーメンばかりで、食生活はかなりひどかった。ある時、フロントページスタジオというところでベンチャーズと日本人アーティストの合同セッションがありました。僕は通訳兼アシスタントエンジニアとして参加させてもらったのですが、ベースプレーヤーのボブ・ボーグルの奥さんがユミさんという日本人で、仕事の合間に食生活の話を聞かれ、正直に答えたらかなり心配してくださったらしく、セッションが終わった後に電話を貰いました。「使っていない電子レンジをスタジオに預けておいたから取りに行くように」とのこと。スタジオに行ってみると電子レンジの他に新品のオーブントースターと小さな封筒があり、「これで何か食べてください。Yumi & Bob」と書かれた手紙と100ドル札が1枚入っていました。今でもその電子レンジとオーブントースターは使っています。感謝しても、しきれません。

誘われたら必ず参加する 。人とのつながりが大切

メルヴィンズとトゥールのアダム・ジョーンズと
フックスタジオにて

 このままでいいのかな、という思いは、4、5年前までありました。経済的なこともそうですが、自分の好きな音楽がなかったと言うか、僕が聴いて育った頃のような音楽は存在しなくなったのか、という不安があったのです。でもそのうち、フーファイターズ、メルヴィンズ、トゥールなど自分のスタイルを持っているバンドと仕事をするようになって、やってきて良かったと思えるようになりました。テキサスのバンド、シュガーボムのセッションに参加させてもらった時は、とても意見が合って、こういう人たちがいたんだと、うれしくなったほどです。
 
 僕もまだとても成功したとは言えない段階ですし、まだまだこれからですが、一応ここまでやってこられたのは、諦めなかったこと、必死で勉強したこと、そして人のつながりを大切にしたことだと思います。
 
 トゥールのアダムとはセッションを一緒にやって以来親しくさせてもらっていますし、アダムを通してメルヴィンズを紹介してもらい、プライベートでも映画やパーティー、コンサートなどに誘ってもらっています。僕はたとえばパーティーでも誘ってもらったら必ず顔を出します。ある時パーティーに行くと、小さな頃からあこがれていて一緒に仕事ができたらいいなと思っていたキング・クリムゾンがいて、さすがにその時は感動しました。

スターのいない音楽業界 。商業的になってきている

 セッションにかかる時間は、ジャンルによってまちまち。6カ月かかることもあれば、1カ月で終わることもあります。ヒップホップやテクノはプロダクションに時間をかけるので録音するのはボーカルだけ。ロックやジャズは生演奏するのでチャレンジが必要とされますが、その分やり甲斐があります。録音では楽器やボーカルを別々に保存することができるのですが、バラバラになった音をバランスよくステレオにまとめるミックスダウンという作業では、1日1曲が相場です。
 
 将来的には人のやっていないことに挑戦するバンドをプロデュースしたいですね。音楽プロデューサーは、映画でいうディレクターのようなもの。言ってみれば全体の指揮者ですね。レコード会社も勇気がなくて、無難な路線しか作らない。ビートルズとかエルビス・プレスリーのようなカリスマ性のあるスターがいないし、芸術性を無視して商業的だけになりすぎているような気がします。僕はその意表を突くような曲を作る音楽家、実験的で型にはまっていないバンドなどと仕事をしたいと思っています。
 
(2005年4月16日号掲載)

「アメリカで働く(多様な職業のインタビュー集)」のコンテンツ