24時間インスピレーションを得ている
個性的なデザインで人を驚かし続けたい
アメリカで夢を実現させた日本人の中から、今回はプロダクトデザイナーの後山真己博さんを紹介しよう。美大受験に失敗し、アメリカ留学を決意。趣味のモトクロスであこがれだったトロイ・リーさんに会いたくて「トロイ・リー・デザインズ」を訪問。そのチャンスを生かして、同社のデザイナーに。
そもそもアメリカで働くには?
- アメリカで働くためには、原則として合法的に就労可能な「ビザ」が必要になります。
アメリカ・ビザの種類と基礎知識 - 日本から渡米してアメリカで働く方法として、18ヶ月の長期インターンシップも選択肢の1つ。
アメリカでワーキングホリデーのように働く!「J-1ビザインターンシップ」徹底解説
あこがれの会社に電話したのがきっかけ
小さい頃から絵を描くのが好きで、ずっと絵を習っていました。高校も工業高校のデザイン科に進み、美大に行きたかったのですが志望校の受験に失敗し、「浪人するよりアメリカで勉強しよう」と思い、渡米することにしました。趣味がギターとモトクロスなので、「いつかアメリカに行ってみたい」といったあこがれもありました。
サンディエゴのデザインスクールに行きましたが、学校の規模も小さく、日本人が1人もいない環境だったので、デザイン専門用語などと同時に、一般の英語を比較的早く学ぶことができました。「広告デザイン」を専攻していたので、課題では絵だけではなく、コピーライトもつけて広告としてのコンセプトを伝えるのが大変でした。好きなことなのでがんばれたのだと思います。ちょうどコンピューターでモノを作る始まりの時期で、抵抗なく入っていけたのもラッキーでした。
モトクロスはサンディエゴでも乗っていましたが、高校時代からあこがれていた「トロイ・リー・デザインズ」という会社が、サンディエゴから1時間半くらいのところにあると知って、ある日、会社に電話しました。社長のトロイ・リーはアイデアマンで、それまで無地かラインが入っている程度だったヘルメットに、グラフィックをつけたことから始まった会社です。日本にいる時に雑誌で見て、僕もマネをして自分でヘルメットを塗ったりしていたのですが、電話した時は、「社長の知り合いになっていつか塗ってもらえるといいな」程度の軽い気持ちでした。すると「ショールームもあるから遊びにおいで」と快く誘ってくれたのです。
床掃除やゴミ拾いでも、毎日デザインを持参
会社に行った時に「採用していませんか」と訊ねたら、「学生なら週に3日ほど、昼から来れば」と言ってくれ、片道1時間半かけて通うようになりました。最初はインターンだったので、それこそ床掃除やゴミ拾いばかりでしたが、行くたびにデザインを持参して社長に見せました。初めの頃は当然「ダメ」ばかりだったのが、2、3カ月経ったある日、ようやく「おもしろい」と言ってくれ、「小さなプロジェクトをやってみるか」と持ちかけてくれたのです。それが認められて、少しずつデザインを担当するようになり、卒業とともに正社員として入社しました。
20代の頃は、仕事が楽しくて、楽しくて仕方がなかったですね。自ら毎日残業して、週末も出勤していました。「とにかく仕上げて、翌朝社長に見せたい」とそれだけでした。30代になると、今度は会社が成長して忙しくなったので、残業せざるを得ない状況になりましたが。今はモトクロスウェアのデザイナーとアートディレクターを兼任していますから、24時間何かを見てインスピレーションを得ています。ナイキの靴やそれこそ壁紙から食器まで、見るものすべてからアイデアを吸収していますね。
これまではとにかく次から次へと新しいデザインが出るので、後ろを振り返る暇もなかったという感じです。でもバイクは趣味だったので、苦労を苦労と思いませんでした。社長が理解のある人だったのも恵まれていました。意見が合わなくて、社長と泣きながらケンカしたこともありましたが、「ダメだけど、他にもやってみれば」と課題を与えてくれました。やはり「あきらめない」ことが大切だと思います。
アメリカは、言えばわかってくれる国
アメリカでは「言わなくてもわかってくれるだろう」は通用しません。根性を見せて一生懸命がんばるのも大事ですが、それを口に出して言わないとわかってもらえません。でもアメリカは、言えばわかってくれる国です。「何がやりたくてこうしたから、こうしてくれ」と伝えることが大切です。
アメリカでデザインの仕事をしたいのなら、遠回りをせずにデザイン会社に就職するべきだと思います。ただデザイナーを目指す人は、紙と鉛筆でアイデアを書くという基本を忘れないでほしいですね。最近は、コンピューターができたらデザインができると思っている人も多いのですが、まずはスケッチした絵を見せるという作業があります。これができないと、コンピューターに入れることもできないわけです。
アメリカのモトクロス人口はすごく多い。レースに出るのは全体の2割程度で、あとの8割は家族で楽しむ人たちです。モトクロスが生活に根付いています。ですからウェアやギアなどアフターマーケットの裾野は、日本よりもはるかに広く、アメリカの方が2輪業界に入りやすいのではないでしょうか。
モトクロス会場などで知らない人が、僕のデザインしたウェアを着ているのを見るとうれしいですね。世界中の人に買ってもらえるわけですから、それが1番うれしい。一時期、自分が成長しているのが見えた頃、自立を考えたこともありました。でも僕はこの会社とここの社長が好きなので、今は会社を成長させるためにやれるだけやってみよう、という心境です。
人が「マキのデザインだ」とわかるような個性的なものを作り、「またこんなのを出してきたのか」と、常に人を驚かし続けていきたいと思っています。
(2005年7月16日号掲載)