医師(医療・福祉系):大庭千里さん

ライトハウス電子版アプリ、始めました

頼ってくる日本人の期待に応えたい
知られていない予防医学の大切さ

アメリカで夢を実現させた日本人の中から、今回は医師の大庭千里さんをご紹介。親のすすめる「女らしい生き方」に違和感を覚え日本を脱出、88年にロサンゼルスへ。解剖学や生物学の面白さに目覚めて、医学の道を志す。現在はロングビーチで内科医として開業、地域の頼れる「お医者さん」だ。

【プロフィール】おおば・ちさと■1964年生まれ。福岡県出身。88年に渡米し旅行社勤務。92年サンタモニカ・カレッジに入学。95年にロス・ユニバーシティーへ入学。2000年から03年までUCLA付属病院で実習。03年9月セリトス・ファミリー・メディカルグループに勤務。04年3月ロングビーチで内科医として独立開業。

そもそもアメリカで働くには?

やりたいことを探すためにアメリカへ

3世代が通院する家族もいるという。
すでに地元で頼られるお医者さんだ

 もともと高校では理数系が好きでした。でも、地元の短大の家政科に入り、卒業後は民間企業や市役所で働いていました。親の意見に従ったわけです。女が理数系の大学に行くなんてとんでもない、短大を出て花嫁修業をするのが女の幸せだというのです。
 
 自分でも何をやりたいかわからなくて、でも、「どこか違う」という気持ちがありました。外国に出れば、もっと自分が見えてくるのじゃないかと思い、87年にワーキングホリデーでオーストラリアに行き、翌年ロサンゼルスへやってきました。とにかく英語だけはきちっと身につけたかったのですね。
 
 永住権を持っていれば、留学生ビザに比べ大学の授業料がずっと安くなると知り、しばらく働いて永住権を取ってから大学に入ろうと考えました。何十社も電話をかけてようやく中国人がオーナーの旅行会社が雇ってくれて、しかも永住権申請のスポンサーにもなってくれました。
 
 4年後の92年に永住権が取れ、さっそくサンタモニカ・カレッジに入学しました。最初は一般教養の段階なので適当に科目を選んで受けていたのですが、気に入ったのは生物学や解剖学でした。後で振り返ると、子供の頃、人間と動物の体の仕組みがどうなっているのか、すごく興味を持っていました。やっぱり医学に関心があったのですね。
 
 日本で卒業した短大の単位をトランスファーできたのでサンタモニカ・カレッジを2年間で卒業し、カイロプラクターの大学に入りました。今から医者になるのは無理だけど、カイロプラクターならばなれるだろう、と漠然と思っていました。でも、カイロは何か自分がやりたいこととは違うと感じ、調べるうちに自分でも医者になれることがわかってきました。そこでニュージャージーの医大、ロス・ユニバーシティーに出願し、合格しました。

くじけそうな時にはローンを思い出して

婦人病とその予防について講演することも多く、
いつも好評を得ている

 最初の2年間はカリブ海にある施設で医学理論を学び、後半の2年間はシカゴの病院など現場で実習しました。はじめの2年が終わった時点で、国家試験があります。後半の実習期間では、自分の専門を決めるために、外科・内科・産婦人科と見て回り、その後卒業前と卒業後にまた国家試験が控えています。在学中の成績によって、どこでレジデンシー(医学部卒業後の実習)をできるかが決まりますので、よい成績を修めておく必要がありました。
 
 とにかくよく勉強しましたね。言葉のハンデもありましたから、睡眠や食事、軽く運動する時間を除けば、勉強ばかりしていました。試験や成績のプレッシャーをきついと感じることもありましたが、医学の勉強を辞めても他にやりたい仕事もないし、やるしかないと思って。それに4年間の学費と生活費はすべてスチューデントローンで払っているので、ここで諦めたらどうやってあのお金を返そうかって(笑)。とにかく自分を奮い立たせて乗り切りました。

日本人の患者をもっと診たい

 医大を卒業後、2000年から03年まで希望どおりUCLAの付属病院でレジデンシーをすることができました。この3年間のうちに医者として独り立ちできるようにすべての病気を診て、あらゆることを吸収しようと必死でした。3、4日おきに36時間ぶっ続けで働いていました。夜中でも入院患者から呼び出されたり、エマージェンシールームに緊急患者が運び込まれたりして、ほとんど寝る暇はありません。
 
 その後、セリトスのファミリー・メディカルグループに就職しました。何人も医者がいるので交代で休暇を取りやすいし、給料制ですので生活面では楽でした。一方、患者はグループ全体で受けるので、自分の判断で診たい患者を選んだり患者を診る順番を変えることができません。グループの予約だけで2か月先まで一杯になっていて、英語で診察を受けるのが苦手な日本人が、日本語ができる私に診てもらいたいと思っても予約を入れるのも難しいわけです。
 
 私を頼ってくれる日本人の患者をもっと診たいと思い立ち、勤め始めて半年でグループを辞め、04年3月ロングビーチで独立開業しました。「開業は大変だぞ。お金が続かなくて破産するぞ」と言う人もいました。でも、そんなことはやってみないとわからない、やりたいのならば今すぐやるしかない、だめだったら別のことを考えればいい。そう思っています。
 
 メディカルグループで働いているうちに、開業医には欠かせない健康保険制度について勉強しました。資金については、結構すんなり銀行から借りられます。患者は口コミで来てくれるようになっています。経営的にはこれからですが、2、3年で軌道に乗せられたらと思っています。
 
 来院される方のうち半分くらいが日本人なのですが、一般的な予防医学を知らない方が多いですね。女性は18歳になったら子宮頸ガン、40歳になったら乳ガン、男性は50歳になったら前立腺ガン、大腸ガンは50歳になったら男女ともに、といったように毎年ガン検診を受けるべきです。早期発見ならばガンから身を守れます。こうした予防医学についての知識を日本人の間に広げていけたらと思っています。
 
(2005年9月16日号掲載)

「アメリカで働く(多様な職業のインタビュー集)」のコンテンツ