看護師(医療・福祉系):長嶺良恵さん

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目標を決め自分を磨く姿勢を忘れない
看護師不足の時代は資格を狙うチャンス

アメリカで夢を実現させた日本人の中から、今回は看護師の長嶺良恵さんを紹介しよう。長嶺さんは夫の転勤に伴って渡米。日本で看護師の資格を持っていたが、アメリカでも看護の仕事をしたいと、独学で資格を取得した。現在はウィッティアの病院に勤め、アメリカの医療現場で奮闘する毎日だ。

【プロフィール】ながみね・よしえ■福岡県出身。聖マリア看護専門学校、福岡県立看護専門学校で学んだ後、聖マリア病院に就職。1986年に結婚。夫の海外赴任に伴い、89年に渡米。93年にアメリカの看護師の資格を取得。94年にLittle Company of Mary Hospitalに就職。2002年からPresbyterian Intercommunity Hospitalに勤務する。

そもそもアメリカで働くには?

中学時代の入院で、看護師にあこがれる

病棟にて。最近は学生の指導もまかされ始めた

 高校卒業後は地元の福岡県で看護学校に入りました。人の役に立つ仕事に就きたかったんです。中学生の時に2週間ほど検査のために入院したのですが、その時に接した看護師の方の印象が強く、「自分もああなれたらいいな」と思っていました。
 
 看護学校の勉強は大変でした。科目が多いうえ、グループ研究や臨床実習もあります。看護師の国家試験の2、3カ月前は毎日のようにテストがありました。卒業後は、保健師の資格を取るために1年間勉強しました。公衆衛生や予防医学の知識を深め、看護師の資格だけよりも仕事の幅が広がると思ったからです。父が保健所に勤めていた影響が大きかったのでしょうね。
 
 その後、看護学校を運営する聖マリア病院に就職しました。最初の1年間を腎臓病棟で働いた後、新しくオープンした国際健康センターに移りました。人間ドックなど主に健診をするための施設です。保健師の資格を持ち予防医学の知識があるということで呼ばれたのでしょう。
 
 センターに3年間勤めた後、夫の転勤の都合で退職しました。夫は航空エンジニアで、趣味のハンググライダーを通じて知り合いました。

アメリカでも資格を。家族の支えで猛勉強

同僚と。最初の頃は毎日大変で、
夜泣きながら日誌を付けたこともあった

 1989年、海外赴任する夫についていく格好でアメリカにやってきました。最初はリバーサイド・カウンティーのレイク・エルシノア。ユタ州にいたこともあります。仕事の関係であちこち引っ越した後、92年にはカリフォルニア州に戻ってきました。
 
 国際保健センターを辞めた後、しばらくは看護の仕事から離れていたのですが、ビザの都合で日本に帰っている間、4カ月地元の病院で働きました。久々に携わった看護師の仕事は新鮮でやりがいを感じましたね。まだアメリカの看護師の資格を持っていなかったので看護の仕事はできないけれど、代わりに何かできないかと考えました。
 
 カリフォルニアに戻ってきてから、知り合いに協力してもらってアメリカで看護師の資格を取る方法を調べました。そして、日本の看護師の資格を持っていれば、アメリカの看護師試験を受けられることがわかりました。大学で看護師のコースを取る方が楽だったのかもしれませんが、子供も小さく私にはそうした時間がありませんでした。
 
 独学で合格を目指すことにしました。パートに出たり家事や育児をしたりする合間に勉強するのですが、専門の医学用語を書き出しては部屋中に貼り付け、車の中では知人のアメリカ人に問題集の質問を吹き込んでもらったテープをずっと聞いていました。3000問ぐらいある問題集を5冊、繰り返して解きましたね。土、日曜は「KAPLAN」という自己学習センターに缶詰状態。資格試験対策のテープを聞いて学習できる設備があり、看護師以外でもさまざまな試験を勉強する人がよく利用しています。
 
 92年の試験は失敗しましたが、93年に何とか合格することができました。2回目の受験前は、これ以上家族に迷惑をかけられないから「もう、後がない」というところに自分を追い詰めてがんばりました。たぶん家族の協力がなければ合格できなかったと思います。当時、息子は小学校に入るか入らないかの手のかかる頃だったのですが、土、日曜は夫が面倒をみてくれました。また、気ばかりあせるけど全然勉強が進まない時などは、「2日間勉強禁止!」といって机の前から引き離してくれたのも夫でした。

自分の中で限界を作らず、プロを目指していきたい

 アメリカの看護師資格を取った後、94年に日系クリニックに就職し、人間ドックを担当しました。結局10年近く勤めたのですが、だんだんこのままでいいのかなと思うようになりました。せっかくアメリカの資格を取ったのだから、アメリカの病院で働いてみたい! 安定してくると、新しいことにチャレンジしたくなるのです。
 
 ちょうど隣に住む人が、今勤めている病院の理学療法士で、「うちの病院は素晴らしいから、働いてみないか」と誘われました。2002年から月4回くらいのペースで、日系クリニックとかけ持ちで勤め始めました。翌年からは日系クリニックを辞め、今の病院に週3日、午後3時から11時まで働いています。
 
 職場は外科病棟ですが、最初何より大変だったのは英語ですね。患者さんやドクターとの会話でも、もし誤って理解すれば大変なことになりかねないですから、何と思われようと、わからなければ何度も聞き直しました。
 
 2年ぐらい経ってから、どうにか慣れたかなと思えるようになったのは、周りの人が辛抱強くつきあってくれたおかげですね。誠意や熱意を持っていれば、何とか道が開けてきます。言葉や文化に関係なく、手を握って目を見るだけで気持ちは伝わります。患者さんから「ありがとう」と言われた時は、疲れなど一気に吹き飛んでしまいます。これからも自分の中で限界を作らず、より経験を積んだプロの看護師を目指していくつもりです。
 
 確かに英語の壁を越えるのは大変です。でも、自分でこうなりたいという絵を描き続ければ、必ず夢は実現できると思います。今、アメリカは看護師不足なので看護師の資格を目指すならばチャンスの時期でしょう。
 
(2005年11月1日号掲載)

「アメリカで働く(多様な職業のインタビュー集)」のコンテンツ