アスレチックトレーナー(医療・福祉系):小松武史さん

ライトハウス電子版アプリ、始めました

選手の体調管理をトータルに支える喜び
進んだスポーツ医学を日本に伝えたい

アメリカで夢を実現させた人の中から、今回はアスレチックトレーナーの小松武史さんをご紹介。鍼灸の技術をスポーツに生かすとともに、進んだスポーツ医学を学びたいと89年に渡米した。現在ではスポーツ選手を治療や体調管理の面から支える一方、日本人のトレーナー育成に尽力している。

【プロフィール】こまつ・たけし■神奈川県出身。1966年生まれ。1987年後藤学園卒、89年に渡米。95年カリフォルニア州立大学ロングビーチ校体育学部スポーツ医科学科卒。96年ロングビーチ・スポーツ医科学理学療法クリニックに就職。97年全米アスレチックトレーナーズ協会公認ライセンス取得。01年加州鍼灸師・漢方薬剤師免許取得。www.japanesehealing.com

そもそもアメリカで働くには?

五輪チームから膨らんだアメリカ挑戦の夢

クリニックにはさまざまなスポーツ選手が訪れる

 高校を卒業して鍼灸師の学校に入りました。手に職をつけ独立できる仕事に就きたかったからです。
 
 鍼灸の技術を選手がけがをした時などに使い、スポーツの世界に取り入れたかったので、卒業後はNECのバレーボールチームのトレーナーをしていた岩崎由純さんのところに弟子入りしました。スポーツ界の仕組み、テーピングの仕方、スポーツによるけがの評価と治療を学びました。
 
 1988年のソウル五輪では、岩崎さんの紹介で、日本に滞在中のアメリカ陸上チームのトレーナーを務めました。私は英語がろくにできませんし、鍼灸治療もなじみが薄いので、最初のうちは選手たちから敬遠されたのですが、痛みに苦しむ走り高跳びの選手をたまたま鍼治療すると、よく効くという評判がチーム内に広まり、選手が頻繁に私のところに来るようになりました。「アメリカに来ないか。まだアメリカでは誰もやっていないから成功するぞ」と何人かの選手に言われるうちに、その気になってしまいました。
 
 それ以前にも、アメリカのスポーツ医学を見学するツアーに参加したことがあって、アメリカに行かないと本物のスポーツ医学は学べない、と思うようになっていました。特に、ボルティモアで開かれたスポーツ医学のコンベンションに行った時は、その規模に圧倒されましたね。

雑巾がけから始まったトレーナー修業

鍼灸治療も今では、老若男女問わず
受け入れられている

 渡米したのは89年です。英語を学ぶには日本人の少ない場所がいいと考え、ルイジアナやアイオワで語学学校に通った後の91年、スポーツ医学では全米でもトップクラスのカリフォルニア州立大学ロングビーチ校体育学部に入りました。専攻はアスレチックトレーニングです。通常は3、4年生から大学のスポーツクラブに入ってトレーナーの実習をするのですが、私は早く現場でやってみたかったので、正式に入学する半年前から大学のトレーニングルームに出入りし始めました。
 
 正規の学生でもないので最初は全然相手にされません。そこで思いついたのは、トレーニングルームに雑巾を持って立つことです。アイシングの氷が溶けたりして床が濡れると、さっと行って拭きます。「こいつは役に立つ奴かも」と関心を引くようになり、フットボール選手のテーピングを任せてもらうことになりました。
 
 チームは春のトレーニングの最中で、毎日選手100人分のテーピングをするため大忙し。人手が足りないので、私が「テーピングをさせてほしい」と頼みこむと「本当にできるのかな」と思いながらもやらせてくれました。今までの経験もあり、テーピングの技術は誰にも負けない自信がありました。これで認めてもらい、他のトレーナーの仕事もできるようになりました。
 
 地区大会や全米選手権で優勝するチームのトレーナーを務められたのは幸運でしたね。自分が担当したチームが大会で勝つのを目の当たりにするのはトレーナー冥利に尽きます。選手たちをずっと支えてきたから、一緒になって感動を味わえる。「君のおかげでここまで来られた」なんて選手から感謝の言葉をもらうと、もう最高ですね。

トレーナーの地位は確立。豊富な資金に恵まれる

 卒業後はアメリカに残りたかったので、労働ビザ、さらにはグリーンカードを取れる道を考えました。まず95年から96年にかけてアメリカのオリンピック水球チームのトレーナーを務めて実績を作った後、ロングビーチ・スポーツ医科学理学療法クリニックに就職しました。勤務先にスポンサーになってもらいビザを取るというわけです。クリニックのオーナーが大学のトレーニングルームのヘッドトレーナーというつながりで就職が決まりました。
 
 このクリニックには今も勤めていますが、高校生からプロまでさまざまなスポーツ選手が治療にきます。私がアスレチックトレーナーの資格を持っているので、そうしたスポーツ選手のほとんどを担当します。鍼灸など東洋医学とアメリカのスポーツ医学をうまく組み合わせ、両方の良い面が出るように治療やリハビリのサポートをしています。
 
 また、日本にアメリカのスポーツ医学を紹介する事業もしています。スポーツ医学に関する問い合わせが多いので、それならば組織化しようとカリフォルニア・スポーツ医学センター(www.sportsigaku.jp)という教育機関を設立し、日本から学生を受け入れたり、日本で講演活動などをしています。
 
 アメリカではどのチームにもアスレチックトレーナーが置かれ、その地位が確立されています。施設や設備も整い、資金は豊富に使えます。また、選手の故障の予防や治療後のリハビリなどトータルなケアでも優れています。日本のスポーツ界も、まだこうした面ではアメリカに遅れをとっていますね。
 
 アメリカで夢を実現したい人は、継続して努力できるように、初心を忘れず、長期と短期の2つの目標を持つことが大切だと思います。それと、日本人の良いところは忘れるべきではないですね。時間に正確なことや、細かい気配りをすることは、仕事をする上で必要なことです。多少言葉の面で支障があっても、そういった部分が評価されることは十分あり得ます。
 
(2005年11月16日号掲載)

「アメリカで働く(多様な職業のインタビュー集)」のコンテンツ