寿司職人(その他専門職):城戸 隆さん

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色々なお客様に満足を与える
気の遣い方ができるのが、良い寿司職人

 今回は寿司職人の城戸隆さんを紹介。銀座の老舗寿司店で修業を積み、アメリカで寿司店を開業するために渡米。ネタの仕入れもままならない時期から30年間、本場の寿司をアメリカに普及させてきた。

【プロフィール】きど・たかし■ 18歳の時に手伝いで寿司職人の道に入る。日本料理を勉強した後に、勘八に入店。10年間の修業を経て、28歳でロサンゼルスに渡米。1978年にガーデナに日本の勘八ののれん分け店、寿司屋の勘八をオープン。90年にガーデナ内で新店舗に移転。来年3月に満30年を迎える。

そもそもアメリカで働くには?

寿司のみで勝負するのは
当時はギャンブル

 寿司職人になったきっかけは、本当に偶然でした。友達が新宿の寿司屋で働いていて、「人手が足りないから、ちょっと手伝ってくれ」と言われて。私は九州男児ですから、台所に立ったこともなければ、包丁を握った経験もない。これは困っちゃったなと(笑)。
 
 ですが結局5年間、その店で働きました。今思えば、向いてたんですね。カウンターからお客さんの反応がすぐにわかるから、非常にやりがいがありました。
 
 それから日本料理を勉強して、丸の内の勘八に入りました。忙しい店で、非常に勉強になりましたね。1日に4斗のご飯を出すんです。ちらしが毎日200人前、握りが100人前。仕事量が多いから、否が応でも腕が上がりますよ。
 
 アメリカに来ようと思ったきっかけは、勘八にいた寿司職人が、リトルトーキョーで2年間働いて2万ドル貯金して日本に帰って来たんです。1ドル270円の時代だから、すごい大金。お金を貯めるんだったら、遊びの誘惑を断ち切ってアメリカにでも行かないと、という気持ちになりました。
 
 それで、2年契約でダウンタウンの寿司屋で働くことに。28歳の時でした。その後、ガーデナにある日本食レストランの寿司バーに移り、結婚を機に独立することに。日本の勘八からのれん分けを許され、1978年3月にオープンしました。
 寿司だけをやるっていうのは、当時はギャンブルでした。周りの人はみんな、天ぷらとかもやった方がいいと言ってくれましたが、私は頑としてやらなかった。寿司職人だから、寿司屋で失敗したら日本に帰るって気持ちだったんです。それがものすごくウケた。当時は寿司だけの店が少なかったから。

絶対的なネタ不足
アンチョビを握ったことも

 78年当時は、日本からのネタがすべて冷凍物でした。空輸できる時代じゃなかったですから。近海モノのアジとかサバもあるんですけど、脂が全然のってなくて美味しくないんです。寿司は素材が命ですから、当時は大変苦労しました。ですが、我々の先輩たちは、アワビの缶詰を使って握ったり、カマボコを握ったり、もっと苦労されたわけです。そういう方たちの苦労があったわけですから、泣き言は言っていられない。
 
 近所のビーチでたまに大きいヒラメがかかると聞いて、魚河岸に行くような気持ちで買いにいきました。釣り人につたない英語で「この魚を売ってくれ」って。エサにするアンチョビを指で開いて握ったり、そういった努力もしましたね。カイワレや大葉を自宅の裏で栽培しようとしたこともありました。失敗しちゃったんですけどね(笑)。それくらい意欲を持ってやっていました。
 
 また、当時はお客さんもアメリカ人が少なくてね。まあ、寿司なんて食べたことがないという人ばかりでしたから。アメリカ人エグゼクティブの方で、日本に行った時に接待されて寿司を覚えた方が、アメリカの寿司ブームの火付け役になったのでは。
 
 私は常に、このまま日本へ持って行っても通用する“味と腕”を目標に、最高を目指して30年間、頑張ってきました。寿司はやはり素材を追求した物が本来の寿司だと思うんです。私は、そういう寿司を追求したい。寿司がアメリカでも受け入れられて、いろいろなタイプの寿司が生まれて、それはそれでそういう文化もあるってことでいいとは思うんですけど、それが主流になっちゃいけないと思います。しっかり本道を保たなきゃいけないんじゃないかな。ウチもお客様から頼まれれば、色々なリクエストにお応えしますが、本道から外れるようなことはオススメしないですね。
 
 78年にガーデナで始めて、今の店舗に移ったのが90年です。その間にネタの空輸ができるようになって、冷凍物から新鮮な物へと大きく変わりました。コハダなどいろんなネタを仕入れられるようになりました。

寿司職人に大切なことは
お客さんへの気の遣い方

 寿司職人に大切なことは、技術的なことはもちろんですが、気の遣い方ですね。お客さんへの気の配り方を学ばないと。
 
 ただ黙ってお客さんから言われた物だけを握って出す。それじゃあ気が利かないじゃないですか。先々を考えてあげないと。
 
 例えば、握りをふた口で召し上がる方がいれば、2回目から「お切りしましょうか?」と聞く。その時、ワサビは2カ所に分けて付けてあげる。握り方も箸で召し上がる方の場合は固めに、手で召し上がる方は柔らかめに。満足感を与えるためには、そこまでやらなきゃいけないんじゃないでしょうか。色々なお客様に満足を与える気の遣い方ができるのが、良い寿司職人だと思います。ただ、満足感を与えるサービスというのは、人によって色々違うし、そのための努力というのも曖昧なところがあって、難しいですけどね。
 
 私ももう60歳になりますから、これから続く人に良い伝統を残したい。まず原点は、切って、握るというのは当たり前ですが、できればシャリは熱くても人肌、40℃以下。それでいて魚は冷たい。これが理想的ですね。シャリと魚のバランスに気を付ける。もちろんできるだけいいネタを準備して、下準備に手を抜かない。基本中の基本です。
 
 それから、やはりいい先輩、師匠の下で勉強すると良いでしょう。良いお店で、良い先輩から本物を学ぶってことですね。良い物っていうのは理屈抜きでいい。美味しい物を食べれば、不味い物はすぐわかりますし、良いサービスを受ければ、悪いサービスがなんだかわかります。寿司に限らず美味しい店に行って、美味しい物をいっぱい食べることです。そうすると、本物に近づけると思います。
 
 とにかく、美味い物を提供したいという情熱を持つこと。キャリアは関係なく、ひたすら努力の積み重ねです。日々勉強すること、それが大切です。
 
(2007年10月1日号掲載)

「アメリカで働く(多様な職業のインタビュー集)」のコンテンツ