創造性と現実性の絶妙なバランスが
超一流の建築デザイナーの手腕
今回は建築デザイナーの千綾康弘さんを紹介。職場で建築の基礎を学んだ後、渡米して、ハーバード大学院へ。現在は世界的に活躍するフランク・ゲーリーの事務所に勤め、エキサイティングな日々を送っている。
そもそもアメリカで働くには?
- アメリカで働くためには、原則として合法的に就労可能な「ビザ」が必要になります。
アメリカ・ビザの種類と基礎知識 - 日本から渡米してアメリカで働く方法として、18ヶ月の長期インターンシップも選択肢の1つ。
アメリカでワーキングホリデーのように働く!「J-1ビザインターンシップ」徹底解説
実務を2年間叩き込まれて渡米
昔から絵が大好きで、カーデザイナーや画家を夢見ていたのですが、小学校に上がる時の実家の改築をきっかけに、建築にも興味を持ち始めました。高校に入るまでは、漠然とデザインの仕事に就くと決めていました。
高校2年の終わり頃から家の経済状況が悪化していたにも関わらず、自分には実感がなく、現役で大学に合格しようと真面目に取り組まず、浪人することに。ただ、浪人しても志望校に合格するとは限りません。自分にとって何もうまく行かない、非常につらい時期でした。
でも突き詰めて考えると、自分のやりたいことは「建築」。逃げ道がなかったからこそ、その思いだけが残っていました。大学に行かなくてもいいと気持ちを切り替えられた21歳の春、新聞の求人広告欄から見つけた建築事務所に夢中で連絡しました。バブルがはじけていなかったのが幸いしたのか、経験なしでも運良く採用となりました。当時、大阪の心斎橋にある一連の作品を通して安藤忠雄氏の活躍を知っていましたから、独学で建築を目指すことも可能だと、勝手に思い込んでいました。これが人生の転機でした。
面接の翌日から初出勤。月曜から土曜日、毎朝9時から夜遅くまで仕事の毎日。日曜出勤もあり、非常に忙しい2年間でしたが、良い実務経験になりました。そして、偶然、事務所からロサンゼルス派遣の話をいただき、渡米したのが1991年4月のことです。LAの建築事務所には、約7年間在籍しました。
20代も終わりに近付き、色々と不安もあったのですが、やはりアメリカで建築の勉強がしたいと思い、SCI-ARC(南カリフォルニア建築大学)に入学しました。学部は5年制なのですが、面接とポートフォリオ審査の結果、2年からのスタートとなりました。
週3回のスタジオでは、毎回のように課題が出ます。リサーチ、ドローイング、模型。時にはグループで課題。プレゼンテーション前になると、スタジオで夜遅くまで作業していました。もちろん、歴史、構造、理論などのクラスもあります。途中で他校に転学する人や建築を諦める人もいました。
私の場合、グリーンカードを持っていたので、スチューデントローンが組めましたし、4、5年目にはスカラーシップも貰えました。それに、何より家族のサポートのお陰で学生生活を続けることができました。同校は建築理論中心だったこともあり、もう少し幅広くデザイン分野の勉強をと思い、卒業後はハーバード大学大学院に進学しました。
憧れのゲーリー事務所勤務に
ハーバードでの初日、オリエンテーションは01年9月11日でした。自分のことに精一杯で9・11テロに気付いたのは、午前11時近くでした。デザイン学部校舎から歩いて5分ほどの大学院寮に帰る時、上空に飛来した戦闘機を見て異様な感覚に襲われました。
翌年に卒業したのですが、テロの影響で仕事探しは困難でした。アドバイザーも「自分の出身地に戻りなさい」と。そういうわけでLAに舞い戻って来て、厳しい状況だったのですが、SCI-ARC時代の友人や教授のお陰で、何とか職に就くことができました。
結局、規模も方針もまったく異なる3社の建築事務所で、カノガパークの小学校、東京・南新宿の美容専門学校新校舎、上海、深、ジャカルタのショッピングセンターなどのプロジェクトに関わりました。
その後、06年1月、フランク・ゲーリーの事務所に移りました。ファースト・インタビューの翌日に電話でオファーをいただいたのですが、その時の喜びは今も忘れられません。
当初は、ディズニー・コンサートホールの前に建設される、グランド・アベニュープロジェクトのチームだったのですが、現在は、ニューヨークのブルックリンに完成するBARCLAYS CENTERのチームに所属しています。実施設計が始まった現段階では、構造・設備・外装などのエンジニアやコンサルタントと共同してデザインを進めています。
GEHRY PARTNERSでは、デジタル・プロジェクト(DP)と呼ばれる3Dソフトを使って、構造、設備、外装、内装、すべてをコンピューター上で製作します。それを駆使し、コンクリートや鉄骨の積算から、3次元でのデザインの確認、コンストラクションまでをすべてをコントロールします。
アリーナは規模が大きいので、ライフセーフティー、ライティング、音響、そのほかさまざまな専門分野の人々との共同作業となります。しかも、地下鉄の駅出口が敷地内にあり、将来的に隣接するオフィスビル1棟と高層住宅3棟も考慮してデザインしているので、非常に複雑なプロジェクトです。ちなみにDPは、3次元モデルの建築分野での応用を目的に、02年に設立されたGEHRY TECHNOLOIES社で開発されています。北京オリンピックのメインスタジアム、通称「鳥の巣」の設計にも使われています。
現実的問題を予見し解決していく
デザインと言うと、表に現れる美的な部分に関心が集中しがちですが、そのバックグラウンドには、コスト、材料、構造、スケジュール、市場動向、あるいはチーム内やクライアントとのコミュニケーションも含め、さまざまな現実的な問題が隠れています。それらを予見し、解決していくプロセスもデザイナーの仕事です。そういった要素のバランスが崩れる一歩手前ギリギリで、クリエイティブなことに挑戦できる人たちが、超一流デザイナーなのでしょう。
制約の多い建築の領域から抜け出そうとして大学院に行ったのですが、まだまだ建築が中心です。今の目標は、残りのテストに合格してアーキテクトのライセンスを取ることです。将来は色々な分野のデザインに関わりたいと思っています。そういう意味で、家具やティファニーのジュエリーまで手がけるフランクの事務所で働けるのは、貴重な経験だと思っています。