音楽療法士(医療・福祉系):羽生 恵津子さん

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大切なのは、目の前にいる人に
今できることを精一杯やること

今回は音楽療法士の羽生恵津子さんを紹介。好きな歌と医療に関する仕事に就きたいと出会った仕事。末期ガン患者や精神障害を持つ犯罪者と接しながら、真のセラピーを探求している。

【プロフィール】はにゅう・えつこ■1974年埼玉県生まれ。国立音楽大学幼児教育科を卒業後、23歳でイギリスに語学留学、ロンドンとウェールズで音楽療法を学ぶ。イギリスのホスピスでボランティアとして働き、いったん帰国。今年2月に渡米し、現在サンバナディーノの司法精神科病院、パットン州立病院に勤務

そもそもアメリカで働くには?

患者さんに何があっても受け入れることが役目

イギリスで開いた日本の曲を中心にした
コンサート。涙してくれたお客さんを見て、
国境を越えた音楽のエネルギーを実感

音大卒業後、専攻だった教育の道に飛び込めず、進路を迷っていたところ、恩師より留学をすすめられたのですが、同時に私には生まれつき側弯症という障害があり、障害者として見られることが段々つらくなり、日本を飛び出してみたいという気持ちもあったのです。
 
イギリスのブライトンという町で英語を1年間学んだ後、ロンドンの学校で音楽療法の専門コースを取りました。元々歌が得意で音大に入ったのですが、医療的なことにも関わりたいと思っていたので、進む道はこれだとひらめきました。イギリスでは音楽療法のコースを取れるのは4年制大学卒、25歳以上という制限があります。また楽器が弾け、音楽の専門知識があることも必要条件です。
 
そこで1年学んだ後、さらに1年、精神分析を中心に行うウェールズの学校で学びました。最初は自分自身が障害者であることを受け入れ切れず、患者の気持ちに添うことができませんでしたが、2番目の学校では自分というものが少しずつ見え始め、患者の気持ちも徐々に受け入れられるようになりました。
 
音楽療法は精神障害者、発達障害者、身体障害者など、さまざまな人を対象としています。私が学校を卒業してからボランティアで始めたのは、ホスピスでの仕事、末期ガン患者へのセラピーでした。人の死に立ち合うことは精神的にきついものですが、その場に自分が関われることは光栄でした。
 
即興で歌を作ったり、目を閉じて音楽を聴いてもらい、人生の1番楽しかった場面を思い出してもらったりしました。音楽を通じて一緒に笑ったり、泣いたりしました。死を避けることはできませんが、それを受け入れようとする患者さんを見守る、それが私たちに唯一できることです。患者さんに何があっても、私たちセラピストはそれを受けとめる。そういう存在が身近にいるだけで、患者さんは気が和らぐのだと思います。

音楽は人生に深く関わっているもの

イギリスでは音楽療法の歴史は古く、理論も確立していますが、それで職を得るのは難しく、イギリス人でもフルタイムの仕事はあまりありません。私もビザが取れず、いったん日本に帰国することになりましたが、ソーシャル・ネットワーキング・サービスのmixiでカリフォルニアのインディオで働く日本人の音楽療法士、鎌原大作さんと出会い、アメリカに仕事の口があるというので応募してみることに。それが現在の職場、パットン州立病院です。幸い面接にも受かり、ビザのサポートも得られました。
 
ここは犯罪者や犯罪容疑で裁判中の精神障害者を対象とした司法精神科病院で、1500人が収容されています。この類の病院としては全米でも最大、恐らく世界一の規模だと思います。この施設の目的は、不安定な精神状態にある患者を裁判が受けられる状態に持っていくこと。そのためには、罪状の種類や自分の弁護士の名前を覚えたり、自分がどんな容疑を持たれているかなどを認識してもらいます。
 
私の役割は、音楽療法を施すリハビリテーション・セラピスト。精神科医、臨床心理士、ソーシャルワーカー、看護士と5人で1つのチームとなり、25人を担当します。患者には薬物依存が多く、殺人やレイプを犯した人、銃刀法違反で捕まった人もいます。仕事に就く前は「怖い」と思っていましたが、1人1人と向き合うと、やはり同じ人間ということがわかります。どんな罪を犯した人でも、人間的な部分が見えてくるんです。
 
治療では、歌詞分析をして人生を振り返ることもやります。例えば、友達をテーマにした歌を歌った後に、「友達ってどういうもの?」「ここから出た後にもう1度ドラッグをすすめる人がいたら、それは本当に友達?」などと問いかけたりします。
 
皆さん音楽が好きですから、心に響くものがあるんだと思います。「ありがとう」と言ってくれることもあります。音楽というのは、生まれてから空気のように触れている存在。誰もが音楽と色々な場面で接し、人生に深く関わっているものなんですね。
 
究極の目標は患者さんの社会復帰ですが、実際は病院から裁判所に送り出した後、刑務所に収容されても、再び病院に戻って来る人も多いのです。ですが、いずれ社会に戻った時に、ここで経験したことが何らかの形で役立ってほしい。今、彼らに種をまいておけば、いつかそれが芽を出すかもしれません。将来のことを思いあぐねるより、目の前にいる人に、今できることをやる。その方が大切なのではないでしょうか。

自分の人生の目標は喜ばれる存在になること

日本やイギリスと比べても、アメリカは色々な意味で広いですね。カリフォルニアは、人種もさまざま。背景にある文化もさまざまなのがセラピーの上でも難しいところです。人間関係の難しさはどこにいても一緒ですが、職場では言いたいことを直接的な英語で伝えるよう努力しています。また、毎月の患者1人1人の進捗状況の記録や、裁判所に提出するレポートなど書類作成にも時間を要します。今、セラピーで歌の伴奏として使うために、ウクレレを習っています。週1回、個人レッスンを受けており、家でも毎晩練習しています。
 
仕事でうれしいのは、患者さんが楽しんでくれている時。何かを感じ取ってくれた時。精神障害は一生続くものかもしれませんが、それとどう付き合っていくかを身に付けてもらえたらと願うばかりです。私の人生の目標は、「喜ばれる存在になること」。これからもアメリカに残れたらいいですが、先のことはわかりません。基本的には流れに任せています。目の前に来たきっかけを大切にして、1つ1つ受け入れていくことが人生だと思っています。
 
音楽療法士になりたい方へのアドバイスは、「好奇心と自分を含め、人間が好きであること」。とてもいい仕事だと思いますので、ぜひ学んでみてください。
 
(2008年7月16日号掲載)

「アメリカで働く(多様な職業のインタビュー集)」のコンテンツ