大学助教授(その他専門職):安池 明子さん

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より良い社会を築くために
グローバル化を生き抜く目を育てたい

今回は大学で社会学部の助教授を務める安池明子さんをご紹介。社会学の世界に惹かれて教授の道へ。幅広い視点を持つことで、グローバル化社会を生き抜くことができるという信念の下、熱心に教鞭を執る。

【プロフィール】やすいけ・あきこ■1965年大阪府生まれ。関西学院大学文学部英文科卒。東京エレクトロンに4年間勤務し、ワシントン州ゴンザガ大学に留学。カリフォルニア州立大学ノースリッジ校で社会学修士号取得、96年南カリフォルニア大学社会学博士号課程に入り、2005年卒業。カリフォルニア・ルーセラン大学社会学部助教授。

そもそもアメリカで働くには?

OLから語学留学 女性学に出会う

学生たちとのトラベルセミナーでは、
京都・奈良・広島など14日間を共に過ごした

大阪でOLをしていた頃、30も間近になると職場もいづらい雰囲気で、ちょうど語学留学が流行っていた時期だったので、自分も行ってみようかと渡米を決めました。英語が上達したら1年くらいで帰って来ようという軽い気持ちでした。
 
ワシントン州スポケーンのゴンザガ大学で、最初は語学コースを取っていましたが、一般のクラスも取るようになり、そこで社会学の1つである女性学のクラスを受けたところ、非常に興味を持ち、大学に残って勉強してみることにしました。
 
女性学は当時日本ではあまり馴染みのない学問でしたが、アメリカのフェミニズム運動の流れから来たものです。これまでどんな分野でも男性の物の見方が中心となってきましたが、もっと女性にも焦点を当てていこうという学問で、日本で女性としての型にはまった生き方に疑問を感じていた私は、生きるヒントがもらえるような気がしました。
 
また、留学したおかげでアメリカという異国を知ると共に、日本の社会も客観的に見られるようになり、社会のあり方、社会学の面白さにも惹かれていきました。ゴンザガ大学の教養学部で学士号を取った後、せっかくだから修士号も取りたい、日本でできない勉強をやりたいと欲が出てきて、カリフォルニア州立大学ノースリッジ校に移り、社会学の修士号を取ることにしました。
 
実は、留学用にしていた貯金は学士号を取った時点で底をついていました。両親が結婚資金にと、お金を貯めてくれていたのですが、「結婚資金は自分で払うから」と何とか説得して、大学院に進むことができました。ただ、博士号課程ではリサーチアシスタントやティーチングアシスタントをすれば、授業料と給料が学校から出るので自活していけます。これは私立大学でも公立の大学でも同様です。

現代の日本人を対象に移民と性差を研究

博士号課程に南カリフォルニア大学(USC)を選んだのは、そこの社会学部が女性に焦点を当てる女性学ではなく、男性と女性の関係性から学ぶ「ジェンダースタディー」を研究していたからです。GREという試験とこれまでの成績で入学が認められましたが、1学年10人という狭き門でした。
 
私が専門に研究したのは、「移民と性差」というテーマです。移民(Immigration)と言うより、移動(Migration)と言った方が的確かもしれません。今やグローバル化の時代。人の移動が進み、国境も曖昧になってきています。この人の移動は、政治や経済、教育にも関わってくるものです。しかし、アメリカでは日本人の移民の研究をしている人が少なく、わずかな研究はどれも1世、2世の頃のもの。これはアップデートしなければならないと思ったのです。アメリカで暮らす日本人を対象に、ジェンダーの関係を家族、仕事という要素に加え、移民という要素から見ていこうというのが私の研究でした。
 
ビザの関係で卒業を1年延ばし、9年でUSCを卒業しました。その後、教授になろうと思ったのは、教える仕事をしたいと思ったからでした。アメリカ人の学生たちに、物の見方を広げてもらいたいと思ったのです。この先、社会はますますグローバル化していくことでしょう。社会人として、色々な人とやっていける能力、柔軟性、理解力がないと生き抜いていけませんし、成功することもできません。
 
大学の方針により教授のあり方には2通りあり、教授が研究者として評価される「リサーチ・ユニバーシティー」と、教師として評価される「ティーチング・ユニバーシティー」がありますが、私は教務を重視するカリフォルニア・ルーセラン大学を就職先として選びました。

大学も国際化の時代 日本人であることが強みに

社会と同様、どこの大学もグローバル化を目指しています。学生にはいかにグローバルな社会を生きていくかを教えると同時に、外国人や外国生まれの教授を求めている傾向もあります。私は英語はネイティブのようには話せませんが、アメリカ人と同じ物を求められているわけではなく、日本人としてしか持ち込めない何かを期待されて採用されたのだと思います。社会学部の教授陣では日本人としてはもちろんのこと、外国人としても私が唯一です。
 
現在、学士課程の学生を対象に、週3回教えています。大学院では教え方など教えてくれませんでしたから、すべて手探りで始めました。もう8年になりますが、講師として教え始めた頃は1時間半の講義のために毎回8ページくらいの原稿を書いて教壇に立ちました。もちろんそれを読み上げるわけではありませんが、あらかじめ書いておくことで頭の整理になるのです。また、アメリカのことも、日本のことも、常に社会で何が起こっているかを意識しています。
 
先日、トラベルセミナーとして、学生たちを14日間、日本への旅行に連れて行きました。まず春学期で日本の社会・文化・宗教・歴史・政治・大衆文化などを広くアメリカと対比しながら教え、その知識を基に、後は実際に体感してもらおうという試みでした。私が大学側に提案したものですが、実際の旅行プランから下見、引率まですべて1人でやらなければならず、大変でした。でも、学生たちの反応を見ていると楽しかったですよ。また機会があれば実施したいと思っています。
 
助教授は6年後にその上の准教授になるための評価査定が入ります。トラベルセミナーやシンポジウムなどの新しい企画や目覚しい貢献が認められ、学生や他の教授から高い評価が得られると准教授に昇格できます。これからも日本人としての視点を持ち、人々にグローバル化社会を生き抜く目を養い、より良い暮らしやより良い社会を築いてもらえるよう、教えていきたいと思っています。
 

(2008年8月16日号掲載)

「アメリカで働く(多様な職業のインタビュー集)」のコンテンツ