私にしかきっとできない!を生涯プロジェクトに
元 広告代理店勤務 ▶︎▶︎ 現 バーレスク・パフォーマー
広告代理店の仕事でさまざま なクライアントと仕事をする上で常にクライアントのこと最優先に考えているうちに、自分の意志が徐々になくなってしまった…。そんな状況に納得できず、1カ月休職。その間にアメリカを旅して見たバー レスク・ショー(ダンサーがコミカルに衣装を脱ぐストリップショー)の虜になったニキー タ・ビッチ・プロジェクトさん。ショーのいちファンからダンサーになった経緯や、バーレスクの魅力について伺いました。
―「ニキータ・ビッチ・プロジェクト」という芸名の由来は?
初めの「ニキータ」という名前は、日本にいた時に勤めていた外資系の広告会社で呼ばれいたニックネームなんです。その会社に勤めていた当時、東日本大震災が起き、その直後は日本全体が自粛ムードに包まれ、社内でも毎年行っていた花見を取り止めるかどうかという議論が起こったんです。結果、花見の費用は会社の予算では賄えないということになりました。テレビでも笑いを狙った広告 やバラエティー番組が相次いで中止になるなど、世の中の動きに沿った決定に納得しつつも、自粛ムードに包まれた社会では、笑うことや楽しむことを禁止されているような状態。そんなプレッシャーに息苦しさを感じ、震災直前、アメリカ旅行中に見た、ダンサーが人前で堂々と裸になるバーレスク・ショーの真似事を無償にやりたくなったんです。そして、せっかくショーを行うなら、観客役は社内の同僚にお願いして、ショーに賛同してくれた人には募金をしてもらって、そのお金で花見を行う「プロジェクト」にしたいなふと思い付きました。もちろん社会の動きに逆らった不謹慎な行動は批判もあるだろううと想像しましたが、世の中の自粛ムードに絶え切れなくなった自分自身には、あのショーの笑いのパワーが必要だと確信し、学生時代に趣味にしていたダンスを生かしてショーをしようと決心しました。何と批判されようと構わないし、1回切りでもいいから自分が信じたことをやる。そういった強い意思表示の意味を込めて、女性への蔑称の言葉でもある「ビッチ」を、自ら名乗りました。
ー 「プロジェクト」はその後、どうなりましたか?
当初の目的は花見のためのカンパでしたが、被災地の寄付できるほどお金を集めることができ、成功と言える結果になりました。この時、他人の批判を気にせずに自分がやりたい事をやろうと行った「プロジェクト」が上手くいったことで、バーレスクで出会ったニューヨークで生活して、まずはショーを毎週見て暮らそうと、迷いなく、アメリカに移り住みました。渡米後、実際、毎週のようにショーを見ていたら、バーレスクについてもっと知りたいと思い始め、バーレスク・ダンサーの養成学校に通うことにしました。それでもやっぱり自分がダンサーとして活動するイメージは湧かなかったのですが、クラスで「ニキータ・ビッチ・プロジェクト」という名前の由来を話したら、クラスメイト皆が興味を持ってくれ、「良いプロジェクトなんだから続けなよ」と、言ってくれたんです。そういった経緯があり、このプロジェクトを続けるために、バーレスクのダンサーをなろうと、決めました。
― 一度きりの「 プロジェクト」のつもりが、今も続けるものになるなんて、素敵なことですね。
実は震災前にアメリカに行ってバーレスクに出会った時は、 自分がどんな人間なのかを他人に説明できない状態で、自分が夢中になれるものを見つけたく て、1カ月休暇を取った時期だったんです。当時は広告業界で仕事をしていて、クライアントが抱える課題に対して何が最も適切な解決策か、先方に説明する業務をしていました。そのため、どんな業界の会社の課題に対しても、相手の立場になって自信を持って対応できるスキルを身に付けることができました。ただ一方で、自分発信の意見を考える癖がどんどん薄れてしまったせいか、気が付けば自分がどんな映画や食べ物が好きで、休日をどう過ごしたいかなどが、 全く思い付かなくなっているような状態でした。この先何十年と生きていく上で、時間やお金に制限はあるのは仕方がないけれど、純粋に追求したいと思えるものが一つもないのは虚しいと感じていました。そんな時に出会ったバーレスクから想を得て始めた、自分発信の「プロジェクト」が少しでも評価してもらえるなら生涯続けたいと素直に思えたんです。
ー 最後に、この「プロジェクト」の次の目標をお聞かせください。
自分発信で始まった「プロジェクト」なので、できるだけ自分にしかできない仕事をしたいです。現在はバーレスクパファーマーのほか、前職の人脈を生かしてコピーライターやプロデュース業、英語のテレビ番組や映画の字幕・翻訳の仕事に挑戦しています。これらの経験を掛け算してできる、私ならではの「 プロジェクト」として、日本でのバーレスク映画フェスティバルはどうかと次のアイデアが思い付いたので、近い将来、実現できるように邁進中です。
(2017年10月1日号掲載)
※このページは「ライトハウス・ロサンゼルス版 2017年10月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。