アメリカは移民の国です。さまざまな人種、民族、文化を持つ人たちが一つのコミュニティーを構成しています。多様な価値観が混在する社会で、人々が快適に暮らしていくには、お互いが考えを伝え合い、相互理解を深めていくことが要求されます。日本人から見るとアメリカ人の意思表現は率直すぎて、思いやりに欠けると感じるかもしれません。しかし自分の考えをあいまいにせず、明確に相手に伝えることは、多文化社会で意思疎通を円滑にするために必要なことです。日米の表現の違いで大人以上に戸惑っているのが子どもです。家庭では日本的な「察する」意思表現が(暗に)期待され、学校ではアメリカ的な「率直な」意思表現が(明確に)要求される。「家庭と学校、一体どっちのスタイルが正しいの?」と、子どもは混乱します。
アメリカの学校教育を理解する
アメリカで暮らしていても日本人家庭では、子どもを日本的価値観に基づいて育てているのが普通です。親の価値観や文化を継承することは、アイデンティティー形成に不可欠なプロセスであり好ましいことです。しかし親が過度に日本的な物の見方に偏った子育てをすると、子どもが現地校適応で苦労することになるので注意が必要です。現地校に上がれば、アメリカ的個人主義に基づいた教育が子どもを待っています。そこでは、生徒一人一人が自分の考えを持ち、自分の考えの根拠を説明することが要求されます。意思表現が苦手な日本の子どもたちは、先生から指名されないようにと、教室の隅で小さくなっているのです。現地校の生活はカルチャーショックの連続です。「答えは自分で考える」「分からなければ質問する」「意見を言うときは理由を言う」「話し合いで問題解決をする」。大人でも難しい表現力を要求される子どもが、毎日どれだけ苦労しているのか、少しはお分かりいただけるでしょうか。なぜアメリカの学校で意思表現が重視されるのか。それは、自分を深く知ることができるのと同時に、他人にも自分を知ってもらうことができるからです。自分は何が好きで、何が嫌いなのか、自分の良いところは何で、悪いところは何か、自分は何を考え、何をしたいのか。意思表現を通して、人間は一人一人が違う存在であること、そして互いの違いを認め合うことが、より良い社会形成につながることを理解させるのです。
子どもに選択させるのがアメリカ流
アメリカの子どもたちは生まれつき自己表現が得意かというと、そんなことはありません。家族や周囲の人によってトレーニングされています。アメリカは個人主義が徹底していますから、子どもといえども意思を尊重します。はっきりしない子どもに「Yes or no?」「It”s up to you!」と親が選択を迫る場面に遭遇した経験を持つ方も多いと思います。どのアイスクリームが食べたいのか、ジュースは何を飲みたいのか、靴は何色が欲しいのか、おもちゃはどれが欲しいのか、プールで遊びたいのか、サッカーがしたいのか、子どもは常に選択を迫られて成長していきます。選択することによって、自分のことがよく分かるようになり「好き・嫌い」や「イエス・ノー」をはっきり表現できるように育つわけです。一方、日本人の子育てでは、幼い子どもに選択させることはほとんどありません。食べ物も洋服も、親が選んで与えるのが一般的です。親からすれば、子どものためにより良いものを選んであげているわけですが、その一方で、子どもが選択する機会や「僕はこれが好き」と意思表現するチャンスを奪っているとも言えるのです。
意思表現の源は「自信」です
大抵のバイリンガルの子どもは、現地校に数年通えばアメリカ的な意思表現ができるようになります。それは生きていくために必要だからです。しかし形だけの意思表現では周囲に受け入れてもらうことはできません。日本の学校に通う外国人が日本人に溶け込むために日本人を真似ても、違和感を感じると言えば分かりやすいでしょうか。意思表現にはアイデンティティーが伴います。私はこういう人間です。だからこう考えます。そう胸を張って表現できることが理想です。そのためには、何よりも、子どもが自分の存在に「自信」を持つことが大切です。海外生活では子どもが「自信」を喪失しがちです。両親は子どもの「自信作り」に配慮した子育てを実践してください。
(2014年3月1日号掲載)