吉井久美子 / ブロードウェイプロデューサー

ライトハウス電子版アプリ、始めました

(ライトハウス・ロサンゼルス版 2008年9月1日号掲載)

やっと見つけた仕事だから、絶対に手放したくない

金融界からブロードウェイを目指す

1987年ニューヨーク市立大学に留学。卒業後、法律事務所でパラリーガル職、投資銀行のM&A金融アナリストなどを経て、97年にゴージャス・エンターテインメントを設立。現在、ブロードウェイプロデューサー、映画や特別イベントのプロデュースなど、多分野を手がける。また、宮本亜門や蜷川幸雄演出の日本作品の米国招聘、日本企業によるミュージカル投資や招聘・ライセンス案件のコンサルテーションも手掛ける

アメリカに初めて来たのは、高校の交換留学でした。帰国後は、テンプル大学日本校に入学しましたが、せっかくアメリカの大学の日本校に入ったのだから、やっぱりアメリカで卒業しようと決心しました。選んだ留学先は、ニューヨーク。昔からミュージカルが好きだったからです。実は高校卒業後、母と一緒にニューヨークに来て、初めてブロードウェイミュージカルを見たのです。その時は、将来はブロードウェイで仕事がしたいなんて野心は、これっぽっちも持っていなかったのですけれど。
 
大学卒業後も、エンターテインメントの仕事をすることはまったく考えていませんでした。というより、そんな仕事に就けるなんて思ってもみなかった。卒業後、法律事務所に就職してパラリーガルの仕事をしたのですが、これも「実社会で経験を積んだ方が、日本で就職する時に有利かも」という、単純な考えからなんです(笑)。その後、M&Aのアナリストにならないかというお話をいただいて、金融業界でしばらく仕事をしました。それまでウォール・ストリートに対する関心はまったくなかったのですが、そういう世界を垣間見るのもいいかなと思って。そうしたら、会社のオーナーの妹がブロードウェイの脚本家で、会社もアートやエンターテインメントとの関わりが深く、ブロードウェイに投資したなんて話が、ミーティングで度々出てくるわけです。それまでミュージカルは趣味で見ていたのですが、ここで初めて、ウォール・ストリートとミュージカルがお金を接点につながっていることに気が付いたのです。ミュージカルをどうしたら仕事にできるのか、それまでは見当も付かなかったけれど、ビジネスの側面からなら私にも何かできるかもしれない。ブロードウェイで仕事がしたいと、この頃から真剣に考えるようになりました。

無駄な時間もすべてが貴重な体験

でも、コネもなければ、業界で働いている知り合いもいない。ガイドラインはまったくないわけです。それでとりあえず、「ブロードウェイで仕事がしたい」って人に言いまくったんです。大抵の人には、「へえ、そう」とか、「グッド・ラック」って軽くあしらわれただけでした。でも、しつこく言い続けていると、「私の弟の知り合いが脚本家してるわよ」とか、「お隣の親戚がプロダクションに勤めている人だって聞いたことがある」とか、情報をくれる人が出てくるわけです。そういう話を聞いた時は、すぐに会いに行きました。1年ぐらいそういう状態を続けたでしょうか。小さなプロダクションを立ち上げる、という人と知り合うチャンスに恵まれ、アシスタントをやらせていただけることになったのです。
 
と言ってもブロードウェイではまったくの素人ですから、電話番やコピー取りなど、アシスタント業務ばかり。しかも、フルタイムで雇うお金はないというので、週に2~3日のアルバイト雇用でした。それでは食べていけないので、M&A専門誌の仕事や経営コンサルタントのマーケティング等の仕事とかけ持ちで頑張りました。
 
その後、きちんとエンターテインメントの勉強をした方がいいと思い、ニューヨーク市立大学大学院のパフォーミングアーツ・マネジメントの修士課程に入学。仕事を2つかけ持ちながら、夜大学院に行く生活が続きました。この時はさすがにつらかったですね。修士取得に6年もかかってしまいました。
 
フリーランスで映画を1本プロデュースした後、1997年にプロダクションを立ち上げました。大学で演劇を専攻し、そのまま業界に入る人も多いのでしょうが、私の場合は行き当たりばったり。無駄な時間もいっぱい過ごしてきました。でも、色々な仕事をした経験が今、役に立っているんですね。

「ノー」と言われた時が私の真価が問われる時

タイムズスクエアを見下ろすオフィスにて

この仕事で1番重要なのはコミュニケーションだと思います。ミュージカルの中心にあるクリエイティブな部分を、いかに投資家などに「翻訳」できるかが勝負です。相手の立場や経験、志向を把握して、どうすれば伝わるか考える。相手に「ノー」と言われた時に、プロデューサーの真価は問われると思うのです。「ノー」と言った人にどうやって「イエス」と言わせるか。ブロードウェイというと華やかな世界のようですが、日々の仕事は交渉事や書類のやり取りばかり。でも、そこに面白さがあるし、私は「アート」を感じています。
 
仕事は確かに大変ですが、苦労だと思ったことはありません。やりたいことをやっているわけですから。一生この仕事を続けて行きたいし、生まれ変わっても、まったく同じ道を歩くと思います。やりたい仕事に出会えた、というのは幸せなことですよね。私にはこれしかない。代替案、プランBはないんです。紆余曲折の末、やっと見つけたものだから、絶対に手放したくないのです。

周りは壁だらけでも必ず抜け道はある

アジア人女性がこの業界で仕事をするのは、確かに大変です。でも私は、これをマイナスだと考えるんじゃなくて、ポジティブに捉えるようにしています。例えば、珍しいから差別されることもありますが、1度会ったら覚えてもらえる。壁にだって何度もぶつかります。と言うより、周りじゅう壁だらけ(笑)。でも、360度ぎっしり壁に囲まれているわけじゃない。辛抱強く探せば、抜け道は必ず見つかります。
 
次の目標は、ロンドンのウエストエンドでミュージカルを上演すること。ブロードウェイと並ぶ重要な拠点なので、近い将来進出したいと考えて、今準備を進めています。そしてこれからも、優れた作品をたくさん世に出していきたい。日本でも、ミュージカルをたくさん上演できればと思っています。

※このページは「ライトハウス・ロサンゼルス版 2008年9月1日号」掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

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