鶴亀 彰◎講演会直前インタビュー

ライトハウス電子版アプリ、始めました

帝国海軍の潜水艦乗りだった父親の足跡を追ううちに、世界中に広がった奇妙な縁。その出会いを通じて学んだ体験を、2010年2月25日の講演会で語っていただく。
 
鶴亀 彰
◎1941年鹿児島県生まれ。京都外国語大学卒業後、旅行会ニュー・オリエント・エキスプレス入社。66年から同社LAオフィス勤務。80年、カリフォルニア・コ-ディネーターズを設立し、国際ビジネスコンサルタントとして日米企業を支援。2003年から、潜水艦乗組員だった父親の足取りを調査し始める。英蘭の遺族らとの不思議な出会いを、著書『鎮魂の絆』『日英蘭 奇跡の出会い』に綴る
 

ライトハウス20周年記念イベント18弾
鶴亀 彰氏講演会
2010年2月25日(木)6:30開演
ミヤコハイブリッドホテル(Torrance)
>>講演会の詳細はこちらら

傷を持つ者同士の関係が
愛情を感じさせてくれた

国際ビジネスコンサルタントとしてのビジネスは順調で、還暦になるまで自分の人生、特に不満はありませんでした。ですが、皆さんに還暦を祝っていただいた時、「自分の人生、何かが足りない」と感じました。そこで妻と相談して、世界一周旅行をすることにしました。
 
2003年3月から101日間の予定で出発したのですが、SARSが流行していて、そのために旅の序盤で予定をキャンセルし、ロサンゼルスに戻りました。すると、自宅に日本から1通のエアメールが届いていました。千葉県柏市に住む平川さんという方からで、中身は戦死した僕の親父の乗っていた潜水艦、伊号166に関する情報でした。
 
平川さんは、柏市とトーランス市の姉妹都市提携35周年記念の際の使節団の1人で、我が家に滞在していました。その時、キッチンに飾ってあった海軍軍服姿の父親の写真に大変興味を示され、帰国後、防衛庁などを通じて父の情報を調べて、送っていただいたようなのです。それまで戦死した親父のことは全然わからなかったので、どんな人間だったのか知ってみたいと思いました。インターネットで記録を調べてみたら、伊号166を沈めたイギリスの潜水艦テレマカスの記録や、逆に伊号166が沈めたオランダの潜水艦K16の記録などが出てきて、情報は深まりました。
 
伊号166の戦闘記録や父の役割がわかると、その足跡を追ってみたい、何としてでも親父に会いに行こうという気持ちが高まりました。マラッカ海峡の沈没地点を割り出して、船上から献花し、「この海底に親父がいるんだな」と思って、それでいったんは大満足でした。しかし、エンジニアの人から、マラッカ海峡の海底は泥が堆積し、沈んだ潜水艦はその泥の中ではないかと聞いたんです。そうしたら、こんな異境の地で60年間も、誰にも知られず、泥の中にいるのかと思ったら、ものすごく悲しくなって。
 
泣くまいと歯を食いしばって舳先で座っていたら、妻が「素晴らしい夕焼けよ」と言って声をかけてくれました。その夕焼けを見た時に、僕は「悲しむ必要はない。自分たちは泥の下にいるけれど、魂は輝く天上の黄金の光の中で幸せに暮らしていて、皆を見守っているんだよ」と言う父親の声を聞きました。
 

逃げずに会ってくれた
父の仇を許せた

さらに調査を進めるうちに、オランダのデンヘルダーという街に、K16の乗組員の慰霊碑があることがわかりました。オランダに立ち寄った際に、海軍基地内にある慰霊碑に献花し、アムステルダムに戻ると、カチャ・ボーンストラ・ブロムという人からメールが。カチャの父親はK16の機関士官で、ぜひ会いたいということでした。親父が殺した軍人の娘さんに会うのはどうかと迷って、とりあえず電話したら、カチャたちも父親の消息を探索しているとのことです。それで直接会うことにしました。
 
カチャの家に入ったら父親の古い写真がありました。僕の親父と同じ様に死んだんだなと思った瞬間、自然に手を合わせ、お祈りしていました。それを見てカチャが号泣し、その瞬間に心がつながりました。
 
イギリスとのつながりは、ホームズ・ケイコさんというイギリス在住の方が書いた本の書評を読んだことがきっかけ。一家庭の主婦が元日本軍の捕虜だったイギリスの人々との間の和解と友情を十何年にわたって築いてるという内容でした。
 
彼女にメールを出したら、すぐに返事が来て、それから親しくなりました。彼女は毎年1、2回、元捕虜のイギリス兵を連れて訪日しているんですね。その会に参加した人の中に、サー・ピーター・アンソンという海軍将校がいて、「テレマカスという潜水艦のことを調べています」と、伝えました。すると、彼が色々調べてくれ、テレマカスのキング艦長が94歳で存命で、アイルランドに住んでいることがわかりました。
 
すぐに会いたくて手紙を出したのですが、返事はありませんでした。後になって、私が復讐を果たしに来るんじゃないかと、娘や息子が反対していたというのです(笑)。それでも、どうしても会いたいと思って、会えなくて元々と、妻と息子を連れて、アポのないまま旅立ちました。それにはカチャも一緒に付いて来てくれました。
 
カチャがキング艦長に、戦争の加害者の遺族である僕と、被害者の遺族のカチャの関係を説明し続けていたおかげで、会えることになりました。キング艦長と会った時、僕にわだかまりがなかったと言ったら嘘ですよね。戦争ですから別に謝罪はいらないけれど、思いやりの言葉くらいはほしいなという気持ちはありました。ただ、うれしかったのは、キング艦長が僕から逃げなかったこと。堂々としていたし、潔かった。キング艦長の無邪気さやこだわりのなさに触れ、100%わだかまりの気持ちがなくなったと感じました。今ではもう親父代わりに、毎日元気でいてくれよという感じです。
 
講演では、僕の不思議な体験、そこから学んだこと、色んな話のつながりについてお話ししたいです。僕らが今生きている世の中は、自分の頭で考えている以上に広大で、ちょっと踏み出せば、新たな世界があります。だから、特に若い人には、勇気を持って、何事にも踏み出してほしい。自分が生まれて死ぬまで、いかに愛情を持って人に接してきたか、そのトータルがその人の人生になるんじゃないかと思います。それを僕が感じたのは、今年8年目となる旅を通じ、世界中の色んな戦争の傷を持つ人とのつながりにおいてです。還暦の時に感じた自分の今後の生き方とか老後への不安は、今はもうないですね。
 
(2010年2月1日号掲載)

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