「トイレの神様」などのヒット曲で知られる植村花菜さん。昨年末から夫と子どもと3人でニューヨークに移住し、新しい生活を始めています。渡米の経緯や日々の生活、これからの音楽活動のことなどを伺いました。
(2017年9月16日号ライトハウス・ロサンゼルス版掲載)
ー渡米の経緯を教えてください。
植村花菜さん(以下、植村花菜):2011年、仕事でカントリー音楽の聖地、テネシー州のナッシュビルに行ったんです。私、英語が分からないから、その時までアメリカでは歌詞を重視しないって勝手に決めつけていたんです。だから、ナッシュビルのライブハウスのお客さんが私の歌詞に興味を持ったことや、コーディネーターさんが「日本語には日本語にしかない表現があり、英語には英語にしかない表現がある」と言ったことが衝撃で…。浅はかな考えを恥じると同時に言葉の深さを改めて感じ、英語に興味を持ちました。
また、現地で出会った人々から、アメリカは自分が何をしたいかが大事な国であることを知りました。それまで私は自分の気持ちを抑えて人に合わせて生きてきたけれど、自分が幸せでないと本当に人を幸せにすることはできないと気付いたんです。たった10日でこれだけ刺激があったのだから、もっといれば人生で大事なものが得られるはずと、翌年に2カ月間アメリカを一人で旅しました。旅を経てその勘が確信になり、アメリカで暮らそうと決意したんです。
ー迷いはなかったのですか?
植村花菜:アメリカ一人旅の途中で主人(ジャズドラマーの清水勇博さん)と出会い、その後結婚。2015年に息子が産まれると、このまま日本にいる方がいいのかな?と一瞬思ったんです。でも、いつか渡米を諦めたことを後悔した時、それを息子のせいにしてはいけないし、そんなことをするくらいなら、たとえNYに行って生活がうまくいかなくても、その方が幸せだとすぐに思い直しました。主人と「好きなことができるのって楽しいよ」って息子に言えるように生きることが大事だから行こうと話し、昨年12月に家族で渡米しました。
ー苦手だった英語でのコミュニケーションはいかがですか?
植村花菜:家では日本語を話す上、子育て、引越し、渡米後すぐに決まったライブなどで忙しく、渡米から3カ月経っても英語が喋れませんでした。そこで、今年4月から英語のクラスに通っています。渡米から半年ほど経つと、喋れない自分に吹っ切れました。それまで英語が喋れないことに劣等感があり、あまり外に行けなかったんです。セッションに行っても他のミュージシャンと喋れないだろうとか、ライブハウスに出たいけどお店の人と話せないだろうとか…。でも、いつか喋れるようになったらやろう…では、いつまで経っても何もできないと思い、喋れなくていいから外に行こうという考えに変わったんです。すると、心に余裕ができて、地元のライブハウスでの出演が決まりました。
ーアメリカでどのように音楽活動を始めたのでしょう?
植村花菜:渡米後初めてのライブは、知り合いの夫婦が会場を見つけてくれました。このアメリカ人の旦那さんは、私が「トイレの神様」を歌った紅白歌合戦を見ていて、私のことを知っていたんです。また、「トイレの神様」がヒットしていた頃に偶然一時帰国して曲を知っていたある日本人女性は、NYのバーで毎月ライブができるように手配してくれました。アメリカでゼロからスタートするつもりでしたが、「トイレの神様」がいろんな人と縁をつないでくれて、演奏できるのがありがたいです。
ー渡米して曲作りに変化は出ましたか?
植村花菜:地元のライブハウスで歌うのに英語のカバー曲ばかりだと格好悪いから、英語のオリジナル曲がほしいんですよね。それが英語の勉強のモチベーションにつながっています。自分の気持ちを英語で表現するのは難しいですが、歌詞をチェックしてくれるネイティブの友だちができたので、ちょっとずつ積み重ねていきたいです。
ーライトハウス読者の皆さんにメッセージをお願いします。
植村花菜:東海岸とは違う西海岸のユルさが好きです。近いうちに遊びに行ったり歌いに行ったりして、カリフォルニアの穏やかな空気と人柄に触れたいですね。ホント、そちらでむっちゃライブをやりたいんです。「やりたい」と言えばきっと機会が生まれると思うので、ここでハッキリ「LAでライブがしたい」と宣言しておくことにします。
※このページは「2017年9月16日号ライトハウス・ロサンゼルス版」掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。