1985年以前と以降の日本の二重国籍の扱い
日本人が世界で活躍するようになり、国際結婚が増えたり、外国で生まれた日本人が増える中で、二重国籍になる人も増えている。例えば、アメリカは「出生地主義」といって、アメリカ国内で生まれた人間は自動的に「市民」つまり米国籍者となるが、日本は「血統主義」で、親が日本人であれば日本国籍が取得でき、アメリカで生まれた日本人の子どもは二重国籍になる。
この二重国籍に関しては、1985年以前の日本は許容してきていた。例えば、少し前に元ペルー大統領のアルベルト・フジモリ氏が日本の国会議員に立候補したが、これも85年以前に生まれているからだ。
では、どうして85年に「禁止」になったのかというと、それまでは「父系主義」といって父親が日本人であれば日本国籍を与えるが、母親のみが日本人であれば与えないという制度であったのを、国連から勧告を受けて、父母どちらかが日本人なら日本国籍という改正がされたからだ。その際に、二重国籍が禁止となった。一説によれば母親のみが日本人である韓国や北朝鮮との二重国籍者が発生すると、差別の対象となるという懸念があったという。
二重国籍を解消することの難しさ
この二重国籍の禁止だが、制度としては22歳までに「国籍選択」をすることになっている。そして仮に「日本」を選択した場合は、外国の国籍を「離脱する努力」が義務付けられている。簡単に言えば、「選択」を宣言して「努力」をすればいいということで、それ以上のことは求めていない。
なぜならば、アメリカや英国など、「英米法」の国では国籍(市民権)というのは簡単に離脱ができないからだ。例えば、アメリカの場合、22歳になった日本との二重国籍者が「日本国籍を選択します」と日本政府に届け出て、その足で米国の判事もしくは領事(国外の場合)のところへ行って「米国市民権を放棄します」と言っても事実上は拒否される。
正確に言うと、アメリカの判事は「市民権放棄の理由」を尋ねるだろう。そこで「日本政府の法律に基づいて米国籍離脱の努力をしなくてはならなくなりました」という理由は認められない。なぜかというと、そのような「外国政府の圧力」から「市民の権利」を守るのが米国政府の統治目的だからだ。そこで判事はこう聞くだろう。「米国市民権の放棄は他国政府の圧力によるものではなく、完全にあなた個人の自由意志なのですか?」と。これだけなら「イエス」と言う人もいるかもしれない。だが、判事はこう付け加えるだろう。「ちなみに、ここで虚偽の証言をするとなると偽証罪として連邦法上の刑事犯になりますよ」。そう言われて「イエス」という勇気のある人はいないだろう。
要するに日本の法律で「離脱努力」をせよと言われているということは、米国市民権放棄の理由にならない。同じことは英国でもそうで、英国の場合は「日本政府に届けるための国籍離脱証明書」と「他国の強制によって離脱した国籍は自動的に復活する証明書」を同時に交付して「間違って復活の方を日本政府に出してはダメですよ」と丁寧に教えてくれるという話もある。
このように「出生による二重国籍解消」には難しさが伴う一方で、青色LEDの発明でノーベル賞を受けた中村修二教授のように、アメリカで研究費助成を受けるために仕方なく米国市民権を取り、そのために日本国籍を喪失したというケースもある。ノーベル賞の場合は特例で、日本政府は「名誉国民」のような扱いをするが、これも変な話だ。
そんなわけで、アメリカの在留邦人の中には「日本でも二重国籍を認めるように」という声があり、在外選挙制度の発足に伴って、そうした声を取り上げようという与党政治家も出てきていた。
そこへ、民進党の蓮舫党首と、自民党の小野田紀美議員の二重国籍所持が話題になり、日本では「二重国籍者へのバッシング」という異常な動きが出てきている。極めて残念な動きであり、一刻も早い沈静化を望みたい。
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(2016年11月1日号掲載)
※このページは「ライトハウス・ロサンゼルス版 2016年11月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。