二百番目の訪問国はキューバだった。
楽しかったです。
食べものもおいしいし、ハバナの街の、いたるところでサルサが聞ける。
歴史も、独自の文化もいっぱいある。
世界遺産もあるし、世界中から観光客が来ている。
街を歩いていても、これが1959年の革命からずっと、ソ連の庇護のもとに独裁共産体制を育て、いまだにそれを続けている国だとはちょっと信じられない。
でも、アメリカからは目と鼻の先なのに、アメリカ市民やアメリカの永住権を持っている人は、キューバに行くことは原則禁止されている。
そういう国というのは世界広しといえどもキューバだけだし、キューバにとっても、そんなことをいっている国はアメリカだけだ。
で、僕はアメリカ政府から特別に許可をとって行ってきた。
キューバ料理はとてもおいしかったです。
この国には、もともとおいしいものを食べる歴史がある、と見た。
革命まで、「カリブ海の花」として、すごい隆盛を極めた国である。
いまでも街中に、すばらしく立派なビルや豪華な住宅が立ち並んでいる。
それは、カリブ海のどの島とも比べものにならないほどすごい。
ただし、その多くは59年以降、ほとんど手入れされていないのである。
キューバというと、50年代のアメリカのビンテージカーの写真、見たことあるでしょう?
あれも、当時たいへん高級車だったアメリカ車がたくさん街を走っていたという、繁栄のあかしである。
いまでもそれらの車が街を走っているということは、革命と同時に繁栄がストップしたという証拠である。
レストランやホテル、カジノなども立派なものがいくつもあって、お金持ちたちが毎晩遊んで暮らしていたらしいし、それが理由で革命になっちゃったわけである。
でも、おいしいものが普及した経験のある土地というのは、そのあとも、たとえ素朴な材料しかなくなっても、なんとか工夫して、おいしく食べよう、という努力を続けるものだ。
カリブ海料理としてはいちばんうまいものが食べられる国だ。
たとえばハバナ郊外にあるEl Palenqueという店の、Lechon Asado、豚の丸焼き。
大きなオープンエアーのピットに豚を開いて乗せ、葡萄の木から作った炭で豪快にBBQする。
焼きあがった肉には、salsa criollaクレオール・ソースという名の、レモンジュースとニンニクから作ったサルサをかけながら食す。
これは見事なうまさである。
つけあわせは、chicharronという名の、豚の皮をパリパリに揚げた揚げせんべいのようなものと、malangaというキャッサバを茹でたものなど。さらに生野菜が大量につく。
もっともっとおいしいものがあるのですが、もう紙面がなくなってしまった。
次号に書きますね。
(2009年6月1日号掲載)