(2021年3月1日号掲載)
この30年で何が失われたのか
1990年代のバブル崩壊から約30年、日本経済は低成長が続いている。GDP(国内総生産)の総額で言えば、この間に中国に抜かれて世界3位になっただけだが、一人当たりGDPで比較すると1990年の世界第2位から現在は30位前後まで転落した。先進国経済の一つの指標である3万ドルのラインを割るのも時間の問題だ。
コロナ禍はこれに追い討ちをかけた。収入減や失業に苦しむ人々に対して菅総理大臣は「最終的には生活保護がある」と、これまで受給の障害になっていた家族への扶養照会を見直すとしている。子どもの貧困、非正規労働者の困窮など、生活苦に関する記事は毎日のように新聞やネットに溢れている。
在外の日系人・日本人社会にも影響が及んでいる。コロナ以前の状況でも、日本へ向かう訪日旅行者が激増していた一方で、日本から海外への観光客は減少していた。気が付くと日系企業の駐在員もずいぶんと減った。20世紀には自分の祖国は経済大国という意識を持つことができたが、今ではそうした感覚は消えてしまった。
こうした傾向について、バブル崩壊が元凶だとか、派遣社員の制度が貧困を招いた、あるいは少子化が原因だという議論があるが、因果関係が逆ではないかと思う。とにかく、日本経済は全体が衰退に向かっており、デフレや格差、貧困、少子化はその結果だと考えなくては対策の立てようもない。
経済成長ができなかった三つの理由
三つ問題を指摘しておきたい。一つは先端技術における競争力の喪失だ。何よりもソフトウェアの技術を軽視してきたことが大きな問題だが、それ以外でも、輸送用機器のビジネスでは自転車から船舶、二輪、四輪と成功を収めたにもかかわらず宇宙航空では最先端に立てなかった。エレクトロニクスにおいても、スマホをはじめ最終製品の市場ではほぼ全敗となり部品産業に甘んじている。バイオや製薬では善戦している企業もあるが、Covid-19のワクチン開発競争に見られるように全体的な競争力はトップクラスではない。
二つ目は、日本型空洞化の問題だ。日本発の多国籍企業は頑張っている。にもかかわらず国内経済に元気がないのは、研究開発やデザインなど高い付加価値を生む部分を国外に出してしまい、日本の本社には紙とハンコと日本語と会議に縛られた管理機構が残っているだけだからだ。空洞化というと製造販売など川下を消費地や人件費の安い地域に出すのが普通だが、日本の場合は国内では英語が通用しないし、高給を用意できない、若手に権限を与える風土がないなどの理由から高度な仕事を海外に出すという世界でも例のないことを行なっている。日本の改革が進むまでの暫定措置と思っていたが、そろそろ取り返しがつかなくなっているのではと危惧している。
三つ目は、金融の問題だ。先端産業に投資できないとか、宇宙航空で活躍できないというのは、リスクの取れる長期資金が日本にはないからだ。その一方で、財政悪化による超円安への恐怖がある中では外貨建ての資金調達もできない。結果として人材も技術もあったのに、チャンスを生かせずにきた。同時に金融という知的な巨大産業が日本経済に貢献することもなかった。
グローバル経済の流れは今後も強い。だが、日本の場合は経済において国内をあまりにも軽視してきた。多国籍企業の連結決算の合計が日本経済というのは誤解であり、海外で開発し製造販売している分は日本のGDPにはならない。貧困や格差はその結果だ。
希望はある。今回のパンデミックに対して、日本社会では人口比における感染率、死亡率は欧米の20分の1以下で推移している。衛生概念が徹底し行動に反映することで、明らかに日本社会は人命を守り切った。そのような特質を生かすビジネスチャンスは必ずあるはずだ。欧米への追随ではなく、日本のカルチャーを生かした高付加価値産業を発見すること、これこそコロナ後の日本にとっての急務であろう。
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