(2024年3月号掲載)
日本人は五輪と万博が大好きだった。五輪については、1964年の東京五輪に続いて、72年には札幌での冬季五輪が開催され、98年には冬季五輪が長野でも開かれた。これらの3大会はいずれも大成功に終わり、日本の国際化やスポーツの発展に大きな成果があった。
万国博覧会も同様で、70年の大阪万博の成功に続いて75年には沖縄海洋博、85年にはつくば科学万博、90年には大阪での花の万博、2005年には愛知県での愛・地球博と5〜15年の間隔で開催されてきている。いずれの大会も国内では大きな話題となり、海外からも多くの来場者があった。海洋博を除けば、他の4大会はいずれも来場者が2,000万人を超え、世界の万博史上の成功例となっている。
東京オリンピックで根付いたマイナスイメージ
その日本人だが、ここへ来て五輪と万博を嫌うムードが広まっている。まず、五輪については何と言っても21年に東京五輪を無観客開催した際の混乱が、マイナスイメージを強く残した。コロナ禍の中で、海外からの参加選手や役員はゾーン内から出てはいけないし、反対に日本人はそのゾーンの中に入ってはいけないとされた。つまり選手役員は日本社会に「感染の危険」を感じており、反対に日本人は外国の選手役員に「ウイルスを持ち込む危険」を感じていた。根本的な部分に相互不信がある中では、国際親善など絵に描いた餅であり、どう考えても同年秋まで延期すべきであった。
これに加え、現在でも五輪汚職の問題が未解決のまま話題になっている。招致活動における不正には厳格なかん口令が敷かれる一方で、出版社や広告代理店からは逮捕者が出ている。費用が膨張した責任も不明確なままであり、もうこれ以上は同様の混乱劇を見たくないという心理が広がっている。
そんな中で、北海道の経済再生を狙った30年の冬季五輪招致について、札幌市は市民の理解が得られず正式に断念を表明。これを受けて30年はフランス、34年はアメリカのユタ州、38年はスイスを優先しての交渉ということとなり、札幌五輪が開催される可能性はほぼ完全に消滅した。ユタ州の場合は、同時多発テロ直後の02年に冬季五輪を開催し、テロを防ぎつつ黒字化を達成した実績が今回の招致に結び付いている。
工事の遅れ、費用の高騰。支持を得られない大阪万博
同様に危機に立っているのが25年の大阪万博だ。多くのパビリオンで工期が遅れ、現在は開会までほぼ1年となる中で会場では突貫工事が行われている。また当初の予算はほぼ倍増しており、総額で3,000億円を超えているが、さらに資材や人件費の高騰で費用が膨張するという見方も出ている。チケット販売はすでに始まっており、販売目標の総数が2,300万人で、前売りはその半分強の1,400万人が目標という。だが、発売2週間で15万枚を売ったところで販売数の公表はされなくなってしまった。チケットの定価は7,500円で、前売り(超早割)は6,000円という金額が妥当かという議論も起きている。
大阪万博の評判がいまひとつであるのには、さまざまな理由があるようだ。まず、「いのち輝く未来社会のデザイン」というテーマが分かりにくい。また、工期の遅れや予算の膨張といったネガティブなニュースが圧倒的ということもあるようだ。
けれども、少し前までは、とにかく理屈抜きで五輪と万博が大好きだった日本人が、ここまで五輪と万博を嫌うというのは驚きである。五輪については、招致や開催に伴うスキャンダルが嫌われているし、万博については、突き詰めて考えると、費用が拡大する一方で、来場者数が伸びず赤字になれば、穴埋めに税金が回されることへの不安がある。この点は理解できるし、そうならないように開催側の責任が求められる。現在、日本としては二度と五輪も万博も「お断り」という雰囲気があるが、それでは日本の内向き志向はさらに加速してしまう。関係者には信頼回復努力を強く求めたい。
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