ビジネスでは常識?酒席でのマナー
アメリカ生活が長くなると、最近の日本社会の動向に疎遠になるのは避けられない。特に流行語で、日本で使われている若者言葉の意味が分からないと、ついつい昔の正しい日本語が良かったというようなノスタルジーに走ってしまうことがある。
だが、言語というのは生き物であり、流行語や若者言葉というのは社会の変化を反映して自然に生まれてきたものだ。そう考えると、言葉の変化を否定するのは難しいわけで、やはり調べて追いかけていくことも必要になる。
その一方で、最近驚かされることが多いのが、日本におけるマナーの変化である。それも暴走気味と言っていいような、マナーの厳格化が起きている。時代の流れに従ってマナーがどんどんカジュアルになるのではなく、その反対というわけだ。
まず、酒席のマナーに、日本独特の習慣としてお酌というのがある。これは昔とは変わらない。だが、最近はビールを大瓶で注ぐ際に、ラベルを上にしなくてはいけないのだそうだ。理由は、その方が見栄えが良く丁寧だということで、取引先への接待や、社内での酒宴などの場合に、特に目上の人にはそうすべきだという。元来は銀座や北新地など夜の街で見られた習慣だが、誰かがマネをして広めたのだろう。
同じようなもので、日本酒を徳利でお酌する場合は注ぎ口が上になるようにわざと反対に持って、注ぎ口でないも出現した。
理由の一つとして、注ぎ口には毒を塗ってある危険があり、それを避けるように注ぎ口の反対で注ぐのが丁寧だというのだが、江戸時代の話としてもそんな毒殺のエピソードは聞いたことはない。もしかすると韓流宮廷ドラマの陰謀のシーンなどの影響かもしれないが、最近の日本ではこだわる人がいるらしい。
ハンコ、お茶、コート…奇妙なマナーの背景とは
日本独特の文化としてハンコというものがある。特に会社の中では稟議書などと言って、多くの関係部署の担当者がハンコを押し、最後に管理職や役員など一番偉い人がハンコを押して決済する。そのように紙を回してハンコを押すこと自体が古いし非効率と思うのだが、これに加えて、下役は上司に対してお辞儀をしているように、ハンコを上司の決済欄の方へ傾けて、しかも真ん中ではなく隅に押すという習慣が生まれている。そんなことをありがたがる上司がいるというのでは、正しい判断のできる会社なのか心配になるが、特に金融機関などでは広まっているらしい。
また、これも日本独特のカルチャーとして、取引先を訪問するとお茶が出る。その場合に、お茶を飲むのは失礼だからダメという考え方があるらしい。相手から勧められたら飲むべきという意見もあるが、それでも飲まないのが我慢しているようで好印象などという妙なマナーもある。
我慢といえば、冬場に取引先を訪問する際に、コートを着て行ってはいけないという不思議なマナーもある。寒いのを我慢しているのが好印象という説もあるし、中には背広とは違って、コートは品質がバレやすいので、相手より高級なコートを着ていくのは失礼という配慮もあるようだ。
こうしたマナーの暴走が起きる理由だが、何と言っても経済が低迷する中で、各企業の営業部隊などが必死の活動をしており、その結果としてとにかく好感度を良くするためには何でもという思いが、このような行動になっているのだろう。これに加えて、運動部気質とか、パワハラ体質といった悪しきカルチャーの影響もある。
このようなマナーの暴走は、流行語と違って簡単に受け入れるわけにはいかない。対応を強いられる人々のストレスは計り知れないし、グローバルなビジネスの常識からさらに離れていくことになるからだ。こういう問題こそ、海外組が物申すべきとも思うし、少なくとも相手にそのような気を遣わせない工夫は必要ではないだろうか。
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(2019年1月1日号掲載)
※このページは「ライトハウス・ロサンゼルス版 2019年1月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。