コロナ禍の移動 対応のことなる日米
新型コロナウイルス感染拡大の初期に、アメリカではニューヨーク州の感染爆発が突出していた。そのために、近隣のロードアイランド州ではニューヨーク州のナンバープレートを付けた車両を摘発するための検問が行われたことがある。武装した警官が州間高速95号線にチェックポイントを設け、該当する車両は州内の出口から降りることを禁止していた。
ただ、その措置はあまりに厳しすぎるとして停止され、以降は14日間の自主隔離を要請するという運用に変わった。結果的に州境を越えた移動を止めることはできなくなりそうで、その結果として5月以降における南部や中西部の感染拡大を招いたという説もある。けれどもアメリカの場合、州境の閉鎖は憲法違反となっている。南北戦争で国が分断された痛み、そしてその前に南部から脱出した黒人奴隷を北部が救った歴史などが背景にはある。
一方で日本では、反対の動きが出てきた。今回のコロナ危機において「県を越えた移動」へのタブー意識が急に広まったのである。緊急事態宣言により全国的に人の移動と接触を制限された時期だけでなく、宣言が解除された後も県によっては「他県との交流」特に感染数の多い東京都との人の行き来に対して、タブー感がある。
例えば比較的感染数の少ない県では、飲食店が「県外者お断り」という表示をしていたり、中には県外ナンバーの車を駐車していると傷をつけられたり、石を投げられるなどの事例も多く報告されている。被害を防止するために、引っ越してきたばかりの人向けに「(ナンバーは県外でも)県内居住者の車両です」と記したステッカーを役所が配っているのだ。
教育現場では、県外への移動を仕事としている長距離トラック運転手の子どもが、感染を恐れた学校から出席停止を要請されたとか、他県からの転校生は自己隔離期間を経ないと転入を認めないという例もある。地方の高齢世帯では、都会に住む子ども一家が帰省してくると近所から嫌がられるというし、 そうした地方の場合は医療機関の収容数に限界があり、感染を広めては悪いので帰省は自粛すべきという声は都会でも大きくなっている。
こうしたネガティブな反応の背景には、もちろんコロナ危機における社会不安があるのは疑問の余地はない。また PCR検査を極端に抑制している中で、疑わしきは遠ざけようということもあるだろう。
小さな国の無数の文化とコロナの関係
もう一つ、今回「県境を越えることへのタブー感」がここまで広まった背景には、地方の独立性が指摘できる。日本は面積ではカリフォルニア州よりやや小さい小国であり、それが47の都道府県に分かれている。 最大の人口を誇るのは東京都で約1300万人であるが、10位より下は500万人以下。 しかも下位の10県は人口100万人に満たない。人口約4000万人のカリフォルニアを筆頭に、1000万人超えが9州、500万人以上1000万人未満が14州もあるアメリカと比較すると、各都道府県は本当に小さい。
だが、日本の場合は、その小さな県の一つ一つが長い歴史を持ち、独自の文化と独立性を備えているのだ。例えば、言葉が違う。 アメリカにも地方ごとのアクセントはあるが、語彙も文法も異なる日本の方言はそれとは次元が異なる。食文化もそうだ。例えば、名古屋、京都、大阪という新幹線では40分以内の3都市だけを比較しても、それぞれの言葉も食文化も全く違う。同じように、全国各地で県境を越えると言葉も生活習慣も、そして食文化や民謡、民話などが異なっている。
今回は「県境越えのタブー」というネガティブな形で出てきているが、地方の独立性、独自性は平時であれば、日本文化の豊かさを支える要素であることは間違いない。2019年までは、二度三度と来日を重ねたインバウンド観光客は、そんな日本の多様性を発見し始めていた。日本も早くその状態が戻ればと願わずにはいられない。
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(2020年9月1日号掲載)
※このページは「ライトハウス・ロサンゼルス版 2020年9月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。