日米でこれほど違う子どもと文房具の関係
アメリカの文房具店と言えば、大規模なオフィス用品店や量販店の文房具売場ということになるが、ここ10年ぐらい日本のメーカーの製品がシェアを確立しつつある。特にボールペンやアメリカではメカニカル・ペンシルと呼ばれるシャーペンなどは、日本のブランドが普及している。
日本の文房具と言えば、筆記用具だけでなく筆箱、消しゴム、ホチキス、鉛筆削りからノート類に至るまで高性能でデザインも優れている。筆記用具に続いてどんどん日本のブランドが進出することを期待したいのだが、実はアメリカの場合、問題がある。
それは、アメリカ人は基本的に「文房具が嫌い」ということだ。これは、小学校に始まると言っていい。と言っても、アメリカ人が勉強嫌いかというと、決してそうではない。アメリカの学校では、学年ごとに子どもの成長段階に応じた教育がされ、その中で勉強が好きになるように誘導するという工夫は日本以上にされている。
小学校の問題は、文房具を意識しないということだ。例えば、新学年が近付くと日本でもアメリカでも新学期セールというのが大々的に行われて、文房具が販売される。一見すると同じような習慣に見えるが、やっていることは大きく異なる。新学期へ向けて鉛筆を1ダースとか、まとめて購入するのも一緒だが、日本の場合はそれこそ1本1本名前を書いて「所有」という概念を教え込むのに対して、アメリカの場合は多くの場合、買ってきた鉛筆1ダースをクラスに供出して共有物にするのである。子どもたちは学級の中で必要になれば、その共有物である鉛筆を使い、鉛筆の先が丸くなれば学校の壁にネジ止めされている鉛筆削りを使う。
つまり、自分の好きな鉛筆を選んで管理するという習慣は全くない。ということは、文房具に対する愛着を得ることもないのである。文房具はただひたすらに道具であって、用が足せれば良いということになる。
アメリカで日本の文房具の商機はあるか?
大人になるとどうかというと、今度はアメリカ人の仕事嫌いというカルチャーが文房具にも反映してくる。アメリカ人は量販店や事務用品店から大量にファイルとか、筆記用具などの文房具を購入する。それを見ていると、文房具が好きなように見えるが実際は違う。5時になれば途中でも仕事を放り出して帰り、お金を貯めてリタイアする時は大喜びするアメリカ人にとって仕事はイヤなものというのが常識である。これを反映して、文房具への愛着という思想はない。
例えば、オフィスを舞台にしたテレビや映画のコメディーでは、ストレスを発散させるために鉛筆を折ったり、ファイルを投げ捨てたり、かなりやりたい放題のシーンが出てきていた。文房具は単なる道具であり、そこに愛着はなく、場合によっては憎らしくもあるというのがアメリカの大人の平均的な感覚である。そして、90年代以降は加速度的にコンピューター化が進んで、ペーパーレスが進行、余計に文房具の存在感は薄くなっていくこととなった。
小学校では共有物なので愛着が湧かず、大人になったらストレスの象徴ということで、日本のように個人が文房具の所有を楽しみ愛着を持つというカルチャーは、なかなか受け入れられそうもない。
そうは言っても、せっかく筆記用具でアメリカ市場に足掛かりを築いた日本の文房具としては、ぜひ、もう一歩踏み込んで普及を広げたいところだ。
例えばだが、アメリカではホチキス(ステープル)というものは巨大なものを乱暴に叩いて使うイメージがある。製品の工作精度も使用感も実に大ざっぱであるし、故障も多い。そこに日本製の実にスムーズな使用感と、延々と使用しても壊れない耐久性を持ち込むことはできないだろうか。さすがのアメリカ人も、少し使ってみれば快適な使用感から手放せなくなると思うのだが。
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(2020年3月1日号掲載)
※このページは「ライトハウス・ロサンゼルス版 2020年3月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。